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博士論文審査要旨

論文題目:日本近世漁村秩序の特質と変容
著者:中村 只吾 (NAKAMURA, Singo)
論文審査委員:渡辺 尚志・若尾 政希・田﨑 宣義・池 享

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1.本論文の構成
 本論文は、日本近世における漁村社会の秩序とその変容過程を、17~19世紀という長期間にわたって、政治・経済・社会・意識の各側面から解明したものである。対象とする地域は、伊豆半島の西海岸で半島の付け根に近い、伊豆国内浦地域(現静岡県沼津市)の漁村である。
 本論文の構成は、以下のとおりである。

序 章 本稿の課題と構成
 はじめに
 第一節 近世漁業・漁村史研究の動向から
 第二節 伊豆国内浦地域に関する研究について
 第三節 隣接分野としての生業論について
 第四節 本稿の構成
第一章 近世前期漁村内部秩序の「安定」の形
     ―伊豆国内浦長浜村・重寺村を対象に―
 はじめに
 第一節 村内における津元の優位性の実態と相互認識
 第二節 村内秩序からの逸脱の事例にみえるもの
 第三節 村内での騒動が示すもの
 おわりに
第二章 近世前期漁村地域秩序と領主の関係性
     ―伊豆国内浦地域・駿州五ヶ浦地域を対象に―
 はじめに
 第一節 領主の支配体制による規定性―内浦と駿州五ヶ浦との異質性―
 第二節 生業・地理的環境による規定性―同一地域としての内浦と駿州五ヶ浦―
 おわりに
第三章 近世中期漁村内部秩序における経済面の流動性と認識面の固定性
     ―伊豆国内浦長浜村を対象に―
 はじめに
 第一節 一八世紀における階層構造および収益分配の構造
 第二節 津元株・網戸株、各々の意味
 第三節 経済面の流動性と認識面の固定性
 おわりに
第四章 近世後期漁村秩序における認識と実態―化政期の伊豆国内浦小海村での一件・天     保~安政期の同重須村での一件をもとに考える―
 はじめに
 第一節 一九世紀の内浦地域各村内部および津元家の経営状況
 第二節 化政期の小海村一件の概要
 第三節 小海村一件から読み取れること―認識と実態の関係―
 第四節 天保~嘉永期の重須村一件の概要
 第五節 二つの事件から読み取れること
 おわりに
第五章 近世漁村における網元的存在の性質について
     ―伊豆国内浦地域の津元を対象に―
 はじめに
 第一節 津元家における金融・地主経営
 第二節 津元による漁業への技術・労働的関与について
 おわりに
第六章 明治初期における漁村の秩序と変容
   ―伊豆国内浦地域を対象に―
 はじめに
 第一節 明治初期の内浦地域各村内部および津元家の経営状況
 第二節 秩序認識およびその根本たる津元制度をめぐる明治初期の状況
 おわりに
終章 本稿のまとめと今後の展望
 はじめに
 第一節 各章での検討結果について
 第二節 検討結果が意味するもの

2.本論文の要旨

 序章では、研究史の整理をふまえて、著者の問題意識が述べられている。従来の近世漁業・漁村史研究においては、近世における漁村社会の不変性・停滞性・安定性が強調され、それとの対比で明治維新における急激な変化が重視されることが多かった。漁村の停滞性をマイナスの意味で強調する研究潮流から、外部環境の変化にもかかわらず強固に存続する漁村社会の安定性をプラスの意味で評価する研究潮流へと、研究の潮目が変わった現在においても、漁村社会の不変性・停滞性・安定性という認識自体は依然として議論の前提に置かれ続けているといえる。
 著者は、こうした通説的・主流的見解に疑問を抱き、一見不変に見える漁村内部において、深く静かに進行していた変化の様相を多面的にあぶり出そうとする。その際の方法論として、漁村内部の階層関係・生産関係・所有関係にあらためて注目し、それと村や地域で支配的な秩序認識―大多数の漁民が共通の常識としてもっていた認識・理念・通念―との共通点とズレに着目する。たとえ秩序認識が不変であっても、漁村内部の階層関係・生産関係・所有関係などの実態面においては無視できない変化が起こっている場合があり、そこに着目することで、認識面と実態面の双方を包含し、安定と変化の両側面を見据えた漁村社会の全体像を描こうとするのである。その際に、生業(漁業)に関わる知としての「生業知」と、漁村社会の中心に位置する網元的存在―集団漁業の統括者で、漁業以外の経済的・政治的側面においても主導的な存在―に焦点を当てて検討している。
 第一章では、17世紀の長浜・重寺両村を対象に、津元(網元的存在)と網子(津元の統括下で操業する漁民)との関係のありようを分析している。17世紀においては「小農」(両村においては網子をさす)自立の動向がみられるが、それが津元の衰退には直結せず、網子が村内における一定の政治的地位の上昇を獲得しつつも、他方津元も漁業面・村政面での優位性を保持し続けた。津元・網子双方に、一定の階層差の存在はむしろ村全体の利益になるとの共通認識が生まれ、それに基づく強固で固定的な秩序が形成されたのであり、これが18世紀以降の漁村社会秩序を規定していくことになる。
 第二章では、17世紀における地域秩序と、それへの領主の関与との関係が追究される。その背景には、近年の研究における、地域の自律性を過大評価し、領主を地域秩序の守護者と位置づけて領主固有の利害を過小評価する傾向に対する批判が存在する。内浦やその近隣地域では、広域の村々がともに類似の環境下で漁業を営むという共通性に基づいて形成された地域秩序が存在した。しかし、同時にそこには役負担のあり方にみられる、領主による規定性も存在した。両者が併存していたのである。そして、領主は単なる地域の「平和」の守護者にはおさまっておらず、地域の枠組みを固定化し変化を抑制する存在でもあった。地域社会と領主との矛盾と折衝・合意によって、17世紀において1つの妥協点が見出され、それが以後の地域秩序のありようを方向付けたのである。
 第三章では、18世紀の長浜村を対象に、その内部構造、とりわけ生業における所有の側面に着目しつつ、村のありようを再検討している。ここで言う所有とは、漁業を行う海面の空間的所有と、漁業技術・労働力・知識の所有の双方を含意している。前者の面では、他村の者が所有権を獲得するなど所有構造の流動性が見られたが、後者の面では、日常的な操業における役割分担や家格・由緒による身分意識の固定性が顕著であった。ここに実態面での変化と秩序認識面での不変性との乖離がみられる。表面的には変動がないように見えても、深部では秩序の動揺につながる変化が静かに進行していたのである。
 第四章は、19世紀の小海・重須両村でおこった漁場海面の利用をめぐる争いを取り上げて、「生業知」にもとづく地域の秩序認識と、階層関係・生産関係などの実態面との相互関係およびその変容について検討している。内浦地域においては、各村の津元間に、漁業経営の共通性にもとづく一定の共通認識と連帯が存在していた。しかし、細かく見ると、村ごとに自然的条件や社会的環境が異なっていたため、19世紀になるとその差異が表面化し、新規漁場の開拓をめぐって村同士の対立がおこり、そのなかで各村の津元同士、あるいは村内の津元・網子間の矛盾が表面化した。こうして、明治維新を待たずに、地域秩序の動揺が進行していることが明らかとなった。
 第五章では、網元的存在としての津元の性格が集中的に考察されている。津元の経済的実力は、漁業収入のみならず、居村以外でも広く展開する地主経営や金融活動によっても支えられていた。また、漁業の技術・労働面への津元の関与は、直接的には水揚げの監督程度にとどまっていたが、漁業に関する総合的・多角的知識の保持という点では網子に対して優位に立っていた。すなわち、津元は、漁業労働への直接的関与の希薄さを、漁業以外の諸活動や豊富な漁業知識によってカヴァーすることによって、漁村社会における優越的地位を確保していたのである。しかし、漁業労働への関与の間接性は津元の弱点であり、19世紀にはその脆さが表面化しつつあった。
 第六章では、明治維新期を扱っている。この時期には、津元制度の廃止など重大な変化が起こっているが、それは従来言われているような、明治政府の新政策や自由民権思想の影響といった明治以降の外在的要因のみによるのではなく、第三~五章で明らかにしたような、漁村内部における緩やかだが重要な変化にも起因していた。近世後期における変化の村ごとのありようの違いによって、明治前期の変動の質と程度が規定されたのである。明治における変化を、明治政府の成立を起点に説明するのではなく、近世後期以来の歴史的流れのなかに位置づけて理解することが必要なのである。
 終章では、各章のまとめと今後の展望が述べられている。


3.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果は、伊豆国内浦地域の漁村像を格段に豊かにしたことである。内浦地域は、豊富な漁村史料を残しているため、従来から注目され多くの研究成果が蓄積されてきた。しかし、これまでは16・17世紀(中世・近世移行期)と明治維新期に関心が集中し、この両時期における大きな変化と、その反対に17世紀末から19世紀前半における不変性・停滞性という歴史像を描いてきたといえる。また、従来の諸研究は、方法的には、漁村の内部構造や津元の経営の分析が不充分であるという問題点をもっていた。それに対して、本論文では、津元を軸とした村・地域秩序の形成から動揺、そして改変にいたる全過程を、漁民たちの秩序認識・意識の位相と、階層関係・生産関係・所有関係という実態レヴェルの位相との相互関係において詳細に跡づけた点に大きな意義が認められる。17世紀における秩序の成立以来、一貫してその枠組みの維持に向けて根強く効力を発揮し続けた秩序認識、そこにおさまりきらない部分をしだいに拡大させてゆき、ついには秩序認識の効力を失わせるにいたった経済的実態、というかたちで、17世紀から19世紀にいたる内浦漁村史が本論文によってはじめて一貫した視点のもとに叙述されたのである。
 第二に、こうした秩序認識と経済的実態との関係を見るうえで、「生業知」と網元的存在(津元)に注目したことがあげられる。現代における環境問題の深刻化にともなって、前近代史研究においても、環境史が注目されている。環境史においては、人の自然へのはたらきかけ方、とりわけ生業面でのそれが重要であり、そこに「生業知」の重視されるゆえんがある。しかし、従来の生業論では、村内の階層差やそれに起因する矛盾・葛藤への注目が弱く、漁民なら漁民の「生業知」一般というかたちで論じられることが多かった。しかし、本論文では、津元の保持する「生業知」の特質と限界を、網子のそれと対比しつつ明らかにしている。こうした村内の階層関係・生産関係をふまえた生業論は、今後の環境史研究にとって大きな方法的示唆を与えるものとなろう。
 第三に、以上あげたような本論文の方法的メリットは、ひとり漁村史研究のみならず、農村史・山村史研究にも適用可能な拡がりをもっている。本論文のような視角から農村史・山村史研究を見直したとき、そこに新たな村落像と、農・山・漁村史の相互対話の可能性が見えてこよう。本論文は、村落史研究、ひいては近世史研究の総合化・豊富化に向けての豊かなヒントを蔵しているといえる。
 以上のように、本論文は、研究史上大きな意義を有しているが、もとより不充分な点がないわけではない。
 本論文では、支配的な秩序認識のあり方と、階層関係・生産関係・所有関係などの実態面との関係性を探るという方法が採られているわけだが、この両者の線引きに曖昧な点が残されている。たとえば、共同体規制などは両者に関わる問題だが、その位置づけが十分にはなされていない。また、実態面での変化が生じる原因として、本論文では津元の漁業への関わりの希薄さがあげられているが、それ以外の諸要因―好不漁の波、漁法の変化、魚需要サイドの動向など―についての目配りが若干不足している。
 ただし、こうした問題点は著者もよく自覚しており、今後の研究のなかで克服されていくものと思われる。
 以上のことから、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したと認め、中村只吾氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2010年2月10日

 2010年1月20日、学位論文提出者中村只吾氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「日本近世漁村秩序の特質と変容」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、中村只吾氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は、中村只吾氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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