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博士論文審査要旨

論文題目:17世紀イングランドの年季奉公人―出自の社会経済史研究―
著者:石井 健 (ISHII, Takeshi)
論文審査委員:土肥 恒之、西澤 保、中野 聡

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本論文の構成
 17世紀イングランドは北アメリカ大陸や西インド諸島の英領アメリカ植民地に多くの人びとを送り込んだ。信仰の自由を求めたピューリタン移民、年季奉公人、そして流刑者などその規模は32万人から35万人に達したと推測されている。本論文が対象とする年季奉公人とは、渡航費用を船長や商人から前借りして植民地到着後に現地の農園主の奉公人となって数年間働いて返済した人びとで、彼らはイングランド移民全体の約70パーセントを占めた。つまり移民の大多数は年季奉公人であったのである。本論文は特に彼らの出自についての通説を批判する本格的な考察である。論文の構成は次の通りである。

序章 問題の所在と課題設定
 第一節 先行研究の整理
第二節 問題の所在と課題設定
第一部 同時代文献にあらわれる奉公人像
第一章 経済思想と移民観:チャイルド『交易論』
第一節 『交易論』第10章について
第二節 就労人口と国富の問題
第三節 救貧政策と植民地
第二章 敗戦責任と移民観:ホイッスラー「西インド遠征日誌」
第一節 「日誌」の史料学
第二節 史料の作為性
第二部 地域社会と移住
第三章 地域社会の構造
第一節 農村社会の人口構造
第二節 農村の社会構造
第三節 農村の経済構造
第四節 消費生活の実態
第四章 地域社会と移住
第一節 移住発生の構造
第二節 婚姻と移住
第三節 徒弟と移住
第四節 定住と再移住
第三部 民衆のなかのアメリカ像
第五章 民衆と書物
第一節 書物流通の施設
第二節 書物の貸借と社交
第三節 民衆と読書
第六章 新聞のなかのアメリカ像
第一節 17世紀イングランドの新聞と民衆
第二節 新聞のなかのアメリカ植民地像
終章 17世紀イングランドの年季奉公人
補論
 補論一 移民の規模
 補論二 共和制・護国卿政府期の陸海軍の官職と階級
 補論三 西インド遠征艦隊と「艦隊一覧」
 補論四 「ロジャー・ウィリアムズの書物と家財の目録」の由来
補注
参考文献一覧
資料編

本論文の要旨
 序章では1930年代以来の年季奉公人=移民の出自に関する夥しい先行研究を大きく古典説と修正説に分けて、その各々について批判的検討がなされる。まず奉公人を浮浪者や盗人、売春婦といった最下層出身者中心の集団とする古典説が依拠するのは、奉公人を社会の底辺出身者として記述した同時代の諸文献である。そこから彼らは消極的かつ受動的な行動原理をもつ集団としてイメージされたのである。これに対して奉公人を農民・職人から労働者までの中下層出身者中心の集団とみる近年の修正説が生まれ、彼らの行動原理も積極的かつ能動的なものとして描かれた。さらに修正説は年季奉公人を当時のイングランドで慣習化されていた奉公人制度一般の一部、つまり男子青少年層を中心とするライフサイクル・サーヴァントと位置づけることで古典説の主張を根本的に覆したのである。
 けれども修正説にも大きく三つの弱点が指摘される。第一は古典説が依拠していた同時代の証言をどのように理解するのかという問題で、この点で修正説は不徹底である。第二は奉公人の出自の地理的特徴である。この点についても修正説では都市や森林地帯出身者が多かったとされるが、それは貧民が集まりやすい場所という従来の通説を踏まえており、明らかに矛盾している。そして第三に、出自の地理的特徴の議論のなかで指摘された情報アクセスという問題であるが、これについては修正説は具体的な検証を欠いている。以上は古今のイギリス及びアメリカ史学についての整理だが、こうした欠陥は日本における最近の代表的な著作で、修正説にたつ川北稔『民衆の大英帝国―近世イギリス社会とアメリカ移民―』(岩波書店、1990)も基本的に免れていない。そこで著者は上述の三点を中心にして、17世紀イングランドの年季奉公人=移民について実証的な分析を展開している。
 第一部「同時代文献にあらわれる奉公人像」では、当時の奉公人の出自の叙述にさいして頻繁に取上げられる同時代文献を取上げて、徹底した史料批判がおこなわれる。第一章では重商主義経済学者として広く知られているジョサイア・チャイルドの『交易論』(1690年刊行、執筆は1670年頃)が検討される。著者はこの文献について極めて細かな史料学的検討をおこなった後に、チャイルドの経済理論において、貧民は国富を増す源泉として、植民地はその貧民を勤勉な労働力へと再教育する場、したがって本国にとって有益な交易をうみだす場として位置づけられていたことを明らかにする。そのような植民地論そして救済論であったからこそ、チャイルドにとって「移民は貧民であらねばならなかった」。言い換えると、本国で無益の存在が植民地で有益なそれへと変身しなければならなかった。チャイルドの移民像は「史実の姿を借りた理論上の命題であった」というのが著者の結論である。
 同様にして、著者はヘンリー・ホイッスラーの「西インド遠征日誌」(1655年頃)についての徹底的な史料学的検討を行っている。ホイッスラーは日誌のなかでバルバドス島について、「この島はイングランドが屑を投げ捨てる糞の山である」という辛辣な言葉を記したことで知られるが、著者はこの日誌の製作意図について、敗戦に終わった西インド遠征の兵士の中心がバルバドスで補充された「無能な」兵隊であったこと、敗戦は遠征軍司令長官と兵士の失態ゆえにひき起こされたことを示すために書かれたとする。したがって人口に膾炙したこの発言は「政治的意図にもとづく」ものであり、客観的な観察結果ではないというのが著者の結論である。以上二つの章によって、同時代文献にあらわれる奉公人像は決して彼らの総体についての「客観的な記述」ではなく、無批判に依拠することは出来ないというのが第一部の要旨である。
 第二部「地域社会と移住」の二つの章は、特定の地域に即して奉公人の移住実態を検討することを狙いとしている。取上げられるのは西ミッドランドに位置するヘリフォードシアのワイ川流域社会で、地域に関する教区簿冊のなかの婚姻登録簿、炉税台帳、ギルド議事録のなかの徒弟修業契約など様々な史料が利用されている。第三章では前提としてこの地域の農村社会の人口動態、社会構造、経済構造、そして消費生活の実態が明らかにされている。この地域は在地のジェントリー層を頂点とするピラミッド型の階層社会をなし、開放耕地制の下での穀作農業と酪農その他の畜産業を主な産業としていた。だが労働集約的な大規模な農村工業をもたないため就業機会が限られており、「人口流出を構造的に生み出す社会」であった。つまり人口成長は穏やかであるが、自然増が激しく、流出人口が多かったのである。以上のような地域のあり方を踏まえて、第四章ではこの地域の移住問題について、次のような特徴を明らかにしている。第一に移住は近隣村落間または都市と周辺村落間という近距離移住が大部分を占めること、第二に世紀を通じて平均移住距離にあまり変化がみられないこと、第三に定住せずに再移住するものが少なからずみられた、つまり「奉公人に典型的な多段階移住が構造化されていた」ことである。そのことは必ずしも貧困型、生活維持型の移住を意味するものではなく、移住過程には奉公人と契約者の積極的な係わりを認めることが出来る。つまりワイ川流域社会の事例によると、移住は地理的な特性よりもむしろ情報へのアクセス度に因る。つまり情報にアクセスしやすい地域社会ほど年季奉公人への道が開かれている、というのが第二部の要旨である。
 第三部「民衆のなかのアメリカ像」は第五章「民衆と読書」及び第六章「新聞のなかのアメリカ像」からなる。まず著者はイングランドの人びと、特に大都市ロンドン以外の地方住民がどのようにして書物類を介して情報を得ることが出来たかを検討している。この当時書物を所蔵する階層は限られており、識字率も所属する社会層や職種に応じて大きな格差があった。けれども「朗読」という伝統的な読書のあり方故に、文字を読めなくとも情報を得ることは出来たし、新聞やパンフレットなどはコーヒーハウスやエールハウス等の社交場で無料で閲読できるようになった。つまり識字率に現われる以上に広範囲な読者層が誕生しており、多くの人が情報を享受する社会が整いつつあったのである。以上の点を踏まえて第六章で、著者は『ガゼット』や『ポリティクス』等の当時ロンドンで刊行されていた新聞記事の具体的な分析を通してアメリカ植民地に関する情報を明らかにしている。つまり植民地交易に当たる船舶に関するさまざまな情報、積荷情報からは得られる植民地の特産物や景気動向と作況、富と直接結びつく戦勝報道などさまざまな情報がもたらされた。もちろん海難や海賊に関する情報は人びとに恐怖を呼び起すものであったが、同時に冒険心を奮い立たせるものでもあったこと等が指摘される。新聞はスピリッツ、つまり「海の向こうへ運ぶために、通りで見つかる限りの少年・子供をかき集めている」誘拐犯の問題や植民地での黒人反乱や入植地攻撃など不利なことは伝えなかった。新聞が伝えたのは平和で繁栄している植民地像だけであり、新規に獲得した植民地についても詳しい地誌が掲載された。こうして新聞のなかのアメリカ植民地像はイングランドでくすぶる人びとを入植へといざなう地上の楽園像であった。したがって新聞情報に接しやすい人ほど、アメリカ植民地は移住先の選択肢のなかで順位が高かったというのが第三部の要旨である。その他に本論文には本論の論旨を補う四本の補論が付されている。

本論文の成果と問題点
 本論文は北アメリカ大陸及び西インド諸島の英領アメリカ植民地への移民の出自についての本格的な考察である。これまでこの問題に取り組んできた歴史家は決して少なくないが、本論文の功績として第一に指摘できるのはきわめて厳密な史料批判にある。それは従来の研究が同時代の著名な指摘や発言に安易に依拠してきたとして徹底的な史料批判を展開している第一部に特に顕著であるが、数多くの第一次史料に拠りつつも、その批判的検討を不可欠とする研究姿勢は本論文を通じての優れた特徴として挙げることが出来る。
 第二に著者は17世紀ヘリフォードについての緻密な地域史研究を実践して、地域社会の基本的あり方を明らかにした。このことによって当時の移民の特徴とされる「多段階移住」の問題を具体的に明らかにしている。教区登録簿、炉税台帳などさまざまな史料を細かく突き合わせながら議論を進めることによって、「多段階移住が構造化されていた」イングランドの地域史研究に確かな論拠に支えられた新たな事例を付け加えたことは本論文の功績である。
 第三に「新聞のなかのアメリカ植民地像」を論じた第六章の意義もまた大きなものがある。ここで著者は当時ロンドンで発行されていた幾つかの新聞を網羅的に読み、かつ批判的に分析することによって植民地情報を詳細に明らかにしている。もちろん当時のこうした新聞情報が人びとを直接的に移住に駆り立てたことを立証することは至難の業で、本論文もそれに成功しているわけではない。したがって隔靴掻痒という感もあるが、改めて言うまでもなく、いったん得られた情報は個々の場と人のレヴェルに留まらず、広く流布する可能性を持つものである。その広汎な可能性を明らかにしたことは本論文がほとんど最初であり、この点もまた大きな功績に挙げることが出来るであろう。さらに本論文は間接的にせよ、初期植民地社会像をめぐる北米史研究にも大きな刺激を与えることが期待できるだろう。
 以上のように本論文は確かな成果を挙げたが、幾つかの問題点もまた指摘できる。第一に本論文は三部に分けて各々のテーマについて論じられているが、それぞれの内的な関連性については特に触れられていない。つまりいささか独立論文の集成という印象を拭えない。これは直接的には従来の研究史に対する批判的見地から取られたアプローチから来るものであるが、各部分を架橋する何らかの試みがあって然るべきだろう。第二に本論文では17世紀イングランドの社会構成とサーヴァントの在り方については殆ど触れられていない。著者もまたライフサイクル・サーヴァントの一部分という修正説に立つのであれば、概括的にせよその歴史的位置づけと具体的な説明が望まれたところである。また実際に海外移住に当たった商人や船主などの「請負人」、スピリッツなどについてももう少し纏まった説明が望まれた。もとより以上のような問題点については著者もよく自覚しており、今後の研究のなかで克服されていくものと思われる。
 以上のことから、審査員一同は本論文が当該分野の研究に大きく貢献したと認め、石井健氏に対して一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2009年10月14日

 平成21年10月2日、学位論文提出者石井健氏の論文に対して最終試験を行った。試験においては、提出論文「17世紀イングランドの年季奉公人―出自の社会経済史研究―」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対して、石井健氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査員一同は石井健氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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