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博士論文審査要旨

論文題目:近代日本における「家」制度の成立とその変容
著者:田邊(蓑輪) 明子 (TANABE (MINOWA), Akiko)
論文審査委員:田﨑 宣義・吉田 裕・渡辺 尚志・若尾 政希

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1.本論文の構成
 本論文は、明治民法で制度化された「家」制度の特徴を明らかにするとともに、1910年代後半から1920年代初頭に現れたその変容の様相を解明したものである。
 本論文の構成は次のとおりである。
  序章―課題と視角
  第1章 明治民法における「家」とその特質―家父長権の性格を素材に
   はじめに
   第1節 第一草案における個人主義的家父長権と家族生活との矛盾
   第2節 明治民法における個人主義的家父長権と家族生活との矛盾
   おわりに
  第2章 「家」制度再建論の台頭―臨時法制審議会の民法改正構想
   はじめに
   第1節 臨時法制審議会の設置と法学者の民法改正構想―穂積重遠と奥田義人
   第2節 臨時法制審議会の民法改正構想の具体像① その家族モデル
第3節 臨時法制審議会の民法改正構想の具体像② 長男子単独相続制度の維持と緩和
   おわりに
  第3章 田子一民の「社会事業論」構想と家族制度
   はじめに
   第1節 「社会事業」政策構想以前の田子一民
   第2節 田子一民の「社会事業」政策構想の概要
   第3節 田子一民の「社会事業」政策における家族の位置
   第4節 田子の「社会事業」政策構想―家族政策以外の側面
   第5節 田子一民の政策構想の限界―農村認識の問題性
   おわりに
  第4章 家族政策としての住宅政策の登場と展開
   はじめに
   第1節 住宅政策の背景
   第2節 内務官僚の住宅政策構想―池田宏の政策構想
   第3節 住宅政策の展開
   おわりに
  終章

2.本論文の概要
 
 序章は、研究史の概略、本論文全体の課題、各章ごとの素材と課題の3部分で構成されている。
 近代日本における「家」制度の研究は長期にわたる研究史を持ち、この間の研究蓄積もまた膨大であるが、この研究史は、「家」を前近代的な社会構成の根源と捉える川島武宜・藤田省三らの「前近代論」、ついでこれを批判して「家」を資本主義に適合的なものと捉える利谷信義・有地亨・石田雄らの「家」制度論、さらに1990年代以降に登場した「家」制度を近代社会一般に共通するものと理解する「近代家族」論へと展開してきたことを指摘し、本論文の課題として次の2つを提示する。
 第一の課題は、従来は必ずしも深められていない側面、すなわち近代法の基本的な原理である個人主義と、扶養単位としての家族ないし経営体としての家族の維持との間に生ずる矛盾がどう処理されたかを、明治民法の検討を通して明らかにすること、である。
 第二の課題は、明治民法の見直しと位置づけられてきた1910年代末から1920年代にかけて登場した「家」や家族をめぐる一連の国家的施策の再評価である。この時期の動きは従来、都市化に伴う単婚小家族の登場を「家」制度を解体させる傾向と理解し、家族の安定化によって社会的政治的秩序を安定させようとする政策志向を「家」制度を強化する流れとして理解されてきたが、この対立的な理解を、都市家族の安定化という視点から再評価することである、とする。
 以上の課題に対し、第1章では明治民法の「家」制度の特徴と構造を、第2章では1919年に設置された臨時法制審議会での議論を通して民法改正構想の性格を、第3章では、内務官僚田子一民の政策構想の中での家族政策の位置を、第4章では、1910年代末から1920年代の住宅政策と家族政策との関係を、それぞれの検討の課題とすることが、各章の素材と共に示される。
 第1章の「はじめに」では、本論文が、近代日本の「家」とその家父長的性格を近代家族法に共通するものと理解する立場に立つことを明らかにした上で、にもかかわらず従来の研究では民法に定める家父長権と「家」や家族の安定とが調和的に理解されている点について、むしろ、家父長権が家父長個人の権利として規定されたために、「家」や家族生活の安定との間に矛盾を内包していたことを利谷信義・高橋朋子らの研究を整理しつつ指摘し、第1節以下では相続制度、戸主の財産権と扶養との関係、夫婦財産制度について、明治民法制定過程での議論を検討することを課題とすること、また明治民法の家父長権の理解に資するため、明治民法と対照的な性格をもつとされる第一草案をあわせて検討することを明らかにする。
 第1節の第一草案の検討では、系譜・爵・族称・世襲財産・祭具・墳墓地・屋号・商標・本宅とその宅地などは次期戸主となる家督相続人が一人で相続する家督特権と定められている点では「家」の維持・存続が図られ、またこれらは戸主が自由に処分でき、廃戸主制度・隠居制度が認められていない点では筆者のいう「個人主義的家父長権」として規定されているが、家督特権を除く財産は前戸主の直系卑属が均分で相続すると定められていた。この均分相続制度を採用した理由として、筆者はボアソナードの相続論も参照しつつ、直系卑属の生活基盤の保障が重視されていたことを指摘する。また家族員の生活基盤の保障を重く見る考え方は夫婦財産制度にも反映され、夫婦共通財産と夫婦それぞれの特有財産の管理・処分の権利は夫に属すると規定しつつも、共通財産について、妻が自己の財産分を分離できる規定や夫による共通財産の利用に制限を設けるなど、家族生活保護の観点から制約が加えられていることを指摘する。また共通財産という制度設計自体に家族結合を強化する効果、家事労働の経済的評価などが盛り込まれていることを指摘し、第一草案が、全体として、家族生活の安定を重視する立場から家父長権を規制していたことを明らかにする。
 第2節では、明治民法草案を審議した法典調査会の議事録を用いて、明治民法の性格を検討し、明治民法では、戸主の財産権を制約する家族生活保護の観点が徹底して排除されたことを、均分相続制の排除による戸主の単独相続制への一元化、夫婦共通財産規定の排除と夫婦別産制への一本化の過程で行われた議論の検討を通して明らかにする。
 以上の検討を通して、筆者は、第一草案と明治民法に共通する特徴として、「家」や夫婦財産に、近代法にかなった自由な商品流通の原理が適用されているが、明治民法では、家族生活保護の観点からする家父長権行使への制限が撤廃され、その結果、家族生活保護のための歯止めが脆弱化したことを指摘する。
 第2章では、明治民法のもつこの脆弱性を見直す動きとして、1919年に設置された臨時法制審議会の民法改正構想を検討するが、分析に先だって研究史の整理が行われる。従来の研究史では、臨時法制審議会の民法改正構想を2つの対立する立場の妥協として理解してきた。すなわち「伝統的な家父長的家族モデルの強化」論者と、実態家族の変化と個人主義的傾向に合わせた家族員の権利保障をめざす論者との対立である。そして後者の立場は「「家」の解体を主張するものだという理解があるように思われる」と指摘した上で、筆者は、臨時法制審議会の民法改正構想の議論の中では「「家」の解体は問題とならなかった」のであるから、民法改正構想のねらいは「「家」制度の再建、強化にあった」と推測されることを指摘し、さらに「臨時法制審議会の民法改正構想は、近代的家父長権を存置しつつも、家族生活の安定という範囲にその権利を限定することで、近代民法の家父長的性格の修正を図り、「家」の強化を図ろうとした段階の民法ではなかったかと考えられる」として、この仮説のもとに臨時法制審議会の構想を考察することを明らかにする。
 第1節では、日露戦後から第一次大戦期にかけて登場した民法見直し論の中から、個人主義化と単婚小家族化の傾向を承認し、家族員の権利伸張による「家」制度の再建・強化を主張する「「家」制度改革論」者として穂積重遠、家父長権の拡大・実質化によって家父長的家族モデルの強化を主張する「「家」制度強化論」者として奥田義人を、いずれも臨時法制審議会の議論に影響力のあった人物として取り上げ、それぞれの主張を検討して、両者が方向性を異にするにもかかわらず、「家」の再建に必要な課題として、社会の基礎単位としての「家」の形骸化を食い止めるために「家」制度を実態に近づけねばならないと考えていたこと、さらに家族員の権利について一段の配慮が必要であり、また現実の家族生活の単位である「家」を経済的に支えることが必要と考えていた点は共通すると指摘する。
 ついで第2節以下では、臨時法制審議会の民法改正論議のうちから、単婚小家族の増加に伴う戸籍上の家と実態との乖離を是正するための措置、戸主権の強化とその濫用防止策、分家の容易化による戸主権の実質化、子の婚姻などに対する父母の同意権のあり方、離婚事由における夫の不貞の扱い、長男子単独相続制度の見直しなどをめぐる各委員の議論を分析して、臨時法制審議会における対立の焦点は家族の権利をどの程度拡張するかをめぐるものであり、民法改正構想の焦点はあくまでも「家」の再建と強化におかれていたと結論づける。またこうした改正構想が政策課題として浮上した背景には、資本主義化による都市人口の増加、都市への労働者の流入と労働者の家族形成があったことを指摘し、明治民法における「家」が主として農村家族を想定していたのに対し、この時期の政策課題として都市における単婚小家族を「家」制度に組み入れる必要があったことを指摘する。
 第3章では、日本の社会政策、社会保障・社会福祉政策が登場する1910年代後半から1920年代にかけて、その確立に尽力した内務官僚・田子一民の「社会事業」論を素材に、当該政策領域で家族がいかに位置づけられていたかを検討課題とする。筆者は検討に先立って、これまでの田子一民研究を俯瞰し、田子が、性別役割分業に基づく近代家族を国民統合の基盤として位置づけていたとする研究史の成果を引き継ぎつつ、田子の家族制度重視論が公的福祉の抑制につながったとする通説とは異なって、公的な保障を拡充する主張につながっていることを検討の課題とすることを明らかにする。
 まず第1節では、「社会事業」政策構想を主張する前の田子の所論は「強い地域社会」の形成に関心が向けられ、家族制度については関心が払われていなかったことを指摘する。この田子の社会認識は1918年の欧米訪問によって転換するが、第2節では、転換後の田子の「社会事業」政策構想の概要を検討する。そこでは、田子が当時の社会を私利私欲の追求をもっぱらとし、社会的弱者にとって保護の欠けた社会であるととらえ、生活上の困難に対して国家が対処すべきとする「社会事業」政策の必要を唱えたことを指摘する。
 さらに田子が、日本においては家族制度が社会秩序の安定に重要な役割を果たしていることを強調している点に着目し、第3節では、5領域に分けられた田子の「社会事業」政策の内容を検討し、それらが、田子が都市における安定的家族形成の障害と考えている点に向けられていたことを指摘する。その障害とは、男性中心的な家族関係の存在、非合理的・非科学的な生活習慣、わけても労働者・都市下層の貧困の3つである。その上で、筆者は、家族生活の基盤となる住宅政策に田子が高い比重をおいていた点、また労働者家庭での妻の就労の容認を打ち出している点に着目し、田子が都市における「家族制度再建」に深い関心を寄せていたことを指摘する。
 さらに第4節では、家族政策以外の三つの柱、すなわち家族代替的福祉、教育、都市住民の生活維持の施策を検討し、田子の「社会事業」構想には、家族形成に困難を抱える労働者や貧困者の家族形成も重視していた点を指摘する。第5節では、田子が都市の社会的政治的安定を獲得する諸施策を重視した反面で、農村問題に対しては5・15事件まで見るべきものがなかったことを明らかにする。
 第4章では、1920年代初頭から登場する住宅政策とその展開過程を家族政策の視点から検討することを課題として掲げ、とくに住宅政策が登場する背景と家族政策との関係、および住宅政策における労働者の位置づけに焦点を当てて検討する。まず第1節で、第一次大戦期から深刻化した都市の住宅難の様相、職工世帯での家賃高騰の影響が概観され、次いで第2節では、都市専門官僚・池田宏の政策構想でも、田子と同様に、住宅政策が、労働者や都市下層を含めた安定的家族形成の基盤と位置づけられていたことを指摘する。第3節では、住宅政策の概要、住宅資金供給の実態などが概観された後、住宅建設向けの公的資金が中間層はもとより、労働者向け住宅にも提供されていたことが、東京市の事例で具体的に明らかにされ、住宅政策の中での労働者向け住宅の比重が通説で考えられていたほど低くないことが指摘される。また労働者向け住宅の比重の高さは、この時期の国民統合の破綻の要因のひとつに労働問題や労働者の生活問題があったことから、国民統合の安定化のためには労働者向け住宅も含めざるを得なかったためであるとの見解を提示する。
 終章では、本論文の課題に照らして第1章から第4章までの分析をまとめた上で、次のような結論で論文全体が締めくくられる。
 明治民法では個人主義的な原理が優先され、家族生活の基盤としての「家」や単婚小家族の安定の課題が軽視されていたこと、しかし1910年代末には「国民統合の破綻」に対して「「家」制度の再建を通じて国民統合の安定を図ろうとする「家」制度再建論が登場」するが、この「「家」制度再建論」は伝統的家族秩序の復権による国民統合ではなく「社会政策を通じて現実の家族生活を支えることで「家」制度の基盤である家族を実態的にも強化しようとしたもの」であったこと、臨時法制審議会での民法改正構想はこうした流れの中に位置づけられること、が指摘される。
 また今後の課題として、明治民法および1910年代から20年代にかけての「「家」制度再建論」と農村の問題との関係、家父長権の「個人主義的構成」と「家」の実態的な存続との関係の具体的解明が挙げられる。

3.本論文の成果と問題点

 本論文の成果は多岐にわたるが、ここでは特に以下の3点を挙げておきたい。
 まず第1に、家父長権の個人主義的な性格と家族の維持・存続とが現実生活の中では対立する局面が生じうることに着目して、この問題が法的にどのように処理されていたかを、民法第一草案・明治民法・臨時法制審議会での民法改正をめぐる議論を通観して検討し、これら3者の差異を明らかにしたことである。家父長権の個人主義的性格と家族の維持・存続とが対立する局面が生じうることは、筆者も指摘するように、これまでは必ずしも自覚的に取り扱われることがなかった論点で、筆者が本論文で展開した議論は新鮮であり、今後さらに豊富化されることが期待できる。
 第2に、両大戦間期の住宅政策の展開について新しい評価を提起した点である。これまでの研究史では、この時期の一連の住宅政策の対象は都市新中間層にあるとされてきた。本論文で筆者は、東京市営住宅入居者の職業構成で労働者層の比重が圧倒的であること、内務官僚や都市専門官僚らの発言でも労働者層が政策対象となっていることなどを指摘して、新しい評価の提起に成功している。
 第3に、本論文の全体を通して、単婚小家族の形態をとる都市家族の社会的な安定が当該期の重要な政策課題となっていたことを明らかにするとともに、中でも特に労働者世帯の安定化が明確な政策目標となっていたことを示して、都市新中間層の動向に主たる関心が寄せられていた従来の研究史に対し、新しい可能性を切り拓いたことは高く評価できる。
 以上のように、本論文には研究史上大きな意義を認められるが、もとより今後に残された課題もないわけではない。
 まず「家」と「家族」、「家」制度の「再建」、「国民統合の破綻」などについて更に踏み込んだ定義があれば一段と理解しやすいものになったと思われること、また本論文全体で提示した新たな知見と従来の研究蓄積との総合化が必ずしも十分とは言えない嫌いがあるように感じられる箇所がみとめられることが挙げられる。
 ただし、こうした問題点は筆者もよく自覚しており、今後の研究のなかで克服されていくものと思われる。
 以上のことから、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したと認め、田邊(蓑輪)明子氏に対し、一橋大学博士の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2010年11月17日

 2010年9月24日、学位論文提出者 田邊(蓑輪)明子氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「近代日本における「家」制度の成立とその変容」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、田邊(蓑輪)明子氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は、田邊(蓑輪)明子氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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