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博士論文審査要旨

論文題目:人民主権論の生成-ジョン・ロックによる近代社会の理論的構築
著者:鵜飼 健史 (UKAI, Takefumi)
論文審査委員:加藤 哲郎・岩佐 茂・平子 友長

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1.本論文の構成

イントロダクション ―人民主権の歴史的展開
第1章 方法論について ―概念の生成
  1 ロックの読み方 ―コンテクスト主義を超えて 
  2 共時性と通時性:生成としての政治理論
  3 ロックの「意義」
  
第2章 理性と主体
  1 近代政治理論における主体の構築 
  2 「大海」としてのマルチチュード 
  3 「国家の友」としてのマルチチュード
  4 人民の誕生 
  5 反革命としての抵抗
  
第3章 権威と権力
  1 近代政治理論における権威
  2 初期近代における権威論の位置 
  3 初期ロック理論における権威主義的権威 
  4 権威の自律性 
  5 革命としての抵抗権 
  
第4章 寛容と正統性
  1 ロック政治理論における正統性
  2 政教分離の理論化と宗教Ⅰ 
  3 政教分離の理論化と宗教Ⅱ 
  4 無神論の位置 
  5 神による正統化の問題 
  
第5章 ロックのユートピア
  1 ロック政治思想とユートピア 
  2「アトランティス」について
  3「アトランティス」の世界
  4 空想から理論へ 
  
結論 ―ジョン・ロックと政治的なるもの
凡例
参考文献一覧

2.本論文の概要

 本論文は、ジョン・ロック(1632-1704年)の政治思想を、政治主体=人民と政治権力との相互連関において再構成したものである。
 イントロダクションで著者は、ロックの政治思想史上での位置を「人民が主権者であるという論理の普遍的な理論化」に見出すという本論文の問題意識を述べ、そうした観点から今日のラディカル・デモクラシー論における「政治的なもの」「人民」概念などの扱いを吟味し、ロック研究がすぐれて今日的意味を持つことを確認する。他方で16世紀以降の西欧における人民主権論の形成を、マキャヴェリ、ジョン・ボダン、トマス・スミス、ヘンリー・パーカー、レヴェラーズらによる「主権」「人民」「議会」概念等の用例を通じて検討し、「政治権力の徹底的な理論化は、皮肉にも反権力の立場に立つグループによって推進されてきた」事情を概観する。そのうえで、ロックの思想史的意義は、人民主権の発明者ではなかったが、「人民」を「議会とは区別され」た「諸個人の集合体」にまで還元し、統治の客体から主体へと転換して「人民主権」を正統化する論理を導出したところにあったのではないかという観点から、研究史が整理される。ロックは社会契約説における所有論、代議制論、権力分立論などの文脈で議論されることが多く、また人民が主権者であると直接的に述べることもなかったため、ロックの主権論を扱った先行研究は多くはないが、著者はジュリアン・フランクリン、ジョン・T・スコット、日本では佐伯宣親、松下圭一らを批判的に参照する。
 第1章で著者は、本論文の方法論を述べ、共時的読解と通時的読解の統一、とりわけ初期から後期へのロックの全著作を対象とした通時的・歴史的な「生成」の論理の展開に着目する。これは、ケンブリッジ学派のコンテクスト主義、ポーコック、スキナー、ジョン・ダンらによる、政治思想のテキストの共時性の読解から歴史性を重視し著者の意図を再生する方法への、ある種の批判を含んでいる。著者によれば、コンテクスト主義は、あらゆる言説を歴史と結びつける歴史還元主義に結びつく傾向があり、また政治思想家の理論的特異性を十分に論証することができなくなる。
 そこで著者は、コンテクスト主義者のいう発話の多様性と混交性を受け入れた上で、それをロックと同時代人の用法と言った共時的比較から導く方法のみでは明確にならない、言説空間と発話の間の通時的関係性、思想家の議論における諸概念の生成と概念の言説構成の継続性及び修正に着目する。著者はこれを、ルイ・アルチュセールにならい「基礎的な『共時性』の『通時性』」と述べている。それは「理論化の『実践』の歴史」で、共時的読解では析出不能な「概念の不在」「不在から存在への変化」を、他の概念との関係性のなかで「生成の形式」として重視する。それは、ロック自身が理論の体系性を重んじる典型的な理論家であったこと、その理論は近代国家のグランド・デザインともいうべき諸概念の組み合わせであるが、初期作品においては人民主権、代表制民主主義、契約論、自然権、権力分立などの諸概念はみられず、現実政治との格闘と内的な理論的対話を通じて近代的諸概念が生成するからである。
 第2章では、理性と主体が論じられる。ここで論じられる理性の概念は、ロック哲学のみならず、彼の政治理論にとって中心的な概念である。そのために著者は、ロックの政治的人間論・主体論に着目し、人民(the people)、マルチチュード (the multitude) 、狂信者(Fanatiques/Enthusiasts)といった人間形象が、ロックにおいて共時的・通時的にどのように理論化されたかを検証する。共時的には、狂信者は非国教的宗教セクト全体を指すが、その範囲は論者により異なった。マルチチュードはいっそう曖昧で、1640年代以前は反体制集団一般を、ピューリタン革命期には宗教的色彩を帯びてカトリックや無神論者を含むか否かが議論された。ホッブズはマルチチュードの抑制をめざし、スピノザは政治的基礎におこうとした。このためレヴェラーズでさえ自分たち人民の概念を定義できず、人民の政治的含意は理性を持つ人々に、同時にその輪郭と条件は寛容の概念によって、枠付けられた。著者は、ロックの寛容論が、初期の保守的絶対主義論での狂信者への抑制・不寛容政策から後期に一部を寛容する議論に転化すること、マルチチュードについても、初期ロックでは自然法秩序の破壊者で「大海と同じく制御することは困難」とされていたものが、1660年代以降「教会の子ではなくても、国家の友」として扱う議論に転換した点を、草稿類を含むロックの精緻な文献学的検討から析出する。
 それは、非国教徒の中でもカトリックとクエーカーを「共通の同意」という理性的道徳規範の枠内に理論的に組み込む過程であり、自然状態における道徳的個人をコモンウェルスを構成する政治主体として、理性をもつ人民へと組み替える「民主主義」の概念構成と併行する。ただし、貧民とユダヤ人をどう扱うかが残され、1690年代の晩期ロックは、貧民は苦行としての労働を通して道徳的善性と社会的有益性を獲得しうる存在として、ユダヤ教徒も社会的秩序を害さない限り宗教的寛容の対象とされることによって、市民的自由を享受する普遍的人民概念に包摂される。これを著者は「ロック思想における政治主義的プラグマティズム」と呼び、戦争状態への防壁である抵抗権の主体にマルチチュードを含めることにより、人民主権論が完成されるという。
 理性の理論化は、人民の主体化とデモクラシー論に対して大きな影響を持つ。彼の認識論的哲学の体系化とともに、人間は理性能力を獲得し、自らの能力によって道徳規範(自然法)を理解するようになる。理性能力によって、人民は政治主体としてコモンウェルスを運営できるようになる。さらにいえば、もし統治体がかれらの意志に背く場合には、抵抗権によって人民は新たな統治を作ることが認められている。理性の理論化と平行して、秩序化された人民と対置される「マルチチュード」の意味も、宗教的なものから非宗教的なものへと移行する。こうして、理性の理論化が、普遍的かつ道徳的な人民とかれらの政治理論にとって必須な前提であることが明らかとされる。
 第3章では、権威の思想家としてのロックがクローズアップされる。権威について、ロックは権威(authority)と権力(power)を厳密に区別し、主権者の資質としての権威の生成を理論化した。エンゲルスやアーレントを通して近代における自発的権威と強制的権力の不可分が議論されてきたが、著者はロック人民主権論の生成の共時的・通時的検討の中から、ロックにおいては権力とは物質的力そのものではなく変化を与えうる能力(機能・権利)、権威は力の行使が正当であるという承認として概念化されたことを見出す。ここでもホッブズ、ハリントン、ジョージ・ローソンらとの比較と、初期ロックにおける神の意志に由来する権威主義的権威概念から、『統治二論』(1689年)など後期ロックでは「人民の同意」を権力と権威の源泉に措定し、同意以前の同意(自然状態)、同意コモンウェルス(政治理論)、同意以後の同意(立法過程)と論理的に分節化して、人民の同意によって形成され公共善のためにのみ行使される統治者の権力は、それぞれにおいて「政治権力の行使」について同意にもとづく権威を必要とし、この権威=承認を得られない場合は、人民の抵抗権による革命の対象となる。ロックは、政治的「権威なき暴力」による権力の暴走に対して、「人民の権威による対抗」を設定することで、人民の自己統治によるコモンウェルスの永続を保証しようとした。
 第4章では、ロックの宗教論を通して、寛容と正統性の関係が分析される。ロックにおいて、統治の正統性の究極的根拠は神の意志である自然法にある点で一貫している。したがって、理論的には絶対主義も民主主義も可能であるが、ロックは政治的正統性の原理を宗教から道徳へと転換していくなかで、中性国家と普遍的人民の理論化への道筋をつけた。神を人間の上位におき、人民は等しく普遍的な神の意志を理解する能力を有する。美徳とは自然法規範への絶対的服従と措定され、人間は神の意志への応答としてそれを現世に反映させる義務を持つ。政治社会の存在そのものは、この自然法と自然権のレベルで根拠づけられ、統治の存在理由(正統性)を獲得するが、それはただちに人民の同意による統治の権威(正当性)をもたらすものではない。「神のみにおいて、我々は生き、動き、存在しうる」という聖化された理性的人間が構築する社会秩序が、コモンウェルスとなる。
 ロックはこの絶対的基準で神の声と民の声を峻別し、宗教的領域と政治的領域を政教分離として認識していく。初期ロックの課題は「政教分離が語られうるか」であったが、後期には教会を国家と制度的に区別し、前者を内面的な「良心の自由」の領域に、後者を宗教にとっては非本質的な為政者の統治である政治的領域におくことにより、政治権力による「良心の自由」への介入を阻止する政教分離の理論を構築する。したがって、為政者の宗教は政治的領域で強制されることは許されず、これが非国教徒もユダヤ教徒・イスラム教徒をも人民に含めうる寛容概念の変化をも準備した。道徳哲学の世俗化によって理論化された人民は、かれらの宗教にかかわらず、すべての人間を包摂できることになる。そのため、このロックのコモンウェルスには(宗教的)不寛容は存在しない。しかしながら、それゆえに無神論に対しては不寛容になり、ロックの政教分離により成立する人民主権の国家は、無神論者は排除する「有神論的な中世国家」となる。ロックにおける普遍的な国家概念は、この意味においては特殊化されている。
 第5章は、以上の各章で明らかにされた主体と権力のつながりを、ロックが具体的にいかに想定していたかを、著者がロックのユートピア論と措定する「アトランティス」という断片的草稿から復元するユニークな試みである。この作品は、ロックのフランス滞在中(1676-79)に執筆されたもので、ロックの「統治の技量」についての見解を分析する上で示唆に富んだものであるものの、あまりに断片的で無秩序なため、これまでほとんど注目されてこなかった。著者によれば、「アトランティス」はたんなる空想ではなく、人民主権原理に依拠したリベラル・ユートピアとしての彼の理想社会を活き活きと示すもので、断片的記述で論じられる労働・規律・家族の在り方から浮かびあがるのは、トマス・モア風の空想的ユートピアとは異なり、神によって命じられた労働を神聖化し、地域共同体の規律を十家組長による住民監視と浮浪者・非定住者の身元保証で管理し、適切な結婚年齢とこどもの教育で家族制度を維持する、「人民の自己統治」を具体的に記述するものだった。人民は自律的でなければならないという道徳的義務を負うことにより政治主体となるという意味で、この「アトランティス」は、ロックの道徳哲学と政治機構論を架橋するものとなり、近代政治理論が本質的に孕む全体と個人のあいだの不安定な関係性、近代的自由の持つ「不自由さ」を示唆するものとなっている。
 結論において著者は、以上のような近代国家論の二つの方向での普遍的理論化、「主権者の平準化」と「国家の脱人格化」、及びその理論的接合において、ジョン・ロックがホッブズをも突き抜け、人民主権論を根拠づける思想家となったと評価する。

3.本論文の成果と問題点

 本論文の成果は、以下の三点にまとめられる。
 第一に、著者は、本論文においてジョン・ロックの著作を、その同時代の諸思想との共時的関係のもとで、初期から晩年までの概念システムの通時的展開を綿密に読解し、ロックの人民主権論という、歴史的蓄積の多いロック研究の中でもこれまであまり注目されてこなかった領域での理論構成を見出した。その方法は学術的にオーソドックスなものであり、言説のコンテクストと思想の歴史的変容を組み込んだもので、説得的である。とりわけわが国のロック研究では体系的研究がほとんどない領域であり、近代政治思想史研究への大きな貢献と評価できる。
 第二に、ロックの人民主権論の導出にあたって、著者は、ロックの人民概念とマルチチュード、狂信者、異教徒等の内実と範囲に着目し、それが権威や寛容の概念との関連で初期から晩年へと変化し、排除から包摂へと普遍化してくるプロセスを、各種草稿を含む膨大な原資料・文献の読解の中からあざやかに読みとった。それを基礎づけるロックの宗教論・道徳哲学、権威と権力の区別、政教分離論の抽出とあわせ、膨大な蓄積のあるジョン・ロック研究の世界への独自の貢献とみなすことができる。
 第三に、ロック研究の世界でもほとんど触れられることのないフランス滞在記の未整理な断片「アトランティス」に注目し、ロックの道徳哲学と政治機構論を架橋するある種のユートピア、統治構想として再構成し、その労働観・規律観・家族観を示したことは、わが国初の試みで、著者の古典的文献解釈の力能を示すものである。ロックの普遍主義を同時に無神論者は排除する特殊主義を孕むものとして抽出する手法などとともに、著者の今後の研究への開かれた可能性を期待させるものである。 
 以上のように、鵜飼健史氏の研究はすぐれたものとして評価できるが、強いて本論文の問題点を挙げるとすれば、以下の二点が指摘できよう。
 第一に、本論文はロックの人民主権論という論点を、主として道徳哲学・宗教論・寛容論と、権威と権力の区別、政教分離論、統治構想とのつながりから通時的に読み取り、重要な問題提起となっているが、わが国ロック研究で論議されてきたいま一つの論点、C・B・マクファーソンらの所有的個人主義の議論が問題にしてきた所有(プロパティ)論と人民主権の関係は、論及されてはいるが、必ずしも十分とはいえない。ロックの人民やマルチチュード、個人の概念は、主として宗教との関わりで抽出されたが、所有論を媒介にすれば異なる人間形象をもたらす可能性もあり、この面から共時的・通時的分析をいっそう深化することを期待したい。
 第二に、わが国政治思想史研究の中では、一般に主権論はボダンやホッブズ、人民主権論についてはジャン・ジャック・ルソーを中心に議論され、ロックについてはその所有論・宗教論・代議制論・抵抗権論などが論じられるのが通例だった。著者はそこに人民主権論をロックまでさかのぼるよう主張したのであるから、本論文で綿密に論じられるホッブズら社会契約論の先行者との関係に加え、通時的には、ルソーの人民主権論との関係が問題になりうるだろう。この点も、今後の研究では射程におき、展開してもらいたい。  しかし、これらの問題点については、著者自身も十分自覚しているところであり、審査委員もまた、それらは著者の今後の研究において十分に展開されるであろうと確信している。
 審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく寄与するものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2010年2月10日

 2010年1月26日、学位請求論文提出者、鵜飼健史氏についての最終試験をおこなった。
 本試験においては、審査委員が提出論文「人民主権論の生成ージョン・ロックによる近代社会の理論的構築」について、逐一疑問点に関して説明を求めたのにたいし、鵜飼氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条3項に定める外国語および専門学術に関する学力認定においても、鵜飼健史氏は十分な学力を有することを証明した。
 よって審査委員一同は、鵜飼健史氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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