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博士論文審査要旨

論文題目:近現代ハワイにおける日系宗教の展開と故国『日本』
著者:高橋 典史 (TAKAHASHI Norihito)
論文審査委員:深澤 英隆・貴堂 嘉之・藤井 健志

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本論文の構成

本論文は、近現代のハワイにおける日系移民と日系諸宗教との関わりを、明治初期における移民の開始期から今日に至る長い期間の全体にわたって跡づけた労作である。これまでハワイおよび南北アメリカ大陸における日系宗教の活動についてはある程度の研究成果があったが、日系宗教の海外布教およびその日系移民との関わりの全体像をとらえた研究はなかった。こうした全体像を描くにあたって、本論文は各時代の一次史料を博捜するとともに現地での聞き取り調査も行うなど、多面的なアプローチを試みている。その際特に「ホームランド」=「日本」との物心の関わりに注目しつつ、日系移民および日系宗教両者の関係を把握しようとする点に、本論文の特徴がある。今日の宗教社会学と移民研究の成果を媒介するという、これまであまりなされてこなかった試みがなされている点でも、本論文は画期的な意欲作であるといえる。
 本論文の構成は、以下の通りである。

序章 研究の目的と方法
第1章 理論的前提
第2章 近代ハワイの日系移民社会と日系宗教の多元性
第3章 日系仏教のハワイ布教の展開と大戦後の復興
 補論(1)ハワイ日系移民社会における神社神道の歴史
第4章 20世紀初頭のハワイ日系仏教の〈二重のナショナリズム〉
第5章 ハワイ日系仏教における故国日本
第6章 日系新宗教の海外布教の展開とハワイ――ハワイの天理教のばあい
第7章 ハワイ日系新宗教における信仰継承――天理教の教会長を事例に
第8章 現代日系宗教のハワイ布教の課題と模索——日系人宗教者の現地育成に注目して
 補論(2)ハワイ開教100周年を迎えた日系宗教 
終章 結論
 補遺(1)バーガーの宗教社会学理論の基本構成
 補遺(2)日系移民キリスト者と日本ナショナリズム
本論文の要旨

 序章ではまず、本論文の研究方法や研究視座などが述べられるとともに、先行研究の検討がなされる。とりわけ本論文全体の目的が、日系宗教の海外布教研究ということを基本としながら、19世紀後半から現代までに至るハワイにおける日本移民とさまざまな日系宗教(既成仏教の浄土真宗本願寺派、浄土宗、曹洞宗、新宗教の天理教、金光教など)との関わりを、ことにひとびとの「メンタリティ」に着目しつつ、また「ホームランド」である「日本」との関係性のなかで検討する点にあることが述べられる。
 第1章では、社会学者のピーター・バーガーの所説より重要な示唆を受けつつ、ハワイをはじめとする宗教と民族の多元性を特徴とする社会における宗教と諸個人との関係を考察するうえで重要な、2つのパースペクティヴが提起される。
 まず第1のパースペクティヴは、多元社会における宗教の〈マクロ・メゾ・ミクロ〉の3つのレベルの位相の区別と関係づけである。著者によれば、宗教の多元性によりある種の宗教市場が成立している社会にあっては、〈マクロ-メゾ・レベル〉における諸宗教は、複数の宗教的ないし非宗教的なライバルたちとの競合関係のなかにある。この一方で、〈メゾ-ミクロ・レベル〉において宗教集団と諸個人は、宗教的社会化や入信などを通じて関係し合い、さらに、諸個人は、自らが属する宗教の社会的構成に関与することになる。著者はこうしたパースペクティウ゛に立ちながら、多様な宗教やイデオロギーが競合する「市場」を形成してきたハワイの日系社会と、そこでの個々人の宗教的コミットメントを考察することの必要性を強調する。
 第2に導入されるのが、諸個人の社会的アイデンティティの多重性と「メンタリティ」への注目という視座である。著者は、一方でハワイの日系宗教に関わってきた当事者たちの社会的なアイデンティティが多重性をもっていたことを強調するとともに、他方でアイデンティティのようには明示化されなることなく、集団レベルで共有されていた意識、心情、気分とでも言うべきものを表す用語として、「メンタリティ」の概念に言及する。本論文の諸章で著者は、宗教指導者のそれをはじめとする過去の宗教をめぐる言説のなかから、こうしたメンタリティを読み取ることを試みている。
 つづく第2章では、本論文の研究上の与件をなす近代のハワイ社会およびハワイの日系移民社会の歴史と、日系宗教の諸教団のハワイにおける布教の経緯が論じられる。著者はひろく先行研究にあたりつつ、まず日系宗教のハワイ伝来の過程を紹介する。日本人移民の始まりとほぼときを同じくして、仏教をはじめとする各教団がハワイへと到来した。まず日系仏教や神社神道が19世紀後半に布教をはじめ、また1920年代以降には天理教や金光教などの新宗教教団が伝来し、さらに第二次世界大戦後には主要な日本の新宗教教団がハワイでの活動を始めた。著者によれば、ここからハワイには主要な日系宗教教団が出揃い、それぞれが競合・共存しつつ活動を展開する多元的状況が出現することとなった。

 第3章では、明治初期から第二次大戦後の復興期に至るハワイにおける日系仏教の展開が跡づけられる。著者は、ハワイ以外の諸地域をふくめた日系仏教の海外布教の経緯をふまえつつ、ハワイでの仏教の布教も、近代日本国家の海外進出という趨勢のなかでなされたこと、その場合しかし布教の主たる対象は在外邦人であったこと、ことにハワイでの日系仏教の諸宗派は、事実上日系移民たちのエスニック・チャーチとして定着し、機能したことを指摘する。とはいえ、時代とともに排日論が勃興し、これにともなって仏教もアメリカ人からのさまざまな批判を浴びた。またハワイ生まれの日系人が増加したこともあり、日系仏教は、その組織形態や理念内容を変容させ、そのかなりの部分をアメリカ化することにより、ハワイ社会への適応をはかった。エスニック・チャーチとしての機能は保持しつつ、仏教はアメリカ社会と日系社会を媒介する普遍宗教であるとの理念が強調されたのである。しかし日米開戦ののちは、日本仏教は日本本土と深く結びついた宗教として、抑圧と監視のもとにおかれることになる。
 第二次大戦後のハワイにおいては、日系仏教は、現地社会への適応の必要性から、戦前期より見られたアメリカ化のさまざまな試みをさらに促進させる。しかしその一方で、戦後のハワイ社会に見られたエスニック文化の再活性化を背景として、エスニック・チャーチとしての機能もそこではなお保持され、またそうした宗教集団としてアメリカ社会において正当性を獲得していった。とはいえ日系仏教は、経済的にも人的にもホームランドの各教団との結びつきは強く保持したままであることもまた、著者により指摘されている。
 第4章では、ハワイの日系仏教のなかでも最大の教団である本派本願寺(浄土真宗本願寺派)の代表的な宗教指導者の言説の考察を通じて、20世紀前半における日系移民仏教徒たちが共有していたナショナリスティックなメンタリティの特質と変容が論じられる。前章がハワイの日系仏教の〈マクロ—メゾ・レベル〉の位相を明らかにするものであるとすれば、本章ではその〈メゾ—ミクロ・レベル〉の位相が解明されることになる。
 前述のように、1910年代以降の排日論の勃興にともない、ハワイの白人支配者層のあいだで、仏教はハワイにおける異分子的存在として、批判の対象となっていった。こうした潮流を背景に、本派本願寺は組織面でのアメリカ化を進めるのみでなく、理念的な側面でも〈脱日本化〉への志向性を強めて行った。著者はこうした点を、まずとりわけ当時の真宗教団の卓越したリーダーであった今村恵猛の言説において確認してゆく。
 とはいえ、いわゆる「排日移民法」の成立をみた1920年代後半になると、今村の主張に変化が目立ってくることを著者は確認する。すなわち、アメリカ社会への適応という方向性はなお基調として残るものの、今村の言説においては、日本主義的な文化ナショナリズムのトーンを帯びたような主張が、目立ってくるのである。著者は、このような今村のナショナリズムをめぐる変化と、そこに表れたメンタリティの変容が、仏教(浄土真宗)を媒介として日米両国に向けられた〈二重のナショナリズム〉を主体的かつ状況適合的に使い分ける態度と結びつくものであったと論じている。
 つづく第5章においても、19世紀末から第二次世界大戦後にかけてのハワイの日系仏教が論じられるが、本章で焦点となるのは、日系仏教と「ホームランド」である「日本」との関係、ことにホームランドに関わるメンタリティの変容である。著者はこれを跡づけるにあたって、日系仏教の関係者(布教者および信者)たちの言説をひろく渉猟し、〈メゾ—ミクロ・レベル〉の位相から考察を進めている。著者によれば、初期の日系仏教布教の背景には、日本の仏教界に存在していたキリスト教への強い対抗意識があり、移民先など異邦にいる同胞の仏教徒たちを救済することがその主たる目的であった。このため、当時の日系仏教にとってハワイ布教とは、ホームランドでの仏教普及の延長線上に想定されていた。
 しかし20世紀の戦間期に入ると、日米関係は悪化の一途をたどり、アメリカ国内では日系移民たちに対するアメリカ化運動や排日運動が勃興し、他方で日本国内でも、愛国主義的な風潮が強まっていった。この時期における仏教の諸言説の分析から著者は、ホスト社会より排除・抑圧されていた日系移民仏教徒たちが、日系仏教の独自の解釈に依拠しつつ、アメリカと日本という2つの国家の間隙において、仏教徒としての自己を定義しようとしていたことを指摘する。つまり仏教徒たちは、日系仏教を移住先のホスト社会とホームランドの双方に接合可能な資源として理解することによって、対立する両国家と状況適合的に結びつく方法を模索していたのである。
 第二次世界大戦後においては、日系仏教の一定の復興が見られたが、著者の解明するところによれば、それは大戦以前の仏教のありかたそのものを再生しようとするものではなかった。戦後期の日系人たちは、社会・経済的な上昇を遂げ、アメリカ市民であることが所与の前提となるなど、そのメンタリティの変化は顕著であり、日系仏教の変化もそれに対応したものだった。この時期の日系仏教は、アメリカ社会において正当なエスニック・チャーチとして承認されることを志向するものではあり、またホームランドとの人的・経済的な結びつきは保っていたが、戦前期に見られたようなホームランドに関わる越境的な言説は減少していったのである。
 これまでの章では、日系仏教の問題が扱われたが、続く第6章と第7章では、ハワイの日系移民社会における日系新宗教、とりわけ天理教をめぐる諸問題が論じられる。
 第6章では、20世紀初頭における天理教のハワイ布教の始まりから、第二次世界大戦後の復興期までの同教の展開過程が、〈マクロ—メゾ・レベル〉の位相において解明される。近代における天理教のハワイ・北米布教は、同教の東アジアにおける植民地布教と密接に連関していた。著者はここから、日系移民の多数存在してきた地域と、東アジアの日本の植民地地域という2つの海外地域は、天理教の海外布教の動向においては連続的なものとして考える必要があると指摘する。
 さらに著者は、天理教のハワイにおける布教展開においては、移民を多数送り出した地域の親教会を基盤とした人的ネットワークの影響が大きかったことを確認する。こうした事態を、著者は宗教布教における「同郷ネットワーク型展開」と呼ぶ。こうした基盤のもとにハワイ天理教、とりわけ大戦後におけるその展開は、今日に至るまで日系移民というエスニック集団に依拠したエスニック・チャーチとして存続してきたことが指摘される
 第7章では、やはり天理教を対象として、その〈メゾ—ミクロ・レベル〉の位相に着目しつつ、日系宗教における「信仰継承」の問題が考察される。著者が信仰継承の問題に注目するのは、移民社会における受容と定着を経て、教団の存続・継承をどのように確保するかということが、日系宗教教団が共通して抱えている課題であるからにほかならない。天理教教会は、ハワイにおける日系新宗教のなかでも、日系人家族内における宗教者の信仰継承に比較的成功している例と考えられる。ここから著者は、世襲によって教会を引き継いだ日系人教会長たちにインタビュー調査を行い、彼らがいかなる契機で信仰に覚醒し、教会の継承を決意したのかを明らかにし、教会の「世襲」が行われた事例に共通して看取できる日系人宗教者たちのメンタリティを析出しようとする。
 これらハワイ生まれの教会長たちは、一般的なアメリカ人とそれほど相違なく育ち、幼い頃より強い宗教的アイデンティティを持っていたわけでもなければ、教会の継承を義務として育てられたわけでもなかった。しかし、彼らはある種の人生の転機をきっかけとして、宗教的アイデンティティの覚醒とも呼ぶべきものを経験した。これに加えて、天理教の聖地である「ぢば」(奈良県天理市内)への「おぢばがえり」による日本滞在において日本語を習得したり、日本語に堪能な配偶者と出会ったりしたことが、その信仰を深め教会の継承を決意することへと導いた。著者は、天理教に特徴的なこうした宗教上のホームランド(聖地)への訪問と滞在を重視する信仰システムこそが、世襲の決意を促すメンタリティをハワイの日系人教会長たちの中に生み出してきたことを指摘した。
 第7章における信仰継承の問題を受けて、第8章においては、教勢が衰えつつある日系宗教の現状が論じられる。ハワイの日系諸宗教の大半は、日系移民社会の変化にともない、教勢の衰退に直面している。本章において著者は、既成仏教の本派本願寺(それに加えて、浄土宗、曹洞宗)と新宗教の天理教および金光教が、この差し迫った問題に対してどのような対応策を採っているのかを、特に世代間の信仰継承に密接に関わる日系人宗教者の育成という点から論じている。
 著者は、日本本土側の海外布教体制や戦略をも視野に入れたうえで、これらの教団の日系人宗教者の現地育成への取り組みを比較考察する。それによって明らかになるのは、既成仏教である本派本願寺が、宗門レベルで海外布教体制を改変し、宗教者の現地育成システムを構築していくことによって、非日系人をも視野に入れた布教へと向かおうとしているとの事実である。これとは対比的に、新宗教の天理教(宗教者の現地での世襲が多い)と金光教(宗教者の日本からの派遣が多い)はともに、エスニック・チャーチの特徴を色濃く残していることを、著者はさまざまな資料から明らかにする。
 本論文の結論部にあたる終章においては、まず各章の要約が示されたうえで、近現代の日系宗教のハワイ布教の特質が、2つの位相において結論づけられる。
 著者によれば、ハワイ日系宗教を〈マクロ—メゾ・レベル〉の位相において見るとき、その特徴は以下のように整理される。すなわち、第二次大戦前にあってはアジアに次ぐ副次的な布教対象の地域にすぎなかったハワイは、日本の敗戦によるアジア植民地地域の喪失によって、大戦後になると布教地域としての存在感を相対的に高めることとなった。とはいえ、ハワイの日系移民社会は宗教多元主義的状況下で、著者の用語に言う「エスニック宗教市場(ethnic religious market)」ともいうべき様相を呈しており、そのなかで日系宗教の大半の教団は、一定のアメリカ化を進めていったものの、一般社会レベルの宗教市場における非日系人信者の獲得には成功しなかった。また、世代交代の進展にともない、既存の日系人信者のコミットメントも低下傾向にあった。他方で、ハワイ社会の宗教市場で「成功」していったのは、大戦後にハワイ布教に本格的に着手した「新手」の日系新宗教の一部のみであった。
 次に、ハワイの日系宗教の〈メゾ—ミクロ・レベル〉の位相についても、ハワイへと越境した日系宗教の日系移民信者たちが有してきたメンタリティをめぐって、近代社会に生きる人びとが抱く「ノスタルジア」という視点から検討がなされた。バーガーやR・ロバートソンを参照しつつ、著者は、近代という時代において多くの人びとが「故郷喪失(homeless)」状況へと追いやられ、そこでは失われた安住の地を求めるノスタルジアのメンタリティが共有されてきたと指摘する。その際、現実に故郷を離れて海外へと渡っていった近代の移民たちのメンタリティには、こうした「故郷喪失者」たちのノスタルジアがより先鋭に現れていると著者は見る。こうしたなかで、著者によれば、移民社会におけるマジョリティの宗教集団である既成仏教教団では、ホームランドやエスニシティに関わる集合的なメンタリティに密接に関与する傾向が強いのに対し、日系新宗教のようなマイノリティである宗教集団は、必ずしもそうした性格を有するものではないとの事実が確認される。
 論文の最後において著者は、越境する集団の「ノスタルジア」という視点を糸口にして、これまでの移民研究そのものが抱えていたある種のノスタルジアのメンタリティを指摘するとともに、ハワイの日系宗教に関する著者自身の宗教社会学的研究の前提となるメンタリティをも反省的に考察する。そのうえで著者は、「宗教と社会」をめぐる諸問題に取り組む研究一般に対して、「宗教の海外布教」や「宗教と移民」といった問題群が、生産的な反省性と思索の深化に貢献する可能性をもつものであることを結論づけた。
 なお本論の2箇所には補論が、また論文末尾には2つの補遺が付されており、本論で取り扱われたなった神社神道およびキリスト教についても論及がなされ、ハワイの宗教的多元性への目配りがなされているほか、本論文で重要な理論的支柱となっているP・バーガーの社会学説の構造と意義とが論じられている。

本論文の成果と問題点
  
 本論文は、明治期に始まった日系ハワイ移民と宗教との複雑な関わりを、長い時間スケールと、諸宗教をカバーする幅広い視座のもとに解明した労作である。その主たる成果としては、以下の諸点を挙げることができる。
 第1にその構想の大きさと、議論の綜合性とも言うべき特徴である。これまで日系移民社会と宗教との関係を論ずる研究は種々存在した。しかしそれらのほとんどは、ハワイなり南米なりの移民社会の一時期を取り扱ったものか、あるいは特定の宗教集団と移民社会との関わりに焦点をあてて論じたものであった。それに対して本論文は、ハワイ日系移民の最初期から現代に至る長い歴史スパンをカバーし、また仏教および新宗教の諸集団を幅広く議論の対象としている。また本論はこうした構想の大きさのみでなく、移民社会の諸問題と宗教の社会学的諸問題との複雑な関係を、マクロ・メゾ・ミクロの諸レベルにおいて、全体的に論じようとの綜合的な視点を具えており、この意味でも高い評価に値する。
 第2に、移民研究と宗教社会学的研究両者のこれまでの成果を十分にふまえたうえで、ハワイ日系移民と宗教という主題においてこれら両者の研究視座を結びつける研究成果を達成したことは、大きな成果である。これまで移民研究では、宗教という主題はどちらかと言えば後景に退くか、あるいはもっぱらそのエスニシティと関わる機能のみが議論の対象となりがちであった。他方で宗教社会学的な移民宗教研究においては、現代の移民研究の明らかにした諸問題が十分に反映されているとは言いがたかった。本論文はこれら両者を媒介するような論証を展開しており、この点で注目に値する。
 第3に、こうした複眼的な視座から論じられたことから、従来は比較的単純化して語られがちであった移民社会と宗教との関わりの複雑さや多様性が明らかにされたことも、本論文の大きな成果であろう。文書資料から聞き取り資料に至る多様な資料に基づき、また「ホームランド」や「メンタリティ」に注目しつつ、さらに「エスニック宗教市場」などのオリジナルな分析概念を用いてなされた本書の議論は、移民社会における宗教性のあり方が、複数の故国という移民のおかれた状況を背景に、またその時々の歴史的事情とも絡みながら、多様なベクトルをもった現象として移民社会において具体化したことを明らかにしており、この点は移民研究にとっても、宗教社会学にとっても、非常に重要な学問的貢献をなすものと言うことができる。
 さて、本論文の成果は以上に尽きるものではないが、同時にまた幾つかの問題点も指摘できる。第1に、対象となる現象が多様であることにも由来するのではあるが、鍵となる「ホームランド」や「メンタリティ」や「多元性」などの概念が、いささか多義的に用いられており、もう少し綿密な概念規定がなされてもよかった。また第2に、本論も移民社会と宗教との関わりを主眼とすることから、エスニック・チャーチとしての宗教集団の機能に宗教の役割をめぐる議論が集約されがちであった。例えば宗教の救済論的機能など、宗教の他の機能への論及がより豊富になされてもよかった。第3に、移民研究との関連で言えば、越境性やトランスナショナリズムに関する近年の議論がより以上に参照されたならば、移民社会とホームランドとの宗教を介した複雑な関係のあり方を解明する糸口がさらに与えられたであろう。とはいえ、もとより以上のような問題点については著者もよく自覚しており、今後の研究のなかで克服されていくものと思われる。
 以上のことから、審査員一同は本論文が当該分野の研究に大きく貢献したと認め、高橋典史氏に対して一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2011年5月18日

 2011年4月26日、学位論文提出者高橋典史氏の論文について最終試験を行った。試験においては、論文「近現代ハワイにおける日系宗教の展開と故国『日本』」に関する疑問点について審査員から説明を求めたのに対して、高橋典史氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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