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博士論文審査要旨

論文題目:日本の若者と雇用システムの国際化―オーストラリア・ワーキングホリデー制度利用者の事例研究―
著者:藤岡 伸明 (FUJIOKA, Nobuaki)
論文審査委員:渡辺 雅男、西野 史子、町村 敬志、小林 多寿子

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一、本論文の構成
 本論文は、オーストラリアのワーキングホリデー制度を利用する日本の若者についての事例研究である。本研究の背景には、日本の若年ノンエリート層が自らの閉塞状況に対する打開策あるいは対処法として海外長期滞在という選択枝を積極的に利用しているという現状があり、また、そうした選択肢を選んだ彼らが日本企業の海外進出に伴い現地で必要とされる日本人労働力を低賃金・非正規で提供しているという状況がある。日本の若年労働者を国外に押し出しているプッシュ要因と、国外に移動した彼らを日系の商業・サービス業が再び引き寄せているというプル要因とがワーキングホリデーという制度的枠組みを背景に国境横断的な雇用システムを成立させていると考えられる。この構図を解き明かそうというのが本研究の狙いである。
 そのために著者はオーストラリアと日本でフィールドワークを行い、オーストラリアでは、現地に滞在する日本人のワーキングホリデー渡航者に対するインタビュー調査、日本食レストランと観光施設における参与観察、留学・ワーキングホリデー斡旋業者の調査(資料収集とインタビュー)、日本人が主体となって活動しているサークルの調査(参与観察とインタビュー)を行い、日本国内では、留学・ワーキングホリデー斡旋業者へのインタビュー調査と、エリート層に属する日本の若者へのインタビュー調査を行った。
本論文の構成は以下の通りである。

はしがき
目次
オーストラリア概要
序章 若年海外長期滞在者を考察する意義
  はじめに
  第1節 若年労働市場の変化とキャリアの脱標準化
  第2節 閉塞状況に対する対処法・打開策
  第3節 日本企業の海外進出と海外長期滞在者の多様化
  第4節 本稿の課題・構成・調査

第1部 ワーキングホリデー制度-理念、運用、利用者の概要
第1章 ワーキングホリデー制度と日本人利用者の概要
  第1節 ワーキングホリデー制度の理念と歴史
  第2節 ワーキングホリデーの魅力と肯定的イメージ
  第3節 ワーキングホリデーの問題点と否定的評価
  第4節 制度利用者の概要
  まとめ
第2章 豪州ワーキングホリデー制度と日本人利用者の概要
  第1節 豪州ワーキングホリデー制度の運用状況
  第2節 日本人ワーキングホリデー渡航者の概要
  第3節 豪州ワーキングホリデー制度の問題点
第1部のまとめ

第2部 閉塞状況への打開策・対処法としての海外長期滞在
第3章 豪州ワーキングホリデー制度の利用者増加を促進する諸要因
  第1節 分析枠組み
  第2節 プッシュ要因
  第3節 プル要因
  第4節 媒介要因
  まとめ
第4章 ライフヒストリー分析(1)キャリアトレーニング型・キャリアブレーク型
  第1節 考察対象者の選定
  第2節 キャリアトレーニング型
  第3節 キャリアブレーク型
  まとめ
第5章 ライフヒストリー分析(2)キャリアリセット型
  第1節 ライフヒストリー
  第2節 考察(1)「価値ある移動」としてのワーキングホリデー
  第3節 考察(2)階層的戦術としてのワーキングホリデー
  まとめ
第2部のまとめ

第3部 日系商業・サービス産業と国境横断的な雇用システム
第6章 日本企業の豪州進出と就業機会の増大
  第1節 日本企業の豪州進出と日本人向けビジネスの成長
  第2節 現地消費者向けビジネスとしての日本食産業
  第3節 メルボルン日本食産業の発展と就業機会の増大
  第4節 ケアンズ観光業の発展と就業機会の増大
  まとめ
第7章 日本食産業における就業状況
  第1節 ワーキングホリデー渡航者から見た日本食産業
  第2節 日本食レストラン「瑞穂」の概要
  第3節 仕事そのものを通じて評価が向上するメカニズム
  まとめと考察
第8章 日本人向け観光業における就業状況
  第1節 トリニティ・リバーズにおける就業生活
  第2節 就業・生活環境を改善するための実践
  第3節 経験に意味を付与する実践
  まとめと考察
第3部のまとめ

終章 まとめと展望
  第1節 本論のまとめ
  第2節 豪州ワーキングホリデー制度利用者を取り巻く国境横断的な雇用システム
  第3節 課題と展望

補章1 インタビュー調査について
補章2 日豪関係史の概略
参照文献
付録1 インタビュー対象者一覧
付録2 関連統計資料
謝辞


二、本論文の概要
 三部構成の本論文の冒頭、本格的な問題の検討に先立って「若年海外長期滞在者を考察する意義」が述べられている。1990年代以降に生じた若年労働市場の変化により若者たちの間でキャリア(=職業経歴)の脱標準化が進み、若年層の内部に不均質性と階層性が発生した。ノンエリートの海外長期滞在者に焦点を当てることの意義は、こうした労働市場の構造的な変化のなかで生まれている若年層の選択的行動をあくまで構造化された国際移動の一環ととらえることにある。
第1部は、ワーキングホリデー制度の包括的な検討である。まず第1章で、ワーキングホリデー制度とその日本人利用者についての一般的な検討が行われる。二国間の協定により両国の若者に1~2年の長期滞在と滞在中の就労を認めるこの制度は、日本人利用者に対しては「海外生活の夢」の実現という魅力的で肯定的なイメージを与える一方、現地で生活上のトラブルに巻き込まれるといった問題点を含むものでもある。日本人利用者の多くがノンエリート層に属すこともこれまでの調査で明らかになっている。
つぎの第2章では、オーストラリアに焦点を当ててこのワーキングホリデー制度と日本人利用者の検討が行われる。オーストラリアでは、この制度が90年代以降急速に発展・普及したが、それは、この時期から同制度がオーストラリアの観光業や留学産業や農業といった分野で低賃金労働力の調達手段としての性格を強めつつあり、とくに80年代以降、この制度を利用した日本人渡航者が現地で大量の低賃金労働力を提供し、日系商業・サービス業の下支えを行っているからである。
 第2部では、制度を利用する日本の若者が置かれた閉塞状況と、それへの打開策ないし対処法として海外長期滞在という選択枝について検討される。
第3章は、日本の若者が閉塞状況への打開策・対処法としてワーキングホリデー制度を利用している現状を考察する。制度利用者が増加した背景には、さまざまな要因の絡み合いと広範な社会的変容とが存在しているが、なかでも基底的な要因として著者が注目するのは、日本経済のグローバル化、とりわけ日本企業の海外進出とグローバル競争への対応策として進められている労働市場の流動化である。日本の若者の国際移動の多様化がこのような環境下で進展していることを著者は強調する。
第4章と第5章は、制度利用者のインタビュー調査を踏まえ、彼らのライフヒストリーを記述する。とくに、ここで著者が注目するのは、渡航動機と渡航までの経緯、そして、渡航後の就業状況との係わり合いである。著者はキャリアとの接続関係を軸にワーキングホリデー渡航者を四つの類型に分類し、制度が渡航者にとって持つ意味を区分けする。キャリアの継続と国際化をめざす第一類型(キャリアトレーニング型)、キャリアの中断と休息所を求める第二類型(キャリアブレーク型)、キャリアのゼロからの再出発とそのための移動を求める第三類型(キャリアリセット型)、そして、キャリア形成とは無縁な第四類型(プレキャリア型)である。キャリア形成前の学生が休学して海外に飛び出した場合のような第四類型を除き、これらの類型からは、キャリアをめぐる階層的な閉塞状況と、それが若者を海外に押し出している様子が見て取れる。
 第3部は、ワーキングホリデー渡航者が国境横断的な雇用システムに組み込まれている様子を検討する。低賃金で不安定な雇用に従う日本人労働者を大量に確保する必要性は日本企業の海外進出に伴って生じてきた。第6章では、現地の日系商業・サービス業の発展を、メルボルンの日本食産業と、ケアンズの観光業に焦点をあてて検討する。現地の日系商業・サービス業にとってワーキングホリデー渡航者は低技能職種の担い手として不可欠の存在であり、また、英語が堪能でないワーキングホリデー渡航者にとっても、英語能力不問の就労を約束してくれる現地の日系零細商業・サービス業は不可欠な存在である。この相互依存関係に支えられてワーキングホリデー渡航者の急増が可能になったのである。
 第7章および第8章は、著者が行った参与観察の調査に依拠しながら、日系商業・サービス業で働くワーキングホリデー渡航者の就業動機、職務内容、就業経験に対する自己評価などを詳細に検討する。ワーキングホリデー渡航者が現地の労働生活で果たしている役割、そこで得ている意味が明らかにされる。第7章はメルボルンの日本食レストラン、第8章はケアンズの観光施設の事例研究である。ここでの調査から明らかになるのは、国境横断的な雇用システムが、①日系商業・サービス業の階層的な日本人労働市場、②英語力の低さと技能・資格の欠如ゆえに仕事を選べないワーキングホリデー渡航者、③求人広告の掲載によって両者を結びつける日本語情報誌、日系旅行代理店、日系留学・ワーキングホリデー渡航者、④各企業内における経営者とワーキングホリデー渡航者の間の比較的良好な関係という要素によって成り立っているという諸事実である。
 終章では、本論文のまとめとして、国境横断的な雇用システムを若年雇用・労働研究の立場から捉えなおし、このシステムが二つの社会的機能を備えていることを示唆する。一つは、この制度が、日本の若年層の不満の「爆発」を未然に防ぐ安全弁あるいはガス抜き装置として働いていることであり、もう一つは、日本国内で自信を失った若者の自己効力感を強化することによって若者の就業意欲(あるいは生きることに対する意欲)を回復させる再生装置として機能している可能性である。


三、本論文の成果と問題点
日本国内では1990年代以降に生じた若年労働市場の変化により日本の若年層の内部にキャリアの不均質性と階層性が発生している。他方、国外ではノンエリート層の海外長期滞在者が年々驚くほどの勢いで増加している。本論文の目的は、この二つの別個の現象をオーストラリアに焦点を当てることで統一的に捉え、労働市場の構造的な変化のなかで生まれている若年層の選択的行動(ワーキングホリデー制度への参加とオーストラリア渡航)をあくまで構造化された国際移動の一環として示そうとするところにある。ワーキングホリデー制度の利用者を取り巻く国境横断的な雇用システムの全体像を解明するという当初の目的に照らして、本研究は以下のような成果を上げている。
本論文の第一の成果は海外長期滞在者の生活世界を彼らの労働世界との関連で捉えようとしたその独自の着想によってもたらされている。例えば、本論文は調査対象である渡航者に対し、日本にいたときの労働体験、オーストラリアに渡ってからの労働体験を詳細に問い質し、また分析しているが、それは、著者が、若者の選択的行動の背景に彼らが置かれた雇用構造の変化があることを予感しているからである。この予感は本研究のインタビュー調査により見事に裏づけられている。さらに、本論文の第3章が打ち出した「プッシュ要因」と「プル要因」の相関という視点は、この関連を概念的に整理し表現したものであると理解することができる。とくに、オーストラリアの労働市場において、日系商業・サービス産業が必要とする非正規雇用労働者を恒常的に供給する役割をワーキングホリデー制度が担っていること、また、そうしたワーキングホリデー制度に参加する日本の若年労働者が日本でどのような階層構造のなかで労働体験を経てきたのか、その生の声を拾い上げ、分析、評価していることは、日本の若者研究に対する本研究の大きな社会学的貢献と言ってよいだろう。本研究を通じて、われわれは、制度に参加しオーストラリアに渡った日本の若者が、すでに日本にいたときから劣悪な労働環境、苛酷な労働条件のもとでさまざまな問題を抱えながら労働生活を送っていたことを知ることができるのである。だが、その彼らは、ワーキングホリデー制度を利用し、オーストラリアに渡り、日本にいたときとさほど変わることのない劣悪な労働条件、生活環境で日系零細企業に雇用され、酷使されながらも、「(ささやかな)成功体験」と「(ささやかな)成功談」の獲得を通じて自己効力感の強化という心理的報酬を得るようになる(そのことを本研究は長期の参与観察を通じて説得的に描き出している)。そして、このような心理的報酬により、低賃金にもかかわらず、彼らの就業意欲やモラルの低下はある程度まで回避されているようにも見える。ワーキングホリデー制度が、閉塞状況に置かれ、自己効力感が低下する日本の若者にある種の「ガス抜き」の役目を果たしているのではないか。そう考える本研究の推測は必ずしも根拠のないものではない。ただ、本研究はこうして展望についてはあくまで禁欲的である。むしろ、こうした複雑な現状を前に、著者は、若者と同じ体験を共有することで彼らの生の声を引き出し、再構成し、リアルな労働世界を描き出す作業に徹しようとする。このような慎重な姿勢は、本研究が示す第二の特徴であり、また抑制された筆致で表現された手堅い成果であると言えるだろう。事実、84人のインタビュー対象者を詳細に検討し、彼らの主観的世界を描き出したことで、本研究が打ち出した理論的枠組みは十分な説得力を獲得している。例えば、キャリア形成の連続や断絶、展開や出直しなどを基準に若者が置かれた社会的階層格差を四つの類型に整理して描き出そうとした試み(本論文の第4章、第5章)や、彼らがオーストラリアに渡って現地の日系企業で形成している労働世界の記述と分析(第6章、第7章)は、ワーキングホリデー渡航者を画一的に捉えがちな従来の研究や議論に対し、無視できないリアルな問題提起を行っている。これは本研究が投げかける、専門的であるとともに実践的な問題提起である。本研究の第三の成果と呼んでもよいだろう。
その一方、本研究に比較の視点が弱いことも事実である。例えば、若者を海外長期滞在に誘う制度としては、ワーキングホリデー以外にも、海外青年協力隊といった制度も存在する。これとの比較でワーキングホリデー制度を考えた場合、どうなるだろうか。あるいは、ワーキングホリデーの人気ある渡航先としては、オーストラリア以外にカナダという選択枝もある。カナダとの比較でオーストラリアのケースを考えたらどうなるだろうか。さらに言えば、制度利用者をノンエリート層として想定するにしても、彼らをよりよく理解するためにはエリート層との比較の視点が必要ではないだろうか。このように、比較の視点は本研究のテーマや対象を相対化するうえで有効な手がかりを提供する。さらにまた、このような方法論的課題とも関連するが、本研究がテーマの選択や設定にあたって、どのような準備作業や相対化の手続きを積み重ねてきたのか、その過程がもう少し明らかになれば、比較研究の視点に関する上述の懸念も少しは解消されたかもしれないし、本研究の成果に対する説得力も増したかと思われる。
最後に、本研究に寄せる審査員一同の期待について触れておきたい。先に述べたように、ノンエリート層の階層状況とその展望について本研究が大胆な定式化や問題提起を避け、あくまで禁欲的で、実証的であろうと務めていることは本研究の大きな特徴であり、また長所でもある。その意味で本研究は十分に手堅い研究と言える。ただ、若者をめぐる国際雇用システムが、国内の雇用システムと連動していることを明らかにした本研究は、その結論部において、このシステムが担っている社会的機能を三点にわたって指摘している。すなわち、第一に、オーストラリアの日系商業・サービス産業に低賃金・低技能労働者を安定的に供給することによって、日系商業・サービス産業の発展を促している現実があること、第二に、ワーキングホリデー制度には日本の若年層不満が「爆発」することを未然に防ぐ安全弁あるいはガス抜き装置としての機能があること、第三に、同じく同制度には日本国内で自信を失った若者の自己効力感を強化することによって若者の就業意欲(あるいは生きることに対する意欲)を回復させる再生装置としての機能があることである。制度を利用した若者に対して、こうした社会的機能が有効に働いているとするなら、制度を利用しない圧倒的多数の日本の若者たちはどのような状況の下で生きているのか、あるいは、日本に戻った若者たちがどのような経緯をたどって国内状況に再統合されていくのか、本研究のテーマを大胆に拡張し、フィールドを拡げて検討する必要があるのではないか。この必要性を考えれば、まず手始めに、帰国後の若者たちの追跡調査を行い、日本からオーストラリアに移動した若者が再び日本に戻った後の状況を考察するという課題は避けて通れないはずである。国内での転職経験と国境を越えた転職経験がどのような社会的評価や職業的・社会的移動をもたらすか、あるいは、こうした状況が新たな階層移動のパターン、キャリアモデル、ライフプランといったものの生成をどのように促すのか、現在の若者をめぐる状況を考えるうえでそれらは興味深い研究課題である。残念ながら、本研究ではこれらの論点は深く掘り下げるまでに至っていない。だが、このことは、すでに著者も深く自覚するところであるから、今後の研究の進展に期待したい。
 以上、審査委員会は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2014年2月12日

 2014年1月10日、学位論文提出者藤岡伸明氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「日本の若者と雇用システムの国際化-オーストラリア・ワーキングホリデー制度利用者の事例研究-」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、藤岡伸明氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は藤岡伸明氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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