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博士論文審査要旨

論文題目:戦後日本の国際化と中南米地域の「日系人」―在外日本人の重層性にみるナショナル・アイデンティティ―
著者:崔 ミンギョン (CHOI, Minkyung)
論文審査委員:小井土 彰宏、伊藤 るり、小林 多寿子、吉野 耕作

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I. 本論文の構成

本論文は、日系ラテンアメリカ人研究における、戦前移民の歴史的研究と90年代以降に来日した日系中南米人の研究という2つの研究領域の狭間のミッシング・リンクともいうべき1950年代から70年代までの時期に着目し、国際化の進展の中で、戦前からの日系移民、戦後海外移住者、移住援助機関、国際技術援助機関、海外進出企業という多様なトランスナショナルなアクターがどのような関係を歴史的変動過程の中で取り結び、その結果としてどのように<日本人の境界>が日本にルーツを持つ多様な人々の間で設定され、再編成されていったかに関する国際社会学的分析である。
その研究手法は、歴史的政策資料の分析を踏まえながら、すでに現役を退き高齢化しつつある戦後初期の国際化の前線で活躍した多様な専門家層への長時間の面接インタビュー通じたライフヒストリー調査に基づくデータが重要な部分を占め、単なる移民の社会学という域を超えたものである。越境的な公式組織の分析とトランスナショナルな個人史を踏まえ、移民現象に関連する諸領域を視野に収めた統合的な研究を目指した意欲的な学術論文といいうる。
 本論文は、問題関心と分析視角、研究の背景を説明する序章、第一章、第二章、次いで戦後日本における国際協力と日系人の支援の考査について検証する第三章、第四章、そして、企業の国際的展開と日系人の考査について検証を試みる第五章、第六章の3つの大きな構成部分から成り立っている。
目次

序章
1.問題提起 …………………………………………………………………………………1
2.先行研究の検討―ディアスポラと日系人
 2.1.ディアスポラからみるナショナル・アイデンティティ ……………………7
 2.2.ディアスポラとしての日系人の特徴 ………………………………………•10
 2.3.帰還したディアスポラとしての日系人 ……………………………………•13
3.分析対象と方法
 3.1.分析対象 ………………………………………………………………………•16
 3.2.分析方法 ………………………………………………………………………•19
4.論文の構成  ……………………………………………………………………………22

第一章 再構築される多元的なナショナル・アイデンティティと移動
1.分析枠組みの概要 ……………………………………………………………………•24
2.「再構築型ナショナリズム」と
戦後日本社会のナショナル・アイデンティティ …………………………………•25
3.誰のナショナル・アイデンティティなのか
―ナショナル・アイデンティティの多元性 ………………………………………•30
4.国際化と移動、そして、ナショナル・アイデンティティ ………………………•36

第二章 国際化と<日本からの人の流れ>、そして、<日本出身者>の重層化
1.研究背景の概要 ………………………………………………………………………•41
2.戦後日本における国際化の変容―その連続性と断絶性 …………………………•42
3.国際化と<日本からの人の流れ>―移住者から在留邦人へ ……………………•46
4.中南米地域における日本出身者の重層化 …………………………………………•51
5.日系人は誰なのか―日本政府による定義に注目して ……………………………•58

第三章  国際協力と日系人の交差―関連行政機関の変遷に注目して
1.戦後日本における国際協力の変容―中南米地域への技術協力を中心に ………•63
2.移住者と日系人の曖昧な区分、
そして、経済協力の主体としての位置付け―JEMIS ………………………………67
3.技術協力の客体としての移住者と日系人―OTCA …………………………………•73
4.国際協力へ組み込まれた移住と異質な日系人の誕生―JICA ……………………•79

第四章 <移住畑>の国際協力の担い手がみた戦後日本
1.組織の構成員としての<JEMIS出身>JICA元職員 …………………………………88
2.移住事業という職業の選択と海外移動への憧れ …………………………………•93
3.中南米地域における様々な<日本出身者>との<出会い> ……………………•98
4.国際協力と先進国日本で移住事業を続けること …………………………………103

第五章 日本企業の国際的な展開と日系人
1.もう一つの国際化、企業の海外進出とディアスポラの交差 ……………………110
2.日本企業の海外進出と中南米地域の特殊性―日系人の存在に注目して ………111
3.移住と企業進出の連続性、そして、日系人
―第一次中南米進出ブームを中心に ………………………………………………117
4.駐在員と日系人の分断―1970年代以降の現地雇用制度を中心に ………………123

第六章 日系人との<出会い>と「社会的距離」―元駐在員の語りから
1.中南米地域における駐在員と日系人の関係の多様性 ……………………………134
2.「ジャポネーズ(japonês/japonés )」というカテゴリーとの<出会い> …141
3.同僚としての日系人との<出会い> ………………………………………………146
4.過去の<出会い>が現在の<出会い>へ …………………………………………152

終章 
1.各章のまとめ …………………………………………………………………………158
2.本研究の成果
 2.1.ホームランドの国民国家としての歴史とディアスポラ研究の射程 ……162
 2.2.戦後日本の国際化の特殊性と日系人
―縮小後の<再拡張>とディアスポラ ……………………………………166
 2.3.ナショナル・アイデンティティの多元性―パッチワークを繋ぐこと …169
3.今後の課題 ……………………………………………………………………………173

参考文献 ………………………………………………………………………………・…176

II 本論文の要旨
 序章では、ニューカマー日系ラテンアメリカ人に対する認識において<日系人>よりも<ブラジル人>等の外国人性がなぜ強調されるようになったのか、という現代的状況への疑問から説き起こし、これに接近するために、戦後の日本の国際化過程の中での<日本人>と<日系人>を端緒とする日本社会の境界形成に研究の照準があわされていく。その上で、このナショナル・アイデンティティを分析するための視点としてディアスポラ概念を導入し、その先行研究の検討のうえで、国民国家を失うことのなかった日本からの海外流失の事例を“ホームランドの<不足>”という要因による特有のディアスポラ的な形態として把握する。分析対象としては、せまい意味での移民現象ではなく、移民と関連する諸現象として、国際援助活動、現地への企業進出などの平行した日本の国際化の過程を研究の視野に入れ、そこでのナショナル・アイデンティティをマクロ、メソ、ミクロの諸水準で分析することが目的として設定された。このための分析方法としては、1)文献研究と2)インタビュー調査が選ばれ、後者に関しては移住事業期間JEMIS出身者と日系企業の元中南米駐在員が対象とされ、その際、ライフストーリー・インタビューの手法を使用することの意義が説明された。
 第一章では、まずA.D.スミスをはじめとするナショナリズムの諸理論が検討される。その中で、戦後日本のナショナリズムが、吉野耕作が提起した<再構築型ナショナリズム>に該当し、歴史的なネーションへの安定した帰属感を前提として、境界設定こそが重要になるタイプであることが主張される。このタイプのナショナリズムの場合、従来の研究視点では一枚岩的なナショナリズムして描かれるのに対して、さまざまな集団が持つそれぞれのナショナリズムとしてのfragmentary nationalismという視点が重要であり、特に文化的仲介者とでもいいうる集団(ジャーナリスト、批評家、企業人等)がどのように境界設定に影響力をもつかに筆者は注目する。戦後の国際化初期段階に置いて、海外移住事業団(JEMIS)と国際事業団(JICA)そして先駆的な海外進出企業の職員・駐在員層が、当時の日本において国外の社会との極めて限られた接触機会をもつことができた社会集団であり、文化媒介者に該当するものと把握され、調査の対象と設定された。
 第二章では、本論文全体の歴史的な前提となる戦後日本における国際化過程を人の流れから検討している。未だ人の移動が制限されていた戦後初期では、移住が主要な国際移動の形態であり、中南米への移住は1952年以降1960年まで人口問題の解決方法として大きく拡大しながら、高度成長期に入ると急減するという大きな振幅ある変動の中で、在外日本人人口は、移住中心から政府関係者・企業駐在員といった在留邦人に力点が変わり、その重層化が進行し、その中で現在の日系人の位置づけにつながる規定が形成されていくようになったことが描き出される。
 第三章では、日本の国際的な地位の変化と国際協力関連行政機関の組織再編成に焦点があてられ、その中で日系人の地位の変動が考察される。日本経済の復興・高度経済成長を受けて、一方で移住者を送りだす要因は減少し、他方国際的には対外援助、特に技術協力の拡大が求められるようになった。この中で、1962年にJEMISは積極的に移住事業を推進しつつも、それを技術協力の担い手としての移住者という側面を強調することで意義づけ、その結果この段階では戦後移住者と戦前からの日系人は、共に現地との媒介役とされ、その境界線は曖昧化されていたことに注目する。これに対して、技術協力機関OCTAにおいては、実は移住者や日系人と密接な関係をもちながら、あくまで二国間関係という公式的枠組みに基づき、彼らは技術協力の客体として位置付けられた。そして、1974年にJEMISとOCTAがJICAに統合されると、技術協力部門の優位が確立し、移住事業はその論理に回収され、移住者と日系人を区分付ける必要性は弱まり、日系人は「日本人の境界」の<外>の存在としてより広い範囲の人々を含む存在となったことが、説明される。
 第四章では、第三章の分析をうけ、戦後の国際協力関連行政機関の変遷を各組織の構成員として経験した人々の語りを分析することで、国際協力と日系人の交差がミクロなレベルから考察された。JEMIS出身の元JICA職員からの聞き取りを通じて、彼らが戦後社会の中での極めて限られた海外活動の可能性を求めて移住事業という職業選択を行い、多様な海外日本人と接触しながらも、その社会的背景から移住者たちに密接で具体的な共感関係をもつ一方、海外駐在員たちの持つ「エリート意識」と「贅沢な生活様式」に対しては批判的な眼差しをむけ、移住者を包摂する境界意識をもっていたことが明らかにされている。ところが、海外移住の減少と相まって、JICAの発足は彼らの組織内での実質的な地位・評価を低下させていき、このことと連動しながら、移住者たちの位置づけも日本人の外側へと移り変わっていく。戦後初期世代としてのJEMIS出身者が、この移住者たちの位置づけの変化を戦後日本の国際的地位変動、国際援助組織の変動、そして自らのライフヒストリーと連関させるほどの歴史意識を持っていた点が明らかにされ、それが現在の彼らの在日中南米日系人への社会貢献活動につながることも示唆されている。
 第五章では、企業の国際的展開と日系人との関係について、マクロ、メソ・レベルからの分析が行われた。1950年代後半から1960年代初めまでの中南米への第一次進出ブームにおいて、日本企業の事業展開は農村や郊外地域における製造業が主流で、日系人は不可欠な現地協力者であり、また日系人にとっても日系企業進出は社会上昇のループであり、両者の関係は、居住者としての駐在員と日系人集団の間も含めて調和的であったと、筆者は評価する。これに対して、1970年代以降の第二次進出ブームの時期になると、①日本企業の海外進出のノウハウの蓄積、②都市部での非製造業への重点のシフトといった変化により、日系人への依存を減少させ、特に現地雇用制度による駐在員と日系人の差別待遇は両者の間の分断と葛藤を深めていったことが歴史的文書資料から明らかにされた。
 第六章では、第五章の分析を受けて、中南米地域への元駐在員からの聞き取りに基づいて、日系人との関係が検討される。駐在員たちは、日系人たちが歴史的に作ってきた肯定的な社会イメージの有用性から彼らと同じカテゴリーに分類されることを受け入れた一方、同時に著しい成長を遂げる日本と自己を同一化させ、「ジャポネーズ」を日本社会の境界の外側に位置づけていく傾向があったことを指摘する。ただし、それは日本企業の戦略にとって、「ジャポネーズ」の優先が労働力戦略としてはあり得ても、市場戦略や多人種・多民族社会の中での企業の社会的な立場からは難しいというジレンマの結果であったことも解明している。そして、このような葛藤が、90年代の中南米日系人の還流の中で、駐在員の一部に彼らと自らの民族性の共有の再認識を呼び起こし、生活支援などへと動機付ける場合のあることにも論及している。
 終章においては、この研究を通して、日本経済の勃興の中で「日系人」たちが次第に「日本人の境界」の外に位置づけられてきたことが指摘された上で、ディアスポラ的な存在にとってホームランドの国民国家としての歴史的な変動がその意識を規定する要因であることが強調された。近年の歴史社会学的研究におけるホームランドの縮小が民族性を共有しないものが<日本人の境界>から排除されて行く過程についての分析と対比して、国民国家の新たな経済的対外膨張によって、民族性を共有するディアスポラ的日系人が国民国家から排除されていく過程にも注目する必要を主張した。そのうえで、その排除の過程が決して一様ではなく、移住支援、技術援助、進出諸企業など、多様なフォーマル組織のもつ構造的な位置によってその境界形成の在り方に差異があることを指摘して論文が締めくくられる。


III 本論文の成果と問題点

本研究は、その独創的な着眼点によって、さまざまな成果を上げたが、その主要な貢献は次の諸点に整理することが可能であろう。
第一に、中南米日系人研究は、ニューカマー日系人の還流によって、過去20年間新たな展開を見てきたが、南米への移住の歴史学的研究と1980年代末以来の滞日日系中南米人の就労・生活研究の狭間にあたる時期の研究は極めて限られていた。本研究は、十分に分析されてこなかった1950年代から70年代の日本から中南米への新たなる移住者というミッシング・リンクともいうべき時期に着目し、日本経済の敗戦から復興の中での、多層的な「在外日本人」集団の形成のプロセスを分析し、日系人移民の歴史社会学的研究に貴重な貢献をしたと評価しうる。
第二に、国際移民研究の多くは、移住する人間やその自生的集団とネットワークに照準を当ててきた。本研究は、移民の送り出しとその後の定住にかかわる送り出し国側の国家機関、外郭団体、そして企業といったフォーマル組織の海外での活動というトランスナショナル研究のもう一つの面を視野にいれ、その組織の中で活動する人々が、同じ越境移動をした人間として、フォーマル組織の外側でその地域に生きる日系人移住者とどのような関係性を取り結び、その中でどのような社会的な境界が形成されてきたのかに照準を当てて分析している。フォーマル/インフォーマルな領域区分を超えた分析は移民研究に新しい可能性を開いたものと考えうる 。
 第三に、このような戦後日本の「国際化」にとって戦略的な位置を占める集団に照準を定め、その自己規定と他の在外日本人集団の距離の重層的で可変的な関係を検討することで、ナショナリズム研究の中で提出されてきたfragmentary nationalism(ネーションに対する多様な集団の持つ各々のナショナリズム)の視点を積極的に活用することに成功した。そして、そのことを通じて戦後日本の「国際化」の早い段階におけるその担い手集団が持った日本の内外の分節化が、日本人なるものの境界形成に大きく寄与し、特にかつては曖昧であった単なる在外日本人とは別の「日系人」カテゴリーの生成をもたらした事実の指摘は、日本のナショナリズム研究にとって重要な貢献と考えられる。
 第四に、本研究は、これまで注目されることが極めてまれであった日本政府の移住支援機関と国際援助機関という二つの組織間の関係を歴史的、制度論的に検討した点にも大きな特質がある。特に、移住支援機関と援助機関が統合され最終的に現在の国際援助機構JICAが形成されていく過程を、戦後日本が国際社会の中で台頭し経済的に交流していくマクロのプロセスと関連付け分析したことには意義がある。そのことで、技術貢献を中心とした国際援助機能が徐々に国策として優位に立ち、統合された組織内で移住支援部門が次第に副次的な位置に立たされていく様を、各機関で働いていた当事者の証言から浮かび上がらせることに成功した。日本の国際援助の展開を、単なる政策論を超えて、その実施の実態を執行組織の内在的な理解に基づいて分析した点で、国際援助の社会学的分析としての価値も併せ持っていると考える。
 第五に、本研究は、海外に展開した政府と民間企業のフォーマル組織の単なる公式活動にとどまらず、その中で生きた人間に着目し、当事者への詳細なインタビューに基づくライフヒストリー分析の手法を用いたことに方法的な大きな特徴がある。この研究方法により、国際化の担いとなった機関職員・企業駐在員の海外への志向やそこでの体験を、彼らの戦後日本での具体的な生活体験の文脈の中に位置づけるとともに、戦後日本社会の荒廃と限られたライフチャンスというマクロな状況と重ね合わせて理解することで、戦後における初期の国際化の社会史的背景への新たな視点を提供していることも見逃せない。また、このことを通して獲得した1950年代以来の経験に関する口述記録は、この世代の多くが既に年齢が70代になっていることを考えると、今の時期を逃せば収集することが困難なデータであり、日本の「国際化」過程の貴重な資料の蓄積への貢献としても評価できる。

 以上、本論文は多岐にわたる学問的な価値をもつと考えうるが、その一方、パイオニア的研究であるがゆえの問題点も、以下のように指摘しうる。
第一に、本論文において、筆者はディアスポラ概念を海外に在住する日本出身の多様な人口に当てはめて議論を展開している。この用法は、祖国喪失や民族の離散という古典的な概念の用法からは外れ、近年のやや拡散化しているディアスポラ論に接近したものであり、必ずしも具体分析の概念枠組みとして積極的に活用されているわけではない。ただし、この概念の活用によって、これまで十分に連関づけられてこなかった多様な「在外日本人」集団を相関させ統合的に把握することには、一定の積極的役割を果たしたといえる。このディアスポラ概念の活用の問題性は、本論文における実証的分析を経た結論部の考察において一定程度自覚化され、「在外日本人」とホームランドとの関係はディアスポラ概念の妥当する範囲のもっとも外延部に位置する、とこの例の持つ意義を規定している。今後は、この事例研究を踏まえ、ディアスポラ概念自体のさらなる批判的な理論的再検討が課題となる。
第二に、調査方法とデータの限界が指摘できる。まず、1950年代から70年代という戦後の「在外日本人」の移動と関連した諸機関や進出企業のキー・パーソンに関しての聞き取りが中心となることで、中南米在住・日系人および滞日・日系人からの聞き取りは行われなかった。その意味で、本研究には主に公式的組織に帰属した人々のナショナリズム意識の分析に集中した結果、その眼差される対象である「日系人」とされた人々もっていた意識や彼らのホームランドへのまなざしは、十分に検討の俎上に上ることはなかった。この点は、将来的に日系人集団自体への調査を通じて乗り越えられるべき課題と考える。
第三に、このような調査対象の設定によって、本研究が「在外日本人の重層性」を捉え、エスニシティの境界を問題としているにもかかわらず、重層性の捉え方が、意図的ではないにしても、ホームランドにおける「単一民族」としての「日本人」を追認する可能性をもつ展開になっていることがある。特にペルー、アルゼンチン、ボリビアにいる「日系人」の6~7割が沖縄系と考えられているにもかかわらず、「日系人」としてカテゴリー化された人々の内部のエスニックな境界については議論の対象とされず、JEMIS出身者や駐在員の支配的な「日本人」観を十分に批判的に対象化することなく、移動時期と移動に関わる制度的契機による境界性が中心となり、ホームランドに内在するエスニシティの多様性についての議論は、部分的に触れられているにとどまっている。
第四に、本研究の特質である日本国家・企業のフォーマル組織に属する在外日本人とその外側で現地社会に在住する日本にルーツを持つ人々との関係の考察は、貴重なナショナルな意識の分析をもたらしながらも、両者の関係を分析する際に、一方で組織論的な内部外部の環境という概念、他方で心理的距離という個人レベルの曖昧な概念を使うことでその関係を説明することに終始している。これは、メソ・レベルでの分析で、組織内・外と社会集団間という二つの境界が重層していることの認識不足が生み出した概念的な不明確化といえる。この点に、エスニックな境界のダイナミックな再編成に関する社会学理論の蓄積を積極的に応用すること等を通じて、このフォーマル組織とエスニックな組織の境界の媒介についての検討が、今後の筆者の大きな理論的課題といえる。

以上のような問題点について、著者は十分自覚をしており、口頭試問においてもそのような認識を確認することができた。


IV 結論 

審査員一同は、上記のような評価と2013年2月1日に実施した口述試験の結果に基づき、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、崔ミンギョン氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2013年3月1日

 2013年2月1日、学位論文提出者崔ミンギョン氏の論文について最終試験を行なった。試験においては、提出論文「戦後日本の国際化と中南米地域の「日系人」―在外日本人の重層性にみるナショナル・アイデンティティ」についての審査員の質疑に対し、崔ミンギョン氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって、審査員一同は、崔ミンギョン氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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