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博士論文審査要旨

論文題目:共同的女性と作動的女性に対する偏見の検討 -両立型女性が示す偏見に注目して-
著者:髙林 久美子 (TAKABAYASHI, Kumiko)
論文審査委員:村田 光二・稲葉 哲郎・安川 一 ・佐藤 文香

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1.本論文の構成
 本論文は、女性による女性への偏見という現象に注目し、それに関する社会心理学研究を展望した上で、今後増加することが予想される家庭と仕事を担う両立型女性が、同性の女性に対して示す偏見について実証的に解明したものである。筆者は、両立型女性の同性の女性に対する偏見を予測するためには、その自己表象の内容と機能に注目する必要があると主張し、両立型女性の状況依存的な自己について仮説を提示し、3つの実験研究により検証している。さらに、そのような両立型女性の状況依存的な自己が、同性の女性への偏見に影響することを別の3つの実験で明らかにしている。その上で、本研究の成果をまとめ、問題点を考察し、両立型女性が示す女性への偏見の低減に対して効果的な方略について論じている。その構成は以下の通りである。

第Ⅰ部 問題と目的
序章 はじめに
第1章 女性に対する偏見
  1.1 ジェンダー・ステレオタイプの諸相
  1.2 共同的女性に対する偏見と作動的女性に対する偏見
  1.3 共同的女性と作動的女性のステレオタイプ
第2章 女性が女性に対して示す偏見
  2.1 女性は女性に対して偏見を示すのか
  2.2 なぜ女性は女性に対して偏見を示すのか
  2.3 現実に見られる女性間の偏見
  2.4 どのような女性が女性に偏見を示すのか
  2.5 本稿で注目する女性:両立型女性
第3章 両立型女性の自己表象
  3.1 自己の表象とその機能
  3.2 社会的アイデンティティ
  3.3 自己表象の中の内集団ステレオタイプ
  3.4 両立型女性の自己表象の検討:仮説1の提示
第4章 両立型女性が女性に対して示す偏見
  4.1 社会的カテゴリー化と偏見
  4.2 状況依存的に示される偏見
  4.3 両立型女性が女性に対して示す偏見の検証:仮説2の提示
第Ⅱ部 実証的検討
第5章 研究1:両立型女性の自己表象の実証的検討
  5.1 問題
  5.2 研究1の概要
  5.3 研究1A
  5.4 研究1B
  5.5 研究1C
  5.6 研究1の結果のまとめ
第6章 研究2:両立型女性が共同的女性と作動的女性に対して示す偏見
  6.1 問題
  6.2 研究2の概要
  6.3 研究2A
  6.4 研究2B
  6.5 研究2C
  6.6 研究2の結果のまとめ
第Ⅲ部 総合考察
第7章 総合考察
  7.1 実証的検討のまとめ
  7.2 両立型女性が女性に向ける偏見の低減への示唆
  7.3 偏見とステレオタイプ化の関係への示唆
  7.4 本稿の限界と今後の展望
  7.5 終わりに


2.本論文の概要
 第Ⅰ部の「はじめに」では、「負け犬論争」など女性間の対立を社会心理学の社会的認知の領域における偏見の問題として捉え、検討していくと論じられる。そして、偏見を「好き-嫌い」という評価や感情を伴った反応として捉え、それと関連するステレオタイプをある集団に対する過度に一般化・単純化された信念と定義して議論を開始する。
 第1章では、女性に対する偏見とステレオタイプに関する先行研究を概観し、女性に対する偏見には、保守的な性役割を維持する機能を果たす2つの形態があることを指摘する。ひとつは「作動的女性」に対する反感や嫌悪に基づく「敵意的偏見」である。もうひとつは、「共同的女性」に対する賞賛や慈愛に基づく「好意的偏見」である。本論文では、作動的女性とは、従来男性が就くことが期待されており、作動性を必要とする非伝統的性役割に就いている、もしくはそのような役割に就くために作動的に行動する女性と定義される。他方、共同的女性とは、従来女性が就くことが期待されており、共同性を必要とする伝統的性役割に就いている、もしくはそのような役割に就くために共同的に行動する女性と定義される。そして作動的女性のステレオタイプは「共同性は低いが、作動性は高い」という、共同的女性のステレオタイプは「作動性は低いが、共同性は高い」という両面価値的な内容になることが指摘される。
 第2章では、女性に対して偏見を向ける側に焦点が当てられている。これまでの研究では、共同的女性への好意的偏見と作動的女性に対する敵意的偏見には性別による差がほとんどなく、女性も男性と同様に女性に偏見を示すことが多くの研究で報告されていると指摘する。このような女性による女性への偏見を理解するためには、どのような女性が、どのような内容の偏見を女性に向けるのかという、偏見を向ける側の女性についてさらに詳しい検討が必要だと主張する。そして、この論文では、両立型女性が女性に対して示す偏見に注目すると論じられる。ここでの両立型女性とは、家庭などの伝統的性役割と仕事などの非伝統的性役割を担い、伝統的性役割においては共同性を、非伝統的性役割においては作動性を発揮することが期待される、もしくは実際に発揮している女性のことである。
 第3章では、両立型女性が抱く偏見を検討するためには、両立型女性の自己表象の内容とその機能を明らかにする必要があると述べる。そして、長期記憶内の自己知識の連合ネットワークモデルに依拠して、両立型女性の自己表象が記述される。連合ネットワークモデルでは、自己に関する多様な知識は相互に結びつき、状況に応じて関連ある自己知識が活性化し、使われやすくなると仮定される。これに基づくと、両立型女性の自己表象には、共同的女性としての自己と作動的女性としての自己という2つの自己が含まれていて、それらの2つの自己は状況に応じて使い分けられているだろうと想定できる。特に、共同的女性としての自己と作動的女性としての自己は葛藤しているために、一方の自己が活性化すると、他方の自己は抑制されるだろうと指摘する。そして、共同的女性としての自己が顕現化すると、それに連合している共同的女性のステレオタイプが活性化するため、「共同性が高く、作動性が低い」という観点から自己を評価しやすい。他方、作動的女性としての自己が顕現化すると、それに連合している作動的女性のステレオタイプが活性化するため、「共同性が低く、作動性が高い」という観点から自己を評価しやすいだろう。このように、両立型女性において顕現化した自己によって、共同性と作動性についての自己評価が反対方向に異なるという仮説1が導かれる。
 第4章では、両立型女性が女性に対して示す偏見について、内集団-外集団間の社会的カテゴリー化の機能をもとに検討がなされる。まず、社会的カテゴリー化が、内集団には有利で、外集団には不利な認知や態度をもたらすことを示した先行研究が紹介される。第3章の議論によれば、両立型女性においては、共同的女性としての自己と作動的女性としての自己のいずれか一方のみが、状況に応じて顕現的になる。そうすると、状況に応じて内集団/外集団のカテゴリー化も変わるので、状況依存的に偏見の対象が異なると予測される。すなわち、共同的女性としての自己が顕現的な場合には、共同的女性は内集団、作動的女性は外集団としてカテゴリー化される。他方、作動的女性としての自己が顕現的な場合には、共同的女性は外集団、作動的女性は内集団としてカテゴリー化される。よって、両立型女性の共同的女性と作動的女性に対する偏見は、顕現化した自己に応じて異なるという仮説2が導かれる。
 第5章では、両立型女性の自己表象の内容と機能について予測された仮説1について、3つの実験研究を実施して検証を行った。いずれの実験も、実験参加者に、共同的女性としての自己もしくは作動的女性としての自己のいずれかを顕現化させる実験操作を行った。そして、自己にステレオタイプを当てはめる程度を測定するため、作動性と共同性の観点から構成された複数の特性語について自己評定させた。研究1Aでは、仮説1と一致した平均値パターンが認められたものの、統計的に有意な交互作用効果は得られなかった。その原因として自己の顕現化の操作が弱かったという問題と、両立型女性を特定できていなかったという問題が考えられた。そこで研究1Bと研究1Cでは、共同的女性もしくは作動的女性としての将来の自分を想像してもらうことによって、自己の顕現化の操作を行った。その結果、研究1Bでは、想像が容易だった実験参加者では仮説1を支持する交互作用効果が有意であり、共同的女性としての自己が顕現化した条件で、作動的女性としての自己が顕現化した条件よりも、共同性が高く作動性は低いと自己評定することが示された。この結果は、もともと家庭志向の女性は共同的女性を想像しやすく、キャリア志向の女性は作動的女性を想像しやすいので、その人たちがステレオタイプに一致した自己評価を行っていたという代替説明が当てはまる可能性がある。これを排除するために、研究1Cでは、実験前に実験参加者の性役割志向を平等主義的性役割観尺度により測定し、研究1Bと同様の実験を行った。その結果、性役割志向の個人差と想像のしやすさには有意な相関が認められなかったため、もともとの実験参加者の性役割志向が結果に影響を与えた可能性は小さく、代替説明が成り立つ可能性は低いと考察された。
 第6章では、両立型女性が女性に対して示す偏見について予測された仮説2について3つの実験研究を実施して、検証を行った。いずれの実験においても、実験参加者には、想像課題によって、共同的女性としての自己もしくは作動的女性としての自己のいずれかを顕現化させた。その後、架空の共同的女性(専業主婦)と作動的女性(キャリア女性)の簡単なプロフィールを提示し、そのターゲット人物の印象をポジティブな特性とネガティブな特性を含んだ特性語を用いて印象評定をしてもらうことによって偏見を測定した。この研究では、共同的女性と作動的女性のネガティブ-ポジティブ評価の差異を偏見の指標としている。研究2Aでは、想像が容易にできたとする実験参加者において仮説2と一致する平均値パターンが認められた。しかし、交互作用効果は有意ではなく、仮説2は支持されなかった。その原因として、提示したターゲット女性があいまいであった点を指摘して、研究2Bと研究2Cでは、ターゲット女性が共同的女性/作動的女性であることを明確にするように情報を変更したうえで、再度実験を実施した。その結果、研究2Bでは想像課題において想像が容易であった者において、仮説2を支持する交互作用効果が有意であり、顕現化した自己によって共同的女性に対する偏見と作動的女性に対する偏見は異なっていた。研究2Cでは、想像の容易・困難に関わらず、仮説2を支持する交互作用効果が有意であった。さらに研究2Bと研究2Cともに、ターゲットが専業主婦の場合には、共同的女性としての自己が顕現化したときよりも作動的女性としての自己が顕現化したときのほうがネガティブに評価されることが示された。他方で、ターゲットがキャリア女性の場合には、顕現化した自己による評価の差異は認められなかった。これらの結果は仮説2のとおり、共同的女性と作動的女性に対する両立型女性の偏見は、顕現化した自己によって異なるが、特に共同的女性に対する偏見の場合に影響があったことを意味している。顕現化した自己によって作動的女性に対する偏見が異ならなかったことに対して筆者は、ターゲットのキャリア女性が実験参加者に作動的女性の典型として捉えられていなかった可能性と、作動的女性に対する近年の社会的評価の高まりにより偏見が抑制された可能性について論じている。
 第3部の第7章では、一連の実証的研究の結果を要約した上で、両立型女性が示した状況依存的な偏見表出の問題が、社会心理学の社会的アイデンティティ研究の文脈に即して理論的に検討された。下位の個別集団成員としてのアイデンティティを保ちながら、上位の共通内集団アイデンティティを発展させることによって、個別集団間の対立や葛藤、そして偏見の問題を解決する可能性について議論がなされた。また、この議論をもとに、現実場面で両立型女性が他の女性に示す偏見を低減するためにどうしたらのよいのか、応用を目指した検討がなされた。そして、家庭と仕事の両立を社会が保証していくことが、両立型女性が偏見を示さないようにするという点においても非常に効果的であると述べている。


3.本論文の成果と問題点
 本論文は、家庭と仕事を担う両立型女性が同性の女性に対して示す偏見について、両立型女性の自己表象のあり方と機能という観点から検討を進め、実験研究の成果をもとに論じたものである。本論文の成果と意義として、次の3点を指摘できる。
 第一に、これまでの社会心理学において女性に対する偏見の研究は、男性が女性に対して示す偏見に焦点が当てられることが多かったのに対し、本論文は、女性のライフコースが多様化し、女性内部での差異が広がった結果、女性も女性に対して偏見を示しうることを論じて、それを実証的方法で示したことである。女性による女性への偏見を検討した実証的研究が少ない中で、本論文は自己表象のあり方と機能という新しい視点を導入した点で意義があるだろう。
 第二の貢献は、近年、労働力の担い手として社会的期待が高まりつつある両立型女性に着目し、その女性が抱えるだろう心理的問題、すなわち共同的女性としての自己と作動的女性としての自己の葛藤の問題について論じ、その葛藤ゆえに生じると考えられる状況依存的な自己の機能について実証的に示したことにある。研究1では、両立型女性において、共同的女性としての自己が顕現化した者は、作動的女性としての自己が顕現化した者よりも「共同性が高く、作動性が低い」という共同的女性ステレオタイプと一致した自己評価を行うことを示した。これは、両立型女性が作動的女性としての自己と共同的女性としての自己を同時に活性化させるのではなく、状況に応じて暗黙に切り替えていることを意味している。両立型女性が葛藤する2つの自己をどのように調整しているのかを示した本研究は、今後、増加が予想される両立型女性を理解していく上で重要な知見を提供しているだろう。
 さらに、そのような両立型女性の状況依存的な自己の機能が、同性の女性に対する偏見につながることを、心理学実験を通じて実証したことが第3の貢献である。両立型女性は、共同的女性としての自己と作動的女性としての自己の両方を自己表象に含んでいると考えられるため、共同的女性と作動的女性の両方に好意を示すとも考えられる。しかし研究2では、これに反して、両立型女性は顕現化した自己に応じて女性に偏見を示すことを明らかにした。具体的には、共同的女性としての自己が顕現化したときよりも、作動的女性としての自己が顕現化したときに、共同的女性に対してより偏見を示すことを明らかにした。一人の人間においても、顕現化する自己に応じて偏見を向ける対象が異なることを示した実証的知見が少ない中で、両立型女性を対象に状況依存的な偏見を示した本研究の知見は、理論的にも実践的にも意義があるといえるだろう。
 本論文は以上の成果が得られているものの、問題点が残されていないわけではない。まず、研究で用いられた概念の理論的検討が不十分で、定義があいまいな点が認められる。例えば、作動的女性をジェンダー・ステレオタイプに不一致な女性、共同的女性をジェンダー・ステレオタイプに一致する女性と論じられているが、ジェンダー・ステレオタイプも共同性と作動性から定義していて同語反復になっているだろう。また両立型女性も多様であることが想定されうるが、実際にどのような両立型女性を研究対象としているのかについて、十分な議論がなされていない。さらに、両立型女性を研究対象としているのにもかかわらず、女子学生を実験参加者にして実験を実施している点は、本論文の大きな限界であろう。そのことが原因で、実験の中では両立型女性を特定する必要が生じ、想像の容易だった者を両立型女性と考えているが、実際には片方の自己しか想像させていない者を両立型女性とできるかどうか、疑問が残る。今後は、実際の両立型女性を実験参加者として検討していくことはもちろんのこと、女子学生を実験参加者にしたとしても、両立型女性であるという十分な根拠を示した上で、それらの女性の偏見について検討していく必要がある。
 とはいえ、これらの問題点は本論文の学術的価値を損なうものではないし、筆者自身が、その問題点を明確に自覚し、今後の研究の積み重ねによって解決していこうとするものである。著者の研究のさらなる進展に期待したい。

最終試験の結果の要旨

2011年2月9日

 2011年1月5日、学位請求論文提出者・高林久美子氏の論文についての最終試験を行った。本試験において、提出論文「共同的女性と作動的女性に対する偏見の検討-両立型女性が示す偏見に注目して-」に関する疑問点について審査委員が逐一説明を求めたのに対し、高林久美子氏はいずれも充分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は、高林久美子氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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