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博士論文審査要旨

論文題目:往還する〈戦時〉と〈現在〉―日本帝国陸軍における「戦争神経症」―
著者:中村 江里 (NAKAMURA, Eri)
論文審査委員:吉田 裕、佐藤 文香、中北 浩爾、石居 人也

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一、本論文の構成

 本論文は、総力戦期に顕在化した疾患として、欧米では1970年代以降、歴史学の研究対象となってきた戦争神経症が、日本の軍隊においてはどのような問題として立ち現れたのか、という問題に取り組んだ論文である。そうした問題は、日本では、従来ほとんど取りあげられてこなかったが、本論文では、これまで医学や心理学の領域で論じられてきたトラウマ概念を近現代日本の政治や社会の問題と関連させて分析し、さらに、戦争と精神疾患、あるいは心的外傷に関する集合的記憶がほとんど存在しないという状況が生まれた歴史的背景を明らかにすることを目的としている。本論文の構成は以下の通りである。

序章
第Ⅰ部 総力戦と精神疾患をめぐる問題系
第1章 兵員の組織的管理と軍事心理学
第2章 軍事医学と精神神経疾患
第3章 傷痍軍人援護と精神神経疾患
第Ⅱ部 戦争と「心の傷」を取り巻く文化・社会的構造
第4章 戦場から内地へ ―患者の移動と病の意味
第5章 陸軍病院と社会/陸軍病院という社会
補論  戦争と男の「ヒステリー」 ―十五年戦争と日本軍兵士の「男らしさ」
第6章 誰が補償を受けるべきなのか? ―戦争と精神疾患の「公務起因」をめぐる議論
 第7章 十五年戦争と元・兵士の心的外傷(トラウマ)―神奈川県の精神医療施設に入院した患者の戦後史
終章

二、本論文の概要

 本論文の第Ⅰ部では、総力戦期に戦争の遂行に関わるようになった心理学や軍事医学などの領域において、どのような問題が存在し、どのような取り組みがなされていたのかを具体的に明らかにしている。
 第1章は、欧米における総力戦の衝撃を受けて、戦間期の日本の軍隊で生じた心理学への関心を二つの潮流に分けて論じた章である。一つ目は、陸海軍及び航空研究所での心理学の応用実践である。これらの研究は、兵員を「適材適所」に配置するための諸検査に応用するためになされた。もう一つはとりわけ陸軍で注目された「戦場心理」研究であり、これは兵士に対する指揮統率上必要とされたものであった。
 第2章は、日中戦争以降の大規模な兵力動員に伴い増加したと考えられる精神疾患患者に対して、軍事医学の側がどのような対応を行ったかを論じた章である。まず、日中戦争全面化以降の陸軍省医務局の患者後送計画と、精神神経疾患の専門治療機関であった国府台陸軍病院を中心とした治療体系が分析される。続いて、当時の日本の軍隊で「戦時神経症」と名づけられた疾患群がどのようなものとして理解されていたのかを明らかにしている。「戦時神経症」は診断名ではなく、実際に病名として大部分をしめたのは、四肢の麻痺や歩行障害などを特徴とするヒステリーだった。そして、戦時中一貫して「戦時神経症」の原因は患者の素質や「帰郷願望」に還元され、治療の目標はなるべく多くの患者を戦場へ戻し、出来る限り恩給支給額を圧縮することにあった。さらに本章では、こうした治療体系の整備の一方で、実際に治療に当たっていた当の軍医たちによって、「皇軍」には精神病や戦争神経症が存在しないという言説が国民向けには流布されていたことを明らかにしている。
 第3章は、日中戦争以降拡大した傷痍軍人援護において精神神経疾患がどのように位置づけられていたのかという問題を、医療保護・職業保護・一般国民の教化という三つの柱に焦点を当てて分析している。まず医療保護に関しては、傷痍軍人療養所の中では、数の面では最多をしめる精神疾患と結核の療養所の入所資格を見てみると、必ずしも公務に起因する傷痍軍人の保護のみに限定されていないものの、傷痍軍人援護においては精神障がいが一段低い位置付けを与えられていたことがわかる。職業保護に関しても、頭部戦傷者は例外として精神障がい者に対してはほとんど職業教育や職業の斡旋がなされていなかった。最後の国民教化に関しては、戦争によって精神疾患を発症した患者への偏見をなくし、国家による保護の対象とすべきであるという注目すべき言説が登場する一方で、傷病兵の中にも戦争神経症患者は保護に値しない存在であるとみなす視線が存在したことを指摘している。
 本論文の第Ⅱ部では、戦争と「心の傷」を取り巻く文化・社会的構造を分析している。
 第4章は、戦時期の精神神経疾患兵士の地理的布置を描いた上で、戦地から内地への戦傷病者の移動が国府台陸軍病院の軍医によってどのような意味を付与されたのかを明らかにしている。終戦時の資料焼却により、陸海全軍の戦傷病者の体系的なデータは存在しないが、本章ではいくつかの断片的な統計から内地に還送された精神疾患患者が全体のごく一部であったことを明らかにし、それゆえに内地還送が、軍部や将兵たち自身に特有の目線を向けられる経験であったことに着目する。また、戦場から内地へ、そして病院から郷里への移動は、国府台陸軍病院の軍医にとっても単に物理的な移動を意味するものではなく、彼らは患者の移動と病像変化に多大な関心を寄せた。すなわち、軍医たちは驚愕体験後の一時的反応とその後に時間差を伴って現れる症状を明確に区別し、前者は誰にでも生じうる生理的な反応で一過性のものであるが、後者は戦場からの逃亡や恩給などの願望のもとに発現する症状であると捉えた。そして、移動の過程に点在する病院は、制約の多い軍隊から離れる「逃避所」となり、「ヒステリーの温床」となっていると患者への警戒を強めたのである。
 第5章は、第4章での分析の結果、内地に送られた全ての患者が国府台陸軍病院に送られたわけではなかったという事実に着目し、これまでほとんど注目されてこなかった一般の陸軍病院における精神神経疾患の収容の実態や、そもそも陸軍病院自体がどのような磁場に置かれた場であったのかという問題を解明している。本章で分析の対象になるのは、国府台陸軍病院と比較すると規模が小さく患者の郷里と近い位置にある新発田陸軍病院である。ここでは、地元新聞の分析を通じて、陸軍病院が患者と銃後社会との接点になっていたこと、戦傷病兵やその家族の間に戦死や戦傷に比べて戦病を恥じる意識が存在したこと、そして治療の結果原隊復帰が不可能となった「白衣の勇士」には戦時労働力として「第二の御奉公」をすることが求められ、陸軍病院が退職後の再就職を準備する場であったことが明らかにされている。続いて、情報公開制度によって公開された4000名以上の新発田陸軍病院の病床日誌から約160名の精神神経疾患患者を抜き出し、入院年、還送・転送元、病名、転帰に関する統計を作成し、発症経緯についての分析を行っている。国府台陸軍病院と比較した時の新発田陸軍病院の特徴は、治癒率が高く、神経症圏の患者が多いことであった。中にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)と思われる事例や、自殺未遂、他者への暴行が見られるケースもあったが、全ての患者は国府台を経由せずに新発田へ送られてきていることから、比較的「軽症」で治癒の見込みが高い患者が新発田のような一般陸軍病院に収容されるという役割分担があったのではないかと筆者は推測している。
 補論は、第2章や第4章で明らかにされたように、国府台陸軍病院の軍医たちが最も関心を寄せたヒステリーが、西洋の歴史においては長らく「女の病」として捉えられてきたことに着目し、軍事主義とジェンダーの視点から、ヒステリーについて論じた章である。そもそも、近代日本の軍隊が「男らしさ」を構築していく上で、女性や徴兵検査で合格基準に達しない者、訓練や私的制裁に耐えられない者などの「男ではない者」の存在が不可欠だった。そして戦時期のヒステリーの患者についても、当時の男性にとっては「男らしさ」の危機と取られかねない兵役免除の対象であったことに筆者は注目する。続いて、大戦間期の日本の状況としては、専門家の間では19世紀以降欧米で着目された「男のヒステリー」の存在は知られていたが、通俗的には「女の病」としてのイメージが残っており、専門家の側もヒステリーを女性の生来的な特質と結びつける傾向があった。このため、戦時期の国府台陸軍病院の患者の中にはヒステリーという病名を忌避する患者も存在し、ヒステリーの持つ侮蔑的な印象を避けるために「臓躁病」という病名が軍医たちの間で用いられ、とりわけ階級の高い者へはヒステリーという病名使用が避けられたのである。
 第6章は、陸軍病院における重要な業務であった恩給の策定をめぐる制度と実態、そして戦後における恩給の裁定実態などを明らかにした章である。まず、戦時中の国府台陸軍病院における恩給策定方針が確認され、精神神経疾患の中でも病名ごとに細かな基準が設けられていたこと、最も患者数の多かった精神分裂病に関しては、戦争末期に至って戦地(事変地)発病のものを公務起因と認めるという注目すべき方針の転換が見られたことを指摘している。一方で、「戦時神経症」は恩給への願望のもとに症状が固定すると理解され、恩給策定の際にも警戒するよう注意が促されたが、上記の恩給策定方針においては公務起因と認められるケースもあった。続いて、国府台陸軍病院の病床日誌の分析に基づき、「戦時神経症」にかかわる恩給策定の実態が解明されている。その結果、「戦時神経症」の多くのケースでは、受給条件を満たさなかったり、「目的反応」と疑われて公務起因とされない場合が多かった。さらに、戦後の国会における恩給法や援護法の議論の中でも戦争と精神疾患の関連性が議論となり、議員らの訴えによって次第に患者の苦境への配慮がなされた一方で、1970年代に至ってもなお補償の対象外にいたであろう人々の存在が示唆されている。最後に、新潟県の戦傷病者らの事例分析によって、戦後も精神の病に苦しんだ当事者の中で、恩給の請求という行動を起こした人は恐らく少数に留まり、裁定事例も稀であったとしている。
 第7章は、戦後日本の陸海軍が解体され、「心の傷」も忘却されることになるが,その傷を浮かび上がらせる試みである。まず、終戦直後の国府台陸軍病院の状況が確認された上で、戦後、戦争神経症患者の予後調査を行った医師へのインタビューによって、戦後日本社会の中で戦争神経症への関心が失われていった背景が明らかにされる。続いて神奈川県の精神病院に入院した患者記録の分析を行い、こうした忘却の時代に顧みられることのなかった「心の傷」の存在を、精神医学のトラウマ理論によって炙り出している。
 終章は、これまでの考察をふまえた上で、本論文の意義と結論について、論じたものである。

三、本論文の成果と問題点

 本論文の史学史上の意義は、次の通りである。第一には、軍事医学や軍事衛生に関する公文書が敗戦直後に大量に焼却されている状況の中で、戦争史研究の分野では、従来、あまり顧みられることのなかった病床日誌、恩給診断書という戦争と医療に関わるアーカブズを積極的に利用することによって、十五年戦争期における精神疾患患者の実態を解明したことである。特に、国府台陸軍病院に関して掘り下げた分析を加えただけでなく、従来ほとんど知られることのなかった新発田陸軍病院の事例に着目し、病院をとりまく地域社会との関係性を踏まえながら研究を深化させている点、神奈川県の精神病院入院患者の記録によって、戦時中もしくは戦後に精神疾患を発症した元兵士の戦後史を明らかにした点が注目される。また、限られた史料の中で、陸軍の戦争神経症対策の歴史的変遷についても丁寧な整理がなされている。
 第二は、様々な時空間に焦点をあわせることによって、軍医と患者との間に存在するある種の権力関係を浮き彫りにしたことである。兵士の移動という点に着目すると、最前線からいくつかの段階をへて、内地に還送されてきた兵士が入院する国府台陸軍病院は,いわば終着駅であり、軍隊と社会との境界に位置している。そこでは兵役を免除され恩給の受給権を獲得しようとする患者と、恩給の策定や兵役免除などに関して一定の権限をもつ軍医=精神医学界のエリートたちとの間に、常に厳しい緊張関係が存在し、激しい攻防が展開された。その対立と攻防の具体相を、本論文は明らかにしている。
 第三に、本論文は、十五年戦争期において、兵士たちの「心の傷」がどのような形で表出したのかという問題を、当該期の社会・文化構造との関連で明らかにしている点である。特に,そうした表出を規制する力が、様々な面で働いていることが重要である。具体的にいえば、精神的に卓越した「皇軍」には戦争神経症など存在しないという言説、戦死や戦傷の場合と異なり、戦病を「恥」とするような価値観の定着などである。さらに、筆者が注目するのは、ジェンダーの視点である。「男らしさ」が構築されている社会においては、ヒステリーと判断されたり、戦病によって兵役を免除されたりすることは、兵士とその家族にとって、男としてのアイデンティティを不安定化させることを意味したのである。このように、「心の傷」の表出を規制するような社会のあり方を具体的に解明したことが、本論文の三つ目の意義である。
しかし、いくつかの問題点を指摘することができよう。第一には、トラウマが社会的に構築された概念であることを考えるならば、十五年戦争期の戦争神経症をトラウマ理論だけで説明できるかという問題が残る。第二には研究史の整理の問題である。総力戦のインパクトを重視したいという問題意識は理解できるが、福祉国家論との関連のさせ方にはやや無理がある。また、医学史の面で言えば、先天的とみなされてきた疾患や精神疾患が医学界の中でどのように位置付けられてきたのか、という問題の整理が必要である。第三には社会との関連性の問題である。陸軍病院は地域の人々の眼差しを患者である兵士が内面化する場であると同時に、慰問活動などを通じて、地域社会が「戦場」にふれる場でもあった。そうした双方向性にも着目する必要があるだろう。また、社会の側が、傷痍軍人をどのように差異化してゆくのか,という問題も重要である。たとえば日中戦争以降は、傷痍軍人との結婚が奨励されるようになるが、その中で、戦傷傷痍軍人、戦病傷痍軍人、さらには、その中の精神疾患を発症した傷痍軍人との間の差異化がどのようになされたのかという問題である。
とはいえ、これらの問題点は本論文の学術的価値をいささかも損なうものではないし、筆者自身が、その問題点を明確に自覚し、今後の課題としているところである。筆者の研究のさらなる進展に期待したい。

最終試験の結果の要旨

2015年6月10日

 2015年4月30日、学位請求論文提出者・中村江里氏の論文について、最終試験を行った。
本試験において、審査委員が、提出論文「往還する〈戦時〉と〈現在〉―日本帝国陸軍における『戦争神経症』―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、中村江里氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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