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博士論文審査要旨

論文題目:物語への移入が読者の態度に及ぼす説得的影響―物語の主題と中心的事物に対する態度変化の検討―
著者:小森 めぐみ (KOMORI, Megumi)
論文審査委員:村田 光二、稲葉 哲郎、安川 一、三瓶 裕文

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1.本論文の構成
 本論文は、読者が物語に熱中して「いま・ここ」から物語内に心理的に現実が移動してしまう経験を「移入」と呼び、この経験が及ぼす読了後の結末の一側面について、心理学の立場から解明を目指したものである。著者は「物語説得の移入-想像モデル」の立場に立って考察し、移入経験が物語の主題を受け入れる方向に態度を変えること、また物語に登場する中心的な事物に対しても好意的方向に態度を変えることを予測した。その上で、物語の素材、問題とする態度対象、移入経験の操作方法、態度の測定方法などを変えながら、7つの実験を実施して、仮説が成り立つかどうかを実証的に検討した。その結果、いくつかの限定条件はつくものの、仮説を支持する証拠を得た。これを受けて、物語を用いた説得的コミュニケーションの影響に関する理論的問題、現実的問題について考察し、著者の見解をまとめたものが本論文である。
その構成は、以下のとおりである。

第一部 問題
第1章 本論文の背景
1-1.導入 / 1-2.本論文のテーマ / 1-3.本論文の構成
第2章 物語と物語への移入
2-1.物語の定義 / 2-2.物語への移入とは
第3章 態度と態度変化に関する先行研究
3-1.態度の定義 / 3-2.態度形成および態度変化に関する先行研究
3-3.物語接触による態度変化と態度変化理論との関連
第4章 物語接触と態度変化に関する先行研究
4-1.物語接触機会の蓄積がもたらす態度変化
4-2.個々の物語への接触がもたらす態度変化
4-3.物語接触による態度変化プロセスの検討
第5章 物語への移入による説得的影響が及ぶ対象
5-1.物語の主題に対する態度変化 / 5-2.中心的事物に対する態度変化
5-3.本論文の目的
第6章 本論文で用いた研究法および素材の特徴
6-1.実証的検討部分の構成 / 6-2.本論文で用いた研究法の特色
第二部 実証的検討1
第7章 物語への移入が主題に対する態度に及ぼす影響1(研究1)
7-1.問題と目的 / 7-2.物語刺激選定のための予備調査(予備調査1)
7-3.物語の主題選定のための予備調査(予備調査2)
7-4.方法 / 7-5.結果 / 7-6.考察
第8章 物語への移入が主題に対する態度に及ぼす影響2 映像物語刺激を用いた検討
(研究2)
8-1.問題と目的 / 8-2.方法 / 8-3.結果 / 8-4.考察
第9章 物語への移入が主題に対する態度に及ぼす影響3 人物評価課題を用いた検討
(研究3)
9-1.問題と目的 / 9-2.従属測度作成のための予備調査(予備調査3)
9-3.方法 / 9-4.結果 / 9-5.考察
第三部 実証的検討2
第10章 物語への移入が物語の登場事物に対する態度に及ぼす影響1(研究4)
10-1.問題と目的 / 10-2.方法 / 10-3.結果 / 10-4.考察
第11章 物語への移入が物語の登場事物に対する態度に及ぼす影響2
   映像物語刺激を用いた検討(研究5)
11-1.問題と目的 / 11-2.移入の実験的操作の予備実験(予備調査4)
11-3.従属測度作成のための予備調査2(予備調査5)
11-4.方法 / 11-5.結果 / 11-6.考察
第12章 物語への移入が物語の登場事物に対する態度に及ぼす影響3
 物語と登場事物の関係性に注目した検討(研究6)
12-1.問題と目的 / 12-2.移入の実験的操作の予備実験(予備調査6)
12-3.従属測度作成のための予備調査3(予備調査7)
12-4.物語の中心的・周辺的事物選定のための予備調査(予備調査8)
12-5.方法 / 12-6.結果 / 12-7.考察
第13章 物語への移入が物語の登場事物に対する態度に及ぼす影響4-物語と登場
事物の関係性および移入の説得的影響の持続性に注目した検討(研究7)
13-1.問題と目的/13-2.方法/13-3.結果/13-4./考察
第四部 総合考察
第14章 本論文で得られた結果
14-1.本論文の目的のふりかえり
14-2.実証的検討部分で得られた研究結果のまとめ
第15章 物語への移入が主題に対する態度に及ぼす影響
15-1.物語の主題は態度対象となったのか
15-2.主題に対する態度変化の多様性
15-3.主題に対する態度変化と行動の関係
第16章 物語への移入が中心的事物に対する態度に及ぼす影響
16-1.物語の中心的事物は態度対象となったのか
16-2.消費者行動研究・消費者行動教育へのインプリケーション
第17章 本論文の意義と展望
17-1.本論文の意義 / 17-2.今後の課題
17-3.現実場面へのインプリケーション
第18章 結語


2.本論文の概要
 第Ⅰ部の第1章では、現代の日本において多くの人が現実とは異なる物語の世界を、小説や映画などで享受している現状が指摘される。これら物語は単なる気晴らしの手段であるだけでなく、コミュニケーションの手段となっていて、共同体の社会規範や価値を伝達している可能性も指摘される。ところが、社会心理学の説得的コミュニケーションと態度変化の研究では、説得メッセージが明示されない物語の影響については研究対象とされることが少なかったという。これに対して、物語全体から読み取られる主題と、物語の登場人物と意味的に結びついた中心的事物に対して、物語に接することによって態度変化が生じる可能性を心理学の立場から実証的に検討する必要性が問題提起される。
 第2章「物語と物語への移入」では、本論文で取り扱う物語は「特定の登場人物に起きた出来事が因果的に結びついてまとまりを成し、登場人物の行為や内面状態についての記述が含まれているもの」であると定義される。そして、説明文と物語文の読解の差異に関する心理学研究の結果を引用しながら、物語を読む行為は「登場人物の視点からその目標達成のプロセスを経験的に理解していくことだ」と考察している。また、本論文では、説得的意図が明示されない「娯楽性の高い」物語だけを取り上げて検討するが、文字情報による物語だけでなく、映像情報を伴った物語も取り上げることが述べられる。その上で、「物語接触時に注意、想像、感情が、物語内で生じている出来事に統合的に融合されるプロセス」と定義される「移入」の特徴と影響について考察を行っている。この移入が生じると、現実から注意が移って物語内容に集中するようになる。また物語内容の想像をふくらませ、あたかも実際に経験しているように感じ、強い感情反応が生じやすくなるという。その結果、移入による態度変化が生じやすくなると説明する。
第3章「態度と態度変化に関する先行研究」では、これまでに蓄積されてきた態度と態度変化に関する社会心理学研究の成果が簡潔に紹介される。態度は特定の対象に対する評価的判断であり、その対象に対する行動を予測する心的構成概念であることが指摘される。そして、態度変化について多くの理論的、実験的研究が行われてきたが、近年では認知論的アプローチに端を発する二過程理論、特に精緻化見込みモデルが優勢となっていることが指摘される。しかし、既存の理論やモデルは説得メッセージの伝達によって態度変化が生じることを前提としていて、それが明示されない物語による説得について予測を立てることが困難であり、独自のモデルが必要なことが論じられる。
第4章「物語接触と態度変化に関する先行研究」では、物語接触に基づいて、現実認識、態度、そして行動などに影響が及び、それらが変化したことを示す実験研究がすでにあることが紹介される。それらの研究を受けて、態度変化に影響を及ぼす物語特有のプロセスを論じたGreen and Brock(2000)は、「物語説得の移入-想像モデル」を提唱したことが紹介される。このモデルでは、物語に移入するとその内容について想像する認知活動が活発になるため、内容に対する疑念や批判的思考が抑制される。その結果、暗黙のうちに含まれる説得的内容を受け入れてしまい、態度変化を示すと予測する。
次の第5章「物語への移入による説得的影響が及ぶ対象」では、物語への移入が生じて態度変化が生じる場合にも、その態度対象は限定されることが論じられる。その1つが、物語全体から暗示される抽象的メッセージである主題である。読者は、物語を読み進めるうちにさまざまな手がかりからこの主題を推論し、移入するとその内容を無批判に受容しやすくなり、主題に対してポジティブ方向への態度変化が生じるという。もう1つが、物語の主人公の目標達成に重要な役割を果たす中心的事物である。私たちは物語に移入すると、主人公に対する同一視を強め、主人公の目標達成を好ましく感じるようになる。そのため、目標達成に役立つ中心的事物にもポジティブ態度が形成されると予測する。それ以外の周辺的事物には、こういった態度形成は及ばないことも予測する。
第6章の「本論文で用いた研究法および素材の特徴」では、第二部以降の実証的検討で行う実験の方法と、そこで用いる物語の具体的特徴について説明が行われる。本研究では、概して移入しやすい物語素材を用いて、そのまま読ませる統制条件と読むことを阻害して移入を低める実験条件を設定して、両条件を比較する方法をとる。この物語素材として小説とアニメーション映像を用いるが、こういった非現実的で架空の内容を含む物語を読んだり見たりしたときでも、現実的な対象への態度変化が生じることを示すことに本研究の意義があると論じる。
第二部の「実証的検討1」では、物語の主題に対する態度変化の問題が検討される。まず、第7章「物語への移入が主題に対する態度に及ぼす影響1(研究1)」では、予備調査を行った上で、「商売で客を大切にすることの重要性」を主題とする短編小説「芋ようかん」を素材として、女子大学生を対象に実験を実施した。統制群ではそのままの文章を読んだが、実験群では同じ小説を間接話法に変えた文章を読み、その後「他者を尊重する程度」を測定する質問に回答した。その結果、両群間に従属変数の平均値に差は認められなかった。しかし、事前に測定した対人関係を重視する尺度得点の高い者では、実験群の方が統制群よりも他者を尊重する程度が大きいという、仮説を支持する結果を得た。また、事後に測定した移入の程度の個人差と、他者を尊重する程度の間には、正の有意な相関が認められた。
次の第8章「物語への移入が主題に対する態度に及ぼす影響2-映像物語刺激を用いた検討(研究2)」では、「家族の絆の重要性」を示す、物語形式の90秒間のコマーシャルフィルム映像を素材として男女大学生を対象に実験を行った。統制群ではそのままの映像を視聴したが、実験群では映像は見せずに、台詞とナレーションを文字で提示した画面を読み、日常生活の様々な側面に対する態度を測定した。その結果、日常活動の1つとして含めた「家族との団らん」に対して、実験群では統制群よりもポジティブな態度を示す傾向があった。
第9章「物語への移入が主題に対する態度に及ぼす影響3-人物評価課題を用いた検討(研究3)」では、最初の実験(研究1)と同じ小説を素材として、通信制大学の幅広い年齢層(19歳~63歳)の学生を対象に実験を行った。実験群では小説内の出来事の順序を入れ替えることで移入を阻害する条件操作を行い、両群とも操作チェックの質問に回答させた。次に別の実験と称して、利益優先の発言をするベンチャー企業の社長へのインタビュー記事を読んで、社長の人柄や能力について推測させた。その結果、人物評価の得点には条件間の差がなく、仮説は支持されなかった。ただし、移入得点の大小と人物評価得点には負の有意な相関が認められ、移入した人ほど、主題に反する発言をした人物を低く評価していた。
後半の「第三部 実証的検討2」では、物語への移入が中心的事物に対する態度へ及ぼす影響が検討されている。第10章「物語への移入が物語の登場事物に対する態度に及ぼす影響1(研究4)」では、研究1,3と同じ小説を素材として男女大学生を対象に、登場する中心的事物(芋ようかん)に対する態度が検討された。実験条件では途中で携帯電話のマナー音に邪魔されて移入が低下させられたが、両条件ともその後広告の形式で提示された「芋ようかん」への評価を回答した。その結果、移入の程度の高かった統制条件では、実験条件よりも、「芋ようかん」を統計的に有意に好ましく評定した。
次の第11章「物語への移入が物語の登場事物に対する態度に及ぼす影響2-映像物語刺激を用いた検討(研究5)」では、「3枚のお札」という日本昔話のアニメ映像を素材として用いて、男女大学生を対象に実験を行った。映像をそのまま視聴する統制条件に対して、実験条件では視聴中に余分な課題が課されて移入が阻害された。その後に、視聴した物語に関連の深い「お守り」広告を含む、4つのウェブ形式の広告を評価する課題が行われた。その結果、統制条件では実験条件よりも中心的事物であるお守りに対して好意的態度を示す傾向があったが、物語に登場しない他の事物の広告に対してこの傾向は示されなかった。
さらに第12章「物語への移入が物語の登場事物に対する態度に及ぼす影響3-物語と登場事物の関係性に注目した検討(研究6)」では、これまで繰り返し素材としてきた小説を用いて男女大学生を対象に実験を行った。実験条件の参加者には物語読解中に誤植を探す課題を求めて移入を阻害して、その後中心的事物(芋ようかん)に加えて周辺的事物(温泉旅館)に対する態度も測定した。その結果、統制条件の参加者は実験条件の参加者よりも、中心的事物に対して有意にポジティブな態度を示したが、周辺的事物に対しての評価には違いがないことが示された。
そして第13章「物語への移入が物語の登場事物に対する態度に及ぼす影響4-物語と登場事物の関係性および移入の説得的影響の持続性に注目した検討(研究7)」では、研究6と同じ小説をパソコン画面上に電子ブック形式で提示して、男女大学生を対象に実験を行った。統制群ではそのままの小説を読み、実験群では間接話法の形式に変えた文章を読み、中心的事物(芋ようかん)および物語に登場しない事物(サインペン)の広告に対して評価を求めた。また、3週間経過後にもそれら広告への評価を求めて、移入が持つ説得効果の持続性を検討した。その結果、読解直後にはどちらの事物の広告にも、条件間で有意差が認められなかった。しかし、中心的事物の評価と移入の操作チェックの指標間には、正の有意な相関が認められた。また、3週間後の持続性に関しても、仮説を支持する証拠は得られなかった。
以上の7つの実験研究を受けて、第四部で総合的な考察が行われた。まず第14章「本論文で得られた結果」では、実験結果を一覧表の形でまとめながら、得られた結果を簡潔に要約している。7つの研究のうち実験条件間の差が明確に認められた研究は2つだけであったが、他の2つの研究ではそれに近い差が認められ、残りの3つの研究では測定された移入の指標と従属変数間に相関関係が認められている。これらはいずれも2つの仮説に沿った結果であり、総合的に評価すると、物語の移入が主題と中心的事物への態度をポジティブ方向に変化させることが実証的に示されたと論じている。
次の第15章「物語への移入が主題に対する態度に及ぼす影響」では、研究1~3の結果を受けて考察が行われた。まず、これまで「物語の受容」として捉えられてきた現象を、態度変化の一つとして実証的に探求することが可能だったことが指摘される。しかし、態度変化の測定には価値のように抽象的なレベルから、本研究で用いたような具体的な意見のレベルまで、多様性があることが考察される。そして、物語への移入の結果生じた態度変化が、現実の行動変化を生み出す可能性について考察が行われた。
そして第16章「物語への移入が中心的事物に対する態度に及ぼす影響」では、研究4~7の結果を受けて考察が行われた。まず本研究では、主人公の目標達成に役立つ中心的事物においてのみ、移入がポジティブな態度変化を生み出したことを初めて実証した意義が述べられる。実際、物語に登場しても目標達成と関係ない周辺的事物や、物語に登場しない事物には態度変化が認められなかった。その上で、物語の間にコマーシャルが流れたり、物語形式のコマーシャルが作られていたりするマスメディアの現状に対して提言が行われている。一方でこれらの手法が広告として効果的である条件が今後検討可能であることを論じ、他方でそういった広告に対して批判的思考を働かせられるように消費者が学ぶ必要性を論じている。
最後の第17章「本論文の意義と展望」および第18章「結語」では、本研究の意義として、第一に物語の移入によって生じる態度変化を主題と中心的事物に分けてモデルを立てたことを挙げている。第二に、実験研究を用いて、この移入の説得的効果を因果関係の形で実証したことを挙げている。これまで「物語の受容」と「物語への移入」とがポジティブに相関する現象が知られていたが、本研究では移入を先行条件とする実験をおこなって、移入が物語の主題および物語の中心的事物に対する態度をポジティブに変化させることを示した。しかしながら、本研究では、移入の効果を生み出すと考えられた、反論や疑念の生成と抑制、物語の主人公との同一視については直接測定をしておらず、因果を媒介する関係については証拠が乏しいという問題点を指摘する。また、実験研究での移入の操作は、いずれも移入を阻害する条件の設定によっておこなっており、移入がポジティブな変化を生み出したのか、移入の阻害がむしろネガティブな態度変化を生み出したのか、厳密には確定できない問題点を指摘する。最後に、関連する概念として「共感」について指摘がなされ、物語を介したコミュニケーション研究への今後の抱負が述べられている。

3.本論文の成果と問題点
 本論文は、物語への移入という経験を社会心理学の態度研究の観点から取り上げて、理論的考察から導いた2つの仮説を7つの実験を通じて実証的に検討したものである。物語に移入した読者は、現実世界に立ち戻った後にも、その主題や登場した事物に好意的態度を抱きやすいことが示され、説得的メッセージが明示されない物語が持つ影響力について考察が行われている。本論文の成果として、少なくとも次の3点を指摘できる。
 第一に、この分野の先駆者である Green and Brock(2000)の移入-想像モデルを批判的に検討して、理論的モデルの拡張を行った点である。従来のモデルは、暗黙のメッセージに反する批判や疑念を抑制するプロセスを通じて主題を受容する方向に、つまり主題に好意的な方向に態度変化が生じることを予測し、実証していた。著者はこれに加えて、物語の主人公への同一視が生じ、登場する中心的事物に対する態度変化も生じることを論じたのである。そして、実験によってその証拠を得たことは、この分野で初めての貢献であろう。
 第二に、上記と関連するが、物語の読解が及ぼす心理的影響の対象と範囲を明確にする議論を行い、厳密な方法を用いてその一部を特定したことである。本論文では、心理的影響を態度変化として捉え、態度変化の対象として「物語の主題」と、主人公の目標達成に貢献する「中心的事物」とに限定して検討した。その上で、統制された環境で実験を実施して、両者に好意的方向への影響が及ぶことと、他方で中心的でない事物には影響が及ばないことを実証したのである。
そして第三に、実験を繰り返し実施して、結果の妥当性を高めたことである。実験素材も何種類かを用い、実験参加者には青年期の学生だけでなく幅広い年齢層の者も含めることにより、結果の外的妥当性(一般化可能性)を高めている。他方で、「移入がポジティブムードをもたらすことにより、さまざまな対象に対して好ましい態度を示す」といった代替説明を排除するために、評定対象に周辺的事物や物語に登場しない事物を取り上げる実験も実施している。また、実験結果そのものが明確でない場合には、事後的に測定した移入の個人差を用いて相関分析を実施して、議論を補強する証拠を集めている。
 本論文は以上の成果が得られているものの、いくつか問題点も指摘できる。まず、著者自身も論じているように、移入と態度変化を結ぶ心理過程に関する証拠が乏しい。移入するほどに批判や疑念が抑制されていたのかどうか、また主人公との同一視が強まっていたのかどうかの検証は今後の研究に俟たなければならない。また、実験の結果は必ずしも明確ではないところがある。繰り返し実験を行い、全体としては仮説を支持する方向を示していると考えられるが、個別には相関分析に頼って考察するなど問題点が残っている。手続きを改良して再度実験を行い、より誤差の少ない明確な結果を得てもらいたい。これと関連して、本論文の中では移入の条件設定を「高・低」と述べているが、実際には通常の移入をする場合とそれが阻害される場合という操作になっている。この操作が必ずしも望む差異を生み出さなかった可能性や、結果の解釈をあいまいにした可能性があるだろう。今後の研究の発展のためには、移入の高低を的確に操作する新しい方法を考案することが望まれる。そして、基本概念の「移入」や「物語」については一定の定義が与えられているものの、それが適切かどうかさらに考察を深める必要がある。前者では、「フロー」といった他の類似概念との比較検討を通じて考察を深めてもらいたい。後者では出来事間のつながりに「因果関係」が必須なのか疑問であるし、何が物語に含まれるかどうかの具体的基準には不明確さが残る。
 とはいえ、これらの問題点は本論文が明らかにした学術的価値を損なうものではないし、著者自身がよく自覚し、今後の研究の積み重ねによって解決されることが十分に期待される。
以上のことから、審査員一同は、本論文が明らかにしたことの意義を評価し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と判定した。

最終試験の結果の要旨

2013年2月13日

2012年12月25日、学位請求論文提出者小森めぐみ氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、提出論文「物語への移入が読者の態度に及ぼす説得的影響―物語の主題と中心的事物に対する態度変化の検討―」についての審査委員の質疑に対し、小森めぐみ氏はいずれも充分な説明をもって答えた。
 よって審査委員会は、小森めぐみ氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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