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博士論文審査要旨

論文題目:アルド・レオポルドの土地倫理 ―知的過程と感情的過程の融合としての自然保護思想―
著者:岩﨑 茜 (IWASAKI, Akane)
論文審査委員:嶋崎 隆、関 啓子、平子 友長、大河内 泰樹

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Ⅰ 本論文の構成
 本論文は、「環境倫理学の父」と称されるアルド・レオポルド(1887-1948 年)の生涯と彼の土地倫理または自然保護思想を全面的に展開したものである。レオポルドは現在の環境倫理や環境問題を論ずるさいに、その著『野生のうたが聞こえる(原題: 砂土地方の暦)』(原著1949年)とともにしばしば言及されるが、その全体に渡る思想と活動が、彼に関する研究状況とともに本格的に考察されたことはこれまでほとんどなかったといえよう。本論文はレオポルドの経歴・理論・実践を詳細に展開した著作である。
 本論文の構成は以下のとおりである。
はじめに
序章 アルド・レオポルド研究の諸相および問題の所在
 第1節 研究の目的
 第2節 レオポルドの土地倫理
  (1) 環境倫理学の父
  (2) 土地倫理
  (3) レオポルドの功績
 第3節 レオポルド研究の諸相
  (1) アメリカにおけるレオポルドの「再発見」
  (2) 人間中心主義か非人間中心主義か
  (3) 全体論的環境倫理としての土地倫理
  (4) 土地倫理の実践的意義
  (5) 日本におけるレオポルド解釈
  (6) 管理術としての土地倫理
 第4節 土地倫理の問題点
 第5節 論文の概要
第1章 公有地における自然保護思想の形成
 第1節 自然愛好家の誕生
  (1) スポーツマン精神の目覚め
  (2) ハンティングと倫理
  (3) 鳥の観察から自然へ
  (4) ネイチャー・ライター
 第2節 アメリカ森林官
  (1) イエール大学森林学科
  (2) 保全か保存か
  (3) アメリカ南西部へ
 第3節 公有地における自然保護
  (1) 国有林管理
  (2) ドイツの森林管理と人工化
  (3) 原生自然の価値
  (4) アウトドア・レクリエーション
  (5) 山の身になって考える
第2章 私有地と土地所有者の倫理―土地倫理の成熟
 第1節 野生生物管理の創始者
  (1) 森林から狩猟鳥獣へ
  (2) 野生生物管理という科学
 第2節 自然保護の道徳的側面への注目
  (1) 土地所有者と倫理
  (2) 農業という土地管理術
  (3) 共同体としての土地
 第3節 土地倫理の成熟
  (1) 農場での土地の修復
  (2) 教育者レオポルド
  (3) 生態学的な良心
 第4節 環境思想家レオポルド
第3章 共同体としての土地の構造
 第1節 「レオポルドの土地」をめぐる混乱
 第2節 有機体モデル
  (1) 有機体としての地球
  (2) 直観的知覚による地球とのつながり
  (3) 有機体モデルの問題点
 第3節 ピラミッドモデル
  (1) レオポルドの生態学受容
  (2) 土地ピラミッド
 第4節 生物共同体としての土地
  (1) 土地の健康
  (2) 生物の相互連関から成る共同体
  (3) 生物共同体における人間
第4章 土地と倫理
 第1節 道徳共同体における倫理
  (1) ダーウィンの進化論と倫理
  (2) レオポルドにとっての倫理
  (3) 道徳共同体としての土地
 第2節 土地倫理における倫理的基準
  (1) 全一性、安定性、そして美しさ
  (2) 自然主義的誤謬への返答
 第3節 生態学からの記述的基準
  (1) 全一性と有機的全体
  (2) 安定性と多様性
 第4節 土地の美しさと美的感性
  (1) 土地の美しさと有用性
  (2) 土地の美的感性
  (3) 自然の美的経験と知覚
  (4) レオポルドの「ヌーメノン」
  (5) 土地の美しさと全体性
 第5節 生態学的-美的全体論
第5章 知的過程と感情的過程の融合としての自然保護思想
 第1節 土地への態度や見方
  (1) 経済決定主義の否定
  (2) 自然保護と「心の目」の変化
  (3) 「心の目」で土地を読むこと
 第2節 知的過程と感情的過程の融合
 第3節 小括―自然保護思想としての土地倫理
第6章 土地倫理が持つ自然保護の実践的意義―自然の管理と修復
 第1節 人間による自然の管理
 第2節 全体論に基づく管理術
  (1) 土地の健康の基準を示す原生自然
  (2) 永続性と歴史認識
  (3) 治療と予防
 第3節 管理における感情の重要性
  (1) 不確定性とその乗り越え―土地への愛
  (2) 人間の管理
 第4節 土地倫理と自然の修復
  (1) 自然の修復の基本的理念
  (2) 修復は是か非か
  (3) レオポルドの修復の実践
  (4) 土地と人間との関係の修復
終章 土地倫理の現代的意義と展望
 第1節 今日の環境思想と土地倫理
  (1) 自然との共生
  (2) 持続可能性と世代間倫理
 第2節 土地倫理の継承
  (1) 環境教育と土地倫理
  (2) 土地倫理を学ぶこと
 第3節 土地倫理の展開に向けて
  (1) 人間-人間関係を含む共同体
  (2) 土地への愛と郷土愛
  (3) 人間-人間関係から人間-自然関係へ
  おわりに―土地に生きること
あとがき
謝辞
文献目録
図表一覧
資料1 アルド・レオポルドの略年譜
資料2 アルド・レオポルドが執筆した主な論文、エッセイ

Ⅱ 本論文の要旨
 各章の概要は以下のとおりである。
 序章はレオポルド研究の現段階について紹介・検討し、あわせて本論文の目的や意義を論ずる。レオポルドの土地倫理は有名であるが、彼のどういう経験や実践がその思想に至ったのかについての発展史的研究は、従来不十分であった。その点の詳細な展開が著者のひとつの目的であり、こうして著者は、レオポルドが環境倫理の基礎を築いたこと、土地倫理が知的過程と感情的過程の融合からとらえられること、それが自然と実際に向き合う経験から生まれたこと、という三点からアプローチする。従来、環境倫理の分野で非人間中心主義か人間中心主義かという立場上の争いがあり、レオポルドが前者であるというキャリコット、ジャルダンらの見方にたいし、環境プラグマティズムの立場に立つノートンは、彼がこの対立を統合したのだと反論した。著者はこの後者の立場を継承し、レオポルドが個体としてのメンバーを尊重するところの「全体論」であるとみなした。さらに著者はこの立場から、日本での諸説(岡本、小坂、松野ら)にも言及し、レオポルドが単に動物個体の倫理を強調する立場(レーガン)でもなく、自然生態系に手を加えないという立場でもなく、自然全体を、人間をも含む共同体とみなしつつ、むしろ積極的に自然保護、自然の管理をおこなう実践的立場に立っていると主張する。以下の各章は、こうした著者の主張の詳細な論証となっている。
 以下の第一章と第二章で、著者はレオポルドの経歴を詳細に追求しつつ、そのなかで彼がいかなる実践と思想形成をおこなったのかを展開する。
 第一章では、アイオワ州での幼少期からアメリカ西南部での森林官時代(1910-20 年代)までのレオポルドの前半生が扱われる。彼は父の影響でハンティングを好み、同時にネイチャー・ライターとして鳥などの自然観察を詳細に日記に残した。大学を卒業し、森林官(助手)として活動するレオポルドは、次第に功利主義的自然管理の限界に気づき、その思想に実践的森林管理とロマン主義的な自然の賛美という両面が芽生えるようになる。彼は原生自然をモデルとしつつ、自然を尊重する、徹底した現場主義の立場を形成する。彼はウィルダネス協会を設立したが、やがてそれは原生自然法の制定(1964年)につながる。また彼は、論文「自然保護経済学」のなかでアウトドア・レクリエーションのあるべき姿を探る。彼が生態系中心の自然保護思想を明示しているのは、著者によれば、「山の身になって考える」(1944年)というエッセーにおいてであり、そこでは、大型狩猟鳥獣を保護するためにオオカミを駆除することが、かえってシカの大量絶滅を招くという生態系の相互作用的なメカニズムについて描かれる。
 続く第二章では、レオポルドの後半生が描かれるが、森林産物研究所に勤めたり、狩猟鳥獣調査をおこなう彼の思想発展がまず扱われる。彼は特定の動物を功利的に保護するような原子論的思考法を批判し、すべての生物の多様性とその網の目のようなあり方を強調する全体論を徐々に打ち出す(『狩猟鳥獣管理』1933年)。この時代は段々と生態学が発展してきたときであり、著者によれば、彼もまた「生物共同体」(1936年)という用語を提起する。著者はこうして、彼がどういう著述によって、その環境倫理と自然保護思想を展開し、成熟させていくのかを詳細に扱う。土地管理の三つの側面のうち、「経済」と「法律」は財産法の存在によって環境破壊を阻止できないので、彼はそこで「倫理」を重視することになり、このようにして、環境倫理への方向性が明確に現れる。さらにまた、ウィスコンシン大学教授となり、野生生物管理について研究・教育するレオポルドは、私有地の農民への指導、植物園の管理、自分の農場の修復などの実践をおこなう。これらの試みのなかから、「生態学的良心」を含む「土地倫理」の思想が成熟してきたのである。こうして、彼は後世「環境倫理学の父」と称され、彼の生涯をまとめた映画『緑の炎』(2011年)も公開された。
 以上の伝記的叙述を踏まえて、著者は第三章から第五章までで、レオポルドの環境思想である「土地倫理」の思想的構造を徹底的に解明する。
 まず第三章で著者は、レオポルドが、生態学者クレメンツ、有機体論的な哲学者ウスペンスキーらの影響を受けつつ、土地を「有機体モデル」によって描こうとしたことを指摘する(なお当時、タンズレーが生態系(ecosystem )という用語を提案した)。だが、このモデルのみでの理解は欠陥をもち、全体のために個体が犠牲になる環境ファシズムであるという批判も存在した。さらに生態学の側もよりダイナミックなものに変貌してきており、それを受けて、論文「土地の生物的な考え方」(1939年)で彼は、土地をむしろ「ピラミッド・モデル」で描くようになる。そこでは、土--植物--動物--人間という「食物連鎖」(生態学者エルトンの用語) とエネルギーのダイナミックな流れが強調される。「土地ピラミッド」では、食物連鎖の働きがエネルギーを上方へ送り、死と腐敗がエネルギーを土壌へともどす。以上の意味で、「土地とは、土壌、水、植物、動物であり」、そこで「土地の健康」が重要とされる。だが著者は、以前の「有機体モデル」をレオポルドが放棄したわけではなく、「生物共同体」の全体を描くために、実は彼は最後まで両方のモデルを併用していたと注意する。こうして、彼の土地概念は「修正型全体論」(カッツの指摘)となった。
 第四章では、まずレオポルドへのダーウィン進化論の影響(『種の起源』『人類の起源』)が述べられ、そして倫理的観点から土地について展開される。ダーウィンから彼への影響として、動物と人間の生物的連続性、人間の社会的本能の根底にある共感能力などが指摘され、まさにこの認識が彼をして土地を「道徳共同体」とみなさせたのである。さらに著者は、土地倫理のもつ基準として、彼が「全一性 integrity」「安定性  stability」「美しさ beauty 」の三つを挙げたことについて、詳細に分析する。「全一性」と「安定性」は科学的な生態学的認識に由来するとみなされるが、他方、「美しさ」は直観的知覚である。さて「全一性」とは、マクロな全体性とミクロな全体性を含む「階層的全体論」(ウエストラに由来)を意味し、「安定性」とは、実はダイナミックな運動をはらみ、多様性を増大させる要素を内包する。「美しさ」は生態学的な有用性をも不可欠なものとして含み、人間のもつ「美的感性(esthetic)の満足感」に関わる。この深いレベルの「美」は、エッセー「ガヴィランの歌」にあるような自然との有音・無音の見事な交流のありようで叙述されたものであり、自然の奥にある「ヌーメノン」(ウスペンスキーに由来)の感受を意味するという。この箇所の説明は難解であるが、こうしてレオポルドは、著者によれば、一種の生態学的・美的全体論を説いたのである。
 第五章では、レオポルドの土地倫理が知的過程と感情的過程の融合としての自然保護思想として結実したことが述べられる。『砂土地方の暦』では、彼は土地倫理において生態学、美的感性、倫理の三つが統合されるべきだと述べ、自然保護もまた、土地の再生能力を理解し保存するわれわれの努力を意味するという。こうして「心の目」によって「土地を読む」という深い体験が重視される。だが、自然内部の秘められた相互依存関係を理解するには、科学だけでは足りず、自然との本源的つながりを知覚する美的・感情的過程が必要であり、そこから自然への愛情や共感が芽生え、人間の倫理的責任も基礎づけられる。したがって、彼は単に科学と倫理を融合したのではなく、著者は、科学は一方必要ではあるが、美的自然にたいする直観的知覚や自然との感情的交流があって、はじめて倫理も生ずると主張する。
 第六章は、上記の土地倫理の思想がもつ実践的意義についてさらに考察する。それは自然の管理と修復の問題である。だがここで、レオポルドは「強い人間中心主義」を説くのではなくて、土地における要素の相互連関を理解し、自然全体が長期的に健全に働くように、人間が統御すべきであるという。つまり全体論にもとづく管理術が必要であり、その手本はやはり原生自然なのである。そしてまた彼は、自然保護においては「治療」よりも「予防」が重要であるとも指摘する。以上の考え方は、彼の長年の自然保護の実践に由来する。このさい著者が注目するのは、科学には限界があり、自然保護には、仲間としての自然への尊敬と愛情が必要であるという彼の思想である。こうして経験家・実践家であった彼は、自然との直観的・神秘的なつながりをたえず実感していた。だがそれでも、人間は自然修復の道徳的責任を担う存在である。こうして著者は、レオポルドの問題意識をめぐって、現代における自然保存派(エリオット、カッツら)と自然修復派(ライトら)の対立に言及し、レオポルドの立場は後者の「好意的な修復」に近いと結論する。彼は後半生、ウィスコンシン郊外の農場で自然修復の試みをおこなったが、それはまた、土地と人間の関係の修復でもあった。
 終章では、レオポルドの土地倫理のもつ現代的意義と展望が語られる。現代では、人間と自然との共生、持続可能性、世代間倫理などの問題群が環境問題と関わらせて提起されるが、すでに彼も土地との「共生 symbiosis」について言及する。ここで著者は、現代アメリカで盛んな環境プラグマティズムの観点から、彼の思想を位置づけようとする。また環境教育の立場から、彼の思想が考察され、著者が調査してきたアルド・レオポルド・レガシー・センターやレオポルド教育プロジェクトの試みに注目がなされる。この章では、著者は多くの論者を引用しつつ、レオポルドの思想を現代的観点から幅広く再評価する。レオポルドにとって、土地は人が生きていく源泉であり、自然保護とは「土地に生きる方法」であった。

Ⅲ 本論文の成果と問題点 
 本論文は土地倫理の提唱で知られるアルド・レオポルドの経歴、思想発展、実践、現代的影響などを全面的に考察したものであり、そのさいに多くの文献を収集して利用した。こうして、彼の全体像がほぼ全面的に解明されたといっていいだろう。以上の考察を踏まえた場合、その成果は以下のとおりである。
 第一に、日本で言及されることは多くても詳細な解明が進んでいなかったレオポルドに関して、自然保護と自然観察に関連するその経歴の展開に対応して、いかに彼がみずからの思想を変化・発展させていったのかを詳細に明らかにしたことである。それはおもに、第一章における前半生の叙述、第二章における後半生の叙述に現れる。このように描かれた場合、彼の土地倫理成立の必然性が説得的に示されるし、また彼の環境倫理の多様な考えが机上の空論ではなく、彼自身の実に豊富な経験と実践に依拠して語られていることも実感されるのである。また、著者のこうした認識が可能になったのは、多くの未邦訳の文献の収集・読解はもとより、とくにアメリカのアルド・レオポルド・レガシー・センターなどでの情報収集、および関係者・研究者との著者のインタヴューによるといえよう。
 第二に、環境倫理学において従来、人間中心主義と非人間中心主義(自然中心主義)のあいだで大きな論争がおこなわれてきたが、レオポルドの立場がまさにこの両者の対立を克服する思想と実践を説得的に展開していることを、著者が実質的に示したことである。もちろんレオポルド自身はそういう現代的対立状況を何ら意識していないが、レオポルドは一方で、強力に生態学的・美的全体論を展開し「山の身になって考える」と主張することで強力な自然中心主義を説き、他方同時に、自然をそのままに保存することをせず、土地の管理と修復によって人間の倫理的責任を積極的に追求する。こうして、おのずと、この両方の立場が、その立場の独自性を捨てることなく、土地の全体的再生能力を人間が修復するというかたちで、弁証法的に統合されているといえよう。人間中心主義と非人間中心主義(自然中心主義)の争いの解決に、著者の考察は有益な示唆を与えたといえよう。
第三に、興味深いのは、著者がレオポルドの土地倫理と自然保護思想に関して、単に生態学などの科学的アプローチのみを重視するのではなくて、そこに土地を含めた自然への愛情と尊敬が倫理的に語られ、自然にたいする全体的な美的感情や直観的な感覚が強調されることである。これがむしろ、本論文の大きな成果であり魅力となっている。ダーウィン進化論なども、その観点からも摂取されるのであって、人間と他の動植物は同じ旅を歩む仲間であるとみなされる。それはまた、ウスペンスキーらの影響を受けた、汎神論的といってもいいような彼の神秘的な自然観にもつながる。本論文は、むしろこの直観的・美的側面の認識を、土地倫理への単なる付属物やエピソードとみなすのではなく、科学のみではすまされない自然への対応への中核とみなそうとする。彼のエッセーにある美しい自然叙述と自然賛美は、自然保護の実践にとって実は不可欠なものである。この意味で、本論文は、レオポルドの思想を一段と深いレベルで再構築した。
 本論文の問題点を挙げる。第一に、自然環境にたいする価値基準として、全一性、安定性、美しさが挙げられるさいの「美」とは何かという問題が、さらに展開される余地があるということである。「美的感性」「ヌーメノン」など、第四章でおもに展開されたこの問題は、レオポルド自身が明快に叙述していないものであるが、さらに説明されるべき美学的大問題であろう。
 第二の問題点について。著者は、レオポルドが現代の環境プラグマティズムの立場に近いものとみなし、アメリカで有力なこの環境思想を積極的に重視する。しかし著者は、この立場が哲学的にいかなるものであるかは、まだあらためて十分に展開していない。この立場にはこれまで批判もなされており、レオポルドならびに著者自身の立場を明らかにするうえでも、この環境プラグマティズムの性格をきちんと説明することがさらに必要であろう。
 とはいえ、著者はここで掲げられた問題点をよく自覚しており、これらの論点はレオポルドの思想ならびに環境倫理一般を研究するさいのさらなる課題とみなされるものであろう。審査委員一同は、十分に丁寧かつ幅広く展開された本論文の考察を高く評価し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するのにふさわしい業績であると判定する。

最終試験の結果の要旨

2012年2月8日

 2012年1月12日、学位論文提出者の岩崎茜氏の論文について最終試験をおこなった。試験においては、提出論文『アルド・レオポルドの土地倫理 -- 知的過程と感情的過程の融合としての自然保護思想』に関する疑問点について審査委員が逐一説明を求めたことにたいして、岩崎氏はいずれも適切な説明を与えた。
 以上によって、審査委員一同は、岩崎茜氏が学位を授与されるのにふさわしい研究業績および学力を有することを認定した。

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