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博士論文審査要旨

論文題目:国際援助システムの展開とアフリカ援助行政の実態: ポスト冷戦期における「貧困削減レジーム」を中心に
著者:古川 光明 (FURUKAWA, Mitsuaki)
論文審査委員:児玉谷 史朗、浅見 靖仁、ジョナサン・ルイス、福富 満久

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1.本論文の構成
 第二次大戦後米ソの冷戦体制の中で成立した国際援助は、冷戦の終結後1990年代には発展途上国の貧困問題とその解決に重点を置くようになり、2000年に「ミレニアム開発目標」が国連総会で採択され、貧困削減が国際公約となった。援助の方法についても、援助効果の向上のために各国の援助手続きの共通化など援助協調と調和化が目標とされた。本論文は、「貧困削減レジーム」と著者が呼ぶ、貧困削減を優先的な目的として冷戦終結後20世紀の末に成立した国際援助体制について、国際援助システムとタンザニアの事例を研究した意欲作である。

 本論文は、序章から始まり、第1章から第7章までの7つの章、結章の合計9章及びAppendixと参考文献リストからなる。本論文の構成は以下の通りである。

序章
 1.論文の課題設定と分析の枠組み
 2.先行研究の課題と本研究の独自性
 3.研究方法と本論文の構成
第1章 「貧困削減レジーム」の形成を通じた「国際援助システム」の変容
 1.はじめに
 2.冷戦終結後における「貧困削減レジーム」の形成
 3.小括
第2章 「貧困削減レジーム」の実効性
 1.はじめに
 2.国際開発援助体制・レジームの実効性
 3.実効性を維持するための拘束的メカニズム:ソフトロー、ピアレビュー、
    ピアプレッシャー
 4.「貧困削減レジーム」の実効性を高める主要ドナーの内面化
 5.「貧困削減レジーム」の実効度
 6.「オペレーショナルレベル」でのドナーの取組み状況の差異
 7.小括
第3章 「プロジェクトの氾濫」と援助の有効性-経済成長、
乳幼児死亡率、初等教育修了率
 1.はじめに
 2.先行研究と問題点
 3.「プロジェクトの氾濫」指数と実証分析の方法
 4.推定結果
 5.小括
第4章 「貧困削減レジーム」の象徴的な援助形態としての一般財政支援の効果と限界
 1.はじめに
 2.先行研究
 3.モデル分析
 4.データ
 5.推計結果
 6.小括
第5章 タンザニアにおける「貧困削減レジーム」と国際援助システムの変容
 1.はじめに
 2.先行研究と論点
 3.タンザニアを分析対象とする理由
 4.「プロジェクトの氾濫」と「貧困削減レジーム」の形成
 5.タンザニアにおける一般財政支援の影響力の背景
 6.「貧困削減レジーム」形成の主導的アクター
 7.援助システムの変容と政府・ドナー・グループ内のアクター間関係の変容
 8.小括
第6章 「貧困削減レジーム」における政府・ドナーのインターフェイスを通じた
    タンザニアの援助行政の実態
 1.はじめに
 2.分析の視点とその方法
 3.一般財政支援ドナーの行動
 4.タンザニア財務省と地方政府の行動
 5.小括
第7章 タンザニアにおける援助行政の実態
 1.はじめに
 2.中国の対タンザニア援助と「貧困削減レジーム」
 3.タンザニア政府の一般財政支援の見方
 4.タンザニア政府の自らのイニシアティブによる開発へ
 5.国家計画作成組織の変遷
 6.小括
結章
 1.本論文の貢献と課題
 2.含意
 3.新たな開発援助に向けて
Appendix 1--4
参考文献

2.本論文の概要
「貧困削減レジーム」とは「ミレニアム開発目標」(2000年に国連で採択)という貧困削減の目標を持ち、ルールとして「援助効果向上の取り組み」宣言(通称:パリ援助効果向上宣言、2005年)を有する国際援助のレジーム(一連の原則、規範、ルール)である。本論文は「貧困削減レジーム」について、それがどの程度実効性を持っていたのか、またどの程度貧困削減の目標を達成したのかを、国際援助システムについてとタンザニアの事例を対象として、検証しようとしたものである。
 序章で課題が設定される。「貧困削減レジーム」と呼ばれる貧困削減を目的にした国際援助システムの検討を行うという課題が設定される。また開発援助が発展途上国と援助する国との間に介在するインターフェイスとされ、双方の望む「開発」の交渉の場と位置づけられる。その上で、本論文はポスト冷戦期の「貧困削減レジーム」の実効性を維持するためのメカニズムを明らかにしようとする。またタンザニアを事例研究として取り上げ、「貧困削減レジーム」の具体的な形成過程や、タンザニアと援助国との交渉を明らかにする。
 次に先行研究の限界や不十分な点と本論文の意義が説明される。すなわち、先行研究で十分に明らかにされていない「貧困削減レジーム」の実態や「プロジェクトの氾濫」が貧困削減に与える影響、一般財政支援の開発成果に対する影響を本論文で解明するという。

 第1章から第4章では、ポスト冷戦期における「貧困削減レジーム」を中心に国際援助システムの展開を分析する。
 第1章「「貧困削減レジーム」の形成を通じた「国際援助システム」の変容」では、「貧困削減レジーム」の形成によって国際援助システムが、プロジェクトを通じた特定の事業と地域を対象とする各援助国単独型援助から開発全般を対象とし、援助機関・援助国が協調して援助する協調援助へと変容したことを、プロジェクト援助額の推移の分析を交えて明らかにしている。著者は、2000年の「ミレニアム開発目標」の設定を一つの指標として「貧困削減レジーム」が成立したととらえる。
 本章は3点から貧困削減レジームの実態に迫ろうとしている。すなわち、(1) 「貧困削減レジーム」がどのように形成されたのかを明らかにする。(2)「プロジェクトの氾濫」という認識が途上国全体を対象とする「貧困削減レジーム」へと発展する過程を分析する。(3) 「貧困削減レジーム」の形成により、国際援助システムがどのように展開し、途上国とドナーのインターフェイスが変容したのかを明らかにする。
 第一に、本論文は、政策レベルとオペレーショナルレベルに分けて分析を進める。政策レベルの開発目標が貧困削減であり、オペレーショナルレベルのルールが2005年の「パリ援助効果向上宣言」である。
 第二に、1990年代に「プロジェクトの氾濫」(が援助効果を損ねている)という認識が途上国全体を対象とする援助協調という方式を生み出す。著者は冷戦終結後のODAのプロジェクト金額、件数のデータを集計し、その傾向を把握する。そして「プロジェクトの氾濫」が問題視されたのは、ヨーロッパ援助国で援助の有効性・効率性が重視されるようになったとこととヨーロッパ援助国の援助対象地域であるアフリカでプロジェクト件数が増加したという背景からであると考察する。
 第三に「プロジェクトの氾濫」に対応する援助方式としてセクターワイドアプローチが世界銀行と北欧諸国によって提唱され、それが世界銀行・IMFの主導する「貧困削減戦略書」と結びついてセクターから開発政策全般に拡大され、また援助関係機関全てが関わる援助指針となったという。こうしてプロジェクト援助から一般財政支援への移行が求められ、それに伴ってプロジェクトによる単独型援助からセクター毎の協調援助、開発全般に拡張された開発協調援助へと移行し、援助によるインターフェイスのあり方が一変したのである。
第2章 「「貧困削減レジーム」の実効性」では、まずレジーム概念の整理と国際開発援助体制への適用を検討し、次いで「貧困削減レジーム」の実効性を維持するメカニズムについて先行研究に基づいて検討し、実効程度を高めるための制度について検討している。
レジーム概念の整理と適用では、「貧困削減レジーム」は法的拘束力を持たないソフトローの適用とピアレビュー・ピアプレッシャーにより拘束力を高める仕組みだとする。
貧困削減レジームの実効度を高めるメカニズムについては、各ドナー(援助国・援助機関)が国際開発規範を内面化しているかを検討している。ここでは「内面化」とは個人が社会規範を内部化し、社会規範に従うことという概念を国家に適用したものである。「内面化」を判断する基準としては、方針の表明、取り組み、予算の配分に注目している。EU、「北欧諸国プラス」(北欧4ヵ国にイギリス、アイルランド、オランダを加えたグループ)については貧困削減規範の「内面化」が進んだのに対して日本は進まなかったこと、アメリカは貧困削減を重視する方向に転換はしたものの、同時多発テロに伴う安全保障上の意図からの転換で、パリ宣言に示された援助効果向上への取り組みは進んでいない。
 援助受け入れ国側の貧困削減レジーム実効度については、「貧困削減戦略」等の策定、社会セクタープログラムの策定、貧困削減のための基金の設置等を基準に検討し、実施している国の数が1999年以降急速に増加していることを示している。途上国で貧困削減レジーム受容度の高い国には、貧困国とサブサハラアフリカ諸国が多い。これらの諸国は援助依存度が高く、行財政管理能力が低いと言われる。このように、貧困削減レジームの実効度は途上国全体と言うより、地域限定的であり、貧困削減レジームの形成に積極的な役割を果たしたヨーロッパ援助国と、その主要な援助対象であるサブサハラアフリカ諸国が中心である。
 本章では以上の分析に加えて、「北欧諸国プラス」が統計的に見ても他のドナー(援助国・援助機関)と比べて「貧困削減レジーム」への対応に差異があるのかを知るために、「一般財政支援」の供与についてデータを分析し、「北欧諸国プラス」が援助国となっている場合の方が「一般財政支援」が供与される確率が高いという結果を得ている。また世界89ヵ国について「貧困削減レジーム」実効度で分類したグループごとに「貧困削減レジーム」適用前と適用後の貧困削減率を比較し、貧困削減レジームの受容度の高いグループ(低所得国とサブサハラアフリカ諸国が多い)は貧困削減率が最も低くなっているという結果を得た。
第3章 「「プロジェクトの氾濫」と援助の有効性-経済成長、乳幼児死亡率、初等教育修了率」の目的は、「プロジェクトの氾濫」を伴う援助が、どの程度貧困削減に有効であったかを検討することである。「プロジェクトの氾濫」とは、多数のドナー(援助国・援助機関)が個別にプロジェクト援助を行うことで、それぞれ異なる実施手続きによって非効率的となり、また被援助国の政府に負担を強いて、援助効果が損なわれるという主張であり、「貧困削減レジーム」で克服の対象となった援助方式である。著者は、先行研究の多くは援助が経済成長に与えた影響に関心を持ち、また援助をその種類やセクターによる違いを無視して一括して(例えば援助額を指標として)扱っているという限界があったという。これらの限界を克服するため、本論文は、単に援助の量を指標とするのではなく「プロジェクトの氾濫」に関連づけたモデルを構築し、援助が経済成長に与えた影響だけでなく、保健、教育セクターも対象とする等の工夫を施した。「プロジェクトの氾濫」の要素を反映させるためにプロジェクトの集中度を計測する指標(HHI)を適用するが、先行研究が用いてきた援助額ではなく、プロジェクト件数で集中度を計測した。このように著者は、利用するデータを吟味し、各種の指標から分析している。貧困削減指標が一部の年次しかとれないため、経済成長、保健(乳幼児死亡率)、教育(初等教育修了率)の指標を被説明変数としている。
分析の結果では、プロジェクト援助の集中度が高くなるにつれて経済成長率に正の効果をもつ場合があり、集中度指数は経済成長率とU字の関係にあることが見いだされた(ただし統計的に有意ではない)。また対GDP比援助額は、それがある一定の範囲においてはプロジェクト援助を集中させると経済成長に正の影響を与えることが見いだされ、条件次第でプロジェクト援助の集中は経済成長に正負両方の影響を与えることを明らかにしている。
乳幼児死亡率に関しては、対GDP比保健援助額で計った保健援助依存度が低い国ではプロジェクト援助の集中による乳幼児死亡率の改善には限界があり、保健援助依存度が高いとプロジェクト援助を集中させることによる効果があるという結果を得ている。初等教育修了率に対するプロジェクト援助の集中度の効果は、対GDP比教育援助額で示される教育援助依存度が低い場合は、プロジェクト援助を集中させると初等教育修了率に正の効果があるが、援助依存度が高い国については正の効果が生じる範囲が限られるという結果であった。
このように、経済成長、乳幼児死亡率、初等教育修了率に対するプロジェクト援助の集中度の効果は、被援助国の援助依存度と「プロジェクトの氾濫」の状況によって異なり、よって状況に合わせた取り組みが必要であると著者はまとめている。
 第3章で援助効果を妨げる元凶と言われた「プロジェクトの氾濫」が貧困削減にどの程度有効であったのかを検証したのに対して、第4章「「貧困削減レジーム」の象徴的な援助形態としての一般財政支援の効果と限界」では、援助効果向上のための取組みの象徴的な援助形態である一般財政支援が援助効果向上に寄与し、開発成果を生んだのかを検討する。この検討は2段階の分析で行われる。第一段階として、一般財政支援の予算への影響の分析、第二段階として政府支出の成果への影響を分析する。一般財政支援が入った場合に政府支出の構成がどう変わるかを複数の国の保健支出などのデータを用いて回帰分析をしている。
 第一段階の、一般財政支援が政府の予算に与えた影響については、一般財政支援が政府の保健予算(支出)に与えた効果を,政府歳入と比較して分析した結果、二つの興味深い結果を得ている。すなわち、第一に、所得の低い国では一般財政支援が自主財源よりも政府の保健予算に対して影響が大きいことを示唆する結果である。第二に、対政府向け保健ODAについては、途上国全般、後発開発途上国・低所得国ともにファンジビリティが見られた(政府向け保健ODAが増額されると政府の自主財源による保健予算が減少する)。
 第二段階として、一般財政支援を伴う政府保健予算(支出)が保健指標に与えるインパクトを分析した。一般財政支援によって政府支出が変化すると、保健関係の公共サービスと保健指標がどのように変化するのかについて、予防接種(BCG、麻疹)接種率と妊産婦死亡率、乳幼児死亡率への影響を統計分析した。予防接種についてはBCGと麻疹で異なる結果となり、乳幼児死亡率に関しては有意な結果を得られず、一般財政支援の導入の効果は実証することができなかった。
 このように、一般財政支援は低所得国に対しては、政府予算への影響を示しており、ドナーと被援助国との政策対話の効果を示唆しているものの、予防接種の接種率や妊産婦死亡率、乳幼児死亡率といった保健指標への影響は確認されなかった。一般財政支援の効果は、ドナーと被援助国との政策対話の強化、途上国政府の行政能力、財政管理能力の強化に対してであることを示唆しており、これは先行研究の結果と一致するという。

 第1章から第4章までは国際援助システムについて途上国全体を対象とした分析であったが、第5章から第7章では、タンザニアを事例として「貧困削減レジーム」と援助行政について検討している。
第5章「タンザニアにおける「貧困削減レジーム」と国際援助システム」では、タンザニアを事例として、「貧困削減レジーム」の形成と国際援助システムの変容がタンザニアではどのように発現したのかを跡づけている。これまでの章で、サブサハラアフリカ諸国を中心とする貧困国では「援助効果向上のための取り組み」として一般財政支援やセクターワイドアプローチの導入などが行われてきたにもかかわらず、貧困削減において期待した成果があげられていないことが示された。タンザニアを事例として取り上げる理由は、そのアフリカにおいても、「貧困削減レジーム」の実効性が最も高い国の一つである、すなわち典型であるからである。「貧困削減レジーム」の実効性が高い国でなぜ貧困削減率が低い傾向にあるのか、それをタンザニアについて検討するというのが第5章、第6章の主題である。
まず独立後のタンザニアの歴史的概観が簡潔に示された後、社会主義政策をとっていたタンザニアが1980年代末に世界銀行・IMFの進める構造調整策を受け入れて政策転換を行ったことが説明される。1995年に対タンザニア援助について「ヘレイナー・レポート」と通称される文書が作成され、「プロジェクトの氾濫」が言及された。これを契機にタンザニアでは政府とドナーの間で「援助効果向上のための取り組み」が急速に進展し、「貧困削減レジーム」が形成された。本章ではヘレイナー・レポート策定の1995年から2000年の「貧困削減戦略書」策定、2001年の一般財政支援供与の開始を経て、「タンザニア共通支援戦略書」が議会承認を得た2006年までの時期を対象として、「貧困削減レジーム」の形成、一般財政支援の影響力の背景、「貧困削減レジーム」形成の主導的なアクター分析、援助システムの変容とドナー・グループ間関係の変容を分析している。
ヘレイナー・レポートの策定後2000年までの第一期には、北欧諸国を中心に、プロジェクト援助を主とする単独型援助からセクターワイドアプローチの導入による「協調型」の援助へと移行し、2001年以降の第二期には一般財政支援が導入され、「援助効果向上のための取り組み」を明文化した「タンザニア共通支援戦略書」が承認された。このように、タンザニアの「貧困削減レジーム」の形成は、国際的な「貧困削減レジーム」の形成と連動し、軌を一にしており、タンザニアが「貧困削減レジーム」の典型であることが示されている。
 第6章「「貧困削減レジーム」における政府・ドナーのインターフェイスを通じたタンザニアの援助行政の実態」では、タンザニアにおいて「貧困削減レジーム」体制が構築されるなかで、ドナーが期待した成果をあげることができたのかを検討する。タンザニアは多額の援助を受け取り、かつ「貧困削減レジーム」の実効性がきわめて高い国であるにもかかわらず、ミレニアム開発目標の達成状況はドナーが期待したほどには達成されていない。北欧諸国等を中心とするドナーは、援助効果向上のために援助の予測性を高めることを主張していた。著者は現地調査で中央銀行から入手したデータなどを利用し、ドナーの財政支援、タンザニア財務省から地方政府への交付金の支出などの実態を子細に跡付け、これらが予測が難しい形で支出されていることを明らかにした。また、モデルにより地方自治体の予算執行の進捗率の説明変数を推計したところ、タンザニア財務省も地方政府も「貧困削減レジーム」で想定されるのとは異なる独自の行動をとっている可能性が示された。著者はその理由として、財務省、地方政府は「貧困削減レジーム」に沿った行動をしているように見えることで一般財政支援という予算化された援助資源を獲得できるというメリットがあるからだと推測している。
 第7章「タンザニアにおける援助行政の実態」では、タンザニア政府がドナーとの合意と異なる行動をしている背景を探るために、中国の援助を取り上げ、タンザニア政府の対応を見るという作業を行う。これは中国が欧米の伝統ドナーが構築してきた規範やルールに必ずしも従わず、「貧困削減レジーム」とは異なる援助政策をとっていることから、タンザニア政府が別の顔を見せる可能性があるからだ。
 著者はタンザニアでの現地調査で行ったインタビューなどに基づき、中国の援助の特徴とタンザニア政府の対応をまとめている。世界銀行や北欧プラスを中心としてドナーの援助協調や調和化が進む中で、中国はこれに参加しておらず、『タンザニア共通支援戦略書』とは全く整合性のない援助を展開している。それにもかかわらず、タンザニア政府は中国の援助を歓迎し、「援助効果向上のための取組み」に逆行するような要望も受け入れている。なぜこのような対応が見られるのか、著者は、政治家は多様なチャンネルの援助を求めていること、財務省は一般財政支援を歓迎しているが、政府全体としてみれば、現業省庁はプロジェクト援助をも望んでいたり、「援助効果向上のための取組み」はドナー主導で行われたもので、それ以外の援助アプローチも歓迎していることなどの情報を得て、タンザニア政府が一枚岩ではないと説明している。
 またヨーロッパのドナーが主導した「貧困削減レジーム」における援助は社会部門(保健、教育など)に偏っており、タンザニア政府はそれ以外の部門の開発を望んでいるところから、そこに新興援助国となった中国が活動する空間が生まれたと著者は見る。タンザニア政府は従来からのドナーの提唱した「貧困削減レジーム」を受容し、同じ考えを共有しているかのように振る舞いつつ、新興援助国である中国の登場による新たな資源獲得の機会に応じて、その受け皿を巧みに構築し、開発援助資源を確保したと見ている。
 結章では、本論文の分析の結果見出された発見が列挙され、また限界、課題が4点にわたって挙げられている。

3.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果は、冷戦後の1990年代に形成され、2000年以降国際開発援助の言説や政策で主流となった、貧困削減を主目標とし、それを援助協調によって達成しようとする「貧困削減レジーム」について、その形成の状況、実効性の程度、貧困削減の成果の達成度を、膨大なデータの統計学的分析、検討を通じて明らかにしたことである。一般財政支援供与、貧困削減レジーム受容度と貧困削減、プロジェクト援助の集中度と経済成長、教育、保健の指標との関係など多数の統計分析を、先行研究における不十分な点を克服するように工夫しながら、また有意、内生性などを検定しつつ、丁寧に行ったことは評価したい。また分析の結果として、プロジェクト援助の集中や一般財政支援の供与が、経済成長や貧困削減、保健指標などに与える影響や効果は単純なものではなく、当該国の所得水準、援助依存度などの条件によって異なることを見出した点もこの分野の研究に貢献するものと評価できる。
 本論文の第二の成果は、対タンザニア援助について、現地調査におけるインタビューも含め、貴重なデータや情報を収集し、それを元に援助協調や中国の援助に対するタンザニア政府の対応など、最近の動向を明らかにしたことである。特に北欧諸国プラスを中心に「貧困削減レジーム」を支える精緻な政策対話の仕組みや『共通支援戦略書』が策定されるに至った経緯や、その「優等生」とも言えるタンザニア政府が、中国の出現で別原理の中国の援助を積極的に受け入れてしまう様を描き出しているのは興味深い。ただ、ここで提示されている著者のタンザニア政府の行動の解釈については、さらに理論的検討や経験的調査を通じて深める必要があると考えられる。
 本論文の問題点としては、以下のような点が挙げられる。
 第一に、本論文は経済的、統計学的分析においては多くの分析を重ねて厚みがあるが、国際援助システムについての国際関係論的な研究やタンザニアについての政治学的分析は手薄であり、物足りなさを覚える。上述したタンザニア政府の中国に対する対応の解釈や後述するインターフェイスの説明も含めて、政治学、社会学、人類学などの知見や方法で補強することによって、本研究が深化や広がりを得られる余地があると考える。
第二に、本論文は「貧困削減レジーム」の達成度を評価しようとしているが、同レジームが二つの異なる目的あるいは目標を持つとされているために、目的が達成されたかどうかの評価が紛らわしいものになっている。同レジームは政策レベルでは「ミレニアム開発目標」を貧困削減の目標あるいは指標とし、オペレーショナルレベルでは「パリ援助効果向上宣言」を目標として掲げているとされる。しかし前者は結果であり、援助が投入された結果として貧困削減が進んだかどうかが問われる。これに対して、後者は援助の投入の方法及び効率に関するものである。両者は一義的な関係にはなく、援助の投入方法が改善されたからといって貧困削減が進展するとは限らない。またミレニアム開発目標は、開発全般を対象としたものであり、特定のセクターだけ、あるいは援助だけを対象にしたものではない。本論文中においては、少なからず、この二つの異なる目的が同列に議論されるために、議論がわかりにくくなっている。
第三の不十分な点はインターフェイスについてである。インターフェイスはドナーと被援助国が開発戦略や援助アプローチを巡って交渉する場とされ、インターフェイスに着目する点が本論文の新規性、独創性の一つとされている。しかし本論文では具体的な「交渉」の中身や「場」の持つ力などの検討は不十分で、明らかにされているのは、プロジェクト援助からセクターワイドアプローチ、さらに貧困削減戦略書・一般財政支援の導入に伴うインターフェイスの形態や参加者の変化であり、いわば形式上の変化を指摘するにとどまっている。第7章において「インターフェイスの多様性と柔軟性」が指摘され、「貧困削減レジーム」は「脱政治化された」閉じた狭い空間で行われているが、中国との援助のインターフェイスはその外側で行われているという興味深い議論が提示されており、この点が「貧困削減レジーム」の分析に立ち戻って検討されていれば、より広がりのある考察が展開できたのではないかと考える。
ただし、こうした問題点は、古川氏自身もすでに自覚しており、今後の課題として、さらに研究を進めて行くことが期待される。またこれらの問題点は、本論文の価値を著しく大きく損なうものではない。

4.結論
以上の評価から、審査員一同は、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績であると判定した。

最終試験の結果の要旨

2014年3月13日

 2014年1月22日、学位請求論文提出者古川光明氏の論文についての最終試験をおこなった。試験においては審査委員が、提出論文「国際援助システムの展開とアフリカ援助行政の実態:ポスト冷戦期における「貧困削減レジーム」を中心に」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、古川光明氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員会は、古川光明氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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