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博士論文審査要旨

論文題目:アリス・ベーコンの「日本」と世紀転換期のアメリカ社会
著者:砂田 恵理加 (SUNADA, Erika)
論文審査委員:中野 聡、貴堂 嘉之、高橋 裕子

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Ⅰ 本論文の構成

 本論文は、明治時代に女子教育のために教師として来日したアメリカ人女性アリス・ベーコン(Alice Mabel Bacon: 1858-1918) がその数々の著作のなかで描いた日本像とりわけ日本人女性の表象が、津田梅子や山川捨松をはじめとする協力者・日本文化解説者としての日本人女性たちとの交流や世紀転換期アメリカ社会を生きる女性としてのベーコンの思想や戦略といかに結びついて語られていたのかを考察することを通じて、世紀転換期の白人女性によるアジア表象をめぐる歴史研究に対してあらたな貢献をもたらそうとするものである。本論文の構成は以下の通りである。

序章: 研究の方法と目的
    
第1章 アリス・ベーコンの世界
はじめに
1. ベーコン家の末娘として
2. 日本からの誘い
3. アリス・ベーコンの生涯:女子高等教育の観点から
4. 「ハーバード女性試験合格」という経歴
5.日本の「専門家」として:エキスパートであることの自負と張                    

第2章 白人女性とオリエンタリズム:ベーコンのJapanese Girls and Women
はじめに  
1. 女性による日本女性論:「異なる領域」イデオロギーの中で
2.「白人の重荷」を担うために:日本女性を描く意味
3. 女子留学生とJapanese Girls and Women:鹿鳴館時代の日本人女性表象をめぐって
4. 「他者」像の内在/家庭化:文明のありか
5. 異文化の語り方

第3章 「内側」からの風景:A Japanese Interiorと家庭というユートピア
はじめに 
1. Japanese Girls and WomenとA Japanese Interiorの距離
2. 和洋折衷の家庭の中で
3. 「女性だけ」の領域
4. 家庭の外の異なるもの:アメリカ社会へのアンチテーゼ
5. 家庭というユートピア

第4章 生体解剖をめぐる女性の絆:英学塾の女性たちと “When Doctors  Disagree”
はじめに 
1. アリス・ベーコンと女子英学塾「大文学会」
2. When Doctors Disagree: “An International Farce”
3. 清国を切り分ける:生体解剖の文脈
4. 不在が語る女性の使命
5. 生体解剖と女性の絆

第5章  民話が語る日露戦争:けなげな日本人女性と日米関係
はじめに 
1.「偉大なる戦争」と「強烈な」日本人
2. 民話の中の戦争
3.「開明的で進歩的で賢い」日本人像の裏側
4. もうひとつの戦争物語:「およしさん」の戦後
5.友人たちに捧げられた物語

第6章 “The Peony Lantern”と感傷小説の系譜:「怪談牡丹燈籠」を事例に
はじめに
1. アリス・ベーコンとふたつの牡丹燈籠
2. 感傷小説の系譜:「同情すべき」日本人と日米関係
3. 医学を学ぶ会津武士
4. 「幸せな逃亡」という選択

終章 アリス・ベーコンの世界:自然の中での簡素な生活と日本

主要参考文献

Ⅱ 本論文の概要

序章で著者はまず、本論文の前提として、世紀転換期の欧米で流行した「日本という文芸ジャンル」のなかでアリス・ベーコンをどのように位置づけることができるかという問いを念頭におきつつ、ジェンダー論、オリエンタリズム論、アリス・ベーコンをめぐる先行研究を問題整理し、本論文の課題を設定する。まず本研究にかかわるジェンダー論として著者はキャサリン・スクラーによるドメスティシティ(家庭性)研究(1979)およびそれをアメリカ帝国論と結びつけたエイミー・カプランのマニフェスト・ドメスティシティ論 (1998) を本論文の構想にかかわる重要な論考として指摘する。さらに著者は白人女性によるアジア表象論の優れた先行研究としてマリ・ヨシハラのEmbracing the East (2003)に注目し、その研究の画期性を認めつつ、男性優位社会のなかで白人女性がアジアを他者として消費し表現することを通じて自らの社会的地位を強化したというヨシハラの議論からは、実体のある交渉相手としてのアジアが見えてこないという問題があることを指摘する。これらを踏まえたうえで、著者は、自らの都合の良い日本像を自らの利益のために描いたという点ではベーコンの日本論はオリエンタリスト・テキストの範疇に属するが、北東部エリートとしての出自、ベーコンの協力者でありベーコンに対する日本文化解説者としての日本人女性との濃密なネットワーク、「日本専門家」としてのキャリア戦略などの要素が、そこに複雑な力学を加えることになったと問題提起する。そして、先行研究がいずれもアリス・ベーコンを津田梅子の協力者あるいはベーコン家の一員として周辺的に言及するに留まっていたのに対して、アリス・ベーコンそのものを主体的な思考・表現者として位置づけて分析することを本論文の課題として設定する。
第1章は、まずアリス・ベーコンの生涯を略述する。アリス・ベーコンは、1858年、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイヴンに、有力な奴隷制廃止主義者の牧師レナード・ベーコンの末娘として生まれた。彼女が14歳の時に、ベーコン家は日本初の官費女子留学生のひとり山川捨松(後の大山巌夫人)を迎え入れた。このことをきっかけに、同じ留学生少女たちでのちに日本教育史上に名を残す津田梅子や永井繁子らとも親交を結んだアリス・ベーコンは、山川らの帰国後来日し、1888年から1889年、および1899年から1902年まで日本に滞在して、華族女学校や女子高等師範学校等で教鞭を執り、また、津田梅子による女子英学塾の創立に協力するなど、日本の女子教育の発展に貢献した。解放民教育で知られるハンプトン師範農業学校(Hampton Normal and Agricultural Institute)で黒人と机を並べて勉強をした経験をもち、また同校教員も務めたベーコンは、アメリカで黒人教育に取り組む一方、日本女性と、彼女たちが切り盛りする日本の家庭について生涯執筆を続けた。さらに著者は、恵まれた家庭環境ゆえに個人教授で教育を受けたベーコンが、19世紀後半のアメリカ社会で次第に女子高等教育の機会が広まっていくなかで学歴をもたなかったことの意味を読み解く。そしてベーコンが1880年に受験合格した「ハーバード女性試験」について、試験の概要やベーコンの獲得点数など未利用の史資料を参照して分析を加えている。そして、高い教養を持ちつつもそれを裏づける学歴や卒業証書を持たなかったベーコンが、女子高等教育が拡大していく社会のなかで疎外感をもっていたこと、それゆえに「日本の専門家であるという地位」がベーコンには自らの存在証明としての意味をもっていたことを指摘する。
第2章は、欧米における日本人女性イメージの形成に大きな影響を及ぼした、最初の著作として知られるJapanese Girls and Women (1891)を分析する。そしてマリ・ヨシハラのEmbracing the Eastやイギリス白人女性の植民地経験について分析した井野瀬久美恵の『植民地経験のゆくえ』 (2004) などを踏まえたうえで、アメリカ白人女性が「他者」としての日本人女性を表象した作品である本著作には、単なる帝国主義的なオリエンタリスト・テキストには収まらない複雑な性格があることを指摘する。すなわち本著作は、日本人女性たちを劣った救済すべき「他者」として描き、改革の必要性を説くという点ではオリエンタリズムのまなざしから書かれている作品ではあるが、裸体に関する考察に見られるように欧米とは異なる文化基準が日本にあることを認め、好色で堕落しているという日本人女性のステレオタイプを否定し、また欧米で望ましいとされる徳性を日本人女性のなかに見いだし、全体としては、日本人女性たちの価値観や彼女たちの人間性を単に「他者」としてはとどまらない存在として共感を込めて描き出しているところに大きな特徴が見いだせる。その背景として、著者はこの本の執筆過程で日本文化解説者として津田梅子や大山(山川)捨松らが果たした濃厚な役割に分析を加え、現地・日本人女性とのネットワークがいかに執筆過程と叙述内容に影響を与えていたかを明らかにする。そして、本著作の日本人女性像には、この時代の欧米におけるアジア表象について一般に指摘される観察者と被観察者の関係性のオリエンタリスト的な不均衡という見方に疑問を投げかける力がこめられていたと指摘する。
第3章は、ベーコンが日本滞在中の見聞を故郷の人々に紹介した手紙を基にした書簡集A Japanese Interior (1893) を検討する。ここで筆者は日本人の家庭生活を描くことで日本国民なるものを説明しようとしたベーコンの姿勢に注目し、国と家庭性(ドメスティシティ)を結びつけて語るその世界観の背景を分析する。19世紀アメリカ社会では、女性の洗練と家庭内での女性の美徳の発揮が、文明の進歩と関連づけられて理解される傾向があった。そして著者は、一般に家政を取り仕切る女性たちの役割が大きくなる家庭生活に注目し、また女性たちの家庭内役割に注目したベーコンの日本論は、実は女性と国家との積極的な関わりを強調し賞賛するという意味で、単なる日本論を超えたアメリカ社会に対するメッセージ性を意図していたのだと指摘する。また著者は、本著作が「家庭性」としてのドメスティシティと「ネイションの内側」としてのドメスティシティの境界を時にあいまいに表現していることを指摘したうえで、ベーコンが日本滞在中、日本人女性たちと暮らした自らの家庭生活を「女性だけの領域」として「内側」にもっぱら焦点を当てて好ましく描き出す一方、日本から見た外国である中国や欧米人コミュニティをベーコン自身から見ても違和感のある「外側」の存在として描いていることに注目する。そしてそこには当時のアメリカ社会に対してベーコンが抱いていた違和感や批判、そして次世代の男子市民としての子どもの養育を前提とするアメリカの近代家族像に対するアンチテーゼとしての意味があったと指摘する。
第4章は、ベーコンが書き下ろし、津田梅子が主宰する女子英学塾で日本人女学生たちに演じさせた英語劇 “When Doctors Disagree” (1901) を検討する。清国を表す瀕死の老人「ご隠居様」を「生体解剖」しようとする帝国主義列強ロシア、ドイツ、フランス3人の「ドクター」たちと、「生体解剖」に反対する「ドクター・英国」が議論している。そこに「ドクター・日本」が、さらには「ドクター・米国」が登場する。そして日・英・米の3国で処方した「混合薬」を飲んで回復した「ご隠居様」が、「ドクター・米国」に「どの医者を選ぶかね?」と訊かれると迷わず「ドクター・日本」に向かって手を差し出すというあらすじである。同作品はこれまでベーコンの著作のなかでも、日本英語教育史でも見過ごされてきた。一見当時の日本の帝国主義政策に迎合する劇に見えるが、著者はこの劇には、もうひとつのメッセージがこめられていると指摘する。当時アメリカでは生体解剖反対運動が盛んであったが、それは野蛮で男性的な行為に対する有徳の女性による運動として一般に理解されていたという。このことを踏まえると、ベーコンがこの劇を通じて日本の若い女性たちに生体解剖に反対するという、アメリカにおける有徳の女性と連帯する特定の役割を演じさせたことには、女性にのみ与えられていたある種の徳の存在を信じる者として、女性同士の絆を強調し、変わりゆく社会のなかで来るべき新しい時代の理想の女性の役割を確認しようする意図があったのだと著者は指摘する。
第5章は、ベーコンが生前に出版した最後の作品集In the Land of the Gods (1905)から日露戦争に関する短編で兵士の母の物語である「八幡」「不動」の2作品と、1909 年に雑誌に発表した兵士の娘の物語「およしさん」を分析する。ベーコンはIn the Land of the Godsで取り上げた話を、日本の「民話」だと述べているが、どれも口承で日本に伝えられてきた話を忠実に英語訳したものではなく、ベーコンによる創作が加えられている。ベーコンはこの短編集を出版した動機として、日露戦争をめぐりアメリカの対日世論が動揺していることを原因としてあげている。著者は、アメリカで報道されていた日露戦争当時の日本イメージと本著作の作品世界を比較することで、日露戦争期に高まった黄禍論に迎合した大衆小説・文学作品などに描かれた危険で恐ろしいアジア人像に対抗して、けなげで無力でかわいそうな日本人イメージをあえて作りだすことによって、アメリカで語られ始めた「仮想敵国」としての日本の脅威のイメージを最大限に和らげようとする戦略がベーコンにあったと指摘する。
第6章は、In the Land of the Gods第8話The Peony Lanternという短編を取り上げる。同作品は三遊亭円朝の代表作「怪談牡丹灯籠」の速記本 (1884) を原本としていたことが明白であるために、日本語の原作にベーコンが加えた変更点を分析することを通じて、彼女が日本の描写を通じてどのような世界観を示そうとしたのかを検討できる素材となっている。著者は、本作品を19世紀半ばアメリカで広く読まれた女流作家の作品群の中に本短編を位置づけて分析した結果として、日本を舞台にしたこの小説が、実は感傷小説(センチメンタル・フィクション)の伝統を汲むものであり、日本人、とくに武士に対する同情を喚起しようとして書かれたものであることを明らかにしている。とくに著者が注目するのは、主人公の武士「ていいち」が、三遊亭円朝の原作ではおぞましい死を遂げているのに対して、ベーコンは本作品で主人公の死を「幸せな逃亡」として表現している点である。そこに著者は、女子教育を通じて日本を近代化するために来日したベーコンが、明治の世となり消えゆく運命だった旧支配層である武士に同情を寄せた背景として、世紀転換期アメリカ北東部ボストンの知的エリート一族出身者としてのベーコンが抱いていた急速な産業化・都市化によるアメリカ社会の変化に対する危機感が反映していたのだと示唆する。
終章で著者は、アリス・ベーコンが晩年に自らが経営したディープヘイヴン・キャンプを通じてアメリカ近代文明や物質主義への反発と日本への愛着をいかに結びつけて表現していたかに言及したうえで、本論文の議論を要約・総括する。ベーコンが日本論を発表した世紀転換期のアメリカ社会では、近代化の名の下に、伝統的に「男性の領域」に属すると考えられていた拝金主義や即物的な価値観がかつてない勢いで広まり、宗教の権威が相対的に減じていた。また同じころに脚光を浴びだした「新しい女性」と呼ばれた人々は、「古い女性」たちが担ってきた伝統的な女性の役割を否定していった。そのような社会変化を前にアメリカ社会のなかで「女性の領域」の存在感が薄くなることを危惧していたベーコンは、日本人女性を描き、彼女たちの人生や生活に心を寄せ、読者の共感が向かうような記述を重ねた。著者は、アメリカの女性たちよりも「遅れた」環境の中で、けなげに、しかしたくましく生きる日本の女性たちを肯定的に描いたベーコンの作品表現の背景には、伝統的な女性の力や価値観を再評価し、日増しに男性的な価値観が重んじられるようになっていく同時代のアメリカ社会と対抗しようという動機があったと結論している。
 
Ⅲ 本論文の成果と問題点

 本論文は、これまで高橋裕子『津田梅子の社会史』(2002)などで津田梅子の協力者として、あるいはベーコン家研究のなかで周辺的な存在として取り扱われてきたアリス・ベーコンを、その諸作品ならびに関連する刊行資料および未刊行個人文書を徹底的に渉猟したうえで主体的な思考・表現者として捉えなおしたものであり、まずアリス・ベーコン研究として内外に比肩するものがないだけでなく、アメリカ白人女性のアジア表象論研究を大きく前進させる研究としても高く評価できるものである。
本論文が課題としたのは、アリス・ベーコンを、日本とりわけ日本人女性をアメリカ社会に解説する専門家としてのキャリア形成をめざした女性として、また世紀転換期アメリカ社会の産業化や急速な変化に危機感をもつ北東部エリート知識人として捉えたうえで、ベーコンがその内面に抱いていた思想や戦略が、他の「日本専門家」とは比較にならない濃密な関係性を協力者・日本文化解説者としての津田梅子や山川捨松ら日本人女性エリートと築くなかで、どのように各作品の意図と表現に結びついていったのかを明らかにすることであった。著者は諸作品およびその周辺の史資料を丹念に検討することを通じて、これらの問いに歴史研究として十分な説得力をもって応えている。その結果として著者は、アリス・ベーコンが帝国主義的オリエンタリストとしての側面をもちながら、どのようにしてそれを乗りこえたテキストを生むことができたのかを明らかにするとともに、西洋キリスト教文明の先進性を前提として日本人女性を劣った遅れた存在として描く傾向を残していたJapanese Girls and Women (1891)に対して、後年の作品では、世紀転換期エリート女性としての近代批判から、むしろ「遅れた」環境におかれたなかでたくましく生きる日本人女性像のなかに、近代文明の野蛮な男性性に対する反発を投影するに到るまでの変遷を明らかにしている。日露戦争前後のベーコンの作品分析は、黄禍論に対する日本擁護派の応答をめぐる研究としても読むことができ、日米関係史研究への貢献としても評価することができる。
 しかしながら本研究においては、次のような課題も残されている。筆者は、ベーコンの著作における日本人協力者の役割を強調して、作品形成の過程への関与にも言及している。とくにJapanese Girls and Womenに限って言えば、印税を折半した事実からも明らかなように、津田梅子は単なる協力者・解説者を超えて共同執筆者に近い立場にあった。だとすればベーコンと津田がネゴシエートしながら作り上げた同作品には、「他者」表象としてひとことでは括れない性格があったことになる。とくに同書が「遅れた」日本人女性の教育による改善可能性と社会改革の必要性を強調していることには、女子英学塾を発足させ、米国からの寄附獲得をめざす津田梅子の広報戦略が関与していた可能性がある。これらの点については津田梅子ら日本人女性の側の研究とあわせてさらに考察を深めていく必要性があるだろう。
 またベーコンが近代文明の野蛮な男性性に反発したことは、ただちにその対極として伝統主義や前近代を肯定し懐古することにつながるものではない。ベーコンと津田がともに女性が生産労働あるいは賃金を伴う労働をすることの意義を高く評価して女子教育の発展と取り組んだ事実も踏まえれば、ベーコンが描いた「女性だけの領域」は、近代家族を前提としたドメスティック・フェミニズムとは異なるユニークな性格をもっていたことにむしろ注目すべきではないか。この点で本論文は、後半で取り上げられた作品群が社会批評ではなく民話あるいは感傷小説として翻案された怪談であったことから、それらの作品の懐古的な側面にベーコンの思想解釈がやや引きずられた印象をなしとしない。もちろん、こうした欠点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、砂田恵理加氏自身が十分に自覚しており、今後の研究によって克服されることを期待したい。

Ⅳ. 結論

 審査員一同は、上記のような評価と、2012年2月2日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2012年3月14日

 2012年2月2日、学位請求論文提出者砂田恵理加氏の論文についての最終試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文「アリス・ベーコンの「日本」と世紀転換期のアメリカ社会」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、砂田恵理加氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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