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博士論文審査要旨

論文題目:中国の対外経済政策決定過程に関する研究 ―GATT復帰・WTO加盟交渉を事例として―
著者:賈 義猛 (JIA, Yi Meng)
論文審査委員:佐藤 仁史・加藤 哲郎・高田 一夫・中野 聡

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1. 本論文の構成
 本論文は、中国のGATT復帰交渉およびそれを引き継いだWTO加盟交渉の経緯を精細に整序し、それを「複合連繋政治過程モデル」という理論モデルによって分析したものである。このトピックに関する世界で初めての体系的研究であるだけでなく、1次史料を幅広く渉猟するとともに、交渉に携わった中国・日本の実務家たちにインタビューすることを通じて、多数の新史実を発見している。多元的・多層的な分析を行うことで大きな成果をあげたこと、さらには交渉の過程における中国政治の多様なアクターの連繋を明らかにし、中国政治分析に新たな地平を開いたことが高く評価されよう。以下、本論文の構成を示す。
 
 序章 国際、国内政治過程の変容と中国のGATT復帰・WTO加盟交渉
 第1章 先行研究の検討と分析枠組みの提示
 第2章 GATT・WTO体制と中国のGATT復帰・WTO加盟問題
 第3章 中国対外経済政策決定過程の構造: 国内制度と政策行為者
 第4章 GATT復帰交渉をめぐる政治過程
 第5章 WTO加盟交渉をめぐる政治過程
 終章
 付録1 日中面接者一覧
 付録2 WTOのメンバー一覧(2002年1月1日現在)
 付録3 中国のGATT復帰・WTO加盟に関する公文書一覧
 参考文献
 
2. 本論文の概要
 第1章では、中国の政策決定過程、とりわけ対外経済政策の決定過程および中国のGATT復帰・WTO加盟問題に関する既存の研究成果を整理し、先行研究の問題点を明らかにした上で、本研究の位置付けと研究の独自性を明らかにしている。これまでの研究はほとんどが特定の時期を扱っただけで、分析枠組みも明確でないものであったが、本研究は交渉の全期間を分析したばかりでなく、対外政策決定論の研究成果に依拠しつつ、中国のGATT復帰・WTO加盟交渉を分析するための枠組み、すなわち「複合連繋政治過程」のアプローチを提示した。ここで言う「連繋」とは、従来のローズノー流の連繋の複雑な類型化と異なり、主に国際交渉をめぐる3つの「縦」の連繋と2つの「横」の連繋から構成される。3つの「縦」の連繋とは、国内政治過程の国際的な相互作用という官際連繋、各国の国内政治アクター間の国際的な相互作用という民際連繋、さらに以上の2つのレベルの交差的な連繋という官・民交差連繋を指す。「横」の連繋とは、二国間交渉と多国間交渉の連繋および交渉争点の連繋を指す。国際交渉をめぐる対外政策決定過程はこうした複合的な連繋構造の中で国内外政治アクターの相互作用の政治過程、いわゆる「複合連繋政治過程」として捉えられる。
 第2章では、中国のGATT復帰・WTO加盟問題の発端と交渉の焦点について概観している。中国のGATT復帰・WTO加盟問題の発端を説明する上で、5つの交渉難題からこの交渉の特殊性を明らかにした。内外政治経済の変容を背景に、5つの具体的な問題をめぐって、中国とGATT・WTO加盟国との間に激しい対立が存在した。第1は、交渉の初期段階において、中国のGATT参加がGATTへの「地位回復」であるかそれとも「新規加入」とするかをめぐる問題である。第2は、1995年のGATTからWTOへの転換を受け、交渉の内容が拡大し、サービス分野の自由化が交渉の焦点となり、中国とWTO加盟国との協議がさらに複雑化したことである。第3は、1986年の大陸側のGATT復帰申請をみて、台湾も1990年に独立した関税地域としてGATTの加盟を正式に申請したことである。中国復帰交渉が台湾のGATT参加の処理とリンクされて、交渉争点の連繋政治現象が出現した。第4は、中国が発展途上国として加盟申請したことに対して、アメリカを先鋒とするGATTの加盟国側がそれを認めなかったことである。第5は、中国が旧社会主義国家のGATT参加の経験に鑑みて、選択的セーフガードなどの特別義務を受け入れない立場に立って加盟交渉に臨んだことに対し、主要加盟国は選択的セーフガードや数量的な制限などの特別義務を加えることを強調したことである。以上の5点につき、著者はこの時期には複合連繋政治過程は後の時期ほどには明確に現れていないとしている。
 第3章では、中国の政治体制や政策行為者を分析し、中国の対外経済政策決定の構造を分析している。著者は中国の政策決定構造を「指導部政治」、「省庁と官僚政治」、「交渉団の構成」に分け、諸政府内政策行為者の役割と実態を考察した。そして、中国の経済、社会の構造的変容を踏まえ、シンクタンクの役割の増大、利益団体政治の顕在化、国内世論の多様化を中心に分析し、中国の対外経済政策決定過程における非政府政策行為者の登場とそれらの影響力について検討した。中国の政治過程が部分的ではあるにせよ、多元化しつつあることを実証した点で注目すべき成果であると言える。
 第4章では、第2章で扱った時期からWTOへの転換直前の1994年までに至るGATT復帰交渉の展開過程を分析している。著者はこの時期における重要な交渉情勢の変化に基づいてさらに交渉段階を3つの時期、つまり、1980年から1986年7月までの交渉の「下準備期」、1986年8月から1989年5月までの交渉「順調期」、1989年6月から1994年12月までの「難航、再開と失敗期」に分けて、それぞれの時期の交渉の展開過程と中国の政策決定過程を分析した。また、台湾のGATT加盟申請問題にも着目し、両岸のGATT加入交渉の交錯とこの問題の処理過程を検討し、それに関連する中国の政策決定過程の実態を追跡した。
 GATT復帰交渉の「下準備期」から「順調期」までの交渉をめぐって、中国の政策決定は主に省庁・官僚の主導で行われ、指導部の強力な介入は少なかった。この時期には複雑な連繋は見られないと著者は指摘している。しかし同時に、GATT復帰問題の専門的性格から、内外の専門家やシンクタンクがこの政策決定過程にかかわるようになった。ここに専門スタッフが政府外から加わるというこれまでに中国の政策決定では見られなかった要素が出現した。これは中国の政治過程が多元化を始めたことを意味している。
 しかし、天安門事件以降、交渉の停滞と難航の中、米中の間で人権問題や最恵国待遇供与問題などをめぐって激しい対立が生じた。この結果、GATT復帰問題が米中の最恵国待遇供与問題と直接リンクされ、交渉争点の連繋政治現象が初めて浮上してきた。同時に、台湾も1990年に独立した関税地域としてGATTの加盟を正式に申請したため、交渉争点の連繋は一層複雑化した。さらに省庁間と官僚政治レベルにおいて、GATT復帰交渉にかかわる国務院の省庁がさらに多くなり、省庁間の立場の食い違いが表面化した。1994年の中国のGATT復帰交渉失敗の原因は、主にアメリカなどの加盟国が中国に対して過剰な加盟要求を提出したことであると中国国内で広く報道されたが、著者によれば中国政府内政策調整の不調がGATT復帰交渉を失敗させた重要な要因であった。これも本研究による新たな発見である。
 こうした複合連繋現象は復帰交渉の後期段階に入ってさらに頻繁に現れるようになった。交渉争点が連繋化したことはすでに述べたが、この他官際連繋においても新しい点が見られた。米国議会の、最恵国待遇供与問題を巡る対中批判論調の増大は、アメリカ大統領の政策選択に大きな制約を与え、簡単に対中最恵国待遇を更新できなくなった。最恵国待遇供与を獲得するため、中国はアメリカ議会も同時に重視しなければならなくなり、中国政府は、一方でアメリカの行政府との協議において一定の譲歩を打ち出し、大統領に対中最恵国待遇供与を更新するように働きかけた。もう一方で、アメリカの国会議員を多数中国に招聘し、積極的に対米議会外交を行って、アメリカ議会の対中敵視の勢力を分裂させようと努めた。
 逆に、アメリカも官際連繋の行動戦略を活用した。例えば、1993年7月の二国間交渉で、アメリカがサービス分野において中国の交渉団に新たな譲歩を要請したが、中国交渉団はそれを拒否した。その後、アメリカの通商代表部の高官が中国の交渉団を避けて、直接中国の関連政府部門のサービス産業政策担当者と接触し、サービス分野での譲歩を求めた。さらに、中国の国内における「GATTブーム」の高まりは、中国の政策決定過程における世論の登場を単に表したばかりでなく、同時に交渉相手であるGATT加盟国側の政策為者の注意も喚起し、一種の反響を及ぼした。これによって一種の官・民交差連繋が形成されたのである。
 第5章は、1995年以降のWTO加盟交渉の展開とそれをめぐる中国の政策決定過程を明らかにした。本研究では、この段階での交渉を、市場アクセスを交渉内容とした主な二国間交渉、つまり日中交渉、米中交渉とEC/EU・中国交渉と、加盟議定書の作成を中心テーマとした多国間交渉に分けて、それぞれの交渉の実態と中国の政策決定過程を分析した。この段階の交渉をめぐる中国の政策決定過程において次のような特徴と変容が現れた。
 第1に、GATT復帰交渉の失敗を受けて、中国の指導部がこの問題の重要性を重視し始め、WTO加盟問題の処理に当たって、より直接的な介入と全面的なコントロールを行うようになった。1995年以降、新たな交渉原則の確立や具体的な交渉方針の策定は、常に「指導核心」としての江沢民の直接の指示で行われた。しかし江沢民と朱鎔基の影響力が最も強かったとはいえ、最終の政策決定はやはり政治局会議を通して、集団指導の形で行われたのである。中国の指導部政治は、集団指導体制の強調と政策決定のルール化へと変容してきた。これは中国の政策決定過程の大きな変化である。
 また、この時日本が他の交渉に先立って外交的アイデアを提示し、米中交渉とEU・中国交渉の成功を推進した事実が発見できた。日本外交の地味ではあるが、大きな貢献を発見できた意義は小さくないと言える。
 集団指導の枠内にあるとはいえ、中国の政策決定過程はこの時期、政府内政策行為者の多様化によって政策調整は難航した。WTO加盟交渉の段階に入ると、サービス貿易など交渉分野の拡大によって交渉に参加する中央省庁がさらに多くなり、産業政策担当の省庁も交渉にかかわるようになった。中国の交渉団は1999年までサービス分野での大胆的な市場自由化案を提出することができなかった。その背後には、サービス産業の自由化をめぐって、WTO早期加盟を提唱した外経貿部と幼稚産業保護を強調した産業政策担当省庁の対立が存在し、政府内政策調整がうまくいかなかったという事情があった。中国政府は、国務院に政策調整組織として指導小組を設立したが、その政策調整の機能が十分に発揮できず、1998年にはこの組織を廃止した。1999年以降、国務院の中で新たな小組が設立されたが、米中交渉の経緯から明らかになったように、最後の政策調整はやはりより高いレベルでの中央財経工作指導小組で行われて成功したのである。指導部の強力な介入がない場合、省庁間・官僚組織内部の政策調整がなかなかうまくできなかったことは中国の政策決定過程のもうひとつの側面を象徴している。
 さらにWTO加盟交渉の段階に入って、中国の政策決定過程における非政府政策行為者の役割がより目立つようになった。上海WTO研究センターおよび対外経済貿易大学のWTO研究院を代表とする学術型シンクタンクが政策形成に少なからず貢献した。これは筆者のインタビューによる成果である。また、大型国有企業・寡占産業およびそれらの業界団体と有力な外資企業が、利益団体として登場し、関連の政府部門に対して、様々な陳情やロビー活動を展開した。加えて、中国国内でWTO加盟問題への注目度の高まりとナショナリスティックな世論の台頭を背景に、GATT/WTO参加の是非を巡る政策論争が表面化し、多様化した国内世論も交渉の進展と中国の政策決定過程に一種の制約を与えた。
 最後に、「複合連繋政治」現象が多発するようになった。まず、官際連繋の現象に関して言えば、中国の政策決定過程において、中国の交渉者がアメリカ政府の市場開放の要請を「外圧」として取り込み、市場開放に関する政府内外の勢力を封じ込むことで、交渉の妥結と国内経済改革の促進へと活用した点である。次に、官・民交差連繋の現象について言えば、米中交渉の中で、中国政府の行動戦略として「買い付け」外交を活用し、アメリカの国内のアクター、特に大手企業をはじめとする有力の利益集団に特別な便益を与え、そして、かれらを動員することで、アメリカ国内政治過程において中国の代弁者の役割を働かせる政策工作を行った点である(官→民交差連繋)。
 これに対して、日中交渉の中で1997年の日本流通業23社の大手企業が、直接に中国の国内貿易部と意見交換を行ったことや生命保険市場開放問題を巡る交渉の中で、AIGのグリーンバーグ会長が朱鎔基総理に直接的に働きかけたことは、逆の方向で「民→官交差連繋政治」の存在を示している。一方、政策行為者の意図と反する官・民交差連繋政治現象も本研究で確認された。これも筆者の発見であるが、1999年4月8日、アメリカ通商代表部が中国交渉団の了解を得ずに米中交渉の内容を公表した。この行動はアメリカ政府の一種の国内の説得工作だと理解できるが、しかし、それと同時に、この内容がインターネットを通じて、中国国内にも知れ渡った。これまで中国国内で報道されなかった内容が、中国国内で強い反発を引き起こし、中国の交渉者が国内世論から厳しい批判を浴びるようになった。中国政府は一時的に強硬な交渉態度に転じた。これによって、アメリカ政府の行動が中国国内で当初彼らの意図していたことと全く逆の効果をもたらした。このように中国の政策決定過程は同じ国家体制の下でも、かなり多様化してきたことは中国政治の新しい方向として注目すされる。
 終章では、これまでの分析を踏まえ、GATT復帰・WTO加盟交渉の長期化をもたらした諸要因をあらためて整理し、交渉の展開過程に重層的に現れた連繋現象を抽出した。また、この交渉を複合連繋政治過程として帰結することによって、本研究で提示した分析枠組みの有効性と限界を検証した。そして著者は、この交渉から見た中国の対外経済政策決定過程の特徴と変容を次の3点に総括した。第1は、中国の対外経済政策の決定過程において、建前としての高度集権的指導部政治構造と断片化した官僚政治構造が並存している点である。第2は、対外経済政策の決定にかかわる政策行為者の多様化、特に各種の非政府政策行為者の登場によって、中国の政策決定過程は次第に複雑化、重層化した構造を形成するようになってきた点である。第3は、政策論争の公開化と政府政策批判の容認の増加によって、中国の政策決定過程を従来の閉鎖的で不透明なメカニズムからより合理的な開かれたメカニズムへと変容しつつある点である。
 
3.本論文の成果と問題点
 本論文の成果として以下の3点を挙げることができよう。
 第1に、本論文が複合連繋政治過程モデルという著者独自の理論モデルを構築し、それにしたがって中国のGATT復帰・WTO加盟問題を政治学的に分析した点である。こうした総合的な分析はこれまで誰も成しえなかったことであり、高く評価できる。
 第2に、分析が多元的、多層的であり、中国政治の分析として出色の出来映えと言える点である。この結果、中国国内の世論やシンクタンクの政策への貢献といった、従来ほとんど指摘されたことのない要素を盛り込むことに成功している。また、政府部内でも党主席、最高指導層、個別官庁といったさまざまなレベルでの政策決定のダイナミズムを明らかにすることができたことも特筆すべき成果と言える。全体として、中国政治の構造転換を明らかにした点は学界への大きな貢献である。
 第3に、多様な政治アクターのリンケージを、インタビューなど実証的な研究により明らかにしたことも優れた点としてあげられる。特にこの問題に関する日本の地味ではあるが小さくはない貢献を発見したことなど、新たな史実を掘り起こしたことも特筆すべきである。粘り強い調査は著者の面目躍如たるところである。
 こうした反面、問題がなお残っていることも事実である。たとえば著者の理論モデルがGATT復帰・WTO加盟を超えて、他の問題にも適用できるかどうかは未知数であるといわざるを得ない。この点さらに検討が求められる。
 また、世論やシンクタンクなど中国の非政府アクターの貢献についてはなお議論の余地がある。何を以て世論とするか、中国のシンクタンクは果たして非政府組織と言えるかなどの問題は掘り下げ不足の感を免れない。
 とはいえ、これらの問題点は著者の今後の研究により、より分析が深化することは十分に期待できる。
 以上のように審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく寄与するものと認め、賈義猛氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2010年3月10日

 2010年2月2日、学位請求論文提出者賈義猛氏についての最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文『中国の対外経済政策決定過程に関する研究―GATT復帰・WTO加盟交渉を事例として』について、逐一疑問点について説明を求めたのに対し、賈氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は賈義猛氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。
           

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