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博士論文審査要旨

論文題目:希望への手がかり―レイモンド・ウィリアムズの思想と経験―
著者:高山 智樹 (TAKAYAMA, Tomoki)
論文審査委員:渡辺 雅男・加藤 哲郎・井川 ちとせ・河野 真太郎

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 本論文は、20世紀イギリスにおける傑出した知識人であり、文化研究の中心人物であるレイモンド・ウィリアムズ(1921-88年)の経験と著作を年代順に追いながら、その時代的意味と射程を現代の視点から再評価しようとした、理論的かつ評伝的研究である。20世紀イギリスにおける最大の思想家の一人に数えられているウィリアムズは、これまで多大な知的影響力を発揮したにもかかわらず、実際の思想像が具体的には明らかにされていないという奇妙な状態に置かれてきた。それだけではなく、彼については誤ったイメージや偏見が今にいたるもつきまとっており、彼についての否定的な評価の多くが、その思想・研究に対する誤った認識や、基本的なレベルでの事実の取り違えなどに根ざしている。本研究は、そうした誤解と無理解を正しつつ、本人に寄り添うようにして書き継がれた、彼の思想と研究の全体像である。本論文は以下のような構成をとっている。

序章 ウィリアムズの二つの「死」
第1章 ウィリアムズと人民戦線
 第1節 1930年代とウィリアムズ
 第2節 文化運動の復権
第2章 孤独を越えて
 第1節 「文化」の探究
 第2節 「結びつき」の創出
第3章 悲劇と革命
 第1節 「われわれの悲劇」としての革命
 第2節 イギリス革命の可能性
第4章 分断を越えて
 第1節 文学研究との「再会」
 第2節 田舎と都会の弁証法
第5章 文化的唯物論の構築
 第1節 文化的唯物論に向かって
 第2節 文化的唯物論の構成
第6章 社会主義という未来
 第1節 「たくさんの社会主義」をめざして
 第2節 現在の中のウィリアムズ
終章 批判としての全体性――階級・文化・民主主義
参考文献


Ⅱ.本論文の要旨
 ウィリアムズの没後、20年以上が経過した。その間、総じて、ウィリアムズが企図した様々なプロジェクトはその可能性の芽を摘まれ、ウィリアムズが期待をかけていた様々な勢力はその力を削がれていった。反面、ウィリアムズが批判し続けた勢力はさらに力を伸ばした。「個人」と「社会」の間の溝はさらに拡大し、様々な局面での疎外が進行していく一方、広範囲にわたる連帯の可能性は危機に瀕し、資本主義へのオルタナティブとしての社会主義という構想はますます説得力を失ったかのようである。こうした中で、ウィリアムズの思想と業績も、その意図と意義も、人々の視界から見失われて久しい。いくつかの評伝がイギリス本国で出版されてはいるものの、彼の多領域にまたがる膨大な業績を出来る限り広範囲に取り扱い、同時にその広がりの全体を、断片の集積、ないしは内容紹介の羅列としてではなく、一貫した研究プロジェクトとして描き出すという試みは残念ながらいまだ不十分である。本論文は、ウィリアムズの生涯にわたる知的活動を彼の意図に即して「全体的」に再構成したものである。以下、各章の概要である。
 序章では、これまでウィリアムズをめぐり積み重ねられてきた数々の誤解と、それを生み出した先行研究の視野の狭さとが指摘される。逆に言えば、ウィリアムズ思想の全体像を捉えること、それを通じて過去のものとされてきたウィリアムズ思想の現代的意義を甦らせることが、そうした誤解や視野狭窄からウィリアムズ理解を解き放つ鍵であり、また本研究の直接的な課題でもある。
 第1章は、ウィリアムズの青年時代である1930年代から1940年代にかけての時期が対象とされる。第1節では、ウィリアムズの思想形成に大きな影響を与えた1930年代イギリスの政治情勢が概観され、その時代におけるウィリアムズ自身の経験が明らかにされる。とりわけ強調されるのは、ウィリアムズが大学での政治活動とアカデミックな研究の双方において挫折を重ね、それがウィリアムズに大きな思想的課題をつきつけたという事実である。第2節では、大学を卒業し成人教育の教師となった戦後のウィリアムズが、この挫折の経験を克服しようと様々な実践に取り組む様子が描かれる。ところが、皮肉なことにウィリアムズはここでも再び挫折を味わう。総じて第1章では、ウィリアムズが青年時代に味わった数々の挫折と屈折の意味が明らかにされ、それが後の彼の思想形成の跳躍台となっていく様子が描かれる。
 続く第2章で扱われるのは、初期ウィリアムズの思想形成期とも言うべき1950年代から1960年代にかけての時代である。第1節ではまず、第1章で明らかになった度重なる挫折への応答として、1950年代のウィリアムズが自身の代表的な著作の一つである『文化と社会』を執筆し、その後ニューレフト運動にも積極的にコミットしていくまでの状況が活写される。第2節では、第1節の叙述を引き継ぎ、1950年代末から1960年代初頭までの、ニューレフト運動の興隆期にも重なる時期における、ウィリアムズの著作(『長い革命』など)が概観される。そこでは「個人」と「社会」の分裂、そして課題としての共通文化の回復という新たな問題提起が行なわれる一方で、出版や放送といったコミュニケーションの問題(その民主化)に関する彼の強い関心が明らかにされる。
 第3章では1960年代におけるウィリアムズの研究と政治活動が扱われる。第1節ではまず、1960年代初頭にケンブリッジ大学の教師となったウィリアムズが、第2章第1節で提起された「個人」と「社会」の分裂という問題提起を受けて展開することになった悲劇論が検討される。これは文学作品の「形式」に即して、その「形式」と思想内容、さらには社会との関係を扱うという、その後のウィリアムズの方法論の特徴が明示的に表現されるようになった記念碑的作品であるが、またケンブリッジ大学における「文学」研究の伝統に対する彼の本格的な批判の開始を意味するものでもあった。この悲劇論は同時にウィリアムズにとって革命論としての意義も併せ持つ。第3章第2節では、この特異な革命論を支えた、1960年代のウィリアムズの社会主義戦略が検討される。トム・ネアンとペリー・アンダーソンからの批判に対するウィリアムズの反批判を振り返ったうえで、そこで述べられている彼の社会主義への展望が、同時代の政治情勢の中で具体的にいかなる意味をもっていたのかが明らかにされる。
 第4章は全体として、1960年代から1970年代にかけてのウィリアムズの文学研究を対象とする。まず第1節では、著作『イングランドの小説』を中心とした彼の英文学論が検討される。そこでは「疎外」という観点から、「個人」と「社会」の分裂という問題が、イングランドの実際の歴史に即して深められていく様子が描かれる。またこの英文学研究は、文学作品において「形式」を媒介にして同時代の社会との関連を検討するという彼の独自の手法を、より一層深化・洗練させる作業でもあったが、第2節では、その一つの到達点として、彼の作品『田舎と都会』を中心とする、都市と農村の関係を扱った一連の研究に焦点が当てられる。この研究は実はウィリアムズによる資本主義発達史研究だったのであり、従って文化と資本主義の関係がこれまでのどの著作にもまして意識的に取り扱われていることが特徴である。またそれに関連して、ウィリアムズが並行して進めていたマルクス主義の批判的再検討にもこの研究が大きな影響を与えている。
 第5章では、以上のような成果を踏まえ、1970年代を通じてウィリアムズが「文化」のマルクス主義理論、すなわち「文化的唯物論」を構築していく様子が描かれる。第1節ではまず、テリー・イーグルトンによるウィリアムズ批判とそれに対するウィリアムズの反批判を検討する中で、当時明確に打ち出されるようになったウィリアムズのマルクス主義に対する態度が説明される。第2節では、第1節での議論を踏まえつつ、ウィリアムズの文化的唯物論の具体的な内容が検討される。そこにおいて確認されているのは、文化を「物質的生産」として把握する彼の独自の視点であり、それをもって社会の「全体的」な認識という彼の根源的な思想課題を理論づける彼の独自の意図であり、そして同時代の思想潮流に対してだけではなく、第4章で検討されたような資本主義的な文化のあり方全体に対しての彼独自の批判的立場である。従って、ウィリアムズの「文化的唯物論」とは、彼の「全体的」な視点を持った「文化社会学」の理論的構想であり、社会の「全体的」な変革のための理論的展望であり、またそのための戦略的見取り図でもあったのである。
第6章ではその後の時代、すなわちウィリアムズの死後も含めた1980年代から現代までが対象とされる。第1節では、1980年代初頭に起こったホブズボーム論争へのウィリアムズの介入を手がかりにして、ウィリアムズの社会主義戦略が、第3章第2節にもまして詳細に描き出される。それは1988年に亡くなったウィリアムズの、いわば「遺言」でもあったのだが、第2節ではその「遺言」が、1990年代から2000年代にかけての現実社会において、いかに扱われてきたかを概観する。次第に忘れ去られていったこの「遺言」の再評価を通じて、ウィリアムズの現代的な意義を甦らそうというのがこの節の課題であり、本論文の最終結論を導く上での準備作業である。
 そして終章では、文化とシティズンシップという問題設定から、ウィリアムズの生涯と思想があらためて回顧される。それは本論文の総括であると同時に、ウィリアムズを現代に甦らせる独自の視点の開陳・披瀝を意味する。


Ⅲ.本論文の成果と問題点
 本論文の成果としては、以下の諸点があげられる。
 第一に、本論文は、ウィリアムズの全生涯にわたる著作と活動をカバーした初めての理論的かつ評伝的研究である。たしかにウィリアムズについては、すでに二つの評伝(イングリスやスミスの著作)が存在するが、それらはウィリアムズの内容理解という点でもまた事実関係の確認という点でも、不正確であったり、またウィリアムズの初期についての描写にとどまったりしている点で、必ずしも満足のいくものとは言えない。本論文は、こうした事実誤認、理解不足を正しつつ、また、生涯にわたる理論的な首尾一貫性を追求しつつ、ウィリアムズの構想の全体像を現代に甦らせたユニークな研究である。
 第二に、日本におけるウィリアムズへの注目や関心は残念ながら極めて乏しく、英文学の分野でも、また社会学の分野でも、本格的研究はこれまでのところまだ行われていない。そのような中で、忘れられた知識人レイモンド・ウィリアムズを再発見し、再評価しようとする本論文は、日本における当該の研究分野に大きな刺激を与え、また貴重な貢献を行うものと言えるだろう。
 第三に、本論文はウィリアムズの思想をシティズンシップの概念との関連の中に位置づけ、その現代的意義を探り出そうとしている。文化の根底に存在する「感情の構造」、階級文化と文化的疎外の中でめざされるべき「共通文化」、それを阻む「選別された伝統」、新たな意味と価値を創出する「言語」など、本論文が明らかにする数多くの基本概念は、社会理論と文化理論の接合という意味での理論的可能性を豊かに秘めたものであり、文化社会学の発展に大きく寄与するものでもある。また、こうした基本概念は、シティズンシップに支えられた市民社会の中で、市民的文化がどのような意味と役割を担っていくべきか指し示す実践的方向性を示唆しているようにも思える。そうした可能性や方向性は、本来「文化的唯物論」というウィリアムズの未完の構想に潜在的に含まれていたものでもあるのだが、本論文はそうした構想を現代に甦らせる出発点を提供するものであり、たしかな意義を有している。
 しかしながら、ウィリアムズの研究を彼の意図に即して「全体的」に再構成しようとする本論文は、その一方で、彼の研究に対する批判的な視点の提示という点に関して、不十分さを抱えていることもまた否めない事実である。まず第一に、文化を物質的生産であると規定するウィリアムズの文化定義について、あるいは彼自身が創作にあたって採用した文学の形式そのものについて、本論文は、彼自身の意図や構想に照らしての批判的考察、理論的な考察を十分に行っているとは言いがたい。彼の作品や言説を相対化するための独自の視点が強く求められるところである。
 第二に、ウィリアムズの評伝としての意味をもつ本論文は、彼の戦争体験や、同時代のヨーロッパ思想との邂逅ないしそれの影響について、必ずしも十分な考察を行っているとは言いがたい。彼が多くを語らなかった軍隊での戦争体験やヨーロッパでの駐留体験などにこそ、むしろ探るべき意義や意味が潜んでいるのではないだろうか。こう考えてみることも、彼の全体像をとらえ返すうえで必要な作業である。
 ただ、本論文はこうした課題を残しつつも、これらは著者本人のすでに自覚するところでもある。審査員一同は、ウィリアムズの思想を現代イギリスの政治社会史と文化論研究の文脈において捉えようとした本論文が既存の当該研究分野に大きな刺激を与え、また、世界的な研究水準から見て十分に誇りうる研究成果を挙げているものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するのに相応しい業績と判定する。

最終試験の結果の要旨

2010年2月10日

 2010年1月20日、学位論文提出者高山智樹氏の論文について最終試験を行なった。試験においては、提出論文「希望への手がかり―レイモンド・ウィリアムズの思想と経験―」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、高山智樹氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は、高山智樹氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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