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博士論文審査要旨

論文題目:第2次世界大戦後のニューヨーク建設労働者に関する労働民衆史的考察 -生活世界から捉えた絆と境界
著者:南 修平 (MINAMI, Shuhei)
論文審査委員:貴堂 嘉之・中野 聡・土肥 恒之・西野 史子

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Ⅰ.本論文の構成
 本論文は、第二次世界大戦前後から1980年代後半にかけてのニューヨークの建設労働者の労働生活と日常世界に焦点をあて、日々の労働を通じて創られる人々の結びつきあうかたちを明らかにし、それがいかに公権力や資本と関係を取り結びながら彼ら特有の「保守性」をつくりあげていったのかを検証した、アメリカ労働民衆史の本格的な論考である。建設労働者を取り巻く地縁・血縁を軸にした縁故主義や家族の絆、コミュニティ形成の個別具体的な分析は、従来の紋切り型の労働者像を大きく塗り替え、戦後のオートメーション化や公民権運動、女性運動の展開の中、揺らぎ始めた自らの生活世界を維持するために頑強に抗う建設労働者の姿を見事に活写している。
 本論文は、以下の通り、ニューヨークの建設労働者の労働生活を中心とした生活世界を、インタビューや組合議事録などを用いて描く第一部(1章~3章)と、第一部で描いた生活世界が変化を求める外部からの「脅威」に揺らぎ始める戦後のありさまを描く第二部(4章~6章)から構成されている。本論文の章立ては以下の通りである。

序章
1.問題関心と研究目的
2.先行研究の整理
(1)労働民衆史
(2)ホワイトネス研究、アメリカニズム研究
(3)「国民化」の研究-日本におけるアメリカ史研究
3.先行研究に対する本論文の位置づけ
4.本論文の構成

第一部 ニューヨークに生きる建設労働者
第1章 建設労働者の形成と公権力・資本との関係
1.ニューヨークと建設労働者
2.建設労働と公権力
3.建設労組と民間資本との関係-ニューヨーク・プランの存在
第2章 建設労働者の労働生活-つくられる絆
1.位階性組織としての熟練工労組
2.労働者の絆と誇り-縁故主義(nepotism)、見習い制度、労働現場の日常
(1)エスニシティ、父子関係の支配
(2)見習い制度の運営実態
(3)労働現場でつくられる熟練工の誇りと絆
3.「男らしさ」の文化
第3章 建設労働者とコミュニティ
1.家族・コミュニティ生活における建設労働、組合の存在
2.よりよき暮らしを求めて-教育への渇望
(1)スキル・アップへの努力
(2)労働者大学の開設
(3)奨学金制度の整備
3.労働者の生活世界とコミュニティ-Local 3のエレクチェスター建設とその展開

第2部 揺らぐ境界、固執される秩序
第4章 押し寄せる変化の波-技術革新、公民権運動、分散化
1.熟練技術への脅威-「オートメーション」の時代
2.変貌する熟練工の街-進行するオートメーションとブルックリン海軍造船所の閉鎖
3.公民権運動の高揚と建設労働
第5章 固執される秩序-熟練工として
1.高まる批判、揺れる境界-連邦政府のスタンスとフィラデルフィア・プラン
2.ニューヨークでの攻防-リンジー市政と建設労組
3.改訂フィラデルフィア・プランの登場とニューヨーク・プランをめぐる攻防
4.拡がる混乱、激化する対立-ヴェトナム戦争とニューヨーク
5.ハードハット暴動とニューヨーク・プランの結末
6.ニューヨーク・プランと建設労働者の論理-秩序、境界への固執
第6章 守られる境界、守るべき境界
1.揺れ続ける境界-進む建設労組の影響力低下
2.熟練工を目指して-女性たちの闘いとその波紋
3.「侵された境界」-労働現場での境界線をめぐって
4.建設労働の論理-秩序への固執
終章 日常生活の中の境界とその意味を問う
1.当為としての秩序-生活の中で紡ぎだされたもの
2.日常生活における公権力の介在
3.21世紀における労働史の地平
Ⅱ.本論文の要旨
 序章では、筆者の問題設定・分析枠組みを提示する上で鍵となる、三つの分野の先行研究がまず批判的に検討される。第一は、社会史の影響を受けて発展してきた労働民衆史の系譜であり、ニューヨークに関連した研究としてフリーマンとスグルーの研究が詳述される。第二に、階級と人種の交錯を考察する上で不可欠なホワイトネス研究と、国家と労働者との関係を問い直す視座としてアメリカニズム研究が検証される。これらを統合する視点として、最後に「国民化」に関する先行研究に言及し、ナショナリズムや愛国主義論に射程を広げる筆者のポジションが提示される。
 第一章では、巨大都市ニューヨークにおける労働者階級の形成のなかで、都市の大規模公共建設事業を通じて、熟練工の建設労働者が組合を結成し、公権力との特殊な関係を取り持ち、自らの政治力を発展させていく過程を描いている。とくにこの公権力及び資本との安定的な関係構築を目指した理由が、公共事業中心の安定した雇用の確保だけでなく、可能な限り安全な労働環境をつくるという現場からの声に促された動きであったことを明らかにする。
 第二章では、建設労働者の日常世界を検証するため、ニューヨークの労働者のライフヒストリーを扱った聞き取り調査と、ニューヨーク建設労組(BCTC)に所属する組合幹部らへのインタビュー史料を用いている。これにより、熟練工労組の位階性秩序や就職に際しての父―息子関係、縁故主義、特に建設労組で実施されていた見習い制度(apprenticeship)を考察することで、労働者相互の強い絆が描出される。建設業という労働環境のなかでの特殊な「男らしさ」の文化や価値観、人種・ジェンダー観が明らかにされている。
 第三章では、建設労働者が生活するコミュニティに着目しそこでの生活を通じてつくられる労働者の世界を明らかにする。地縁・血縁を軸にした縁故主義を特徴とする建設労働者の紐帯が、労働生活だけではなく、それと並存する家族生活、あるいは、コミュニティ生活全体のなかでも育まれていった様子を明らかにする。建設労組が整備を進めた労働者大学の開設や奨学金制度の拡充などの例や、後半では、電気工労組(Local3)により「電気工の街」エレクチェスターが建設されるケースを取り上げ、組合員とその家族らがコミュニティ活動に積極的に関わっていくその生活世界での人々の結びあうかたちが描かれる。こうして労働現場のみならず、コミュニティでの生活が、日常に根を張る秩序形成の場として機能し、日常生活全体を物理的にも社会的にも支える実体的な空間であったことを明らかにする。ここまでが前半、第一部である。
 第四章では、第一部で検証された建設労働者の生活世界や価値観が、戦後アメリカの次のような外的要因により大きく揺らいでいくさまが描かれる。第一はプレハブ工法などオートメーション化の波により熟練工の技術の重要性が低下し、自信を喪失していくさま。第二に、公民権運動により、排他的な見習い制度、縁故主義への批判が高まっていくさま。そのなかで建設熟練工のシンボルであったブルックリン海軍造船所が閉鎖されたケースを追い、変貌する熟練工の姿を描く。
 建設労働者の生活世界が外部からの「侵入」により脅かされ焦燥感を募らせる中、第五章では、建設労組の強敵となったリンジー市政との攻防に焦点が当てられている。従来の公権力との安定した関係が瓦解していくなか、追い込まれた労組指導部がニクソン政権との連携を模索し、BCTC議長ブレンナンの労働長官就任へと結実していくプロセスを描く。これまでニクソン政権のブルーカラー戦略という政治的文脈から位置づけられてきたこの一連の動きを、押し寄せる変化の波に抗おうとした労働者の日常からその要因を説明している点が新しい。
 第六章では、リンジー政権との攻防のその後として、女性労働者および女性団体からの建設労組への見習い入り要求を取り上げ、市の人権委員会などを巻き込みながら問題が広がっていく過程を描き、女性労働者の加入が労働現場でいかに受け止められたかがインタビュー史料などから明らかにされる。
 終章では、ニューヨークの建設労働者が日常的な労働生活のなかで作り出した「当為としての秩序」がいかに彼らの生活全体を律し、社会関係を規定するものであったかを示し、このような秩序が日常に根ざし実体的な根拠を持っているがゆえに強大な力を持ち、それが「根強く残る保守性」の核心にあることを結論として述べる。序章で触れられた日常生活における公権力の介在について総括したあと、21世紀の新しい労働史の展望を述べ、最後に9.11後のニューヨークのWTC跡地の建設現場について言及し、この建設労働者の問題が現在進行形であることが語られる。

Ⅲ.本論文の成果と問題点
 本論文の主要な成果は以下の通りである。
 第一に、従来の労働組合中心の制度論的分析や労働経済史的なアプローチとは異なり、労働生活という日常に根ざした人と人とのつながり方を検証するソシアビリテ(社会的結合)論から接近したことで、これまであまり注目されることのなかったニューヨークの建設労働者のさまざまな絆、しがらみ、自他の境界を浮き彫りにし、分析することに成功した点である。これにより、建設労働者がニクソン政権を糾弾する反戦デモ隊を襲撃した1970年5月のハードハット暴動に象徴されるように、先行研究においてはアプリオリに建設労働者を保守とするイメージがあるなか、その保守性の要因を具体的な労働現場の日常から説明する新たな見解を提示した。
 建設労働者とその家族、コミュニティを中心に作られた紐帯を描き出すと同時に、そこでの秩序や規律がさまざまな境界を作り出すことに着目し、その境界が人種や階級、ジェンダーなどの社会的関係を具体化させることで、いかにして建設労働者の世界において各人の社会的役割が認識され、建設労働者の世界とそこに入らない外部とを分け隔てることにつながるかを明らかにした。
 第二に、労働民衆の狭い世界を描くことだけに焦点を絞ることで非政治化する傾向にあった社会史の陥穽を乗り越えるべく、あえて公権力や資本との関係に着目することで、建設労働者の「保守」像の塗り替えを行った点を高く評価できる。ニクソン政権の上からの政治戦略として従来、理解されてきた建設労組の連邦権力への参入・加担が、一方では労働現場の様々な変化に動揺する労働者側が下から名乗りを上げた動きとしてとらえることもできることを示した。先行研究では、建設労働者は保守主義者として大きな連邦権力の下に動員される受動的存在として描かれる傾向にあるが、あくまでも、労働者と公権力・資本との関係性の歴史分析から、労働者が国家に包摂されていくメカニズムを描こうとした。第一章などで戦前より公共事業をめぐり政治との緊密な回路を築いてきた建設労働者の歴史が分厚く語られていることもあり、政治史と労働史を架橋する視座を提供することに成功しているといえる。
 第三に、ニューヨーク大学タミネント図書館の二つの大きなオーラル・ヒストリー・プロジェクトを史料として用いたことで、労働の日常が作り出したエスニシティやホワイトネス、ジェンダーの境界線を
描いた点である。熟練工内部の位階性秩序や見習い制度の仕組み、縁故主義の実態に始まり、第六章での女性労働者の参加がもたらした現場の動揺など、史料が非常にうまくいかされている。
 本論文ではこうした優れた成果が生み出された一方で、以下のような問題点も指摘することができる。
 第一に、労働者の価値観や慣行(見習い制度、縁故主義など)の分析に力点を置くあまり、建設労働者の高賃金・好待遇・労働市場における位置づけなど、労働経済史的な説明が不十分となったのではないか。本論での労働者の日常、ソシアビリテに着目した下からの視座と労働経済史的な分析をうまく結びつけ両面から説明を加えることができていたら、さらに論文は説得力をましていたであろう。
 第二に、建設労働者のオーラル史料の扱いについては、その史料群がどのようなプロジェクトのもとで作成されたものであったのかを詳細に説明し、より詳細な史料批判をするべきだったのではないか。また、訳出の方法を含めさらなる工夫の可能性があったのではないか。
 第三に、「白人男性熟練工」のホワイトネス性(人種)とヨーロッパ系の各移民集団のエスニシティについて、その相互関係についてもう少し詳しい分析がほしかった。
 しかしながら、こうした問題点は南氏も十分理解しており、本論文の高い独創性と史料に基づく優れた分析を損なうものではない。

Ⅳ.結論
 審査員一同は、上記のような評価と、2010年1月22日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、南修平氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2010年2月10日

 2010年1月22日、学位論文提出者南修平氏の論文について最終試験を行なった。試験においては、提出論文「第2次世界大戦後のニューヨーク建設労働者に関する労働民衆史的考察-生活世界から捉えた絆と境界」についての審査員の質疑に対し、南修平氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって審査員一同は、南修平氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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