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博士論文審査要旨

論文題目:THE ROLE OF LANGUAGE IN MANGA: FROM THE POINT OF VIEW OF STRUCTURE, VOCABULARY AND CHARACTERS
著者:ウンサーシュッツ ジャンカーラ (UNSER-SCHUTZ, Giancarla)
論文審査委員:中島 由美、森村 敏己、井川 ちとせ、山崎 誠

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1. 本論文の構成
本論文は、マンガにおいて言語はどのように機能しているのかという実態を解明するために、独自のコーパスを作成し、社会言語学的分析を行ったものである。論文構成を以下に示す。

1. マンガの言語学的分析:序論
1.1 本章の概要
1.1.1 日本の生活におけるマンガ
1.1.2 ことばとマンガ
1.1.3 マンガのコーパスを作成するとは
1.2 コーパスの設計とデータ収集
1.2.1 マンガのコーパス構築の問題点
1.2.2 サンプリング
1.2.3 コーパスの構造
1.3 本コーパスの内容
1.3.1 データの概要
1.3.2 コーパスの活用法と特徴
1.3.3 特殊な問題点
1.4 本章のまとめ. マンガの言語の構造的特徴
2.1 本章の概要
2.1.1 概要
2.1.2 コミックやマンガにおける文字情報について
2.2 データ解析各論
2.2.1 文字情報の分類とその分布
2.2.2 文字情報とジャンル
2.2.3 手書きの台詞・考え事・コメント等の定義
2.3 「背景・台詞/考え事」と「コメント」の分析
2.3.1 「背景・台詞/考え事」、「コメント」とジャンルの関係
2.3.2 「背景・台詞/考え事」と「コメント」の役割
2.3.3 異なる文字情報活用の必要性
2.4 まとめ
3. マンガの表記上・語彙上の特徴
3.1 本章の概要
3.2 マンガにおける表記法-文字の分類と振り仮名の研究
3.2.1 表記と言語研究
3.2.2 日本語の表記法
3.2.3 分析1‐1-使用されている文字の分布―方法
3.2.4 分析1‐1-使用されている文字の分布―結果
3.2.5 分析1‐2-振り仮名の活用―方法
3.2.6 分析1‐2-振り仮名の活用―結果
3.2.7 表記上の特徴からみる「話しことば」としてのマンガ
3.3 分析2-リーダビリティとマンガの読解力
3.3.1 リーダビリティとマンガ
3.3.2 方法
3.3.3 結果
3.3.4 観察
3.4 分析3-マンガの形態素解析
3.4.1 日本語と形態素解析
3.4.2 方法
3.4.3 結果
3.4.4 観察
3.5 まとめ
4. 言葉遣いと登場人物
4.1 本章の概要
4.1.1 日本語における性差
4.1.2 女性語・男性語とマンガ
4.2 分析1―「台詞」の分布と登場人物の性
4.2.1 方法
4.2.2 結果
4.2.3 登場人物の種類と分布と言葉遣い
4.3 分析2-「台詞」における人称代名詞の分布
4.3.1 方法
4.3.2 結果
4.4 分析3-「台詞」における文末表現の分布
4.4.1 方法
4.4.2 結果
4.5 観察
4.5.1 ジャンルによって異なる登場人物の言葉遣い
4.5.2 原因:マンガ家の影響・役割における差・登場人物の距離の関係
4.5.3 男性的人称代名詞と女子
4.6 まとめ
5. 結論
5.1 本章の概要
5.1.1 ジャンルとマンガとことば
5.1.2 今後の課題
5.2 教育とマンガ
5.2.1 学習のためのマンガ活用法および利点
5.2.2 コーパスで明らかになった問題
5.2.3 教室でマンガを活用する可能性
5.3 最後に
6. 付録: コーパスのデータ例、用語解説、参考データ例一覧
文献表

2. 本論文の概要
第1章では、まずマンガの言語的特徴を扱った先行研究を取り上げ、マンガが言語的メディアとしてどのように認識されてきたのかを明らかにした。先行研究が多少あるとは言え、その多くが印象的なマンガ論に終始しており、マンガで使われる言語の特徴を量的側面から分析したものはほぼ皆無であると結論づけられている。こうした実情に対する疑問がそもそもの契機となって、筆者は修士研究の段階から、マンガの言語的特徴を実証的に分析する方法として、コーパス的アプローチが有効であるとの確信をもって研究を進めてきた。しかし実際にマンガ作品にもとづいて言語コーパスを作成するに際しては、他のテキストデータを扱う場合とはかなり異なる問題が多々生ずる。筆者はここで独自のコーパス構築に際し、そうした問題をどのように認識し、そのうえでどのように解決していったかを詳しく記述しているが、マンガの言語コーパスという前例のない取り組みであるだけに、具体的な構築方法にいかに慎重に対処しなければならなかったかがわかる。何よりも、今日ジャンルやストーリー、登場人物の設定、作家、想定する読者、出版形態など、分類が困難なほどに多様化している文化形態であるだけに、どのような作品をサンプルとして選択するかという出発点からして、簡単には決定できなかった。そこで筆者は、主として高校生を対象に実施したアンケートに基づき、まずは最も若年層に読まれている作品、という基準を採用することにした。その結果、1994年から2005年の約10年間にヒットし単行本となったものの中から10作品を選ぶこととなった。内訳は、出版社側の設定する、雑誌掲載の際の読者層を基準としたいわゆる「少女マンガ」、「少年マンガ」双方から5作品ずつの10作品で、それぞれについて単行本として発行されたものの第1巻~第3巻の3冊ずつ、計30冊である。コーパス構築における次の課題は、マンガがコマ割りや吹き出しの使用など、視覚的枠組みの特異性を特徴とする作品である点をどう捉えるか、である。筆者は視覚的枠組みと言語情報の関係を知るためにも、その特異性を活かす必要があると判断し、出現する「場」ごとのタグを用意した。筆者はこれを「枠」と名付け、吹き出し内のものを「台詞」、吹き出し外でコマ枠内のものを「考え事」などと定めて計8つに分類、背景の擬音語なども含めて「枠」ごとにすべての文字情報をデータ化している。この分類はのちに分析に際し威力を発揮することになった。こうして築き上げられたコーパスは、文字数にして計688,342字、筆者が設定した文字列の単位(通常の「文」という設定が難しいため、吹き出しなどで区切られる発話の単位を「エントリー」とした)数で、55,480個となった。
このような前例のないコーパスによって、どのようなことが明らかになったとされているのだろうか?
第2章では、新しい知見を得るための第一歩として、言語情報の分布領域からみたマンガの姿を捉えようとしている。マンガの言語は出現する「枠」によって台詞やナレーションなど、作品内での役割が区別されるのではないか、との推測に基づき、言語情報の分布を「少年マンガ」「少女マンガ」両ジャンル間で比較検証している。その結果、「少女マンガ」では背景やコメントなど、吹き出しの台詞以外の言語情報量がより多くなっていることがわかったという。筆者はこれを、先行研究でも指摘されているような「少女マンガ」に特有の「内面的な言葉」の重要性や、多様な読み方(たとえば読者が単にストーリーを追うだけでなく作者とのいわば「想像の共同体」的共有感を味わおうとする傾向など)の拡大など、「少女マンガ」の興味深いあり方と関係づけられると論じている。
続く第3章では、主として言語の形態的特徴についての分析を行っている。まず、マンガの言語資料としての性格を明らかにするために、1)表記上の特徴、2)読みやすさ、3)語彙的特徴、の3つに焦点を絞った。マンガにおける表記が他の言語作品に比べ多様であり、非標準的な形態を多く含むことはよく指摘されることであるが、コーパスによってその実態の量的検証が可能になったことが示される。1)については、記号使用の実態、漢字/仮名や活字/手書きなど表記選択の自由度の高さ、非標準的振り仮名の使用状況などが確認された。その結果、文字情報の20.94%を記号が占めていることがわかり、一般的書記言語の15.58%(Nozaki Shimizuの検証による数値)に比べ明らかに多いことがわかった。ところが、一般的な書記言語で必須となっている句点「。」や読点「、」は逆に少なくなっており、マンガの表記上の特徴を象徴するような結果となった。2)は、マンガが一般的な書籍と比較して教育的にレベルの低い読み物とされがちであることに関連して、読みやすさの度合いを検証したものである。また、マンガがどのような読者を想定し、どのように受容されるのかにも関係する。ここではSato, Matsuyoshi & Kondoh (2008)と、Readability Research Laboratory (2010)が作成した二種類のリーダビリティ検定を用いている。日本語のリーダビリティは漢字使用率と深く関わっていると見なされることから、漢字の使用率が高く、標準外の漢字が比較的多い「少年マンガ」(全文字数の18.85%、「少女マンガ」では14.07%)の方がやや読みにくいと予測される。検証の結果、確かに「少年マンガ」のほうが「読みやすさ」の度合いが低いものの、両ジャンルともに「読みやすい」レベル内に収まることが確認された。マンガのレベルは文字言語としては携帯小説に近いが、伝統的な小説と比べて特に突出して読みやすい、というほどではないことがわかった。3)では品詞情報のタグ付けを自動的に行うための形態素解析を適用し、「台詞」を対象に語彙の出現頻度を分析した。ただし、上述のような表記の特異性を考慮し、形態素解析ソフトの機能を妨害する恐れのある記号などについて、基本的意味の変更を伴わないものを除去するなど、データの標準化が不可欠であった。こうした綿密なプロセスを踏むことによって得られた計260,906語について、その語種と品詞の分布を観察した結果、感動詞、和語が多く、動詞が少ないという結果が得られたが、これはマンガの言語が、使用品詞の点では話し言葉に近いことを示すという。また、品詞ごとの頻度分析では、「少女マンガ」では対人関係の提示に関わる人名や人称代名詞の頻度が高いのに対し、「少年マンガ」では物語のテーマと関連する特定の単語の頻度が高い、という結果が確認された。
第4章は本研究の中心的課題である、社会言語学的分析に踏み込んだものである。従来言語スタイルの性差が顕著と見なされてきた日本語であるが、近年女性のことばの中性化・男性化が言われ、その原因のひとつとしてマンガが挙げられることが多い。筆者の関心はそうした見方が果たして事実に基づいているのか、マンガにおける言語の性差の実態はどのようなものなのかを明らかにすることにあった。そこでまず、基礎データとして発話者の性別ごとの発話量を観察した上で、言語の性差が表れやすい要素として、1)人称代名詞、2)文末表現の二つに特に注目し、実態解明のための糸口とした。登場人物の男女ごとの台詞量については、「少年マンガ」では男性による台詞が平均して字数の80%以上を占めているのに対し、「少女マンガ」では女性の発話によるものが57%程度と、男女の比率がより均等であり、両ジャンルの間で大きな差がみられることがわかった。これを母数と定め、まず人称代名詞について詳しく分析すると、男性登場人物の自称詞で最も頻度の高いものは「オレ」、女性は「ワタシ」で、いずれも「少年マンガ」「少女マンガ」ともに突出している。近年若年層女子の間で男性的自称詞を使用する傾向がみられる問題について、上述のように一般にはマンガの影響が言われることがあるが、実際には特殊な主人公一人の事例に限られたという。また他の人称については、代名詞よりも名前など人称詞以外が多用されている。従って本コーパスから言えることは、マンガにおける人称詞がジャンルにかかわらず男女の間で異なっており、マンガ以外の言語に関する先行研究の計測結果と比べても、一般社会における使用実態から大きくかけ離れたものではない、ということである。少なくとも、マンガが性差を解消するような影響を若年層に直接的に与えているという説を支持することはできなかった。次に文末表現について、筆者はまず便宜的に一般的基準を利用して、すべての文末詞を「強度に男性/女性的」~「やや男性/女性的」~「中立的」、のように分類し、この基準に基づいてジャンル間の差異を観察することにした。その結果、男性登場人物の文末表現については両ジャンルで大きな差はなかったが、女性の文末表現については興味深い結果が得られた。例えば、「~ワ」など「強度に女性的」とされる文末詞は「少年マンガ」で計146例、「少女マンガ」で計121例採取されているが、上述のように「少年マンガ」では女性登場人物が少なく、従って女性の台詞量も少ないことを考慮すると(女性登場人物の発話数は「少年マンガ」で23,945、「少女マンガ」では60,944)、「強度に女性的」文末詞が「少年マンガ」でより高い比率で使用されていることになる。逆に「少女マンガ」の女性登場人物の台詞には「ワ」が少なく、より「中立的」な「ダ+ヨ」、「ダ+ヨネ」や、後に何も伴わない「ダ」も目立つ。即ち、「少年マンガ」の女性登場人物のほうが「女性的」とされる文末表現を多用しているのである。その背景として、「少年マンガ」では登場人物の数自体は多いにもかかわらず、その大半は周辺的(エキストラ的)な者、という特徴が無視できないという。日本語における「役割語」という概念を提起した金水敏は、数少ない、マンガの言語そのものに注目した研究者のひとりであるが、周辺的な登場人物ほど「役割語」を用いる可能性が高いとしている。金水は具体的なデータに基づいているわけではないが、女性の登場人物の占める比重の小さい「少年マンガ」で、彼女たちが「女性的」とされる表現を多用しているとすれば、「少年マンガ」における「役割語」多用の実態が浮き彫りになるのではないかと筆者は見ている。筆者のコーパスからは、「少年マンガ」の男性登場人物もまた、「男性的」と一般に見なされる文末表現を多用し、先行研究における実際の話し言葉の分析結果と照らし合わせてみても、その傾向が顕著であることがわかった。男性向けとされる作品における「役割語」依存の傾向について筆者は、男性マンガ作者の意識、世代などに関連付けられるのではないかとしている。以上性差の観察から、マンガの言語は一般にイメージされているような「先駆的」「革新的」なものではなく、むしろ保守的とさえいえるのではないか、との結論でこの章がまとめられる。
第5章は終章として、マンガ研究の有効性を考える上で、第2~4章の分析により得た知見を実際に活かす可能性について論じている。承知のように、海外では日本のマンガが注目を集め、日本語教育の場ではマンガを語学教材として活用する方法が実際に検討されるようになっている。しかしそうした議論ではマンガの言語的実態は考慮されておらず、そのほとんどが絵による視覚的文脈理解の効果をアピールすることで終わっている。筆者はマンガを語学教材として使用する場合、どういった点に留意する必要があるのかを検討している。最後は、ここまでに明らかになった表記上の問題や役割語の実態などから、マンガの言語が考えられている以上に複雑な様相を呈していることを再確認し、コーパスにより量的に確認された特徴を考慮することで、マンガを教育の場でも有効に活用する可能性が高まるのではないかと主張している。

3. 本論文の成果と問題点
筆者も言及しているように、文化庁による「国語に関する世論調査」 (2010)によれば、「マンガが若者の言語に影響を与えている」との意見が45%にも上っているとのことである。絵と言葉からなるマンガは言語的メディアの一種と認識されているにもかかわらず、従来の研究においては視覚的要素が重視されてきた。こうした実情より、マンガにおける言語の実態解明をめざした筆者は、何よりも言語コーパスの構築が必要不可欠であると判断し、修士研究から膨大な作業に果敢に挑み始めたのである。修士研究ではまだ試験的段階であったが、本研究ではデータ量も格段に増え、コーパス研究としての要件を満たすまでになった。電子化された大量言語データを扱うコーパス研究は、近年我が国においても盛んになり、書きことばだけでなく、話しことばも対象として整備が進められている。そうした中でマンガのような特殊な形態の言語情報をデータ化する試みは、前例がないだけにさまざまな困難が予想された。筆者はあらゆる可能性を検討しつつ精力的にコーパス構築に取り組んでおり、筆者が挑戦する意欲を失わずに目的を遂げたのも、コーパスでしばしば問題となる、「大量データによって何を知るか」という目標を強く意識していたからに他ならない。
このように本研究においてまず特筆すべきことは、データそのものの独自性の高さである。筆者のコーパスはマンガの視覚的特性を綿密に配慮して構築されており、文字情報の分布、登場人物、場面、ストーリー展開、など、さまざまな視点からの分析が可能である。これまで印象や憶測によってなされてきたさまざまなマンガ論に比して、量的計測に基づいた検証が可能になったことは、本論文の大きな成果であり、印象的なマンガ研究から科学的なマンガ研究への第一歩として、言語学の分野においても貢献するところ大であることは疑いない。第二に評価すべきは、一貫した実証性の確かさである。データの利点を存分に活かし、かつ形態素解析の適用や有意差検定の実施等、実証性の確保には特に注意が払われている。その結果、「役割語」のように、提起されて以来具体的な裏付けの乏しいまま社会言語学的において言及されてきた概念などについても、本研究はデータ面からしっかりと向き合い、コーパスの利点を存分に発揮している。今後のさまざまな社会言語学的研究に対して客観的データを提供できることを考えれば、その意義は計り知れない。
しかしながら、本研究ではまだ充分に解決されていない問題もいくつか指摘されよう。第一にコーパス構築について、今日のように多様化したマンガ文化のサンプルとして、どのような作品を、どのぐらいの量選ぶことが望ましいのか、本研究で採用されている方法で果たして充分であるのか、ランダム・サンプリングと見なし得るようなデータの構築にはどのような手順がまだ不足しているのか等については、さまざまな議論が予想される。第二に、これと関連してデータの分析面においても、一般的な基準に依拠する形で手がかりを得た上で、さらに大量データを有効に活用する方法を探ることが望ましい。また、本論文ではマンガの言語とマンガ以外の一般的な言語の比較を、先行研究が提供するさまざまなコーパスの計測結果によって行っているが、すべてのコーパスが筆者が対処したのと同じ基準で作られているとは限らないのが現状であり、比較に際してはなお細心の注意が必要と思われる。とはいえ、こうした問題は何より筆者自身が最も深く理解しているものであり、本論文の価値を損なうものではなく、今後の取り組みによって適切に対処されるとの確信が揺るぐことはない。

最終試験の結果の要旨

2013年6月12日

 2013年5月10日、学位請求論文提出者、ジャンカーラ・ウンサーシュッツ氏の論文について最終試験を行った。試験において、審査委員が提出論文「The Role of Language in Manga: From the Point of View of Structure, Vocabulary and Characters(邦題:マンガにおける言語の役割―構造・語彙・登場人物という三つの観点から)」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、ウンサーシュッツ氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮し、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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