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博士論文審査要旨

論文題目:観光地ケアンズの生成と日本企業—イメージ戦略をめぐる政治過程と地域社会変動—
著者:小野塚 和人 (ONOZUKA, Kazuhito)
論文審査委員:ジョナサン ルイス、町村 敬志、福富 満久、マイク モラスキー

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1 本論文の構成
 本論文は、観光開発とそれに伴う資本と人の移動を題材としながら、近代性の変遷と資本主義の変化の中で、社会空間の編成がいかに変わっていくかを考察することをめざす。なかでも、観光開発によっていかなる空間編成が生まれるかを理論的かつ実証的に探究する点に大きな特色がある。このため本論文は、オーストラリア・クイーンズランド州最北部地域(Far North Queensland; 以下、FNQ 地域とする)に位置するケアンズを対象として選択し、1980年代以降、このローカルな場に介入をした日本との関係において生起した観光開発をめぐる地域社会変動と政治過程を考察する。
本論文の目次は以下の通りである。
序章  問題設定 1
1. 問題の所在 1
2. 研究方法 3
3. 研究対象地と考察対象の概要、選定の理由と意義 5
4. 先行成果における本論文の位置および独自性 17
5. 本論文の構成 36
第1章 再帰的近代化と「統御不能なもの」の拡大 39
1. 問題の所在 39
2. 「第二の近代」としての再帰的近代 42
3. 「第三の近代」としてのコスモポリタン的近代 48
4. コスモポリタン的近代の持つ陥穽 51
5. 小括 56
第2章 観光開発による社会空間の生産をめぐる都市社会学的考察 58
1. 問題の所在 58
2. 観光開発のもたらす住民と社会への影響 59
3. ポストフォーディズム的な社会編成の拡大と観光開発の台頭 64
4. 場所の卓越化と観光による都市化にむけた動きとその帰結 73
5. 観光地化による場所の商品化 80
6. 小括 85
第3章 観光地ケアンズの系譜と「発見」 88
1. 問題の所在 88
2. 混淆する場としての FNQ 地域と「プレデターとしてのアジア」の存在 90
3. 入植地としてのケアンズの「発見」とアジア人労働者の社会活動 98
4. 観光地としてのケアンズの「発見」 102
5. 小括 105
第4章 ケアンズにおける観光開発による再建をめぐる政治過程 107
1. 問題の所在 107
2. 「アウトレット」としての日本市場 108
3. 観光業を通じた再建 115
4. 開発事業をめぐる政策的状況 124
5. 日本の状況 135
6. 小括 139

第5章 観光地ケアンズの生成と日本企業の投資をめぐる地域社会変動 142
1. 問題の所在 142
2. 日本企業大京の展開 143
3. パラノイアの増幅と政治家のジレンマ 156
4. 批判の回避 169
5. トリニティ・インレットとエスプラネード沖合における干潟の保護運動 179
6. 観光開発の顛末 185
7. 小括 195

第6章 ケアンズにおける産業再編による人口変動と所得格差の動向 197
1. 問題の所在 197
2. 観光開発を通じた産業再編 201
3. 観光開発を通じた人口動態 203
4. 所得格差をめぐる動向 212
5. 小括 218
結論 観光開発とその後 221
巻末資料 234
参考文献 247


2 本論文の概要
 オーストラリアを舞台に観光開発によっていかなる空間編成が生まれるかを理論的かつ実証的に探究する本論文は、都市社会学、国際社会学、地域研究(オーストラリア)の境界領域に位置する作品として読み解くことができる。観光開発による資本の移動とそれに伴う社会空間編成の生起と展開の考察を主軸としながら、とりわけアジアからの勢力の到来と現地住民との社会関係によって、現地の社会空間が大きく変遷を遂げていく過程を、本論文は、歴史社会学的、都市社会学的手法を駆使しながら精密に描き出す。とりわけ本論文は、1980 年代からケアンズに大規模な投資をおこなった日本企業大京の経済活動に注目し、その活動を明らかにするとともに、結果的に殺到した「異質な他者」としての観光客、そして国内外からの移民に対する地域社会の多様な反応を、多くの現地資料を用いながら分厚い記述で解明する。
 第1章では、ウルリッヒ・ベックによる近代性の展開をめぐる議論を批判的に検討する。ベックは、「第二の近代」への転換という考え方によって、ローカルな住民にとっての、「統御不能な状態(uncontrollable)」が拡大する趨勢の存在を示そうとした。さらにその後、ベックは、世界が「第三の近代」、すなわちコスモポリタン的近代とも言うべき時代に突入していることを主張する。広範な移民現象、異質な風物の大規模な移動に象徴されるように、いまや「統御不能なもの」の経験は、どのような領域内においても一般的なものとなりつつあるという。しかし、こうした議論は、他者を依然としてある種の「実体」として扱い続けることを暗黙の前提としており、結局のところ、管理する主体としての「我々」と異質な「他者」の存在を対比する従来の二分法的な図式と変わるところがない、と本論文は批判的に論じる。
 第2章では、観光開発を受け入れる側に注目し、観光開発によっていかなる社会変動が発生し、そこからいかなる空間編成が生まれるかについて、主に都市や空間に関する社会学理論の成果を応用して考察を行う。観光開発はフォーディズムからポストフォーディズムへの変換の象徴の一つともいえる。フォーディズムにおいては、財の大量生産と大量消費が特徴となるのに対し、ポストフォーディズムでは、記号やイメージの消費が主流になる。各観光地は、集客市場の中で他の観光地とのイメージ面での差別化をはかろうとする。しかしその一方で、提供されるサービスや建設される建物は、結果的にどの観光地でもさほど違わないという「マクドナルド化」現象が起きていることを筆者は論じる。しかしそれでは、実際の観光地はどれも本当に同じなのだろうか。筆者による探究の作業は、ここからスタートを切る。
 第3章では、ケアンズの150年の歴史を遡り、この場所が、北からの「アジア的」な勢力と南からの「オーストラリア的」な勢力がオーバーラップし、混淆した結果として継続的に形成され続けている場であることを示す。例えば、1860年代から1930年代にいたるまで中国人は近隣の金鉱、後にはサトウキビ栽培場、バナナ栽培場などで労働し、ケアンズでチャイナタウンを形成した。そして、このようなアジア人労働者のケアンズにおける活動は、ケアンズを「極東」の 一部としての「エキゾチック」な場所として豪州南部地域の住民に認識させることになり、 南部地域の富裕層が避寒地としてケアンズを訪れるようになった。
 第4章では、1980年代に開始した、日本人観光客を主なターゲットにした開発の背景がまとめられる。クイーンズランド北部で栽培される農産物の価格が大きく下落した結果、それを代替する産業として大きく期待されたのが観光開発であった。なかでも1980年代当時に注目されたのが、経済成長と円高が進んでいた日本であった。地元議会関係者が国際空港建設に向けた連邦政府への働きかけと住民への説得を継続させた。国際空港が完成されてからは、日本から訪れる観光客が急激な増加を見せた。また、クイーンズランド州及びオーストラリアの政権が示す環境開発に対する立場は、一時的に変化することはあったものの、全体としては市場に任せる方針で一貫していたといえる。
 第5章では、大京がケアンズを日本人向けのリゾート地として形成するプロセスを描き出す。現地住民及び大京元社員からの聞き取り、地方新聞、政府機関の報告書など多数の情報源を用いた分析は、多くの興味深い発見を引き出している。大京が日本国内のマンション事業の分譲において、中間層の顧客を対象としていたのと同様に、ケアンズは、いわば「みんなのリゾート」として開発された。観光業や観光開発それ自体は、第三章で示したようにポストフォーディズム的な特色を持つ。大京による観光開発自体も、ポストフォーディズム的な特色を有していた。しかし、リゾート地の建設と運営をめぐっては、大京は下請けやアウトソーシングを行うことはなく、すべてのリゾートに 関連した施設や組織を一元的に管理する、フォーディズム的な経営様式を展開していく点に特色があった。
 第6章では、ケアンズにおける観光開発による社会変動を客観的に把握するための試みとして、住民の人口動態や所得格差などの情報を分析する。それによれば、ケアンズは観光業に関連した諸産業への依存度が強くなるにつれて、観光客や人口の変動に影響されやすい経済構造になっていった。例えば2011 年には、それまで最大の顧客であった日本人観光客はピーク時から大幅に減少している。また、観光開発の進展がこの地域の開放性を増大させたことによる意図せざる結果として、国内外からの移民が呼び寄せられたことを、本論文は資料をもとに丹念に明らかにする。しかし他方で、国勢調査のデータをもとにしたジニ係数の分析によれば、ケアンズにおける所得格差はこの間、むしろ縮小傾向にあった。これらの点は、グローバルな観光開発の地域社会への影響が、決して一様ではなく、きわめて多面的・多層的であることの傍証となっている。
3 本論文の成果と問題点
本論文の成果は以下のようにまとめられる。
(1) 第一に、クイーンズランド州北部そしてケアンズの観光開発をケースとして選定したことの意義を高く評価することができる。その理由は、ケアンズを対象とした先行研究が、オーストラリア研究においても、観光研究においても比較的少ないということによるだけでない。多様な文化圏のはざまに位置する一方で、開発は日本の特定企業によって主に推し進められたこと、また人口と規模が比較的小さい割にはその構造がグローバルな要因によって歴史的に規定されてきたことなどにより、ケアンズは、グローバル化や第3の近代化が住民にどのように体験されるかを調査する上で、一種の「実験室」としての特質を備えている。この都市を十分な厚みをもって分析したことにより得られた手法と発見は、激化する地域間競争の下で観光開発を進める他の地方や国(例えば、ドバイ)の研究にも発展させることが期待できる。
(2) ケアンズの歴史及び観光開発に関する1次資料を現地において徹底的に収集し、それらを明確な論理の下で読みやすい形でまとめたことは高く評価できる。25年前の観光開発に関する聞き取り調査を実施する上で著者は多くの困難にであったが、結果的に、開発肯定派と反対派の双方の声をバランスよく収集することに成功している。さらに、観光開発の住民への経済的なインパクトを測るために、統計データの収集とその分析を行ったことも高く評価できる。一つの方法に限定されず、複数の側面からできるだけ有効な情報を貪欲に収集し分析した本論文は、地域研究の好例と言ってよい作品となっている。
(3) ケアンズの観光開発を理論的に把握するため、本論文が社会学・地理学・政治学及び政治経済学の様々な理論の組み合わせに野心的に挑戦したことも大いに評価できる。それぞれの理論の長所と短所を論じた上で、ケアンズのケースの解読に役に立つ部分を採用する手際は、本論文のすぐれた点のひとつである。例えば、観光開発の問題を説明するため、著者は、Neil Brennerの「抽象的空間(abstract space)」と「具体的空間(concrete space)」の概念を利用する。Brennerの研究は空間をキー概念として捉えるため、スケール(グローバル・国・地域など)間関係の分析に秀でている反面、関係するアクター間の相互関係を軽視するという欠点があった。本研究はBrennerの空間概念のエッセンスを吸収しつつ、それをケアンズという個別ケースの分析へと過不足ない形で応用している。その結果、本研究はBrennerの研究にはときに欠けている、変化を内側からもたらすアクター間の相互連関への視点を獲得することに成功している。

他方、本論文の問題点としては、以下のような点があげられる。
(1) 複数の学問で展開されてきた概念と方法を組み合わせるという試みは野心的である一方、論文がなお理論的な統一感に欠けていることを指摘できる。。例えば、提示された仮説命題には「政治過程」が含められているが、本論文には必ずしも政治学的な分析が十分に盛り込まれていない。また、第6章では「産業構造の再編とそれに伴う人口動態と所得格差の動向を、統計分析を用いて分析する」という目標をたてているが、回帰分析などの統計分析を行なっていないため、分析が中途で終わっている印象を与える。さらに人と資本の移動はBeckのいう第1と第2の近代にも見られたのに、今回のケースをなぜ第3の近代としてしか説明できないか、この点についてはさらに理論的な考察が望ましい。最終的にケーススタディから理論的な考察へのフィードバックがもっと期待できたはずだが、残念ながら優れた現地調査で終わってしまう箇所が少なくない。
(2) 本論文で一つのキーワードとして「他者」が頻出するが、それが抽象的なままに残り、ケアンズというケースの分析の際に具体的にどのような意味で利用されているのかがなお明確ではない。また、観光客や外国人労働者がある国・地域の住民に「他者」として捉えられることがあることはいうまでもないが、本論文は、人だけではなく、外国から投資されてきた資本も「他者」として語る傾向がある。外国の投資家が購入した建物等が「他者」の肖像になることはもちろんあるが、資本自体を「他者」として扱えるかどうかは、疑問である。

ただし、こうした問題点は、小野塚氏自身もすでに自覚しており、今後の課題とした上で、さらに研究を進めて行くことが期待される。またこれらの問題点は、本論文の価値を著しく大きく損なうものではない。
以上のことから、審査員一同は、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績であると判定した。

最終試験の結果の要旨

2013年3月13日

 2012年12月14日、学位論文提出者小野塚和人氏の論文についての最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「観光地ケアンズの生成と日本企業-イメージ戦略をめぐる政治過程と地域社会変動-」についての審査員の質疑に対し、小野塚和人氏は十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員会は、小野塚和人氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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