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博士論文審査要旨

論文題目:体育・スポーツの戦時編成とジェンダー
著者:鈴木 楓太 (SUZUKI, Futa)
論文審査委員:坂上 康博、木本 喜美子、吉田 裕、坂 なつこ

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1.本論文の構成

本論文は、日本における戦時期の体育・スポーツをジェンダーの視点から考察したものである。対象に据えたのは、当該期において最も影響力の大きなアクターであった国家による政策であり、そこにおいて奨励/抑制された運動種目およびその理由とジェンダーの関係、そして対象者間に存在する序列とジェンダーとの関係に照準を定め分析することによって、戦時期における体育・スポーツの戦時編成とジェンダーの関係史を実証的に描き出そうとする試みである。
本論文の構成は以下のとおりである。

 序章
  第1節 問題意識と研究の目的
 第2節 先行研究の検討
  第3節 本論文の方法
  第4節 本論文の構成
 第5節 用語
 第1章 戦時期の学生スポーツ―文部省の「重点主義」政策を中心に
 本章の課題
 第1節 「重点主義」以前の校友会運動部設置状況
 第2節 「重点主義」とその対象者
 第3節 奨励された種目とジェンダー
 小括
 第2章 女子体力章検定の制定過程―戦時期の体力動員に関するジェンダー視点からの分析―
  本章の課題
  第1節 女子体力章検定の構想と制定の見送り
  第2節 女子体力章検定の制定方針と検定種目の選定
  第3節 女子体力章検定の実施前後
 小括
 第3章 明治神宮体育大会における実施種目の戦時編成とジェンダー
 本章の課題
 第1節 戦時期の神宮大会の実施方針と参加者種別
 第2節 参加者種別ごとの実施種目とその変化
 第3節 「人的資源」としての参加者種別
 小括
第4章 明治神宮地方大会の開催方針と実態―戦時期の市町村民運動会の一考察―
 本章の課題
 第1節 地方大会の実施方針
 第2節 宮城県白石町の町民体育大会
 第3節 実施方針にみる地方大会の変遷
 第4節 「全国大会」の実態
 小括
第5章 体育・スポーツ政策と対象者の区分―恒常的な心身鍛錬政策を中心に―
 本章の課題
 第1節 厚生省以前の社会体育政策における対象者と運動種目
 第2節 戦時期の国民体育政策
 第3節 人口政策と健民運動
 第4節 対象者区分の明確化と運動種目
 小括
終章
 第1節 本論文のまとめ
 第2節 結論
 参考文献


2.本論文の概要

 序章において筆者は、先行研究を詳細に検討し、その問題点を次のように指摘する。まず第1に、ジェンダー視点からの体育・スポーツ研究は、社会学的な方法による現状分析と理論研究を中心に一定の蓄積があるが、それらによって指摘されているジェンダー構造が具体的にどのように形成されてきたかについての実証的な歴史研究はきわめて少ない。戦前の女性の体育・スポーツをテーマとした歴史学的な研究もいくつかなされているが、戦時期を対象とした研究は皆無である。第2に、戦時期の体育・スポーツを対象とした歴史学的研究には、ジェンダー視点が欠落している。そして、従来の研究が提示してきた「スポーツの暗黒時代」という戦時期についての定説的な時代像は、もっぱら青年男性の状況に依拠したものであり、それ以外の人々とくに女性に関する状況はほとんど明らかにされておらず、定説的な理解を批判的に乗り越えようとする近年の研究潮流においても、女性やジェンダー視点にもとづく研究は皆無に等しいと指摘する。
 こうした研究状況を乗り越え、戦時期の体育・スポーツをジェンダーの視点から考察するために筆者が着目した具体的な対象および分析視角は、以下のとおりである。①国家の体育・スポーツ政策を、総力戦遂行という大目標の下位に位置づけられた体力向上や慰安の提供などのいわば中間的なレベルの目標に沿って捉えること。②「青年男子」や「産業人女子」といった政策対象の区分の仕方とそれぞれに対応する目的の差異および優先順位に着目すること。③全国的なイベント、地方行事、恒常的な体育運動等のレベルのちがいに着目すること。④奨励された具体的運動種目と目的との対応関係を明らかにすること。⑤政策上やスポーツ界の取り組みの結果と、戦局の悪化による物理的影響等の区分けに留意すること。⑥スポーツを含む広義の「運動種目」という概念を用いることで、より包括的な視点から個別事例の布置連関を描き出すこと。

第1章では、「重点主義」政策と呼ばれる文部省の体育・スポーツ政策が分析されている。従来の研究は、この政策が学生スポーツを弾圧するものであった点をくり返し論じてきたが、筆者はこれまで等閑視されてきた女子学徒を含む方針全体に光を当て、ジェンダーによる差異を浮き彫りにすることによって、「重点主義」政策についてのより包括的な理解を導き出している。男子学徒に対しては、戦技訓練が最優先され、ほとんどのスポーツ種目が冷遇された一方で、女子学徒に対しては、むしろ全面的に球技スポーツを奨励するというのがこの政策の内実であったことである。そして筆者は、こうしたジェンダーによる差異は、兵力動員の対象とならない女子学徒には、従来のスポーツ種目を冷遇する合理的理由がなかったこと、僅少な運動用具を効率的に活用するために男子では後回しにされた球技が優先的に女子に割り当てられたことによって説明できるとする。また、「重点主義」政策の中心的な対象は、あくまで兵力動員の対象となった男子学徒であり、それゆえ男子学徒の体育がより重視され、女子学徒の体育については、出産、男性の代替労働、銃後の生活遂行の3つを兼ね備えた「健母」の育成が求められた。文部省の「重点主義」政策は、総力戦体制下の国民動員に対応した「強兵」と「健母」というジェンダー別に編成された体育・スポーツ政策としての性格を強く有していたと結論づける。

第2章では、厚生省管轄下で進められた女子体力章検定の制定過程を関係者の議論もふくめて明らかにしている。1938年後半の構想段階における女子体力章検定は、男子の体力章検定に類似したものとして、男性よりも低い体力の標準が想定されていたが、1941年後半の制定段階になると、戦時人口政策を背景として、男子の検定とは異なる独自の意義と内容を持つことが強調される。そこでは、第1に「人的資源」の源泉としての「健康な母体」の養成が、第2に防空活動などを含む戦時の日常生活に必要な体力の獲得が、女性の体力向上の目的として打ち出され、この方針に沿って検定種目も構想段階から多数入れ替えられた。さらに男性労働力の枯渇を補う女性労働力の確保がさらに切迫した課題となった1943年の実施段階になると、「生産増強」という産業人としての体力向上が女子体力章検定の目的として加えられ、上記の2つの目的以上に強調されるようになる。こうして、「健康な母体」の養成や戦時の日常生活遂行という課題を突きつめて選定されたはずの女子体力章検定は、男性の代替労働力としての女性の動員に呼応する形で、「生産増強」という新たな目的を旗印に掲げて実施された。また、実施の際には各種目の合格基準が軒並み引き上げられたが、このことは「生産増強」のためには、従来の「健康な母体」育成や家庭生活の遂行よりも高い体力が必要であることを示すものであり、男女差の縮小を意味するものではなく、あくまで男女の「体力」の優劣を前提とする体力向上政策に他ならなかったと主張する。

 第3章では、明治神宮国民体育大会の中央大会を分析の対象としている。1939年の第10回大会から厚生省主催となった神宮大会は、厚生省の体育・スポーツ政策の中心的な事業であったが、筆者が着目するのはそれが政策方針を示す場であった点である。その方針のひとつが全国民に対する体育の普及であったが、これは明治神宮大会においては参加者層の拡大、主に産業人と女性の参加者種別(参加枠)の増設という形で実施された。さらに、1941年には「臨戦態勢下」の実施方針として、「性、年齢、職業等ノ別ニ対シ国家ガ奨励スル体育ヲ範示スル」ことが掲げられ、対象者毎に適切な種目を示すという方針が明確化された。こうした方針に沿った実施種目の実態を追跡した結果、従来の実施種目の編成に大きな変化が加えられたのは、中等学校、青年学校、青年団等の青少年男性の部であり、女性や産業人にはこのような変化がほとんどみられず、むしろ球技種目が拡充される傾向にあったことが明らかにされる。ただし、ここでも最も重視されたのが兵力動員の対象となる青少年男性であったことに変わりはなく、彼らに対しては戦場との連続性が謳われ、総力戦体制下の「強兵」政策として実施種目が厳選されたとしている。
 
 第4章では、1939年から実施された明治神宮国民体育大会の地方大会を分析の対象とし、その創設過程、実施方針の変遷および開催実態を追跡するとともに、町内会レベルの実態について、同大会のモデルとなった宮城県白石町の町民体育大会等を事例に詳細な解明を試みている。その結果、第3章で分析した中央大会とは異なり、地方大会については、①町内の住民が一堂に会して団欒的に開催されることが求められ、②鍛錬的な種目よりも厚生的、慰安的な種目が重視された一方で、③青年層に対しては別途方針が示されて、戦技訓練や体力章検定を通じた鍛錬が求められたこと、④1943年には団欒的な雰囲気の重視が実施方針から消え、戦意昂揚の一点に目的が収斂されたが、それによって大会の実態までもが変質したわけではないこと等が明らかにされる。また、実施された運動会種目について、前線と銃後における役割を反映した名称を冠して男女にふり分けられたものと、老若男女を問わず参加できるよう工夫されたものがあり、後者は一見するとジェンダーによる差異が目立たないが、家族制度や隣組制度におけるジェンダーと世代などを含む諸関係が、大会の場に持ち込まれていたと指摘する。

第5章では、日常生活に最も近い、町内会や職場を実践体とするような恒常的な体育運動に関する厚生省の政策を分析している。厚生省はその設立当初より全国民を「人的資源」として把握し、全ての国民を対象とした国民体育政策を掲げ、日常生活に根ざした平易で継続性の高い歩行等を奨励した。変化が起こるのは1941年から42年前半にかけてであり、人口政策確立要綱、厚生省人口局の設置、健民運動の提唱等を通じて、国民体育政策を人口政策の一環として明確に位置づけるようになる。戦時動員政策のなかでも、とくにジェンダーによる差異が明確に示された人口政策確立要綱を受けて、厚生省は兵力、労働力、母性という「人的資源」の3要素に沿った形で対象者を区分するようになるのである。さらに1943年には、青年男性には戦技訓練等の鍛錬的種目、青年女性には「健康な母体」の要請とともに戦時家庭生活の遂行に必要な防空活動等の要素を盛り込んだ運動種目、産業人には増産のための活力の培養と疲労回復の観点から球技を中心とした厚生的種目、一般国民には訓練とともに慰安を重視したスポーツや遊戯をそれぞれ奨励するようになる。戦時人口政策を背景として、それぞれに要求する体力の標準と体育の目標、実施すべき運動種目等が明確化され、それが町内および職場の実践体組織の整備等を通じて一層徹底されたのである。このように戦時動員の直接の対象となる人々に対しては、国家の要求する役割に資する体力の要請を基準とした種目を割り当て、その他の一般国民に対しては諸条件に応じて選択した運動種目を通じてそれぞれの持ち場で戦争遂行に貢献できる体力を獲得させるというのが、厚生省の国民体育政策の基本的性格であったと結論づける。

 終章では、各章で明らかになった事実をまとめるだけでなく、①青年男性、青年女性、産業人(この部分には産業報国会の活動等の新たな史実の追加と考察が付加されている)、一般国民の4区分に即した対象者ごとの総括、さらには、②種目ごとの概括的な総括を試みたうえで、スポーツについてはスポーツ史研究の視野からの独自の総括がなされ、戦時期における体育・スポーツのジェンダー編成を立体的に描き出している。その要旨は以下のとおりである。
 第1に、国家政策において奨励された運動種目と実施方法は、全体的には戦争の終盤に向かって次第に鍛錬的な傾向を強めながらも、ジェンダーによる差異が明確に示された人口政策による「人的資源」の動員を背景として、対象によってかなり異なったものとなった。青年男性及び青年女性ではもっぱら心身の鍛練、産業人と一般国民に対しては鍛錬と慰安・厚生の両面が奨励されたのである。
 第2に、このうち、ジェンダーによる差異が最も強く作用したのは鍛錬的な部面であり、これはそうした鍛錬が「人的資源」の3要素に即した身体と運動能力の獲得を要請し、運動種目の形態をも規定したからであった。それは、戦時化・軍事化によって、奨励種目の形態におけるジェンダーによる差異が顕著になったものとして位置づけられる。加えて、最も重点が置かれた対象は常に青年男性であり、体力章検定の実施時期や文部省の重点主義に明瞭に示されているように、政策対象としての男女間の優先度の差は明確であった。兵力動員が切迫した戦時期の構造的特質によって、この差が拡大したといえよう。
第3に、慰安・厚生の部面においても、性別や年齢に応じた内容を選択すべきとされたが、これらは「人的資源」としての上からの区分というよりは、個人の資質の多様性として位置づけられていた。その結果、基本的には戦時期以前からの種目のジェンダー編成が温存されたと考えられる。ただし、より細かく見れば、一般向けに重視された団欒的な体育・スポーツ行事でも、家族制度や隣組制度におけるジェンダーと世代などを含む諸関係が持ち込まれており、これらは表象的なレベルにおいて運動種目における戦時化とジェンダー化とが結びついたケースといえる。
第4に、男女の体力の関係については、女子体力章検定の制定過程に示されているように、一度は人口政策を背景として男性との異質性・独自性が強調されたが、産業人としての体力要請の強化に伴って合格基準が切り上げられたことで、産業労働には家庭生活の遂行よりも強度の体力が必要であるという関係を示すこととなった。戦争末期に大日本体育会が刊行した『厚生遊戯』において、女性では「鍛錬的」とされた種目の殆どが男性では「慰楽的」とされたように、女性における産業人としての体力の標準化は、女性の体力標準を引き上げる一方で、男女の体力を序列化するものでもあった。
第5に、スポーツの奨励/抑制の諸相は、対象者の区分、体育実施の目的、競技会や日常的鍛錬といった場面、そして戦局の変化等によって、多様性をもちつつ推移していったが、全体として以下のように整理することができる。①生活に根ざした恒常的で平易な運動種目という基準からはスポーツは奨励されなかった。②「人的資源」の動員目的に規定された実用的な種目としてスポーツは奨励されなかった。③資材や場所の有効活用という点でスポーツは部分的に奨励された。④慰安・健全娯楽の手段としてスポーツは奨励された。⑤競技大会では、スポーツはある程度継続された。以上のようにスポーツは、国家によって直接的な戦時貢献の手段としては承認されなかったが、間接的な戦時貢献を果たすという大前提の範囲内ではあれ、自己目的的に楽しむことができるという点で承認され、青年男性よりも産業人や一般国民に、また学生では男性よりも女性に、産業人では青少年よりも女性や壮老年において奨励されたのである。スポーツが日本に導入されて以降、スポーツとジェンダーの関係が問題にされたのは基本的に常に女性であったが、近代国家が男性国民に対して求める兵士としての貢献は、その要請が極限まで肥大化した戦時期において、はじめて男性ジェンダーゆえにスポーツとの関係が問題となるという状況を生んだのである。


 3.本論文の成果と問題点

 本論文の研究上の成果や特徴として次のような点をあげることができる。
 第1に、戦時期の体育・スポーツをジェンダー編成というまったく新しい視点からとらえ直したことである。それは、これまで青年男性の状況に依拠して語られてきた定説的な時代像を大きく塗り替えるものであり、国家政策レベルにおけるジェンダー編成のあり方をはじめて解明したパイオニア的な研究として位置づけられる。それは、筆者による対象の選択、考察の基軸および分析視角の設定がきわめて適切で有効であったことを意味するが、それらはいずれも先行研究にはみられないまったくのオリジナルなものであり、その独創性とそれを自力で生み出した筆者の努力についても高く評価したい。ジェンダー視点からの体育・スポーツ研究に対して大きな刺激を与えうる研究であるといえよう。
 第2に、戦時期の体育・スポーツ政策の全貌を明らかにした最も包括的な研究であることである。男女間の差異だけでなく同性内の差異をも解明しようする試みは、考察対象を政策が標的としたすべての人々へと拡大させ、その結果、当該期における政策の全貌とそれらを規定した多様な要因の解明へと導いた。文部省の「重点主義」政策、厚生省による女子体力章検定、明治神宮大会、国民体育政策――これらの実態はすべて、本論文によってはじめて明らかにされたものであり、戦時期の体育・スポーツ研究を大きく前進させるものといえる。また、こうした新たな史実の解明は、新史料の発掘、丹念な史料収集と綿密な分析によってもたらされたものに他ならないが、それらに裏付けられた高い実証性が本論文全体を貫く特徴となっている。
 本論文は史実の発見に満ちあふれているが、それらは、単に研究史上の空白を埋めるものではない。2つの研究領域が交差する地点に位置する本論文は、ジェンダー視点からの体育・スポーツ研究には戦時期という対象が、体育・スポーツの戦時期研究にはジェンダーという視点が、ともに重要であることを示す野心的な試みである。こうした試みが成功を収めていることは、上記2点で述べたとおりである。領域横断的な研究であること、これも本論文の特徴してあげておきたい。
 他方、本論文の問題点や今後の研究に対する要望として以下のような点があげられる。①労働力としての女性の動員が立ち遅れた要因が多少軽視されていることなど、戦時期の政策を規定した多様な要因の析出という点について、よりふみこんだ分析を期待したい。②戦時期全体をやや平板にとらえているようにみえる箇所がある。戦時体制そのもののダイナミックな変化と合わせて、さらに緻密に政策との相互関係を掘り下げてほしい。③戦後までを視野に入れて、戦時期の位置と意味をとらえてほしい。
こうした点については、申請者自身もすでに自覚しているところであり、本論文の価値を減じるものではなく、むしろ今後の研究に期待を抱かせるものであるといえる。以上のことから、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に新たな刺激を与え、寄与しうる成果を挙げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と判定した。

最終試験の結果の要旨

2015年2月12日

 2014年12月26日、学位論文提出者鈴木楓太氏の論文についての最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「体育・スポーツの戦時編成とジェンダー」についての審査員の質疑に対し、鈴木楓太氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員会は、鈴木楓太氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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