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博士論文審査要旨

論文題目:モンゴルにおける「支援型改革」と「教育借用」— 幼児教育における<子ども中心主義アプローチ>の実施を事例として —
著者:ミャグマル・アリウントヤー (ARIUNTUYA, Myagmar)
論文審査委員:関 啓子、児玉谷 史朗、中澤 篤史、多田 治

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1. 本論文の構成

本論文は、国際金融機関、国際NGOなどが旧社会主義圏の国々の市場経済化への移行過程で実施した、教育改革への支援の過程を、モンゴルの幼児教育を対象に被支援側から分析した意欲的な研究である。

本論文の構成は、次の通りである。
目次
序章 論文の課題及び研究の方法
第1節 問題意識と先行研究の検討
第2節 研究対象の諸相
第3節 課題設定と分析枠組み
第4節 研究方法と本論文の構成
第1章 社会主義時代における幼児教育の展開及びソ連からの借用
第1節 近代的幼児教育の誕生までのモンゴル社会
第2節 モンゴルにおける近代的幼児教育の成立:ソ連との関係
第3節 ソ連からの借用の諸側面
小括
第2章 市場経済化過程における「教育借用」及び<子ども中心主義アプローチ>の導
  入
第1節 市場経済への転換期の混乱及び「世界標準化」に向けた取り組み
第2節 発祥の地欧米における<子ども中心主義アプローチ>の多様な意味
第3節 モンゴルにおける<子ども中心主義アプローチ>の解釈
第4節 質向上政策上の<子ども中心主義アプローチ>:その登場と展開
第5節 幼児教育のスタンダードの魅力:表面的な借用
小括 市場経済移行期における「支援型改革」から見た「教育借用」の問題点
第3章 <子ども中心主義アプローチ>の実施実態とその限界-プログラム参加園・不
参加園の比較を通して
第1節 環境づくりとその問題点
第2節 プログラム参加・不参加幼稚園教師の<子ども中心主義アプローチ>に対する理解・認識
第3節 教師と子どもの相互関係
小括
終章
 第1節 各章の成果
 第2節 「支援型改革」から読み取れる移動する「グローバルな動き」
第3節 本論文から得られる展望と今後の課題

2.本論文の概要

序章では、問題意識、課題、構成などが、先行研究の批判的考察を踏まえて記述されている。本論文の課題は、モンゴルの幼児教育において、「支援型改革」がどのように実施されているかを明らかにすることである。ここでいう「支援型改革」とは、1990年以降、政治・経済の体制転換に伴い、国際的な多様な支援アクターによる支援活動を受けて、モンゴルを含む旧社会主義国を中心に展開された教育改革を意味している。支援アクターは、先進諸国、国際金融機関、国際NGOなど多様であるが、概ね「支援型改革」では、<子ども中心主義アプローチ>が強調された。本論文では、このアプローチに注目し、教育の借用理論(主に、Phillipsらの理論)を用いて、モンゴルにおける市場経済移行期の「支援型改革」の実施過程を、被支援側から分析するとされる。序章では、「支援型改革」がパッケージ化された教育改革で、パッケージを丸ごと引き取ることが被支援側に求められたことなど、この改革の特徴的な概要が記述されている。
第一章では、モンゴルの幼児教育の歴史が振り返られる。社会主義時代にソ連からの支援を受けてモンゴルでは幼児教育制度がスタートした。ソ連からの借用経験を読み取ろうとする筆者は、その作業に先立ち、20世紀初頭のモンゴルの社会背景を探り、子どもたちの生活と育ちのありようの考察を通じてソ連からの幼児教育をめぐる支援を受容する歴史的・文化的要因に迫ろうとする。遊牧を基盤とする移動生活の特徴や20世紀のモンゴルの教育状況が明らかにされ、宗教学校やゲル学校、家庭での子育てについて言及されている。
社会主義の時代に入ると、モンゴルとソ連との間に教育をめぐる協定や条約が締結される。幼児教育の制度や政策もソ連からの支援を受け、整備されていく。本章ではソ連の幼児教育との関連性が詳細に分析されている。ソ連の教育をモデルにした法的基盤づくりと幼稚園の創設過程が明らかにされるばかりでなく、どのような人材交流があったか、ソ連からどのような研究者や教育者がモンゴルをおとずれ、どのような支援を行い、いかなる影響を及ぼしたか、相互の人材交流がどのように実施されたかなどに踏み込み、ソ連からの、幼児教育についての理論・政策・実践をめぐる借用の実態が細かに考察されている。幼稚園教育要領の編成過程はもとより、幼稚園教育にかかわる各種ドキュメント(手引きや要綱など)に年代順にあたり、幼稚園の量的拡大と質的向上がどのように達成されたが、実証的に記述さている。
筆者は、モンゴルの幼児教育はソ連から一方的に学んだものではなく、影響を通じての借用であったとする。幼児教育の理論と実践のうち、社会主義以前の子ども観や子育てに対立しない要素はそのまま模したが、部分的な受容にとどまった要素(遊びなど)もあれば、過度に借用した要素(課業など)もあったことが解明された。また、当時の諸書類と文献に<子ども中心主義>という用語は見当たらないが、子どもの自発性と創造性の尊重や、子ども一人ひとりの個性を理解した上での働きかけなど、<子ども中心主義アプローチ>と共鳴する思想が活かされていたことが示され、当時の全面発達と呼ばれた理論には、<子ども中心主義アプローチ>の諸要素も含まれていたことが、論証されている。
第2章では、借用された<子ども中心主義アプローチ>が、モンゴル政府の政策文書にどのように反映され、具体的にどのように導入されたかが検討される。社会主義崩壊後、経済的混乱が幼児教育を直撃した。幼稚園数は激減し、就園率は大きく減少し、幼児教育は深刻な事態に直面したのである。第1節では、筆者は幼児教育の量的拡大政策(オルタナティブ学習)に焦点を当てる。国際支援を受けなくては維持できないほどに幼稚園教育はおちこんだが、そうしたなかで、国際的な教育支援のもとで実施されたのが「オルタナティブ学習」であった。だが、就園率の向上ばかりが追い求められた結果、「オルタナティブ学習」は、提唱され始めた<子ども中心主義アプローチ>とは相容れないことがしだいに明らかになっていく。「オルタナティブ学習」の内容と問題点が詳しく論じられていることはいうまでもない。
第2節は、<子ども中心主義アプローチ>の基盤になっている教育思想史の概説に当てられる。この節の位置づけは、モンゴルが実施した<子ども中心主義アプローチ>は西洋教育思想史に見られる概念と共鳴するものかどうかを確認するための準備である。筆者は思想史をたどり、このアプローチがどのような背景やねらいのもとで発展し、どのような意味が込められてきたかを整理する。
第3節で筆者は、モンゴルの幼児教育に<子ども中心主義アプローチ>がどのように導入されていくかを明らかにする。市場経済化に伴う価値観の変容と、モンゴル内外で指摘された教育問題にフォーカスを当てることによって、このアプローチを導入することになる背景を浮き彫りにする。そのうえで、モンゴルの研究者がこのアプローチをどのように定義し、幼児教育への導入の回路をいかに準備したかを解明する。
第4節では、<子ども中心主義アプローチ>が市場経済化以降の教育政策文書にどのように盛り込まれていったかを考察する筆者は、出された政策関連文書を時系列に沿ってことごとく検討し、<子ども中心主義アプローチ>が実質的な意味をもったのは、1990年代半ばから2000年代前半までであることを突き止める。知識や技能の習得を目指す授業がだんだんと優先されるようになり、遊びなどの位置づけは次第に授業(課業)の補足とみなされ、その活動の独自性は軽視されるようなる。こうした変化が実証されている。<子ども中心主義アプローチ>の位置づけを探ったあとで、このアプローチの導入ルートを考察する。ルートは、国内ルートと国外ルートがあると大別される。前者は、国内アクターの政府による現場への導入であり、後者は国外の支援アクターによる導入である。本論では、特にソロス財団による現場への導入過程が調査・検討され、導入アクターの違いが、幼稚園におけるどのような差異に結びついたかが、分析されている。
第5節では、<子ども中心主義アプローチ>と同様に借用された事例として、スタンダード化が考察される。2003年には『就学前教育スタンダード』が出されているが、各種教育政策関連文書の検討を通じて、政府の就学前教育をめぐる政策の力点が、<子ども中心主義アプローチ>の重視から初等学校入学準備・スタンダード化の強調に移動しつつあることが明らかにされ、遊びが軽視される一方、入学準備のための授業が重視されつつあることが実証されている。<子ども中心主義アプローチ>に含まれる西洋的な教育思想を、モンゴルの幼児教育にかかわる政策文書はほぼ共有しているが、実際の導入となると、支援側が提示するパッケージ化された改革や国際標準化に追いつくことが優先され、借用が表面的にならざるをえない事態が詳細に叙述されている。「支援型改革」に取り組むモンゴルにおける就学前教育政策は、子ども中心主義と系統的な学習との間で揺れ動いていることが、明らかになる。
第3章は、<子ども中心主義的アプローチ>がどのように幼稚園という教育現場で具体化されているかを、主にアンケート調査と参与観察によって検討する。ここでは、<子ども中心主義的アプローチ>の二つの導入ルート――モンゴル政府(教育省)と、ソロス財団・在モンゴルオープン・ソサエティ基金によるStep by Step プログラム――の違いによって<子ども中心主義的アプローチ>の実施状況に差異が生ずるかどうかが検討される。筆者は、後者のソロス財団の支援を受けた幼稚園を、Step by Step プログラム参加幼稚園とし、前者のルートによって<子ども中心主義的アプローチ>を導入した幼稚園を、プロジェクト不参加幼稚園と総称する。調査を通じて、プロジェクト不参加幼稚園とプロジェクト参加幼稚園との相違点と類似点が析出される。
第1節は、<子ども中心主義的アプローチ>を導入する際の環境づくりをめぐる研究である。設置されるコーナーの種類、コーナー用の教具・教材、コーナーの利用状況、教師(教諭)のコーナー利用への配慮の仕方などが、細かに点検されている。コーナーに注意が払われるのは、そこが<子ども中心主義的アプローチ>で推奨される子どもの自発的な活動が行なわれる場であるからである。教師は各種コーナーの子どもたちを観察し、子どもの個性を理解し、その理解を幼稚園の実践に反映させることができる。しかし、実際は、教師があまりにも忙しく、教師一人が担当する子ども数が25人以上と多いということもあり、教師には子どもを注意深く観察する余裕などないという現実が浮き彫りにされる
第2節では、<子ども中心主義的アプローチ>がどのように教師によって受け止められているかを調査する。ここでは実施されたアンケート調査の結果が検討される。アンケート結果によれば、教師は、どちらの幼稚園でも、<子ども中心主義的アプローチ>に興味があり、それが必要であると評価している。プロジェクト不参加幼稚園とプロジェクト参加幼稚園との間に、若干の相違点も見られることも明らかにされ、その違いの意味が分析されている。
第3節では、教師と子どもとのコミュニケーションのありかたが考察される。ここでは参与観察とインタビューという方法がつかわれる。エピソードを交え、幼稚園での子どもたちの態度や行動の仕方が詳しく描かれている。<子ども中心主義的アプローチ>が導入されたにもかかわらず、生徒の自主性よりも教師の指示性が目立ち、子ども中心主義に反する課業の実際が明らかになる。教師へのインタビューによってみえてきたことは、教師たちは資料(計画)作成に追われ、外部からの視察と能力評価に備えることで忙しく、教師には子どものニーズや関心を読み取る余裕がないことである。
 終章では、各章の成果が要約され、「支援型改革」について総合的に考察されている。<子ども中心主義的アプローチ>の意味を評価しつつも、筆者はこのアプローチがあいまいなまま表面的に実施されることになった過程と原因を徹底的に分析する。ソ連からの教育支援も、現在の「支援型改革」も、いずれの場合も、被支援側としては「歴史的反省の視点にたつ」研究に取り組むことができないままに、目前の改革にのめりこんでいかざるを得なかった。<子ども中心主義的アプローチ>は、社会主義脱却のためのパッケージ改革を遂行するために不可避の要素として導入されたが、実施なかばにして、新たに押し寄せた国際的な改革動向(国際標準化)の波を受け、教師たちは子どものニーズや関心に応えるよりも、課業の成果をあげることを求められている。以上のように、結論部で筆者は、支援側が考える「普遍性」に、被支援側は合わせざるをえないという「支援型改革」の実態を多角的に深く掘り下げ、借用のあり方の問題点を解明した。

3.本論文の成果と問題点

本論文の成果は、以下の三点にまとめられる。
本論は、被支援側から改革過程を考察し、モンゴルの幼児教育をめぐるモンゴル政府の政策の推移、教育現場の対応(混乱と工夫)、改革の成果などを、参与観察をまじえ、具に読み取った力作である。研究成果の第一は、「支援型改革」を、被支援側から考察し、改革を評価したことである。教育への国際支援をめぐる研究といえば、支援側からの視点に立つ評価が圧倒的に多いなかで、本論は、被支援側の視点に立つことによって、改革成果の測定というステレオタイプ化した研究パターンから脱し、「支援型改革」の理念と政策が招いた思わぬ結果を描くことに成功している。改革理念や理論から教育現場の実態が乖離する現状、その乖離の理由が分析されているが、特に興味深いのは、被支援側の改革理念の理解とそれに基づく教育実践の曖昧さの指摘である。筆者は、その曖昧さを作り出す原因のひとつを、支援側と被支援側との非対称な関係を示す言語に求める。支援側の文書も政策サイドのそれへの対応も、支援側(参照国)の言語で行われざるを得ず、そうした支援側の理念をめぐる理解を被支援側の言語に翻訳して隈なく現場に行き届かせることは難しく、曖昧さから抜けきれない状態が生じてしまう、という。海外の代表的な「支援型改革」研究でも踏み込んだ叙述がほとんど見られない鋭い指摘である。
 第二の成果は、支援側が強力に主張した「子ども中心主義的アプローチ」に焦点を当てることによって、支援型幼児教育改革の展開を徹底的に追い、教育現場の変化と矛盾を析出したことである。モンゴルの幼児教育改革は、支援型であることによって西洋化を急がされ、次いで成果主義とスタンダード化という国際的改革動向にさらされた。そのため、「子ども中心主義的アプローチ」の真髄であるはずの、子どもの自由な活動の促進さえままならなくなってしまい、政策サイドも教育現場も、子どもの自由な活動を促すか、能力向上のための学習を強化するかという矛盾に翻弄される。この実態が詳細に描かれている。さらに、「子ども中心主義的アプローチ」の借用とは、被支援側にとっては社会的、文化的背景を後景に退かせるパッケージ化された改革への取り組みを意味するが、そのため被支援側の文化や歴史をないがしろにした改革になりやすく、被支援側自身もそれまでの幼児教育の歴史を詳細に批判的に検討する間もなく、支援側の望む理論や方法の積極的な借用にのめり込む。その結果、<子ども中心主義的アプローチ>の政策と実践との間にズレが生じてしまう。こうした改革過程が細かに記述され、改革の特徴が析出される。本論は、グローバル化のもとで教育をめぐる「支援型改革」を行なう地域の研究にとっても実に示唆的である。
 第三に、本論文はモンゴルの就学前教育研究としても高い評価に値する。日本においては、モンゴルの教育研究への十分な取り組みはない。ソヴェトの就学前教育研究には蓄積があるが、そのソヴェトの幼稚園教育の理論や政策が、ソヴェトの国外にどのような影響を与えたのか、どのように借用されたかについての研究はない。筆者は、ソヴェトからの援助を受ける前の就学前の子どもの生活を明らかにすることから始め、そうすることによって、モンゴルにおいてソヴェトの幼児教育理論の借用はどのような意味をもち、どのように受容されたかを精緻に描く。続いて、「支援型改革」における<子ども中心主義的アプローチ>の借用過程が分析され、詳細に就学前教育政策の展開が明らかにされる。借用理論を用いて、社会主義時代と市場経済化後におけるモンゴルの幼児教育の連続と非連続を、理論と政策と実践の関係の研究というフィルターを通して浮かびあがらせ、そこから幼児教育のよりよい教育的価値を模索する本論は、わが国のモンゴル教育研究にとってばかりでなく、モンゴルにおいても学問的・実践的に意味のある研究である。
 本論文の問題点として以下の3点を指摘する。
第一に、記述上の問題である。表記がやや丁寧さを欠き、唐突な箇所があった。例えば図表についての説明が十分でないところが見受けられた。他方、冗長な箇所もあった。筆者の思索の過程がそのまま書き込まれ、調べ上げた材料が根拠づけとして次つぎと列記されるために、わかりやすい面もあるにはあるが、却って重要な指摘が埋没してしまい、折角の鋭い分析も輝きを減じてしまっている。
第二に、調査手続きと調査結果の取り扱い方がいささか丁寧さに欠ける点である。本論文では質的調査と量的調査の両方が実施されている。このトライアンギュレーションは、論述の上で功を奏しているものの、詳しく点検すると、参与観察の対象選択の妥当性などへの目配りが十分とは言い難い点をはじめ、両調査のあり方をめぐるいくつかの問題点が見えてくる。論文の成果そのものに直接的にかかわるわけではないにしても、今後改めるべき点であることに変わりはない。
第三は、プロジェクト参加幼稚園と不参加幼稚園との比較をめぐる問題である。ソロス財団からの直接的な支援を受けた(プロジェクト参加)幼稚園とそうではない(プロジェクト不参加)幼稚園における子ども中心主義アプローチの受容実態が比較され、両者の差異が明らかにされている。関係者の研修の有無や手厚さなどの違いが、子どもたちの園内での生活の質に反映し、子ども中心主義の実現の濃淡を生み出していることが示されるなど、重要な指摘も見られるが、紙幅の割には両者の差異は大きくはない。むしろ、差異はそれほど大きくないという事態がなぜ起こったのかを分析することも、「支援型改革」研究に重要なことのように思われる。
しかし上記の問題点については、筆者自身も十分に自覚しているところであり、審査委員もまたそれらは筆者の今後の研究において克服されるものと期待している。
よって、審査委員一同は、本論文が地球社会研究に寄与しうる成果を十分挙げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と判定した。

最終試験の結果の要旨

2013年2月13日

 2013年1月18日、学位請求論文提出者、ミャグマル・アリウントヤー氏についての最終試験をおこなった。
 本試験においては、提出論文「モンゴルにおける「支援型改革」と「教育借用」— 幼児教育における<子ども中心主義アプローチ>の実施を事例として —」についての審査委員の質疑に対し、ミャグマル・アリウントヤー氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員一同は、ミャグマル・アリウントヤー氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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