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博士論文審査要旨

論文題目:近世における個人と社会との関係―遠州における地方寺院と神職を中心として―
著者:夏目 琢史 (NATSUME, Takumi)
論文審査委員:渡辺 尚志、若尾 政希、石居 人也、高柳 友彦

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1.本論文の構成
 本論文は、日本近世を対象として、「個人」と「社会」の関係の特質について考察したものである。具体的には、遠江国引佐郡(井伊谷、現静岡県浜松市)にフィールドを定めて、そこに所在する寺社の僧侶・神職(個人)と、彼らを取り巻く周辺社会(社会)との関係のあり方を多角的・総合的に分析している。
本論文の構成は以下の通りである。

序論 近世における主体の問題と社会関係
第一編 日本史学史における「個人」と「社会」
  第一章 日本社会史研究の軌跡と主体の位置
   はじめに
   1 戦前の日本社会史研究
   2 戦後初期の日本社会史研究とマルクス主義歴史学
   3 六○年代の社会史研究
   4 七○年代後半~八〇年代の「社会史」と「主体」研究
   5 九〇年代以降の地域社会史研究と国民国家論
   おわりに
  第二章 歴史学における個人と社会
   はじめに
   1 平泉澄をめぐる研究史の軌跡
   2 戦後歴史学と網野善彦
   3 平泉澄と網野善彦 ― 歴史学における「個人」と「社会」―
   おわりに
  第三章 近世宗教社会史研究の系譜と個人・社会
   はじめに
   1 近世宗教社会史研究の歴史とその課題
   2 寺院社会論の展開とその課題
   おわりに
第二編 近世における地方寺院と社会との関係
 第一部 引佐地方の基礎構造
  第四章 中近世移行期の井伊谷龍潭寺
   はじめに
   1 戦国期井伊谷の基礎構造 ―「開山過去帳」「南渓過去帳」の分析を中心に―
   2 龍潭寺のネットワークと経済基盤
   3 龍潭寺領の成立と地域社会
   おわりに
  第五章 旗本知行所支配の形成・展開と地方寺院
   はじめに
   1 旗本近藤氏支配の形成と知行所の村々
   2 旗本と地方寺院
   おわりに
  第六章 近世後期長寿講の展開と地域社会
   はじめに
   1 近世後期引佐地方における金融講
   2 長寿講の展開と神主山本家・井伊谷龍潭寺
   おわりに
 第二部 政治権力と地方寺院
  第七章 一八世紀前半井伊谷における由緒の形成について
   はじめに
   1「由緒の井戸」をめぐる争論
   2 出入りの背景にあるもの ― 政治的関係 ―
   3 出入りの影響
   おわりに
  第八章 遠州における朝廷権威の浸透と禅宗寺院
   はじめに
   1 一八世紀遠州における天皇・朝廷観の形成過程
   2 一九世紀遠州における天皇・朝廷権威の広がりと地方寺社
   3 明治初頭における井伊谷宮の創建と井伊谷龍潭寺
   おわりに
  第九章 彦根藩井伊家の井伊谷龍潭寺参詣
   はじめに
   1 彦根藩主井伊家の年忌法要と井伊谷龍潭寺
   2 彦根藩主井伊家の井伊谷龍潭寺参詣
   おわりに
 第三部 地方寺院とその周囲
  第十章 近世村落におけるアジールの社会的機能
   はじめに
   1 井伊谷・神宮寺村におけるアジールと村落寺院
   2 アジールの背景と社会的機能
   3 江戸時代の村落における寺院の社会活動
   おわりに
  第十一章 近世における在地宗教者の歴史意識
   はじめに
   1 祖山和尚筆「井伊家伝記」について
   2 二宮神社神主中井家の歴史叙述
   おわりに
  第十二章 遠州報国隊員山本金木の蔵書と歴史意識
   はじめに
   1 神宮寺村の山本金木
   2 山本金木の蔵書と宗良親王研究
   3 神宮寺村の「由緒」と金木の「由緒」―寛政年間の出入再考―
   4 山本金木の旅と学問受容   
   おわりに
  第十三章 幕末維新期の龍潭寺と引佐地域
   はじめに
   1 慶応元年の争論にみられる井伊谷村と龍潭寺の関係
   2 近代移行期の引佐地方における名望家の活動とその意味
   おわりに   
第三編 浜松地域の歴史と由緒
  第十四章 近世における浜松地域の由緒とその歴史的意義
   はじめに
   1 浜松城下(現在の中区)の場合
   2 東区の場合
   3 西区の場合
   4 北区(旧引佐郡周辺)の場合
   5 浜北区(旧浜北市)の場合
   6 天竜区(旧天竜市)の場合
   おわりに
  第十五章 遠州報国隊の歴史的位置
   はじめに
   1 遠州報国隊の構成とその活躍
   2 報国隊員の社会的立場
   3 報国隊運動とその社会集団の実像
   4 遠州報国隊運動の顕彰とその意味
   おわりに
  第十六章 遠州の「名望家」高林維兵衛の位置
   はじめに
   1 高林維兵衛とは
   2 高林維兵衛のネットワーク
   おわりに
 補編 近世・近代における「個人」と「社会」
  第十七章 綱吉・家宣期の朝幕関係と将軍の位置
   はじめに
   1「御意之振」(德川宗家文書)の歴史的意味
   2 将軍綱吉の言葉と儀礼
   3 綱吉政権における高家の役割
   おわりに
  第十八章 近世後期民間陰陽師の活動と地域社会
   はじめに
   1 陰陽師 坂本半兵衛の活動と地域
   2 毛塚村坂本家と半兵衛
   3 江戸屋敷勤になった陰陽師
   おわりに
  第十九章 明治初期三郷地域における学校建設と地域社会
   はじめに
   1 明治初期三郷市域の概況と教育環境
   2 明治初期の小学校建設と地域のリーダーたち
   3 学校教員の活動
   おわりに
結論 近世地域史研究における「個人」と「社会」

2.本論文の要旨
 第一編では、本論文に関わる先行研究が整理されている。
 第一章では、戦前からの日本社会史研究の流れが整理され、今日においても、「個人」と「社会」の関係について、社会構造のなかにおける「個人」の位置・役割を重視しつつ丹念に実証していくことが重要な課題となっていることが述べられている。
 第二章では、「個人」と「社会」の関係について、アジールに注目して論じた代表的論者として、平泉澄と網野善彦を取り上げ、大正期に平泉が「社会」に注目する研究を行なった背景には、西洋のアカデミズム、とりわけカール・ランプレヒトの影響があったこと、網野の無縁(アジール)論が日本と西洋の共通性に着目しつつ提起されたこと、などが主張されている。
 第三章では、本論文が主要な対象とする寺社の僧侶・神職に関わって、近世宗教史研究の研究史整理を行ない、近年の研究においては、社会構造のなかの一つの分節構造としての宗教的社会に注目する研究と、宗教そのものの機能に注目する研究が存在すること、この両者の総合を図ったうえで、宗教的主体の社会的位置付けをしていく必要性があること、などが指摘される。
第二編の各章では、遠江国引佐郡に対象地域を絞って、近世における地方寺社と地域社会との関係を克明に追究している。
第四章では、引佐郡における代表的な寺院の一つである龍潭寺を取り上げて、中世・近世移行期における同寺の経済的基盤を解明している。そこでは、同寺が広範囲にわたる在地有力者や職人たちの信仰と寄進に支えられて確固とした経済的基盤を有していたこと、近世にはそうした経済的基盤が近隣数か村の檀家層などへと限定されていくことが明らかにされた。
第五章では、引佐郡の領主である旗本近藤氏の政治・財政構造の特質が追究されている。近藤氏の支配秩序は一七世紀前半に整備された。一八世紀には、火事や地震などの災害に対しては近藤氏の「御救」がなされるなど、領地の支配は比較的安定していたが、一九世紀になると、近藤氏の財政難から、領内の豪農や寺院に負担が転嫁されるようになり、領地支配は不安定化していった。
第六章では、地域的金融組織としての「講」の性格が分析されている。そして、①地域の寺社が講元として重要な役割を果たしていたこと、②近藤氏も講に積極的に関わり、そこから財政資金を獲得していたこと、などが明らかにされた。
第七章では、一八世紀前半に起こった、井伊谷村の龍潭寺と隣村神宮寺村の正楽寺との争論を取り上げている。井伊谷村には、彦根藩井伊家の始祖がその中から生まれたという伝承をもつ井戸が存在したが、その井戸の管理権をめぐって両寺が争ったのである。争論は龍潭寺の勝訴というかたちで決着したが、この争論を通じて龍潭寺は井伊家との結びつきを深め、また井戸をめぐる由緒を自覚的に強く認識していくことになった。
第八章では、引佐地方への朝廷権威の浸透過程が追究されている。当地方へは近世を通じてしだいに朝廷の権威が浸透していくが、それは当地方にゆかりの深い、後醍醐天皇の皇子宗良親王の事績・由緒を媒介としたものであった。ここから、著者は、朝廷・天皇の権威は抽象的・一般的なかたちで地域に浸透するのではなく、各地域に固有の歴史性や歴史意識に沿ったかたちで受容されていくのだと主張している。
第九章では、龍潭寺を菩提寺とする彦根藩井伊家の当主や家臣の同寺への参詣が地域に与えた影響について検討されている。井伊家の参詣に際しては、その準備・宿泊・接待などに、龍潭寺のみならず多くの地域住民が関わった。参詣には、道路など地域社会のインフラ整備や井伊家から地域住民への経済的支出(藩士の宿泊料など)といったメリットもあったが、反面労働力や経費の面で地域社会にとって大きな負担ともなった。また、地域住民の各層によって、受けるメリット・デメリットには違いが見られた。
第十章では、村落にある寺院がもつアジール(国家権力が介入できない治外法権的な空間)としてのありようが、さまざまな具体的事例に基づいて分析され、寺院のアジール機能は政治権力にその根源をもつものではなく、寺院の社会的信頼(権威)の上に成り立つものであったことが明らかにされている。
第十一章では、寺院の住職と神社の神職が著した二冊の歴史書(祖山和尚『井伊家伝記』と中井直恕『礎石伝』)を取り上げて、そこに込められた著者の歴史意識を検討している。そこから、二冊とも井伊家との関係を強く意識しつつ執筆されていること、『礎石伝』のほうにはそれに加えて宗良親王に関する記述が付加されていることなどが明らかになった。
第十二章は、神宮寺村の八幡宮の神主であり、幕末の東海地方を代表する草莽隊である遠州報国隊の中心メンバーとなった山本金木(一八二六~一九〇六)の蔵書と歴史意識について検討したものである。そこから、①金木の歴史観の根底には、郷土の歴史と、そこで活躍した宗良親王という、二つの軸が明確に存在していたこと、②金木は地域の宗教者との交流を通じて歴史意識を形成し、その中からしだいに独自の見解をつくり上げていったこと、③明治以降も依然として井伊家にまつわる由緒が語られたが、それにもまして宗良親王についての歴史研究が盛んになったこと、などの諸点が明確になった。
第十三章は、幕末維新期の引佐郡の状況を、井伊谷村とそこに所在する龍潭寺、および山本金木ら神職たちの動向を中心に述べたものである。そこでは、幕末の慶応元年(一八六五)に龍潭寺と井伊谷村の村民たちとの間で深刻な争論が起こったこと、神職たちの文化的ネットワークは明治期になって一層緊密に展開していったことなどが述べられている。
第三編では、第二編で論じた引佐地方の特質を、さらにいくつかの視角から追究することによって、同地方の地域特性の解明を進めている。
第十四章は、現浜松市域において近世に語られた、徳川家康にまつわる由緒を包括的に収集し、その特質について論じたものである。家康が一時浜松城に在城したこともあって、同地域には家康にまつわる由緒の語りが数多く存在する。そこには、由緒の語り手が特権獲得のために由緒を利用していること、「家」の由緒と「村」の由緒が混在して一つの由緒が形成されていること、といった共通の特徴が見出される一方で、地域や時期によって固有の特徴があることも明らかにされた。
 第十五章では、幕末の東海地方で神職中心に結成された草莽隊である遠州報国隊を取り上げて、その具体的行動を跡付けた上で、遠州報国隊と地域社会との関係などが考察されている。そして、①勤王を掲げた浜松藩の動向が、報国隊の活動を支えていたこと、②報国隊の思想的基盤としては、近世後期から拡がりをみせていた宗良親王にまつわる由緒意識が重要な意味をもったこと、③個々の人々が報国隊に参加していく契機は多様であり、また報国隊への参加を通じた交流・つながりが明治以降の人々の人生に影響を与えたこと、などが示された。
 第十六章は、遠江国の代表的な地方名望家の一人である高林維兵衛(一八六四~一九二二)を取り上げて、彼が有した社会的ネットワークや文化交流の実態について、新たに発見された書状類をもとに検討したものである。
 補編は、第二・三編で検討した遠江国の事例を他の事例と比較検討するために、他の地域・身分階層を取り上げて分析したものである。
 第十七章は、幕府五代将軍徳川綱吉が、江戸城内で実際に発したと伝わる言葉に注目し、近世幕藩制社会の根幹である将軍と諸大名との関係、および幕府と朝廷との関係について分析したものである。
 第十八章では、近世後期に陰陽師として武蔵国比企郡(現埼玉県)で活躍していた坂本半兵衛(一七九三~一八六三)という人物が取り上げられ、地域社会における陰陽師の活動実態と、彼が形成した人的ネットワークの性格が検討されている。
 第十九章は、明治初期の埼玉県三郷地域を対象として、そこにおける教育状況について、学校教員や戸長・副戸長(政治的中間層)などの各個人が、それぞれいかなるかたちで学校教育に関わったかという視角から分析したものである。
 「結論」では、本論における主張を要約するとともに、近世における「個人」と「社会」の関係を考察する際には、近代のありようを所与の前提とすることなく、近世的特質を重視しつつ、地域社会の実態に即して考察すべきことが強調されている。

3.本論文の成果と問題点
 本論文は、以下の四点において重要な意義をもっている。
 第一は、寺院や神社という場、僧侶や神職という人に着目して、そうした場や人を取り巻く多様な社会関係を総合的に明らかにしたことである。具体的には、引佐郡を出身地とする彦根藩井伊氏や引佐郡の領主である旗本近藤氏といった武士たちから、地域の有力百姓や宗教者、さらに檀家や氏子を含む地域の一般住民との関係が非常に丹念に描き出されている。また、信仰や歴史意識・由緒意識といった思想面から、政治・経済的な側面まで幅広く目配りされている。こうした分析の総合性が、本論文の第一の意義だといえる。
第二は、一つの地域に対象を絞ることによって、地域の個性に立脚した議論を展開し得ていることである。近世における全国的な動向が、一般的・抽象的なかたちではなく、地域の固有性との関連のもとに論じられているのである。たとえば、近世後期における朝廷・天皇の権威の地方への浸透は全国的に見られる現象であり、それについては引佐郡も例外ではないのであるが、同郡の場合は、そこを拠点にした宗良親王やその忠臣井伊氏の歴史と結びつきつつ朝廷・天皇の権威が浸透していったという特徴がみられた。このように、同郡に固有の歴史意識・地域認識を明らかにしつつ、それを全国的な問題へと有機的に連関させているところに本論文のメリットがあるといえる。 
第三は、戦国期から明治期までの長期間を視野に収め、同一地域における定点観測によって、その間の歴史的変容過程を多角的に追究していることである。それによって、中世・近世移行期と近世・近代移行期の双方において、注目すべき新知見が得られることになった。たとえば、中世・近世移行期に関しては、近世における寺院のアジール機能の全面的展開や、戦国期の「無縁所」から近世の「有縁の寺」への龍潭寺の性格変化などがあげられるし、近世・近代移行期に関しては、井伊家を軸とした近世の由緒から宗良親王の比重が増す近代の由緒への変化や、遠州報国隊への参加が在地神職層のあり方に分岐をもたらすとした点などがあげられよう。
 第四は、本論文が広範な先行研究の整理と、丹念な現地史料調査の上に成り立っているという点である。本論文の第一編(約七〇頁)は、そのすべてが研究史の整理に当てられ、戦前からの膨大な先行研究が網羅されている。著者の読書量は瞠目すべきものであるが、他方で著者は、個人で、または調査チームを組織して、遠州(遠江国、現静岡県)の史料調査・整理を続けてきている。本論文は、こうした地道な史料調査の上に成り立っており、調査を通じて発掘された新史料の活用によって幾多の新事実が明らかにされている。
 以上のような意義を有する本論文であるが、そこに問題点がないわけではない。
 本論文は宗教的主体が取り結ぶ多様なネットワークを丹念に明らかにしているが、思想的ネットワークと経済的ネットワークの相互関係など、さらなる解明を要する部分もある。
 また、本論文では龍潭寺文書が多用されているが、龍潭寺文書の全体像についてのアーカイブズ学的な説明も求められるところである。
 ただし、以上の問題点は著者も自覚しているところであり、今後の研究によって克服されていくものと思われる。
 よって、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したと認め、夏目琢史氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2014年11月12日

 2014年10月16日、学位論文提出者夏目琢史氏の論文について最終試験を行なった。試験においては、提出論文「近世における個人と社会との関係―遠州における地方寺院と神職を中心として―」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、夏目琢史氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は夏目琢史氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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