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博士論文審査要旨

論文題目:ハワイ・コリア系移民のアイデンティティに関する歴史社会学的研究〈1903‐1945〉 ―トランスナショナル・アイデンティティの構築―
著者:李 里花 (LEE, RIKA)
論文審査委員:中野 聡・貴堂 嘉之・糟谷 憲一・伊豫谷 登士翁

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Ⅰ 本論文の構成
 
 第二次世界大戦前、「オリエントのアイリッシュ」といわれるほど激しい祖国独立運動を展開したことで知られるコリア系移民は、アメリカ合衆国(以下、アメリカ)における他の移民集団と異なる、祖国志向が強い「きわめて例外的な集団」として扱われがちで、アメリカニゼーションやエスニシティの研究に焦点があてられてきたアメリカの移民研究では本格的に取り上げられてこなかった。一方、近年、ハワイのコリア系移民の歴史は、世界に広がるコリアン・ディアスポラの歴史として注目を集め始めているが、この場合も祖国独立運動揺籃の地としてこれを捉える韓国のナショナル・ヒストリーの延長線上で捉えられる傾向が強かった。これに対して本論文は、20世紀前半(1903年~1945年)のハワイにおけるコリア系移民のアイデンティティ形成の変遷を初めて実証的に検討した歴史研究として、移民初期以来のキリスト教会の役割に注目しつつ、祖国ナショナリズムの盛衰(1910年代?20年代)、「国がない」トランスナショナル・アイデンティティの台頭(1930年代)、第2次世界大戦を契機とするアメリカ国民化・エスニック集団化(1940年代)という、段階的な変遷の全体像を提示した労作である。以下、本論文の構成を示す。

序章 問題の所在
1. 問題関心と研究目的
2. 移民研究の課題:トランスナショナル・アイデンティティ論を中心に
3. 資料と論文の構成

第1章 近代移民としてのハワイ移民
1. 前史:20世紀転換期の朝鮮とアメリカ
2. 移民制度の成立と移民労働者
3. 移民制度の廃止とその後の渡航制限

第2章 「コリアン」の誕生:アイデンティティ形成と集団編成
1.「コリアン」キャンプからの出発
2.ハワイ労働市場の変革の中で
3.集団再編:キリスト教会の奨励

第3章 ナショナル・アイデンティティの発展:祖国独立運動の発展と凋落
1.1910年以前:サンフランシスコの祖国独立運動
2.ハワイにおける祖国独立運動の発展と凋落

第4章 トランスナショナル・アイデンティティの発展:祖国とアメリカの狭間を超えて
1. 出稼ぎ移民から定住移民へ(1):砂糖プランテーションから洗濯屋へ
2. 出稼ぎ移民から定住意味へ(2):写真花嫁と子供の教育問題
3. 民族間関係の変化とアイデンティティの再構築

第5章 「アメリカ人」としてのアイデンティティへ:第二次世界大戦とアメリカ国民化
1. ハワイ戒厳令下で「日本人/敵性外国人」に分類されて
2. アメリカ国民化とエスニック集団化

終章 結論
1. ハワイ・コリア系移民のアイデンティティ形成過程<1903-1945>
2. 移民研究の課題と可能性:トランスナショナル・アイデンティティ論からの問題提起

補論 戦後の移民史をめぐる集合的記憶:コリアン・ディアスポラの歴史として

文献目録

Ⅱ 本論文の概要

 まず序章で、筆者は、2003年に移民百周年を迎えたハワイのコリア系移民の歴史が、「移民国家」アメリカの語りと、祖国独立運動の揺籃の地という韓国のナショナル・ヒストリーの一部として位置づけるというふたつの語りに支配される一方で、実証的歴史研究がこれまでほとんど行われていないことを課題として指摘する。次に本論文が注目するトランスナショナル・アイデンティティ論について、フレキシブル・シティズンシップ(アイワ・オング)、「遠隔地・祖国ナショナリズム」(ベネディクト・アンダーソン)、ホスト国と祖国のナショナリズムの二重性に注目する「間・国家パラダイム」(東栄一郎)などの従来の議論を整理したうえで、「移民のアイデンティティが、ホスト国の外部に向かっているが、それが必ずしも祖国に向かっているわけではない、というケース」に注目する必要性を指摘し、これを「超国家的トランスナショナルな志向」と捉えて、ハワイのコリア系移民において間・国家的志向と超国家的志向がいかなる条件でどのように連動した/しなかったかを本論文における検討課題として提起する。
 次に第1章では、朝鮮におけるハワイの移民制度の成立/廃止過程を考察し、コリア系移民を条件づけた制度的・国際関係的文脈を検討する。ハワイへの移民は、国民国家体制の下で行われた朝鮮で最初の近代移民である。そのため朝鮮で歴史的に行われてきた前近代の出稼ぎ移民と異なり、国境管理や渡航許可制度、渡航証明書携帯といった近代的移民制度の下で行われた。しかしハワイへの移民制度は、日露戦争直前の冷え切った米朝関係の中で、一人の米国公使が秘密裏にハワイの砂糖産業と画策して成立させた制度であるだけでなく、当時のアメリカでは違法とされる内容を含んでいた。本章では、違法な移民制度がどのような経緯で成立し、それがコリア系移民をどう条件づけたのかを明らかにしたうえで、移民制度が廃止された理由と廃止後に朝鮮―ハワイ間の国境を越える移動がどのように制限されたのかを検証している。
 第2章では、移民直後(1900年代)のコリア系移民が自らを「コリアン」と認識するようになったアイデンティティ形成と集団編成の過程を考察する。20世紀初頭のハワイの砂糖プランテーションは、移民集団間の競争と対立意識を利用する経営側の思惑のなかで、出身地を示すカテゴリーが他のどのカテゴリーよりも優先される状況が支配した。本章は、このような社会経済的環境の中で、コリア系移民が自らを「コリアン」と同定し、さらにいかにして同族意識を育んでいったのか、その集団原理の編成過程を考察する。特に注目しているのが、キリスト教会の役割である。筆者は、コリア系移民の多くが移民以前からキリスト教徒だったという説明だけでは、移民が当初形成していた洞会組織(朝鮮の伝統的「ムラ」社会)からキリスト教会へと移行したのかを説明できないとしたうえで、ホスト社会の側が、キリスト教活動の奨励を通じて、コリア系移民をスト破りとして動員利用する思惑から働きかけていた事実に注目し、コリア系移民がキリスト教を中心とした集団を編成していく過程を検証している。
 第3章では、自らを「コリアンである」と認識するようになったコリア系移民が、ローカルな次元の「コリアン」という意識を、どのようにしてナショナルな次元の「コリアン」という意識に結びつけていったのか、移民のアイデンティティがナショナル化していく過程を考察する。筆者によれば、「オリエントのアイリッシュ」と呼ばれ、祖国ナショナリズムが強い集団として知られたコリア系移民は、移民直後から祖国独立運動を活発に展開した集団だと思われがちであったが、実際にはハワイでは1910年代になるまで祖国独立運動の高揚がまったく見られなかった事実を指摘する。朝鮮で教育を受け、「朝鮮人/韓国人」としての意識を強くもっていた運動家と、朝鮮で教育を受ける機会に恵まれず、移民以前にナショナリズムに晒されることもなかった一般の移民の間には、出身階層という面でもナショナリズムという面でも大きな差があった。しかし1910年代にハワイで祖国独立運動が展開し、二人のナショナリストが運動の指導者としてハワイに招聘されると、コリア系移民の間で一気に祖国ナショナリズムが高まり、コリア系移民のアイデンティティはナショナルな様相を帯びていった。この章では、ハワイにおける朝鮮の独立運動が、運動家らが主体となった「上」からの運動であったことと、運動家らが啓蒙する形で、独立運動を契機としてコリア系移民がアイデンティティをナショナルな次元で捉える近代的な発想を獲得していったことを論じる。
 第4章では、祖国独立運動が凋落し、滞在が長期化していく中で、移民のアイデンティティが「国のない」超国家的な意味でトランスナショナルな様相を呈するようになった過程を考察する。これまでの研究では、祖国独立運動に対する関心が失われた1920年代から1930年代において、移民の世代交代とアメリカ化を通じて、コリア系移民のアイデンティティは「コリアン」から「アメリカ人」へと転じたものとして論じられてきた。しかし筆者は、近年発見されあるいは新たに収集された当時の移民の生の声を伝える諸資料および口述史料を活用して、世代交代や民族間関係の変化、移民の経済社会的条件の変化や定住志向の強まりといった諸条件を背景としながら、この時代のコリア系移民のアイデンティティがアメリカニゼーションでは捉えきれない変化を示していたことを明らかにしている。筆者はそれを、間国家的トランスナショナル・アイデンティティの一方でナショナルな枠組を超えた超国家的トランスナショナル・アイデンティティの世界観をも内包していたと指摘している。
 第5章では、第二次大戦中、コリア系移民のアイデンティティが急速に「アメリカ国民化」した過程を明らかにしている。真珠湾攻撃を受けて戒厳令が敷かれたハワイでは、「日本人」移民が「敵性外国人」に分類されたが、ここでいう「日本人」移民の中には、朝鮮半島出身者も含まれたことから、コリア系移民も敵性外国人に範疇化されることとなった。これに対し、コリア系移民は祖国朝鮮のことを語ることによって「日本人」ではないことを主張し、自分たちが「敵性外国人」ではなく「友好的外国人」であると訴えた。しかし祖国を強調した語り口は戦時下アメリカにおけるコンフォーミティーと摩擦を起こす語り口だとみなされてしまいがちで、結果として、コリア系移民の語りは第二次世界大戦下を通じて「アメリカ人」としての誇りと愛国心を強調する語りへと転換せざるを得なくなり、そのためにコリア系としての集団の独自性がナショナルな次元からエスニック(下位集団)な次元のものへと転じていったと論じている。
 終章では、本研究の要旨と重要な論点の総括が行い、あらためて本論文において提起した超国家的トランスナショナル・アイデンティティを、移民のトランスナショナルな位相のみならず、アメリカ国内のナショナルな位相を映し出す方法論として位置づけることができると論じている。
 なお、本論文には移民記念祭(75周年、100周年)を検討した補論が付されている。これは序章で提起した、韓国とアメリカのふたつのナショナル・ヒストリーに回収されたコリア系移民史像を示すために付されたもので、本論の検討対象時期を超える現代を対象とするために補論として位置づけられている。

Ⅲ 本論文の成果と問題点

 本論文の最大の成果として指摘できるのは、2000年以降に発見・発表された、移民の生の声を伝える史料群を活用し、ハワイのコリア系移民史を、アイデンティティ論を軸として初めて実証的に論じることによって、「オリエントのアイリッシュ」から両大戦間期のアメリカニゼーションへという従来の歴史像を大きく修正することに成功している点である。具体的には、(1)移民初期における労働移民の間における祖国ナショナリズムの不在、コミュニティ形成に大きな役割を果たしたキリスト教会におけるホスト社会側の思惑を明らかにし、(2)1910年代の祖国独立運動が知識人による「上から」の運動であり、キリスト教会の活動と切り離せなかったこと、それゆえに運動家たちが上海臨時政府に参加するために次々とハワイを去ると運動は急速に勢いを失ってしまったことも明らかにした。そして、(3)両大戦間期のコリア系移民においてアメリカニゼーションが単純に進んで「コリア」から「アメリカ」へ転じていったわけではなく、「国がない」「キリスト者」といった、一国の枠組みを超えたトランスナショナルな広がりをもったアイデンティティへと変貌を遂げていたことを、この時期の移民の生活世界を通じて明らかにし、(4)「アメリカ国民化」・コリア系アイデンティティのナショナルからエスニックへの下降の契機としての、第二次世界大戦期のハワイ戒厳令下の状況の重要性を明らかにした。第4章における(3)、第5章における(4)の検討は、とりわけ本論文のオリジナルで開拓的な成果として高く評価することができる。
 さらに本論文は、これらの実証研究の成果に基づいて、トランスナショナル・アイデンティティについての新たな理論的課題と取り組み、移住先と祖国いう二つのナショナルなアイデンティティ(間国家的トランスナショナル・アイデンティティ)と、ナショナルな枠組を超えたアイデンティティ(超国家的トランスナショナル・アイデンティティ)の関係性に注目する視点を提示した点も評価できる。この点について筆者は、超国家的トランスナショナル・アイデンティティが、たとえナショナルな枠組とは別の方向に向かったものであっても、ナショナル・アイデンティティと表裏一体となって形成されている―コリア系移民の場合はアメリカというナショナル・アイデンティティが内包する排他性の問題と表裏一体となって形成されていた―ことを指摘し、超国家的トランスナショナル・アイデンティティを、移民のトランスナショナルな位相のみならず、アメリカ国内のナショナルな位相を映し出す方法論として位置づけることができると論じている。
 しかしながら本研究においては、次のような課題が残されている。
 コリア系ハワイ移民史の具体性に富んだ叙述により、筆者の示したアイデンティティ変遷の段階論には説得力が認められる一方で、トランスナショナル・アイデンティティ論についての議論の整理はやや図式的で甘い点が見られる。もとよりアイデンティティ研究において対象となるいかなるアイデンティティも固定的ではなく、移民の生活世界に近づけば近づくほど、人々のアイデンティティの選択はきわめて曖昧であり得るし、ナショナル・アイデンティティの選択も決して画一的・排他的なものではなく、たとえばコリア、アメリカ、日本の間で重層的で矛盾した性格をもち得る。個人的・集合的アイデンティティの錯綜にも注意が必要である。言い換えればアイデンティティ論とは研究者が構築する言語・レッテルという要素が強いのであって、移民の生活世界に寄り添った歴史叙述を本旨とする本論文であるからこそ、アイデンティティ論の整理にはより重層的な視点が必要とされたのではないかと思われる。新史料に基づく議論を展開していることが本論文の最大のメリットであるとするならば、アイデンティティ論もあくまで史料を通じて語るという方法が試みられても良かったのではないか。
筆者が対象とする時期を通じてハワイがアメリカの属領であったことが、日本の植民地を出身地とするコリア系移民にどのような影響を与えたかという点についての検討もより深められるべきであった。アメリカの市民権構造のなかで帰化不能外国人として位置づけられたアジア系移民1世としては、日本人も、またアメリカ植民地人であるフィリピン人もコリア系と同じ立場におかれ、アジアからの人流をハワイにおいていかに統制するかは連邦の移民帰化局にとっても重要な課題であった。ハワイが第二次世界大戦下のアメリカにおいて唯一戒厳令下におかれたこと、すなわち軍事植民地としての特殊性や戦時動員のあり方がコリア系移民の生存戦略に与えた影響についても検討は十分とは言えない。
 コリア系移民史研究および朝鮮史研究の従来の蓄積に依拠せざるを得ない部分があったことはやむを得ないものの、移民の出自・動機に関して検討が不十分であることも、移民の生活世界を具体的に明らかにしようとした本論文のねらいからすると物足りない点である。本論文の主要な検討課題ではないものの、移民募集の政策過程、同時期の朝鮮史、米朝関係史についての通史的な叙述についてもやや検討が不十分と思われる箇所が散見された。祖国ナショナリズムの高揚期における「上から」の知識人の働きかけに対して移民コミュニティの「下から」の反応は受動的なものとして描かれているが、こうした二分法がはたして妥当であったかにも疑問の余地がある。この議論に説得力を持たせるためには、移民社会の実態についての社会経済的分析を深める必要があるだろう。
 もちろん、こうした欠点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、李里花氏自身が十分に自覚しており、今後の研究によって克服されることを期待したい。

Ⅳ. 結論

 審査員一同は、上記のような評価と、2011年1月28日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2011年3月9日

 2011年1月28日、学位請求論文提出者李里花氏の論文についての最終試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文「ハワイ・コリア系移民のアイデンティティに関する歴史社会学的研究〈1903‐1945〉―トランスナショナル・アイデンティティの構築―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、李里花氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は李里花氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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