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博士論文審査要旨

論文題目:アカデミック・ハラスメントの社会学的研究 ―学生の問題経験と「領域交差」実践―
著者:湯川 やよい (YUKAWA, Yayoi)
論文審査委員:宮地 尚子、関 啓子、小林 多寿子、山田 哲也

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1 本論文の構成

本論文は、日本の大学の研究室教育における教員/学生間のアカデミック・ハラスメントについて、概念の理論的検討を「領域交差」的に行なうとともに、インタビュー調査によって、学生の主観的な意味世界に接近しながらその具体像を描き出し、分析をおこなったものである。そして、アカデミック・ハラスメントという問題から、教員と学生の今日的なつながりのあり方を読み解き、現代の、大衆化され「開かれた大学」において、高等教育・研究者養成という「知の共同体」がどのようにありうるか、研究教育一体型活動において新しい教員―学生の関係がどのように構築・展望されうるかにまで考察を広げた、意欲的かつ挑戦的な論考である。

本論文は、序章、終章を含め、7章から構成されている。本論文の構成は以下の通りである。

目次 

序章
0.1. 問題の所在
0.2. 先行研究
0.3. 研究の目的・課題
0.4. 研究の手法
0.5. 論文の構成

1章 社会問題としてのアカデミック・ハラスメント
1.1. 前史としてのキャンパス・セクシュアル・ハラスメント
1.2. 「アカデミック・ハラスメント問題」の誕生と展開
1.3. 小括

2章 大学問題とジェンダー研究に関する領域交差の理論検討 
2.1. 今日の大学における「ジェンダー研究」の文脈化
2.2. 「歴史的抑圧による排除でない被害」も主題化するプラクティカルなバランス:アカデミック・モビング研究からの示唆
2.3.「性と生をめぐる政治」を大学の中で語る/語れるということについて:欲望の問題系
2.4. 小括

3章 教員―学生関係に関する領域交差の理論検討 
3.1. 被害―加害という枠組み:「でも、それだけじゃない」にどう向き合うか?
3.2. 「教える―教えられる」関係と、学生の営みを読む視角
3.3. 小括

4章 事例研究:学生のライフストーリー
4.1. 調査の概要
4.2. マリさんのストーリー
4.3. ヒロキさんのストーリー
4.4. アユミさんのストーリー
4.5.  コウスケさんのストーリー
4.6.  タケオさんのストーリー
4.7. 小括

5章 事例横断分析:アカデミック・ハラスメントと「学生の抵抗」
5.1. 学生の主観的意味世界におけるアカデミック・ハラスメントの形成過程
5.2. 主観的意味世界から析出された背景諸文脈
5.3. 領域交差と対話的構築主義アプローチ
5.4. 小括
補節 留学生の経験:自然科学系男性のケースから

終章
6.1. 本研究で行った作業と得られた知見
6.2. 本研究の独自性と残された課題
6.3. 総括


2 本論文の要旨

 各章の概要は以下の通りである。
序章では、問題関心と研究の目的・課題、先行研究群における本論文の位置づけ、研究方法等について述べられている。
「アカデミック・ハラスメント」とは、日本では「研究・教育機関における権力を利用した嫌がらせ」と広く理解され、一般的には、「大学での性的言動(セクシュアル・ハラスメント)以外の不快な言動全般」をイシュー化する用語として1990年代頃から用いられている。
著者は、高等教育・研究者養成における教員から大学院生へのハラスメントに焦点をあて、それを、「大学」と「研究・教育」をめぐる議論の中に置き直し、今日の高等教育・研究者養成における教員―学生のつながり方を論じたいと述べる。この目的遂行のため、①日本国内でのアカデミック・ハラスメントの社会問題化過程と今日的課題の検討、②研究・教育活動と大学のあり方を論じる国内外の関連諸言説の中へのアカデミック・ハラスメント問題の位置付け直し、③学生の主観的意味世界における教員―学生関係の認識・評価形成の過程・背景の考察、という3つの課題を設定する。方法論としては、「社会問題として構成されない日常的な問題経験」を繊細に浮かび上がらせる構築主義のライフストーリー手法と、脱構築の学際研究手法である領域交差の考えを組み合わせると述べる。
そして、先行研究を、高等教育・研究者養成研究、「ジェンダーと教育」研究、「ポスト・ジェンダー」の社会学・公共社会学論誕生後のジェンダー研究、という3領域に分けて整理し、本論文の位置づけを行っている。

1章では、第一の課題に取り組み、「アカデミック・ハラスメント」という概念によって、どのような出来事がどのような解釈を伴って「社会問題」化されてきたのか、その定義・解釈の変遷を明らかにしている。まず、アカデミック・ハラスメントに先行して、セクシュアル・ハラスメント及びキャンパス・セクシュアル・ハラスメントが社会問題化される過程を描き、「ジェンダーと権力の大学構造」を明示した実践/研究一体型のジェンダー研究の成果を確認する。次に、主要全国新聞における言葉の掲載頻度と用いられ方の分析から、アカデミック・ハラスメントが、「性差別」としてだけでなく、ジェンダー非関与の解釈にも広がっていった言説的経緯を描き出す。
その上で、ポスト構造主義のクィア理論を援用し、「ホモソーシャルな大学構造批判」という新しい解釈レパートリーを検討し、「ジェンダーと権力の大学構造」論が導き出されてきた文脈そのものを再検討する必要性と、アカデミック・ハラスメントを説明する学術言説の中にどのような今日的な理論的課題があるのかを考察している。

2章では、今日のグローバルな大学問題の中にアカデミック・ハラスメントを位置付け直し,北米圏での議論を検討している。まず、アメリカで近年台頭してきた対フェミニズムバックラッシュの言説(保守派男性たちのドミナント・ストーリーへの回帰)に、フェミニズムをはじめとする「左派」がどのような対抗言説で抵抗してきたかを概観し、日本の大学内ハラスメントの諸議論を位置付け直す。さらに近年の研究・教育市場化やグローバル化において、既に失われた近代大学を回顧する「右派」でもなく、「歴史的排除・抑圧の問題」を重視し、多様性称揚を新しい大学文化として提唱する「左派」でもない、「第3の立場」を主張するレディングスのポスト歴史的大学論を、主要な認識論的基盤としてとりあげる。また、ウェストヒューズや、トゥエイルとデ・ル―カらのアカデミック・モビング(大学教員同士の職場いじめ)研究の成果を、レディングスの論と結び付け、時間的な多元性(古い近代大学の問題と新しいポスト歴史的大学の問題)と、空間的な多元性(大学内部の問題と外部社会からの影響という問題)の両面を視野に入れる必要性を述べる。さらに、クィア理論を含む広義のジェンダー研究における「欲望」をめぐる議論を検討し、「高等教育・研究者養成の人間関係をめぐる問題経験を主題に、大学内部で学術研究をする」ことの意義と可能性を考察する。

3章では、教員―学生関係の非対称に焦点をおいて、関連先行研究の批判的考察を行っている。まず、2章でとりあげたギャロップとウェストヒューズを、「教える者―教えられる者の間にある根源的な非対称」という切り口から再度検討し、「被害―加害」という枠組み自体をいったん相対化し、非対称そのものを主題化すべきだと述べる。次に、教育工学、社会心理学、法学、ジェンダー研究、教育(社会)学など、異なる領域において蓄積されてきた「教える―教えられる」関係に関する議論を整理・マッピングする。さらに、近代教育学が行きついた「教育愛」研究の限界を、どのようにポスト構造主義クィア批評の精神分析で乗り越え、アカデミック・ハラスメントに関する経験的データの記述・分析と接続できるかを追究している。
また、主体形成と支配の共犯性をめぐるバトラーの議論に注目し、バトラーの行為遂行体による抵抗の契機を、セルトーによる「日常的実践の戦術」としての学生論、及び、2章で依拠したレディングスの「廃墟の大学論」とつなげる。この「ポスト歴史的大学における学生の日常的実践=抵抗」論を、次章以降の学生の主観的意味世界を読み解くための、認識論的基盤として提示する。それは、教員と学生の非対称性の解消や抑圧された主体の解放を論じるのではなく、「会計の言葉」をも越えて「説明義務の言葉」を提示する抵抗を、学生の日常的な実践とその語りの中に見出すやり方であるという。

論文後半の4章、5章では、学生が研究室で経験する様々な問題経験を読み解くライフストーリーの事例研究を行っている。
4章では、学生の主観的意味世界に照準した個別のライフストーリーを記述することで、学生たちが日常のどのような出来事を問題経験ととらえ、その経験をどのように語るのかを考察している。まず、対話的構築主義のライフストーリー手法を用いた調査研究を行う上での方法論上の論点を整理し著者の立場を示した上で、調査概要(対象者、表記と匿名化・加工の基準および原稿公開の承認取得)の説明がなされる。つぎに、異なる専門領域(医療系、工学系、人文科学系、人文社会科学系2名)に属する男女計5名の事例について、研究室教育における教員との人間関係の中で不快・不満を認識する契機となるエピソードに着目し、学生がどのように教員との関係性を認識・評価していくのかという過程・背景を明らかにしている。各事例について、相互行為としてのインタビューと分析過程の自己反省的考察が加えられている。

 5章では、事例の横断分析を行い、アクティヴ・インタビューの対話的構築主義の方法論と合わせて考察している。複数対象者たちの問題経験から、著者は共通点として、「距離」をめぐる不満・不快、教員から「利用されている」感覚、教員に対する「研究者としての尊敬」が喪失・低下すること、という3点を析出し、「出来事」ではなく「関係性としてのアカデミック・ハラスメント」が学生の主観的意味世界において認識・構築されるプロセスを記述する。また、「関係性としてのアカデミック・ハラスメント」は日常の問題ないとされる関係とも連続性があり、スペクトラム的領域をもつと指摘する。
次に、「アーツ的」領域に特有の、社会生活・スタイルと研究内容の密接不可分性、「サイエンス的」領域に特有の、「チーム」性や「(小)講座制」」の現状と認識のずれという、専門領域特性や組織特性についての検討を行い、既存のハラスメント研究の関心となってきた狭義のジェンダー要因についても検討している。さらに、調査・分析プロセスの自己省察についても横断分析を行い、日常的実践の「戦術」を〈個別化=主体化〉の実践として語る学生たちと著者との関わりが、領域交差の実践を試みる本稿の営為の中でどのように位置付けられるのかを考察する。そして「問題経験」の語り、およびその協働記述作業そのものが、ポスト歴史的大学における「学生の抵抗」の一形態として位置付けられることを示す。また、補節として自然科学系男性留学生のケースを分析している。

終章では、これまでの知見をまとめ、その実践的示唆を考察し、関連諸領域に対する本研究の学問的示唆を検討し、以下のように結論づける。
「養成計画なき専門者養成」といわれる大学院研究室教育において、学生たちは、身近な教員を模倣・引用し、そこで必ず何らかの意識的、無意識的失敗を繰り返している。それら模倣・引用の失敗によって、研究/教育、教える/教えられる、大学の中/大学の外といった本論文の前提となる二分法そのものも、常に危機にさらされる。そこにこそ、ポスト歴史的大学における「学生の抵抗」があり、義務と責任の開かれたネットワークとして教員と学生がつながりあう新しい思考実験の場が見出される。ポスト歴史的大学における研究・教育活動は、「知の共同体」を標榜する近代の大学において前提とされたダイアローグ(共通理解を求めての対話)ではなく、ダイアロジズム(わかりあえないことを前提にそれでも互いのそばで思考し続けることそのものに意義を見出すようなやり方)である。アカデミック・ハラスメントをアカデミズムの中で探求した本研究も、そのようなダイアロジズムを複層的に経験し、それを再帰的に記述することで、既存の「知の共同体」としてのつながりではなく、かといって近代大学への絶望のもとに展開される擬制的な契約関係でもない、身近な誰かと専門知を通じて大学の中でつながろうとする新しいあり方を探ったものである、と。

3 本論文の成果と問題点 

本論文の成果は以下のようにまとめられる。
第一に評価すべき点は、アカデミック・ハラスメントという比較的最近イシュー化されてきた問題について、複数領域にわたる理論的検討とフィールド調査およびインタビュー調査を行い、かつそれを大学のあり方や教員学生関係のあり方を論じる諸言説の中に位置づけ、多角的に考察したことである。
著者は、アカデミック・ハラスメントを、組織におけるリスク管理の課題や、学生相談の心理問題としてとらえるのでなく、また被害者の視点に立った人権擁護の理念を踏まえながらも、そこを超えて、高等教育・研究者養成を読み解くための学術的課題としてとらえ直そうとする。
そのために、アカデミック・ハラスメントや高等教育をめぐる多数の言説の批判的考察をおこない、既存の諸言説が取りこぼしてきた状況・諸相を丁寧に掬い上げ、現状を読み解くために有効な糸を取り出している。そこからインタビュー調査への認識論的基盤を紡ぐ過程は、精緻で、かつ説得力もあり、迫力がある。
そして、大学教育の支配構造を支える諸言説とそれへの抵抗言説とのせめぎあいのなかで、いずれにも回収されない、学生の「個別化=主体化」の実践を聞き取り、グローバル時代の、レディングスの言葉をかりれば、「エクセレンス」の大学での教員との関係を生き延びる日常的な戦術を浮上させることに成功している。
とくに、これまでブラックボックスと言われ、既存研究の死角となってきた大学院研究室教育のミクロレベルを読み解くため、インタビュー調査で個別の教員―学生関係がどのようにして「アカデミック・ハラスメント」と問題化される関係に至ってしまうのかを探っているが、同時に、研究者養成における知の生産・伝達のローカルな実践に接近し、「知の共同体」という伝統的な認識の枠組みや規範を変えて、新しい教員―学生関係の形をいかにして展望できるのかというところにまで、考察を広げている。こうしてハラスメント研究から、高等教育・大学院教育研究への新たな、かつ独自な局面を、著者は切り開いている。

第二に評価すべき点は、対話的構築主義と「領域交差」という方法論を最初から最後まで手放さなかった点である。著者が理論枠組みに用いた文献の数と範囲の広さ、それぞれの読みの深さ、それらを領域交差的につなげていく力には、驚嘆すべきものがある。関連領域の諸議論をただ並列させただけでなく、多角的に読み込んで構成しなおし、自身の認識論的基盤を明確にし、それをインタビュー調査のなかで実践しようとする姿勢は、学問的に挑戦的であり、かつ誠実である。領域交差は、あらゆる学術的制度の正統性をめぐる「問いの問い」として位置付けられ、その目的は、「従来の制度において正統な地位や十分な立場をまだ得られていない主題や問題、経験に優先権を与え」、「仕切られた既存の学問領域の間で別の道筋を切り開く」ことにより、大学を「倫理的な場」として機能させることにあると、著者はいう。
これは、アカデミック・ハラスメントというアカデミズム内部の問題について、アカデミズム内部で調査研究を行うということ、当事者にいつでもなり得る学生として、他の学生の経験を解釈し、それを学位請求論文としてまとめることのもつ危険性と意義を、著者が強く自覚し、それを方法論という形で昇華しようとする姿勢のあらわれともいえる。

第三に評価すべき点は、アカデミック・ハラスメントを受けた当事者へのインタビュー調査によって、彼らの主観的意味世界を分析的に描き出すことに成功している点である。著者は、質的調査、とくに近年のアクティヴ・インタビュー論、対話的構築主義、構築主義的ライフストーリー論をめぐる方法論的な基本的な動向をきちんとおさえ、自分の立場を明確にしたうえで調査に臨み、丁寧な聞き取りを行なっている。5つの個別ケースの厚い記述からは、著者のインタビュー調査の力量がよくあらわれている。
そして個別のケースを多面的に考察するだけでなく、複数のケースを横断的に分析することによって、問題経験の共通性として、1)距離に関する不満・不快、2)「利用されている感覚」、3)「研究者としての尊敬」の喪失・低下が、関係性としてのハラスメント被害を生み出す要因であり、3点が主観的な経験の軸になっているという知見を析出することに成功している。また、アカデミック・ハラスメントが、「出来事」ではなく「関係性」の問題として、学生の主観的意味世界において認識・構築されていく複雑な過程や背景、「関係性としてのアカデミック・ハラスメント」は、特殊な状況というよりも、日常的な出来事と連続するスペクトラム的な問題状況であることも明らかにしている。

以上のように、本論文では、前半の理論分析も、後半のインタビュー調査も、いずれにおいてもハイレベルな議論が展開されており、理論とバランスのとれた調査をおこなう力が示されている。
他方、本論文の問題点として以下のような点があげられる。
第一に、前半の「領域交差」的な(脱)理論枠組みと、後半の経験的なインタビュー調査研究の結果が、必ずしもうまく接合されていないのではないかという点である。
関係性としてのハラスメント被害を生み出す要因として、距離に関する不満・不快、「利用されている感覚」、「研究者としての尊敬」の喪失・低下の3点が主観的な経験の軸になっているというインタビュー調査の知見自体は説得的であるが、これらの中に、3章までの議論がどのようなものとして表れているのかがはっきりと見えてこない。たとえば、距離に対する不満・不快を、「教える─教えられる」関係における固有の非対称性論と対比させると、いかなる含意が得られるのか。「利用されている感覚」を誘発するマクロ要因として、「ポスト歴史的」大学の状況はどう関わっているのか。著者がたびたび参照したレディングスの議論は、従来の国民国家の形成と結びつく大学論に対する、グローバル化のもとでの新しい大学論であり、新しい大学は国民国家形成によって要請される教養ではなく、「エクセレンス」を求めているとされるが、その「エクセレンス」と「研究者としての尊敬」はどう関連するのか。
上記のような接合が、より有機的、明示的になされていたならば、本稿はより説得的になったと考えられる。
第二に、領域交差的な理論分析において、議論のつながりが必ずしも読者にとっては明らかでない点である。また、論があまりに複雑にたてられ、著者の主張とその根拠がかえって読み取りにくくなっている。同じキータームが微妙にずれながら使用されることは、引用元の領域固有の用語の使い方や、引用文献の中の用語をそのまま尊重する必要があることなどからある程度免れ得ないが、今後さらに咀嚼をすすめ、著者自身の言葉で議論を展開していくことを期待する。
第三に、インタビューでせっかく得られた豊かな語りをさらに活かせる可能性があったのではないかということである。著者は、対話的構築主義批判の議論を大枠として押さえていながらも、ライフストーリーのホーリースティックな側面への着眼の不十分さという重要な批判点を見逃していた。そのため、個別的ケース分析(4章)、事例横断分析(5章)はできているが、当事者のライフストーリーの全体性を把握して、本研究課題の議論のなかに十分取り込みきれていない。そのため、5章と終章のあいだに分断感がある。欲を言えば、6章をもうけ、当事者のライフストーリーの包括性を重視し、個人的文脈のなかに差し戻したうえでその経験をとらえ直し、3章までの前半で提示したアカデミック・ハラスメントの理論的観点に接続させて議論してほしかった。しかし、この点はこの領域で取り組む他の研究者もまだ十分に果たせていない方法論的ディレンマを抱えた課題でもある。むしろ彼女が構築主義的分析の近年の先端的議論をおさえているからこそ、浮上する課題であり、博士論文としての欠点ではない。5章や終章において、前半の理論的視角を後半のフィールドでのインタビュー成果とつなげて統合的にとらえていく論点は示されており、著者のチャレンジングな姿勢は高く評価したい。
またこれらの問題点については、著者自身もすでに自覚しているところであり、本論文の高い水準と諸成果を損なうものではなく、今後の研究によって克服されることが期待される。
以上のことから、審査員一同は、本論文が地球社会研究に寄与しうる成果を十分挙げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と判定した。

最終試験の結果の要旨

2012年7月11日

 2012年6月6日、学位論文提出者湯川やよい氏の論文についての最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「アカデミック・ハラスメントの社会学的研究-学生の問題経験と「領域交差」実践-」についての審査員の質疑に対し、湯川やよい氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員会は、湯川やよい氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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