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博士論文審査要旨

論文題目:教師の生活誌と近代教育―東ドイツ地域における転換期のライフヒストリー―
著者:木下 江美 (KINOSHITA, Emi)
論文審査委員:関 啓子・木村 元・小林 多寿子・嶋崎 隆

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1.本論文の構成

 本論文は、東西ドイツの統合という転換期を生きた教師のライフヒストリーを検討し、旧東ドイツの教師たちの「生きられた教育思想」を読み取った力作である。筆者は、教師がいだく、人の育ちにかんする構想とそれを実現するための実践のアイディアを、「小文字」の教育思想ととらえ、それと、大規模な制度変革を貫く「大文字」の教育思想とのかかわりあいを読みとき、教師の体験するさまざまな葛藤と折り合いの付け方にあらわれる「生きられた教育思想」を動的に描くことに挑んだ。ライフヒストリー法を用いることによって、教師にとっての制度変革の意味を深く掘り起こし、近代教育の問題点を思想のきしみとして聞き取ることに成功した意欲作である。

 本論文の構成は、次の通りである。

目次(凡例、略称一覧、地図を含む)
序章
第1節 近代教育を問いなおす―転換期における「生きられた教育思想」
第2節 「生きられた教育思想」と教師のライフヒストリー
第3節 東ドイツ地域における転換期のライフヒストリー
第4節 研究方法・対象
第5節 本論文の課題と構成
第1章 「DDR教育」の展開とその課題
第1節 ドイツにおける近代教育の成立と展開
第2節 「DDR教育」の構想と展開
第3節 教育研究とその領域
小括
第2章 SBZ・DDR・東ドイツ地域における教育制度の展開とその課題
第1節 SBZおよびDDR前期の教育制度の展開
第2節 DDR後期の教育政策と教育問題
第3節 「転換」をめぐる教育改革と今日的展開
小括
第3章 DDR・東ドイツ地域の教員養成と教師教育
第1節 教員養成制度の展開
第2節 教師継続教育の展開
第3節 教育をめぐる職業と日常
小括
第4章 教育研究者・教師による転換期のライフヒストリー
第1節 真実のなかで生きる―歴史科教授法研究者のばあい
第2節 ジェンダーと政治性のしばり―ロシア語教師・教師教育担当者のばあい
第3節 周辺化される教育実践―ロシア語教師のばあい
第4節 教師であること・校長であること―ドイツ語教師のばあい
第5節 「学校」への回帰?―音楽教師のばあい
第5章 転換期における「生きられた教育思想」
第1節 学校にかかわるということ
第2節 実践への取りくみ
第3節 それぞれの転換点、克服と再出発
小括
終章
 第1節 「生きられた教育思想」を記述する
 第2節 教育社会思想史と比較研究の地平へ
引用・参照一覧

2.本論文の概要
 本論文は、東西ドイツの統合をはさんで1970年代半ばから今日までを、東ドイツ地域の長期的な転換期と捉え、教師や教育研究者の転換期のライフヒストリーを読み解き、近代教育の生成と展開を近代教育の制度の内側から考察する。筆者は、教育にかかわる人々の思想の展開を、社会とのかかわりをもった、制度と向き合った「生きられた教育思想」として記述しようとする。教師たちは、転換期における制度変革と変容する規範や支配的な教育思想と向き合い、葛藤し、さまざまなかたちで折り合いをつけなくてはならない。この教師の体験するさまざまな葛藤と折り合いの付け方に「生きられた教育思想」の様相があらわれているとされる。筆者は、中内敏夫の指摘から示唆を得て、転換期にあっては個別教師の「小文字」の教育思想が大規模な制度変革を貫く「大文字」の教育思想と格闘するとし、その過程で抵抗や妥協や同調などを経て編まれる教師としてのありようを、「生きられた教育思想」として動的に捉え、そこに近代教育の現代的な展開のなかできしむ思想の核を析出しようとする。
 筆者は、ナラティヴ・インタビューの方法を中心にすえ、部分的には同時代的なセルフ・ドキュメントをもちいている。ドイツにおけるナラティヴ・インタビューの特徴は、語り手の回顧的な視点でつむぎ出されるさまざまな<語り>を通じて、語り手のもつ解釈枠組みをそのままとりだし、それを生活誌として解釈することにこだわるところにあるとされる。筆者はとりわけドイツのシュッツェの手法に従って、語り手の意味世界に接近する。
 教師のライフヒストリーを再構成する作業の前提として、筆者はDDR教育・「転換」後の教育をめぐる制度や教育学を、近代教育思想に照らして検討し、「大文字」の教育思想史を理解する。筆者にあっては「小文字」の教育思想史としてのライフヒストリーを「大文字」の教育史とのかかわりで理解するための方法的視角が、「生きられた教育思想」である。
本論文の前半を構成する第1章から第3章は、DDR・東ドイツ地域の教育学および教育制度、教員制度の展開の検討にあてられ、「大文字」の教育史の展開を追う。
 第1章では、筆者は「DDR教育」とはいかなるものかを問い、近代教育への位置づけをさぐり、ソヴィェト教育学とのかかわりのなかで改革教育運動の遺産がどのような意味を持ったかを考察している。第2次世界大戦後の非ナチ化の過程では、改革教育運動ではなく、ソヴィェト連邦で展開する教育学に、新しい教育理論が求められた。とはいうものの、改革教育運動の掲げた教育理念や実践は、DDRにおける教育政策にとって好ましくないものとされながらも、教育研究や日常の教育実践においては、さまざまなかたちで参照されていたことが示される。
 この章で、「DDR教育」と呼ばれたものが19世紀初頭以降1945年までのドイツ近代教育史にみられた思想から知的陶冶の概念を受容していたこと、1945年以降は個人と国家との関係を社会主義国家としてのDDRにかなったかたちで構想していたことが、実証される。筆者は、DDRの教育学がもつ人間像が、近代ドイツにおける教養主義的な人間像から自由ではなかったことを明らかにし、この人間像が訓育的な働きかけのもと、DDRという国家とのかかわりのなかでいかに形成されるべきかに関心が寄せられた結果、DDR教育の特徴が作り出されていったことを説得力豊かに示している。
 第2章では、DDRの教育思想が制度化されるさまを描く。SBZ期から1970年代前半までの教育政策・制度の変容が概観され、そのうえで、先行研究の検討が不十分な1970年代半ばから「転換」にいたる時期の教育政策・制度の展開が示され、ついで「転換」にともなう教育改革とその今日的評価が叙述される。
 「DDR教育」の理念のもとで制度化した学校と、国家の手により計画された青少年組織は、陶冶と訓育の点で相互に独自の役割を引きうけながら、教育制度が掲げる人間像の形成に寄与することをめざしていた。とりわけ、DDRにおいては、訓育の領域が、教育制度の内外で肥大化してゆくことになる。そしてこの過程で、すでに1970年代半ばに、青年の側からはDDRの教育や社会にたいする異議申し立てがおこっていた。ここに、後年の「転換」のモチーフを予感させる動きがあった、と筆者は指摘する。
 とはいっても、筆者によれば、1990年以降の「転換」にともなう教育改革は、圧倒的に「西化」のプロセスとして展開し、当初期待された「DDR教育」の改革としてはおこなわれなかった、という。そのため、「転換」にともなう教育改革は、DDR教育史にたいしては断絶となっており、むしろドイツ連邦共和国(BRD)の教育史との連続性のうえに考察すべきものとして位置づいていることが、指摘される。まさにそのために、今日までつづくドイツの教育問題は、DDRの教育史を参照することなく、いくども議論されている状況にある。
 DDR社会にあった政治的な閉鎖性が大きくかかわっていたため、1970年代後半以降、一方では体制批判勢力が支持を集め、他方では政治的な無関心が生まれることとなったが、「転換」を契機とする教育改革には、1989年秋から盛り上がった民主化要求運動や教育関係者の内部から立ち上がっていた教育課題が反映されたわけではない、と論述されている。
 第3章では、DDRの教員養成制度や教師継続教育制度の展開を追い、つづけて、教育研究者や教師をとりまく職業と生活の状況を検討する。教師や教育研究者がどのような社会層を構成していたか、出自と職務、日常生活が詳しく検討される。
 DDRにおける教師は、「DDR教育」の制度的な担い手として養成され、職能を高める機会もあたえられ、知識人としての社会層を形成したこと、養成と資格付与において区別があったことが明らかにされる。DDRにあっては教師の日常世界において陶冶と訓育の両方が重要な職務であり、課外・学校外の活動に教師は従事していた。しかし、「転換」後にこれらの労働状況は喪失し、教育実践をめぐる価値観を教師は変えざるをえなくなる。また、教育職を失う可能性が大きくなり、以前はあった教育職への支援体制が無くなるという事態に教師は向き合うことになった。
 本論文の後半で筆者は、ナラティヴ・インタビューから個別のライフヒストリーを再構成する。これを検討したのち、教師や教育研究者のライフヒストリーをいくつかの観点に照らしてもういちど読みとき、DDR・東ドイツ地域の転換期の「生きられた教育思想」をとらえる。この作業をつうじて、論文の前半で検討した「大文字」の歴史たるDDRの教育史・教育学が問いなおされてゆくこととなる。
 第4章で筆者は、教育研究者と教師のライフヒストリーを詳細に検討する。語り手たちのライフヒストリーを再構成し、個人史上の課題と特色を明確にしていく。具体的には、ふたりの教育研究者と3人の教師へのナラティヴ・インタビュー、あるいは自分史作品を読みとき、必要に応じて同時代的セルフ・ドキュメントを検討する。こうした作業からそれぞれの語り手がもつ転換期を生きる教師の生きかたや教育実践にかかわる試行錯誤のありようが描かれ、人生への解釈枠組みが取りだされる。
 5人の語り手は、筆者がインタビューをおこなった16人の教師・教育研究者のなかでも、DDRにおける教師継続教育の機会をふんだんに活用していたことに特徴がある。そのため、転換期に無用のものとなってしまう技能や価値観をどのように組みかえてゆくのかが、近代教育制度とのかかわりのうえでもっとも鮮やかに浮かび上がる人物である。
 生きかたがどのように各人の教育構想・実践にかかわっているのか、すなわちそれぞれのもつ生活誌上の解釈枠組みが、各節のまとめとして提示される。
 第5章では、教師や教育研究者のライフヒストリーが横断的にとらえられ、いくつかの観点のもとに対照させる。まず、それぞれの語り手が教職を選ぶまでの時期が検討され、そのうえでそれぞれの語り手が教育の現場でどのような試みをしていたのか、教育実践の内容や形式が洗い出される。ライフコース上の課題・危機とその克服、再出発にかかわる検討が行われ、DDR・東ドイツ地域における「転換」への予感と、そこにあった期待が裏切られ、1980年代半ばから構想されていた新しい教育は破綻し、頓挫していく。この事態が細やかに描かれる。
 ライフヒストリーという「小文字」の歴史によって、近代教育を内側から描こうとするとき、DDR教育史という「大文字」の歴史はどのようにとらえなおされるのか。筆者によれば、両者をつなぐ視点こそ、教師と教育研究者によって「生きられた教育思想」である。ここにみられる抵抗と改革への契機は、政策・制度にたいしてなにをいわんとしたものなのか。そこに、近代教育を問いなおすためのヒントがある、と筆者は指摘する。
 終章では、転換期のライフヒストリーを手がかりとした「生きられた教育思想」によって、従来の研究でとられてきた時期区分や教育関係のありようがどのように相対化されるのかという点が示される。つづいて、転換期東ドイツ地域の「生きられた教育思想」を読みとくことで、近代教育がどのように批判的に考察されうるか、転換期に聞こえてくる近代教育思想のきしみが考察される。
 DDRの教師たちは、DDRが提供した機会均等などの制度的恩恵をどれほど受けたかによってDDRへの意識は異なる。しかし、一致する点もある。それは、日常生活世界にあった連帯や友人関係、教師どうしの密な関係である。教育従事者としてのこだわりは、これだけではない。ナラティヴ・インタビューのなかから浮上する解釈枠組みと、さまざまなセルフ・ドキュメントとのつきあわせにより再構成されたライフヒストリーは、今日までつづく転換期における教師たちの試行錯誤のありようを、譲りがたい理念の絡み合う一本の糸として示すものである。このことが浮かびあがる。
 DDRにあった機会均等の学校制度とは異なる分岐型の中等教育制度は、DDRの教師にはなじみがない。また、「DDR教育」の特徴である陶冶と訓育の重視と教師による両職務の遂行は、一方ではよりよさの徹底的追求という限りにおいて近代教育的であっても、もはや求められてはいない。「転換」によってDDRの教師たちが得たものは、彼・彼女たちが「転換」を予感しつつ、改革に求めていたものではない。DDRの教育制度への改革要求は、社会主義の、あるいはSED(社会主義統一党)レジームのイデオロギー伝達という拘束性によってDDRの教育制度が「ゆきづまっている」、「本来あるべきようには機能していない」ことへの教育研究者や教師たちの気づきにもとづいていたわけで、教師たちは生徒たちの変化を実感しつつ、1980年代半ば学校の内部で、また知人とともに、状況を民主的な方向へと打開するため、自分たちになにができるのかを議論し、「より民主的な社会主義」、「DDRをよくする」といった目標のもと、日常実践のなかで試行錯誤をつづけたのである。こうしたこだわりは「転換」後も譲りがたいが、それを消し去らなければ、その教師は周辺化される状況が続いている。近代教育思想に照らし、制度を内側で担う教育実践者から発せられる不協和音とそれとの葛藤が、近代教育の問い直しの契機として示唆される。
 最後に、これらの成果を受けて、「近代教育を問いなおす」ための教育思想史研究の方法のさらなる精緻化にむけた課題が提起される。筆者は、複層的にひろがる教育諸空間の関係性とそこにある社会思想に着目した比較研究として、教育社会思想史を編みあげる作業を今後の課題として提起している。

3.本論文の成果と問題点
 成果の第一は、ライフヒストリー研究によって、制度内の存在としての教師たちがなにによろこびを見出しているのか、なにに苦しんでいるのかといった、「大文字」の教育思想との対峙のありようを生き生きと描いた点である。すなわち、転換期を生きる教師の葛藤と、抵抗や妥協や同調を介しての制度や制度変革との折り合いの付け方を描くことによって、教師ならではの教育へのこだわりを読み解き、思想のきしみを聞き取ることで近代教育の課題を浮上させたことである。
 第三章までの、東独における教育制度、教育思想の変転、転換というマクロな考察と、第四章以後の、そこで働く教師のライフヒストリーというミクロ的な考察とが、ともに十分に展開されているので、その両面から教育の問題があらたに照射されて、どちらか一方の観点では究明できない問題領域がリアルに、かつ幅広く浮かび上がってきている。
 第二の成果は、研究方法をめぐるものである。オーラル・ヒストリー研究も文字化された自分史研究も、いずれも激動の人生を浮上させうるが、この二つの手法を併用する人は少ない。筆者はこの二つの手法を用い、ライフヒストリーを鮮やかに描いている。また、いくつかのライフヒストリーを、縦断的および横断的に考察し、データを深く読み切った力量も評価される。
 加えて、筆者はドイツにおけるライフヒストリー法の展開を整理し、それに学び、本論文を仕上げたが、ドイツにおけるライフヒストリー法は日本においてあまり知られておらず、彼女の成果は先駆的でもある。今後研究方法の精緻化に貢献してくれるものと、期待される。
 ついで、洗練された語学力とそれに支えられたフィールド・ワークの力量も高い評価に値する。丁寧にライフヒストリーを再構成し、その結果、対象の強烈な人生を浮上させるも、その衝撃に翻弄されることなく、冷静に制度の展開との向き合いを読み解き、一気に「生きられた教育思想」を編み上げた手腕は、高く評価されよう。
 第三に、東ドイツの教育についての先行研究が、プラス面の指摘でもマイナス面の批判でもやや一面的であったのに対して、筆者は、インタビュー調査によって教師の生き方と考え方を引き出し、膨大な先行研究の渉猟とそれらの入念な検討を介して、東ドイツの教育をめぐる葛藤を含んだ諸相を明らかにした。本論文では、DDRの教育制度は機会均等や平等に価値を置きながらも、「より高い」学力の獲得を重視し、批判の対象にされたかに見えた従来からの教養や知的陶冶のイメージが実は生き続けていたこと、「DDR教育」の特徴が、教養主義的な人間像と、DDRという国家とのかかわりを具体化した訓育的な働きかけとの相互作用に起因するものであったことなどが明らかにされている。再教育システムなどの教師にとっての意味が浮き彫りにされるところや、教師の生活誌から東ドイツ教育のメリットとデメリットが複雑に絡み合って明らかになるところも注目に値する。また、「ベルリンの壁」の崩壊をめぐる多様な歴史的証言が引き出されるなど、読み手の認識を揺さぶる興味深い指摘が散見される。本論文は、ドイツにおける人の育ちと社会に関心を持つものにとって、読みごたえがある。
 本論文は、研究方法と研究枠組みが挑戦的であり、それが、上記のような魅力的な成果を生み出した。しかし、挑戦的な試みは、他方では、つめの甘さにも繋がっている。そうした問題点の一つは、ペダゴジーの世界への踏み込みが弱いことである。教授法やカリキュラムの創造的な工夫などの教師のアイディアが<語り>によって示されているが、学校の教室内の教師のすがた、なかでも教師の「ワザ」が読み手に必ずしも十分に迫ってこないのは、惜しまれる。
 また、「DDR教育」に特徴的なのは、学校制度が陶冶を引きうけると同時に、学校制度と不可分の関係にある託児施設、そしてなにより青少年組織が訓育を引きうけていたという点であることが明らかにされ、そのことが教師の働き方と生き方とを貫いていたことが示されているが、「陶冶」と「訓育」について厳しく立ち入って論じてはいないために、論文の長所を押し出しそびれている。
 次に、転換期のライフヒストリーを手がかりとした「生きられた教育思想」を描くことに注意を集中させ、ナラティヴ・インタビューの有効性を実証したが、「ライフヒストリー」と「生活誌」の使い分けがいささか不鮮明で、読み手に混乱を招きかねない個所が見うけられた。
 しかし上記の問題点については、筆者自身も十分に自覚している。審査委員もまたそれらは筆者の今後の研究において克服されるであろうと期待している。
 よって審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与するものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定した。

最終試験の結果の要旨

2010年11月17日

 2010年10月22日、学位請求論文提出者、木下江美氏についての最終試験をおこなった。本試験においては、審査委員が提出論文「教師の生活誌と近代教育―東ドイツ地域における転換期のライフヒストリー―」について、逐一疑問点に関して説明を求めたのにたいし、木下江美氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は、木下江美氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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