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博士論文審査要旨

論文題目:フィリピン系ニューカマー第二世代のエスニックアイデンティティと複層的ネットワーク―世代内部の差異に注目して―
著者:三浦 綾希子 (Akiko, MIURA)
論文審査委員:関 啓子、中田 康彦、山田 哲也、伊藤 るり

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1. 本論文の構成

本論文は、学校外の育ちの場に注目することで、日本におけるニューカマー研究の新局面を切り開いた意欲作である。

本論文の構成は、次のとおりである。
序章
 第1 節 問題の所在
 第2 節 先行研究の検討
 第3 節 課題の設定
 第4 節 分析枠組み
 第5 節 研究の対象と方法
 第6 節 論文の構成
第1 章 多文化地域におけるエスニックネットワーク
 第1 節 対象地域の多文化状況
 第2 節 多文化地区Xの歴史
 第3 節 エスニックネットワークの拠点
 第4 節 小括
第2 章 親のネットワーク形成・維持・利用過程
 第1 節 フィリピン系ニューカマーの移動の背景
 第2 節 フィリピン人女性の来日経緯
 第3 節 来日後のネットワーク形成
 第4 節 ネットワークを下支えするもの ― エンターテイナーへの排他意識
 第5 節 ネットワークの利用 ― 教育資源としての社会関係資本
 第6 節 小括
第3 章 エスニック教会の教育的機能
 第1 節 T 教会の概要
 第2 節 日曜学校における牧師、教師の取り組みと親の期待
 第3 節 学校と教会とのバランス
 第4 節 ユースグループに参加する若者たち
 第5 節 世代によって異なるユースグループの機能 —— roots(根源)の再確認/確認
 第6 節 世代を超えて受け継がれるもの —— ロールモデルの獲得と規範の継承
 第7 節 小括
第4 章 地域学習室の機能
 第1 節 子どもの学習を支える場
 第2 節 1.5 世にとっての地域学習室
 第3 節 2.5 世にとっての地域学習室
 第4 節 小括
第5 章 2 つのホームの間で —— 1.5 世のアイデンティティ
 第1 節 来日経緯 —— ホームとの別離
 第2 節 日本への適応 —— もう1 つのホームとの接触
 第3 節 日本でのホーム作り —— 「アットホーム」な感覚
 第4 節 フィリピンへの帰郷 —— ホームの変容
 第5 節 1.5 世のエスニックアイデンティティ —— 血統、国籍、言語
 第6 節 小括
第6 章 「日本人」でもなく「フィリピン人」でもなく——2.5 世たちのアイデンティティ
 第1 節 日本社会で育つ子どもたち
 第2 節 2.5 世たちのエスニックな経験
 第3 節 2.5 世たちのアイデンティティ
終章
 第1 節 本研究の知見と学術的貢献
 第2 節 本研究の限界と今後の展望

2.本論文の概要

 本論文は、6年にわたるフィールドワークの成果をもとに、フィリピン系ニューカマー第二世代のエスニックアイデンティティのありようを、学校外の育ちの場を基点に形成される複層的ネットワークのかかわりから明らかにするものである。筆者はクリフォードの研究に学び、様々な人々や事物の接触によって、そこで生きる人のアイデンティティは規定されるのであり、routes(経路)とroots(根源)の相互作用によってアイデンティティは作られるとする。本論の課題意識は、都市部に位置する多文化地域において、フィリピン系ニューカマーがそのroutes(経路)の中で、出会う場をどのように意味付け、自らの生活の場として作っていくのか、さらにその中でどのようにアイデンティティを形成し、それを他者に提示するのかを明らかにしようというものである。
序章では、先行研究を批判的に検討し、ニューカマーを社会的支援を受ける受動的存在ではなく、主体的行為者に据えるというアプローチの転換を行う必要性や、学校外の宗教施設に注目する意味、世代差を検討する理由などが論じられ、全体の課題が設定される。それは、フィリピン系ニューカマーの人々の営みに目を向け、学校外での育ちの場を基点に形成されるネットワークと、学齢期に来日した1.5世とホスト国生まれの2.5世(片方の親の出身地が外国である場合)の世代差に注意を払い、ニューカマーの子どもたちがどのようにアイデンティティ形成をしていくのかを描き出すことである。筆者は、学校外の多様な学びの場、具体的にはニューカマーが独自に作り出す宗教施設と、ホスト社会側が作りだした地域の地域学習室を対象として取り上げる。さらに、社会関係資本、市場媒介型移住システムと相互扶助型移住システム、移民ネットワークと移民コミュニティ、移民にとってのホームとトランスナショナリズムなどが、分析枠組みとして説明される。続いて、研究方法としてエスノグラフィーの手法を用いる理由が記され、具体的な研究対象と対象地域について言及される。
第1章では、本論文の舞台となるA地域の現在の多文化状況を統計から確認し、A地域内の外国人が多く集まるX地区の歴史と現在の風景を概観する。多文化地区Xの形成過程を明らかにしたうえで、そこに存在する多様なネットワークの拠点に注目する。その拠点となる場がどのようなメンバーによって、いかに形成されているかを検討していきながら、それぞれのネットワークの特性を解読する。この章ではネパール食材店と新聞社にもとづくネットワーク、韓国系キリスト教教会を中心としたネットワーク、台湾の仏堂と廟を結節点としたネットワークが言及され、この地域の多文化的状況が広く捉えられている。
第2章では、X地区に張り巡らされている多様なネットワークの中で、フィリピン系のネットワークに注目する。研究対象地域を彩る風景にフィリピン系ニューカマーの姿は見えてこない。女性の多さや居住の非集住性によって、そのネットワークの拠点が見えづらいのである。この見えにくいフィリピン系ニューカマーに焦点を当て、ネットワークの形成・維持・利用過程を描き出す。この際、本論文が注目したのは、エンターテイナーの女性たちと家事労働者の女性たちが組み込まれている移住システムの違いである。
市場媒介型移住システムによって来日するエンターテイナーの女性たちは、短期間の就労を繰り返し、滞日期間も短いため、日本でネットワークを維持することが難しいが、相互扶助型移住システムによって来日した家事労働者の場合は、ネットワークが形成され維持されうる。家事労働者は、その来日から定住に至るまで、先発者との間に作られるネットワークを利用し、生活の安定化を図り、在日外国人雇用主に友人を紹介してもらう形で、新たな雇用先が見つかれば、フィリピンから家族や親族が呼び寄せられる。このようにして、相互扶助型移住システムを支える「連鎖移民」と呼ばれる現象が起こっていたとされる。こうしてグローバルエリートのネットワークと接点を持つことによって、公式的には外国人家事労働者の存在を認めていない日本で、グローバルエリートを下支えする家事労働者たちの移動が看取される。
 続いて筆者は、来日後、何を基点としてネットワーク形成がなされるか、どのようにしてネットワークが維持されるかを考察する。家族や親族の紹介によって来日した者たちは、教会を見つけ、そこでネットワークを形成していく。また、日本人と結婚した元エンターテイナーの女性たちも、フィリピン人女性との出会いなどから、教会に参加するようになる。フィリピン人同士が集まり、母語で会話できる教会は、彼女たちにとって、精神的支えとなるばかりか、日本での生活基盤を安定化させるための情報など、資源獲得の場ともなる。結婚し、子どもが生まれると、同じ歳の子どもを持つフィリピン人女性同士は子育てネットワークを築く。母親たちは多様なネットワークを利用しながら、子どもを教会や地域学習室に参加させ、教育支援を行う。特に、世代間閉鎖性のあるネットワークは、親たちが重要視する規範やフィリピン文化、英語の継承を効果的に行える作用を持っていた、とされる。
 移動局面と居住局面において、ネットワークから生み出される社会関係資本は、不利な立場にあるニューカマーたちが利用できる資源の1 つとなっていた。社会関係資本は、ニューカマーの子どもが日本社会に適応するための資源 ――<われわれ>の中でやっていくための資源̶̶を提供すると共に、子どもをフィリピンにroots(根源)がある者として育てるための資源̶̶<かれら>が<かれら>であるための資源―― も提供することとなっていたことが明らかにされ、日本の制度的不備を自らが作り出す社会関係資本で乗り越える親たちの主体的な営みが浮上する。
 第3 章と第4 章では、フィリピン系ニューカマーの学校外の育ちの場として、エスニッ
ク教会と地域学習室に注目する。
第3章では、フィリピン系ネットワークの拠点となっているエスニック教会の教育的機能が考察される。具体的には、エスニック教会にある日曜学校とユースグループがいかなる教育的機能を担っているのかを、世代によるニーズの差異に注目しながら検討する。親世代と子世代あるいは子世代内部でも1.5世と2.5世は、教会にどのような機能を求めるか、その違いを筆者は析出する。まず、対象となるT教会の概要が説明され、牧師、親、日曜学校の教師が教会に寄せる期待に着目し、かれらにとって日曜学校がどのような役割を果たすかが明らかにされる。さらに、日曜学校からユースグループに通う理由が解読される。1.5世と2.5世がユースグループに通う理由が分析され、ユースグループがroots(根源)を認識/再認識する場であり、規範を継承する場であることが解読される。
 第4章では、エスニック教会とは異なる育ちの場として、日本人によって作られた地域学習室に注目する。日本社会で生きていくためのツールを身につける場としてホスト社会側が企図した学習室が、子どもたちにとっていかなる場として機能しているのか、1.5世と2.5世の差異を考慮しながら、検討していく。支援側は、地域学習室にどのような機能をもたせようとしたか、地域学習室は、そこに通ってくるニューカマーの子どもたちにとってどのような場としてあるのか、学齢期に来日した1.5世の場合と、日本生まれの2.5世の場合にはどのような差があるかが明らかにされる。ここでは多様なエスニックグループの子どもたちが登場する。
 第3章と第4章では、エスニック教会と地域学習室のいずれの場もが学校を補完し、かれらの日本社会への適応を助ける一方、日本の学校では調達しきれない、フィリピン系ニューカマーとして生きていくための資源を調達する場として機能していたことが明らかにされる。
 第5章と第6章では、子どもたちが持つエスニックアイデンティティについて、1.5 世と2.5世の差異に注目しながら、検討する。
 第5章では、1.5世たちの生活史を追いながら、かれらがroutes(経路)の中で、roots(根源)への認識を変化させていく様子を描きだす。トランスナショナルな空間を生きるかれらがそのroutes(経路)の中で、ホームを作り出す様子を追い、その中でかれらがいかなるエスニックアイデンティティを持つようになるのかを考察する。来日直後の日本への適応、日本でホームを作っていく過程、日本とフィリピンの両方をホームと感ずるようになる過程が描かれ、二つのホームの間に築かれるそのroutes(経路)の中でホームに対する認識が変容し、どのように自分の根源を見つめるようになるかを詳細に記述する。
 第6章では、日本で生まれ育った2.5世のアイデンティティについて考察する。この章に登場するのは、日本生まれ、日本育ちで、母親がフィリピン人、父親が日本人の子どもたちである。日本人化を免れない子どもたちが親の日常的、非日常的[エスニックなイベント]実践の中で、いかにフィリピンにroots(根源)があることを認識していくのかを読み解いていく。そして、かれらが他者との間に引く境界設定の有り様に着目しながら、かれらの流動的なエスニックアイデンティティについて明らかにする。
 本論文を通じて、roots(根源)に対する認識が異なる1.5 世と2.5 世がそれぞれのroutes(経路)の中で、エスニックな資源を獲得しながら、流動的でハイブリッドなエスニックアイデンティティを築いている様子が明らかになる。そこには世代間の違いが見られ、したがって、第二世代を一括りに扱うのではなく、そのroutes(経路)によって分けて論じながら、かれらの流動的なアイデンティティを注意深く読み解く必要性があると、筆者は主張する。
 終章では、本論文の要約と学術的貢献がまとめられ、今後の展望について述べられる。資源形成主体としてのニューカマーの存在把握、学校外の育ちの場の可能性の解明、世代間のエスニックアイデンティティの差異の分析が、従来の研究に対して持つ学術的な意義が結論として論述されている。

3.本論文の成果と問題点

本論文の成果は、以下の三点にまとめられる。
本論文は、ニューカマーの学校外の育ちの場を精査することによって、日本におけるニューカマー研究の発展に大きく貢献した。これが第一の成果である。学校外の施設、とりわけ教会の人間形成作用を多面的に捉え、加えて、地域学習室の機能を明らかにし、それらを基点として自主的に編まれるネットワークとそれらの拡大および重層化がもつ、人の育ちにとっての意味を丹念に解読した。従来の研究の多くが、ニューカマーを支援される客体とみなしてきたのに対し、本研究は、ニューカマーが自前の教育資源を編み出し、アイデンティティを形成していく過程を解読した。教育資源を作り出しあるいは独創的に再編する主体という側面を照射することによって、ニューカマーのニーズにもとづく「支援」のあり方も浮上してきた。
第二の成果として、研究方法と叙述の絶妙な調和を指摘したい。筆者は研究方法として主にエスノグラフィーの手法を選択した。論文では会話が記録され、それに対して注釈が加えられ、会話にこめられた、話し手にとっての意味が引き出される。筆者は話し手の意味付与行為に注目し、その意味に丁寧に接近し、それを大仰ではなく、自然体で読み解いていく。その背後には、膨大な参与観察や理論研究が控えているが、筆者の論述はりきみがなくあくまでも自然であり、そのため、鋭い指摘が「鋭い」とういうよりは、心地よく読み手のなかに入ってくる。語り手と聞き手と読み手でストーリーが完結するともいえよう。研究方法と調和した記述のあり方が秀逸である。
第三の成果は、次ぎのところにある。本論文ではニューカマーの日常と生きられる文化が繊細に記述され、同時に、ニューカマーの移動を構造づけているグローバルなものについても考察が加えられている。いわば、二重の視線を活かし、アイデンティティの構築にとって、移動がどのような意味をもつかについて理論的、実証的に詳細に解読している。筆者は、「routes経路」と「roots根源」に注目し、そのありようと組み合わせ方が、アイデンティティ形成に影響する事態を明らかにした。こうして、1.5世と2.5世という、第二世代内での差異を明らかにし、エスニック・アイデンティティの雑種性や混淆性を論ずることに成功している。これまで国際結婚の問題として回収され、ニューカマーの教育としては無視されがちであった2.5世のアイデンティティ形成の課題に光を当てたことも研究成果である。
もっとも問題点がみられないわけでもない。
先行研究(Rumbaut)の世代区分を援用し、1.5世と2.5世の差異に注目したことは、上述のように、研究成果を産み出した。しかし、筆者がニューカマーのライフヒストリーに寄り添うことを続けようとしていることを考えれば、世代に注意しつつも、世代に回収されない育ちの多様性をも考察するための工夫が必要と思われる。筆者が重視するニューカマーの成長過程を、社会化の観点からも考察することによって、研究対象の成長の多様なすがたを柔軟に把握できるのではないだろうか。
 また、ニューカマーの経験を基礎づけている社会環境を研究の視野に収めていることは、研究の長所であるが、社会環境への切込みという点でいささか不十分な点もみられた。研究対象になった地域社会について一定程度の説明はなされているものの、当該地域社会の独特のニューカマー政策についてもう少し検討を加えてほしかった。また、ニューカマー家族内の人間関係と形成作用には注目しているが、保護者の階層については深く言及しているわけではない。アイデンティティ形成にとってトランスナショナルな移動のもつ意味を考察する論文である以上、移動の可能性をめぐる保護者家族の経済状態といった条件についてもいま少し踏み込んで言及してほしかった。
 しかし上記の問題点は、本論文の価値を損なうものではない。これらの問題点については筆者自身も十分に自覚しているばかりでなく、審査委員一同は、筆者の研究者としての豊かな潜在力を確信し、今後の研究において必ず克服されるものと期待している。
よって、審査委員一同は、本論文が総合社会科学研究に寄与しうる成果を十分あげたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と判定した。

最終試験の結果の要旨

2013年7月10日

 2013年6月27日、学位請求論文提出者、三浦綾希子氏についての最終試験をおこなった。本試験においては、審査委員が提出論文「フィリピン系ニューカマー第二世代のエスニックアイデンティティと複層的ネットワーク―世代内部の差異に注目して―」について、逐一疑問点に関して説明を求めたのにたいし、三浦綾希子氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は、三浦綾希子氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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