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博士論文審査要旨

論文題目:自傷行為とトラウマ
著者:菊池 美名子 (KIKUCHI, Minako)
論文審査委員:宮地 尚子、多田 治、安川 一、中野 知律

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1 本論文の構成

本論文は、リストカットやアームカットなどを始めとする自傷行為とトラウマとのかかわりについて論じたものである。これまで十分に系統的な研究がなされてこなかった自傷行為とトラウマの関係について詳細に文献を分析し、トラウマ体験がその後の自傷行為とどうつながっているのかを明らかにしている。また、そこから自傷行為の問題解決とはいったい何なのかという問いに論を進め、具体的なオルタナティブとして、「サバイバル文化」を提示している。本論文は、「現代社会に特有の問題」という自傷行為についての誤解をとき、トラウマをもつ自傷行為者の経験を包括して語れる理論と言葉を摸索し、彼らが現実的に使用することのできる「処方箋」までを描き出そうとする、意欲的かつ実践的な論考である。

本論文は、序および1—4章から構成されている。本論文の構成は以下の通りである。

目次

序  自傷行為について論文を書くことの不/可能性について
     
第1章  自傷論の現在と問題設定
  1. 問題の所在——自傷行為者とは誰か
  2. 自傷行為の先行研究
  3. 本論の立ち位置と問題設定

第2章 性的な傷つきと自傷
1. 性的トラウマから自傷を考えることの意味
2. トラウマーアタッチメント問題
3. 性的トラウマサバイバーにとっての自傷の機能
A.意味の混乱による自傷
B.中枢神経刺激剤としての自傷
     C.禊ぎの儀式としての自傷  

 第3章  サバイバル文化論
1. 自傷行為の有用性とリスク
2. 田中美津の“抵抗”の旅路
3. サバイバル文化の複合的な作用

第4章  自傷者の問題解決について
1. 問題解決の条件
2. セラピー文化批判に答える
3. 残酷な神の支配を逃れて

まとめにかえて
謝辞
参考文献リスト
 

2 本論文の要旨

各章の概要は以下の通りである。
序論では、現代社会における自傷行為への否認と誤解について述べ、学際的研究による、言葉からの自傷行為への接近の必要性を議論している。
1章では、精神医学と社会学の自傷論のあいだには断絶があるものの、どちらにおいても、現代社会的で軽微なものとして自傷行為が扱われてきたこと、そのため、自傷行為が個人化され、不可視化されてしまっていることの問題性について指摘し、それに対する筆者の立ち位置と論文の意義を述べている。
筆者は、まず、自傷行為の基本的データやこれまでの取り上げられ方を参照した上で、本論での自傷行為を「故意かつ直接的に自己身体を傷つける行為」と操作的に定義する。また、自傷行為の定義自体にその機序をめぐる議論の政治があらわれることを示す。そして、自傷行為が「現代を象徴する若者文化」としてとりあげられがちであること、精神科医や心理カウンセラーなどからは「未熟で自己愛的な精神発達の病理」として捉えられてきたこと、既存の社会学研究も、現代社会に特有の現象として自傷行為を扱い、後期近代の脱産業社会における、再帰的自己自覚的達成課題や、自己アイデンティティ構築の困難などと結びつけて、自傷行為を論じてきたことを指摘する。
一方、筆者は自傷行為の先行研究を丁寧にたどり、資料を参照できる範囲だけでも、少なくともここ100年以上にわたり一定の割合の自傷行為者が見つかることを見出す。また、いくつかの定量的な調査結果によれば、自傷行為者の約半数に性的虐待や身体的虐待などのトラウマの存在が認められており、時代を超えて一定の割合で存在する自傷行為者の層には、トラウマという要因が深く関わっていると述べる。
しかし、精神医学・心理学においても、社会学においても、自傷行為の原因としてのトラウマは、特殊なものとして周縁化されてきた。特に社会学は、社会文化的な背景によって起きる事象が病理化、医療化されてしまうことを警戒するあまり、逆に家庭内での虐待経験などのトラウマの分析を避けてきたという。そうした社会学における自傷論は、社会文化的に構成された経験であるトラウマを個人化し、自傷行為者の生きた現実を捉えられなくしてしまうと指摘する。こうして、様々な誤解を受け不可視化されてきた自傷行為者を、どのように理解し、その問題解決を摸索できるかが、本論の課題であるとする。
2章では、自傷行為とトラウマの関係性を明らかにするにあたって、トラウマ—アタッチメント問題の理論研究を行なっている。トラウマの中でも特に性被害経験に注目し、自傷行為の関連について調べている。性被害がこれまでないことにされてきたという問題と、その悪影響を正面から見据えることが、自傷行為を理解する上で大きな意義をもつと論じる。性被害の影響については、アタッチメント研究者のジェームズの議論を参照しながら整理をし、トラウマ反応だけでなく、アタッチメント問題をもたらしやすいことを指摘する。トラウマとアタッチメントの問題が複雑に絡まると、恐怖、カテゴリーの混乱、自己観や世界観の断絶と混乱、罪や恥の感覚が自己に貼り付いてしまうような否定的自己認知、瞬時的絆と衝動性、接近をめぐる葛藤、警告反応と麻痺、空無化恐慌、解離などに関連した脳神経系の変化、身体愁訴の問題、他人による統御と自己コントロールの喪失など、様々な生きづらさをもたらすという。
そうした生きづらさへの対処手段の一つとして、自傷行為は有効に機能すると著者は指摘する。そして、自傷行為のもつ機能を、A.意味の混乱による自傷(カテゴリーの混乱による自傷/再演としての自傷/自罰ではなく、怒りの表出としての自傷)、B.中枢神経刺激剤としての自傷(解離のスイッチとしての自傷/身体症状への対処としての自傷)、C.禊ぎの儀式としての自傷、に分類して分析している。
3章「サバイバル文化論」では、まず自傷行為の有用性とリスクについて分析をしている。筆者は、トラウマがもたらす生きづらさを抱えながら、この社会を「まるで何事もなかったかのように」生き抜き、学業や就労を可能にし、耐えきれないほどの苦痛に対処するために有用な文化を、「サバイバル文化」と名づける。そして、数あるサバイバル文化のなかでも、自傷行為は現代社会に適合的な側面をもちうることを論じる。しかし自傷行為の問題点としては、安全性に欠け、長期的にみれば死を招き寄せる可能性が高いという点と、自傷行為で対症療法的に苦境を凌ぐことで、逆に自傷行為をもたらした根本的な原因が忘却され、加害者や社会へ向けるべき怒りが自罰へと回収され、孤立を促進してしまう罠が待ち受けている点があるという。そのため、サバイバル文化として自傷行為を続けることは、多くのリスクを伴い、それまで以上の生きづらさをもたらしてしまうと筆者は指摘する。
このような自傷行為の罠におちいらず、かといって医療モデルにも戻らない形の問題解決について考察するため、筆者は、トラウマをもちながらも自傷行為をせずに生き延びた人々の手記や作品を読み解き、その中から自傷行為を代替しうる機能をもったサバイバル文化を浮き彫りにしようとする。具体的には、ウィメンズ・リブの活動家であった田中美津の半生をとりあげ、性的虐待サバイバーとしての彼女の“抵抗”の旅路を詳細に分析する。ほかにも、東欧の女性アーティストMarina Abramovićのパフォーマンス・アート作品『Lips of Thomas』や、日本の少女マンガ、なかでも萩尾望都作品の分析を行ない、薬物・アルコール嗜癖をもつ女性をサポートするダルク女性ハウスの試みについても取り上げ、サバイバル文化の多様性と有用性、および複合的な作用の仕方について考察している。
4章では、それまでの考察をふまえて、自傷行為の問題解決の条件についてまとめている。まず、トラウマに関し、身体、過去の記憶やイメージ、社会という3つの次元において自己統御を取り戻していく必要があるという。次に、自傷行為をもたらすトリガーへの対処などにも同時平行して取り組む必要があること、そのためには、他者への相談や行動記録表などを介して、自分自身の小さなニーズや問題を分節化して把握する習慣を身につけるという方法が有効であること、そういった問題解決の過程を支えるのは他者との連帯であり、孤立したままでは難しいことを指摘する。また、自分が頼っていたサバイバル文化が有効に機能しなくなっていく可能性や、サバイバル文化の間の分断についても分析している。
自傷行為をめぐる現代社会論についても批判的に読み解き、「自己統御」を取り戻すためのサバイバーの試みが、いつの間にかネオリベラリズムの要請する「自己責任」の理論とすりかえられてしまう危険性があることや、セルフヘルプ・グループが被害の個人化に加担するといったセラピー文化批判がもたらす弊害についても論じている。最後に、田中美津の「ここにいる女(もしくは男)」という概念を用い、自分を見失わず、信頼できる他者とともに、自傷行為やトラウマからの「回復」の、その後の日常を生き延びていくことが問題解決であるとして、論を閉じている。

3 本論文の成果と問題点 

本論文の成果は以下のようにまとめられる。
第一に評価すべき点は、「自傷行為」について、その概念や実態を詳細な文献調査からたどり、従来の精神医学や社会学の言説の偏りや問題点を指摘し、より説得的でオリジナルな自傷論を展開していることである。
これまでの精神医学・心理学における自傷行為の理解には大きな問題があり、自傷行為者を、自己愛的で未熟なパーソナリティと形容し、高尚な学問の装いの下で中傷するような説明が少なくなかった。また、実際にはほとんどの自傷が誰にも知られない形でなされているにもかかわらず、「周囲の人間を振り回すためにやっているのだから相手にしてはならない」と、一種の詐病扱いすることで、自傷行為者をさらに孤独に追いつめていた。
筆者は、精神医学における自傷行為の先行研究の流れを、<黎明期>/<第2期>/<第3期〜現在>にわけて詳細に検討し、①統合失調症や気分障害などに付随する精神病型の重篤な自傷行為、②発達障害などにともなう常同的な自傷行為、③傷が表層的で中程度の自傷行為という類型化がなされていること、また「現代の病理性を反映した」自傷行為者が増えているとされていることを見出す。しかし、実は「今日的な、若年層に多く、比較的軽微な自傷行為が存在する」という「発見」と類型化は、歴史的に何度も繰り返されてきたこと、そして既存の論に対し、100年以上にわたり一定の割合の自傷行為者が見つかること、自傷行為者の約半数に、性的・身体的虐待などのトラウマが認められていることを明らかにし、時代を超えて自傷行為とトラウマという要因が深く関わっていると述べる。
文献の収集と分析は、精神医学や心理学関連の広範囲の領域に渡っているが、鋭い問題意識にそって的確な選択が行なわれている。1913年の精神分析の症例報告や、近年の実証的な疫学調査、脳神経科学や画像研究、自傷の精神医学的な治療論や、より当事者に近い回復論や当事者の手記など、多様な知見を批判的に検討した上で、きわめて読み応えのある、かつ説得力のある自傷論を産み出している。自傷行為のもつ、ときに矛盾する機能を、A.意味の混乱による自傷、B.中枢神経刺激剤としての自傷 C.禊ぎの儀式としての自傷、と3分類して整理したことは、性的トラウマサバイバーにのみならず、多くの自傷行為者の理解にも役立ちうるものであり、筆者のオリジナルな理論枠組みとして、今後の発展が期待される。 
筆者は、精神医学・心理学から多くの知見を得ながら、社会学というポジションからも離れることなく、社会学の従来の自傷論についても鋭い批判をなげかけている。そこでは自傷行為が「後期近代」「脱産業社会」等の時代的局面からとらえられてきたこと、精神医学的な解釈に批判的でありつつも、その類型や認識は疑わずに論を進め、自傷行為の個人化という精神医学と同じ轍を踏んでしまったことを指摘する。原因というより、自傷行為を可能にしやすい条件として現代社会を捉え直す筆者の分析は、新鮮である。
こうして、自傷行為の要因として周縁化されがちだったトラウマを真正面から見据え、そこから自傷行為の機序との関連を考察した本論は、精神医学・心理学と社会学の領域を横断し、それぞれの限界を超えた、意欲的かつ説得性の高い自傷論となっている。
第二に評価すべき点は、性的虐待経験と自傷行為の関係について、トラウマやアタッチメント問題の観点から整理を行い、理論的な枠組みを構築したことである。本論は、これまで精神医学からも社会学からも不可視化されてきた、性的虐待の生きた現実の体験を、具体的かつ細やかに描写・分析することで、自傷行為とのつながりを説得的に説明している。また、誤解をうけてきた自傷行為者の持つ性質についても、性的虐待などの苛酷な状況を生き延びた人間なら、当然の帰結として抱えざるをえなくなる生きづらさとして捉えなおすことを可能にし、病理的な解釈を退けることに成功している。トラウマやアタッチメント問題についても、最新の複雑な知見や議論を集め、きちんと咀嚼した上で、自傷行為と結びつけて、その重要性を指摘している。とくにアタッチメントと自傷行為との関連はまだほとんど注目されておらず、筆者のオリジナルな貢献といえるだろう。
第三に評価すべき点は、学術的な整理や分析をしながら、それが常に、自傷行為当事者への具体的なサバイバルの道筋を描き出すことに結びついていることである。本論文では、トラウマが生み出す問題と、それに対する自傷行為の意味や役割を精緻に描き出し、そのまま自傷行為を続けるという選択肢がありうるのかを議論し、自傷行為の他にはどのような選択肢が選べるのかをサバイバル文化として考察し、その過程で必ずつきあたる壁への対処法、つまりサバイバル文化への疑問や居心地の悪さ、またセルフヘルプ・グループ批判などをどう考え、どのように対処することができるか、という流れで論理展開をしている。こうした論理展開で、具体的な問題点を順に描き出すことによって、混乱せず長期的に問題解決に取り組みつづける方法を、自傷行為当事者にも説得的な形で提示できている。また、サバイバル文化として、田中美津の著作のほか、アート作品や少女漫画などを読み込み、分析を行なったことは、自傷行為者の「問題解決」という個人的・臨床的意義にとどまらず、オルタナティブな「生きるための様式」を提示したという意味で、社会的意義も高いといえる。本論全体として、文章が美しく読みやすいことも特筆されるべきであろう。

他方、本論文の課題として以下のような点があげられる。
第一に、自傷行為とトラウマとアタッチメントの関係性について、より明快な整理が望まれる。たとえば、性的なトラウマとそうでないトラウマとでは、自傷行為との関連にどれだけの差があるのか、自傷行為と解離症状との複雑な関係はトラウマ-アタッチメント問題のどこに、どのように位置づけられるのか、トラウマーアタッチメント問題の種類や重症度と、どのような自傷行為およびその他の自己破壊的行動が対応しているのか、といった問いである。これらはトラウマ研究やアタッチメント研究の第一線で模索がなされているテーマであり、簡単に答えの出る問題ではない。ただ、自傷行為という切り口は、まさに解明の鍵となりうるため、筆者の分析の発展が期待される。
また、筆者は、トラウマから自傷行為をとらえることは、精神病に付随する自傷行為、発達障害に付随する自傷行為、伝統共同体における身体加工など、それぞれの類型を横断的に理解し、自傷論の地図を書き換えていくことにつながるとしているが、具体的には触れていない。本論文を基礎として、それらの類型間の共通点や差異について、今後明らかにしていってほしい。
第二に、サバイバル文化の分析においては、研究手法が明示されておらず、既存の作品素材を取り上げ、その素材に即した形でコメント・考察を加える論述になっている。そのため引用が多くなり、素材に引きずられた考察が続く印象を残している。サバイバル文化の考察をふまえた後で、再度、素材から離れた自傷行為—トラウマ論を展開する一節を章末に設けていれば、より実りある、オリジナリティが明確な論になったであろう。
第三に、自傷行為のオルタナティブとなり得る「サバイバル文化」の輪郭を、より明確にしていってほしいことである。筆者の述べるサバイバル文化の3つのテーマについては納得できるが、ではサバイバル文化になるものとならないものの線引きは可能なのか、一見サバイバル文化のようにみえて実際には逆効果をもたらすものはないのか、それらは個々人の多様性やタイミングによるとしてしまっていいのか、といった問いが生まれてくる。筆者はどのサバイバル文化が利用されるかは、その危険度、即効性、手軽さ、金銭的コスト、社会的受容度、産業構造の要請、身体利用の可否、ジェンダー、脳神経系における条件付け、トラウマの後遺症のどの症状を癒すためにその行動をとっているのか、などによって決まると論じている。しかし、それらは仮説にとどまっており、今後、論証される必要がある。医学モデルや治療モデルから解き放たれるためにも、サバイバル文化のもつ有用性や可能性は高い。だからこそ、なんでも「サバイバル文化」と呼んでしまえるような便利な概念装置にならないよう、分析を深めてほしい。
これらの課題については、著者自身もすでに自覚しているところであり、本論文の高い水準と諸成果を損なうものではなく、今後の研究によって発展されることが期待される。
以上のことから、審査員一同は、本論文が地球社会研究に寄与しうる成果を十分挙げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と判定した。

最終試験の結果の要旨

2012年11月14日

 2012年10月3日、学位論文提出者菊池美名子氏の論文についての最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「自傷行為とトラウマ」についての審査員の質疑に対し、菊池美名子氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
よって審査委員会は、菊池美名子氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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