博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:戦後期の日本における消費財デザインのモダニズム研究 ――ポストモダンとの関係に注目して――
著者:小川 勝 (OGAWA, Masaru)
論文審査委員:岩佐 茂・久保 哲司・嶋崎 隆・安川 一

→論文要旨へ

1 本論文の構成
 本論文は、消費財デザインにおける戦後モダニズムを、グッドデザイン運動、『リビングデザイン』、世界インダストリアルデザイン会議などの典型的な資料の検討をとおして、系統的に論じたものである。
 本論文の構成は、以下の通りである。

序章 デザインにおける戦後モダニズム研究の流れ
 第1節 はじめに
 第2節 1950~60年代の回顧
 第3節 1970~1980年代の評価
 第4節 デザイン史研究の紹介
 第5節 社会的観点による近年のデザイン分析
 第6節 美術館・博物館による近年のモダニズム評価
 第7節 おわりに――本稿の流れについて――
 付表1 最近のデザイン関連展覧会
第1章 商品の「機能」と近代デザインにおける「機能主義」
 第1節 はじめに
 第2節 商品の機能
 第3節 近代デザインの「機能主義」
 第4節 おわりに――機能と目的意識――
第2章 1950年代における日本のグッドデザイン運動
 第1節 はじめに
 第2節 資料について
 第3節 芸術とデザイン
 第4節 産業に対する問題意識
 第5節 消費者認識のあり方
 第6節 「グッドデザイン」とは何であったのか
 第7節 デザインの美意識と消費者の生活
第3章 消費財デザインにおけるモダニズム実践の難しさ
      ――『リビングデザイン』を読む――
 第1節 はじめに
 第2節 『リビングデザイン』
 第3節 編集者の理想―創刊号
 第4節 読者
 第5節 『リビングデザイン』の対応
 第6節 おわりに
第4章 デザインにおける戦後モダニズムとポストモダン
      ――世界インダストリアルデザイン会議・京都大会を中心に――
 第1節 はじめに
 第2節 世界インダストリアルデザイン会議
 第3節 京都大会のテーマ
 第4節 京都大会の議論
 第5節 おわりに
結論

2 本論文の概要
  各章の概要は以下のとおりである。
 序章「デザインにおける戦後モダニズム研究の流れ」では、著者は、1953年に設立された日本デザイン学会の学会誌『デザイン学研究』を中心に戦後のデザイン研究の流れを振りかえりながら、デザインにおける戦後のモダニズムがどのようなものであったのかを問う必要性を提起する。1950~60年代は、デザインにかかわる人材の育成、社会への啓蒙、モダニズムの推進に力が注がれてきたのにたいして、戦後のデザインのあり方が回顧されデザインにおけるモダニズムの特徴が論じられるようになるのがようやく1970~80年代のことであることが、デザインにかかわった人たちの言説から明らかにされる。1970~80年代は、大衆消費社会が登場しポストモダンが議論されるようになった時期と重なっており、デザインにおけるモダニズムもポストモダンとの関係で議論される傾向にあったのにたいして、著者は、商品の作り手と受け手を結びつけるデザインの営みに注目し、1950~70年代までの具体的な資料にもとづいて、モダニズムの取り組みを考察することを本論文の課題として設定する。
 第1章「商品の『機能』と近代デザインにおける『機能主義』」では、近代デザインの特徴である機能主義が取り上げられる。モダニズムは、機能主義が生活の向上や人間らしさ、美的なものにつながるとみて、機能主義を重視する。1970年代後半以降、ポストモダンの消費社会論が商品をその機能との関連でとらえるよりもシンボルとしての商品の意味づけをする傾向が顕著になっていくのにたいして、著者は、そのようなポストモダンの議論に与するのではなく、機能主義が日本のデザインに取り入れられた1950年代にまで遡って、近代デザインにおける機能主義がどのように受けとめられ、デザインに生かされてきたのかを、剣持勇や勝美勝らのデザイナーや評論家の言説によって検証している。1950年代に日本に欧米の近代デザインの機能主義が紹介されたときには、すでに欧米で起こっていた機能主義批判も紹介されていた。そのような状況のもとで、デザインにかかわる人たちが、西洋の近代的生活様式を取り入れ生活様式の近代化を目指して、デザインに一定の指針を与えるものとして機能を重視した。モダニズムの核心をなす機能主義は生活の向上や人間らしさ、美的なものにつながるからである。そのことを見据えながらも、勝美勝らは、機能主義万能のデザインが産業家や技術偏重の機能性重視に陥って、機能がかならずしも人間らしさや美的造形につながっていないこと、そうなるのは消費者を取り込んだデザイン実践をしていくことが不十分なためであるといった議論を展開した。著者は、勝美勝らの言説を紹介しながら、機能主義にたいする一定の批判的視点をもちながらも、「社会や消費者のために」という視点から機能主義を重視した戦後モダニストたちの「複雑な立ち位置」を指摘する。
 第2章「1950年代における日本のグッドデザイン運動」では、1950年代のグッドデザイン運動やその成果である世界デザイン会議(1960年)の資料、『美術手帳』の特集(第176号、1960年)、産業工芸指導所発行の『工芸ニュース』にもとづいて、美術家・建築家・デザイナー・評論家・研究者ら、戦後モダニズムの担い手たちの、社会や消費者にたいする立ち位置が考察される。アメリカから入ってきたグッドデザイン運動は、1950年代に活発におこなわれた。その中心になったのが、産業工芸指導所のメンバーや出身者である。著者は、『工芸ニュース』や『美術手帳』などにおけるデザインにかかわる人たちの言説を取り上げながら、個性の表現としての芸術と社会のなかで使用される物の製作にかかわるデザインとの違いや、売り上げを重視する企業や保守的な生活態度をもつ消費者を啓蒙していくデザイナーの役割が当時どのように議論されていたのかを論じている。グッドデザイン運動をとおして示された良いデザインの基準が「材料・構造の性質に忠実であれば、物が丈夫であり、単純で分かりやすく、価格が安くなり、かつ美しい」ということであったと、著者はまとめている。
 第3章「消費財デザインにおけるモダニズム実践の難しさ――『リビングデザイン』を読む――」では、雑誌『リビングデザイン』(1955~58年)を中心に、デザイナーと消費者の関係が考察される。『リビングデザイン』は、生活や産業の近代化を進めていた戦後モダニストたちが中心となって創刊され、海外のデザイン雑誌の記事をも紹介しながら、産業界や消費者にたいして積極的にデザインのあり方を提唱した。著者は、『リビングデザイン』を戦後モダニストのデザイン運動の雑誌とみている。創刊号では、リビングデザインを「生活の中にあるものの造形」としてとらえ、日常生活とデザインとを結びつける視点から、デザイナー・消費者・産業界に向けた積極的な提言をおこなっている。また第2号から第17号まで掲載された「編集者への手紙」では、読者の反応・投稿が取り上げられているが、そこでは、『リビングデザイン』に好意的でない意見も掲載されている。それをみれば、読者の反応がかならずしも良いものばかりではないことがわかる。例えば、実生活に役立つようにするという試みにたいしては「通俗的」、モダニズムの追求ということにたいしては「高踏的」という、相反する読者の声が寄せられている。「編集後記」や「編集者への手紙」には、デザインにかかわった戦後モダニストの理想と現実のギャップを埋めることの難しさがよくあらわれており、著者は、『リビングデザイン』の雑誌が短命に終わったのもそのためであるとみなしている。
 第4章「デザインにおける戦後モダニズムとポストモダン――世界インダストリアルデザイン会議・京都大会を中心に――」では、国際インダストリアルデザイン協議会の大会として1959年から2年ごとに開催されている世界インダストリアルデザイン会議の議論が、会議への参加者の言説とともに考察される。世界インダストリアルデザイン会議の変遷をみれば、デザインへの関心がデザイン環境の変化のなかで、産業のルールづくりから、消費者への啓蒙活動、科学への傾斜へと変わってきたことがわかる。著者はその変遷を跡づけたうえで、1973年に開催された第8回京都大会が一つの節目となっていることに注目する。ポストモダンにかんする言説はまだないものの、梅棹忠夫の基調講演やボードリヤールの記念講演は、西洋の近代合理主義の見直しへ関心が移ってきたことを示すものとなった。また、1960年に京都で開催された世界デザイン会議と1973年の京都大会の両方に参加した勝見勝、亀倉雄策らの言説も、ポストインダストリアルソサエティや西洋の近代合理主義の相対化につながるものとなっている。著者は、デザイン環境の変化のなかで、デザインにかかわる戦後モダニストの立ち位置に変化が見られることを明らかにするとともに、京都大会では、デザイナーと消費者の垣根を低くして、両者が互いに協力し合う方向が出てきていることを評価する。
 「結論」では、戦後モダニストによるデザイン実践を作家論・作品論のレベルを超えて系統的に考察することによって、消費者や生産者とのかかわりで、デザインにかかわる戦後モダニストたちの複雑な立ち位置や「揺れ」をみることができることが再確認されて、本論文は閉じられる。

3 本論文の成果と問題点
 本論文の成果として、以下の諸点があげられる。
 本論文の成果は、第一に、日本における戦後のデザイン史研究が未だデザイナーの作家・作品論のレベルにとどまっているような状況にあるなかで、本論文は「機能」「消費者」「啓蒙」など、モダニズムのキーワードの把握を重視して、戦後モダニストたちによる消費財デザインがどのように変遷してきたのかを系統的に論じていることである。作家・作品論は誰が、いつ、何をしたのか、という詳細な事実は明らかになるが、そうした事実や作家がとった行為の意義などの解釈・評価があまりなされない傾向にある。キーワードを重視した研究は、デザイナーの作家・作品論のレベルを超えてデザイン史を一つの潮流においてとらえることにつながり、デザイン史研究をより深めていく上で重要である。
 本論文の第二の成果は、グッドデザイン運動、『リビングデザイン』、世界インダストリアルデザイン会議など、一定期間継続されたプロジェクトの資料を取り上げて、実証的に研究していることである。そのさい、著者が、デザインにかかわる人たちの言説を丁寧にフォローしていること、『リビングデザイン』研究においては、消費者の投書を取り上げてデザイナーと消費者との温度差にも注目していること、世界インダストリアルデザイン会議の資料では、回を追うごとに会議の内容・関心がどう変わっていったかということだけではなく、この会議に参加した人の言説を以前の言説と比較していることは、本論文の優れた特徴となっている。
 本論文の第三の成果は、機能主義によって特徴づけられるモダニズムの潮流を単線化して描くのではなく、消費財デザインにかかわった戦後モダニストたちの立ち位置や「揺れ」にも焦点を当てた考察をおこなっていることである。デザインにかかわる戦後モダニストたちの「揺れ」は、デザインが消費財のもつ機能を重視して作られるとしても、かれらが機能主義一辺倒ではなく、社会の変化に対応するなかで、社会や消費者に受け入れられる、人間らしさや美的センスをもったデザインをどのようにつくりあげるのかということに心を砕いていることのあらわれでもあるが、戦後モダニストの立ち位置や「揺れ」をも重視した著者の研究は、デザインにかかわる戦後モダニズム研究に厚みを加えるものになっている。
 本論文の問題点として指摘しうることは、第一に、著者は、モダニズムからポストモダンへの変容を、両者をことさら対立させることなく、戦後モダニストたちの立ち位置や「揺れ」のうちに見て取ろうとしているが、記述の拠り所となる概念規定が不十分なために、説得力のあるものになっているとはかならずしも言い難いことである。
 問題点の第二は、グッドデザイン運動、『リビングデザイン』、世界インダストリアルデザイン会議など、一定期間継続されたプロジェクトにおける戦後モダニストの言説を丁寧にフォローすることによって、消費財デザインにかかわる戦後モダニズムがどのようなものであったのかを描き出そうとしているが、それらの言説の掘り下げた分析がかならずしも十分なされてはいないことである。
 審査委員が指摘した問題点の2つはいずれも、論文提出者自身も自覚し、今後の研究課題であると受けとめており、本研究の意義を貶めるものではない。
 以上の理由により、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したものと認め、小川勝氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2010年2月10日

 2010年1月15日、学位論文提出者小川勝氏の論文について最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「戦後期の日本における消費財デザインのモダニズム研究   ――ポストモダンとの関係に注目して――」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、小川勝氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は、小川勝氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

このページの一番上へ