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博士論文審査要旨

論文題目:貧困理論の再検討―イギリスの貧困理論の行き詰まりと社会的排除論の意義-
著者:志賀 信夫 (SHIGA, Nobuo)
論文審査委員:大河内 泰樹、林 大樹、平子 友長、高田 一夫

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 [本論文の構成]

 本論文は、ブースやラウントリー等によって確立され、タウンゼント等によって拡張されてきたイギリスの貧困理論が、新しい貧困現象と社会的排除論の登場により理論的混迷に至っている状況を解明し、貧困理論の進むべき方向を論じた意欲的な労作である。その構成は以下の通りである。

目次

第1章 イギリスにおける貧困概念の展開 
    第1節 正義論としての貧困概念
    第2節 絶対的貧困概念から相対的貧困概念へ
    第3節 タウンゼントの貧困概念では捉えられない「新しい貧困」
    第4節 「新しい貧困」に対応する社会的排除理論
第2章 社会的排除概念について
    第1節 社会的排除とは
    第2節 イギリスの社会的排除
    第3節 フランスの社会的排除
    第4節 フランスの社会政策の先進性
    第5節 小括
第3章 シチズンシップの権利の実現(十分性)
    導入
第1節 A.センの貧困理論とケイパビリティ・アプローチ
第2節 ケイパビリティとシチズンシップ
第3節 シチズンシップの権利の実現(十分性)
第4節 労働の権利の十分性
第5節 小括
第4章 貧困概念の拡張と貧困理論の新たな展開
    導入
    第1節 これまでの議論のまとめ
    第2節 先行研究との比較による重要な論点の整理
    第3節 新しい貧困理論としての社会的排除理論の意義
    第4節 結論

 [本論文の概要]

第1章「イギリスにおける貧困概念の展開」で著者はまず、貧困概念をいかに論ずるべきかという問題設定から始めている。著者の考えは、第1章第1節の表題にある通り「正義論としての貧困概念」である。イギリスの貧困理論史を分析すると、貧困の定義が時代とともに絶対的貧困論から相対的貧困論へ、さらには相対的剥奪論へと変化してきている。その変化は結局、貧困の定義が生活水準や社会状況とともに変わるものだということを示している。つまり、貧困とはその時代において、社会的に許容すべき最低限の生活水準以下で生活していることを意味する。したがって許容最低限の内容がどのように変化するかによって決定されるのである。このように、著者によれば貧困の定義は社会正義によって規定される。そして、貧困の定義はその社会があるべきでないとする生活状態を意味し、社会が合意した、あるいは合意すべき最低限度の生活を下回るものとして明示される。
次いで著者は第2節でB.S.ラウントリーとP.タウンゼントの貧困理論について検討し、この貧困概念の拡張が社会規範の変化にあるのであって、ラウントリーからタウンゼントへの貧困概念の拡張は、貧困概念に「社会参加」という要素が付加されたことであると説明している。著者は、タウンゼントの貧困理論における重要な歴史的意義について強調しながらも、第3節ではさらに、タウンゼントの貧困理論からでは必ずしも捉えることのできない新たな社会問題が浮上していることを論じている。これが「新しい貧困」と呼ばれるものである。
 第1章第4節ではこの「新しい貧困」に対応する新たな貧困理論として、社会的排除論が登場したことを論じている。社会的排除論は、タウンゼントが提示した「社会参加」概念を引き継いでいる一方で、異なった特徴を持っている。タウンゼントの貧困理論における「社会参加」は「メンバーシップ」に基づくものであり、社会的排除理論における「社会参加」はシチズンシップに基づくものであるという点が決定的に異なっている。このことが後の議論において重要な意味をもつことになる。
第2章「社会的排除概念について」では、新しい貧困に対応した貧困概念である社会的排除概念が、具体的にどのようなものであるのかが論じられている。社会的排除に関する社会政策は、社会的包摂とよばれている。第1節ではEUにおいて社会的排除概念がどのように定義されているかを概観している。その定義では、ヨーロッパ社会において容認できないものとして、権利の不十分性・欠如という側面が強調されている。この権利の不十分性・欠如は、消費生活からの脱落・排除という物質的側面を含みつつ、さらにそれを超えて社会的権利の不十分・欠如という新しい領域を貧困に含めるところまで、貧困概念が拡張されているという点に著者は注目する。
 第2・3節では代表的な事例として、イギリスとフランスの社会的包摂戦略を分析し、両国とも、社会的排除がシチズンシップに基づく社会参加の不十分・欠如として捉えられていることが確認されている。そして第4節で、イギリスとフランスの社会的包摂戦略の比較をおこない、フランスの包摂戦略に先進性を見出している。すなわち、フランスの社会政策においては様々な形態の、個人の権利の不十分・欠如を補うエンパワーメント政策が実施されている。これは、イギリスにおいては理論的に潜在的な可能性として示されているだけに止まっているのである。また両国の社会的包摂戦略では、権利の十分性の保障という貧困政策の新たな展開を見出すことができるが、この新たな政策的展開を特徴づけるものは「労働の権利」の十分性の保障という側面である、と著者はいう。それはまた、
シチズンシップの権利の十分性の保障のためには、自立した市民として「自己決定」可能であること、さらに敷衍すれば、実質的な自由の拡大のための政策として理解されるべきだと論じている。
第3章では、第2章で述べた権利の十分性の保障とはどのようなものであるのかについて、アマーティア・センとピーター・タウンゼントの論争を手がかりに論じている。権利に注目して貧困を論じるということは、これまで消費生活に注目して貧困を論じてきた相対的貧困理論からの逸脱であり、貧困理論の新たな展開と考えられる。この権利の十分性について論じるために、第3章では、A.センのケイパビリティ・アプローチと高田一夫の社会政策における「自己決定」理論が援用されている。
 第3章第1節でまず、センのケイパビリティ・アプローチの意義が述べられる。すなわちこのアプローチが、貧困を消費生活の不十分・欠如として捉える従来の貧困理論に対する批判の理論的基礎付けを与えたこと、これである。例えば、センは「低所得」であることと「所得が不足」していることを厳格に区別したが、このような主張は、ケイパビリティの欠如として論じられる貧困の定義を根拠とするものである。このような定義はシチズンシップの権利の不十分性・欠如という定義と親和性を持つものだと著者はいう。
 第2節および第3節では、ケイパビリティ・アプローチに対するタウンゼントなどイギリス貧困理論からの批判が検討されている。この批判の骨子は、ケイパビリティ論では具体的に貧困状態を定義できないという点にあった。しかし著者はむしろ、その点にこそケイパピリティ論の優れた点があるとみている。というのは、ここに従来の貧困理論が見てこなかった「自己決定」の原理を採用することにより、市民社会における権利の十分性が解明でき、新しい貧困の根拠が明らかになると著者は考えたからである。「自己決定」が不可能であるということは、市民社会におけるケイパビリティの欠如を意味している。その欠如を貧困の定義に入れれば、ケイパビリティの不十分性あるいは権利の不十分性を「自己決定」が不可能であることと理解することができ、これをもって貧困の新しい定義が成立するのだ、と著者はいう。社会的排除理論の意義は、権利の十分性を保障することを求めるという点にあるが、それは具体的には個人が自立した市民として「自己決定」できることを保障するということを意味している。ある個人が自立した市民として自発的に「自己決定」できないとき、それは容認できない困窮(貧困)であるとみなされるのである。
 第3章第4節では権利の十分性の保障という議論に関係してさらに、社会的排除理論を特徴づける最も重要な要素の一つである「労働の権利」についても検討する必要性がある、と著者は主張している。社会的排除理論の意義は、単に権利の保障の十分性を取り扱うことができるということだけにあるのではなく、「労働の権利」という側面を強調できるということでもある。先行研究のなかには、「労働の権利」を「雇用の機会」と同一視し、「労働の権利」は歴史上見当たらない、あるいは完全雇用の崩壊によって否定されたと主張するものがある。このような主張に対して著者は、完全雇用の崩壊後に、むしろ「労働の権利」は顕在化してきていると主張する。それは社会的包摂戦略が、ワークフェア(あるいはアクティベーション)として展開されていることからも明らかである。ワークフェアでは、福祉の無規定な拡大ではなく、「労働の権利」の実現を通して社会的権利の拡充が構想されているというのが著者の主張である。
最終章となる第4章では、これまでの議論を先行研究と比較対照しながら改めて整理し、本論文の結論が導かれる。第3節では、新しい貧困理論としての社会的排除理論の意義をさらに敷衍し、社会思想史上に位置づけて論じている。新しい貧困理論の意義とは、貧困学説史上、初めて「自由」という要素を貧困理論のなかに導入したことである。それは人間の真に人間的な生存を追求する道を、一歩進めたものである。さらに、社会的排除理論を特徴づける「労働の権利」は、この権利の十分性が論じられることにより、K.マルクスの論じている疎外を克服する潜在的な可能性を孕んでいる。
政治的権利の実現を通して社会的権利の拡大を主張し、労働力の脱商品化の視点を一面的に強調する現代の一般的な貧困理論とは異なり、著者はワークフェアという再商品化を目標とした社会的包摂戦略のなかに脱商品化の契機があると主張している。



 [本論文の評価]

 本論文は経済的困窮に止まらない現代の新しい貧困問題に対し、貧困理論をリードしてきたイギリスの理論家たちが理論づけに苦慮している状況を打開しようとした意欲的な仕事である。著者の貢献は第一に、貧困を客観的に定義できるものと考えず、貧困とはその社会が許すことのできない生活状態であると考えた基本姿勢にある。このことにより、貧困の定義が曖昧化し混迷化している学界に一石を投じたと言える。貧困概念はブースやラウントリーが考えた客観的で数値で定義きるような絶対的貧困論からタウンゼントの社会生活の多様性を考慮した相対的剥奪論へと変化してきたが、いずれにしても物質的消費の内容によって貧困を計測しようとするものであった。
 しかし、センに代表されるような新しい貧困観、また社会的排除論に見られるようなシチズンシップなど非物質的な要素を問題にする考え方が登場したことに対して、従来のイギリス貧困理論はこれを批判し、貧困をあくまで物質消費の問題とする立場を堅持している。著者はこの対立を歴史的な貧困観の変化という見地から見直し、イギリス貧困理論が過去の遺産に固執し、理論的柔軟性を失っていると批判したのである。
 しかも、この問題を論ずるに当たって、センとタウンゼントの間での貧困理論を巡る論争や最近のイギリスを代表する貧困理論家のリスターの議論など重要な意見を網羅的に検討し、それを整理評価した。そしてセンのケイパビリティ論が貧困理論として批判された点を逆に評価し、そこに「自己決定」という要素を加味することでシチズンシップに基づいた貧困理論を提唱した。これまでの貧困理論研究に新たな視角を提供した独創的な研究というべきであろう。
 著者は、社会的排除論が提起したシチズンシップの欠如を現代の貧困のフロンティアと見なし、それを解決することが市民社会の改善となり、また巨視的、歴史的に見ればマルクスのいう「自由の王国」への道を一歩進めるものだと結論する。そして、その際に労働の権利が重要な概念となると主張している。これも独創的な見方である。
 しかし、このような大胆な理論的営為には、問題点も当然ながらある。シチズンシップ論については著者自ら、異論の可能性を指摘している。また、社会政策の実態に対する認識についてもさまざま議論がありうる。とくに「労働の権利」については、概念としても政策論としても議論を呼ぶだろう。
 とはいえこれらの諸問題は、本論文の弱点というより、いずれも今後の課題として残されたものであり、緻密な論証に支えられた本論文の基本的評価をいささかでも損なうものではない。
 よって、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2014年6月11日

 2014年5月8日、学位請求論文提出者志賀信夫氏の論文についての最終試験を行った。本試験においては、審査委員が、提出論文「貧困理論の再検討―イギリスの貧困理論の行き詰まりと社会的排除論の意義―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、志賀信夫氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、志賀信夫氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績及び学力を有することを認定した。

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