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博士論文審査要旨

論文題目:資源管理政策が引き起こす資源の破壊 -ラオスの土地・森林管理政策が焼畑民の土地利用に与えた影響-
著者:東 智美 (HIGASHI, Satomi)
論文審査委員:浅見 靖仁、児玉谷 史朗、春日 直樹、佐藤 仁史

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1 本論文の構成
 本論文は、森林保全を目的とする森林政策が、結果として森林破壊を引き起こした事例として、ラオスの「土地・森林分配事業」について考察している。ラオス北部のウドムサイ県における綿密なフィールドワークに基づいて、森林保護政策が、現地住民の暮らしや森林の状態にもたらした複雑な変化を明らかにした上で、焼畑農耕民居住地区における森林保護と農地使用権の設定について政策提言も行った意欲作である。
 本論文は、序章から始まり、第1章から第5章までの5つの章、結章の合計7章及び略称一覧と参考文献リストからなる。本論文の構成は以下の通りである。

序章
 第1節 問題関心
 第2節 研究視角
 第3節 本論の諸前提
 第4節 研究の方法
 第5節 論文の構成
第1章 資源の破壊を引き起こす資源管理政策
 第1節 問題の設定:資源管理政策の「失敗」をめぐって
 第2節 国家と資源管理政策
 第3節 資源管理における外部アクターとしてのNGOの役割
 第4節 小活:資源管理政策の「失敗」と外部アクターの役割
第2章 ラオスの土地・森林分配事業(Land Forest Allocation Programme: LFA)
 第1節 ラオスの森林セクターの概要と課題
 第2節 ラオスの土地・森林利用に関わる諸政策
 第3節 土地・森林分配事業(Land Forest Allocation Programme)
 第4節 小活:土地・森林分配事業を考える新たな視点
第3章 「農地」と「森」が分けられるとき:土地・森林分配事業が焼畑民の土地利用に与えた影響
 第1節 ラオスの焼畑耕作
 第2節 焼畑民の土地利用:ウドムサイ県パクベン郡の事例から
 第3節 土地・森林分配事業が焼畑民の土地利用に与えた影響
 第4節 土地・森林分配事業の「失敗」の要因
 第5節 小活:線引きされた「森」と「農地」
第4章 「農地」と「森」は誰のものか?:個別世帯への土地利用権交付をめぐって
 第1節 ラオスの土地利用権登録
 第2節 個別世帯の土地利用権登録の成果と課題:ウドムサイ県におけるフィールド調査から
 第3節 個別世帯の土地利用権登録の適用条件
 第4節 小活:焼畑地の土地利用権登録をめぐって
第5章 新たな土地・森林管理を目指すNGOの試み
 第1節 土地・森林分配と土地登録をめぐるNGO・国際機関の動向
 第2節 ウドムサイ県パクベン郡ホアイカセン川水源林保全事業
 第3節 小活:ラオスの土地・森林管理におけるNGOの役割
終章 まとめと展望
 第1節 まとめ
第2節 政策的インプリケーション:地域住民の暮らしに適した資源管理を目指して
第3節 本論文の独自性と意義
第4節 今後の課題

略称一覧
参考文献

2 本論文の概要
 筆者は、ウドムサイ県の5つの村を比較することによって、焼畑サイクルを維持するのに十分な土地が存在しているかどうか、換金作物栽培や産業植林の普及とともに土地の私有化が進んでいるかどうかなど、それぞれの村が置かれている状況によって、望ましい森林保護政策や土地使用権の設定のあり方は異なることを示し、条件のことなる村々に画一的な政策を押し付けるのではなく、それぞれの村の状況にあった政策を行う必要性を指摘する。そのためには、現地住民の声を政策決定過程に反映させる必要があるが、ラオスの現状では、農民たちが地方政府や中央政府に対して意見を述べることは容易ではないため、国際NGOが、中央政府、地方政府、住民間のコミュニケーション・ギャップを埋めるとともに、利害調整の役割も一定程度担うことが重要だと主張する。しかし、国際NGOが資源管理政策の改善に介入する際には、援助資金が持ち込まれることで受け入れ側には本来の目的とは別の思惑が生まれる可能性がある上、国際NGOの関わり方によっては中央政府、地方政府、住民間の力関係や情報の偏りを強め、問題を固定化してしまう危険性があることも指摘している。
 序章では、まず問題設定を行い、それに続いて研究視角について述べている。筆者は、NGOのスタッフとして、7年間にわたってラオスに駐在し、ラオス国立大学林学部と協力し、ウドムサイ県で、森林保護政策と住民たちの暮らしの変化について調査を行った経験があり、本論文は、「NGOワーカーと研究者という2つの立場を行き来しながら」書いたものであり、そのような立場から論文を書くことはハンディキャップとなる面もある一方で、本論文に独自性をもたらすものだとも述べている。序章の後半では、ラオスの土地所有・利用に関する法制度と慣行を概観し、研究方法としては、ウドムサイ県の5つの村におけるフィールド調査と政府機関関係者やNGOスタッフへの聞き取り調査によって収集した情報を用いて分析すると述べている。
 第1章の第1節と第2節では、先行研究を批判的に検討した上で、本論文で用いる理論的枠組みについて検討している。天然資源政策の失敗の多くは、政府が無知や無能であるから起きるのではなく、政府の役人たちが天然資源保護を建前としては掲げながらも、実際には資源保護とは別の経済的、政治的な目的を追求することによって起きるというウィリアム・アッシャーの「政策の失敗」論に一定の賛意を示しながらも、政府の役人は無知や無能ではないものの、全知全能でもないので、彼らが目指したものを常に達成できるわけではないという面も強調している。またアッシャーが資源の最適利用について判断する際、分配上の公正を軽視し、効率の観点を重視している点を批判し、本論文では分配の問題も重視すると述べている。また土地所有制度についての「需要−供給モデル」を提唱したデイビッド・フィーニーの議論にも言及し、土地所有制度の変革には、変化を求める「需要」と制度変革のための意思や能力などの「供給」の双方を分析する必要があるというフィーニーの主張に賛意を示す一方、フィーニーの議論では、異なる利害をもつ3つ以上のアクターが存在する場合、「需要」の集約のされ方や供給能力がアクター間の力関係の変化によって左右される可能性があると指摘し、アクター間の関係を分析することの必要性を強調する。さらにジェームズ・スコットの「中央政府によるシンプリフィケーション」論にも言及し、地域住民の個別的、主観的な「はかり」が、国家が定めた画一的、客観的な「はかり」に置き換えられていくことによって、土地や天然資源が国家によって管理しやすいものに変えられていくという議論は、本論文が研究対象とするラオス北部の山岳地帯にもあてはまると述べているが、地域住民をただ単に国家から押し付けられた統一的な「はかり」を受動的に受け入れる存在としてだけみるのではなく、機会があればそれをも利用しようとするしたたかな存在としても見る必要があるとも指摘している。第1章の第3節と第4節では、佐藤寛や佐藤仁らによる外部アクターとしてのNGOの役割についての先行研究を批判的に検討し、「縦の社会関係資本」と「横の社会関係資本」のどちらかにNGOの役割をあてはめるのではなく、NGOが両者の折衷型として、国内のアクター間のコミュニケーション・ギャップを埋め、一定の利害調整も行う可能性を検討したいと述べている。
 第2章では、ラオスの森林の現状と1975年以降のラオス政府の森林政策を概観している。本論文の研究対象である「土地・森林分配事業」については、ラオス語文献にも当たって詳述されている。この事業の導入の背景や制度的な変遷とその問題点も詳しく説明されている。
 第3章では、焼畑農業が中心だったウドムサイ県パクベン郡の土地利用に「土地・森林分配事業」が与えた影響について、7年間にわたるフィールド調査の結果に基づいて、詳細に論じられている。3章では、1997年に居住地や焼畑地の大部分が水源林に指定され、水源林内での焼畑が禁じられたP村に主に焦点を当てて記述が行われている。
 第4章では、「土地・森林分配事業」の下で行われた個別世帯への土地利用権公布が、森林の状況や住民たちの暮らしに与えた影響について述べている。P村とは社会経済的な条件の異なる4つの村の事例を比較分析することによって、村の人口に対して、焼畑サイクルを維持するのに十分な土地が存在しているかどうか、換金作物栽培や産業植林の普及とともに土地の私有化が進んでいるかどうかなど、それぞれの村が置かれている状況によって、望ましい森林保護政策や土地使用権の設定のあり方は異なることを示し、条件のことなる村々に画一的な政策を押し付けるのではなく、それぞれの村の状況にあった政策を行う必要性を指摘している。
 第5章では、ラオスの「土地・森林分配事業」に関して、国際NGOがこれまでに果たしてきた役割について詳述した上で、森林資源保護に関して国際NGOが果たす役割の意義と問題点について考察している。筆者は、それぞれの村の状況にあった森林保護政策が行われるようにするためには、現地住民の声を政策決定過程に反映させる必要があるが、ラオスの現状では、農民たちが地方政府や中央政府に対して意見を述べることは容易ではないので、国際NGOが、中央政府、地方政府、住民間のコミュニケーション・ギャップを埋めるとともに、利害調整の役割も一定程度担うことが重要だと主張する。
 終章では、5章までで行った考察に基づいて、論文全体の総括を行うとともに、具体的な政策提言も行っている。焼畑サイクルを維持するのに十分な土地が存在し、土地の私有化が進んでいない地域では、焼畑民の従来の土地利用を公的な土地・森林管理制度に内包し、適切な焼畑サイクルの維持に必要な土地を「農地」として登録することによって、焼畑農業を含む土地利用を合法化することが、地域住民の暮らしに適した土地・森林管理であるのに対し、焼畑農業を維持するのに十分な土地がなく、また換金作物栽培や産業植林の機会が多く、土地の私有化が進んでいる地域では、各世帯の土地利用権を法的に認めつつも、土地・森林資源を用いた生産活動に地域住民が主体的に関わることで、経済的利益が地域住民に配分するシステムを作ることが望ましいと提言している。そして、それぞれの村に適した政策が行われるようにするためには、国際NGOの役割が重要だが、国際NGOが資源管理政策の改善に介入する際には、援助資金が持ち込まれることで受け入れ側には本来の目的とは別の思惑が生まれる可能性があり、その関わり方によっては、行政官と村人または村の中の力関係や情報の偏りを強め、問題を固定化してしまう危険性があることも指摘している。

3 本論文の成果と問題点 
 本論文の成果は以下のようにまとめられる。
 第一に、ラオス北部ウドムサイ県の山岳地帯で、長期間にわたって綿密なフィールドワークを行い、「土地・森林分配事業」が、焼畑農耕民の暮らしに与えた影響を詳細に描き出したことである。本論文が行った詳細な記述は、高い資料的価値を持つものであり、ラオスの森林政策研究に重要な貢献をするものと思われる。
 第二に、ラオス北部山岳地帯において「土地・森林分配事業」がもたらした社会経済的な変化をただ単に詳細に記述しただけでなく、佐藤仁の「縦の社会関係資本」論やアッシャーの「政府の失敗」論などの理論的先行研究を批判的に検討した上で、独自の理論的なフレームワークに基づいて分析したことにより、個々の事例について詳細な叙述をしているにもかかわらず、明確な筋道にそった議論が展開されている。ただ単にラオス北部山岳地帯の状況を明晰に分析することに成功しているだけでなく、「社会関係資本」論や「政府の失敗」論の新たな発展方向を示すことにも成功しているといえよう。
 第三に、各村の置かれた状況に適した土地・森林管理のあり方について、具体的な政策提言を行うことにも成功している。5つの村を比較することによって、中央政府が推し進める「土地・森林分配事業」やその下で行われる個別世帯への土地利用権公布がかえって森林破壊と住民の生活水準低下をもたらす可能性の高い村とそうでない村の見分け方、さらにはそれぞれのタイプの村に適した政策を提示したことは高く評価できる。
 第四に、ただ単に望ましい政策を明らかにしただけでなく、そのような政策を実現するための条件についても考察し、国際NGOが果たす役割について、そのマイナス面も含めて、実証的に検討した。従来の研究では、国際NGOの役割は、資金や技術の提供や政府や住民に対するアドボカシーに注目されることが多かったが、本論文はそれらの重要性は認めつつも、コミュニケーション・ギャップを抱えている国内のアクター間の調整役としての役割を重視している点に独自性が感じられる。
 実証的な研究の蓄積の少ないラオス北部の山岳地帯で長年にわたって丹念なフィールドワークを行い、中央政府が推し進める「森林保護政策」が焼畑農耕民の暮らしにもたらしている変化について詳細な記述を行い、しかもそれらの複雑な事象を、従来の理論に重要な修正を加えた上で明晰に分析し、先行研究とは異なる視点を打ち出し、具体的な政策提言をも行った本論文は、高い評価に値するといえよう。

他方、本論文の問題点としては、以下のような点があげられる。
第一に、調査対象地域の1990年代以降の変化については詳細に論じられているが、それ以前の状況については非常に簡潔にしか触れられていない。本論文が主な考察対象とするのは1996年に「土地・森林分配事業」が開始されて以降の時期であるとはいえ、植民地時代や1953年から22年間にわたって続いたラオス内戦時代に生じた土地所有制度や農地所有に関する慣行の変化について十分な言及がなされていないため、1975年の人民革命党による全土掌握以前から存在していた村落間の多様性やこの地域の農民たちの変化への対応経験を過小評価することになり、1996年以降の変化の分析がやや図式化され過ぎてしまったのではないかという懸念が感じられる。
第二に、議論のほとんどが5つの村での調査結果のみに基づいて展開されており、それらの村で見られた現象が、ラオスの山岳部全体においてどの程度一般的に見られるのかについて、必ずしも十分な考察が行われていない点が挙げられる。マクロデータも使用して、5つの村での調査結果がどの程度、他の村や県でも共通してみられるものであるかについての考察が行われていれば、本論文の主張をさらに説得力のあるものにできたと思われる。
第三に、中央政府と地方政府との間の利害の違いには言及しているものの、ラオスの地方行政制度についての説明が少なく、焼畑農民たちについての詳細な叙述に比べると、政府の側は中央政府と地方政府との間の利害の違いを除けば終始ブラックボックスのような扱いを受けているように感じられる。中央政府と一口に言っても、省庁によって森林保護や森林資源開発、ゴム林や果樹林の拡大などについて利害や理念に違いがあることは十分に想定されるし、同様に地方政府内にも利害や理念の違いあると思われるが、そうした点についてはあまり触れられていない。このため、国際NGOの役割について論じた箇所では、個々の具体例については詳細な叙述がなされているものの、ラオスの政治状況の中で、国際NGOが中央政府、地方政府、現地住民の利害の調整役をどの程度担うことができるのかについて、全体的な見通しを明確かつ説得的な形では示すことができていないように感じられる。
ただし、こうした問題点は、東氏自身も自覚しており、今後の課題として、さらに研究を進めて行くことが期待される。またこれらの問題点は、本論文の価値を著しく大きく損なうものではない。
以上のことから、審査員一同は、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績であると判定した。

最終試験の結果の要旨

2014年3月13日

 2014年1月29日、学位論文提出者東智美氏の論文についての最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「資源管理政策が引き起こす資源の破壊-ラオスの土地・森林管理政策が焼畑民の土地利用に与えた影響-」についての審査員の質疑に対し、東智美氏は十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員会は、東智美氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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