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博士論文審査要旨

論文題目:アメリカ合衆国建国期の女子教育 —「共和国の母」イデオロギーと「女性の権利」論をめぐって—
著者:鈴木 周太郎 (SUZUKI, Shutaro)
論文審査委員:中野 聡、貴堂 嘉之、秋山 晋吾、木村 元

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Ⅰ 本論文の構成

 本論文はアメリカ合衆国建国期とくに1790年代の女子教育論および女子教育をめぐる実践を検討したものである。アメリカが英国からの独立を実現した建国期は、アメリカ社会の内部にも大きな変化をもたらした。そのなかで教育は、新たな共和国の構成員を育成するための手段として注目が集まった。またこの時代は、それ以前には議論されることすら稀であった女子教育が、新たな共和国の構成員としての女性の役割と結びつけて議論されるようになった。とくに本論文が注目するのは、リンダ・カーバーによって1976年の論文で提起され、建国期の女性史研究において重要な概念とされてきた「共和国の母 (republican motherhood)」イデオロギーの妥当性である。近年では、ジェンダー史の視点から、女性と家庭との結びつきを否定するような「女性の権利」論が1790年代に幅広く議論されるようになったことを強調する立場にたって、「共和国の母」論を批判する研究が現れてきた。本論文は、近年の研究動向が「共和国の母」論と「女性の権利」論を分断して議論しがちで、いずれかの側面のみを抽出し、限定的な建国期の女性像を描き出していると批判する立場から、建国期の女子教育論や女子教育をめぐる一次資料を渉猟し、また読み直すことを通じて、「家庭における母や妻」と「新しい時代に新しい権利を求める女性」の両方が同居していた建国期の女子教育(論)をめぐる状況を明らかにすることを試みたものである。以下、本論文の構成を示す。

目次

序章 問題の所在
1.問題関心と研究目的
2.これまでの研究の課題と本論文の意義
3.資料と論文の構成

第1章 建国期の公教育論争のなかの女子教育
1.アメリカの独立と教育
2.建国期の公教育論争
3.教育論における功利性と有用な「知」
4.公教育論争における女性

第2章 建国期における女性教育推進論
1.アメリカ革命と自立する女性
2.ベンジャミン・ラッシュの教育計画
3.娘・妻・母—―家庭における女性
4.共和国の女性

第3章 フィラデルフィアのヤング・レディズ・アカデミー
1.女性のための中等教育機関
2.家庭との繋がり
3.ヤング・レディズ・アカデミーにおける有用な知
4.生徒たちにとっての学校

第4章 女性の権利の擁護——建国期アメリカにおけるメアリ・ウルストンクラフト受容
1.ウルストンクラフトの女子教育観
2.アメリカにおける『女性の権利の擁護』の受容
3.『レディズ・マガジン』における『女性の権利の擁護』の抜粋
4.おわりに―「女性の権利」論の後退

第5章 卓越したアメリカの女性——対英関係と女子教育論
1.『アルジェの奴隷』の上演
2.自由な女性
3.アメリカの特殊性
4.クリスチャニティ
5.「卓越した女性」と「共和国の母」
6.おわりに―西半球秩序のなかのアメリカ

終章
1.「共和国の母」イデオロギーと「女性の権利」論
2.「母親」から「教師」へ
3.19世紀の「女性の権利」論

参考資料

Ⅱ 本論文の概要

 序論「問題の所在」で、筆者は、建国期の女性史研究における「共和国の母」イデオロギーの妥当性を再検討するという本論文のねらいを次のように論じる。「共和国の母」イデオロギーとは、リンダ・カーバーが1976年の論考で提起した概念で、アメリカ建国期の女子教育論のなかに見出せる一連の論調を「共和国の母」論と名付けたものである。具体的には、女性は自分の子供を育てるだけでなく、共和国の構成員を育てるという意味で公的使命を帯びており、有徳の、信仰心篤い、教育のある、また機会均等のなかで経済競争にも打ち勝てるような市民を育てる存在でもあり、それゆえに子どもたちにとって最初の教育者としての「母」としての正しい資質を身に付けるためには女子教育が重要であるという考え方である。
「共和国の母」論は、建国期アメリカ史研究の重要な概念として今日の研究にも多大な影響力を持ち続けている。その一方、「女性―男性の関係性としての歴史」を模索するジェンダー史の側からはさまざまの角度から批判が加えられてきた。とくにマーガレット・ナッシュは「共和国の母再考」(1997年)で、「共和国の母」論が男女の領域分離や女性の役割を「母」に限定することを前提としており、女性自身の知に対する自発的な渇望を軽視していると批判した。さらに近年では、スーザン・ブランソンの『激しくフランスかぶれの女性たち』(2001年)に代表されるように、女性と家庭との結びつきを否定するような「女性の権利」論が1790年代に幅広く議論されるようになっていた事実に注目して、「共和国の母」イデオロギーを批判する研究が現れてきた。
 しかし筆者は、建国期の女子教育論において「共和国の母」論と「女性の権利」論は相互を否定・排除する論理ではなかったと指摘する。ベンジャミン・ラッシュの女子教育論、ヤング・レディズ・アカデミー・オブ・フィラデルフィアの演説集、メアリ・ウルストンクラフトの権利論、ならびにスザンナ・ローソンの劇など、本論文で検討していく建国期の文献資料のなかでは、「家庭における母や妻」と「新しい時代に新しい権利を求める女性」の両者の概念が実際には同居していたというのである。そして、先行研究群が、いずれかの側面のみを抽出し、限定的な建国期の女性像を描き出しているのに対して、筆者は、「女性の権利」論と「共和国の母」論とが建国期にあって相互にどのような整合性をもつ論理として語られていたかを検討することを本論文の重要な課題として問題提起する。
 さらに筆者は、「共和国の母」と「女性の権利」が同居していた1790年代という時代の特徴を明らかにすることをも課題として提起する。新たな共和国の構成員を育成するという文脈から教育が注目された1790年代、女子教育論は「女性の権利」論と結びついて盛んに議論された。本論文は、教育を受ける権利を中心とした「女性の権利」論がこの時代に一時的に盛り上がった要因を明らかにしようとする。筆者は建国期女子教育の実践についてその多面的側面を検討することも本論文の課題として提起する。従来の「共和国の母」論が出版物のなかの女子教育論の内容を分析することに終始し、学校教育の実践の内容や、教育が女性たちに与えた具体的な影響についての検討が不十分であったのに対して、本論文は、教育者や文筆家によって書かれた教育論と、現場の教育実践を比較することにより、「共和国の母」イデオロギーと「女性の権利」論との関係性について考えていくと述べる。
 第1章「建国期の公教育論争のなかの女子教育」は、アメリカ独立以降の公教育論争の内容を考察しつつ、そのなかで女子教育がどのように言及されたのかを検討する。独立以後のアメリカにおいて、トマス・ジェファソンをはじめとする建国期の指導者・政治家などの間で教育は最も盛んに論じられる事柄のひとつであった。当時、共和国建設と教育は密接に結びつけられて考えられており、一部のエリートだけでなく多くの人々が教育を受けられる環境を整え、教育を通じて人々を共和国の「善き市民」として育成するという考え方が強調された。その一方、教育に公的な資金を投入することに関しては激しい抵抗があり、合衆国憲法制定後は、公教育(連邦あるいは州がつくった、生徒に学費を負担させない機関による教育)の是非が論争の焦点となった。筆者は、公教育反対派の説得を試みた公教育推進論のなかでは、教育の「有用性」を強調する功利主義的な議論が強調されたこと、またそこでは女性が生徒として想定されることはまだほとんどなかったことを指摘している。
 第2章「建国期における女子教育推進論」で筆者は、独立戦争とそれに先立つ反英運動への貢献を通して、建国期以降アメリカの女性が新たな公的領域の一員として認識されるようになったことを背景に、公教育論争からは少し遅れてであるが議論されるようになった、女子教育推進論を検討する。ジュディス・サージェント・マレイの女子教育論は、男女が知性の面では対等であることや女性の「独立」や「自立」を強調し、結婚市場のための従来の教育を批判する。ただしそれは同時に、女性が結婚市場にとらわれずに自立することが,結果的には女性に幸せな家庭を持たせることを強調するものでもあった。ヤング・レディズ・アカデミー・オブ・フィラデルフィアを創立することになるベンジャミン・ラッシュの女子教育論は、教科内容にも具体的に踏み込んだ具体的な提言を多く含んでいたが、その内容は多分に実用主義的なものであり家庭に根ざしたものだった。さらに筆者は、建国期に数多く出版された、女子教育の必要性を説くパンフレット、コンダクト・ブック、コンダクト・ノベルを検討する。ジョン・バートンのコンダクト・ブック『女性の教育と作法についての講義』を見ると、女子教育における「有用」な教育とは、娘・妻・母として家庭のなかで男性の経済活動を支えるために役に立つ教育を意味していた。しかし「家庭」という私的空間内での活動のための教育であっても、その教育は共和国の維持・発展と結びつけられ、娘・妻・母としての役割がいかに社会に大きな影響をあたえるものであるのかが強調されたと筆者は指摘する。
 第3章「フィラデルフィアのヤング・レディズ・アカデミー」で筆者は、建国期に女子教育が実践された場として1787年に設立されたヤング・レディズ・アカデミー・オブ・フィラデルフィアについて、そのカリキュラム、教科書、シラバスそして女子生徒たちの演説集を用いて議論する。ヤング・レディズ・アカデミーの教育者は女子生徒と家庭との繋がりを強調し、また、母と妻の役割すなわち「家庭をつかさどる存在」としての女性の育成を女子教育の使命として強調した。この文脈からヤング・レディズ・アカデミーでは女子教育の意義が「有用性」によって語られ、また実際の現場でも「有用性」を強調する教育が実践されていたと筆者は指摘する。その一方、ヤング・レディズ・アカデミーの生徒による卒業生総代演説などの分析から、筆者は、卒業後は家を出て学校で得た「知」を活用したいなど、善き母・妻を育成するための教育という当時の女子教育観が必ずしも生徒たちには共有されておらず、彼女たちの知の捉え方が、教育者の意図したそれとは大きくかけ離れていたと指摘する。彼女たちは演説で「善き母」としての資質の大事さや「善き妻」になるための決意の代わりに、「学ぶ喜び」や女性が知を用いることを極度に制限される社会に対する嘆きを語っていたのであった。
 第4章「女性の権利の擁護——建国期アメリカにおけるメアリ・ウルストンクラフト受容」で筆者は、建国期の女子教育論に大きな影響を与えた英国の思想家メアリ・ウルストンクラフトによる『女性の権利の擁護』(1792年)のアメリカにおける受容について、フィラデルフィアの雑誌『レディズ・マガジン』載せられた「抜粋」を通して検討している。この「抜粋」では、女性も男性と同様に知性や理性や美徳を持つことができるがゆえに女子教育が重要であるという主張や、男性の所有物としての女性像の否定、隷属状態からの解放の主張が語られるとともに、女性にとっての結婚と子育ての意味が強調され、男女間の差異についても随所に指摘されている。その一方でこの「抜粋」では、男女の美徳に違いは無いという男女の同質性や親子の絆を否定するかのような議論、あるいは国による無償の公教育の必要性など、英国で出版された原典のなかからウルストンクラフトの思想の重要な要素を構成する章や節が意図的に省かれていることを筆者は明らかにする。このようにして『レディズ・マガジン』の編集者によって再編成されたウルストンクラフトの「女性の権利」論は、国家の有用な構成員として女性にも教育を授けるべきではあるが、男女の非対称的な関係は維持されなければならないという主張として整理され、それだからこそ1790年代のアメリカにおいて幅広く受け入れられたと筆者は指摘する。さらに筆者は、この時代はフランス革命への共感から多くのアメリカ人が親フランス派の著述家を熱狂的に支持した時代でもあり、アメリカにおけるウルストンクラフト受容はこういった対外政策と世論との関係を考慮に入れなければ理解できないと指摘する。そして、1798年には、XYZ事件をきっかけに世論が親仏から反仏へと急激に傾くとともに、前年に亡くなったウルストンクラフトの私生活を暴いた回想録が出版された。親仏的な言説に対する攻撃が強まるなかでウルストンクラフトの「女性の権利」論も批判され、後に忘れ去られたと筆者は指摘する。
 第5章「卓越したアメリカの女性——対英関係と女子教育論」で筆者は、スザンナ・ローソンの劇『アルジェの奴隷』(1794年初演)を、初演されたフィラデルフィアの社会状況、当時の女性論・教育論・国際情勢などと関連づけながら検討する。とくに筆者は劇中でローソンが強調した「女性の卓越性」をめぐる言説に注目し、そこで描かれた「子どもを市民として育てる教育者」という女性像が独立戦争を経たフィラデルフィアの人々によって容易に共有されうるものであり、劇中の女性像は「共和国の母」像を体現するものであったと指摘する。この劇では、女性はクリスチャニティと密接に結びついた敬虔さ、純粋さ、無私、自己犠牲といった徳性をもつがゆえに男性に卓越しており、その卓越性を維持するためにも女性は男性から独立し自由である必要があると語られている。近年のジェンダー史理解のなかで『アルジェの奴隷』は『女性の権利の擁護』とならんで英米圏のリベラル・フェミニズムの先駆けとして見なされる傾向があるが、その脚本を詳細に検討すれば、そこで描かれた女性像は歴史家の言う「共和国の母」像により近いものであったと筆者は指摘する。
 ローソンの『アルジェの奴隷』その他の作品やウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』は、当時のフィラデルフィアで賛否両論を巻き起こした。筆者は、その対立の構図には、フェデラリストとリパブリカンという1790年代の党派政治が反映していたと指摘する。英国との貿易による関税収入を重視するフェデラリストは親英の立場をとり、リパブリカンは英国の対米政策を不満に思い共和制となったフランスに同情的であった。英国の後ろ盾のもとアメリカの自由を脅かしていたアルジェ人を懲らしめる『アルジェの奴隷』や、英国人でありながらフランス革命の支持者として知られていたウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』を出版していたのは親仏反英の出版人マシュー・ケアリーであり、辛辣な批判を繰り返したのは親英反仏の出版人ウィリアム・コベットであったことが示すように、この時代の女子教育論は対英感情との連関があったと筆者は指摘する。
 終章で筆者は本論文の議論を総括する。すなわち、建国期アメリカで一見相反するもののように見える「共和国の母」イデオロギーと「女性の権利」論は、実は併存することが可能なものであった。女性独自の美徳を発揮するためには彼女らには教育を受ける権利が必要であったのだし、権利を獲得して自立することは女性の卓越性を家庭で発揮することに繋がった。教育の現場で教師と生徒の立場から両者に緊張が走ったり、党派対立の中で「共和国の母」イデオロギーと「女性の権利」論が攻撃しあうことはあったが、本来両者は共存可能なものとして論じられたていたのである。この結論をふまえて、筆者は、19世紀アメリカ史における家庭内存在としての女性の敬虔・純潔・従順・賢明を美徳とする「真の女性らしさ」概念と、これと対立して婦人参政権運動につながっていく存在として理解されがちな「女性の権利」運動に検討を加え、このいずれもが家庭に根ざした女性独自の特性を発揮することを議論の出発点としている点において、建国期における「共和国の母」論と「女性の権利」論という2つの形で表された女性像が次の世代にも受け継がれていたことを示すものだと指摘する。

Ⅲ 本論文の成果と問題点

 本論文の第1の意義は、レディズ・マガジンのウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』の抜粋、ジョン・バートンの教育論、ベンジャミン・ラッシュのシラバスなど従来の研究ではほとんど扱われていない資料と取り組むとともに、ラッシュの『女子教育についての考察』やヤング・レディズ・アカデミーの演説集のように多くの研究者が用いながら一面的な解釈が加えられて来た資料を丹念に読み直すことを通じて、近年の研究動向では平行したまま議論されていた「共和国の母」論と「女性の権利」論を結びつけ、両者が建国期には共存していたり、女性や教育者によって選択的に取り入れられていたことを明らかにした点に求めることができる。
 本論文の第2の意義は、アメリカ史のなかで、女性のとくに社会運動への関わりという観点から見た場合に「前史」として捉えられて来た建国期の女性像がもつ重要性を明らかにした点に求めることができる。19世紀アメリカ白人中産階級の女性に主流であった女性像としての「真の女性らしさ」論と、1848年のセネカ・フォールズ宣言以降の婦人参政権運動を中心とするアメリカ・フェミニズムの歴史は、従来、平行線の関係にあると理解されてきた。実際に前者を代表するキャサリン・ビーチャーと後者を代表するエリザベス・ケイディ・スタントンの主張は相反する。しかし「共和国の母」と「女性の権利」が混在した建国期の女性像を出発点として見ると、「真の女性らしさ」と婦人参政権運動はアメリカの女性像の両側面と見ることも可能となる。実際に「真の女性らしさ」が謳う女性像と婦人参政権運動が折り合いをつけることによって1920年に連邦レベルで婦人参政権が獲得できたことを踏まえると、建国期女性像における「共和国の母」論と「女性の権利」論の併存を理解することは極めて意義のあることだと考えられるのである。
 しかしながら本研究においては、次のような課題が残されている。まず筆者は、1790年代の女子教育論争に当時の外交問題や党派対立が関係していたことを指摘してはいるが、全体として、建国期アメリカ史の諸問題たとえば革命と公共性、政治における有徳の論理、脱英をめぐる党派対立の問題あるいはフランス革命の展開、ヨーロッパの国際情勢などと有機的に連関させて本論文の主題を展開できているかというと、必ずしも十分とは言えない。その結果として、1840年代を出発点とするフェミニズム運動史に対して本論文がもつ位置づけが結論で指摘されてはいるものの、1790年代に検討対象を限定することの意義づけについてもやや説明不足の感がある。
 次に、本論文が検討する女子教育論をめぐる出版や演劇の舞台となっているのはいずれもフィラデルフィアであるが、建国期アメリカにおけるフィラデルフィアの社会史的分析やフィラデルフィア独特の宗教的な影響についてもより十分な検討が加えられるべきであった。とりわけ本論文が、ジェンダー史による女子教育論が言説分析として一面的な解釈になりがちであることを批判する立場に立つのであれば、階級・人種などの問題を取り入れた分析が各章において展開されるべきであった。
 さらに、本論文では「教育」と一括されて論じられている内容の多様性について明確な配慮が必要である。当時の女子教育論のなかでは学校教育に限定されない議論が展開されていたことは、本論文が学校教育だけでなくコンダクト・ブックなどを分析対象としている点からも明らかであり、各章で検討する問題領域において、education / pedagogy / instructionのそれぞれ何が議論されていたかを明確にするべきであった。そのうえで、アメリカ建国期を「教育とは何か」をめぐる議論が大きな転換点を迎えた時代として捉える視点も得られたのではないか。
 もちろん、こうした欠点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、鈴木周太郎氏自身が十分に自覚しており、今後の研究によって克服されることを期待したい。

Ⅳ. 結論

 審査員一同は、上記のような評価と、2011年1月28日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2012年2月8日

 2012年1月19日、学位請求論文提出者鈴木周太郎氏の論文についての最終試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文「アメリカ合衆国建国期の女子教育―「共和国の母」イデオロギーと「女性の権利」論をめぐって―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、鈴木周太郎氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は鈴木周太郎氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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