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博士論文審査要旨

論文題目:東京裁判の史的研究―検察側・弁護側の裁判準備と審理過程に関する分析から―
著者:宇田川 幸大 (UDAGAWA, Kota)
論文審査委員:吉田 裕、坂上 康博、中北 浩爾、石居 人也

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一、本論文の構成

本論文は、極東国際軍事裁判(以下、東京裁判)における審理の特徴や問題点を、検察側・弁護側双方の裁判準備過程及び裁判審理の検討を通じて、詳細に解明した実証的な研究である。また、裁判の分析を通して、裁判後の日本社会や国際社会にどのような課題が、いわば積み残されることになったのかという問題についても、その一端を具体的に解明している。本論文の構成は以下の通りである。

序章
第1節 本稿の問題意識と先行研究
第2節 本稿の課題と分析対象
第1章 東京裁判と日本海軍―陸軍側との比較から―
はじめに
第1節 検察側の追及
第2節 裁判対策
第3節 法廷における攻防と判決
小括
第2章 東京裁判と外務省
はじめに
第1節 連合国側の追及準備
第2節 検察側の立証
第3節 裁判対策の展開と弁護側反証
第4節 審理の影響―検察側の追及と判事側の判定
小括
第3章 東京裁判と「アジア」―「通例の戦争犯罪」に関する分析を中心に―
はじめに
第1節 検察側の追及と「通例の戦争犯罪」・植民地支配
第2節 審理と「通例の戦争犯罪」
第3節 判決書における「アジア」
小括―序列化される戦争被害
第4章 裁きと戦犯の「戦後」―戦犯の戦争責任観・戦争観・戦後社会観―
はじめに
第1節 東京裁判の被告人たち
第2節 BC級戦犯
小括
終章
第1節 結論
第2節 今後の課題
主要参考文献一覧
付録 起訴状に記載された被告人の該当訴因


二、本論文の概要

序章では、筆者の問題意識、先行研究の整理、検討課題、そして分析対象がまとめられている。ここでは、これまでの先行研究が、裁判の「開廷史」・「終結史」・「裏面史」の解明に力点を置いてきたため、裁判審理自体の検討が大きく遅れていること、そして、検察側の分析に比して弁護側のそれが軽視されてきたことが詳しく検討されている。筆者はこうした状況を踏まえ、検察側・弁護側双方の動向を把握し、その上で、裁判審理の抱える特徴・問題点を明らかにするという基礎的作業がなされないまま、東京裁判の性格が論じられてきた側面があること、そのため、裁判が未だに歴史事件として充分に「歴史化」されていないと指摘する。そのうえで、裁判の審理自体を歴史学の見地から実証的且つ多面的に分析することの必要性を強調する。
また、分析方法に関しては、次の諸点が提示されている。すなわち、①裁判が、事前に策定された立証・反証方針の延長線上で行われているという点を重視し、検察側・弁護側双方の裁判準備過程についても詳しく検討すること、②裁判準備過程及び審理の分析に際しては、軍部関係の被告人(陸軍・海軍)と、文官被告人(外務省)とに区分して検討してゆくこと、③「日本側―連合国側」という硬直した枠組みを超え、戦争の被害者であるアジアからの視点を重視して検討すること、④裁判記録には表れることのなかった被告人の「本音」についても、彼らの手記・回想録などを基に検討すること、以上、4点である。
第1章では、裁判における日本海軍と日本陸軍の事例の比較検討を通して、裁判の特徴・問題点が析出されている。ここでは特に次の2点が重要である。1つは、連合国側による追及の成否は、証拠・証言という要因にも大きく左右されていたということである。海軍関係の審理では、連合国側が海軍中央(海軍省・軍令部)と各地域で生じた「通例の戦争犯罪」を関係付ける決定的な証拠・証言を確保できなかった。海軍中央による戦争犯罪への関与を仄めかす証言が提出されても、海軍側(弁護側)による反対尋問に遭い、判決では言及されないケースもあった。また、検察側が必ずしも一枚岩ではなかったため、検察側の立証内容が結果として海軍側に有利に作用するケースも生じていた。審理は、連合国側が日本の戦争責任を明確化するための場ではあったが、検察側の不備もあって、弁護側の反証が意味を持つ側面をも有していたのである。
もう1つは、以上のような側面が存在したため、弁護側が事件の隠蔽工作を含む裁判対策を積極的に行うことによって、戦争責任の回避や被告人の極刑回避に成功する余地が残されていたということである。海軍側は、早期から組織的な裁判対策を講じて連合国側の追及意図を予測していた。そして、自衛戦争論による弁明は法廷では通用しないということをはっきりと認識した上で、各事件の事実関係に関する反証に議論を収斂させるという方針を打ち出し、連合国側や判事側の反発を回避していったのである。さらに、連合国側の証拠不在や証拠不足に乗じつつ、海軍関係の「通例の戦争犯罪」の実態の隠蔽や、戦争責任回避・極刑回避にも実際に成功した。
一方、陸軍側は裁判を「歴史観をめぐる闘争の場」として位置付けて裁判対策を行ったため、陸軍関係の審理では、典型的な自衛戦争論・「大東亜戦争肯定論」に基づく弁明が行われることになった。この結果、陸軍側は判事側や検察側から極めて大きな反発を受けることになった。海軍側が反証が意味を持つ局面を最大限に活用したのに対して、陸軍側は、こうした余地の利用を事実上放棄していたことは明らかである。
第2章では、外務省本省・外務官僚に焦点をあわせ、裁判審理の分析が進められている。外務省関係の審理で特徴的なことは、戦前・戦中の日本外交の責任が、専ら「革新派」の外交官と陸軍側に帰せられたことである。その結果、いわゆる欧米派・伝統派の外交官については、平和を志向した勢力だとするイメージが法廷でも定着してゆくこととなった。しかし、その反面で、対米無通告開戦論の存在など、外務省本省の国際法認識の限界が等閑に付されることにもなった。戦争犯罪についても、その責任は専ら陸軍に帰せられ、外務省はこうした問題に関与する権限を持たなかったという位置づけが大勢を占めることになる。
第3章は、アジア太平洋戦争で膨大な被害を蒙った、他のアジア諸国・諸地域の視点から、審理の特徴・問題点が浮き彫りにされる。ここでは、検察側の追及準備過程、審理過程、判決という一連のプロセスの分析によって、アジア人住民の被害が一貫して軽視・無視されたことが、具体的に明らかにされている。法廷には、中華民国とフィリピンが検察官を送り込んでいたものの、彼らの追及は審理全体の中で低い位置付けしか与えられていなかった。彼らが南京事件やフィリピンでの戦争犯罪に関して一定程度追及を行い得たのは事実だが、中国での戦争犯罪は1941年12月8日以降に生じた欧米諸国に対する戦争犯罪のいわば「前史」として位置付けられていた側面が強く、フィリピンも戦争中は独立国ではなかったという理由から、判決書では「アメリカ合衆国の一部」として扱われていた。
また、検察官を送り込めなかった大部分のアジア地域の戦争被害は、旧宗主国によって追及が「代行」されたため、これらの地域については連合国の軍人・民間人の被害が主な論点となった。特に、日本軍による捕虜虐待は、連合国側の戦争犯罪追及における最重要課題として位置付けられた。しかし、ここで主に問われたのは、「白人」捕虜に対する犯罪だった。さらに、日本の植民地支配については、創氏改名や陸軍特別志願兵制度などに関する情報が収集されていたが、これらは検察側の追及に全く反映されなかった。弁護側でも、植民地支配の問題に関する対策は、考慮されなかった。以上のような検討を経て、本章では、裁判での戦争犯罪追及が、帝国主義・植民地主義が根強く残存する状況の下で、①「白人」捕虜、②「白人」民間人(主に日本軍に抑留されていた「民間人抑留者」)、③アジア人住民、④論点にすらならなかった植民地支配下の住民、という厳然とした序列によってなされていたことを明らかにしている。
第4章では、被告人の裁判の受け止め方や、彼らの戦争責任観・戦争観・戦後社会観が解明されている。裁判では多くの事件が明るみに出されたが、その一方で、A級戦犯の認識には多くの特徴・問題点が存在していた。即ち、①彼らの戦争責任観は、自己の責任を認める場合でも、敗戦責任論・開戦責任論を中心とするものであり、責任を負うべき対象は、もっぱら天皇と国民に向けられ、連合国やアジアの戦争犠牲者の存在が視野に入っていなかった点、②残虐行為が戦争犯罪として認識されることが殆どなかった点、③東京裁判や日本国憲法の制定に否定的であった反面、天皇・天皇制の存置には安堵感を抱いていた点、④他のアジアへの優越意識と「帝国意識」が根強く残存していた点、以上の4点である。
なお、本章では東京裁判の被告人との比較の意味で、BC級戦犯に関する分析も行われており、苛酷な戦争体験や軍隊経験を持ったBC級戦犯の中に、戦争犯罪に対する責任を自覚してゆく者や、反軍意識・「平和主義」を形成してゆく者も存在していたことが明らかにされている。
各章での検討を経て、終章では結論と今後の課題が述べられている。筆者は、裁判審理には2つの大きな特徴・問題点があったと総括している。第1は、裁判が連合国側の対日政策の重要な一環でありながら、多分に流動的な側面を有していたということである。裁判は、対日占領政策の中でも非軍事化政策の一環として懲罰的な側面を強く有していたが、同時に「裁きの場」としての側面も有していた。このため、法廷を設置した連合国側自身が、証拠・証言という要因に拘束されることになった。厳しい追及が不可避であった被告人や事件があっても、確保された証拠・証言の状況によっては、日本側が極刑や戦争責任を回避し得る余地が残されていた。海軍はこの余地を最大限に活かしたし、欧米派・伝統派の外交官もこうした恩恵を享受して「免罪符」を与えられることになった。筆者は、そのため、本来問われるべきであった戦争責任が曖昧にされたとする。
第2の特徴・問題点としては、裁判が帝国主義国間の「合作裁判」としての側面を強く有していたことが確認できる。裁判では、裁く側・裁かれる側の双方において、植民地支配やアジア人の戦争被害が軽視・無視されていた。審理は、第3章で指摘された序列に基づいて行われたのである。そのため、裁判は、植民地支配責任や「帝国意識」の未清算という、重大な課題を残すことになった。以上が、本論文の結論である。

  三、本論文の成果と問題点

 本論文の成果としては、次の点を指摘できる。第1に、本論文は、国立公文書館で、近年ようやく公開されるようになった東京裁判関係史料を本格的に分析した最初の実証的研究だと言うことである。公開といっても、史料が開示されるまでには、煩瑣な手続きと時間を要することを考えるならば、長い時間をかけて関係史料の悉皆調査を行った筆者の努力は高く評価されるべきだろう。第2には、裁判の準備-審理-判決という一連のプロセスを視野に入れながら、裁判の審理過程そのものに分析のメスを入れた最初の本格的研究だという点である。東京裁判に関しては、一般的には「勝者の裁き」というイメージがかなり定着している一方で、研究者の側は、天皇や731部隊の免責をめぐる、水面下における日米間の協力・提携関係などに関心を集中させてきた。このため、審理過程そのものの分析はなおざりにされてきたのである。これに対して、筆者は、審理過程そのものを分析の主たる対象にすえ、検察側、弁護側双方の対応を詳細に分析し、証拠・証言などの面で検察側に不備があり、他方で弁護側が明確で現実的な弁護方針を有していた場合には、弁護側の主張が判決にも影響を及ぼし,戦争責任の免責につながっていることを明らかにした。この点は、東京裁判研究に対する本論文の最大の貢献であり、「勝者の裁き」論に対する有効な反論ともなっている。第3には、審理過程を丁寧に追いながら、この裁判がアジアの民衆に対する戦争犯罪を軽視したことを具体的に明らかにしたことが指摘できる。その際、同じ帝国主義国である日本と連合国とが、ある種の共犯関係にあったことに注目している点に本論文のユニークさがある。
 同時に、若干の問題点も指摘できる。第1には、本論文は、東京裁判に「勝者の裁き」という側面があることを認めつつ、公開の裁判という形式をとる以上、審理の過程は一定の自立性を持つという立場にたつ。この両者の関係をいかに統一的に把握するかが今後の課題となるだろう。第2に、連合国関係の史料にもよく目配りしているが、新たな史料発掘の可能性がまだあるのではないだろうか。その点では、さらに海外における史料調査に力を注いでほしい。第3には、日本の民衆の側がこの裁判をどのように受けとめ、あるいはどのような形で受容したのか、という点も掘り下げられる必要があろう。しかしながら、以上のような問題点は筆者自身が自覚しているところであり、今後の研究のさらなる発展に期待したい。
 以上、審査員一同は、本論文が当該分野の研究の発展に寄与する十分な成果をあげたものと判断し,一橋大学博士(社会学)の学位を授与するのに相応しい業績と判定する。

最終試験の結果の要旨

2015年2月12日

 2014年12月22日、学位請求論文提出者・宇田川幸大の論文についての最終試験を行った。
本試験において、審査委員が、提出論文「東京裁判の史的研究―検察側・弁護側の裁判準備と審理過程に関する分析から―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、宇田川幸大氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、宇田川幸大氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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