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博士論文審査要旨

論文題目:性暴力と被害者の属性―性風俗従事者に対する性暴力の不可視化―
著者:田中 麻子 (TANAKA, Asako)
論文審査委員:宮地 尚子、小林 多寿子、安川 一、青山 薫

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1 本論文の構成

 本論文は、スティグマ化されうる属性を持つ、それゆえ不可視化されやすい性暴力被害者の、被害可視化の条件と方法を検討しようとするものである。本論文では、スティグマ化されうる属性として性風俗従事者が取り上げられ、性風俗従事者に対する性暴力の内容や性暴力を可能にする背景、性風俗従事者に対する性暴力が語られにくい要因とそれを可視化するための方法が考察されている。性暴力と性風俗についての先行議論を接合し、一枚岩に語られがちな「性暴力被害者」の差異と序列、被害者の持つ属性や背景と被害の語りづらさとの関係を明らかにし、多様な性暴力被害者が被害を語りうる環境を模索している。

 本論文は、序章、1-6章、終章から構成されている。本論文の構成は以下のとおりである。

目次

序章
0-1 本研究の問題意識と課題
0-2 研究対象と先行研究
0-3 本論の構成

第1章 「性風俗従事者に対する性暴力とその不可視化」を捉える
1-1 本研究における「性風俗」と「性暴力」
1-2 性暴力の不/可視性
1-3 性暴力の不可視化と性暴力の責任
1-4 性暴力の不可視化と被害者の属性
1-5 本研究の分析枠組みと調査方法

第2章 「性暴力」のイシュー化と差異の不可視化
2-1 「性暴力」のイシュー化の過程
2-2 性風俗と性暴力

第3章 性風俗従事者に対する性暴力とそれを可能にする環境
3-1 性風俗従事者に対する性暴力の内容
3-2 性風俗従事環境に組み込まれた性暴力
3-3 性風俗従事者を取り巻く環境
3-4 性風俗従事者の身体的・精神的負担

第4章 性風俗従事者に対する性暴力が不可視化される文脈
4-1 性暴力被害を語る環境
4-2 「性風俗従事者である」という属性と性暴力の不可視化

第5章 「望ましくない特性」と性暴力の不可視化
5-1 「性風俗に従事すること」の社会的意味
5-2 「性風俗に従事するという選択」の責任
5-3 「スティグマ化」を知ることと了解すること
5-4 スティグマ(化)の伝染と「差異」の受け容れ

第6章 性風俗従事者に対する性暴力を可視化する試み
6-1 「性暴力」を語るまで
6-2 性暴力を可視化するための取組
6-3 性風俗従事者に対する性暴力からの脱却と性暴力の防止

終章
1 本研究の意義
2 本研究の限界と今後の課題
3 資料
4 謝辞
5 参考文献


2 本論文の概要

 各章の概要は以下の通りである。
 序章では、まず、性暴力を受けた被害者が被害を語りづらく、支援を受けにくい日本の現状を指摘する。そして、近年被害者支援の動きが少しずつ広まりつつあるものの、まだまだ性暴力は社会のなかで不可視化され続けていることを問題とする。また、性暴力の語りづらさや第三者の無理解は、被害者の属性によっても異なることを指摘し、性暴力が可視化されていくためには、社会的にスティグマ化され周縁化されやすい人々に対する性暴力に注目する必要があるとし、特に「性風俗従事者に対する性暴力」に本論文の焦点をあてる理由を説明している。
 第1章では、先行研究を整理し、本論文の方法論及び分析枠組みを提示している。まず本論文で取り扱う性暴力と性風俗の範囲を検討している。つぎに、先行研究としてレイプ神話(rape myth)研究と被害者非難(victim blaming)研究をとりあげている。レイプに関する誤った社会通念や、被害者非難の種類やメカニズムを整理し、それらと性暴力の不可視化との関係を分析している。さらに、スティグマ研究を参照し、被害者の属性と性暴力の不可視化との関係の分析を深めている。
 また、本論文で使用する資料の種類や取り扱い方、インタビュー調査方法について説明をおこなっている。性暴力という被害者のプライバシーの配慮が必要なテーマを扱うと同時に、性風俗というタブー視や偏見を持ってみられやすい領域を研究対象とすることに伴う困難とそれへの対処法についても検討を行っている。
 第2章では、まず、性暴力がどのように社会的にイシュー化されてきたかを分析している。性暴力がイシュー化される過程として、性暴力が「国家や社会、家父長の恥」から「被害者の自己決定権の侵害や苦悩」として認識されるようになる過程を、先行研究を整理しながら追っている。
 つぎに、「性風俗従事者に対する性暴力」に注意が向けられ、「性風俗従事者に対する性暴力」がイシュー化されるためには、性暴力という概念が一般化される過程とそこで用いられた言語的戦略が不可欠であったとする。性風俗従事と性暴力の関係については、性風俗イコール性暴力であり性的搾取であるという捉え方が、性風俗を取り巻くマクロな差別構造を理解する上では役立つ一方、性風俗従事者一人一人に向けられる性暴力については、むしろ目が向けられなくなってしまう危険性を指摘する。1990年代に、性風俗従事に関して、自己決定権や労働概念が議論に導入される(セックスワーク論など)ことで、ようやく具体的な暴力についても言及がされるようになった。しかし、自己決定権の重視は、性風俗従事者に対して性暴力が行われても、それをも「性風俗に従事する」という選択の結果としてみなすことにも誤用され、被害者が理解や支援を受けにくくなる点を問題提起している。
 第3章では、性風俗従事者に対する性暴力の内容と、性暴力がおきやすくなる環境要因、性風俗従事者の抱える身体的・精神的負担について記述している。
 まず、既存の海外・国内調査を丹念に検索し、性風俗従事者に対する性暴力の量的データとその内容について整理、説明を行っている。性風俗従事者に対する性暴力の内容としては、とくに性風俗産業に従事する時に受ける講習と、従事中に避妊具が使用できないことの二つを取り上げる。それらは、従事やサービスの一環とされてしまいがちなために、被害とは見なされにくいが、だからこそ「性風俗従事環境に組み込まれた性暴力」として捉えることを提起する。
 つぎに、「性風俗従事者を取り巻く環境」として、性風俗従事に至る経済的背景、女性の雇用環境の厳しさ、保護的な家庭機能の不足、性的トラウマを分析し、一方で、自己価値感の獲得や経済的自立など性風俗従事がもつ魅力についても触れている。また、性風俗従業員・家族・交際相手やパートナーなど周囲の人々がもつ影響、ジェンダー規範がもたらす影響も分析している。性風俗従事者が性風俗に携わる背景には多様性があり、従事内容も様々であるが、性暴力被害への脆弱性が高まるような環境要因がここでは提示されている。
 そして、「性風俗従事者の抱える身体的・精神的負担」として、性風俗従事者が長期的に慢性的な身体的・精神的負担を抱えやすいこととその内容が分析されている。特に日本においては、性風俗従事の是非をめぐる議論が抽象的なレベルで行われ、個々の性風俗従事者がもつ身体や精神は捨象されてきたことを指摘し、性風俗従事前や後も含めた身体的・精神的負担について、海外での医学・心理学的な文献からデータを提示している。
 本章で筆者は、性風俗従事がもつ性暴力被害への脆弱性を指摘し、暴力の一形態として理解されづらい性暴力を「性暴力になりうるもの」として提案しながらも、だから従事すべきではないと主張するのではなく、性風俗従事者が性暴力の危険性を考慮してリスク回避しつつ、必要な時には性暴力だと訴えることができる環境について考えることが重要であると主張している。
 第4章では、性風俗従事者に対する性暴力がおきたとしても、それがないものにされていく要因を検討している。まず、性風俗利用者は匿名性を保っていたり、性風俗産業の回転が早いため、告発対象が不確かであったり、特定できても訴えることができないことがあげられる。次に、職場で理解をしてもらえないこと、家族やパートナー、友人といった身近な人に相談しづらいこと、公的機関に相談しても、性風俗従事者に対する偏見から必要な支援を受けにくいことを指摘する。
 本章ではさらに、社会が性風俗従事者に性暴力の責任を帰したり、性風俗従事者自らが、受けた性暴力被害をあきらめて「納得」してしまう要因について検討している。性風俗従事は対価が伴うが、どんな行為がどのくらいの対価に見合うかの基準は不確かであること、「性的行為のプロフェッショナル」とみなされることで過大な要求と責任を負わされること、性風俗従事者が「性的存在」としてのみ捉えられ、性的な行為はすべて好むというストーリーが仕立て上げられること、「からかい」をしてもいい対象と自動的にみなされること、性的対象が不特定多数であることを理由に加害者が免責されやすいことなど、性風俗従事者の性的自己決定権が侵害される状況を分析している。
 筆者は、性暴力の不可視化に関与するのは、被害者が性風俗従事者であるか否かそのものより、「性風俗に従事すること」に付随する社会的に負の意味づけであると指摘する。その意味づけを詳細に検討することで、性暴力被害者の属性と性暴力の不可視化の関係を、より理論的に広げて分析できることを指摘し、次章につなげている。
 第5章では、「性風俗に従事すること」の社会的意味づけについて、他の職業の社会的地位との比較や、「性風俗を利用すること」との比較から考察している。まず、性風俗に従事することが職業や労働と見なされないこと、されたとしても低地位の労働と見なされている点について検討している。次に、性風俗利用者の実態や、「性風俗を利用すること」の社会的意味づけについて、先行の実態調査や世論調査等を活用して分析している。性風俗を利用することは、将来に負の影響を及ぼすとか、過去に問題があったなどとは見なされず、「一時的なこと」として社会的に許容されている一方で、性風俗に従事することは、性風俗に従事する者に何か問題があるとされ、従事中か従事外か、従事前か後かに関わらずついてまわる、属人的な「望ましくない特性」、逸脱した属性とされていることを明らかにする。この性風俗の利用と、性風俗の従事に対する二重規範は、先行調査における質問項目の偏りにもあらわれているという。
 さらに本章では、性風俗従事者が逸脱者と見なされ、社会的にスティグマ化されることで、性暴力がたんに見過ごされるだけでなく、「制裁」や「教訓」として正当化されてしまうこと、性風俗従事者は、性暴力被害のみならず、身体的汚染や将来の不利益まで自己責任として負わされることを分析している。
 また、性風俗従事者がスティグマを内面化することで起こりうる影響についても分析している。スティグマの内面化は、自尊心の低下や後ろめたさを抱え込んだり、プライドや意地として過剰に適応しようとしたり、孤立化したり、負の責任や原因を自分自身に帰すことにつながり、被害者が性暴力について語ることが困難になる。したがって、スティグマ化されうる属性を持つ被害者が性暴力について語れるようになり、性暴力が可視化されるためには、第三者の意識や構造を変えるだけでなく、被害者自身へのアプローチも必要となってくることを筆者は指摘する。
 第6章では、性風俗従事者に対する性暴力を可視化する試みとして、事例分析を踏まえた上で社会的取り組みを検討している。
 まず、筆者によるインタビュー調査を基に、一人の女性が性風俗従事の中で受けた暴力をいかに語りえるようになったのかを対話的構築主義の視点で分析している。そこでは、被調査者が性暴力概念を知り、自らを被害者として認識し、それが第三者から認められる中で「語る資格」を得て、語る力を発揮していく過程が描かれている。被調査者は、第3章で記述されているような複雑な背景を基に性風俗に携わり始め、自らの意思で性風俗に携わったという意識のために、性風俗従事の中で起きた暴力的な出来事を語りえずにいた。筆者は、そうした複雑な背景や出来事を語るためには、その人が置かれた環境や長い人生の繋がりを意識し、それらを指し示す言葉が必要であると述べる。そして、そのような言葉を持った被害者が、それを第三者に相談しても否定されないような環境、性風俗に従事したという一点のみで性暴力被害者に値するのか否かが判断されない環境が必要であると述べる。
 このような事例分析を踏まえ、本章ではさらに、社会的取り組みについて述べている。まず、性風俗従事者に対する性暴力を被害者の性風俗に従事したという自己決定権のみを以って理解しないために、「サバイバル・セックス」という概念の広義化を図っている。サバイバル・セックスとは本来、経済的困窮から対価と引き替えに性的行為に及ぶことを指すが、「居場所の確保」や「自己価値の探求」「生きる意味」なども含め、性風俗従事者の多様な背景とニーズを示す多義的な言葉として、サバイバルという言葉を使用するべきだと筆者は主張する。同時に、このような言語的・概念的試みだけでなく、性暴力の被害者が被害者の属性によって判断されないような法規定の検討、被害者の語る資格を支える専門家や身近な人への支援、被害者のスティグマ化を回避することを試みるアプローチ、性風俗利用者の性暴力防止など、多角的な方法を検討している。
 終章では、本論文の意義、限界、今後の課題について述べている。本論文では「性風俗従事者」のエスニシティや文化的背景、従事形態による差異について十分取り扱えなかった限界を認識しつつも、性風俗に従事することへの社会的意味づけを模索し、それと性暴力の不可視化との関係を分析したことで、性風俗従事者に対する性暴力だけでなく、スティグマ化されうる属性を持つ人々全てにとって参照されうる性暴力の可視化の方法が提示されている。

3 本論文の成果と問題点

 本論文は、性暴力について、とくに性風俗従事者の性暴力被害の実態を問題視し、性暴力被害が訴えやすい環境を生みだしたい、語りえる空間の創出を図りたいという、筆者の明快な研究目的にもとづいた論文である。被害者支援の現場で数多くの性暴力被害に接してきた筆者ならではの問題設定に対して、時間をかけた取り組みによって論点が絞られ、内容の充実した博士論文となっている。
 本論文の成果は、以下のとおりである。
 第一に、性風俗従事者への性暴力について、先行の資料・研究・議論を幅広く研究し、鍵概念・言説を丁寧に整理し、これらの組み合わせによってオリジナリティのある知見と議論を提出したことにある。本研究では、性暴力を受けた被害者が性風俗従事者でもあった場合、出来事の信憑性が問われ、性暴力が「無化」、「矮小化」、「性的化・能動化」、「制裁化・教訓化」され、性暴力の加害者が免責され、性暴力の被害者への影響が考慮されなくなるメカニズムが、詳細に記述、整理されている。レイプ神話や被害者非難、スティグマやその内在化など前半での概念的分析が、後半のインタビュー事例の内容と有機的につながり、読者に説得的なものとなっている。そして、「性風俗従事環境に組み込まれた性暴力」という概念の創出や、「サバイバル・セックス」という概念の広義的な使用、性暴力被害の支援のあり方への提言がなされており、これらは当該分野において大きな貢献となる。
 第二に、性風俗従事者に着目することで、性暴力被害の現状だけでなく、性暴力の不可視化と被害者の属性との関係が描きだされたのは、性暴力論の展開にとって評価される研究成果である。「性暴力被害の可視化について分析すること」、その背景に「被害者の属性」によってどれだけ沈黙を強いられやすいか、可視化が困難になるかが変わってくる問題を見ること、「性暴力の不可視化と被害者の属性」との関係を断ち切る方法を考察することという、論文の目的も達成されている。
 第三の成果として、性暴力被害者の支援現場で生まれた疑問を、支援現場に返すための知を切り開こうとした点がある。筆者は、語りづらい被害や、タブー視される体験についての調査方法・調査倫理の提示をしている。それは、5章後半と、6章のインタビュー調査の実践と記述として結実している。また筆者は、「性暴力を可視化するための三つのベクトル」として、1)性暴力についての被害者自身の解釈を無視したり、性暴力の原因や責任が被害者に向けられたりしないような場の構築、2)「この人には語れるだろう」と被害者が想定できる場を広げること、3)被害者が聞き手を選ぶ力を引き出すことを結論として導きだしているが、これらも説得的である。
 第四の成果は、インタビュー調査が相互行為であることを明示し、語りえたものではなく、語りえるようになるプロセスを理解するために一次資料のデータを構築主義的に分析しようとした点にある。インタビュー調査において、筆者は一人の対象者マリさん(仮名)と時間をかけて向きあい、その聞き取りを丁寧に記述し解釈している。インタビューを通して、マリさんは傷ついた経験を語れるようになり、それを性暴力と捉えてもよいと理解し、性暴力被害を語る「資格」が自分にはあると思えるようになる。筆者との間で、対話的に構築されていくその変化の記述には、「生きられた経験」の厚みと細やかさがある。
 以上のような成果を得ているものの、本論文にもいくつかの問題点がみられる。
 第一に、資料の扱い方があげられる。本論文では、一次資料として筆者によるインタビュー調査のデータが用いられているが、それ以外の部分では、当事者による手記や報告書、市販のルポルタージュなど二次資料の利用が中心である。性暴力被害のデリケートさがインタビュー・データを多用することへの困難を生じさせていることはよくわかり、当事者の語りを二次資料から多く引用した理由も理解される。しかし、一次資料と二次資料の接合についての説明が不足しており、資料の違いによるデータの質の差異をいかに考えるかという、認識論的な議論が不十分である。とくにジャーナリスティックな資料の利用については、資料の批判的吟味が必要であろう。数量調査資料の扱い方においても、年代や背景、条件が異なる複数の数量調査の結果を、単純に比較・一般化する傾向がみられる。それぞれの調査に偏りがあることは筆者も認識しているが、よりいっそうの注意が必要であろう。
 第二に、本論文では、性にまつわる「猥褻」さを「悪」とする価値観そのものについて、代表/表象や解釈の危険性について、等、調査研究(者)自体が社会規範を反映することに注意を払っているが、スティグマ強化に加担してしまう危惧がある。たとえば、マリさんの事例から、本論文の当該分野全体への貢献である「サバイバル・セックス」概念が導き出される時、筆者自身が意識しているはずの、「性風俗に従事する人びとの多様な背景」をこの概念に統括してよいのか、という疑問が生じる。「性暴力は性風俗従事の必然ではない」と、まさに「性暴力」と「性風俗従事」を切り離すことによって、スティグマの克服をめざし、性風俗産業の中の暴力のイシュー化にある程度成功してきたセックスワーク当事者の人たちもいる。筆者もさまざまな当事者団体等の活動が知識・技術、自尊心、言語化の力を身につける具体例を紹介しているが、マリさんの事例が強烈な印象を与えるだけに、「性風俗に従事することはすなわち性暴力に遭うことである」という一般化をもたらしかねない。そうなれば、調査研究(者)の意図せぬ政治的結果として、「性風俗に従事することはすなわち性暴力に遭うことである」という規範の再生につながりかねない。
 第三に、本論文では、「社会構造」の中でも、より具体的な法的(制度的)圧力にあまり目を向けられていない点があげられる。性風俗従事者への性暴力の不可視化が、性風俗従事者の社会的排除や加害者の免責と関係していると考えるとき、法制度がその強固な原因であることは否めず、今後のより詳細な検討が求められる。
 しかしながら、これらの点は口述試験の質疑応答で、筆者自身の考えるところが示され、また今後の課題としても認知された。ここで指摘したような検討課題が残ったとしても、本論文の達成した成果を損なうものではない。
 本論は、現代社会のシリアスな問題をテーマとして、現場支援と直結しながら取り組まれたチャレンジングな試みとして評価される。さらに今後の現場での実践と研究を連携させた研究展開も期待され、その姿勢を高く評価したい。

4.結論
 上記のような評価に基づき、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与しうる成果を十分あげたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するにふさわしい業績と判定した。 

最終試験の結果の要旨

2015年3月11日

2015年2月2日、学位請求論文提出者 田中麻子氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、提出論文「性暴力と被害者の属性―性風俗従事者に対する性暴力の不可視化―」についての審査委員の質疑に対し、田中麻子氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員一同は、田中麻子氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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