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博士論文審査要旨

論文題目:グローバル時代における「ルーツ」意識の変化とエスニシティの再構築―1980年代以降における在日韓国・朝鮮人の経験を事例に―
著者:金 知榮 (KIM, JiYoung)
論文審査委員:町村 敬志、伊藤 るり、小林 多寿子、イ・ヨンスク

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一、本論文の構成
 本論文は、在日韓国・朝鮮人を対象に、日本国内における法的地位の変化や「韓流」ブームなどを経験した1980年代以降において、その「ルーツ」意識やエスニシティのあり方がいかに変化してきたのかを、独力で実施された二度にわたる質問紙調査と多数のインタビュー調査をもとに解明することをめざす作品である。
国民国家の在り方が変化しているグローバル化時代において、「ルーツ」は移動者の行為をいつまで、またどのくらい規定していくのか。在日韓国・朝鮮人をめぐる研究においては、近年、そのアイデンティティの多様性・重層性について、世代論や差別を含む社会関係論の視角から細密な検討がなされることが多かった。しかし日本での定住化が進み、世代を重ねるなかで、なぜ「ルーツ」は人びとの(自己)認識において意味を持ち続けるのか。このもっとも基本的な問いは、当然すぎる点として、従来の研究ではあまり問われることはなかった。だが、移民定住の長い歴史をもつ北米では、こうした問いはエスニシティの変容論という形をとりながら、現在に至るまで研究の最先端を形成してきている。
本論文は、日本国内外のエスニシティ研究の先端的知見を取り入れつつ、グローバル化状況における「ルーツ」問題の再構成という新しい課題を、1980年代以降の在日韓国・朝鮮人の経験を対象に、多様な調査資料をもとに検討することを試みる。本論文の構成は以下の通りである。

I 序論: 先行研究と本論文の課題
I.1 問題提起
I.2 理論的背景
I.2.1  構築主義的観点が登場するまで
I.2.1.1  ホスト社会が描いた移動者の「望ましい」未来:同化論、象徴的エスニシティ論
I.2.1.2  道具としてのエスニシティ:道具主義、状況主義
I.2.1.3  同化論の方向性を問いなおす:エスニシティ論の分岐
I.2.2  構築主義的観点がもたらした知見
I.2.2.1  環境に対する応答としてのエスニック認識
I.2.2.2  集団主義(groupism)を超えるエスニシティ論
I.2.3  在日韓国・朝鮮人論にみる「ルーツ」意識
I.2.3.1 1世からみた2世、2世からみた1世
I.2.3.2 2世と3世における「ルーツ」と「定住問題」:1980年代~1990年代
I.2.3.3 「韓流」経験がもたらした「ルーツ」意識の変化:2000年以後
I.2.4  構築主義的観点の限界を越えていくために
I.3 研究課題
I.3.1  「ルーツ」の概念について
I.3.2  「コミットメント」の概念について
I.3.3  「時間性」と「時代性」というテーマ
I.4 研究対象
I.4.1  形成期:1900年代から1944年まで
I.4.2  帰国と定住の共存期:1945年から1970年まで
I.4.3  世代交代と定住意識の固着期:1970年代から1990年代まで
I.5 研究方法
I.5.1  「在日韓国・朝鮮人の『韓流』接触状況に関する調査」
I.5.2  「在日韓国・朝鮮人の呼称に関する調査」
I.5.2  「在日韓国・朝鮮人の呼称に関する調査」
I.6 論文の構成

II 経験的事実としての定住から法的事実としての定住へ
II.1 1980年代はいかなる時代だったのか
II.1.1 法制度における「国際化」プロセス
II.1.2  変化する人口構成
II.1.3  1980年代における在日韓国・朝鮮人の経済的地位
II.1.4  1980年代における在日韓国・朝鮮人の意識
II.2 「定住外国人」として生きる道の模索
II.3 働く問題にみる「在日化」のプロセス: 在日2世による1980年代についての語りを通して
II.3.1  問題の所在
II.3.2  Aさん:「祖国」と統一化された自己からの脱皮、そしてみえてきた日本
II.3.3  Bさん:兄から受けた影響を出発点にして
II.3.4  個人の「努力」の問題
II.3.5  在日社会や世代間の葛藤
II.4 小括:「在日化」、世代と時代をともに生きる

III マス・メディアを介した「祖国」との出会い
III.1 「祖国」文化を浴びる
III.1.1  2000年以降の日本メディア環境の変化
III.1.2  マス・メディアがナショナル/エスニック意識に及ぼす影響
III.2 「観る」行為から捉える「韓流」
III.2.1 回答者の構成
III.2.2 「韓流」がもたらした「祖国」との出会い
III.2.3 2003年と2008年における韓国メディア・コンテンツとの接触頻度の変化
III.2.4 ブームとしての「韓流」経験と「祖国」文化としての「韓流」経験
III.2.5 「韓流」メディアとの接触頻度の類型にみる「韓流」への評価
III.3 小括:「ルーツ」への感覚を喚起させる時代へ

IV 定住の時代に生まれた世代の「ルーツ」感覚
IV.1 「個」としての自己:「共有」された記憶と「経験」される現実の間で
IV.2 「エスニック」としての自己:「極端」の状況を想定しながら生きるとは
IV.3 小括

V 認識における「Routes」 表現手段としての「Roots」
V.1 在日韓国・朝鮮人における呼称論争
V.2 呼称選択範囲に現れる個人の「ルーツ」意識
V.2.1 回答者の構成
V.2.2 集団呼称の知識とこれまで自分を表すために使ったことのある呼称
V.2.3 呼称への知識や呼称使用に影響を及ぼす要因
V.2.4 クラスタによる呼称の「選択」範囲
V.3 「ルーツ」への「コミットメント」が呼称選択に及ぼす影響
V.3.1 「コミットメント」類型
V.3.2 「コミットメント」類型による「収斂」された呼称
V.4 小括

VI 結論: グローバル時代における「ルーツ」意識とエスニシティの再構築

参考文献
APPENDIX
在日韓国・朝鮮人の「韓流」接触現況に関する調査のプロセス
在日韓国・朝鮮人の「韓流」接触現況に関する調査: 調査依頼状・調査票(単純集計)
在日韓国・朝鮮人の呼称に関する調査のプロセス
在日韓国・朝鮮人の呼称に関する調査: 調査依頼状・調査票(単純集計)
ABSTRACT
謝辞

二、本論文の概要
 
はたして「ルーツ」は、移動者の行為をいつまで、またどのくらい規定していくのか。植民地化の歴史、戦後日本における差別的処遇、そして国籍保持といった事情を抱える在日韓国・朝鮮人の場合、「ルーツ」の存在は、一方で、長い時の流れを経ても「自明」のものとみなされてきた。しかしそうした状況にあっても、現実には日本での定住化が進み、世代が重なるなかで、「ルーツ」は否応なく遠くなっていく。従来、在日韓国・朝鮮人をめぐる研究の主流においては、こうした両面的な条件によって引き裂かれるなかで、人びとのアイデンティティがいかに重層的に、また多様な形で変容していくかについて、精密な事例分析が進められ、多くの成果が蓄積されてきた。 
しかし、そもそも、国民国家の在り方が変化しているグローバル化時代において、「ルーツ」は移動者の行為をどのくらい、またどの程度規定していくのか。国境を超える人・モノ・情報・資金の移動が飛躍的に拡大し、インターネットやツーリズムを含めた新しい越境的な関係構築の基盤が拡大していくなかで、移動者とその子孫にとっての「ルーツ」は、一方でその特権的な位置を低下させていく可能性がある。しかし他方で、新しい情報環境は、遠ざかる「ルーツ」との再会や出会いを容易にし、そこに新しい「ルーツ」意識を生成させる可能性も生まれている。
本論文における著書の基本的関心もここから出発する。1980年代以降、在日韓国・朝鮮人は、日本社会のグローバル化にともなう外国籍住民の急増、それにともなう外国人の法的地位の一定の改善、そして「韓流」ブームといったさまざまな出来事を体験してきた。こうした一連の変化が、在日韓国・朝鮮人のエスニック・アイデンティティにどのような影響を及ぼしてきたのか。この点を、実証的な視点から解明することをめざす。
 以下、本論文は、6つの章から構成される。
「I 序論:先行研究と本論文の課題」では、1980年代以降における在日韓国・朝鮮人のエスニック変容をとらえるための理論的課題と方法が検討される。ここで著者が着目するのが、移動者とその子孫の「ルーツ」問題について長い歴史をもつ北米における研究の軌跡である。そこでは当初、移動者とその子孫は時間を経る中でホスト社会へと統合されるという、同化論が支配的であった。しかし同化論の想定に反し、移動者とその子孫たちのエスニック意識はしばしばリバイバルを経験してきた。こうした現象をどのように説明するか。ここから引き出されてきたのが、「(エスニシティの)構築主義的観点」である。エスニシティとは、環境の変化に対応した主体がその変化を解釈し多様な形で応答をしていくなかでその都度構築されていくものである。検討の末、著者もこうした立場を基本的に採用する。加えて、一度構築されたエスニックな意識が、時間を超えて「持続」させられていくプロセスを論ずるべきことを著者は主張する。
在日韓国・朝鮮人をめぐる議論では、1990年代、エスニック・アイデンティティの多様化論という形でおもに研究が深められてきた。しかしその後、外的環境の変化として、「韓流」ブームが2000年代に入って起こる。その一方で日本における定住化は進行し続ける。情報や資本の越境、ツーリズムを含む移動体験が飛躍的に増大するなか、はたして「ルーツ」意識は変化したのか。こうした課題に答えを出すため、以下本論文では、第一に外的環境の変化としての「韓流」ブームへの対応、第二にホスト社会と「ルーツ」との関係を表示する実践としての「集団呼称」の選択問題、という2つの主要課題に取り組むことが示される。
転換点は1980年代であった。「II 経験的事実としての定住から法的事実としての定住へ」では、この80年代を対象に、世代交代に直面した在日韓国・朝鮮人が、日本の「国際化」という変化のなかで自らの「ルーツ」に関する意識を分岐させていく過程が論じられる。他の外国籍住民が急増するなかで在日韓国・朝鮮人の法的・経済的地位は、多くの努力と労苦を経て、部分的にではあるが改善に向かう。しかしこのことは、「祖国志向」の強かった世代から次世代への移行とも相まって、在日韓国・朝鮮人の間に「定住」のかたちをめぐる模索という新たな課題をもたらす。学校や職場を含め日本社会により深く参入する機会が増えるにつれ、「在日」としての「可視性」を体感する場面はむしろ増加する。結果的に個人として「ルーツ」問題に改めて向き合わざるを得なくなる。80年代当時に就職活動を体験した当事者の語りは、これらの過程を浮き彫りにしている。
 つぎに在日韓国・朝鮮人が出会うことになる外的環境の大きな変化、それが2003年以降における「韓流」ブームであった。「III マス・メディアを介した「祖国」との出会い」は、人びとがメディアを通じ「「祖国」文化を浴びる」体験に突如直面するなかで、そのエスニック意識や行動をどのような変化させていったのかを具体的に検討する。この課題に応えるため、著者は、「在日韓国・朝鮮人の「韓流」接触状況に関する調査(以下、韓流調査)」を、その企画、対象選定、実査、分析に至るまでを独力で担当した。2008年7~8月に実施された質問紙調査では、在日韓国・朝鮮人の多様性を踏まえた上で291票が配布され、123票が回収された(回収率42.3%)。「韓流」ブームのもとで、人びとは韓国メディアのコンテンツに接触する度合をどのように変化させたのか。ブームが始まった2003年と調査時点の2008年の2時点におけるコンテンツ接触頻度を組み合わせた上で、著者は、4つのタイプが実際に存在することを発見する。「接触増加型」「高接触安定型」「低接触停滞型」「接触低下型」がそれである。この類型とエスニック意識との関連をみたところ、「接触増加型」「高接触安定型」では、在日韓国・朝鮮人としてのエスニック意識が喚起された層や在日韓国・朝鮮人との連帯が強まった層が、他の型よりも多い。またとくに「接触増加型」層には20代以下で民族学校の経験をもたない女性が多く含まれている。全体として言えることは、「韓流」ブームは選択的な形ではあるが、確かに人びとに「ルーツ」の感覚を喚起させていったという事実である。とりわけ、「祖国」文化の接触は「ブーム」として一過性で終わるのではなく、「下位文化」として定着しつつあると著者は指摘する。
 ただし、「ルーツ」感覚は単純に喚起されて終わりというわけではない。「IV 定住の時代に生まれた世代の「ルーツ」感覚」において著者は、「ルーツ」問題がさらに別の緊張を引き起こしていく過程を、聴き取りの分析を通じて明らかにする。確かに「ルーツ」意識は「韓流」ブームなどによって強められ、日本社会における在日韓国・朝鮮人の「可視性」も高まっていく。定住化が進む中で、「個」の水準では「在日韓国・朝鮮人」でありつつ、同時に日本社会の構成員でもあることに疑問をもたない世代が増加する。だがそれゆえにこそ、在日韓国・朝鮮人の若年層にとって、自らの世界と日本社会の間には新たな境界が浮かび上がってくる。日本と「祖国」の間にもし緊張関係が生じたとき、「可視化した存在」としての在日韓国・朝鮮人は「エスニック」な存在として再び排除の対象となるのではないか。こうした不安が存在することを、著者は明らかにする。「韓流」ブームが象徴するように「ルーツ」意識は個人の選択によって再生されうる。しかし、そうしたエスニックな自己に遭遇する文脈自体は、個人によってコントロールできない領域になお属している。
 「V 認識における「Routes」 表現手段としての「Roots」」では、在日韓国・朝鮮人による「集団呼称」(たとえば「在日朝鮮人」「在日韓国・朝鮮人」「在日」等々)の問題が取り上げられる。自らをどのような「集合的存在」として名指すか。この過程は、「ルーツ」をめぐる社会的ラベリングと「個」としての選択がもっとも鋭く切り結ぶ瞬間であると同時に、誰もがもっとも日常的に直面するエスニック体験でもある。在日韓国・朝鮮人の集合呼称研究ではその歴史的意味やアイデンティティ表出という面に従来議論が集中してきた。これに対して著者は、過去の議論を踏まえつつも、呼称が実際にはコミュニケーションのツールとして場面により使い分けられていることに着目する。その上で、集団呼称の選択過程、「韓流ブーム」以降の変化などを明らかにするため、「在日韓国・朝鮮人の呼称に関する調査(以下、呼称調査)」(2012年)を独力で企画・実施した。多様な層をカバーする形で対象とされた計492人中、167人(33.9%)から有効調査票が回収された。その結果、半数の人が10個から14個という多数の集合呼称を知っていること、また7割を超える人が3つ以上、半数が5つ以上の集合呼称を実際に使ったことがあることが分かった。詳細に分析をすると、知っている呼称も使ってみた呼称も多いグループ(クラスタ1)、知っている呼称は多いが使う呼称は少ないグループ(クラスタ2)、そして知っている呼称も使う呼称も少ないグループ(クラスタ3)に、全体は分かれる。そしてこうしたグループの分岐が、世代のような伝統的要因より、在日団体参加やメディア接触など本人にとって「選択」可能な条件と強く関連していることを著者は克明に明らかにした。
 「VI 結論:グローバル化時代における「ルーツ」意識とエスニシティの再構築」では、本論文を振り返った上で、2000年代以降のメディア状況の変化の下で、在日韓国・朝鮮人の「ルーツ」意識は確かに再構築されたと著者は結論づける。ただしその再構築の過程は、人びとの個的な条件・選択によって規定されながら、異なるいくつかのパターンに接続され、新しい「持続」の道を踏み出しつつあることを、著者は示唆する。エスニックな存在としての「自己」を肯定的に受け入れ「自然に」それを表出していく経験は確かに増しつつある。ただし、そこでの「ルーツ」は、政治的な状況もあって「韓国」に限定される。また、個人のコミットメントによる「ルーツ」意識の再構築が進むとしても、その基盤にある「祖国」イメージ自体は「日本からまなざし」に立脚したものであり、韓国・朝鮮と日本の間のさらなる状況変化に対する脆弱性をもつと、著者は指摘する。


三、本論文の成果と問題点
 
本論文のおもな成果は次の3点に要約することができる。
 第1に、在日韓国・朝鮮人の「ルーツ」意識をめぐる研究において、グローバル化のインパクトを含む新しい変化の方向性に関し、本論文が、独自調査の結果をもとに、分析上の大きな一歩を踏み出したことの学術的意義をまず指摘しなければならない。日本国内の「在日」研究においては、1990年代に福岡安則らによってエスニック・アイデンティティの多様化論が提起されて以降、アイデンティティの重層化や変容についての事例研究が
多数蓄積されてきた。しかし、その後のグローバルな変動を含む広範な状況変化がもたらした影響を射程にいれつつ、在日韓国・朝鮮人のエスニック意識全体の新たな変容を骨太に検討することを試みた仕事はまだほとんどない。この新しい課題に取り組むため、著者は、移動者とその子孫の「ルーツ」問題について長い研究史をもつ北米を中心に、エスニシティの変容と再生に関する理論を渉猟した上で、個人のコミットメントの側面を重視する分析枠組みを構築し、それを在日韓国・朝鮮人の事例に応用した。これにより国際的な比較への視点が開かれたことも評価に値する。
 第2に、独自の問題意識に基づく課題を、質的調査のみならず量的調査をも含めた総合的な視点から探究しようとした点は、この分野の実証研究として傑出している。著者は、本論文の出発点となる問題意識や課題を、参与観察やインタビューを中心とした事例調査の中で認識するに至った。すでに述べたように、アイデンティティの重層性や変容を探る従来の研究は、日本の場合、相対的に少数の特徴的な事例を質的に掘り下げることによって追究され、大きな成果を残してきた。しかしながら、特徴的な経験内容が所与の主体カテゴリーと十分な検証なしに結びつけられるとき、個人についての印象的な「物語」が集団全体の「物語」へと無造作に拡張されてしまう危険性があることは否定できない。著者は、関係団体への参与や聴き取り調査と並行して、在日韓国・朝鮮人研究ではなかなか実施の難しい質問紙調査という困難な手法をも用い、一定規模の事例を集めることをめざした。これにより、「ルーツ」をめぐる個人レベルの意識・行為・態度の間にどのような新しい連関の形と幅が生まれているのか、またそれらはどのような属性と連関しているのかについて、他では得られない結果を発見することが可能になった。
 第3に、個別的な発見や指摘のなかで評価すべき点は少なくないが、とりわけ呼称についての分析は、質問文の設計の緻密さと実査の手続きの周到さも相まって、興味深い優れた内容を多数含んでいる。たとえば、多数の集合呼称を知っていて、かつ多数の集合呼称を自身に関わって使用したことがある層(「クラスタ1」)が、なぜ特定の「名称」へと呼称を収斂させず、あえて「選択」という実践を試行し続けているのか。呼称選択における揺らぎを説明する要因として本論文は、多様な呼称選択がコミュニケーションの文脈に依存すること、とりわけ、それが対「日本社会・日本人」という文脈で試行されるだけでなく、むしろ在日韓国・朝鮮人という同じエスニック集団内における関係性との関連で実践されている可能性を、データと聴き取りから指摘する。日本人と在日韓国・朝鮮人という素朴な対比を超え、より力動的で柔軟な境界とカテゴリーの形成が進みつつことを本論文は、豊富なデータとともに明らかにしている。

 以上のように本論文は、在日韓国・朝鮮人研究、そしてエスニシティ研究の世界に新しい領域を切り開くオリジナルな作品として高い評価に値する。しかし、残された課題がないわけではない。 
 第1に、本論文全体の方法論に関わる表現として使用されている「構築主義的観点」という用語について、誤解を招きやすい点、またその意義が逆にまだ十分に生かされていない点があることを指摘できる。著者による「構築主義」は、北米におけるエスニック研究の系譜において、環境の変化に対応した主体がその変化を解釈し多様な形で応答をしていくなかでエスニック・アイデンティティを変容・再生させていく過程を理解するため、「環境(決定)主義」との対比で使用された概念に起源をもつ。他方で、社会学においては、本質主義と対置される意味で社会を絶えざる認知や認識を通じて動的に再構成される過程とみなす理論的立場として、構築主義という用語が一般に使用される。本論文による「構築主義」も、社会学的構築主義の影響下にはあるものの、しかしそのねらいは異なっており、原語の違いも含め、より注意深い表記が必要であった。また、本論文において、著者のエスニシティ理解がときに本質主義的な響きをもつことがあることも指摘できる。この点に関連し、調査者自身の「立場性」という問題も、今後さらに注意深く取り扱うことが必要である。
 第2に、グローバル化における「ルーツ」意識の変容とエスニシティの再構築は、本論文も各所で指摘するように、日常生活の個別的な場面においてゆるやかに、しかし同時に多くの分岐をともないながら進行している。本論文はこうした微妙な過程を、多様なデータを用いて手堅く説明している。ただし、その説明がやや機械的な結果記述にとどまっている点は惜しまれる。本論文は実際には、結果の解釈を行う上で、関連したインタビューや参与観察で得られた「語り」の資料を多数活用しており(多くは脚注に配置されている)、それらは本論文の魅力ともなっている。在日韓国・朝鮮人の場合、質問紙調査の実施とはいっても、もともと利用可能な公開の名簿などは存在しない。しかも、特定の団体や世代に限定することなく幅広い範囲を対象に、立ち入った内容の調査を実施するためには、独自のネットワークを事前に形成し、かつ調査者としての信用を相手から得ておく必要がある。2度にわたる独自の質問紙調査は、著者の5年以上に及ぶ地道な団体参与や聴き取りの実績があって初めて可能になったものであった。したがって本論文は、もともと量的調査と質的調査の融合によって達成された作品だといえる。こうした由来と成果をより生かした記述・分析が今後期待される。
第3に、1980年代に焦点を絞った本研究の結果を、在日韓国・朝鮮人と日本社会との間のもう少し長い関係史のなかに置き直したとき、さらに奥深い読みも可能になる。著者は本論文で、在日韓国・朝鮮人が、以前の「分離」状態から80年代以降は日本社会により深く参入するようになり、それゆえに民族性がむしろ「可視化」されて「ルーツ」の再認識が起きたという経路を強調する。しかし、80年代以前、より多くの在日韓国・朝鮮人が「通名」を使用していた時期、人びとは息を潜めながらもむしろより「近い」場所で日本社会に組み込まれていたともみられる。これと比べれば、80年代以降は、在日韓国・朝鮮人と日本社会との間に「すき間」をもてるようになった時期だとみることもできよう。また選択やコミットメントは確かに個人的な契機の拡大を意味するが、しかし、選択やコミットメントがそのまま主体の能動性を意味するとは限らない。著者が参照するBeckerも指摘するように、コミットメントには、進んでコミットするという能動性と、他との比較考量のなかでコミットするしかないという非能動性の両面がしばしば含まれている。本論文はコミットメント概念の両面性をまだ十分に生かしきっているとはいえない。以上のような疑問を引き出すことを可能にしたのは、本論文の成果ゆえだということを忘れてならないが、しかし、考察すべき課題はなお残されている。  
おしまいに、本研究の今後のさらなる進展に寄せる審査員一同の期待について触れておきたい。日本国内における在日韓国・朝鮮人研究がときに日本の内部だけで完結した議論として展開する傾向があるなかで、著者が、在日韓国・朝鮮人の経験自体のグローバル性を念頭に置きながらより一段広い視野から課題を探求しようとした、そのねらいと意欲は、本論文の大きな特徴であり、また最大の意義の一つでもある。ただし時間的制約、そしておそらく時期的制約もあって、その高い目標を達成するために作成・収集された資料・調査結果を、本論文はまだ完全に生かしきってはいない。また、表現として未成熟な部分が残されていることも事実である。ただし以上指摘してきた点は、すでに著者も深く自覚するところであり、今後の研究の進展に期待したい。
本論文における主要な調査が終了した後、日本と韓国の間の関係は再び大きく変化をした。個人のコミットメントによる「ルーツ」意識の再構築過程が、さらなる状況変化に対して、どのような応答を示し、そこにいかなる新しい関係性が作られていくのか。本論文が示した課題と分析の方向性は、理論的側面はもちろん「実践的」側面においても、ますます意義を増すものと思われる。

 以上、審査委員会は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2014年2月12日

 2014年1月8日、学位論文提出者金知榮氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「グローバル時代における「ルーツ」意識の変化とエスニシティの再構築―1980年代以降における在日韓国・朝鮮人の経験を事例に―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、金知榮氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は金知榮氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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