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博士論文審査要旨

論文題目:20世紀初頭のアメリカにおける家族をめぐるポリティクス
著者:後藤 千織 (GOTO,Chiori)
論文審査委員:貴堂嘉之・中野聡・坂元ひろ子

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1. 本論文の構成

 アメリカ合衆国では、19世紀末から20世紀初頭の革新主義の時代に、さまざまな社会改良運動や政治改革運動が展開するとともに、結婚・セクシュアリティ・再生産を管理する連邦法、州法が数多く制定された。これらの法律群はこれまでの研究史でも注目を集め、革新主義期のアメリカでは家族の規律化がいかに重要であったのか、国家による家族への介入の具体的な手段に関する研究が積み上げられてきた。だが、本論文は、20世紀初頭の南カリフォルニアにおいて、これらの法律群に日系や中国系などのアジア系移民集団や労働者階級が実際どのように対峙したのかを裁判所記録や福祉政策資料から丹念に明らかにすることで、決してこれらの法体系に彼らが一方的に服したわけではなく、むしろ社会の底辺に生きる彼ら自身が自らの家族やコミュニティ構成員の行動を規制するべく、意図的に司法や福祉行政の介入を招いていた実態を解明し、これらの法律を脱文脈化し流用していた彼らのエージェンシーを明らかにした。従来の上からの社会政策・福祉政策の位相だけでなく、下からのそれへの呼応を考察することで、アメリカの革新主義運動に通底するアメリカ合衆国の生権力のありさまを見事に描いて見せた力作である。
 本論文は二部構成からなる。第一部(1章~2章)では、中国・日本・インド・フィリピンからの移民に対する政治言説や移民帰化政策に着目するとともに、南カリフォルニアの福祉活動を分析することで、そこでの人種・国籍・居住権に左右される行政のありさまを描写した。また、第二部(3章~5章)では、南カリフォルニアの諸事例、具体的にはサンディエゴ郡の福祉団体の活動記録、ロサンゼルスの日系人コミュニティの裁判所資料、中国系移民の移民局資料などを活用して、これまでは単に公権力による家族への介入の犠牲者とみなされていた労働者階級や移民コミュニティが、家族を統制する法律群を利用していかに自らの領域を管理しようとしていたのかを検討した。本論文の章立ては以下の通りである。


序章
  先行研究の整理:生権力、家族史、ジェンダー・人種・エスニシティの法史学
(1) バイオ・ポリティクス:セクシュアリティを介した個人の規律化と人口の質的・量的管理
(2) 家族の歴史:近代国家における家族の役割
(3) 女性史と移民史の法史学への接近
  先行研究に対する本論文の位置づけ
  博士論文の構成と各章の概要  

第1部 20世紀初頭のアメリカにおける家族を統制する法律の生成
第1章 アジア人移民排斥言説に見る20世紀初頭のアメリカの生政治
 はじめに
1. アジア人移民のセクシュアリティ問題化
(1) 中国人排斥運動:売春婦/単身男性労働者/売春斡旋業者の批判
(2) 写真花嫁/過剰出産する女性:日本人移民女性のセクシュアリティ
(3) ヒンドゥ:移動労働者の問題視=男性同性愛批判
(4) マッキントッシュ・スーツを着たフィリピン人男性労働者=白人女性の保護
2. 国境での移民のセクシュアリティ管理の特徴
3. カリフォルニア州でのセクシュアリティの統制:広義の福祉政策から
4. アジア人移民のセクシュアリティの問題化のあり方が示唆するもの

第2章 福祉活動を通じたアメリカ的家族規範の強化
   1.19世紀後半から20世紀初頭にかけてのカリフォルニア州の福祉政策
     (1)福祉・司法制度における「子ども」の発見:子どもに特化した施設や政策の発達
     (2)社会問題解決の糸口としての「家族」の強化-:母親年金と1901年救貧法
     (3)「人種の自殺」の危機:子どもの質的・量的管理の開始
   2.サンディエゴ郡における私的・公的福祉政策の発達
   3.自立した家族の形成:貧困層の家族ネットワークの強化
     (1)家族を見棄てた男性の居場所の特定-家族遺棄の場合-
     (2)男性に対する仕事の斡旋と扶養義務の教化
     (3)法的手段を用いた男性の規律化
     (4)州およびサンディエゴ郡の福祉制度を活用した妻子の支援
     (5)残された妻子の経済的自立
     (6)サンディエゴ郡から他地域の親族のもとへの移送
   4.母性主義福祉政策と禁絶的優生学のローカルな作用
   5.救済対象の境界線:国籍・人種・居住権  

第2部 家族を統制する法律を飼い慣らす
第3章 家族扶養をめぐるジェンダー・ポリティクス
     -扶養義務不履行・家族遺棄の訴訟事例から-
1. 世紀転換期のアメリカにおける家族を見棄てる男性(male deserter)の顕在化
(1) 社会改革家が構築した家族を見棄てる男性家長のイメージ
(2) 男性家長による扶養義務不履行/家族遺棄に対処する法律制定
2. 扶養義務不履行/家族遺棄の定義の多様性
3. 男性労働者とその家族の司法・福祉政策を通じた規律化
4. 労働者階級家庭による懲罰的福祉政策の流用
5. 扶養義務不履行/家族遺棄の犯罪化の限界
結論

第4章 ロサンゼルスの日系移民社会の家族をめぐるポリティクス
     -1920年代の離婚訴訟を中心に-
1. アメリカ西部への日本人女性の移民:「売春婦」から「写真花嫁」へ
2. 1920年代の日系移民の離婚訴訟の特徴
3. 離婚訴訟を起こした日系移民の表象
4. 日系移民社会における女性のセクシュアリティ管理
5. 女性による『羅府新報』紙上での反論
日系移民コミュニティにおけるセクシュアリティ管理

第5章 アジア系移民史と「家族」
     -中国人排斥法関連の移民局資料から-
1. 中国人排斥法が作りだしたドキュメンテーションの制度
2. ドキュメンテーションの制度を生きる:「不法移民」の誕生
(1) 排華法制定以後のメキシコ国境地帯の問題化
(2) サンディエゴにおける中国人労働者の居住登録(1892年5月~1894年5月)
(3) 国境線内部での中国系移民管理:「不法滞在」の取り締まり
3. 中国系家族として生きる:家族を証明するドキュメンテーション
(1) 書類上のアイデンティティを用いた不法入国の増加
(2) 家族の真正さの証明:出生証明書、結婚許可証
(3) インターエスニックな中国系移民家族
4. 中国系の移民局との接触:承認がもたらす合法性
結論

終章
   1.20世紀初頭のアメリカにおける生権力
   2.家族を統制する法律群を飼い慣らす

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2. 本論文の要旨

序章では、本論文の問題設定のあと、三つの研究目的が述べられる。第一は、革新主義期の連邦政府やカリフォルニア州政府が結婚・再生産・性行為を管理する法律をいかに制定したのかを検証し、どの社会集団がその法律群の運用対象となったのかを分析することで、アメリカの生権力の特質を明らかにすること。第二に、私的領域を統制する法体系が体現する理想的市民像や国家のイデオロギーが、人々の法律利用の過程で、いかにして草の根レベルに定着したのか。第三に、司法や福祉行政の介入に依存してまで、なぜ家族紐帯の管理が一般市民にとっても重要であったのか、その動機と背景を考察する、というものである。
そして、次に本論での立論において鍵となる、三つの分野の先行研究の検討がなされる。第一は、近代社会におけるセクシュアリティの管理に関するテーマである。ミシェル・フーコーが『性の歴史』でセクシュアリティと国家統治の技術の結びつきを問うて以来の、「生権力(bio-power)」にかかる研究史が詳述され、アメリカ史分野での成果と方法的欠陥が指摘される。第二に、アメリカ合衆国における家族の役割を考察したテーマで、福祉政策を通じた近代国家による家族への介入に関する考察や、家族概念がアメリカ市民権の境界線確定に果たした役割を検証してきた女性史・社会福祉史・黒人史・移民史分野の研究が整理されている。第三に、アメリカ社会で法制度がどのようにして人種ヒエラルキー、移民排除、女性の従属的地位を維持・強化してきたのかを検討する法史学分野の研究が紹介される。
 第一部「20世紀初頭のアメリカにおける家族を統制する法律の生成」、第一章では、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのアメリカ合衆国で、アジア人移民のセクシュアリティを問題化する移民排斥論者の言説を分析し、アメリカの生政治におけるアジア系人口の位置づけを考察した。排斥言説の具体例としては、中国系、日系、ヒンドゥ、フィリピン系などのアジア系諸集団を扱い、これらはみなセクシュアリティが問題化される点で共通していたが、その焦点は時代ごとに異なり、またこれらはアメリカの性文化の転換とつねにリンクしていた。また、アジア人移民のこうした政治言説は、アメリカ的家族規範の輪郭を明確にするために常に利用された。
 また、アジア人移民に対する連邦移民行政とカリフォルニア州の福祉行政を比較して考察し、前者では移民法や帰化法を介した生政治がアジア人移民の婚姻や再生産を防止する目的であった一方で、後者の州レベルでの生政治は「人種の自殺」-白人人口の減少と劣化-を防ぐことを主たる目的としていたことを明らかにした。
 第二章では、カリフォルニア州サンディエゴ郡の福祉団体の活動記録を資料として用いて、カリフォルニア州が東部で発達した福祉政策に影響されつつも、独自に貧困層の家族機能を強化し、彼らの再生産を質的・量的に管理することで社会問題を解決しようと福祉政策を発展させていった過程を追い、それらがどのような社会集団を対象に発展し、いかなる暴力性を内包していたのかを明らかにした。
 第2部「家族を統制する法律を飼い慣らす」、第三章では、同じくカリフォルニア州サンディエゴ郡の福祉団体の活動記録を用いて、家族扶養を怠った男性家長を処罰する法律を脱文脈化して利用しようとした労働者階級女性の戦術を分析し、そのジェンダー・ポリティックスを検証した。革新主義期のアメリカでは、貧困や青少年非行の原因として男性家長による家族遺棄・扶養義務不履行が問題化し、各州が法律を制定した。各地の福祉機関はこれらの法律を貧困層の女性に知らしめ、貧困家庭と裁判所を媒介する役割を果たし、女性達はこれらを利用することで、男性家長に家族扶養を要求することが可能となり、限定的ではあるが家庭内の権力関係を揺るがすこととなった。
第4章では、1920年代のロサンゼルスの日系移民社会の家族をめぐるポリティクスを扱った。日系社会の男性移民指導者層は、家族形成と二世の誕生を発展の要とみなして、姦通や駆け落ちなどの性非行の防止を試みた。だが、1920年代には日本人女性が提起する離婚訴訟が続発し、男性指導者層はこの背景には姦通があるとしてこれら女性を性的に不道徳な女性として表象し、市警や移民局など公的機関と協力しつつ、性的不道徳を取り締まる移民法や州法を用いて、日系移民のセクシュアリティを管理しようとした。だが逆に、訴訟を起こした日系人女性は、虐待・扶養義務不履行・家族遺棄などの法概念を独自に解釈して対抗し、離婚と性非行を同一視する男性指導者層を批判した。
 本論最終章となる第5章では、1875年のページ法や1882年の排華法を契機に始まった連邦政府による書類を使った出入国管理、ドキュメンテーションの制度が、中国系移民の不法入国を規制するどころか、虚偽のアイデンティティによる中国人移民の渡米を増加させ、それが書類上だけの親族関係、ペーパー・ファミリーを形成していく様子を、移民局の出入国管理資料から明らかにし、中国人移民が移民政策を飼い慣らしていった戦術を分析した。また、中国系がメキシコ系住民用に導入された「越境カード」の制度を身分証明書に利用するなど、他の移民集団を対象とした移民政策をも熟知し、それらを利用していた点を明らかにした。
 終章では、本論で扱った南カリフォルニアの事例を総括して、まずアメリカにおける生権力の特質について考察を加える。著者は、南北戦争後に移民・帰化政策の権限が州から連邦へと移行していく中で、連邦が特定の人種や階級、とりわけアジア系移民の家族形成や再生産を防止する政策をとった一方で、州政府はもっぱら「人種の自殺」を防止するために、結婚・再生産・セクシュアリティを管理・統制する福祉政策を展開し、「白人」人種の質的・量的管理を目指したことを明らかにする。同時代のアメリカの生権力とは、この連邦の移民政策と州の福祉政策(母性主義的政策かつ禁絶的優生学)の両輪により支えられ、この生権力の及ぶ範囲は、国籍・市民権・居住権・階級・地域の人種編成により異なる点を解明した。
 また、家族を統制する法律は決して、福祉機関や移民行政が一方的に押しつけるものではなく、様々なレベルで労働者階級やアジア系移民がそれら法律を飼い慣らす戦術をとったことが述べられる。例えば、それは第一に法概念の独自解釈であり、第二には裁判所や移民局の権威を、家庭内部やコミュニティのパワー・ポリティクスに利用することもあった。また、こうした飼い慣らしの一方で、彼らが法律に埋め込まれたアメリカ白人中産階級的な家族規範やジェンダー規範に部分的に取り込まれていった点が限界として指摘される。


3.本論文の成果と問題点

本論文の最大の成果として指摘できるのは、革新主義研究における大きな歴史的問いである、なぜこの時代に連邦政府や州政府が婚姻や再生産、セクシュアリティを管理・統制する法律を定めたのかという設問に対し、筆者が従来の革新主義研究の枠を越えて、アメリカの生権力の特質を明らかにしつつ、それを解明してみせた点にある。連邦や州の移民・福祉政策にのみ焦点を当ててきた従来の研究とは異なり、アジア系移民や労働者階級の生の声を伝える裁判所資料などを活用して、彼ら自身がこれらの法律を脱文脈化し用い、これらの法律を飼い慣らす側面があった点を浮かび上がらせた。また、アメリカの生権力については、これが連邦の移民・帰化法のレベルと州の福祉政策では異なる位相を持っており、国籍や市民権の有無、居住権や階級、地域の人種編成によって、生権力が及ぶ範囲が異なることを明らかにした点も評価できる。これまで革新主義運動は、その多様な運動形態からその総体をいかに定義するかすら評価が定まらずにいるが、本論文はその運動の多様性、その偏差を説明する糸口を与えてくれるものとなっている。
さらに、本論文はカリフォルニアのローカル・ヒストリーや、アジア系アメリカ人研究の立場からみても多くの新知見を提供している。一つの都市、一つのエスニック集団を研究対象とする研究が多いなか、本論文は南カリフォルニアという地域社会をフィールドに設定し、アジア系やメキシコ系、先住民らの比率の高いこの地域で、この多様な人種・移民集団への法運用の実態、法の飼い慣らし事例を多く示すことで、革新主義研究を新たな段階に引き上げる貢献をなした。同時代の禁絶的優生学と人種の関係を扱った研究では、アメリカ南部やプエルトリコなどを対象とするものが多く、カリフォルニアについては、同地域でアメリカでも突出した優生学的断種が実施された歴史を持つにも関わらず研究がいまだ手薄であることから、本論がカリフォルニアをフィールドとした意義は大きい。アジア系アメリカ人研究においても、あまり利用されることのなかった裁判資料を用いることで、アジア系の家族のポリティクス、コミュニティ・ポリティクスの分析を深化させた。
本論文ではこうした優れた成果が生み出された一方で、以下のような問題点も指摘することができる。第一に、論文全体で用いられている脱文脈化、飼い慣らしといった用語は、歴史学でその戦略を描く際には、実証面で困難が伴い、例えば支配的な家族制度に同調していく姿を「限界」として表現しているが、これをまた「飼い慣らし」と見なすことができないわけではない。第二に、本論で多用されている離婚裁判等の裁判資料は、資料を残さなかった人々の日常生活を垣間見せる貴重な資料となる一方で、裁判資料の大部分は弁護士やソーシャルワーカーらの視点から描かれており、その権力性に注意が必要であり、裁判の語りはパターン化している限界をどう考えるべきか、史料批判が必要ではないか。とはいえ、こうした問題点については著者も十分自覚しており、今後の研究のなかで克服されていくものと思われる。


4.結論
 審査員一同は、上記のような評価と、2013年1月21日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、後藤千織氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2013年3月13日

 2013年1月21日、学位論文提出者、後藤千織氏の論文について最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「20世紀初頭のアメリカにおける家族をめぐるポリティクス」についての審査委員からの質疑に対し、後藤千織氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって、審査委員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、後藤千織氏が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定し、合格と判定した。

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