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博士論文審査要旨

論文題目:GAIJIN: CULTURAL REPRESENTATIONS THROUGH MANGA, 1930’s – 1950’s (日本の漫画における外国人の描写、1930年代〜1950年代)
著者:チェン チュア・カール イアン ウイ (Cheng Chua , Karl Ian Uy)
論文審査委員:中野 聡・貴堂 嘉之・坂元ひろ子・ジョナサン ルイス

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1.本論文の構成

 本論文は、1930年代から1950年代に雑誌『少年倶楽部』に掲載された漫画に「他者」としての「外国人」がどのように描かれているかを分析することによって、第2次世界大戦前から戦後にかけての時期の日本社会の対外認識の一側面を考察したものである。雑誌『少年倶楽部』は、1930年代から40年代にかけて日本でもっとも人気のある少年雑誌であった。これまでにも『少年倶楽部』を素材とした他者表象についての研究はなかったわけではないが、本論文のように、各地の図書館に散在する1930年代から50年代までの『少年倶楽部』の全号の漫画と記事を悉皆調査し、そこから黒人、中国人、白人あるいは異星人といった他者イメージを抽出して分析した研究は初めてであり、これまでに指摘されたことがない重要な事実を発見している労作である。以下、本論文の構成を示す。

Table of Contents
List of Illustrations
List of Appendix
Abstract
Chapter 1 – Introduction to the Dissertation
Chapter 2 – The Dark Continent
Chapter 3 – Chinamen
Chapter 4 – Whitey
Chapter 5 – Of Aliens and Fantasy
Chapter 6 – Around the World
Chapter 7 – Conclusion
Bibliography


2.本論文の概要

第1章「論文への序章」で、筆者は次のように本書の方法を論じる。まず、『少年倶楽部』を研究対象としたことについて、少年向け雑誌の漫画を選択したのは、その大衆性と視覚性に着目したからだと述べる。小説や短編集を読むためには読者に一定レベル以上の読解力が必要であるし、映画はある程度豊かな家庭の子女でなければあまり見ることができない。これに対し、子ども雑誌は、読み回すことで読者層を拡大することが可能な、手ごろな価格の媒体である。その上、視覚性のある媒体の場合読解力はそれほど必要ではない。また、大人の作者たちが作品を通じて、読者である子どもたちに対して自分たちの価値観をどのように伝えることができたのかを分析することを通じて、当該時期の社会形成のあり方が明らかになると筆者は述べる。雑誌「少年倶楽部」は、その絶頂期には、毎月75万部 も発行され、読者層は朝鮮半島・台湾など日本の海外植民地にまで広がる勢いであった。
 次に筆者は、ウィリアム・オバーの「観念的イメージ」(Idealized Images)つまりステレオタイプのイメージという概念を利用して、漫画に繰り返し登場するイメージを通じて、「他者」とは何者を指し、どのような固定観念が用いられているかを検証する本書の方法を論じる。さらにオバーの「権力と不平等」(Power and Inequality)論にもとづいて、漫画の作者たちが「他者」と自分自身、つまり日本人とをどのように作品の筋書きの中で対置させるかを分析することにより、漫画が出版された時期によって「他者」がだれを指したかが変化するプロセスを理解できると述べる。この二つの概念を援用したうえで筆者は本論文において以下の各章において「他者」類型を、「黒人」としての南洋諸島住民、中国人、欧米白人、異星人に四分類して議論を展開している。
  第2章「暗黒大陸」では、1930年代に人気があった南洋諸島住民の表象を取り上げている。いわゆる南進論、すなわち南方への拡張主義が唱えられたことにともない、南洋は少年漫画の人気のあるテーマになった。それらの漫画のなかで南洋諸島住民は「黒んぼ」「黒ちゃん」「土人」などと呼ばれ、真っ黒な肌、ぎょろりとした眼、厚い唇、腰みのが特徴の未開の人種といういわゆるサンボ・タイプとして描かれている。ジョン・ラッセルやイアン・ゴードンの研究を参照しつつ、筆者は、読者にとってほとんど未知の世界であった南洋諸島住民の表象が、おおむね近代西洋の黒人表象のステレオタイプを輸入したものであり、サンボ・タイプについて言われる子供っぽさや愚かさなどが多くの場合あてはまるものの、賢い機知に富んだ存在として描かれる例や、日本人と同じ年中行事を楽しむ様子が描かれる例など、サンボ・タイプには馴染まない場合もあることを指摘する。しかし、読者欄(投稿漫画)に注目することにより、筆者は、西洋の人種主義の歴史的・社会的コンテクストを欠いたまま輸入された人種的ステレオタイプが、たとえ悪意を欠くものであっても日本人の深層意識にこうした漫画の受容を通じて定着していたたのではないかと考察している。
  第3章「チャイナメン」では、肯定と否定の両面にわたる中国(人)の表象を検討している。「少年倶楽部」は満州事変と「満州国」建国に敏感に反応し、国際社会の批判を意識した読者への解説記事(「満州事変はなぜ起こったのか」、「もし日本が世界を敵としたら」等)を掲載し、満州国との友好(「仲のいい国々の国旗のいわれ」等)を教育した。その一方、対立相手としての中国人は、滑稽で愚かな小悪党(「ウーさん リーさん」等)やアメリカで生まれたフー・マンチューのステレオタイプで表現された。さらに1937年に日中戦争が始まると、敵としての中国を、怖い、悪の、しかし愚かで日本兵の前では弱い存在として描く漫画が頻出する(長谷川町子「怖いのは支那兵」、吉本三平「ポコペンヘイタイ」、「軍歌支那陸軍」等)。しかし、注目すべきことに、1939年に入ると日中の和解を説く漫画があらわれ(「日支はなかよく」等)、この傾向は1940年になるとますますはっきりして、中国人の主人公や中国語を友好的に紹介する漫画が盛んに掲載された(林田正「ほがらか王君」)。読者投稿欄では、中国人を描いた漫画は極端に少ない。敵国民にしても、日中友好のメッセージにしても、子供が扱うには難しいテーマだったからではないかと筆者は推測している。
 第4章「ホワイティ」では、白人の表象を検討している。まず、戦前期について言えることは、南洋諸島住民、中国人と異なり、欧米の白人は、愚かな弱い存在としては描かれず、これを敵視する場合には「いじめっ子」として描かれる傾向があったことである。これは西洋が、前2章の他者像とは異なり、日本よりも強力な存在として認識されていたからだと筆者は指摘する。さらに注目されるのは、第2次世界大戦期においても、敵国である英米人に関しては、生々しい敵意が日中戦争初期のようには描かれていないことで、生身の敵兵はほとんど描かれず、弓の的、模型、敵機などで記号的に表現されているに過ぎない例が多いということである。日本の敗戦後、誌名を『少年クラブ』に変更した同誌は、占領軍の事前検閲を受けて刊行を再開した。ここではアメリカ人は常に大人の軍人として描かれ、もっぱら英語でしか話さない。英語にはカタカナのルビがふられていて、米兵と少年達の交流を描くこうした漫画は語学教材としての役割も期待されていたことが分かる。決まって大人のアメリカ兵と日本人少年が描かれ、かつて日本語をアジアに広めようとした日本の少年雑誌が英語習得のための記事を掲載する有様には、アメリカと日本の戦勝国・敗戦国という権力的な関係が反映していたと筆者は分析する。
 第5章は、第2次世界大戦後とくに1950年代の「外国人」表象を検討している。1947年前後には戦前と同じ頁数を回復した『少年クラブ』には、日本の復興に期待する未来志向の強い記事・漫画が盛んに掲載されるようになった(「十年後の日本」等)。さらに、ファンタジー・未来・SF志向が強まり、たとえば横井福次郎「不思議な国のプッチャー」では、未来都市や火星人が描かれるようになる。さらに筆者はこの作品で地底人と地上人の戦争をプッチャーが「愛のエキス」で調停するエピソードが描かれていることに注目し、そこには、ジェームス・バーガーが指摘するところの、空想科学小説中の黙示録的表現という方法をとることで読者が過去の悲劇についてトラウマを回避しつつ読み考える「ポスト・アポカリプス表現」が見出せるとしている。さらに筆者は手塚治虫が連載した「ロック冒険記」と「ケン1探偵帳」に注目する。ここでの筆者の発見は、1930年代の南洋諸島の黒人ステレオタイプや中国人ステレオタイプが何のためらいもなく再現していることである(「ロック冒険記」)。また、 ターバンを巻いたヒンズー教徒が豚を食べないといった間違いだらけのインド表象がされている点や、主人公・日本人の優越という点でも、1930年代の表現が復活していると筆者は指摘する(「ケン1探偵帳」)。ここに筆者は、1930年代に「悪意のないステレオタイプ」として『少年倶楽部』を飾っていた外国人表象とアジア蔑視が、戦後日本に底流して連続していた事実を発見しているのである。
  第6章「世界をめぐって」では、ひとりの漫画家、1930年代に「冒険ダン吉」で一躍大成功を収めた島田啓三を検討している。同章前半では「冒険ダン吉」の外国人表象をくわしく検討し、第2章から第4章で論じた「少年倶楽部」の外国人表象一般と関連づけ、後半では、戦時下の1943年から連載を開始した戦争漫画「ダンちゃんの荒鷲」を検討する。この両作品の間に島田は陸軍報道部に徴用されてフィリピンに滞在し、日本軍占領下で発行されていた現地紙『トリビューン』に四コマ漫画を連載している。この経験や、いわゆる大東亜共栄圏プロパガンダの影響もあって、「ダンちゃんの荒鷲」で主人公ダンちゃんが滞在する「南の国」のマレー・インドネシア風の村の人々はもはや黒人としては描かれない。その一方で、「冒険ダン吉」で見られた欧米白人に対する強い対抗意識は健在であり、日本人少年航空兵はアメリカの潜水艦や航空機や基地を殲滅する万能無敵の存在として描かれている。
  第7章「結論」では、各章の議論を整理・要約するとともに、戦後の島田啓三の作品「カリ公の冒険」を補足的に検討している。
  本論文の各章には、論文中で使用された『少年倶楽部』の対象記事・漫画の部分複写が付録として添付されている。

3.本論文の成果と問題点

  本論文が検討した『少年倶楽部』は、川村湊らによる論考があり、第2次世界大戦前の日本人の大衆オリエンタリズムを明らかにするうえで史料価値のある媒体としてこれまでにもしばしば言及されてきた。しかしいずれも「冒険ダン吉」などのエピソードを断片的に『少年倶楽部』から抽出して参照したものであるために、その議論はいきおい折衷主義的にならざるを得ず、またほとんどの分析は1930年代に対象時期が限定されていた。
  これに対して筆者は、1930年代から1950年代までの『少年倶楽部』およびその後継誌『少年クラブ』の全バックナンバーを悉皆調査して、そこから南洋諸島住民、中国人、白人、インド人、その他の外国人、さらには異星人まで対象を拡げて、それらに関する漫画、記事、および読者の投稿欄を全て検討したうえで本論文に取り組んだ。このように長期間にわたる『少年倶楽部』バックナンバーを対象にした包括的な調査研究はこれまでに発表されておらず、本論文は、きわめて貴重な研究成果・労作としてその意義を高く評価できる。
  さらに筆者は、包括的な悉皆調査と、ニュアンスに富んだ柔軟な作品分析を組み合わせることにより、これまでほとんど指摘されたことがない多くの貴重な発見を本論文中で明らかにしている。とくに(1)南洋諸島住民のサンボ・ステレオタイプが、欧米白人が歴史的・社会的に抱えてきたコンテクストを欠いたまま輸入されたために、欧米ではあり得ないような表現(日本人と同じ年中行事を楽しむ、機知に富んだ存在としての「黒んぼ」等)が見られたこと、(2)中国人に対する敵対表現と友好表現の交錯、とくに1939年以降の前者から後者への劇的な変化、(3)第二次世界大戦中における敵国白人に対する控えめな表現(生身の英米兵がほとんど現れないこと)、(4)戦後の「少年クラブ」についての本格的な検討、とくに、手塚治虫の初期作品に見られる人種ステレオタイプが1930年代『少年倶楽部』のまさに再現と言える内容であったことなどを、筆者の発見として挙げることができるだろう。その結果、『少年倶楽部』における外国人表現については、これを欧米の人種主義・ステレオタイプの直輸入や日本人の大衆オリエンタリズムの発言として一意的に捉えるのでは不十分であって、満州事変から第二次世界大戦・戦後へと変転する国際関係のなかで日本が占めた位置・地位に敏感に、また複雑に反応した、権力関係の表象として検討することの必要性と有効性が明らかになった。これもまた、本研究の成果として高く評価できる点である。
  なお、筆者の出身国フィリピンにおいても、日本の漫画・アニメ文化に対する関心は、近年、非常に強まっている。本論文は、すでに筆者が別に国際学術誌において発表している、日本占領下フィリピンにおける新聞掲載4コマ漫画の研究における島田啓三との出会いをひとつの出発点としている。フィリピンの視点から日本の近現代漫画史・他者表象史を本格的・実証的に検討した本論文は、フィリピンにおける日本研究の水準を一気に高めるものとしても高く評価することができるだろう。
 しかしながら、本論文にも問題点がないわけではない。
 第1に、『少年倶楽部』の当該時期全バックナンバーの収集と分析に集中するあまり、筆者は、自らが発見した重要な事実の数々が、日本の対外戦争をめぐる情勢の展開と深く関連していた点について十分な議論を展開することができていない。たとえば、筆者が発見した、中国に対する敵視から友好への劇的な表現の転換は、日中戦争における汪兆銘工作・南京国民政府の成立と深く関連していることが、作品の発表時期と日中戦争史の展開を照合することから推定できる。また、第2次世界大戦中の白人、英米に対する「控えめな表現」の背景には、開戦後、アジア太平洋戦争を人種戦争にはしないという大本営・政府の方針が全メディアにおける反白人表現を一斉に抑制させた事実のあらわれだったと考えられる。このように『少年倶楽部』は内外の政治状況や政府の方針にきわめて敏感に反応してその誌面が構成されていたと考えられるのであり、この点をさらに検証することが強く望まれるのである。
 第2に、本論文の英語タイトルにあるGAIJIN(日本語では外国人)は、日本社会において固有の文脈をもつ言葉であり、内と外を分ける境界意識の表現であるが、本論文では日本人の他者表象を検討するにあたって、日本社会で構築されたこうした境界意識に関する議論を十分に展開していない。このために、まず朝鮮・台湾および内国植民地という帝国・日本の時代における「内なる他者」に関する表象の位置づけが本論文においては十分になされておらず、さらに、他者表象やステレオタイプをめぐる問題がどの部分において普遍的であり、またどの部分において日本に固有の事象であるかについてやや曖昧な指摘にとどまっている。
 第3に、登場人物の愚かさや失敗、滑稽さという点については、漫画というジャンル、少年雑誌というメディアがもつ固有の表現方法や嗜好という点から説明できる部分があり、この点についてメディア論的な検討が行われていないために、やや議論が平坦に行われている印象も否めない点がある。
 また、本書の構成や作品・図の割り付けにやや見にくい点があり、また引用されている作品の掲載年月日が脚注や冒頭の図表目次を見なければ分からないなど、読者に対してやや不親切な部分があり、この点についても配慮が欲しいところである。
 以上のような課題は残されているものの、それは本論文の研究成果を損なうものではなく、またそれらは著者も十分に自覚しているところであり、今後の研究のなかで克服されていく課題であると論文審査委員会は考えている。

4 結論
 審査員一同は、上記のような評価と、2010年2月2日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2010年3月10日

 2010年2月2日、学位請求論文提出者Karl Ian Uy Cheng Chua氏の論文についての最終試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文 “GAIJIN: CULTURAL REPRESENTATIONS THROUGH MANGA, 1930’s – 1950’s” に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、Karl Ian Uy Cheng Chua氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同はKarl Ian Uy Cheng Chua氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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