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博士論文審査要旨

論文題目:変容する黒人コミュニティと住宅をめぐる闘争-20世紀中葉のシカゴの公民権運動-
著者:武井 寛 (TAKEI, Hiroshi)
論文審査委員:貴堂 嘉之、中野 聡、町村 敬志、樋口 映美

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Ⅰ.本論文の構成
 本論文は、1940年代~1960年代の北部都市シカゴにおける黒人達の住宅をめぐる闘争に光をあて、そこでの暴力発生のメカニズム、運動の生成発展過程を解明し、南部の公民権運動とは異なるその社会運動の特徴を「長い公民権運動」という枠組みの中で分析してみせた、意欲的な公民権運動研究の論考である。これまでの研究が全国的な公民権運動の著名な指導者や政治家、連邦レベルのブラウン判決や公民権法の制定などの法制度的な分析、南部での公民権運動の事例研究に注目する傾向があった中で、本論文は北部都市シカゴに焦点を絞り、そこで争点化した公営住宅をめぐる日々の闘争から、北部における公民権運動とは何かを浮かび上がらせた点に特徴がある。別個に研究史が蓄積されてきた公民権運動研究と都市史を統合する視座から、シカゴという都市空間で多様な人種・エスニシティ・階級がおりなす結合のかたち(ソシアビリテ)に着目して「共同体の暴力」が惹起される過程を追い、あわせてシカゴにおける1940年代以降の都市政策が黒人コミュニティ形成に与えた影響について検証した。
 本論文は、以下の通り、三部からなる。第一部(1章~2章)では、ホワイトネス研究の近年の成果を踏まえ、「大移動」がおきた20世紀前半のシカゴにおける新移民と黒人の関係史、カラーラインの形成を概観し、法制度上の住宅の人種隔離の実態、1940年代の公営住宅での人種騒動の具体例を検証した。第二部(3章~4章)では、シカゴの公営住宅政策の転機となったトランブル・パーク・ホームズ騒動と都市再開発を取りあげ、それらがいかに黒人コミュニティに影響を与えたのかを考察した。第三部(5章~6章)では、公立学校での人種隔離撤廃運動とキングが参加したシカゴ自由運動を中心に検討した。本論文の章立ては以下の通りである。

序章 
第一節 問題関心と研究目的
第二節 先行研究分析
(1)都市史の流れ-黒人都市史を中心に-
(2)アーノルド・R・ハーシュの研究再考-「第二次ゲットー論」とホワイトネス研究の可能性-
(3)公民権運動研究と都市史の統合
(4)シカゴに関する近年の研究
第三節 本研究の位置づけ
第四節 論文構成と史資料

第一部 20世紀前半の人種関係と公営住宅の登場
第一章 20世紀前半の人種概念と住宅の諸相
はじめに
第一節 19‐20世紀転換期の「人種」概念
(1)新移民とホワイトネス研究 
(2)南部からの黒人の「大移動」のインパクト
第二節 1919年シカゴ人種暴動再考
(1)1919年シカゴ暴動と暴動の担い手
(2)高まる人種意識とカラーラインの台頭
第三節 20世紀初頭の法制度に見る人種隔離
(1)ゾーニングと人種
(2)住宅の人種隔離をめぐる二つの最高裁判決
第四節 制限的不動産約款をめぐる攻防
(1)制限的不動産約款とネイバフッド向上協会
(2)1930年代以降の住宅状況の変化
おわりに

第二章 ヴェテラン向け公営住宅をめぐる攻防
はじめに
第一節 公営住宅の人種統合を目指して
第二節 ヴェテラン向け公営住宅
第三節 エアーポート・ホームズ人種騒動
第四節 ファーンウッド・パーク・ホームズ人種騒動
おわりに

第二部 転換期の公営住宅と都市再開発
第三章 トランブル・パーク・ホームズ騒動と「共同体」の暴力
はじめに
第一節 白人のための公営住宅
第二節 トランブル・パーク・ホームズ騒動
(1)騒動の経緯
(2)騒動のかたち
第三節 コミュニティの「共同体」意識の構築
(1)SDIAと『デイリー・カルカット』の戦略
(2)酒場における社会的結合性
第四節 暴動の余波-ハワード夫妻退去後-
おわりに

第四章 都市再開発の黒人コミュニティへの衝撃
はじめに
第一節 都市再開発のはじまり
第二節 第二次世界大戦後のシカゴの住宅の状況と人口移動
第三節 サウス・サイドの都市再開発
第四節 ウエスト・サイドの都市再開発
おわりに

第三部 公民権運動時代の人種関係
第五章 公立学校の人種隔離撤廃運動
はじめに
第一節 20世紀前半の北部都市の教育をめぐる状況
第二節 ブラウン判決後のコミュニティ運動の台頭
第三節 公立学校の人種隔離撤廃運動
第四節 ウィリス反対運動から学校ボイコットへ
おわりに

第六章 シカゴ自由運動再考
はじめに
第一節 「スラム撲滅」運動の行き詰まり
(1)組織化の取り組み
(2)「スラム撲滅」運動の失敗要因
第二節 ブラック・パワーの台頭
(1)ブラック・パワーの主張とその背景
(2)シカゴ自由運動に対するブラック・パワーの運動
第三節 「住宅開放」運動
(1)「スラム撲滅」運動から「住宅開放」運動へ
(2)ウエスト・サイドの暴動 
第四節 「頂上合意」に向けて
(1)デモ行進から交渉へ
(2)「頂上合意」が意味するもの
おわりに

終章 
第一節 黒人排除の歴史と住宅をめぐる闘争
第二節 人種関係史の総合的理解に向けて
第三節 ポスト公民権時代のアメリカ


Ⅱ.本論文の要旨
 序章では、本論文の問題関心と研究目的などが述べられるとともに、本論での分析枠組みを提示する上で鍵となる、三つの分野の先行研究の検討がなされる。第一は、都市史(とりわけ黒人都市史)であり、本論の核になる公営住宅の建設に端を発する人種隔離、連邦政府や地方政府の介入による人工的な人種隔離の発生について、ハーシュの提起した「第二次ゲットー」論や「共同体の暴力」が詳述される。第二は、公民権運動に関する研究の系譜であり、近年の「長い公民権運動」研究が時間軸を延ばし、南部以外の地域にも分析エリアを拡大し、新たな視座を拓きつつある点を強調する。最後に、シカゴに関する人種関係、コミュニティ研究等の先行研究の紹介があり、これらを統合した分析枠組みを設定して、日常性を重視しつつ人種関係を読み解く新たな方法論を模索することが示される。
 第一章では、まず次章以降の前史となる、20世紀前半の人種概念の変化を概観する。東欧・南欧出身の「新移民」の流入と南部から北部への黒人の「大移動」が北部都市へ与えた影響をホワイトネスの観点から考察し、1919年のシカゴ暴動を契機に白/黒の二分法的なカラーラインが都市に形成されていったことを明らかにする。また、法制度上の住宅の人種隔離は、一九世紀末に登場したゾーニングに始まり、1920年代には制限的不動産約款とネイバフッド向上協会の活用へと時代を追って変遷してきたことを明らかにし、これが居住区の人種的同一性を保持したい白人の強力な武器となっていたことを述べる。しかし、制限的不動産約款は、住宅差別の是正に積極的に取り組んでいた全国黒人地位向上協会の尽力もあり、「シェリー対クレーマー判決」(1948年)で違憲となった。だが、これが実際には転機となって、第二次大戦後に、住宅をめぐる対立で住民が直接暴力を振るう素地となっていたことが解き明かされる。
 第二章では、戦後初期の段階で、シカゴのヴェテラン向け公営住宅で起きた二つの人種騒動(エアーポート・ホームズとファーン・ウッド・パーク・ホームズ)を取りあげ、近隣の白人住民による大規模な暴力的抵抗を招いた要因が検証され、そこにはシカゴ住宅局の行政長官エリザベス・ウッドによる人種統合を目指した公営住宅政策があったことが明かされる。二つの人種騒動を通じて、白人住民は暴力を有効な手段と認識し、その後の黒人入居に抗議する抵抗手段の雛形にこれがなっていく。
 第三章では、1953年~54年に起こったトランブル・パーク・ホームズ騒動を取りあげ、黒人入居に反対する人々の「共同体の暴力」が、コミュニティ団体主催の集会、新聞の活用により醸成され、またホワイト・エスニックの近隣住民の情報交換の場として酒場が共同性創出の場となっていたことが史料より明らかにされる。また、同騒動は、シカゴ住宅局の公営住宅政策の転機ともなり、ウッド長官は騒動後に市長により解任され、公営住宅建設の候補地選びでも主導権は市議会へと移った。こうしてシカゴの公営住宅は、その後は黒人居住区を固定し、コミュニティの人種編成を維持し続ける目的で建設されていくことになる。
 第四章では、もう一つの戦後の事例、都市再開発によりシカゴの黒人居住区が規定され、ウエスト・サイドに新たな黒人ゲットーが形成されていく過程を検証している。シカゴの都市空間の地理的区分と人口移動に関して整理した後、サウス・サイドとウエスト・サイドの都市再開発の歴史を考察し、それらが黒人コミュニティを破壊的に分断したことを示し、高層住宅という新しい建築スタイルがウエスト・サイドで採用されたことが同地区に黒人貧困層が集住する結果を招いたと結論する。
 第五章では、前章で扱ったサウス・サイドとウエスト・サイドでは、公立学校の人種隔離撤廃運動においても大きくその展開が異なったことが示される。ここでは、まず20世紀前半の北部都市での教育状況を概観し、シカゴの黒人もブラウン判決や南部の公民権運動に強く影響を受けており、筆者は直接行動で力を発揮したコミュニティ団体調整会議(CCCO)を評価している。ただ、両地区の改革運動には、都市再開発の影響や黒人内部の階級差が反映しており、両地区の公立学校の人種隔離撤廃運動が持つ意義は大きく異なっており、人種統合を達成できなかった点でこの運動には大きな限界があった。
 本論最後の第六章では、シカゴ自由運動を、北部での公民権運動と捉えると同時に、シカゴの住宅をめぐる長い人種対立の文脈のなかで再考することを試みた。シカゴ自由運動は「スラム撲滅」を達成できず、SCLC型の「住宅開放」運動へと目標を変更し、デモ行進による直接行動を開始したが、この運動の可視化がこれまで公民権運動で経験したことのない暴力を惹起し、白人・黒人双方の人種意識を刺激する結果となった。
 終章では、本論部分を総括した上で、本論文の方法論的課題としていた、都市史と公民権運動研究の統合の意義、「長い公民権運動」とホワイトネス研究の視座の導入の意味が考察される。そして、序論の問題提起にあったホワイト・エスニックの黒人に対する暴力行動の根底には、自分達の居住区に黒人が流入し社会的地位が低下する「恐怖」が常にあったことが指摘され、住宅をめぐる人種対立とは、社会生活の基盤である住宅を中心にしたコミュニティの生活圏をめぐる相克であったと結論づけている。最後に、公正住宅法として知られる1968年公民権法制定までの過程を補足し、「ポスト公民権運動時代」のアメリカを展望している。




Ⅲ.本論文の成果と問題点
 本論文の主要な成果としては、以下の諸点をあげることができる。
 第一に、北部の代表的都市であるシカゴを取りあげ、そこでの住宅問題を焦点にした人種騒動を丹念に調べ上げ、北部における公民権運動の展開とそこでの争点を解明した点にある。「長い公民権運動」という枠組みのなかでシカゴを考察してみせた、その構想と着眼点は評価に値する。南部とは異なり、人種主義が法律で明文化されていない北部では、ゾーニングや制限的不動産約款などのかたちで実質的な排除が実行されており、こうした北部の都市空間に住まう人々の日常のなかに織り込まれた差別の諸相を明らかにし、黒人達がこれら差別と闘い、生活権を得るための闘争を展開したことを論じた。もちろん、住宅問題以外にも、肌の色にかかる差別は、イリノイ州では異人種間結婚禁止法はすでに撤廃されていたとはいえ、依然として異人種間の恋愛・結婚をめぐる位相で存在したし、就業状況においても同様であったと推測され、こうした住宅問題以外の黒人を取り巻いていた差別的日常が社会史的視座から詳らかになればより大きな成果となったであろうが、それでも少なくとも本論文の成果として、「公民権」なるものが地域ごとに多義的な意味を持ち、決して政治や法制度上の定義に限定される代物ではないことが明らかになった。
 第二に、住宅をめぐる人種騒動に深く関与したアイルランド系、イタリア系、ポーランド系などのホワイト・エスニックを考察対象としたことによる、ホワイトネス研究への貢献である。人種関係をアプリオリに白/黒の二分法的な構図の中に落とし込むのではなく、白人住民のエスニシティ、黒人の階級的差異や居住地域の違いなどに着目し、多層的な人種・エスニシティ関係を描き出そうとした点は評価できる。従来のホワイトネス研究が、19世紀中葉以降、20世紀初頭までのヨーロッパ系移民の白人化の過程に焦点をあてて、それ以降を扱わない傾向があるのに対して、本論文は1918年のシカゴ暴動を大きな転機として捉えつつ、この移民達の白人性にかかる問題を20世紀中葉にまで延ばして考察する意義を見いだした。すでにM.F.ジェイコブソンら戦後アメリカ社会におけるホワイトネスの問題の重要性を指摘している研究者もいるが、公民権運動史や都市史においてもその可能性を感じさせる成果を示している。 
 本論文ではこうした優れた成果が生み出された一方で、以下のような問題点も指摘することができる。第一に、本書の分析枠組みの柱に据えられた「長い公民権運動」という視座の有効性に関してである。本論文では従来の50年代から60年代に限定した運動論を40年代にまで射程を延ばして運動の連続性をみることで成果を得た。だが、黒人達がこうした日常のなかの差別と闘い、生活権を得るための闘争は現在まで続いているのであり、決して公正住宅法が制定された1968年で途切れるわけではない。この課題は、そもそも「公民権」とは何であり、公民権運動とはいかなる歴史的運動なのかという根本的な問いともつながっており、この問いへの応答を期待したい。第二に、史料について、日常性を重視した社会史を志向する論文であれば、もう少し運動に関わった住民たちの生の声を直接引用できればよかったのではないか。第三に、北部都市シカゴのケースは、他の北部都市、あるいは南部の都市と比較するとどのような運動形態に違いがあり、特色があるのかが描ければ、なおよかったのではないか。とはいえ、こうした問題点については著者も十分自覚しており、今後の研究のなかで克服されていくものと思われる。

Ⅳ.結論
 審査員一同は、上記のような評価と、2012年12月18日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、武井寛氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2013年2月13日

 2012 年12月18日、学位論文提出者武井寛氏の論文について最終試験を行なった。試験においては、提出論文「変容する黒人コミュニティと住宅をめぐる闘争-20世紀中葉のシカゴの公民権運動-」についての審査員の質疑に対し、武井寛氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって、審査員一同は、武井寛氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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