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博士論文審査要旨

論文題目:イギリス農村社会の危機とThomas Hardy:Wessex小説を中心として
著者:朴 恩美 (PARK, Eun Mi)
論文審査委員:糟谷啓介、滝沢正彦、中野知律

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【本論文の構成と構想】

 本論文は4章から構成されており、これに、論文の主旨を要約した序文「はじめに」と、結論を要約した「おわりに」が添えられ、最後に「参考文献」が付されている。各章の題名および構成は以下の通りである。

 はじめに
 第1章 Thomas Hardy の小説批評史--リアリズム論を中心に--
 第2章 Wessex の現実と Wessex 小説
     1. Hardy の Wessex
     2. Wessex 小説の時代背景
     3. 囲い込みと救貧法の影響
     4. 農村の中間階層と土地所有権の問題
     5. 農村共同体の伝統文化
 第3章 農村共同体の変動と教育問題
     1. Jude the Obscure における教育問題
     2. 農村共同体における教育の意味
     3. 女性教育の問題
 第4章 農村共同体の危機と女性の現実
     1. 女性生活の変化
     2. Tess of the d'Urbervilles と「純粋性論争」の誕生
     3. 女性の主体的な自我 : Tess の場合
     4. 教養階層の女性と自我実現の問題
 おわりに : Wessex 小説の成果と限界
 参考文献

 以上の構成全体を通して、朴氏は、Hardy の、一般に Wessex 小説と総称される一群の小説が、十九世紀後半の、急激に変貌しつつあったイギリス南西部農村地帯の経験していた現実を映し出した、リアリズム小説であったことを示そうとする。したがって、これらの作品のほとんどが「悲劇」に終わっているのは、これまでしばしば指摘されてきたような、Hardy 個人の悲観的人生観や運命観に由来するのではなく、農村共同体の変貌の現実を映し出したものであったことを強調し、作品に即してこれを具体的に論証しようとするものである。

 取り上げて、主に分析の対象とされている作品は、Far from the Madding Crowd (1874), The Return of the Native (1878), The Mayor of Caster-bridge (1886), The Woodlanders (1887), Tess of the d'Urbervilles (1891), Jude the Obscure (1895) の6冊であり、他に数編の短編小説と随筆・論文が引用されている。

 朴氏は、Hardy が Wessex と名付けた Dorset を中心とするイングランド南西部の農村地方は、単にこれらの小説の背景であっただけではなく、小説の内容そのものであったことを強調する。したがって、Hardy が設定した小説の登場人物の経験、彼等一人一人の悲劇は、Wessex そのものの経験であり、農村自体の悲劇であったと結論している。

【本論文の内容要旨】

 「はじめに」の中で、本論文の構想全体と主張の骨子が示された後、

 「第1章」では、Wesex 小説の過去の批評史が概観される。出版当初、ヴィクトリア朝の倫理観から非難されたり、雑誌に連載したことなどからも、大衆作家として受け取られていたようである。その後、その宿命論や自然主義的要素が注目されるようにはなったが、F.R.Leavis が、その著 The Great Tradition (1948) で、英国小説の伝統から Hardy を排除したように、その評価は一般的に低かった。

 その後、リアリズム作家としての Hardy の見直しが進み、Wessex 小説の社会的歴史的な意味を再評価する傾向が強まった。この流れは、Arnold Kettke, An Introduction to the English Novel (1953) を嚆矢とするが、とりわけ、Raymond Williams, The English Novel from Dickens to Lawrence (1970) が、Hardy 批評に一時代を画することになった。この作業は、Douglas Brown, Irving Howe, Terry Eagleton, George Wotton, Peter Widdowson などによって受け継がれている。

 言葉の上で厄介な問題は、Hardy 自身が「リアリズム」を非難して、自分は「リアリズム作家」ではないと宣言している点であるが、それは、当時の用語法での「リアリズム」が、フランスの自然主義的な意味での「事実主義」「科学主義」、あるいは無批判にありのままを写す「複写主義」のことであり、Hardyの諸作品のリアリズムは、「想像力を媒介に追求した創造的な認識」であり、その「芸術的」表現であって、「現実以上の現実」を映し出すものであったと主張される。

 「第2章」では、Wessex 地方の実際の生活を吟味し、小説の背景と比較検討する。Wessex は Hardy がイングランド南西部の農村地帯に与えた名称であり、芸術上の要請から創造された虚構の空間であるが、そこは、当時の農村の問題を、現実の農村以上に鮮やかに描き出すものとして設定されている。たとえば、Hardy の Casterbridge は、「実際の Dorchester以上に Dorchester らしい場所であった」と言われる。

 19世紀英国の農村は、鉄道や農業機械の導入・「囲い地 (Engrossing)」等によって、伝統的な農村経営や階級制度が大規模な変化を経験しつつあった。一部上昇転化した例外を除いて、小規模経営農民は農地を奪われて急速にプロレタリアート化して行った。農業技術の改良による余剰労働力は大都市に流れ込み、そのうちのかなりの部分が海外に移住している。

 中規模の借地農や職人・小商人などで構成される「中間階層」は、上昇しうる可能性が残されていただけに、伝統的農村文化を誇りとし、自らのプロレタリアート化に抵抗しようとした。Tess や Jude、Vennと Thomasin (The Return of the Native) など、Hardy が Wessex 小説の中心に据えた人物は、こうした「中間階層」であった。彼等の没落は、「中間階層」の没落だけではなく、農村世界の崩壊とも深くかかわっていた。

 「第3章」では、教育の問題に焦点を絞って、現実の農民教育とその果たした役割が、個々の作品での描かれ方と並べて吟味される。Jude の悲劇は、当時の大学が広く大衆に開かれつつあった、あるいは開かれているという幻想を抱かせつつあったことと深く関係している。また、1870年頃に、多様に発展し始めた教育の諸制度とも関係している。小さな慈善学校から、農業技術教育、中等教育などの機関の発達が、Jude の大学教育へのあこがれに繋がっている。彼が大学から拒絶されることは、大学が学問の府であると同時に、階級的には最も排他的な場所であったことを示している。

 このことは、教育の持っていた否定的側面にも伺われる。たとえば、専門的教育を受けたWildeve は、結局その能力を生かさず、酒場を経営することになったり、都会で教育を受けてきた Clym の教育事業が失敗したり (The Return of the Native)、医術を修得した Fitzpiers が農民から「才能を浪費している」と非難されたり、Grace が農民に受け入れられないこと (The Woodlanders) にも伺われる。

 恐らく、エリート教育と農民との中間を取り持ったのが教会であった。福音主義などの改革運動も存在したが、全体としては、宗教界へ向かおうとする人は、教会を「出世」の手段と理解しており、素朴な農民の宗教意識とは乖離していた。この農民意識とのずれは、Halborough 兄弟 ('A Tragedy of Two Ambitions')や、Randolph の利己主義 ('The Son's Veto') に読みとることが出来る。

 総じて、教育は、それぞれの属する階級の役割に応じてなされるべきであるというのが一般的内容であった。したがって、それを越えた教育は、不要なだけではなく、むしろ反社会的なものと考えられていた。それは、女子教育において顕著に見られる。Wessex 小説にあっては、それは高等教育を受けた女性が結婚できないこと、農村から排除されようとすること、下層農民の女性に教育が完全に閉ざされていることに表現されている。それは、自分の受けてきた教育を後悔するGrace に端的に表現されているが、1857年の「結婚法」以前は女性の側からは離婚できなかった法律上の性差別や、女を自立した人格として認めようとしない社会的性差別と深く関わっていた。

 「第4章」は、崩壊過程にある農村共同体の中に描かれている女性像に注目する。女性は、階級的な差別と共に、性的差別にも苦しめられていたからである。かつて夫と共同で農業を営んでいた女性達は、限られた一部が中産階級以上の「貴婦人」となって消費生活をもっぱらとするようになった他は、工場や農場のプロレタリアートにならざるをえなかった。こうした農民女性一般も、中産階級が作り出した「主婦」「家庭の天使」という役割に直面することになった。

 Wessex 小説の中で最も上層に属する Charmond 婦人 (Woodlanders) は、無為徒食、憂鬱、倦怠の中で生きている。その下の Eustacia (The Return of the Native) や Grace (Woodlanders) は、自負心から農村共同体に適応できず、教育による身分上昇に憧れ、都市に逃げ出し、貴族と結婚しようとして破滅していく。

 Wessex 小説の中心は、これらの人物の下に位置し、教育に何の意味も見出さない最下層の人々との中間に位置する Susan (The Mayor of Caster-bridge) やTess や Arabella (Jude the Obscure) 達である。男を生活の手段と割り切る Arabella を除き、彼女等も結局は不幸な生涯を運命付けられている。彼女等は、主体的な意志に基づいて行動し、その「生」を自ら切り拓こうとする点で、Hardy が形象化した新しい女性像ではあったが、その悲劇性の中に、当時の農村の抱えていた問題が映し出されている。

 中でも、Tess は、当時のモラルに挑戦する主体的な女性として描かれている。そのため、Tess は、当初多くの出版社から拒否され、内容を一部修正せざるをえなかった。その後、元の形で出版されると、Tess の「純粋性 (purity)」に関して論争がまき起こった。それは、本文中15回余り使われている 'pure' という語だけではなく、 'spotless,' 'vituous,' 'inviolate,' 'chaste,' 'intact' 等の用語を巡る論争であったが、この内容は、たとえば Alec によって Tess が「誘惑された」のか「レイプされた」のかという単純な形式論でではなく、Tess の「生」全体の中で検討される必要がある。

 Hardy の意図を別にすれば、作品の中のTess は、当時の社会が農村女性に対して抱く矛盾した二つの像、「素朴で純真な処女」と「男を誘惑して堕落させるもの」の両者を克服して、自らの責任において生き抜こうとする「新しい女」であったが、それはついに最後まで Angel に理解されることはなかった。 Sue (Jude) も、J.S.Mill や P.B.Shelley, Voltaire の著作に馴染み、多くの女性が「服従していることを、私は拒否する (they submit, and I kick)」と宣言する女である。その限りでは、多くの批評家が指摘したように、彼女は1870年代の「新しい女」の1人であったと言えるかもしれない。

 しかし、Hardy もまた、女性が生物学的に男性より劣ったものである、あるいは、少なくとも弱いものであるとする、当時の性イデオロギーから自由ではなかったことも事実である。それは、女性に対して寛大で進歩的な見解を持っている登場人物 Jude や Phillotson (Jude)、Boldwood (Far from the Madding Crowd) や Angel (Tess) のイデオロギーの中にも見出すことが出来る。その限りで、Hardy も時代の限界を完全に克服していたとは言えない。

 「おわりに : Wessex 小説の成果と限界」においては、D.H.Lawrenceの、 Hardy の作品に登場する人物が「貴族的」「個人主義的」であると言う批評を紹介し、それが、「自分の意志で行動し、自らの生を統制する」人の意味であることを解説した上で、その洞察を評価する。そして、その「個人の意志」が、個人を越えた「巨大な世界」と衝突することによって、「悲劇」が生まれる。その意味で、Hardy の小説の「悲劇性」は、古典悲劇や Shakespeare の悲劇と同一線上にあると言える。その「巨大な世界」は、Hardy の場合、「運命」や「自然」ではなく、「資本主義化」と、それに伴う「ブルジョア道徳」であったと指摘する。

 たしかに、時として個人の「性格的欠陥」とか、「異常な気質」などにその悲劇性を結びつける場合もあるし、彼の女性論には限界もあったが、Hardy の Wessex 小説群は、当時の南西部イングランドの抱えていた現実を見事に映し出したリアリズム小説として評価すべきであろう。

【本論文の評価と問題点】

 何よりも Wessex 小説を丁寧に読み込み、描かれている世界全体を緻密に分析し、作品の構造と、登場人物達の個性と急激に変貌を遂げつつあった19世紀南西イングランド農村共同体の現実とを突き合わせて、作品の本質に迫ろうとする点を高く評価したい。それは、2年余り前に発表した論文「『日陰者ジュード』に対する視点の転換--「文明批判」の側面を中心に--」(安藤・東郷・船山共編『なぜ「日陰者ジュード」を読むか』英宝社、1997年、3ー22頁)を、質的にも量的にも拡大しており、Hardy 文学の本質に鋭く迫ろうとする姿勢を鮮明に見せてくれる。著者の関心の拡がりと深化を示している。

 過去の批評史、先行研究に広く目配りし、それらを批判的に検討した上で、「悲観主義者 Hardy 」から「リアリズム作家 Hardy」を説得的に浮かび上がらせようとする方法も正攻法であり、好感を与える。

 社会史の事実を機械的に作品解釈に当てはめるのではなく、丁寧に社会史を参照して、作品の細部の意味を確認していく方法は、今後の文芸社会史の研究方法として示唆的でもある。

 最も大きな問題点は、恐らくリアリズム理論に関してであろう。Hardy のリアリズムを、「自然主義」や「科学主義」の「事実主義」と区別する以上、その理論的検討が欠かせないはずである。それは、作品の内容と形式の問題にも繋がる。「事実」と「現実」との違いは、「Dorchester 以上に Dorchesterである」という比喩的な表現でよしとすることの出来ない大きな問題である。作品を描く主体と、作品の登場人物の主体と、それらを取り巻く Wessex の「事実」との、総体としての「現実」を、どう理解すべきかという理論上の問題である。具体的には、なぜこれらの小説を Wessex と言う虚構の空間に設定しなければならなかったかという、創作技術の問題と深く関わっている。

 小さな用語上の問題や、ミスプリントと思われる箇所も皆無ではない。著者の母語である朝鮮語からの類推と思われる、少し不自然な日本語の例も幾つか散見される。

 しかし、以上の問題点にもかかわらず、本論文は全体として、文芸社会学研究者としての著者の優れた資質と力量を示すものであり、今後の研鑽、取り分け文学理論の深化を期待しつつ、博士の称号を授与するに相応しいものであると判断する。

最終試験の結果の要旨

1999年12月24日

 平成11年12月15日、学位論文提出者 朴恩美 の論文および関連分野についての試験を行った。本試験においては、審査員が、提出論文『イギリス農村社会の危機とThomas Hardy --Wessex小説を中心として-』に関する疑問点について逐一説明を求め、あわせて関連分野についても説明を求めたのに対し、朴恩美氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって審査員一同は朴恩美氏が学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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