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博士論文審査要旨

論文題目:第1次大戦前におけるイギリスの海外ビジネス展開-英領マラヤのゴム栽培会社の事例
著者:猿渡 啓子 (SARUWATARI,Keiko)
論文審査委員:児玉谷史朗・浅見靖仁・福富満久

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Ⅰ.本論文の構成
猿渡啓子氏の博士学位請求論文「第1次大戦前におけるイギリスの海外ビジネス展開-英領マラヤのゴム栽培会社の事例」は、第一次世界大戦前の英領マラヤ(現在のマレーシア)におけるゴム栽培会社の研究を核として、ゴム栽培会社とイギリス貿易商社との企業間関係の分析や多国籍企業論の検討を通じて、イギリスの海外ビジネス展開の特質に迫った労作である。19世紀末にアメリカ合衆国などで自動車産業が勃興すると、タイヤの原料となる天然ゴムに対する需要が急増し、英領マラヤでは20世紀初頭にかけてイギリスからの投資でゴム栽培会社が多数設立された。1988年にマイラ・ウィルキンスが第一次大戦前のイギリスの海外直接投資の重要なタイプとしてフリースタンディング・カンパニーという会社組織あるいは海外投資の類型を提唱してから、研究者の間でフリースタンディング・カンパニーを巡って論争が展開された。マラヤのゴム栽培会社は典型的なフリースタンディング・カンパニーと考えられたため、ゴム栽培会社の研究は、フリースタンディング・カンパニー論を介して、イギリスの海外直接投資及び多国籍企業の研究と関連づけられるに至った。
本論文は、学術誌に掲載された著者の十余本の論文をもとに加筆修正してまとめられたものである。本論文の構成は以下の通りである。

序章 本論文の目的、学術的背景、特色
 1.はじめに
 2.分析視角と本論文の構成
 3.各章の初出論文名、雑誌掲載名、巻号、出版年月
 4.用語法

第1章 英領マラヤにおけるゴム栽培会社の発展とイギリス商社
 1.はじめに
 2.英領マラヤにおけるゴム栽培会社の発展とイギリス商社
 3.既存実証研究における未開拓の問題
 4.ゴム栽培会社のクラスター

第2章 J.F. Hennart によるフリースタンディング・カンパニー論の検討
 1.はじめに
 2.J.F. Hennartの所説
 3.検討
 4.結論

第3章 M.Cassonによるフリースタンディング・カンパニー論の検討
 1.はじめに
 2.M.Casson の所説
 3.検討
 4.結論

第4章 ゴム栽培会社の資本調達と本社機能
 1.はじめに
 2.イギリスにおける会社法の制定と株式会社の発展
 3.ゴム栽培会社の資金調達
 4.ゴム栽培会社の本社機能
 5.結論

第5章 ゴム栽培会社のクラスター形成の契機 ―ゴム栽培会社の発起と証券引受―
 1.はじめに
 2.C型クラスター形成の契機―ゴム栽培会社の発起と証券引受―
 3.ゴム栽培会社の発起と証券引受
 4.結論

第6章 中小AHのクラスター
 1.はじめに
 2.投資信託会社
 3.中小AHのクラスター
 4.結論

第7章 C型クラスターにおける資金的資源の取引―AHとゴム栽培会社の
クラスターの事例―
 1.はじめに
 2.大手AHによる経営資源のパッケージでの供給
 3.大手AHを中核的統治機構とするC型クラスターにおける取引と組織
 4.結論

終章 結論
 1.結論(Ⅰ)視点(1) 「特徴」
 2.結論(Ⅱ)視点(2) 「機能」
 3.結論(Ⅲ)視点(3) 「市場と組織」
 4.結論(Ⅳ)視点(4) 「内部化理論」
 5.おわりに

Ⅱ.本論文の概要
序章では、本論文の目的と特色が説明される。本論文の目的は、英領マラヤのゴム栽培会社を事例として、ゴム栽培会社とイギリス貿易商社の企業間関係を検討し、第一次世界大戦前の一次産品分野における多国籍企業の特徴を明らかにすることである。マラヤのゴム栽培会社は、1980年代末にマイラ. ウィルキンスが提唱したフリースタンディング・カンパニーの代表例と見なされ、イギリス海外直接投資ないし多国籍企業の研究対象として注目されてきた。ウィルキンスのフリースタンディング・カンパニー論は研究者の間に議論を呼び起こし、イギリス系ゴム栽培会社や鉱山会社の多国籍企業としての特徴やクラスター(ここでは商社を含む関係する企業のグループ)の性格づけはいまだに決着が見られていない。著者によれば、その理由の一つは正確な実証研究に基づいて議論されていないことにある。
 第1章は、英領マラヤにおけるゴム栽培会社とイギリス商社の発展を概観する。マラヤには1895年にゴム栽培が導入され、20世紀初頭のゴム価格の高騰に刺激されて、イギリスからの投資でゴム栽培会社が多数設立された。エージェンシー・ハウス(AH)と呼ばれる、マラヤとの貿易に従事していた大手イギリス商社はゴム栽培会社設立の発起人となることでゴム栽培業に進出していった。イギリス商社はゴム栽培会社に対して種々のサービスを提供し、ゴム栽培会社と強い結びつきを持つようになったが、その基礎となったのがゴム栽培会社の経営代理であった。経営代理を委託されたイギリス商社は、栽培会社の取締役会にも取締役を送ることで影響力を行使した。このように、イギリス商社との関係がゴム栽培会社の研究には不可欠であることが示される。
 1988年のウィルキンスの論文で始まったフリースタンディング・カンパニー論では、マラヤのゴム栽培会社はフリースタンディング・カンパニーの代表例として取り上げられた。フリースタンディング・カンパニーとは、イギリスで登記され、イギリスに本社を置く、海外事業を経営するための会社である。著者は、フリースタンディング・カンパニーを巡って、その性格とクラスター形成という二つの究明すべき未開拓の問題があるとする。フリースタンディング・カンパニー論では、フリースタンディング・カンパニーはイギリスで資本を調達するための単なる金融仲介業者ではなく、マラヤのゴム農園などの事業を管理し、監督するためのものであったとして、多国籍企業としての性格が強調される。しかし管理・監督がどの程度行われていたのか既存の研究では具体的に検証はされていない。また個々の企業が独立したフリースタンディング・カンパニーなのか、フリースタンディング・カンパニーと商社がクラスターを形成していたのかも論争となった。
第2章と第3章ではカッソン(Casson)とヘナート(J.F. Hennart)によるフリースタンディング・カンパニーの理論モデルが紹介され、批判的に検討される。第2章では、フリースタンディング・カンパニーを含む多国籍企業を資本の国際移転の制度としてとらえ、フリースタンディング・カンパニー型の企業と「教科書的な」多国籍企業とを統一的に説明しようとするヘナートの理論モデルを紹介し、検討している。ヘナートはフリースタンディング・カンパニーを含む多国籍企業を金融資本の国際移転のための制度と捉える独自の内部化理論を提唱した。すなわち多国籍企業とは資本の国際的取引を内部化した制度であるとされる。
著者は、ヘナートの論を次のように評価する。彼の理論は従来見過ごされてきたフリースタンディング・カンパニーなどを含めた多国籍企業化の理論として評価できる。しかしヘナートのモデルではすべての多国籍企業を統一的に説明することはできず、一般投資家から海外現地へ資本移転されるケースの理論的モデルにすぎないという。
著者はさらにヘナートのフリースタンディング・カンパニーの理論モデルがどの程度妥当性をもつか、マラヤのゴム栽培会社と錫鉱山会社の事例で検証した。それによると、エージェンシー・ハウスと呼ばれる商社や鉱山金融商会は、ヘナートの言うように株式所有のみによってこれらの企業を支配したのではなく、研究開発等の固有の知識によって支配した。
 第3章は、カッソン(M. Casson)のフリースタンディング・カンパニーの理論モデルを検討し、マラヤのゴム栽培会社と錫鉱山会社の事例に適用して、これらの企業が何の国際取引市場を内部化したのかを分析することで、イギリス多国籍企業の特徴を明らかにしようとする。カッソンは情報の輸出の有無と技術の輸出の有無の組み合わせによってフリースタンディング・カンパニーを4タイプに類型化した。カッソンは、フリースタンディング・カンパニーが資産関連産業に集中しており、資産関連産業では資産開発段階とその後の運営段階で必要とされる管理技能が異なることから、資産開発段階を内部化し、運営段階を外部化するのは合理的であると主張する。
 著者は、カッソンの理論モデルは、製造業を中心とした従来の多国籍企業の理論とフリースタンディング・カンパニーとの共通性と異質性を比較しやすい理論的枠組みを提供し、フリースタンディング・カンパニー論の精緻化の試みとして高く評価できるとしている。著者はしかし同時に、カッソンは資産開発段階と運営段階を区別したが、フリースタンディング・カンパニーは既に開発された資産を買収するために設立されたケースも多かったことから、理論が実態と合わない点もあるなど、不十分な点があることを批判した。
 また本章は、マラヤのゴム栽培会社と錫鉱山会社の実証的研究から、カッソンの理論モデルの妥当性を検討している。その検討の結果、ゴム栽培会社と錫鉱山会社の本社は、カッソンの言うように「イギリスに集積した技術的・専門的知識全般」を利用したのではなく、金融・投資にかかわる知識といった特定分野の知識を利用したこと、またこれらの会社は、金融・投資などにかかわる情報の「独自の総合」を行ったことを明らかにしている。
 第4章は、多国籍企業としてのゴム栽培会社の資本調達、本社機能、サービス業務取引市場の状況を検討し、ウィルキンスらによる、ゴム栽培会社は本社機能が小規模であり、専門的経営管理能力が欠如していたという主張を批判している。
まず著者はイギリス登録のゴム会社要覧であるRPC (Rubber Producing Companies)を主な資料として、イギリス資本市場での株式発行など、ゴム栽培会社の資金調達を分析した。ゴム栽培会社の証券発行額は同時期のイギリス国内産業企業と比べると少額であったことも指摘している。
 第4章は次のような点を明らかにしている。マラヤのゴム栽培会社には三つのタイプが存在した。このうちイギリスの本社に脆弱な経営管理能力しか存在しなかったのは、一つのタイプだけであった。フリースタンディング・カンパニーは短命とされるが、マラヤのゴム栽培会社は、いずれのタイプも長期存続した。著者によれば、ゴム栽培会社の小規模性は合理的な組織選択の結果であり、ゴム栽培会社は本社的諸機能を内部化せず、契約取引(市場取引)で外部化したと主張する。ゴム栽培会社がプランテーションの外延的大規模化をしなかったことも本社機能の小規模性の一因であったと論じている。
また第4章は、取締役会についてPRCと当時の新聞記事から分析し、ゴム栽培会社同士の間で、あるいはゴム栽培会社と投資信託会社、銀行などとの間に、取締役兼任が見られたことも明らかにしている。
 第5章では、ゴム栽培会社のクラスター形成の契機を明らかにすることを目的とし、ゴム栽培会社の証券発行には、仲介者となりうる企業者能力をもった機関が発起および証券引受に関わり、これを契機に、経営管理能力を基礎にクラスターが形成されたことを実証的に明らかにしている。主な資料としては当時の新聞に掲載された会社の目論見書を利用している。
 第一次大戦前のゴム栽培業は新規事業で海外事業であったため情報の非対称性が存在し、一般投資家が投資に踏み切るのは簡単ではなかったので、仲介者としてのプロモーターが重要な役割を果たした。著者は、銀行、経営代理会社・投資信託会社、エージェンシー・ハウス(AH、貿易商社)、それぞれによるゴム栽培会社の発起と証券引受を詳細に分析し、クラスター形成に果たした役割を抽出している。発起後、すべての機関がC型クラスター(AHなどをグループの中核的な統治機構とするクラスターを著者はC型クラスターと名付ける)を形成できたわけではない。銀行によるケースは事例が少なく、クラスター形成に至っていない。投資信託会社が経営代理会社と共同で発起業務を行った場合、両者がゴム栽培会社とイギリスの投資家とを取り結ぶ仲介者として企業者機能を提供した後、設立後は経営代理会社が経営管理能力を提供し、投資信託会社がガバナンス機能ないしモニタリング機能をもって、C型クラスターが形成された。銀行や信託投資会社は現地の情報をもった経営代理会社などと共同で発起業務を行ったのに対して、AHの場合は、情報収集能力と企業者精神に秀でていたため、マラヤのゴム栽培業の最初の有能なプロモーターとなり、単独で発起業務を遂行した。
 第6章は中小規模のエージェンシー・ハウス(AH、貿易商社)とゴム栽培会社によるクラスター内部の企業間関係を検討することによって、イギリスの海外直接投資者とそのグループの性格を明らかにする。著者はRPC(ゴム会社要覧)と投資家向け年鑑(Stock Exchange Official Yearbook)、および取締役要覧(Directory of Directors)を資料として用いている。経営の詳細な実態あるいは持ち株関係はこれらの資料では不明であるが、これらの点は第7章で扱われる。
 20世紀初頭には、東南アジアにおけるゴム栽培業への投資に特化した投資信託会社が設立された。どのAHグループにも栽培会社の株式保有のために投資信託会社が存在した。
 第6章では三つの事例を取り上げているが、事例1では、ゴム栽培会社の間での取締役兼任は見られたが、それ以外の企業の間では取締役兼任は見られなかった。このクラスターのゴム栽培会社は、取締役兼任によるゴム栽培者間の情報共有によって意志決定を効率化することなどができたと考えられる。
 事例2では栽培会社の複数の中心的取締役と投資信託会社の取締役が同一人物であった。著者は投資信託会社が栽培会社に取締役を派遣したと推測しているが、前者が後者をモニターする機能がどの程度であったかは不明だとしている。
 事例3は、投資信託会社の取締役会長がグループのほとんどのゴム栽培会社の取締役会長を兼任しており、投資信託会社によるC型クラスターと考えられる。
第7章は、貿易商社とゴム栽培会社とによって形成されたC型クラスターの性質を明らかにするために、クラスター内部の資金的資源の取引を検討する。
 アメリカ多国籍企業のモデルは階層性組織をとり、親会社から海外子会社へ経営資源のパッケージが提供された。エージェンシー・ハウス(AH、貿易商社)を中核的統治機構とするC型クラスターにおいても大手イギリス商社はゴム栽培会社へ経営資源のパッケージを提供した。クラスター内部の商社とゴム栽培会社との間の取引は通常の市場的取引でも、階層性組織の取引でもなく、系列取引であった。本章ではAHであるHarrison & Crossfields社(H&C社)とゴム栽培会社との間で1920年代に(本論文の対象時期より少し後になる)取り交わされた書簡やその他の同社内部資料、同社の社史を分析し、同社とゴム栽培会社の間での資金取引を明らかにしている。それによるとH&C社はゴム栽培会社に対して有利な条件での資金提供、社債の割引買取、高利での貸付を行っていた。小規模なゴム栽培会社には他に資金調達方法がなかったことを考えると、これらは救済的な資金提供であったと著者は判断している。またH&C社の取締役はグループのほとんどのゴム栽培会社の取締役を兼任しており、それはマラヤのみならず、セイロン、インドのゴム栽培会社にも及んでいた。同社は特定地域の知識をもった取締役や生産管理者をその地域の複数のゴム栽培会社の取締役として配置することで、効率的にゴム栽培会社を管理した。
 終章 結論は、(1) 特徴(ゴム栽培会社の特徴)、(2) 機能(クラスターにおける商社の機能)、(3) 市場と組織(クラスターの性格分析)、(4) 内部化理論に基づく理論モデルの利用、以上四つの視点からまとめられている。

Ⅲ.本論文の成果と問題点
 本論文の成果の第一は、第一次大戦前のイギリスの多国籍企業、海外投資について、英領マラヤのゴム栽培会社を対象として、理論、実証の両面の研究において一定の貢献をしたことである。本論文は、一方でフリースタンディング・カンパニー論を手がかりとして、多国籍企業、海外投資について理論的な検討を加え、他方でマラヤのゴム栽培会社にかかわる史資料を博捜して実証的分析を行った。理論的な検討においては、フリースタンディング・カンパニー論を巡る論争にかかわる主要な研究を批判的に検討し、諸家の所説の意義と限界を整理した。実証面ではマラヤのゴム栽培会社とイギリス商社について広く文献や史資料に丹念にあたり、企業の特徴と企業間関係を明らかにした。
第二に、本論文は、従来この時期のイギリスの多国籍企業や海外直接投資者の研究において、ともすると理論モデルでの議論に実証的、資料的裏付けが弱かったという状況の中で、理論モデルに実証的な検証を加えた。これは本論文の大きな貢献と言ってよいだろう。この分野の実証研究の対象は、社史が刊行されている企業などに限られてきた。著者は一方で特定の会社に焦点を絞って、その社史や内部資料を分析するという方法を利用しつつも、他方で、視点を変えて、広く企業要覧、年鑑、新聞に掲載された企業の目論見書などを利用して、株式の発行、取締役会の構成、取締役の派遣、取締役の兼任状態などを丹念に調べ、それを主な資料、根拠として論を展開している。その結果これまで明らかでなかった複数のゴム栽培会社の傾向や企業間の関係などを明らかにすることに成功した。
第三に、英領マラヤのゴム栽培会社と商社について多面的に検討したことが挙げられる。本論文は、ゴム栽培会社だけでなく、それと密接な関係にあったエージェンシー・ハウス(イギリス商社)およびゴム栽培会社と商社の関係についても詳細に検討している。これまで日本ではインドの経営代理制度などは研究があるが、マラヤ(マレーシア)のゴム栽培会社については数少ない本格的な研究と言えよう。本論文が検討した事項は、ゴム栽培会社の資本調達、本社機能、取締役会、経営代理会社と投資信託会社、商社による発起と証券引受、商社による株式所有と融資、など多岐にわたり、それによってこの時期のゴム栽培関連の企業や投資の特徴を仔細に明らかにしている。
 本論文は、以上のような成果をあげたことが評価されるが、いくつかの問題点も認められる。第一は時代的限定性が明確にされていないことである。本論文が明らかにした特徴は、どの程度この時代に限定された特徴なのか。第3章においては、フリースタンディング・カンパニーが持株会社組織の多国籍企業による海外投資への過渡的な組織形態である可能性が示唆されているものの、論文全体としては、歴史的展開が体系的に説明されていない。対象の時期はゴム産業の草創期で、本論文が明らかにしたゴム栽培会社とイギリス系商社の特徴などは草創期に固有の特徴であった可能性がある。
 第二に、本論文は「英領マラヤのゴム栽培会社の事例」を分析することで、「第一次大戦前におけるイギリスの海外ビジネス展開」の特質を解明するという構成になっている。しかしマラヤのゴム栽培会社は、いうまでもなくイギリスの海外ビジネス展開の中の一つに過ぎない。また、フリースタンディング・カンパニーの代表例はゴム栽培会社と鉱山会社とされるのに対して、本論文では鉱山会社の検討は副次的、部分的にしか行われていない。
 第三に、第二の点とかかわるが、本論文では、当時の英領マラヤのゴム生産がイギリス帝国の中で、あるいは日本などアジアとの関係においてどのように位置づけられ、規定されていたかについて、ほとんど考察されていない。
 これらの問題点は、しかし本論文の中心的な論点に関するものではなく、本論文の限界については著者も十分自覚しており、今後改善が図られると思われる。
以上のように審査委員一同は本論文が当該研究分野の発展に貢献するものと認め、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するにふさわしい業績と判断した。

最終試験の結果の要旨

2013年1月16日

2012年12月11日、学位請求論文提出者猿渡啓子氏の論文についての最終試験および語学試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文「第1次大戦前におけるイギリスの海外ビジネス展開―英領マラヤのゴム栽培会社の事例」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、猿渡啓子氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮し、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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