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博士論文審査要旨

論文題目:移動する身体の管理と指紋法 ― 満洲国における労働者管理から戦後日本へ ―
著者:高野 麻子 (TAKANO,asako)
論文審査委員:伊豫谷 登士翁・町村 敬志・吉田 裕

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 本論文のねらい
 :指紋法は、個人を特定する識別手段であるとともに、数値化によって分類・登録・検索が可能な方法であり、近代国家によって個人管理の最も優れた手法として用いられてきた。本論文は、19世紀末から世界各地で国民国家形成や植民地統治の技法として導入された指紋法が、犯罪者とみなされる人々だけでなく、移動する人びとの管理として用いられた意義を考察するとともに、監視社会という現代的課題を展望したものである。本稿で扱われたテーマは、おおきく、1)指紋法の発見と政策的な実用化、2)人の移動管理の手法として、大英帝国のインドと日本の満洲への指紋法の適用とその実施過程における問題、3)日本の戦時植民地支配期と戦後日本での指紋法の具体的適用にみられる連続性と断絶、4)現代社会の身体管理としての指紋法と監視社会の課題、の四つにある。
 指紋法と移動の管理に焦点を当てることの意義は、次のように要約できる。
 第一に、指紋法による個人識別に焦点を当てることによって、近代国家が直面する課題である、国民の把握と人の移動の管理という課題が持つ重要性を明らかにしたことである。大英帝国から日本帝国への指紋法導入の軌跡を事例として、人の移動の管理が、近代における国民国家形成と植民地支配にとって共時的な政策課題であり、指紋法は、ノマド・犯罪者・外国人・労働者といった移動する人びとを、国家や植民地統治者が把握・管理可能な状態に置くための道具であったことを跡づけた。
 第二は、具体的な考察の場として満洲国における労働者の指紋登録を取り上げることで、指紋法がたんに移動の管理と結びついていただけでなく、その後の満洲国における国民形成と結びつけようと政策的に企図されたものであったことを明らかにしたことである。労働者の指紋登録が、その後、満洲国における国民登録の動きと連動していくプロセスを指摘することで、近年満洲史研究においても比較的新しいテーマとして登場している満洲国における国民登録をめぐる議論に新たな視点を提起している。
 第三は、戦後日本における指紋法の動きを、警察指紋制度の変遷、国民指紋法・県民指紋登録、外国人登録法(外登法)の指紋押捺の三点から考察した点である。とりわけ、国民指紋法・県民指紋登録にかんしては、先行研究も皆無に等しく、さらに、外登法の指紋押捺についても同時期に改革が進められていた戸籍法と住民登録法との対比から考察することで、戦後日本が国民国家の物語を(再)構築していくプロセスを明らかにしている。

 本論文の構成は以下の通りである。
序章 指紋法の一世紀                          
   ―「移動を管理する」時代から「移動で管理する」時代へ―
指紋法と移動の管理 ― 問題意識と研究課題 ―
第1節 近代における国民の把握と移動の管理
    1-1 書類による「同一化空間」の形成と移動する人びとの管理
    1-2 移動を管理することの意味
    1-3 植民地における同様の課題
第2節 先行研究と本研究の位置づけ
    2-1 指紋法をめぐる先行研究
    2-2 満洲国における指紋法をめぐって
第3節 本研究の構成

第Ⅰ部 大英帝国から日本帝国への指紋法の軌跡

第1章 指紋法の実用化と移動という「問題」
    ― 大英帝国から日本帝国への軌跡 ―
はじめに
第1節 指紋をめぐる物語を語りはじめるにあたって
第2節 個人認証技術の需要とその背景
    2-1 ウィリアム・ハーシェルのインドにおける実践
    2-2 「犯罪部族法」と移動する人びとの管理
第3節 指紋法の実用化に向けて― 分類・検索システムの構築 ―
    3-1 ベルティヨン方式の限界とヘンリーの苦悩
    3-2 指紋法の実用化と「ヘンリー方式」の誕生
小括

第2章 日本への指紋法導入と満鉄による労務管理           
     ― 近代化の道具/移動を管理する道具 ―
はじめに                                   
第1節 日本への指紋法導入と大場茂馬                     
第2節 満鉄撫順炭鉱における指紋法の導入                   
第3節 満鉄撫順炭鉱における指紋法導入の理由                 
小括                                     


第Ⅱ部 満洲国における指紋法の使用

第3章 満洲国の理想と現実                        
    ― 建国当初における人の管理をめぐる動き ―
はじめに                                 
第1節 国民指紋登録に向けて                         
     1-1 国民の指紋登録構想とその意図
     1-2 住民登録と治安粛正
     1-3 国籍法における日本人の地位をめぐって
第2節 華北労働者の入満制限と「外国労働者取締規則」制定          
     2-1 日本人移入の意図
     2-2 華北労働者の根拠なき入満制限政策
第3節 「労働者指紋管理法案」の作成と頓挫
小括                                   

第4章 政策転換と労働者指紋登録の開始               
    ― 常態化する労働者移動を管理するために ―
はじめに                                 
第1節 労働統制の新たな段階 ― 労働者指紋登録の開始とその背景 ―      
    1-1 満洲労工協会と労働統制法
    1-2 指紋管理局の設置
第2節 労働者の指紋登録の変遷と実態
第3節 移動する人びとの管理と指紋法
小括

第5章 労働者登録から国民登録へ                  
    ― 移動の抑止と国民把握をめぐる諸実践 ―
はじめに                                 
第1節 国民把握に向けた政策とその陥穽                    
    1-1 労働統制の新方向と国民把握の要請
    1-2「国兵法」・「臨時国勢調査法」・「暫行民籍法」の関係性
第2節 国民皆労体制に向けて                         
    2-1 労務新体制
    2-2 拡大する国民の強制供出
第3節 国民手帳法の施行とその意味                      
    3-1 国民手帳法施行に向けて
    3-2 寄留法という弥縫策
    3-3 国民手帳法という結論
結論                                   

第Ⅲ部 戦後日本の指紋法

第6章 警察の指紋制度改革と国民指紋法の浮上            
― 警察の指紋制度改革/国民指紋法/県民指紋登録 ―
はじめに                                 
第1節 戦後警察と指紋法の変遷                        
    1-1 渡満組の帰還と戦後警察の指紋制度変革
    1-2 一指指紋法の実施
第2節 国民指紋法の浮上と県民指紋登録の実施                 
    2-1 「国民指紋法」構想の登場
    2-2 「国民指紋法」の頓挫と県民指紋登録の開始
第3節 愛知県民指紋登録の実態                        
    3-1 20年間にわたる県民指紋登録の実態
    3-2 愛知県民指紋登録の廃止に向けた取り組み
小括                                   

第7章 根づかせない道具としての指紋法                 
     ― 外登法の指紋押捺を国民登録制度との対比から再考する ―
はじめに                                 
第1節 国民把握システムの整備                        
    1-1 戸籍制度の変革
    1-2 寄留制度改革と住民登録法の誕生
第2節 住民登録法における指紋押捺構想とその結末               
    2-1 住民票への指紋押捺構想の登場
    2-2 住民登録法における指紋押捺構想の行方
    2-3 住民登録法と県民指紋登録
第3節 外登法への指紋押捺                          
小括                                   

終章  生体認証技術の拡大と移動の多様化                
    ―「移動で管理する」時代の到来を考える ―
はじめに ―本研究をまとめるにあたって―
第1節 近代における指紋法と移動の管理
第2節 現代における移動の多様化と身体の管理
第3節 場所としての身体
おわりに

本論文の要旨:
 序章「指紋法の一世紀」では、本論文の目的、先行研究のまとめ、論文の構成が述べられる。個人識別手段としての指紋は、写真や骨格測定とは異なり、生涯不変という優位性を持ち、さらに指紋の数値化が分類・登録・検索の可能な方法を確立させた。本章では、指紋法が移動の管理として用いられるようになった背景を明らかにしている。さらに、国民国家が国民把握を実施することの意味やそのための技法(書類の作成)について、明治初期の日本を事例に、移動する人びとがどのような「問題」として立ち現れてきたのかについて論じている。
 第一部「大英帝国から日本帝国への指紋法の軌跡」では、指紋法が大英帝国で実用化されるまでの過程と、それが日本帝国へと移入され、満鉄の撫順炭鉱の労務管理へと使用されるまでを取り上げている。第一章「指紋法の実用化と移動という『問題』」では、指紋法が、植民地インドのなかの状況だけではなく、イギリス本国ならびに大英帝国の人的結びつきを媒介にして実用化されたこと、さらに個人認証技術を必要とする背景には共通して「移動する人びとの管理」が存在していたことを指摘している。その際に、フランスで開発された人体測定法であるベルティヨン方式との技術的な対比を通じて、指紋法が個人認証技術のスタンダードとして世界的に普及した理由を明らかにしている。第二章「日本への指紋法導入と満鉄による労務管理」では1908年に指紋法が日本に「文明化」と「近代化」の道具としてもたらされた経緯と、1924年より満鉄の撫順炭鉱において炭鉱内で移動を繰り返す採炭労働者の管理に指紋法が使用され、次第に満洲の他の日本企業へと拡大していく様子が描かれている。
 第二部「満洲国における指紋法の使用」では、具体的な考察の場として、大規模な指紋登録が実施された満洲国を取り上げている。第三章「満洲国の理想と現実」では、建国直前から直後にかけて登場した国民指紋法構想をはじめ、同時期に議論されていた国籍法、住民登録、労働者管理、外国人登録といった人の把握・管理をめぐる一連の構想と、実際に行われた政策の両者に焦点を当て、建国当初における領土内の人の管理の実情を明らかにしている。第四章「政策転換と労働者指紋登録の開始― 常態化する労働者移動を管理するために ―」では、産業開発五カ年計画と日中戦争勃発にともない深刻化する労働者不足のもとで、労働政策が大きく転換を迎える時期を対象としている。華北労働者の入満奨励とともに国内労働者の涵養が急務となり、労働統制が強化されるなかで、1938年より労働者への指紋登録と労働票の発給が開始され、翌年には指紋管理局が設置される。本章では、指紋登録の具体的な手順や登録者の数的考察とともに、その背景にある満洲労働界が抱える複雑な労働者移動の実態についても言及し、指紋法と移動の管理の関係性を指摘している。第五章「労働者登録から国民登録へ」では、1940年以降のさらなる労働者不足を受けて、満洲国政府が労働統制を強化する過程で、建国当初より懸案となっていた国民登録に向けた取り組みが具体化していく点に着目している。「国兵法」・「臨時国勢調査法」・「暫行民籍法」をはじめ、総力戦体制下の労働力動員を達成するために、これまでの労働者の指紋登録が国民登録へと移行していく点を「国民手帳法」の施行から明らかにしている。
 第三部「戦後日本の指紋法」では、戦後日本において展開した、警察の指紋制度改革、国民指紋法構想・県民指紋登録、外登法の指紋押捺に焦点を当て、戦後日本の再編過程を考察している。第六章「警察の指紋制度改革と国民指紋法の浮上」では、戦後の警察制度改革のもとで、戦前から機能不全に陥っていた日本の指紋制度の立て直しが行われていく点と、1948年頃から浮上し、国会でも議論された国民指紋法構想と、その後、複数の県で散発的に開始された県民指紋登録の背景と実態について明らかにしている。その具体的な事例として、約20年間にわたって県民指紋登録が継続した愛知県について、聞き取り調査を含めて詳細に分析している。第七章「根づかせない道具としての指紋法」では、外国人登録法の指紋押捺制度を、再び移動する人びとの管理という文脈のもとで論じている。指紋登録と外国人登録証の常時携帯は、満洲国の労働者管理の技法と類似している。同様の技法が戦後、日本国籍保持者の「国民」ではなく、「外国人」に適用された理由を、外登法と同時期に改正された戸籍法・住民登録法との対比から考察している。
 終章「生体認証技術の拡大と移動の多様化」では、本論文の総括と、今後の展開として生体認証技術が拡大する現代を再び移動の管理との文脈で捉える視座を提起している。今日の生体認証技術の拡大は、高度なコンピュータテクノロジーに依拠しており、単純に近代と並列して論じることはできないが、近年の欧米地理学、社会学、政治学の分野から登場している生体認証技術をめぐる議論を参照しながら、移動概念の多様化やそれにともなう場所概念の変容を指摘し、近代から現代に至る身体の管理の変容を読み解く作業へとつなげている。

本論文の成果と問題点:
 本論文のもっとも重要な成果は、指紋法という個人識別の方法を、近代における国家形成、植民地支配、そして現代の監視社会という流れのなかで、一貫したテーマとして描き出したことにある。近代国家は、定住を基盤とした統治形態を作り上げるために、つねに移動する人びとの管理という問題と格闘し、その格闘のなかで移動の自由を構築してきたが、指紋法は、近代国家における移動の自由の保障と定住を基盤とする国民管理との乖離を埋める装置として用いられてきた。国家は「正しい移動」と「正しくない移動」とを分別する必要に迫られ、個人を識別する方法が模索され、個人を身体的特徴と結びつける手法としての指紋法が選択された。指紋法という個人認証技術は、移動する人々を国家や植民地統治者が管理可能・統治可能な存在に変換する道具として発見されたのであり、本論文は、近代国民国家を人の移動の管理という観点から捉え返すことに成功したものと評価できる。
 第二には、指紋法の通史をたどることによって、個人の身体管理が近代社会ならびに近代国家において通底する課題であるとともに、監視社会といわれる現代的状況に連なる課題であることを示したことである。指紋法は、近代国家の統治手段としてだけでなく、植民地支配の方法として用いられ、さらに現代においてはふたたび個人を特定する技術として広く民間において用いられてきている。近代国家は、国民形成という課題を遂行するなかで、移動する人びとの管理に翻弄され、指紋法を大規模に採用するに至ったが、それは、国内における統治手段としてだけでなく、植民地支配との共時的課題の要請によったものであった。大英帝国におけるインドへの適用からそれほどの遅れもなく、日本においても植民地における個人識別と移動の管理という、植民地統治における課題を解決する技法として導入された。さらに、国民国家の変容と移動の増大が議論される現代において、指紋法を含む生体認証技術の需要は拡大している。本論文の射程は、生体認証技術と移動の管理との関係性を通じて、近代から現代に至る身体の管理の変容を描き出したことにある。
 第三には、日本において指紋法を議論することの意義と関係する。つまり、日本で指紋法はおもに1980年代から外国人登録法の指紋押捺反対運動の文脈で議論されてきた。しかし、2000年以降、外登法の指紋押捺が廃止されると、再び日本帝国や東アジアを分析する新たな視座を提起する試みとして学問的な重要性が指摘されはじめている。こうした新たな展開は、指紋法がコロニアルな問題であるだけでなく、ポストコロニアルな課題であることを示している。指紋押捺反対運動の「終結」が日本の植民地主義の終結を意味するわけではないにもかかわらず、廃止から10年以上の時を経て、運動の記憶が次第に薄れていることや、近年の外国人管理制度の新たな展開が、外国人登録法をめぐる過去の闘争と切り離されたところに置かれている状況のなかで、本論文は、在日研究を出発点としたものではないが、指紋法を移動する身体の管理という観点に位置づけ直すことによって、日本の帝国史研究やポストコロニアル研究にたいして新しい視座を提供している。

 このように、本論文は、人の移動の管理から近代国家の形成を捉えようとした意欲的な試みであるとともに、定住を前提とした人の移動の管理からたえず移動する人の管理へという、きわめて現代的な課題を視野に入れ、日本植民史研究に対して大きな貢献をし、新しい研究方向を開拓したのみならず、現代社会論の分野においても重要な展望を切り開いているが、次のような新しい課題も出てきている。
 第一には、個人識別としての指紋法が、国籍管理や家族制度などの国家による統治方法として採用されてきた他の諸制度とどのように関わるのかは、必ずしも明示的に取り扱われていない。さらに制度から漏れる人びとの存在や具体的な適応過程における遺漏などについての分析は十分ではない。近代国家は、構成単位として個人を掲げながらも、実際には近代家族制度を基盤としており、制度的には家族を単位とする戸籍制度を創り上げてきた。指紋法そのものは、個人把握を目的とするものであり、著者のいうようにコスト面からも、基本的には犯罪者や外国人という特別な領域への適応に限定されてきたのであり、それを国民把握全体に拡大するには追加的な理念や装置が必要であり、近代国家の統治とその限界についてより詳細な検討が必要とされるであろう。
 第二には、指紋法が帝国主義国による植民地支配の過程で発展したものであり、たんに犯罪者等の管理を通じた国民形成と国民把握だけではなく、植民地統治の手段であったことを明らかにした。しかし、こうした植民地統治としての指紋法の導入が行われたのは、インドのマガヒア・ドム族などのいわゆる放浪部族に対してであり、日本の植民地満洲であった。それではなぜ他の植民地に拡大されなかった理由は何か、それはコストという制約だったのか、あるいはその代替としてどのような方法が採用されたのか、あるいは移動の管理の緊急性がなかったのかなど、指紋法が具体的に実施された植民地についての、帝国支配の全体のなかでの位置づけが必要ではないかと思われる。日本の植民地に関していえば、全体的な指紋法の適用は、台湾や朝鮮では企図されておらず、こうした植民地政策における差異が何によるものであるのかは、今後の課題であろう。
 第三には、本論文は歴史学のなかの植民地研究や社会学における監視社会論における最新の研究に依拠したものであるが、国民国家の形成から現代社会までの広範囲な課題をテーマとして取り上げたことによって、今後詰めるべき課題がみられる。たとえば、指紋法を適応する場合の具体的な人材の育成や研修、指紋を扱う現場などについて検討が加えられれば、いっそうのリアリティがあったであろう。また、国民国家の形成期については、もともと把握できない人びとが大量に存在したこと、そして満洲に関していえば、圧倒的な農民社会であり、農民を含めた治安対策が要求されながらも、指紋法からは除外されてきたこと、華北から流入する中国人労働者の管理は、たんに労務管理であるよりは治安対策という面が強かったこと、さらに満州国での指紋法の導入が戦後日本にもたらされた背景は、たんに人的なつながりだけはないということなどである。さらに、本研究が指紋法という制度的な面の研究に焦点を当てたことによって、その具体的な現場での混乱や限界等についての考察が十分に行い得なかった。また監視社会という観点からいえば、指紋法というきわめて近代的な技術が持ち込まれたことによる個人監視が、具体的にどの程度の実効性を有したのかは、必ずしも十分に論究されていない。これは、現代社会における生体認証技術が、どの程度の具体的な有効性を持つものであるのかという問題とも関わるであろう。

 もとより、これらの課題は本論文の成果がもたらした新しい課題でもあり、著者も自覚しているところであるので、今後の研究の進展に期待すべきものと判断する。よって審査員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与したと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2011年12月14日

 2011年11月4日、学位論文提出者高野麻子氏の論文について最終試験を行った。試験においては、『移動する身体の管理と指紋法-満洲国の労働者管理から戦後日本へ-』に関する疑問点について審査員から説明を求めたのに対して、高野麻子氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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