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博士論文審査要旨

論文題目:エ・クウォス-南スーダン、ヌエル社会における予言的出来事と拡張する想像力の民族誌-
著者:橋本 栄莉 (HASHIMOTO, Eri)
論文審査委員:岡崎 彰、大杉 高司、児玉谷 史朗、栗本 英世

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I 本論文の構成
本学位請求論文は、南スーダンのヌエル社会の人々が、長期にわたる内戦を経験し、また和平・新国家南スーダンの誕生という事態に直面し、このような未曾有の経験を理解し直し、コミュニティを再生する方法として、語り継がれてきた予言に基づいた想像力をいかに駆使しているか論じたものである。

本論文の構成は以下の通りである。
第1章 序論
1.1. 「エ・クウォス」とヌエルの予言
1.2. 予言と社会変動
1.3. 本論の視座:モラル・イマジネーション
1.4. 調査地の概要
1.5. 本論の構成
第Ⅰ部 ヌエルの予言者の歴史的生成過程
第2章 クジュール/予言者の成立
2.1. はじめに
2.2. マフディーの反乱からヌエル社会の統治
2.3. 行政官ウィリスのコミュニティ建設
2.4. 亡霊との対峙
2.5. もう一つの想像力:ヌエルの人びとの解釈
2.6. 想像力の範型
2.7. 小括
第3章 内戦、予言者、予言
3.1. はじめに
3.2. 第一次・第二次スーダン内戦とヌエル社会
3.3. 内戦中の予言者の動き
3.4. 内戦、平和構築、開発と予言
3.5. 政治家と予言
3.6. 複数の勢力、予言者と想像力
3.7. 小括
第Ⅱ部 経験の配位
第4章 多産と時間
4.1. はじめに
4.2. ヌエル社会のモラル・コミュニティ:チエンと ソク・ドゥイル
4.3. 「終わらない」交換媒体の重要性
4.4. 「食べ物」の交換と関係構築
4.5. 他者と共に出会う祖先たち
4.6. 自己の不滅性と「血」の問題の解決
4.7. 「女の仕事」
4.8. 「タウンに住むヌエルはいない」
4.9. 小括
第5章 不妊と予言
5.1. はじめに
5.2. 真実を語る狂人
5.3. 複製技術時代の予言の歌
5.4. ングンデン教会の歴史と実践
5.5. 祖先たちの「過ち」
5.6. メイ・ダンの日々の到来
5.7. 「不妊の疑いのある身体」の回復
5.8. 人間のパッシオネスと働きかけられる経験の対象化
5.9. 小括
第Ⅲ部「エ・クウォス」の変動
第6章 「予言の成就」としての国家の誕生
6.1. はじめに
6.2. 「予言の成就」の予兆
6.3. 「偶然の一致」と「エ・クウォス」
6.4. 「旗」の出現
6.5. 「クウォスの手」の出現
6.6. 「エ・クウォス」と人類学者の想像力
6.7. 小括:統合される想像力と新たなモラル・コミュニティ
第7章 「エ・クウォス」をめぐる真と偽
7.1. はじめに
7.2. 独立後の武力衝突
7.3. 「ホワイト・アーミー」
7.4. 自称予言者の出現
7.5. 「クウォスはいる」
7.6. 再び見出される「敵」とのつながり
7.7. モラル・コミュニティ間のアンタゴニズム
7.8. 「人間のことばを話す者」は誰か
7.9. 小括:新たな存在の可能性へ
第8章 結論
8.1. これまでの議論のまとめ
8.2. 予言と想像力
8.3. 結論
8.4. 展望と課題
参考文献

II 本論文の概要
序論は論文の表題である「エ・クウォス」の説明から始まる。これは直訳すると「それは神である」という短文であるが、南スーダンのヌエル社会の人々は、人間の力ではどうすることもできない出来事や困難に直面した時、その驚きをこう表現する。この地域は植民地時代から武力により支配され、1956年の独立以降も南北スーダン間で長期にわたる第一次、第二次内戦が続き、さらに南部の分派間にも内戦が広がり、やがて平和構築にこぎつけ、住民投票の結果新国家が誕生したが、その喜びも長くは続かず、新たな政治的対立が生まれ、「民族浄化」的な凄惨な応酬が止まらない状況にある。「エ・クウォス」は、しかし、このような一見予想しえない出来事に対する驚きの表現であると同時に、これらの出来事は実は「予言の成就」である、という意味合いでも使われる。なぜなら、人びとの理解によれば、現在議論の対象となっている出来事は、19世紀末に実在していたある人物、ングンデンによって「予言」されていたからである。筆者は、このヌエル社会の予言者や予言に関する噂が民族集団の境界を越えて広く流通し多くの人びとの言動に影響を与えてきたことや、1世紀以上前に存在していた予言者によってなされた予言が、内戦、国家の独立、その後の凄惨な紛争といったさまざまな出来事とともに語られることで、現在の多様な背景をもつヌエルの人びとが自らの新しい経験を捉え直す方法となっている点を指摘する。そして、本論の目的を、この予言をめぐる信念が、歴史の中で交錯してきた複数の想像力とともに生成されてきた過程を明らかにするとともに、語り継がれてきた予言と出来事とが、人びとが新しい状況を捉え直す方法とどのように関わりあってきたのかについて検討することにある、とする。
次に筆者は、「予言」という言葉で我々が想起する諸概念ではこのヌエルの「予言」を十分に説明できないとして、これまでの研究に対して批判を加えながら、本論で採用するアプローチについていくつかの提案をする。まず、これまでのアフリカ諸社会における宗教実践と社会変動に関する先行研究において、予言や神話は当該社会の人びとのモラル・コミュニティを形成するものと捉えられてきたが、その場合、予言を当該社会の静態的・閉鎖的な世界観の問題とするか、アフリカ的「近代」の現れの一つとすることで伝統/近代モデルのどちらかに当該社会の「変化」と宗教的実践の関係を還元して捉える傾向にあったと分析する。こうした先行研究の問題点に対して著者は、東アフリカ社会の詳細な儀礼・民話研究を行ったT.O.バイデルマンが用いた、対象社会にかかわる者すべてに双方向的に作用する想像力/モラル・イマジネーション(moral imagination)という観点を導入する。そしてこの想像力という概念が既存のモラル・コミュニティ論が有していた限界を乗り越える視座を提供するものとし、課題として以下の3点を設定する。(1)対象社会の人びとに限らない複数の想像力が、いかにヌエルの「予言者」の成立に関わってきたのかを明らかにすること、(2)ヌエルの人びとが新しい状況や他者に出会った時、それを自分たちの経験として想像する方法を明らかにすると共に、この方法と予言とが、新しい経験を相互に生成してゆく過程を捉えること、(3)ある出来事に対して人びとが「腑におちる」経験――ヌエルの人々が「それは神である/エ・クウォス」と表現する瞬間――と想像力とがいかに予言の「成就」を作ってゆくのかを検討すること、の3点である。
 本論はⅢ部8章で構成されている。第1章では、アフリカ諸社会における宗教的実践と社会変動に関する先行研究を概観し、第Ⅰ部「予言者の歴史的生成過程」の第2章、第3章では、文書館史料と文献調査を通じて、ヌエルの予言者の歴史的生成過程を検討する。第Ⅱ部「経験の配位」の第4章、第5章では、都市部・村落部・国内避難民キャンプで得られた一次資料をもとに、ヌエルの人びとが第二次スーダン内戦後に直面した新しい状況と、予言者を祀った「教会」に集う人びとの予言の経験との関係を検討する。第Ⅲ部「『エ・クウォス』の変動」の第6章、第7章では、筆者のフィールドワーク中に生じたさまざまな予言的出来事の中で、多様な背景を持つヌエルの人びとが、それらをどう語り、周囲の人間といかに議論・吟味し、自らの経験としてどう位置付けてゆくのか、その過程を検討する。そして第8章では結論と残された課題を提示する。この3部構成は上記の3つの課題と呼応しており、より具体的には次のような議論が展開される。 
第Ⅰ部では、課題(1)に関して、ヌエルの「予言者」が、いかに植民地期以降のスーダン地域のさまざまな勢力の想像力に翻弄され、またその想像力の中で形作られてきたかを考察している。すなわち第2章「クジュール/予言者の成立」では、ヌエル社会の統治を担当した英国人行政官の書簡と歴史資料を手がかりとして、イギリス植民地期にヌエルの予言者の性格が行政官の想像力と共にどのように成型されていったのかを追求していく。そしてその行政官が、当時の植民地行政に共有されていた「アフリカの宗教的指導者」、あるいはかつてイギリス-エジプト連合軍に壊滅的な被害をもたらしたマフディーのイメージをどう統治のプロジェクトに利用していったのか、そのプロセスを描いている。第3章「内戦、予言者、予言」では、第一次・第二次スーダン内戦期に、ヌエルの予言者が人々を紛争へと動員する際どのように利用され、また紛争経験を理解するすべとなったのか追求していく。そして、ヌエルの予言者の「伝統的」素質が強調され、紛争中にさまざまな勢力に利用された側面や、予言者を紛争に利用しようとした諸勢力の想定とずれてゆく予言のリアリティのあり方をそれぞれ描いている。以上を通じて、第Ⅰ部では、ヌエルの予言者の力や性格を付与してきたのは、歴史の中で拮抗・衝突してきた複数の想像力であり、一方で、予言は必ずしも予言者を支えているわけではなく、予言者に対する周囲の勢力の想像力を越えて出来事に新たな意味を与えながら流動し、拡大してゆくものであると論じている。
第Ⅱ部では、課題(2)に対して、多様な状況の下で暮らすヌエルの人びとの日常的実践の場から、社会変容の場面において、人びとが新しい状況や他者との出会いをどのように想像し、予言の解釈を通してどう位置づけてゆくのかという点を考察している。すなわち第4章「多産と時間」では、社会変化を経ても人びとに参照され続ける「原理」、あるいは「ヌエルの秩序」の在り方を明らかにしていく。そして、ウシの喪失、食糧不足、都市化に伴うインセストや「血」の穢れの発生といった新しい状況に直面した際、多様な背景を持つヌエルの人びとがどのようなイディオムや実践を通じてそれらの困難を乗り越えようとしていったのかを描いている。第5章「不妊と予言」では、予言者を祀った「教会」に集う人びとの実践や予言者への祈りを事例として、「教会」に集う人びとが過去の予言の中にどのように自分たちの現在の経験を見出しているのかを明らかにしていく。そして、予言者「教会」が成立した背景と実践を紹介し、どのような経験と予言とがともに語られ、特定の対話方法やイディオムを通じて表現されているのかを描いている。以上を通じて、第Ⅱ部では、現代の多様な背景の中に生きるヌエルの人びとが自分の経験を位置づけるために参照してきた方法の中でも重要なのは、父系出自を通して続く自己の不滅性とそれを支える多産性を確保すること、そして自分たちの直面している苦境との関係を明確化してくれるのが予言であり、だからこそ予言の経験は人びとの「腑に落ちる」ような「真実」の経験を与えうるものとなっていると論じている。
第Ⅲ部では、課題(3)に対して、国家の独立やその後の紛争という出来事の中で、人びとに大きな驚きと確信をもたらす予言と現実との「偶然の一致」――人びとが「エ・クウォス」と表現する時――が複数の想像力の間を行き来し、予言の「成就」を作り上げてゆく過程を考察している。すなわち、第5章「『予言の成就』としての国家の誕生」では、国家の誕生とその際語られた「予言の成就」のあり方を事例として、ある複数の出来事が、予言や「エ・クウォス」という表現を通じていかに関連付けられてゆくのかを明らかにしていく。そして、住民投票前の予言者の聖なる杖の登場、住民投票のプロセス、そして投票結果という一連の出来事の中に、「偶然の一致」つまり「予言の成就」の要素が見出されてゆく様を描いている。第6章「『エ・クウォス』をめぐる真と偽」では、ある「奇跡」の力を持つとみなされた男が、疑いの目を向けられながらも、人びとが直面する危機的な状況との関係の中で徐々に「予言者」として浮上してくる過程を明らかにしていく。そして、国家の独立以後生じた紛争における「予言者」の動きを微視的に追い、またその人物に対する人々の評価を取り上げることで、「エ・クウォス」の経験は、個人と集団の想像力の統合・分離をひきおこすエージェントとなり、新たなモラル・コミュニティの生成や対立の一つのきっかけとなったことを描いている。以上を通して、第Ⅲ部では、予言や予言者に懐疑的な者までをも予言への信念へと向かわせる契機となったのは、多くの人びとに「エ・クウォス」と言わせるような予言的出来事の出現であったことを明らかにし、この「エ・クウォス」はさまざまな位相の出来事と接続されることで、個々人にとって、あるいは彼らが意識する流動的なモラル・コミュニティにとってより説得的なものとなり、またその両方の経験を共に把握することを可能にしていると論じている。
 そして結論の章では、本論を通じて、ヌエルの予言者がスーダン地域の歴史の中で展開してきた複数の想像力の中でその性格を付与され、また「エ・クウォス」と表現される予言的出来事の発生と共に予言が探られると同時に、人びとが自分たちの経験を捉え直す方法と予言とが不可分に結びついてきたことを明らかにできたこと、そしてヌエルの予言は、歴史や日常生活の中で醸成された双方向的に働く想像力の中で生まれ、時としてそれへの対立・共感を引き起こしながらも、人々に新しい生のヴィジョンやヴァージョンを与えるものであったと論じている。そして、複数のモラル・コミュニティの間で緊張関係が常に生じている現在、その論理や実践の貸し借りや衝突、補完などが常に生じていることを指摘し、本論で取り上げた、双方向的に作用する想像力という観点は、ヌエルの予言やアフリカの宗教的実践に限らず、現在生じているさまざまな問題系と共に発展させることのできる概念であり、この点を理論的検討と共に深化してゆくことが今後の課題として残されていると述べている。

III本論文の成果と問題点
本論文の第一の成果として、まず何よりも、この地域の人々の具体的な経験に肉薄し、そしてそれをどう理解したらよいかという深い問題意識に貫かれた民族誌的研究であることを指摘したい。南スーダンは世界で一番新しい国である、あるいは2014年度の「世界で最も脆弱な国家ランキング」で首位になった国である、などと表面的なことが言われることはあっても、そこに住む普通の人々が具体的に何を考え、何に苦労し、何を希望し、どのようなことに突き動かされてこの激動の時代を生きてきたか、言及されるどころか関心がもたれることすらない現状を鑑みるにつけ、この研究が人類学のみならず地域研究分野、さらに政策分野にももたらす影響は少なくないだろうと思われる。また、「予言者」というと人類学者は相変わらずエキゾチックなことばかり研究対象にしているなどと思われがちであるが、この研究はそういった人類学に対して部外者が往々にして抱いてしまうステレオタイプを一蹴するに違いない。
さらに特筆すべきことは、この研究は決して新しい理論や傾向を誇示するようなもくろみで書かれたものではなく、極めて「正統的」な社会人類学の手法にむしろ徹底的に従った研究であり、そのためかえって人々のアクチュアリティに迫ることが可能になったという点であろう。筆者は英国の社会人類学の基盤を作ったエヴァンズ・プリチャードをはじめとするスーダン研究の流れを十二分に吸収し、そのうえでこの新たな時代の現実に生きる人々を理解しようと試みた結果、このような「厚い記述」を生み出せたと言えよう。
本論文の成果としてより具体的に特筆すべき点をあげると、それは予言と想像力とモラル・コミュニティの相互関係を考察することで生み出されたいくつかの論点である。まず予言に関しては、植民地時代、内戦、国家建設という南スーダンの激動の社会史の中で、「予言」的と呼びうる事態が実は極めて重要なテーマであったことを本論文が初めて明確に指摘したという点である。そしてそれは「予言」という通念を再考することで初めて明らかになった。つまり「予言」は、テクストとして固定されたものではなく、複数の想像力のせめぎあいの過程で生成されるという分析によって可能になった。そして予言をめぐる想像力が新たに生ずるたびに現れる「エ・クウォス」経験を起点として、予言者への信念と疑念の双方向へと人びとが誘われ、こうして想像力が拡張してゆくことで人々の経験が更新されていくことを、注意深い観察によって明らかにした。またこの観察によって、本質的なモラル・コミュニティという従来の静態的な概念を再考することが可能になった。ところでこのような考察のヒントになったのはmoral imaginationという観点であるが、それを提唱したバイデルマンにならって、筆者はこれを単に研究対象の複数の当事者間の想像力のせめぎあいの問題とするだけでなく、自らのモラルを背負いつつ研究対象のモラル・コミュニティへ闖入する人類学者が、自身を拘束する想像力に対しても働き掛ける努力をする必要があるとし、「この他者と遭遇する場、あるいはエ・クウォスはどのように経験されるのであろうか」と問い、第6章の終わりの部分で次のような感想を述べる。これは含蓄のある洞察力に満ちた文章である:

バイデルマンの表現を借りれば、わたしが経験した「エ・クウォス」は、わたしの「実際の経験の脇」で直面した、自分の「存在の他の様式」への気づきだったのではないだろうか。「エ・クウォス」とは、ヌエル独自の経験の様式などではなく、わたしにとってもアクセス可能な経験だった。そしてそれは、わたしに新しい自己と世界の関係を再考させるエージェントとなったのである。

最後に、通常人類学者はフィールドワークの困難さで自分の研究の成果を評価されるのを好まないが、筆者に関してはこれに触れておかないわけにはいかない。というのも、自然環境、衛生状況、政治軍事状況、物資調達手段、交通手段などの点で、世界で最も過酷な場所のひとつである南スーダンで、これまでに計2年近い現地調査を実施し、多種多様な困難と危険に直面してきたが、持ち前のコミュニケーション能力と協調精神で、調査地の人びとだけでなく、国連やNGO、南スーダン政府関係者などとも友好的な信頼関係を醸成し、熱意と機転で乗り越えてきたからである。この努力と能力なしには、人々の具体的な経験と想像力に肉薄し、当初は思いもよらなかったような「エ・クウォス」の瞬間を経験することはできなかったであろう。
 以上のように、本論文は際立った成果をあげたものの、そこに問題点と課題を指摘できないわけではない。第一点は、モラル・コミュニティの静態的、本質的モデルに関して、理論的な議論の場では適切な批判がなされているにもかかわらず、具体的な記述の部分で、ややもすると本質的な概念として扱ってしまっているように思える部分が散見される点である。それは特に政府やNGOを扱うところで指摘できる。これは、著者の政府やNGOに関する理解が、ヌエル社会に関するものに比べると深みに欠けるからであろう。第二点目は、第I部の第2章の植民地時代の歴史に関する部分で、歴史資料の扱い方で、行政関係者の位階に関する翻訳で初歩的なミスが多く、また資料の解釈でも誤解や単純化のそしりを免れ得ないところが散見される。このあたりは、より慎重で学問的な対応が必要であった。
とはいえ、これらの問題点は本論文の高い水準と優れた研究成果を損なうものではなく、また著者自身が十分に自覚するものであるため、今後の研究によって是正されることが期待される。


IV 結論
審査員一同は、上記のような評価と、2014年12月19日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2015年2月12日

2014年12月19日、学位論文提出者橋本栄莉氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「エ・クウォス―南スーダン、ヌエル社会における予言的出来事と拡張する想像力の民族誌―」に関する様々な疑問点について、審査員が逐一説明を求めたのに対して、橋本栄莉氏はいずれの質問やコメントに対しても的確に応答し、十分な説明を与えた。よって、審査員一同は、橋本栄莉氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。 

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