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博士論文審査要旨

論文題目:20世紀メキシコにおける農村教育の社会史-農村学校をめぐる国家と教師と共同体-
著者:青木 利夫 (Aoki,Toshio)
論文審査委員:関啓子・落合一泰・木村元

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1.本論文の構成

本論文は、20世紀前半から半ばにかけてのメキシコにおける、学校教育の普及の歴史を、国家と共同体のはざまに立たされた農村教師の活動・役割そして奮闘から読み解く意欲的な、教育の社会史的な研究である。
 
本論文の構成は、次の通りである。
目次
序章 メキシコの農村教育をめぐる国家と教師と共同体
 1.問題の所在
 2.メキシコにおける学校教育普及の歴史的背景
 3.先行研究と本研究の課題
 4.本論文の構成
第1部 メキシコにおける「混血化」の思想
第1章 ホセ・バスコンセロスの「混血」思想の形成過程
  はじめに
  1.西欧中心主義批判としての「混血」論
  2.「ラテン」と「アングロサクソン」
  3.「文明」と「野蛮」
  おわりに
第2章 マヌエル・ガミオの人類学研究と「混血」
  はじめに
  1.インディオの「発見」
  2.インディオを知る
  3.インディオの救済/メキシコの救済
  おわりに
第3章 モイセス・サエンスの「インディオ」統合のための実験
  はじめに
  1.「死せるインディオ」から「生きるインディオ」へ
  2.「幼子」インディオから「メスティーソ」へ
  3.「混血化」の実験
  おわりに
第2部 「農村教育」のはじまりとその役割
第4章 公教育省の再建と教育の「連邦化」
  はじめに
  1.教育の中央集権化の試み
  2.バスコンセロスの公教育省設置計画
  3.公教育省の権限拡大
  おわりに
第5章 農村地域独自の教育と「農村教師」の養成
  はじめに
  1.教員養成の開始
  2.「農村教育」と「農村教師」の誕生
  3.農業学校と農村師範学校
  おわりに
第6章 社会改良運動としての「農村教育」
  はじめに
  1.「村の家」と「文化伝導団」
  2.文化伝導団の活動とその機能
  3.家庭・村・国家
  おわりに
第3部 学校をめぐる国家と住民の関係史
第7章 農村教師となるまで
  はじめに
  1.農村教師の訓練不足と不安
  2.勤務地に到着するまで
  3.勤務先での教師の位置
  おわりに
第8章 農村教師の戦略
  はじめに
  1.村の価値と農村教師
  2.学校にたいする住民の対応
  3.助言者または仲介者としての農村教師
  おわりに
第9章 村の学校
  はじめに
  1.学校施設の建設
  2.教師にたいする住民の協力
 3.住民による教師交代要求
  おわりに
終章 20世紀メキシコにおける教育社会史研究に向けて
 1.あらたな「公共空間」としての農村学校
 2.「公共空間」をめぐる住民と教師の生きられた歴史
 3.今後の課題
補論 統合主義から多文化主義へ―成長する農村教師―
資料
 1.メキシコ合州国憲法第3条
 2.統計
参考文献一覧

2.本論文の概要
序章で筆者は、先行研究を批判的に考察した上で、以下の課題を設定した。国家指導層の国家形成にかかわる思想を、「混血論」に焦点を当て検討すること、農村地域における教育の制度と計画を明らかにすること、農村地域の住民と農村教師が国家による公教育の構想にどのように向き合い、どのように生きたかを明らかにすること。
 第一部では、20世紀前半の農村教育政策に重要な役割をはたした国家指導者三人(ホセ・バスコンセロス José Vasconcelos 1882-1959、マヌエル・ガミオ Manuel Gamio 1883-1960、モイセス・サエンス Moisés Sáenz 1888-1941)をとりあげ、彼らが当時のメキシコ社会および先住民社会をどのように認識していたのか論じたうえで、それぞれの「混血」思想を検討する。この時代の「人種」をめぐる議論は、白人を頂点とし混血を人種の「退行」とする差別的な人種主義としてメキシコにもちこまれる。「混血論」は、そうした西欧中心主義に対抗するためのメキシコの独自の原理として登場してくる。第1章においては、その「混血論」の代表的論者のひとりであるホセ・バスコンセロスの混血思想の形成過程が明らかにされる。バスコンセロスは、1910年にはじまる革命に参加し、1921年にオブレゴン政権下で再建された公教育省(Secretaría de Educación Pública)の初代大臣としてメキシコ公教育の基礎を築いた教育家であった。また彼は、1925年に上梓した『宇宙的人種(Raza cósmica)』のなかで、ラテンアメリカにおいて混血がさらに進むことによって、白人をしのぐあらたな人種「宇宙的人種」が同地において誕生すると予言した特異な思想家としても知られている。第2章では、テオティワカン(Teotihuacan)などのメキシコの遺跡の発掘調査などで知られる考古学者であり人類学者であるマヌエル・ガミオのインディオ認識およびナショナリズムの思想が検討される。第3章においては、バスコンセロスのあとを引き継ぎ、農村教育の制度化を進めたモイセス・サエンスの思想と教育実践に焦点があてられる。
 以上の三人の共通点と相違点を筆者は次のよう捉えている。バスコンセロスは、メキシコにおけるスペイン文化の影響を重視し、先住民文化のもつ価値を高く評価することはなかったが、ガミオとサエンスは、先住民の権利や価値の復権とその擁護を主張するいわゆる「インディへニスモ(Indigenismo)」の潮流に属する。一見すると相対する立場にあるようにみえるバスコンセロスとガミオ、サンエスであるが、その思想をみるならば「混血」の推進によるメキシコの発展という意味において同じような議論を展開する、という。第1部の位置づけは、20世紀前半における農村教育普及に重要な役割をはたしたこの三人の思想や実践を検討することを通じて、当時の農村教育拡大の背景に潜む思想的な問題を明らかにするというものである。
 第2部では、筆者は、いかなる教育政策がつくられたのかを具体的に検討したうえで、それがもつ意味を探る。メキシコにおいては、独立当初から教育を担っていたのはカトリック教会やランカスター協会などの宗教団体、民間団体であり、公教育はおもに州政府などの地方自治体が担っていた。19世紀後半、ディアスの時代になると連邦政府が全国の教育権を掌握し、それをつうじて地方にたいする国家の介入を強めようとする試みがはじまる。第4章においては、連邦政府が全国の教育を統括しようとする「教育の連邦化」の試みに焦点をあて、ディアス時代にはじまり、革命という社会の変動期から国家の再建期にかけてそれが引き継がれていく過程を明らかにし、その意味を考察する。連邦政府が、制度改革を通じて、農村部をはじめとしてそれまで学校教育が普及していなかった地域に教員を派遣し、学校を開設し、そうすることによって、地元の権力者やカトリック教会が支配する地域において影響力を拡大する過程が記述される。そして、第5章においては、連邦政府が全国の農村地域に学校を拡大していくなかで、都市部の教育とは異なる農村地域に適した独自の教育として「農村教育」と呼ばれる教育政策をつくりあげ、それを担う「農村教師」と呼ばれる教員を養成しようとしたことに、筆者は着目し、農村教師養成の歴史とその意味を検討する。高等師範学校の設立や教育関連部局の創設などによって、農村教育関連の職が増大した。教員養成制度の拡大と整備に伴い、教員の間で給与や地位をめぐり階層化が起こる。筆者は、農村教育の拡大に伴う農村教師養成制度の整備が、教員の多様化と階層化そして組織化(教職員組合のような組織)をうみだす過程を詳細に叙述している。以上をふまえて、第6章では、「農村教育」の具体的な教育内容やその実践について明らかにし、その意味と問題点が論じられる。筆者は、公教育省が計画した教育カリキュラムや各地の実践報告を紹介し分析する。
第3部においては、第1部および第2部で明らかにした思想と制度を、教育の場で実行に移す作業に携わった農村教師と、教育を受ける側の住民に焦点を当てて、彼らが国家の意図や計画をどのように生きたのかを明らかにする。筆者は、国家指導層が教育によって育成しようとする国民像や連邦政府による具体的な教育政策がそのまま教育にかかわる教師や住民によって忠実に実践されることはまれである、とみる。実際の教育現場において、共同体のなかで異なる立場にある人びとは、みずからの利害や権力をはかりながらそれぞれが教育にたいして異なる対応をするであろうし、教師のかかわりかたも共同体の状況によって大きくかわってくるであろう。それゆえに、国家の意図や政策が全国統一であっても、それがどのように実施されたのか、あるいはされなかったのか、その教育の実態は地域や時代によって大きく異なっている。第3部では、こうしたさまざまな住民や農村教師によって生きられた教育の歴史について検討される。第7章においては、国家による教育を現場で実際に担う教師が、どういう経緯で教師となり、そして住民と直接接触するなかでどのような立場におかれ、そしてどのような問題に直面したのかが明らかにされる。教師が住民の要求などに気を配るようすや、視学官の視察を受けるなど厳しい管理下に置かれていた状況が詳細に描かれている。第8章では、そうした共同体のなかで直面する問題にたいして教師がいかなる「戦略」をもってそれを乗り越えようとしたのか、その具体的な対応について何名かの教師を取り上げて詳しく検討する。第9章において、筆者は、住民がどのように学校や教師を受け入れ、そしてみずからの要求をつきつけたのか、教師を介した国家と住民との関係を考察し、学校教育をめぐる国家と住民とのかけひきの様相を明らかにする。
農村地域における学校が国家と住民あるいは共同体とのあいだにある緊張関係のなかで、いかなる機能をはたしていたのか、国家と住民とのはざまに立たされた農村教師に焦点をあてて考察した結果、どのような点が明らかになったかが、終章でまとめられる。
第1部についての成果は次の通りである。バスコンセロスとガミオ、サエンスは異なる立場にありながら、先住民社会を「西欧文明」の継承者である都市白人層の社会に統合するという意味での「混血」という点において共通していた。バスコンセロスにとっては「野蛮の文明化」が、そしてガミオやサエンスにとっては先住民の「救済」が、学校教育の目的であった。しかしながら、彼らが理解していなかったことは、農村地域に住む人びとが、声をあげることもできず救済の手をまつだけの受け身の存在では決してなかったということである。また、学校教育にたいして住民が無関心であったり抵抗したりすることは、かならずしも、経済的、社会的、文化的「遅れ」や「宗教的狂信主義」によるものではなく、そこには、自分たちの生活や子どもを守ろうとする住民の意思が働いていたということも理解していなかったのである。
第2部は、学校教育の普及にかかわる制度の整備、とりわけ農村教育の拡大と農村教師という専門職の誕生の過程を解明した。以下の点が明らかになった。先住民のための特別な教育は、地域の実情にあった農牧業や小規模工業などの産業の促進、衛生や病気予防のための生活改善、スポーツや音楽などの文化活動、女子のための家事労働など、読み書き算にとどまることのない広範囲な活動を含んで計画された。そうした農村における社会改良あるいは生活改善運動ともいうべき活動は「農村教育」と呼ばれ、それを担うための「農村教師」という専門職が誕生することになった。国家は、こうした農村教育をつうじて、「近代的、科学的」知識を身につけた生産者および消費者、さらに、国家に忠誠を誓う愛国心をもった「メキシコ国民」を育成しようとした。そして、家族と共同体の一体化をとおして、農村地域の住民を国家へと統合することをめざしたのである。
 第3部は、こうした国家主導の農村教育にたいして住民がどのような対応をしたのかを、一次資料を用いて明らかにした。実際の教育現場にあって直接住民と相対することになった教師がいかなる活動をおこなったのか、また、住民が学校にたいしてどのような要求をしていたのかを検討し、メキシコにおける農村学校がはたしていた機能が明らかにされた。その作業は、農村教師の生活実態の解明に繋がった。教師は、学校教育を拒絶する地域においては、暴力によって村を追い出されたり、場合によっては生命さえも奪われたりするという危険に直面していた。そこで教師は、みずからの生命や生活を守り、そして教師としての任務をはたすためにどのような行動をとったのか、教師の回想録などを史料として、生き残りのための教師の「戦略」が読み解かれた。その結果、教師はつねに国家の計画や指示どおりに教育活動をおこなったり、住民を指導したりしていたわけではなく、住民の信頼を得るため、彼らと妥協したり、距離をおいたり、ときには彼らに服従したりすることによって住民との関係を維持しようする姿が浮かびあがった。一方、住民は、教育を受容したり拒絶したりしながら、みずからの権力や利益の保持、拡大を図るべく教師や学校を利用していたことが明らかとなった。
 メキシコにおける農村教育の拡大は、国家の指導層にとっては、メキシコ全国に国家の影響力を広げるとともに、国家の発展のために有用な「メキシコ国民」の育成とその国民の統合を成し遂げるための重要な過程であった。しかしながら、国家のそうした意図のとおりに住民が学校教育を受容したわけではない。住民の側は、国家から派遣されてくる教師が自分たちにとって有益であるかどうかを厳しく判断し、有益であるとされた教師を「仲介役」として使いながら、さまざまな価値や権利や権力をめぐって国家とかけひきを繰り広げていた。すなわち、「農村学校」は、こうしたかけひきをするためのあらたな「公共空間」として機能していたのであり、住民にとって農村教育の拡大は、国家と「交渉」をおこなうための手段を手に入れることを意味していたのである。このように結論する筆者は、留意しなければならないこととして、同一地域内あるいはひとつの共同体内であっても、住民のあいだにある利害や権力をめぐる関係は多様で、重層的であり、住民すべてが学校教育にかんして同じ方向を向いていたわけではないと指摘している。

3.本論文の成果と問題点
本論文の成果は、以下の三点にまとめられる。
 本論文は、三部構成になっているが、その構成が、教育の社会史的な研究のあるあり方を提起することに成功している。第一の成果は、この点である。第一部では代表的な国家指導層の国家形成思想が紹介され、第二部では、教育の公的制度化の過程について、とりわけ農村教育にフォーカスをあて考察され、第三部では、農村教師の状況、困難と役割が明らかにされている。思想研究によってメキシコという国家ゆえの教育の近代化の独自性が照らし出され、教育制度に仕込まれる理念のエッセンスが紹介された上で、メキシコの公教育制度の整備過程が明らかにされ、続いて、学校の普及という近代化政策の実現過程を、教師の活動と役割という観点から考察する。近代教育の推進という国家課題がどのように果たされたかを、学校の普及という課題にとって困難な地域である農村部を舞台に、国家の制度と意図、教師の活動、住民(共同体)の教育意思とのかみあい方およびそれの動態として描くことに、本論文は成功している。
第二の成果は、官報、官僚による公文書、視学官の報告書、教師の回想録、住民の請願書などの一次史料を用いて、1920年代のメキシコの「農村教師」を社会史的に描き出した点である。収集された史料は、筆者が文書館に、長期にわたり何度も通い詰めた結果得られたものである。筆者は、一次史料を丹念に渉猟し、丁寧に読み解き、教師が、不安定な立場と困難な生活条件(住民の援助と協力がなければ生活ができない実態)のなかで、農村住民によって求められる多様な役割(書類作成の援助者、問題解決の助言者、仲介者、生活技術の伝達者など)に対応しながら、住民からの抵抗や非難を乗り越え、学校教師としての位置取りを確保した点を明らかにしている。教師たちは、国家による教育の普及に対立するカトリック関係者や地域権力者との相克をへながら、「メキシコ国民」をつくるという役割を担うのであり、国家の教育理念や計画を地域の事情に合うように工夫し、住民との関係と国家との関係のバランスを模索する。そうしたすがたのなかに「農村教師」という専門職の独特なありようが描き出され、教育の近代化に取り組む農村教師と住民の物語が示された。
第三に、メキシコの教育研究としての成果を指摘したい。わが国での教育研究において、ラテンアメリカ研究は手薄である。メキシコをめぐる教育研究の蓄積はあるにはあるが、教育事情の紹介やあるトピックについての断片的なものが多い。そのなかで、筆者の論文は、教育の社会史的研究として、日本におけるメキシコ研究の発展に貢献するものである。制度史として注目に値するラテンアメリカ研究もあるが、教師や住民の息づかいが感じられるような教育研究として、本論文は優れている。これまでの教育研究が、先住民への支援の内容と成果を明らかにしてきたのに対し、本論文は一次資料を用いて、学校と教師への先住民の声を拾いあげた点も、評価に値する。
本論文の問題点は、以下の二点である。
 農村先住民の「国民化」という当初の教育目的は、どのように、またどの程度達成されたのだろうか。この点について、真正面から応えているとはいいがたい。これが第一の問題点である。現代メキシコの地方農村を見ると、その達成度が必ずしも高くなかった地域があった。それは何故なのか。20世紀のメキシコにおけるこの種の教育活動に対する全体的評価を示してほしかったと思う。そのことは、第一部で取り上げた「宇宙的人種」「インディヘニスモ」など当時の思想とその実践を、本研究を通じ、いかに評価するかにもつながってくる。「インディヘニスモ」は、革命以降のメキシコにおいて、不可侵ともいえる国家的価値をもってきた。しかし、それは政府の進歩主義と温情主義に彩られた、先住民抜きの先住民主義という性格をもっていた。1970年代以降の国家先住民庁(Instituto Nacional Indigenista = National Indianist Institute)批判の根源はここにあった。そこで、本論文には第二部、第三部の後に第一部を見返す視点はあまりないが、この視点を確立すれば、革命後のメキシコ農村部における教育実践を全体的に評価することができたのではないかと思われる。
第二の問題点は、回想録の利用の仕方をめぐるものである。筆者は、回想録に収録された教師の歴史はごく一部の歴史でしかないと指摘するなど、回想録の性格とそれの限界を自覚しているものの、史資料に対する批判的考察については十分とはいえない。教師の回想録は村落での活動から約半世紀後に出版されており、少なくなった当事者による記録という価値をもつ。と同時に、意識的・無意識的な事後的選別が作用した可能性のある資料である。回想録の記述内容を相対化できる当時の住民側資料は少ないとしても、回想の収集の社会的な意味づけを押さえた資料批判を提示してほしかった。具体的な農村教師の葛藤を描くことに焦点があてられている点は高く評価できるのだが、教師は何を教えねばならなかったのか、さらには、教師自身が身につけることになっていた制度的な教養はどのようなものであったかなどの情報をもっと多く含めたならば、回想録に基づく葛藤の社会史的な解釈をいっそう深めることができたのではないだろうか。
しかし上記の問題点については、筆者自身も十分自覚しているところであり、審査委員もまたそれらは筆者の今後の研究において克服されるものと期待している。
 よって、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2013年3月13日

2013年2月13日、学位請求論文提出者、青木利夫氏についての最終試験をおこなった。
 本試験においては、提出論文「20世紀メキシコにおける農村教育の社会史—農村学校をめぐる国家と教師と共同体 —」についての審査委員の質疑に対し、青木利夫氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって、審査委員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに値するものと判断する。

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