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博士論文審査要旨

論文題目:NEEDLING BETWEEN SOCIAL SKIN AND LIVED EXPERIENCE: AN ETHNOGRAPHIC STUDY OF TATTOOING IN DOWNTOWN TOKYO
著者:ヘイリー・マクラーレン (McLAREN, Hayley)
論文審査委員:岡崎 彰、大杉 高司、久保 明教、町村 敬志

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I 本論文の構成
 刺青(入れ墨)に関しては、その歴史や社会的意味、刑罰やヤクザとの関連、あるいはファッション性、審美性、美容、身体加工技法の問題関心などから研究されたり問題化されたりしてきた。本論文は、東京下町の著名な彫師のもとで人類学的住み込み調査をしながら、「彫り物(当事者は入れ墨よりこの言葉を好む)」を纏った人びとと日々を共にした経験に基づき、これまでの研究ではほとんど扱われてこなかった「彫り物」のある重要な側面について考察したものである。それは、やや抽象的に言えば、「彫り物」の意味論というより存在論的側面であり、「彫り物」自体がそれを纏う人やそれを目撃する人に半ば独立したエージェントとして作用する側面である。しかし本論文はそのような私的経験の場だけでなく、それが下町の祭りの神輿の上という公共の場でいわば意味論と存在論が共謀することで生成される力に着目し、それが下町のアイデンティティを力強く更新していくと論じようとする意欲的な試みである。

(なお本論文は英語による論文作成承認済み論文です)

本論文の構成は以下の通りである。
INTRODUCTION
Background: Shitamachi Tokyo
Previous Studies
Fieldwork and Arguments
Outline of Chapters
CHAPTER ONE
HISTORICISING TATTOOING – OF CRIMINALITY AND COMMUNICATION
Tattooing in Antiquity
Punitive Tattooing
Decorative Tattooing
CHAPTER TWO
TECHNIQUES OF HORIMONO – PROCESS & PRACTICE OF TATTOOING
Process of Tattooing
Practices of Tattooing
Traditional‘ Japanese Tattoo
CHAPTER THREE
HORIKAZU – LIFE OF A HORISHI
Road to Becoming a Horishi
Working Life
CHAPTER FOUR
LIVING HORIMONO – NAVIGATING SKIN AND INK
Seeing Horimono
Being Hormono
Living Horimono
CHAPTER FIVE
SPIRITS, BODIES, BOUNDARIES – HORIMONO IN THE PUBLIC SPHERE
Sunday May 20th 2007: Miyadashi 宮出し
Matsuri
Sanja Matsuri
Torigoe Matsuri
Horimono in Action
Power of Horimono
CONCLUSIONS
Bibliography

II 本論文の概要
 序論では、まず、下町と彫り物が歴史的にも現代においてもいかに結びついているかということを、様々な資料を用いて述べる。次に先行研究の紹介として、タトゥー全般や日本の入れ墨に関して概観し、フィールドワークと本論の論点について述べる。
 第一章の「タトゥーをすることを歴史化する―その犯罪性とコミュニケ―ション」では、タトゥーの古代から現代にいたる歴史を詳述する。その刑罰やヤクザとの結びつき、そして最近の傾向としてその西洋と東洋の出会いに関しても語られる。
 第二章の「彫り物のテクニック-その工程と実践」では、まず入れ墨の工程を、手術、道具、場所の観察から始め、次に入れ墨のビジネスの側面が下町との関係で取り上げられ、最後に、彫師と顧客との関係の重要性が指摘される。
第三章の「彫和―ある彫師の一生」では、著者の師に当たる彫師のライフヒストリーが紹介され、彼がいかに下町とかかわって生きているかが詳述される。
 第四章の「生きている彫り物-誘導する皮膚と墨」は、作業現場から墜落したが一命をとりとめたのは背中に彫られた観音様のおかげだと主張する男の話から始まる。次に生きられた彫り物というテーマが様々な角度から語られ、この考察を通して身体と自己とアイデンティティの相互関係、そして彫り物自体の概念化が問題にされ、最後に彫り物をダイナミックなアクターととらえる視点が導入される。
第五章「霊、体、境界―公共の場における彫り物」は、三社祭の宮出しのシーンの記述から始まる。この章では彫り物のマクロレベルすなわち公共の場における働きに焦点が移る。そして三社祭と鳥越祭を事例に、彫り物の表象的およびエージェンシー的二側面が公共の場で共同的に働くことで生成されるパワーが、いかに下町の集団的アイデンティティを更新していくかが、詳述され、それとの関連で境界性とパワーの概念が議論される。

III本論文の成果と問題点
本論文の第一の成果は民族誌に関するものである。事例が豊富で、その書き方や配置の点でも配慮が払われているので、読む者を惹きつけ、たとえば彫り物がそれ自体パワフルに働いている様や、下町の祭りの、部外者にはアクセスできないようなdeepな世界を身近に臨場感を伴って感じさせることに成功している。このことはまた、著者がどのようにローカル・コミュニティに受け入れられてきたか物語っていよう。この点ではもしも著者が日本人で(しかも男性で)あったらこうはならなかったかもしれない。だからといって、書かれたものにオリエンタリズム的気配は感じられない。それどころか、日本人ならすぐわかった気になってしまうような感性まで身に着けてしまっているので(たとえば「神様」「入れ墨様」と言われていることから両者をすぐパラレルにとらえてしまうような)、英語で書いていても、英語話者にはもっと丁寧に説明しないと理解してもらえないかもしれないのではと心配になるようなところすらある。
第二の成果は、彫り物を単に意味論的な解釈の対象としてだけでなく、それ自体がパワフルに働きかけるものととらえて、これまでの研究ではほとんど扱われてこなかったその重要な側面について考察したことにある。そこで用いたrepresentationとlived experienceという対比的モデルには一定の有用性が認められる。
第三の成果は、下町研究に対する貢献である。下町研究は80年代にその構築主義的議論が盛んになり、現在は新たな展開もないまま、観光研究などにとってかわられているようなところがあるが、本研究には、そういう状況で避けられていたオーセンティックな下町というモデルを新たな視座で再考させうるに足る迫力がある。構築主義か本質主義かで煮詰まっていた議論を潜り抜け、deepな下町の「場所のパワー」を研究することは、新たなチャレンジとなる可能性があることを本研究は示唆している。
もちろん本論文に関し、問題点が指摘できないわけではない。
第一に言えるのは、民族誌のリッチさに対して理論的つめが甘いという点である。たとえば、ジェルのエージェンシー論が用いられているが、その理論自体が孕んでいる問題点に対する配慮が乏しいので、彫り物をindependentなエージェンシーと言い切ってしまうことで、せっかくの議論の説得力がむしろ薄まってしまっている。
第二に言えることは、本論は単に日本の民族誌的事例研究としてだけでなく、人類学の中心的議論に対しても貢献できる可能性があるが、そのような研究にするためには、まだまだ追求すべき問いが残っているという点である。例えば、彫り物の力の特性が、普段は隠して(隠されて)いるものが突如として顕わにされるという点にあるとしたら、隠すことに対するタウシグなどの理論に言及すべきだろう。そうすれば、本論が入れ墨の力と関連付けている神輿の神道的な神の力が、同様に普段は隠されていることに特徴があるという点に着目しで、さらに興味深い議論が展開できたはずである。

とはいえ、これらの問題点は本論文の研究成果を損なうものではなく、また著者自身が十分に自覚するものであるため、今後の研究によって克服されることが期待される。



IV 結論
審査員一同は、上記のような評価と、2015 年1月15日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2015年2月12日

2015年1月15日、学位論文提出者ヘイリー・マクラーレン氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「Needling Between Social Skin and Lived Experience: An Ethnographic Study of Tattooing In Downtown Tokyo」に関する様々な疑問点について、審査員が逐一説明を求めたのに対して、ヘイリー・マクラーレン氏はいずれの質問やコメントに対しても的確に応答し、十分な説明を与えた。よって、審査員一同は、ヘイリー・マクラーレン氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。 

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