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博士論文審査要旨

論文題目:ジュウォギjwogi、ジャジュウォキjajwok、ティポtipo、そしてラムlamの観念 ―ウガンダ東部パドラPadholaにおける「災因論」の民族誌的研究―
著者:梅屋 潔 (UMEYA, Kiyoshi)
論文審査委員:岡崎 彰、春日 直樹、足羽 與志子

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I 本論文の構成
本論文は、ウガンダ東部に住む西ナイル系のアドラの人々が、災いや病、死に直面して何に原因を求めどのように対処するのかという問題を中心に描き出した民族誌である。まず前半ではいわゆる「災因論」の考え方をもちいて詳しく検討し、後半では1970年代のアミン政権下で非業の死を遂げたアドラ出身の国務大臣をめぐる「災因論」の実態を記述し分析を行っている。

本論文の構成は以下の通りである。
第1部
序章
Ⅰ目的
 1 「災因論」
 2 「災因論」研究の3つのコンテキスト
 3 「災因」の「非=原因性」
 4 アブダクションとしての「災因」
 5 複数の「災因」複数の「物語」
 6 経験主義と合理主義
7 本論文の方針
Ⅱ 対象
 1 パドラとアドラ
 2 アドラ民族
 3 歴史
 4 アドラ・ユニオン
 5 父系クラン、ノノnono
6 キリスト教受容と政治学
 7 ウェレ信仰の概要
 8 アドラ民族についての先行研究
Ⅲ 資料と方法
 1 現地調査の方法
 2 テキスト
3 調査期間
Ⅳ 本論文の構成
第2部
第1章 トウォtuwo―病いのカテゴリー
Ⅰ はじめに
Ⅱ 資料
Ⅲ 資料の分析と考察
 1 身体化された衛生学
 2 病因論
Ⅳ まとめ
第2章 「災因論」
Ⅰ はじめに
Ⅱ テキスト
 1 ジュウォギjwogi
 2 殺害された者の死霊(ティポtipo)
 3 アイラayira(毒)
 4 「呪詛」(ラムlam)
Ⅲ 資料の分析と考察
第3章 ジャジュウォキjajwokの観念
Ⅰ はじめに
Ⅱ テキスト
Ⅲ 考察とまとめ
第4章 ジャミギンバjamigimbaの観念
Ⅰ はじめに
Ⅱ テキスト
Ⅲ まとめ
第5章 ティポtipoの観念
Ⅰ はじめに
Ⅱ ティポ
Ⅲ 「骨囓り」の儀礼―カヨ・チョコkayo choko
Ⅳ 考察とまとめ
第6章 「呪詛」、ラムlamの観念
Ⅰ はじめに
Ⅱ テキスト
Ⅲ まとめと考察
第7章 ルスワluswa
Ⅰ はじめに
Ⅱ テキスト
Ⅲ まとめ
第8章 12の事例の検討と分析
Ⅰ はじめに
Ⅱ 事例
Ⅲ まとめ
第9章 聖霊派教会の指導者たちとの対話
Ⅰ はじめに
Ⅱ 聖霊派教会の指導者たちとの対話
Ⅲ まとめと考察
第3部
第10章 葬儀の語られ方
Ⅰ はじめに
Ⅱ テキスト
Ⅲ 結論
第11章 葬儀の実際
Ⅰ 響き渡るブリbuli
Ⅱ パドラ飲酒事情と身近な「死」
Ⅲ オポウォの「埋葬儀礼」(イキロキyikiroki)
Ⅳ 「呪詛」で酒が手放せなくなった男―オドウェ
Ⅴ バジルの死とアディンの病
Ⅵ モダニティの邪術
第4部
第12章 ある遺品整理の顛末
Ⅰ 序論
Ⅱ ACKとの出会い
Ⅲ 国務大臣と死霊、そして予言者
Ⅳ 再訪
Ⅴ ゼファニア・オチェンの墓
Ⅵ ゴドフリー・オボス=オフンビとふたりのムゼーMzee(長老)
Ⅶ レヴランド・キャノン・ミカ・オマラ
Ⅷ アディオマという補助線
Ⅸ オフンビ邸と遺品
Ⅹ ACKの墓
第13章 福音を説くウィッチ
Ⅰ 有刺鉄線の外から
Ⅱ ミカ・オマラの証言
Ⅲ オクムのティポとセム・K・オフンビのチエン
Ⅳ コロブディのロリ・クラン
Ⅴ もうひとりのティポ
Ⅵ ACKの死
Ⅶ 結論
総括
おわりに
参照文献
 
II 本論文の概要
 全体は4部から成り、第1部(序章)は「災因論」についてのの先行研究の整理と検討、調査地の歴史的背景、そして調査方法やテキストの問題などについて、第2部(第1章~9章)はアドラの「災因論」に関する様々なカテゴリーについて、第3部(第10章~11章)は葬儀儀礼について、第4部(第12章~13章)は或る歴史的事件を取り上げローカルな「災因論」の動態的側面について、扱われている。
 序章で、まず「災因論」というアプローチの成立について概観し、次に研究上の三つの背景として、近隣社会の比較民族誌的問題、過去20年ほどの間に活発になった「妖術の近代性」をめぐる論争、そして「災因論批判」に言及し、問題の所在を明らかにする。次に「災因論」の「原因」という概念を再検討し「物語論」の有効性を議論するが、これら「災因論」も「物語論」も議論が尽くされないままあまり言及されなくなってきている現状を認める。次にアルフレッド・ジェルの比較的最近の「アブダクション」の理論に言及し、この理論が「災因論」と「物語論」と響き合う部分があることを指摘する。そしてこれまでの「災因論」批判のいくつかは、「アブダクション」の概念を導入することで、無効化されると指摘する。次に、現地の民族、歴史、政治機構、宗教などについて先行研究のレビューも含めて概観する。最後に、現地調査の方法とテキストの取り扱いについて概観し本論文における方針を示す。
 第1章では、パドラの代表的な88種の病いのカテゴリーとその対処法を概観し、衛生学的病因論とローカルな「アドラ流」災因・治療システムが混在している実態を指摘する。
 第2章では、専門家ではないごく普通の一老人から得た録音資料に基づき、アドラの「災因論」の中心的カテゴリーとして、ジュウォギ(悪霊・死霊)、ディポ(殺害された者の死霊)、アイラ(毒)、ラム(呪詛)という観念を取り上げ、それぞれの作用として次のような特徴を指摘する:(1)死にはその背後に「不幸」があること、(2)それはジュウォギによって引き起こされていること、(3)ジュウォギは「専門家」によって操作可能であること、(4)屋敷の外部で死んだ死者は不幸の原因になりうるので、特別の配慮をする必要があること、(5)死者は生者と同じく妬みをもち、要求をするが、それに応えて儀礼をしないと不幸がもたらされること、(6)何者かに殺害された死者は、ティポとして殺害した加害者や関係者に不幸をもたらすこと、それを解消するには「骨囓りの儀礼」を行う必要があること、(7)毒を用いるのは「ジャジュウォキ」(後述)であること、(8)「呪詛」は、年長者に対する不敬行為に対して年長者によって発せられ不幸がもたらされること、解決するためには年長者の納得する賠償や謝罪と「浄めの儀礼」、「骨囓りの儀礼」が必要であることなどである。しかし、それぞれの観念は排他的な意味領域を形成せず、災因としてどの観念を選び採るか、その診断の基準はあいまいであること、「専門家」や占いなどの技法が介在して特定される場合以外は、解釈者の判断によって「災因」が選ばれることを指摘する。
 第3章では、「ジャジュウォキ」の概念が検討される。この語の意味領域には「ウィッチとしてのジャジュウォキ」と「ナイト・ダンサーのジャジュウォキ」がある。前者は、他人に毒を盛ったり、邪術をかけたり、他人の畑を不毛にし、死霊を使役する反社会的存在である。これは人々の捕獲、拷問の対象となる。後者は、「性癖」や「病」として本人の意思にかかわらず継承してしまった「ナイト・ダンサー」、つまり夜に裸で踊り狂い、しばしば安眠妨害となる存在であり、さほど反社会的でもなく、本人が「ナイト・ダンサー」と気づいていない場合もある。「夜裸で外に出たがる」行動は、精神疾患の症状としても一般的な行動であり、外面上の行為だけではそれが「ナイト・ダンサーとしてのジャジュウォキ」なのか精神疾患なのか区別はつかない。また「ウィッチとしてのジャジュウォキ」と「ナイト・ダンサーのジャジュウォキ」の境は時に不明確化することがある。さらに、「ウィッチとしてのジャジュウォキ」によって行われた加害行為の結果起こる症状は「呪詛」によるものと区別がつかない。
 第4章は、「ジャミギンバ」、雨をもたらす存在、についてである。これも諸説あるが、このような能力のある人間の存在は疑う余地がないとされ、実際に経験的に目撃したという者もいる。しかしまたそうした能力やそれにもとづく現象は過去にあったが廃れたあるいは忘れ去られたと考える傾向と、「詐欺的商法」であると考える傾向とがある。これとの関連で「ワン・コス」(雨の目:降雨を左右しうる「呪物」)が言及され、それは特定のクランに継承されるが、婚出を契機として流出しうるし、能力や薬として売買できるとされる。降雨は死活問題であるから、地域社会とうまくいかないジャミギンバが拷問にかけられたりすることもあった。このように社会の周縁や構成員に根本的にほかの人間とは異なる能力や手段を持っている人間がいるという想像力は共同体の境界にある種の輪郭を与えていると論じる。
 第5章はティポの観念についてである。これは普通「影」を指すが、「災因論」としては殺害された者の死霊を指し、自然死による死霊ジュオギとは異なる。ティポは殺人者に対して長期的な攻撃を仕掛ける。ティポの標的にはこのほか遺体の第一発見者や意図せず殺人の状況をつくってしまった人間も含まれる。殺人者がはじめに入った小屋や、殺人者の食物を通じてティポの標的が「伝染」することもある。また、誤って標的となることを薬草や儀礼で回避したり、意図的に誰かに送りつけることも可能である。被害者の症状はAIDSと同じである。孫の世代から病に冒され、死んでゆく。葬儀で適切な手続きを踏まないと、この霊の攻撃が続く。標的となってしまった者がその攻撃から逃れる唯一の方法は「骨囓り」儀礼という和解儀礼である。また、ティポの攻撃の標的となる範囲は広く、気づかぬうちにティポの犠牲になりうるので、半信半疑のままでも何らかの手を打つ必要がある。本来「ティポの攻撃である」という診断に自ら肯定的に確信が持てるのは「殺人事件」の加害者その人だけだが、心当たりがなくてもその可能性は否定できない。「孫の世代に最初にあらわれる」ということは、歴史上の近隣民族との紛争を考慮すると、自分の先祖が「殺人者ではない」可能性はゼロに近いからである。
 第6章はラムの観念についてである。これは「呪詛」と訳しうるが、以下のような特徴が指摘できる。「呪詛」は年長者による社会的懲罰の側面があり、「呪詛」をかけた側に正当性がある。「呪詛」をかけうる者はオジ、オバ、祖父、祖母が多く、兄弟の息子が典型的な被害者である。花嫁代償の分配が適切でないなど、社会関係の秩序が問題となる場合に発動されうる。呪文には、結婚生活、生殖関係の不備を願うものが多く、望ましくない未来を口にすると実現する。症状としては、酒浸りになる、仕事がうまくいかなくなる、女たらしになる、財産を失う、裸で出歩くようになるなど多岐にわたる。「呪詛」の効き目は、遠く離れると弱まる。「呪詛」を解く「浄めの儀礼」では「呪詛」された者の父親が介入し、クランや長老が、儀礼の執行を促す。「呪詛」をかけた者が解呪せずに死んだ場合に行う「浄めの儀礼」もあるが、キリスト教に改宗することで「呪詛」を回避しようとする場合もある。ただしキリスト教も「呪詛」と無縁ではない。「呪詛」は何らかのかたちで霊と関わりがあるのだと認識されている。およそ不幸と呼べる経験はすべて「呪詛」のせいにされうる。災いの経験から遡及的に解釈され、「呪詛」と思い当たるように結論づけられるケースが非常に多い。原則的には、効果があるのは血縁のみとされるが、ルスワ(後述)やジュウォギなどほかの観念と関係しつつ、幅広い範囲の不幸を包摂している。キリスト教によってジュウォギの観念は打撃を受けたが、「呪詛」はその影響をさほど受けていない。それは聖書の記述と矛盾しない、ということもあるが、より公式的、社会的な規範やその違反に対する罰則としての側面が強く、内面的な信仰の変化とは無関係に維持されてきたからかもしれないとしている。
 第7章は、ルスワの概念についてである。これはインセスト・タブー(の背反)と訳されることもあるが、それだけではない。ルスワは親族との性交渉により発生するものと、近親者の裸形や性器などを目撃してしまう(事故も含む)という「不適切」な行動から発生するものとがある。父母やオジオバのベッドで寝たり、セックスしたり、ということもルスワとみなされる。「親子間では『呪詛』は効果がない」という原則があるので、父や母に「呪詛」の代替としても用いられた。ルスワになった者の症状はAIDS患者と似ているが最終的には発狂するという。発狂の典型は夜外に出て走りまわることだから、「ジャジュウォキ」のようになってしまうとも言える。その症状は「呪詛」「ティポ」と区別がつかないとも言われる。このように、それぞれの概念はいわば相互依存して成立していると言える。祓うには、公式的な「燃やす」儀礼を行うことが必要である。
 第8章では、ある程度まとまった12の事例をひとつひとつ検討していく。その作業を通じて、一般論としての行動規範などが「原則」として存在する一方でそれに反する現象も認識されていること、その際には原則が間違っているのではないか、と原則を精緻化する方向よりも、当座の問題解決あるいは改善のために「細則」の設置、例外を容認する方向に解釈者としての人々の舵が切られる様態が指摘される。また、「漠然とした不調」、「金失い」、「酒浸り」、「暴力」、「子供ができなくなる」、「義理の親族に対する敬意を欠いた言動」など、その現象に対する叙述は、平板で、選ばれている「災因」との結びつきは必然的なものとはなっていない。いくつもの観念が、原則がうやむやになったり、同時にいくつもの概念の複合となったりしながら一連の「不幸」を解釈するのに貢献していることもある。こうしたプロセスには、占いを代表とする施術師による診断の影響があることは事実であるが、その場合でもクライアントに「思い当たる節」があることが重要性をもって来る。 手持ちのさまざまな「災因」から、かなり自由度の高いかたちで解釈を繰り広げる彼ら独自の解釈と、「災因」の変形と流用と接合という、彼らの思考の柔軟性も大きな特徴である。
 第9章では、聖霊派キリスト教宗教者たちの認識する「災因論」について検討する。聖霊派教会は、積極的に「アドラ流」の「災因」と取り組んでいる。彼らは、「聖書」と「祈り」のみを用いた「ビジョン」によって対処すると強調する。ただし「呪詛」の解呪の方法は「『呪詛』を浄める」儀礼とあまりかわらない。病とされる「憑依」は肯定的に「ビジョン」として読みかえられている。「ビジョン」でさまざまな病に対する処方箋が伝えられる。「天使」と「聖霊の力」で「ビジョン」を通じて見るのは「アドラ流」の治療と同じである。悪魔祓いも行っている。人間は本来無垢なのだが、霊的な成長がうまくいかないために「霊」を刺激して「不幸」を呼び込んでいるとの考えを主張している。アドラでは夢は非常に重要である。正夢の観念もあり、死霊との回路とも考えられている。とくに「夢」と「ビジョン」との区別が明確でなく、すべてをビジョンとみなして神の意図を読み解こうとする点に、アドラに支持される基盤がある。彼らは、アドラ的「災因」を相手にしない既存のキリスト教の各派と違って勢力を伸ばしている。彼らが教会や「神の力」の根拠を語るときの基盤はアドラの「災因論」である。例えば「『呪詛』の結果」と見なされてもおかしくない、かつてなら「浄め」の対象であっただろう人物が、その条件を逆転させて、「奇跡」として肯定的に提示することに成功している場合もある。否定形で語られる彼らの描くアドラの文化は、当該文化の本質を浮かび上がらせる結果になったと考えられる。
 第10章と第11章では、葬送儀礼にまつわる部分を集中的に扱う。第10章では、一連の流れを確認し、儀礼の事例にはそれぞれ大きな差異が認められることを指摘する。コンゴ(シコクビエのビール)を共に飲むことが儀礼の節目に組み込まれていて、コンゴが供されるプロセスを経て、死の事実が受容されていく。コンゴを醸す財力がないものは、儀礼を正しく執行することができない。第11章では、観察記録にもとづいて実際の埋葬儀礼が描写される。特に詳しく取り上げたのは、飲酒による死のケースである。調査地にいるエリートの多くは、朝から酒浸りであった。彼らが飲み続ける理由は、エリートへの妬みから発する妖術の犠牲になることを恐れてのことかも知れないし、蔓延するHIVの発病を恐れてのことかも知れない。プライドにかなうふさわしい仕事がないことからくる現実逃避かも知れない。しかし、彼らが酒浸りになることそれ自体も、妖術や「呪詛」の効果と見られてしまっていた。「問題飲酒」のような新しい病やアルコールの氾濫によって起きる新しい社会問題が「呪詛」などの言葉で語られること自体は、珍しいことではない。植民地運営のために移植された教育システムのなかで出口がなくなったエリートたちの「問題飲酒」も、エイズもエボラも「近代の邪術」だが、「災因」はそれ自体で完結しておらず、必ず別のやっかいな問題と絡み合っていることが指摘される。
第4部では、それまでの「概念」の理解や描写に専心してきた手法とは異なり、それらの「概念」を用いて具体的な歴史的事件、ACKの死をめぐるアドラの人々が語るローカルな「災因論」の実態を描く。第12章では、ACKを巡る調査の経緯と、地域史を支えた長老たちとの対話を紹介し、ACKが生きた背景を素描する。アミン政権時の無秩序状態では、誰が殺されてもおかしくはなかったし、ACKは前大統領オボテの右腕でもあったので、アミンに殺される要素、「思い当たる節」は数え切れないほどあった。ほとんどのウガンダ人にとっては、彼の突然の死に結びついた「災因」は、「アミンによる虐殺」で説明がついてしまっていた。しかし、アドラ人にとってはそうではなかった。彼らはアドラの地域で40年代に起こった殺人事件や、ACKの60年代から70年代の事績から「災因」を導き出し、ACKの死は、予言されたものであり、当然のこととして受け入れられた。
第13章では、ACKの死について、いったいどのような噂が「災因」として語られ、それにどのような宇宙論的合理性があるのかを検討している。まず、父の代からのティポ、クランの長老による呪詛ないし邪術、そして元地方行政大臣のオチョラのティポなど、「ティポ」「呪詛」「祟り」などの観念が絡み合っていたことを確認していく。さらに、ACKの父が通常あるべき埋葬場所に埋葬されなかったこと、クウォル関係(殺人により発生する敵対関係)を無視して婚姻関係を結んだことなど、複数の「災因」が持ち出されうるような状況があったこと、ACKが近隣社会ニョレの女性と結婚したことと、その彼女の希望による周辺の土地の近代的売買による買い占めと接収が、もともとアドラがニョレに対して持っている「呪詛」イメージを増幅させたことなどが指摘されていく。この点では、まさに近代性によって「災因」が付与されたと著者はいう。さらに、キリスト教受容の過程で、従来の儀礼の執行を回避したことも、噂を強化した。一方で、そのACKの地所を取り囲むように設置した「有刺鉄線」は、外部からの直接交渉を断ち、「有刺鉄線の外部」の人々の想像力をたくましくし、「ティポ」や「呪詛」などの解釈をエスカレートさせた。彼らは、ACKと相互交渉をすることはなく、砂埃を巻き上げて走って行く彼の車を眺めながら、イメージを「外部」で作り上げていった。彼らが入手できる情報、埋葬場所や原野に立つ巨大な十字架などの建造物など、すべてはウィッチのそれと見なされた。しかし、ACKと同じような条件を満たしている人物でも、ティポや「呪詛」の噂は一切ない例もある。このことから、著者は、近代化やポストコロニアルな社会変化に対する地域社会の人々の見方の柔軟性を指摘する。
本論の最後の「おわりに」で、著者は、「『ティポ』にしろ『呪詛』にしろ、これらの『災因』は一見すると・・・何か体系の一部を形成しているかのようにみえる。しかし、・・・その体系は一貫しているわけでも、閉じているわけでもなくて、常に新しい現象の登場に直面して柔軟に対応するちょうど蜘蛛の巣の「網の目」のように張り巡らされていたのであった。いったんこの「網の目」に捕らわれてしまうと、その内部にあった既存の「因果関係」でその多くが説明されてしまう。しかし、蜘蛛の巣だから、隙間はたくさんあいていて、その隙間をすっと通り抜けることもあるに違いない。網は閉じてはおらず、あちらこちらにほころびのようなものがあって、・・・そのほころびの部分から、体系の中心にはとりこめそうもないものでも次第に絡め取っていこうとする、そういった体系なのだ。この特徴があればこそ、新しい現象が登場してもその説明力を保ちうるのだろうと思われる。」と述べる。そして、アブダクションの代価が「実り豊かさ」と引き替えの「確実性の減少」であるならば、「宇宙論」や「哲学」の研究からそれを排除することは、適切でも現実的でもないと論じる。そして、人の営みが構築してきた関係性のなかで生きる人びとが厄災に直面したとき、どのような「原因」をアブダクトしているのか、その際に、ありえたはずのほかの可能性がどのように後景に退いて、どんなアブダクションが前景に押しだされるのか、本論はそれらを記述しようとする営みでもあったし、その意味で、本論もまた、ひとつのアブダクションと呼ばれるのにふさわしい作業だったと述べる。

III本論文の成果と問題点
 まず、第一に評価すべきは、1980年代に長島信弘氏によって提起された「災因論」というアフリカ社会のコスモロジー研究へのアプローチを、ジェルがパースを援用して展開した「アブダクション」の視点と「物語論」からとらえなおし、災い、病、死をめぐるアドラ社会の様々な語りを精査し、その原因とされる多様なエージェントの特徴を詳細にわたって、そして網羅的に描こうと試みた労作であるという点である。特に、論文題目に掲げてある、社会の中核をおさえているような主要な複数のエージェントが相互に重層的に関連づけられている様を、研究者の判断を極力抑え、当事者のナマの声をテキスト化することによって読むものが追体験できるように書かれている点は民族誌の書き方の一つの試みとして独創的である。
 第二に評価すべき点は、このようなアドラ社会の「災因論」の動態的側面を詳細に描いていることである。第4部の1970年代のアミン政権下で非業の死を遂げたアドラ出身の国務大臣、ACKをめぐって今なお燻ぶりつづけている複数の「災因論」を扱うところまで読み進むと、それ以前の章が「災因論」を「伝統社会」の「閉鎖的」で「静態的」なコスモロジーとして提示されていたというより、むしろこの歴史的事件を理解する上で必須な情報であったことが判明する。また、この事例を追求するために、著者は関連する多種多様な人物や一見無関係に見える事件、そして広範囲にわたる情報(写真、新聞、流行歌も含む)にも目配りし、自ら(そして読者)がサスペンス的状況に置かれるような緊張感ある記述を試みている点も高く評価したい。
 同様に、ウガンダにおける現代の深刻な問題(エイズへの恐怖、高学歴の若者の就職難と失望による酒乱が招く死など)がアドラの「災因論」の重要な要素である「呪詛(lam)」と関連付けられて語られていることにも注意を払い、著者の身近な人たちの死に至る出来事が生々しく記述され、「災因論」のもうひとつの動態が明らかにされている点も評価したい。以上のような記述が可能になったのは、著者が過去16年間で15回現地を訪れ、総計で3年近いフィールドワークをしてきたことと無関係ではあるまい。
 第三に評価すべき点は、コマロフやゲシーレ等による、アフリカにおける近代あるいはポストコロニアル期における資本主義の拡大や経済格差の広がりがむしろ妖術・オカルト信仰を暴力的に活性化させているという喧伝された論争に対して、重要な批判をしたことである。著者はアドラの「災因論」の事例研究を通して、当事者たちの間では、まずそのような「前近代・近代」という質的に明確な区別は認められないこと、このように関係づけようとする仮説は平板な階級論を示唆することはあっても、妖術・オカルト自体の経験や意味を説明したことにはならないこと、したがってこのような仮説は当事者よりも研究者の「アブダクション」によるものではないか、と疑義を提し、この論争に対して民族誌に基づいた鋭い批判をしている。
他方、本論文には課題として以下のような点が指摘できる。 
第一点は、できるだけ研究者側の理論や解釈を排し、記録に徹しようとした結果、いくつかの問題が生じていることである。まず、あまりに大量のデータを読み手の関心を「無視」しているかのように提示しているので、この地域の専門家以外に対しては概して大変読みづらいものになっていることだ。一見ポストコロニアル批判の人類学者の一部が提唱したような多様なテキストのポリフォニックな並置のように見えところもあるが、この点に関する著者の議論がないので、読者によっては単なる混沌・ケオスと映ってしまいかねない。
第二点は論文の構成上の問題である。初めに災因論とアブダクショと物語論というアプローチが提起されているが、そのあとの民族誌的記述を経て、最後の考察で冒頭の問題提起に対して必ずしもしっかりかみ合った議論が展開されているとは言えない。特に物語論は分析のなかでもほとんど使用されず、アブダクションにおいても、パースにもどる事なく、その概念を使用したジェルの手法を借用するというだけに終わり、これらのアプローチに対して独自性を示す批判的検討がされていないことが気がかりである。

とはいえ、これらの問題点は著者自身が十分に自覚するものであるため、今後の研究によって克服されることが期待される。 

IV 結論
審査員一同は、上記のような評価と、2015年2月24日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2015年3月11日

2015年2月24日、学位論文提出者梅屋潔氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「ジュウォギjwogi、ジャジュウォキjajwok、ティポtipo、そしてラムlamの観念―ウガンダ東部パドラPadholaにおける「災因論」の民族誌的研究―」に関する様々な疑問点について、審査員が逐一説明を求めたのに対して、梅屋潔氏はいずれの質問やコメントに対しても的確に応答し、十分な説明を与えた。よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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