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博士論文審査要旨

論文題目:韓国通信検閲体制の形成
著者:小林 聡明 (KOBAYASHI, Somei)
論文審査委員:町村 敬志・加藤 哲郎・中野 聡

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論文題目:韓国通信検閲体制の形成
著者:小林聡明(KOBAYASHI, Somei)
論文審査委員:町村敬志・加藤哲郎・中野聡

本論文の構成
 本論文は、20世紀韓国(南朝鮮)を対象に、郵便、電報、電話などの通信に関わる検閲体制が形成され展開していく過程を、日本統治期、米軍政期、李承晩政権誕生以後の各時期に分けながら、韓国・日本・アメリカに散逸する膨大な資料をもとに克明に解明した画期的労作である。韓国における通信検閲体制とは、継続する「戦争」体制の下、次々に「敵」を創出しながら、それを取り締まることによって社会秩序の安定を確保しようとするひとつの社会システムであった。本論文は、多くの初出資料をもとに、今日に続く韓国における通信検閲体制を、その連続性と断絶の両面から克明に明らかにすることに成功した。本論文の構成は以下の通りである。
 序章 問題としての通信検閲体制
第1部 源流-日本統治期
第1章 帝国検閲の成立
 第1節 検閲体制の出現-帝国の中心における法的根拠の成立
 第2節 検閲体制の移出-通信機関の掌握と朝鮮植民地化
 第3節 「公安ヲ妨害スヘキモノ」の内実
 第4節 検閲体制の強化
第2章 太平洋戦争下の帝国検閲
 第1節 内地における検閲体制の変容
 第2節 植民地朝鮮における検閲体制の変容
 第3節 通信検閲の「思想」
 第4節 「思想」の実践-1943年の内地と植民地における通信検閲
第2部 生成-米軍政期
第3章 米軍による通信検閲の開始
 第1節 南朝鮮の逓信状況
 第2節 通信検閲の設計図
 第3節 通信検閲の開始
 第4節 朝鮮人検閲要員
第4章 占領初期における通信検閲の機能
  第1節 「金融」-経済事犯を取締まる
  第2節 「占領軍」-感情を取締まる
  第3節 「経済状況」-苦しみを収集する
  補論 南北間におけるコミュニケーション回路の拡張と情報の流通
   第1節 南朝鮮内外に広がる通信ネットワーク
   第2節 収集される北朝鮮情報
第5章 通信検閲の限界
 第1節 「敵意」としての不満
 第2節 絶望と希望、そして共産主義
 第3節 共産主義への結びつけ
第6章 通信検閲の評価
 第1節 揺らぐ通信検閲の意義
 第2節 CCIG-Kの離脱/移管
 第3節 通信検閲の停止
第3部 展開-分断体制期
第7章 李承晩政権期における郵便検閲の再開
 第1節 臨時郵便団束法の制定
 第2節 継承される帝国検閲の法的根拠
 第3節 郵便検閲のしくみと特徴
第8章 『検閲月報』に見る不穏思想の内実
  第1節 在日朝鮮人の私信への検閲
 第2節 検閲された私信に見る戦争と社会
第9章 現代韓国の通信検閲-人権と国家安保の相克
  第1節 李承晩政権以後の通信検閲の法的根拠
  第2節 盧泰愚政権期における郵便検閲の暴露
  第3節 金泳三政権期における通信秘密保護法の制定
  第4節 通信秘密保護法施行後の通信検閲
 終章 継続する通信検閲体制
 巻末付録および参考文献

本論文の要旨
 序章では、本論文全体の課題とそのための分析枠組みが示される。まず筆者は、ギデンズの国家論などを踏まえながら、通信検閲体制を、「聴く-聴かれる」あるいは「見る-見られる」という関係性を根本原理とし、体制内部に組み込まれた諸機能を互いに連関させながら、支配の社会的秩序を作り上げる社会システムと位置づける。その上で、先行研究を振り返りながら筆者は、通信検閲体制の形成に関して、第1に第二次世界大戦前後の時間的連続性、第2に朝鮮半島と日本列島、アメリカ合衆国にまたがる空間的広がりの重要性を指摘する。筆者によれば、朝鮮/韓国を対象とするこれまでの検閲研究において、1)マスメディアを対象としたものはあるが郵便や電気通信を対象とするものはきわめて限られており、また2)米軍政期の重要性が見落とされてきた。本論文はこれら空白を埋めることをめざす。
 この課題に取り組むために筆者は、韓国の国家記録院、アメリカの国立公文書館や議会図書館、主要大学、そして日本の各種機関に収蔵された公文書、検閲された私信の記録などを丹念に収集し、膨大な分析作業を行っていった。
 日本統治期の朝鮮における通信検閲体制について検討する第1部は、二つの章から構成される。第1章では、近代日本における通信検閲体制の成立過程を検討することで、朝鮮の通信検閲体制の起源が明らかにされる。1900年の郵便法および電信法から1941年に公布された臨時郵便取締令に至るまで、日本国内の通信検閲体制が朝鮮に適用されるとともに、そこには植民地ゆえの監視的視点が付加されていった。
 第2章では、太平洋戦争勃発以後における通信検閲体制の変容が明らかにされる。内地と朝鮮ともに軍部が通信検閲へとしだいに介入する点では共通しているが、特に朝鮮の場合、植民地支配に抵抗する思想や情報の取り締まりがきびしく行われていく点に特徴があった。
 日本の敗戦とともに、朝鮮における植民地支配は終わりを告げる。米軍政期について扱う第2部は、4つの章と1つの補論から構成される。まず第3章では、米軍による通信検閲体制の成立過程とその構造が、検閲の「舞台」「設計図」「手続き」「担い手」の四側面から検討される。植民地支配からの解放にもかかわらず、検閲制度自体は米軍によって継続された。制度設計の舞台から朝鮮人が排除される一方、検閲官には朝鮮人が雇用されるなど、現場における民族的な葛藤を内包しつつ、私信の収集・分類が進められる過程が詳細に明らかにされる。
 では、通信検閲はどのような機能をもつことが統治者によって期待されていたのか。第4章は、実際の私信やそれへの検閲側のコメント内容を通じてこの課題の解明をめざす。結論だけを記せば、筆者は、この時期の通信検閲が、経済事犯の摘発、民衆の感情の取り締まり、そして「社会調査」という複合的な役割を果たしたことを明らかにする。とりわけ、在朝日本人の財産持ち出し、占領米軍への不安や恐怖、混乱する経済への不満などに言及する私信の事例分析は、次の第5章の事例分析とあわせ、本論文のなかでもとくに圧巻といえる。米軍・対朝鮮民間通信諜報隊(CCIG-K)は、私信への検閲作業を通じて、人びとの「不満」を占領への「敵意」と読み替え、さらにそれを「共産主義者」の存在と結びつける認識の回路を、結果として構築していく。第5章で筆者は、以上のように、「分類」という営みが有する権力性が通信検閲という場を介して増幅されていく過程を明らかにした。
 占領の終結とともに通信検閲はいったん停止される。第6章はこの「終わり」のプロセスの解明に当てられる。米軍内から通信検閲への評価が出され、通信検閲部隊はそれへ対応しながら活動を縮小していった。ただし、冷戦体制が深まる中、通信検閲自体は新しい体制の下で形を変えながら継承されていく。
 最後の第3部は、大韓民国の独立以後、すなわち分断体制期における韓国の通信検閲について分析する。米軍による通信検閲停止から3ヶ月半後、李承晩政権の下で郵便検閲が再開される。その制度は法的な面では植民地時代の郵便検閲と一定の連続性をもつ一方、機能的には政権への批判勢力を「共産主義者」として取り締まっていく手段へと転化させられていく過程が、第7章では論じられる。
 では、実際にはどのような内容が「不穏思想」とみなされたのか。第8章では、朝鮮戦争休戦前後において逓信部が検閲した私信(とくに在日朝鮮人発の私信)の内容分析を行うことにより、「韓国批判」「米国批判」「北朝鮮賛美」という要素をさまざまに含む心情や意見が「不穏思想」というラベルの下で一括され、管理の対象へと位置づけられていく過程が明らかにされる。
 続く第9章では、李承晩政権以後、盧武鉉政権期までの通信検閲の状況を素描し、韓国の通信検閲体制が、現在も克服すべき課題として残っていることを指摘する。
 終章において筆者は、「繰り返される「戦争」に対応する一つの社会システム」という観点から通信検閲体制の歴史的展開をもう一度概観する。その上で、以上から浮かびあがる南北分断体制への責任の所在と今後の展望について真摯な総括を行うことにより、本論文の結びとしている。


本論文の成果と問題点
 第1に、出版物などマスメディアに関する検閲の場合とは異なり、郵便・電報・電話に対する通信検閲については、その秘匿度合いの高さゆえに、また原資料探索の困難さゆえに、体系的な研究はこれまでほとんど行われてこなかった。本論文は、韓国において存続してきた通信検閲体制を対象に、日本統治期から米軍政期、そして独立回復から現代に至るその展開過程を、連続性と時期ごとの断絶にとくに光を当てながら、未発掘の膨大な一次資料に依拠しつつ通史としてまとめ上げたパイオニア的作品である。今後とも、このテーマの研究は本論文をひとつの起点として論じられることになると言っても過言ではなく、筆者の仕事はすでに日本のみならず韓国・米国でもたびたび報告・紹介の機会を得ている。
 第2に、韓国における通信検閲体制が、その制度形成に関わった韓国、日本、アメリカ各国内部の法・政治・軍事制度の強い影響を受けていること、また、その検閲対象が海峡や国境を越えて相互に移動する人びと、軍事境界線によって分断される人びとを大量に含むことを踏まえ、筆者は、韓国・日本・アメリカに散逸する膨大な資料を収集・分析した。とくに、アメリカや日本の各所に保管された多様な資料の中に埋もれた関係情報を一つずつつなぎ合わせ、また韓国内の未公開公文書を情報公開請求手続きによって入手するなど、地道な作業を積み重ねた結果、韓国における通信検閲体制が文字通り越境的に構築されていく過程を初めて体系的に明らかにした。この点は、とりわけ高く評価できる。
 第3に、本論文の成果は、単に、通信検閲が国家レベルの機構として形成される過程を解明したことだけにとどまらない。筆者のねらいはもともと、人びとの私信という非常にパーソナルな領域に政治権力が直接関与する通信検閲を対象とすることにより、日常生活やそこで生きる人びとの心情に国家が介入する様式の政治的効果、そしてその限界を明らかにするという点にあった。このため本論文は、検閲対象とされた私信の文章自体を分析の俎上に載せながら、各時期の統治権力がいったい人びとの心情や行為の中の何を恐れ、何を統制しようとしたのかを、具体的に解明することをめざした。その結果、筆者は、直接の権力行使装置としては必ずしも実効性が高くない通信検閲が実際に体現する権力の本質とは、人びとの心情や心理をその本来の意図とは別に仕分けしラベルを貼り、それを統治の他の領域へと出力していく「分類の権力」としての側面にあることを明らかにした。こうした成果にたどりついたことは、筆者が、メディア研究や文化研究の成果の中から自らの歴史的研究を組み立ててきたことと無縁ではない。国家制度の権力的・暴力的側面に関する社会理論の構築という面でも、本論文は多大な貢献をなすものと評価できる。
 以上のように、通信検閲という権力の作動をめぐる社会過程を韓国社会に即して明らかにした本論文は、この領域における文字通りエポックメイキングな作品としてきわめて高い評価に値する。しかし、残された課題がないわけではない。 
 第1に、本論文は、日本統治期、米軍政期、独立以後における通信検閲体制の時間的連続性を解明することに力点を置き、そのため、第二次大戦前後を直接つなぐ位置にある米軍政期に対して多くのスペースを割いた。こうした側面の研究が従来手薄であったことを踏まえれば、この点は本論文の大きなメリットといえる。しかし反面で、米軍政期の分析の密度と比較すると、その前後の時期の分析にはまだやり残された部分がある。米軍政期以外については資料の保存および公開が十分ではないという限界はあるものの、この点は今後の課題として残る。以上の厚みが増すことにより、「言論の自由」や「民主主義」に対してより親和的であったはずの米軍が行った検閲の特色やその意味もまた、さらに明確にされるものと期待される。
 第2に、通信をめぐる国家介入・管理の全体像を想定したとき、そこには、情報収集を目的とする検閲体制だけでなく、その結果をもう一度実効的な治安権力へと変換することをめざす警察国家体制という別の側面が存在する。本論文はこのうち、従来見落とされがちだった前半の側面を解明した仕事として評価できる。ただし国家介入・管理の全体像解明をめざすならば、後者の側面への配慮も欠かせない。とくに本論文が私信検閲の事例紹介として依拠した資料は、組織内部向けであるとはいえ公表が認められた報告書であり、現実にはこうした報告には掲載されない、治安活動により直結した検閲事例もありうるものと推定される。ただし筆者による資料探索は他の追随を許さないものであり、現段階でこう指摘したとしても、それは本論文の価値を減ずることにはつながらない。今後、資料公開が進むのを待って、さらに筆者の研究が進展することを期待したい。
 第3に、越境的な形で通信検閲体制が構築されてきた側面に力点を置くとするならば、たとえば本事例に先だって米軍が準備を進めていたヨーロッパ向けの通信検閲体制の影響、フィリピンなど植民地で米軍が進めた通信検閲制度との関連など、新しい課題がそこには浮かび上がってくる。また、通信検閲に対抗するオルタナティブな情報回路のあり方、さらに朝鮮人を含む通信検閲の現場担当者が実際にそこで取った対応、などの新しいテーマも指摘できる。しかしこれらはいずれも、本論文が解明した事実を出発点として提起される課題であり、むしろその所在を明らかにした意義は大きいというべきだろう。
 これらの諸点は小林氏の今後の研究においてさらに深く考察されていくものと確信する。よって審査員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与したと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。
 

最終試験の結果の要旨

2010年3月10日

 2010年2月9日、学位論文提出者小林聡明氏の論文について最終試験を行った。試験においては、「韓国通信検閲体制の形成」に関する疑問点について審査員から説明を求めたのに対して、小林聡明氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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