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博士論文審査要旨

論文題目:マルクスにおけるイデオロギーとヘゲモニー
著者:明石 英人 (AKASHI, Hideto)
論文審査委員:嶋崎 隆・岩佐 茂・渡辺 雅男・平子 友長

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Ⅰ 本論文の構成
 本論文は、政治哲学的観点から、マルクスの階級・階層論やイデオロギー論を基礎としつつ、彼の実践的かつ現実的なヘゲモニー論の展開を、エルネスト・ラクラウ、シャンタル・ムフ、さらにイタリアのグラムシを中心に、内外の豊富な関連文献の到達点を論評しつつ、克明に論じたものである。マルクスに即した新しい読解をおこなうために、著者はイデオロギーを単なる「虚偽意識」などではなく、むしろ「生活規範」や「支配的思想」のありかたからとらえ、またヘゲモニーも単なる政治的戦略などではないかたちで考察する。その意味で、著者はヘゲモニーを、単なる経済還元主義に陥らずに、階級・意識間のズレをともなう、諸勢力による「普遍性」獲得の争いというダイナミックな観点から検討する。
目次は以下の通りである。

序論 マルクスにおけるイデオロギーとヘゲモニー
第一部 ヘゲモニー論の再検討   
第一章  ラクラウ&ムフのヘゲモニー論とラディカル・デモクラシー   
 はじめに   
 1 ラクラウ&ムフのラディカル・デモクラシー論   
 2 「位置移動」をめぐって   
 3 「境界線」をはさんだ敵対性とアイデンティティ形成   
 4 代表制の意義   
 5 経済の民主化   
  おわりに   
 第二章 グラムシのヘゲモニー論とマルクス摂取   
  はじめに   
  1 グラムシのヘゲモニー論の概略   
  2 グラムシのマルクス摂取   
  おわりに   
第二部 知識人とプロレタリアートのヘゲモニー的関係―初期マルクスのイデオロギー批判と革命論 
 第三章 『独仏年誌』におけるヘゲモニー論的展開  
 はじめに   
 1 ラクラウから見た「ヘーゲル法哲学批判序説」   
 2 マルクス市民社会論とグラムシ   
 3 市民社会の精神的要素―教養と宗教   
 4 マルクスとグラムシにおける「常識」   
 おわりに
第四章 パリ期マルクスにおける道徳イデオロギーと「普遍的精神」  
  はじめに   
 1 マルクス主義道徳論をめぐって   
 2 「自業自得」論とパリ期マルクス   
 3 生活過程論的観点から捉えたマナーズ論的イデオロギー   
 4 「普遍性(一般性)」を標榜する道徳イデオロギー   
 5 「批判的論評」のドイツ社会意識・イデオロギー論   
 おわりに
 第五章 疎外論とイデオロギー―『ドイツ・イデオロギー』のヘゲモニー論的読解から  
 はじめに   
 1 分業と思想の自立化    
 2 社会的諸関係の自立化と「物象化」   
 3 シュティルナーの疎外論と「エゴイズム」   
 4 知識人と大衆のヘゲモニー的関係   
 おわりに   
第三部 国民的ヘゲモニーと普遍的結合―1848年前後の社会理論
 第六章 『ドイツ・イデオロギー』における「普遍性」と「一般性」   
 はじめに   
 1 『ドイツ・イデオロギー』における二つの「普遍性」   
 2 プロレタリアートの普遍的性格   
 3 国家の「一般性」   
 4 ブルジョア・イデオロギーの生産者と受容者   
 5 資本制の不均等発展と功利主義思想の伝播   
 おわりに   
第七章  『共産党宣言』におけるヘゲモニー論  
 はじめに   
 1 『共産党宣言』にいたるまで   
 2 『共産党宣言』のヘゲモニー論的視座   
 3 ヘゲモニーの諸局面   
 4 フランスとドイツにおけるイデオロギーとヘゲモニー   
 5 プロレタリアートの変革運動における「内容」と「形式」   
 6 プロレタリアートの実像と歴史性   
 おわりに   
第八章  フランスにおける階級闘争とヘゲモニー   
 はじめに   
 1 マルクスにおける「ヘゲモニー的節合」   
 2 経済還元主義と本質主義的階級観をめぐって   
 3 「民主的=共和制的諸制度」とプロレタリアート独裁   
 4 ボナパルティズムと国民的ヘゲモニー
 おわりに   
 補論  ロシア農村共同体論の射程 
  はじめに   
  1 共同体観の「転換」とチェルヌイシェフスキー   
  2 ナロードニキへの期待―再生拠点としての共同体   
  3 生産様式接合理論とロシア社会分析―周辺資本主義論   
  4 ロシア農村共同体論におけるヘゲモニー   
  おわりに   
結語   
文献一覧   

Ⅱ 本論文の要旨
 本論文は、「序論」「補論」を含みつつ、基本的に三部構成をなす。本論文の内容の紹介をおこなう「序論」は、従来の内外の研究状況を概観しつつ、そのなかで著者の問題意識や研究上の観点を開示する。とくに著者は、マルクスのイデオロギー概念を四つに区分し、そのなかで「普遍性(一般性)」を標榜する支配思想という側面を重視する。なぜなら、そこからヘゲモニー獲得の争いや同盟関係が積極的に生ずるからである。いずれにせよ、著者はいわゆる「唯物史観の公式」や「土台-上部構造」論を一種の「理念型」として認めつつも、そこから演繹されたのではない、とくにマルクスの時論的著作からの、変化に富んだ現実的ヘゲモニー論に注目するのである。
 第一部は、著者の以上の問題意識から、日本でも大きな影響を与えたラクラウ、ムフのマルクス批判(第一章)、さらにイタリアのグラムシのヘゲモニー論(第二章)を扱う。これ以後、著者は本論文の全編を通じて、彼らの見解を紹介・検討している。
 第一章では、ラクラウ、ムフのラディカル・デモクラシー論が一方では注目される。この章に限らないが、『ポスト・マルクス主義と政治』など、著者はラクラウ、ムフの多くの著作を検討する。彼らは、人びとが広範に連帯、同盟の「節合」関係をつくる事態や、そこに土台・上部構造間のズレ(「位置移動」)、革命とその担い手のズレ、アイデンティティ形成の流動性などが発生したり、さらに政治的言説やレトリックの流動性から同盟や敵対の関係が生まれたり、というリアルな事態を把握しようとした点で注目される。こうして彼らは、正統派マルクス主義のようには、労働者階級を特権的主体として立てない。だが他方、彼らがマルクスを経済還元主義、本質主義などに陥っていると批判するとき、その批判にたいしては、著者によって、マルクス自身と従来のマルクス主義を混同していると逆に指摘される。第二章では、著者は、『獄中ノート』を中心に、ヘゲモニー装置、有機的知識人、同意と強制、受動的革命などの構想にそって、グラムシのヘゲモニー論を丁寧にとらえ返す。だが、むしろ本章の独自性は、『独仏年誌』の二論文(「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」)、「フォイエルバッハ・テーゼ」を経て、『経済学批判』「序言」に至るまで、グラムシの叙述と照合し、丁寧に分析した点にある。そこではむしろ、グラムシは、ラクラウ、ムフとは異なり、マルクスを経済還元主義の立場にあるとみなさず、土台と上部構造の有機的な関係を掘り下げようとしたのであり、著者はそうした彼のマルクス理解を高く評価する。著者はさらに、「フォイエルバッハ・テーゼ」の第三に見られる「変革的実践」という用語の、グラムシによるイタリア語訳の問題点に触れ、そしてまた、実はグラムシのヘゲモニー論の彫琢にあたり、マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』が重要な役割を果たしたのではないかと指摘する。こうして著者は、イデオロギーの主体形成的機能を重視するグラムシに注目し、彼がマルクスを高い水準で理解していたとみなす。
 第二部は、初期のマルクスに即して、プロレタリアートとドイツ哲学のヘゲモニー・ブロックの形成がいかにおこなわれてきたかを展開する。第三章では、あらためて『独仏年誌』の二論文を扱うが、そのさい同時に、ラクラウ、ムフとイタリアのグラムシのマルクス解釈の是非がより詳しく検討される。著者は、ラクラウが批判するマルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」に即していうと、この点で、先進的なドイツの哲学とプロレタリアートの同盟関係のなかに「位置移動」の関係がむしろ見られると反駁する。さらにグラムシのヘゲモニー論に関連して、著者は、マルクス「ユダヤ人問題によせて」によれば、「市民社会」が私有財産などの物質的要素のほかに、「教養や宗教のような精神的要素」を含んでいることに注目する。この点で、プロレタリアートの教養形成はさきの哲学との同盟関係の促進につながるとされる。さらに現実への「抗議」とみなされる宗教のなかにも、マルクスは解放のポテンシャルを認めていたのではないか、と著者は示唆する。グラムシでは、こうした宗教的内容を含んだ「常識」から、すぐれた意味の「良識」が発生するのである。
 第四章では、『ドイツ・イデオロギー』に即して、「理論的妄念」や「生活規範」として働き、かつ「道徳、宗教、形而上学」などと例示されるイデオロギー概念が提起されるが、他方マルクスが、『経済学・哲学草稿』などで英仏のイデオロギーのあり方にも言及したことに注目される。そこでは、国民経済学が自制や禁欲を重んずる道徳的学問とみなされており、生活態度(マナーズ)的な道徳的イデオロギーが論じられる。それによれば、労働者が貧困であるのはその人格的欠陥に由来するとされ、スミス的な交換性向の理論が禁欲をおこなうブルジョア的な行為規範となるといわれる。こうしてマルクスによれば、国民経済学はそのブルジョア的特殊利益を普遍的な(allgemein)利益と詐称する(これにたいして、プロレタリアートは真に人類史的かつ普遍的な(universell)利益を代表するとされる)。著者のヘゲモニー論の主張のひとつがここに見られる。
第五章では、おもに『ドイツ・イデオロギー』に即して、その疎外論とヘゲモニー論との関連が扱われる。マルクスによれば、自然発生的な分業が純粋理論、神学、哲学、道徳などを発生させ、逆にわれわれを支配する「物象的強制力」となる。だが、そこでは、哲学的イデオロギーへの批判はあるが、経済学的な価値論が欠如しているために、『資本論』の段階とは異なって、経済学がイデオロギーには含められない。以上のように規定しつつ、著者はとくにシュティルナー、バウアーらのイデオロギー批判、疎外論批判の限界を詳論する。その結果マルクスは、彼ら哲学者の理論が実践から遊離することを防ぐために、「共産主義的意識」の形成によって、知識人と大衆が実践的に結合することを求めるのである。こうして著者によれば、初期マルクスのヘゲモニー論的課題は、プロレタリアートを階級主体として形成しつつ、他方、知識人が大衆から遊離せずに、彼らといかに結合できるか、ということであった。
 第三部は、移行期である『ドイツ・イデオロギー』以後、マルクスのヘゲモニー論がより具体化され、複雑化してくることを論ずる。第六章は『ドイツ・イデオロギー』で、ヘゲモニー論的観点から、マルクスが「一般性 Allgemeinheit」「一般的」と「普遍性 Universalität」「普遍的」を区別していることを、あらためて多くの事例にそって論ずる。前者は、イデオロギー的に詐称された「一般性」であり、シュティルナーの主張する「一般性」、統一ドイツと詐称される場合や、ブルジョアジーの「一般的利益」などがそれである。後者はプロレタリアートの依拠する「普遍的発展」「普遍的交通」「普遍的性格」などであり、これこそ真の人類史的な普遍性に他ならないという。こうしてとくに、「普遍性」を詐称することに成功したイデオロギーは「支配的思想」になることができる。このなかでこそ、単なる国家道具説ではない、共同利害を形成するヘゲモニー論的国家観が展開されうるのである。
第七章は、『共産党宣言』をヘゲモニー論的視角から実に多様なかたちで取り扱う。この段階でマルクスは、ブルジョア民主主義革命から共産主義革命へという二段階的発想をとり、その意味でヘゲモニー論的にいって、小ブルジョアジーとプロレタリアートとの同盟や、封建勢力に対抗するブルジョアジーとプロレタリアートの同盟の不可欠性、さらに進んで、ブルジョア思想家とプロレタリアートの同盟も考えられるという。さらにまた、ヘゲモニー論の立場から、フランスとドイツの階級的状況の区別も論じられたり、プロレタリアートの国際連帯と国内的ヘゲモニーの関係が論じられたりする。
 第八章では、著者は、マルクス『フランスにおける階級闘争』『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(両者合わせて「フランス論」と呼ばれる)を中心に、一八四八年の二月革命期のフランスの階級闘争とヘゲモニー関係の状況をさらに詳細に論ずる。そのさい著者は、もしラクラウ、ムフがこれら「フランス論」をまともに取り上げれば、マルクスを本質主義的階級史観の持ち主などとはけっして非難できなかったはずだと論ずる。マルクスが階級分析を含め、ここできわめて多様にヘゲモニー論を展開したという意味で、著者はこの「フランス論」を重視する。たとえば、それによれば、金融貴族とブルジョアジーの合体である秩序党が支配ブロックを形成し、「普遍的な階級利害」を詐称し、それにたいして農民と小ブルジョアジーがプロレタリアートに同盟したり、さらに彼らがプロレタリアートから離反したりする事態が描かれる。そこでは同時に、「共和制」や「無政府」という政治的言説は「空虚なイデオロギー的形式」となり、政治的ヘゲモニーを節合させつつ、それを奪い合うためのレトリックとなった。こうしてマルクスは、現存の複雑なヘゲモニー関係を洞察しつつ、新たな対抗ヘゲモニーを模索するために、「フランス論」を書いたのである。とはいえ以上において、著者はマルクスの歴史認識、政治認識が現段階の研究から見て、不十分な点もあるということにも注意を払う。
 「補論」では、ロシアの農村共同体へのマルクスの期待という問題が、『資本論』「『祖国雑記』編集部への手紙」「資本主義生産に先行する諸形態」「ザスーリチへの手紙」、さらにエンゲルス「ロシアの社会状態」などを素材に考察される。ここでは、ヘゲモニー論的にいって、「階級同盟」をいかに形成するのかという問題と関わって、農村共同体の農民やナロードニキへの対応をいかにするべきかという問題が発生する。農村共同体を積極的に生かしたロシア革命が可能だとした晩年のマルクスは、こうして著者によれば、いわゆる周辺資本主義論の提起するような問題を理論化しようとしたのである。
 最後の「結語」は、著者の主張をわかりやすく総括している。著者はここで、ラクラウ、ムフ、グラムシ、ネグリらを念頭に置いて、階級闘争を単にアイデンティティ政治のひとつのタイプと考えるべきではなく、それを結節点としつつ、新しい社会運動を幅広く包含したヘゲモニー実践が求められるべきであると結論する。

Ⅲ 本論文の成果と問題点
以下において、本論文の成果と問題点について列挙したい。
 成果の第一は、マルクスの「法哲学批判序説」『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』『哲学の貧困』『聖家族』『共産党宣言』「フランス論」など、おもに一八五〇年代までのマルクスのイデオロギー論の考察を前提に、さらに「補論」でのロシア革命論も加えて、とくにマルクスのヘゲモニー論をドイツ、フランス、ロシアの階級・階層の関係に即してきわめて詳細かつ説得的に論じたことである。この点で著者は、多くのマルクス主義の研究文献を丁寧に読解しつつ、慎重にみずからの見解を提示している。この点で、革命家マルクスにおいて、経済的土台や「唯物史観の公式」に還元されない、豊かなヘゲモニー論が存在したことがいまや解明されたといえよう。
 成果の第二は、イデオロギー論、ヘゲモニー論に関連して、日本でも、従来において注目され議論を呼んできたラクラウ、ムフ、さらにグラムシの主張を、マルクス自身の文献に照合してきわめて詳細に論じて、批判的に位置づけたことである。彼らへの論評は本論文の全編を貫いているが、この点で著者の意図は十分に成功している。とくにラクラウ、ムフに関しては、そのマルクス批判(マルクスは経済還元主義、本質主義、生産力主義に陥っている)を著者は十分に論駁しており、それどころか、経済現象に還元されないヘゲモニー論、節合論・同盟論、位置移動論など、むしろ彼らの主張する論点をマルクス自身の政治思想のなかに見いだすことによって、かえって彼らの主張を根拠づけてもいる。そして、グラムシの見解には基本的に賛同しつつ、最新の文献的成果(MEGA)に即して、彼の見解を検討しなおしている。
 成果の第三は、『ドイツ・イデオロギー』などマルクスの文献に即して、ヘゲモニー論的観点から「一般性 」「一般的」という用語と「普遍性 」「普遍的」という用語とが区別されていることを実証的に指摘したことである。前者はブルジョアジーなどが自己の特殊利益を普遍的としてヘゲモニー的に詐称するときに用いられ、後者はプロレタリアートなどが真の人類史的な利益を主張するときに用いられるとされる。マルクスにおいて広く哲学史、認識論などに即しても、ヘーゲル弁証法との関連を考慮しつつも、こうした区別が貫徹されているかどうか、さらに調べられなければならないが、ユニークで明快な問題提起といえよう。
 本論文の不十分性については、第一に、必ずしもマルクス全体の文献に触れられていない点が挙げられる。その点で、さらに経済学批判の体系的認識やジャーナリストとしてのマルクスの論考も網羅されれば、より議論が説得的になったと思われる。とくに『経済学批判』「序説」の「史的唯物論の公式」は、著者がそれを「理念型」であると結論する点も含めて、より詳細に分析されるべきであった。そうすれば、著者のヘゲモニー分析も対比的により明らかになるだろう。さらに、経済学的認識はマルクスの議論の大前提でもあった。第二に、本論文ではグラムシの考察が大きなウェイトを占めているが、彼のヘゲモニー論を論ずるさいに、カトリックを背景とした、イタリアの歴史的・文化的伝統にさらに配慮すべきであった。そのようにして、マルクス、エンゲルスのドイツと対比された、イタリア知識人のありよう(有機的知識人と伝統的知識人の問題など)も正当に評価できたであろう。
 とはいえ、こうした不十分性は、政治哲学としての本論文の価値を低めるものではない。著者もこうした不十分性は十分に自覚している。本論文はこうした分野におけるマルクス(主義)研究としてオリジナリティを発揮したし、著者が明確に意識するように、現段階の資本主義(新自由主義)と政治のあり方を考察するさいに、ヘゲモニー論的考察は大きな意味をもつものと期待されよう。

 以上のように、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、明石英人氏にたいして、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2010年2月10日

 2010年1月14日、学位請求論文提出者・明石英人氏の論文について最終試験をおこなった。試験においては、審査委員が、提出論文「マルクスにおけるイデオロギーとヘゲモニー」に関する疑問点について逐一説明を求めたことにたいして、明石英人氏はいずれも十分な説明を与えた。
よって審査委員一同は、明石英人氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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