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博士論文審査要旨

論文題目:アルチュセール思想の理論的構造と社会的生成
著者:福山 圭介 (FUKUYAMA, Keisuke)
論文審査委員:平子 友長、鵜飼 哲、大河内 泰樹

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Ⅰ 本論文の構成
 本論文は、アルチュセール思想の内在的な理論構成を哲学的・社会理論的側面から再構成した第1部と、高等教育制度の変動や68年5月革命およびフランス共産党との関わりという社会的・歴史的側面から分析した第2部からなる。従来のアルチュセール研究は、主要概念の内容や意図を著作に沿って明らかにすることに重点が置かれていたが、本論文は哲学的論理構造と社会理論的構造のあいだの統一性を再構築し、さらにフランスにおける知識社会学の成果なども取り入れて、そのプロブレマティークが当時のフランス社会の特定の側面と対応関係にあることを主張するものであり、ひとつの社会思想史研究として意欲的な試みと言える。
 本論文の構成は以下のとおりである。

序論 「プロブレマティーク」
A.仮説・方法・意義
B.予備的考察(1):プロブレマティークの概念
C.予備的考察(2):G.ドゥルーズによる構造主義の定義
第1部 理論的探究
第1章 アルチュセールにおけるヘーゲルとスピノザ ――哲学的問題構成
第1節 反ヘーゲル主義としての時間論
第2節 アルチュセールとスピノザ
第3節 イデオロギーと主体の問題
第4節 「実践」の基準 ――自伝『未来は長く続く』
第2章 『資本論』と『資本論を読む』
第1節 商品論の問題構成
第2節 労働過程について
第3節 生産関係
第4節 構造主義とマルクス主義 ――構造と時間
第2部 歴史的探究
第3章 科学の時代における哲学
第1節 フランスの大学と学問 ――概略
第2節 戦後の高等教育制度の大変動
第3節 ユマニスムと科学の対立
第4節 新しい人間科学とアルチュセール
第4章 共産党員アルチュセール
第1節 アルチュセールと68年5月
第2節 スターリニズムとマオイズムをめぐって
第3節 政治と理論
結論 「アルチュセール思想とは何だったのか」――歴史的問いに対する回答の試み

Ⅱ 本論文の要旨
 各章の概要は以下のとおりである。
 序論においては、従来のアルチュセール研究を振り返りつつ、本論文が基礎とする「プロブレマティーク」という思想史研究のキー概念が、アルチュセール自身の議論に沿って明らかにされる。著者によれば1960年代のアルチュセールの著作そのものも、かつてG.ドゥルーズが「何を構造主義として認めるか」において提示したような、反=人間主義、記号論的超越性、生成的な時間、実践の規準といった主題系で構成される「構造主義的」と言えるひとつの統一的なプロブレマティークを備えており、ひいてはそれが思想家自身の個人史や他の思想との影響関係を超えた、歴史的・社会的な基盤を持っているという仮説が立てられる。
 第1部においては、序論の仮説に従ってアルチュセール思想の哲学的側面と社会理論的側面が「構造主義的プロブレマティーク」として描かれる。
 第1章で著者は、主に1965年のふたつの著作『マルクスのために』と『資本論を読む』、および1970年の「イデオロギー論文」を、ヘーゲルとの敵対およびスピノザへの依拠という側面を手掛かりに再構成している。ヘーゲルにおいては、抽象的存在が自らを能動的に否定することにより具体的規定を得るとする弁証法的な存在規定が「経験的」「通俗的」な時間論によって支えられていること、そしてそれがヘーゲルの目的論的な歴史哲学の根本原理にまでなっていることをアルチュセールは喝破し、「マルクス主義的」とアルチュセールが主張する歴史の原理をスピノザに依拠することで構築しようとしたことが論じられる。つまり、マルティアル・ゲルーやドゥルーズら戦後フランスのスピノザ解釈と同様にアルチュセールは、スピノザ的「実体」を空虚な無ではなく、無限の属性によって内在的に構築されたものとして解釈し、「差異」を起源とする構造主義的な存在論・認識論を打ち立てる。著者は、こうした高度に哲学的な議論がアルチュセールにおいては「具体的認識による具体的実践」というマルクス主義の実践概念と密接にかかわっていることも示している。ただしこうした概念内在的な議論ではアルチュセールの示す「理論的実践」は曖昧なままであり、それは「主体」の問題とともに構造主義的プロブレマティークのかかえる理論的なアポリアであることこと、そして「実践」の実質的な内容は後の第4章で展開される歴史的探究によって明らかになることが主張されている。
 第1章の議論を受けて第2章では、アルチュセールの『資本論を読む』とマルクスの『資本論』を対照しつつ、差異を根本原理に置く哲学的立場がどのような『資本論』解釈を提示するかが示される。構造主義的プロブレマティークにおいて「時間」は、起源としての「差異のシステム」が様々なシステム(音韻のシステム、親族構造のシステム、資本制生産様式のシステム、等々)へと受肉・生成するプロセスのことであり、アルチュセールによれば『資本論』冒頭の商品論がその典型である。つまり、「使用価値/価値」の差異から「具体的労働/抽象的労働」、「現物形態/価値形態」等々といった諸概念を経て貨幣の歴史が説明される。こうして差異システムの生成として理論的に構築された歴史は、経験的な歴史とは異なる構造主義的な歴史である。さらに、価値の「原因」が「具体的労働が抽象的労働になる」という資本主義的生産様式の特性に求められ、これが『資本論』全体が分析する社会の生産構造全体、さらにはそれが指示する政治的・文化的構造をも含意する点で、この議論は極めて構造主義的な特性を持っている。「労働手段」が経済的生産のなかで変形し加工される外部の自然との取り組み方を決めることに準拠して「生産様式」という構造論的概念を規定し、「労働力、直接的生産者、直接的生産者でない主人、生産の対象、生産用具等々といった種々の要素を結合し、関係づけることによって、人間の歴史のなかに実在したし、実在しうるさまざまの生産様式を定義づける」構造主義的マルクス主義の諸定式が形成される。著者は、こうしたアルチュセールの議論を、さまざまなレベルにおける時間や実践の固有性を定義することによって真の「具体的な」認識に至るという、第1章で論じられた実践概念へと繋げている。
 第2部では、第1部で論証されたアルチュセールの構造主義的プロブレマティークが、戦後フランスのいかなる社会状況に対応するものであるのかについて考察される。
第3章では、フランスにおける高等教育制度の変容の歴史分析を通じて、それが構造主義の理論的特性に適合的な歴史的背景を持っていたことが示さる。第一に、構造主義の「反=人間主義」などの特性が、ブルジョアジーの伝統的人文主義と新しい知的階層の科学主義の対立という19世紀以来のフランス教育界に特有の歴史的文脈に位置づけられることが示される。第二に、著者は、第2次大戦後の大学定員の急激な増大やカリキュラムにおける古典語の価値低下、学部学科の再編成過程を分析し、この変動に伴って台頭してきた社会学や心理学のような新しい経験科学に対する高等師範学校哲学者の支配権の主張として、アルチュセールの「反=経験主義」を捉えることが社会学的に可能であると主張している。実際、1945年から1968年のあいだにフランスの大学登録者数が4倍以上に増えるなかで、「自由業・教授・中間管理職・商人」といったカテゴリーの子弟が学生のおよそ6割を占めるようになり、さらには「熟練工、下級ホワイトカラー、工員」カテゴリーの子弟も1割以上を占めるようになった。一般的に「大学の大衆化」と言われる事態が進行するなかで、古典語の修学者は大幅に減り、より現実的・実践的な学問が学生の支持を集めるようになった。しかし他方で高等師範学校は、19世紀以来「教授職」カテゴリーの子弟が最大派閥を占め、哲学を頂点とするアカデミックな体質を保持し続けていた。著者はこうした複合的な状況を踏まえてアルチュセールが哲学教育について書いたテクストを分析している。当時、哲学は社会学や心理学によって「一方的に守勢に立たされている」とアルチュセールが認識していること、そのなかで言語学や精神分析のような古典的教養や抽象能力を必要とする科学に対しては同盟関係を結ぼうとしていることが例証され、著者の主張が裏付けられる。
 第4章では、アルチュセールがフランス共産党員として当時の政治状況のなかでどのような態度を取ったかを分析することで、とりわけ彼の弟子たちとの対比を通じて、アルチュセール思想の独自性が提示される。まず、アルチュセール自身が68年5月について論じたテクスト「『5月学生』に関するミシェル・ヴェレ論文について」を取り上げ、アルチュセールが取ったとされる、党と学生のあいだでの曖昧な態度の背景が分析される。このテクストから見えてくるのは、アルチュセールが学生運動の大衆的側面にハビトゥスの次元で共感し、その立場から共産党と急進的学生の両面を批判しているということである。ここでは、著者はこうしたアルチュセールのハビトゥスを典型的なノルマリアンのそれではなく、彼独自の社会的出自に求められるのではないかと見做している。続いて第2節ではスターリニズムやマオイズムといったフランス共産党内部の思想潮流に対してアルチュセールがどのように対応したかが描かれる。ガロディやカサノヴァといった人間主義的マルクス主義を標榜する党内主流派をアルチュセールは、第2インターナショナル以来の社会民主主義・改良主義路線と見なして批判しつつ、彼自身は、弟子たちとともにマオイズムを支持する。彼のもとでマルクス主義の「理論的トレーニング」を積んだ学生たちの中から、68年5月の学生運動の指導者の多くが輩出するなど、哲学者アルチュセールの存在は現実政治の場面でも、とりわけ共産党内主流派と対立する諸潮流を形成する上で、大きな影響力を持っていた。著者はここで第1部の内在的研究では十分に明らかにならなかった「理論的実践」の実質的な内容を明らかにしつつ、「人間主義対構造主義」という哲学的論争の背景にある当時のフランス左翼勢力における「社民主義・福祉国家路線」と「マオイズム・第三世界路線」の対立という隠された政治的含意をも示唆している。
以上のような哲学的理論的側面と歴史的側面という二つの側面からアルチュセール思想を考察したことをふまえて、結論において著者は、プロブレマティークという概念にもとづいて、思想の内在的論理構造と外在的(社会=政治的)論理構造のあいだに存在する結びつきを見出すという思想史研究の可能性を主張している。実際、本論文において、アルチュセールの構造主義的プロブレマティークがフランスの高等教育制度の歴史やフランス共産党の政治状況に対応していることが論証されており、そうした分析を通じて、アルチュセールという思想家の歴史現象としての独自性を考えようとする著者の方向性は十分に示されていると言える。

Ⅲ 本論文の成果と問題点
本論文は、アルチュセールの思想を構成する主要概念をひとつの構造主義的問題構成として哲学的・社会理論的に再構成すると同時に、この構造主義の一定の隆盛を支えた戦後フランスにおける社会的・歴史的背景にまで踏み込んだ、思想史研究として意欲的な論文であるといえる。その成果として具体的には以下の諸点が挙げられる。
 第一に、アルチュセール思想をヘーゲル哲学との対決、とりわけヘーゲルの時間概念との対決という視点から統一的に再構成したことである。その際、ヘーゲルの時間概念を「通俗的」「日常的」時間概念として批判するアルチュセールの見解にはハイデガーからの影響が見られるとする著者の指摘は、従来のアルチュセール研究にはない新しい論点の提示である。また始元に同一性を措定するヘーゲルの時間概念と対決し、差異から出発する重層的な構造主義的時間論を展開する際に、アルチュセールが最も依拠した哲学者がスピノザであったことを論証したことも、本書のもたらした優れた成果である。従来のアルチュセール研究においては、スピノザ哲学との関わりが本格的に論じられてこなかった。
 本論文の第二の意義は、アルチュセールの構造主義的思想の基本構成やその意義を解明することからさらに、第二部において、戦後フランスの歴史的文脈の中にアルチュセールの思想と行動をおき入れて、歴史としてのアルチュセールを解明している点にある。この研究は、フランス高等教育制度改革の中におけるアルチュセール(第三章)およびフランス共産党と1968年5月学生運動という政治過程の中におけるアルチュセール(第四章)という二つの側面から解明されている。
 第三章においては、古典語教育と哲学を中心とした高等教育から社会学、心理学、人類学など新興諸科学をとりいれて実証的科学的研究の比重を高める方向に高等教育制度の改革が進行してゆく中で、アルチュセールは、一方では、「科学」を鍵概念として新興諸科学と連携しつつ、他方では、構造主義的な「概念の概念」の次元を確保することによって、実証諸科学とは異なる哲学の独自の審級を主張したが、彼の理論は、高等師範学校において哲学研究が占めていた独特な社会的位置と高い親和性を持っていたことが、統計資料なども駆使して詳論されている。フランスではこれまでブルデュー派の社会学者を中心にこうした知識社会学的研究が積み重ねられてきているにもかかわらず、日本のフランス思想研究においてはこうした研究はほとんど利用されていないのが、現状である。本論文が、アルチュセールに即して、一定の思想とそれを受容する社会階層と教育制度との関連を社会学的に研究したことは高く評価することができる。
 第四章においては、フランス共産党の内部における批判的党員研究者としてのアルチュセール、フランス共産党とは別の主体によって担われた1968年5月の学生運動に多くの指導者を自らの教え子の中から生み出したアルチュセールにおける「理論的実践」の具体的内実が論争史的に解明されている。とりわけ従来の日本のアルチュセール研究においては全く研究されてこなかったアルチュセールの論文「『5月学生』に関するミシェル・ヴェレ論文について」を紹介しつつ、68年5月とフランス共産党をめぐるきわめて複雑な政治状況をアルチュセールの態度に焦点を当てて描写していることが、本論文の意義である。
本論文の問題点としては以下の二点が挙げられる。
第一に、本論文のタイトルが「アルチュセール思想における理論的構造と社会的生成」となっているにもかかわらず、『マルクスのために』『資本論を読む』(ともに1965年)以前のアルチュセールの思考形成についてはほとんど考察がなされていない。アルチュセールの修士論文「ヘーゲルの思考における内容について」(1947年)からの思想形成が検討の対象とされれば、本論文はタイトルにふさわしくより充実したものになったであろう。
第二に、アルチュセールのスピノザ受容に際して『エティカ』における「第三種の認識」(「永遠の相における認識」)の独特な解釈が大きな役割を果たしたことに言及しているが、その論証が本論文においては十分になされているとは言えない。
とはいえ、これらの問題点は本論文の高い水準と諸成果を損なうものではなく、また著者自身が十分に自覚するものであるため、今後の研究によって克服されることが期待される。

Ⅳ 結論
審査員一同は、上記のような評価と、2012年2月20日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2012年3月14日

2012年2月20日、学位論文提出者の福山圭介氏の論文について最終試験をおこなった。試験において、提出論文『アルチュセール思想における理論的構造と社会的生成』に関する疑問点について審査委員が逐一説明を求めたのにたいして、福山氏はいずれも適切な説明を与えた。
よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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