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博士論文審査要旨

論文題目:中国の近代化政策と気功の変遷
著者:ウチラルト (Wuqiriletu)
論文審査委員:足羽 與志子、三谷 孝、石井 美保、坂 なつこ

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Ⅰ.本論文の構成
博士論文 『中国の近代化政策と気功の変遷』 (提出者:ウチラルト) は中国の近代化政策が、気功という身体技法を変遷させていった過程と結果について、詳細なフィールドワークに基づいて論じている。そしてこの作業を通じて、価値と制度の相互生成の局面を的確にとらえ、かつ、近代中国の政治、社会、文化の仕組みを明示した、テーマにおいても方法論においても、大変に意欲的な優れた論考である。

本論文は、以下のような構成になっている。

目 次
序章                                     
 1 問題の提起
 2 先行研究の整理
 3 本研究の視点
 4 本論文の構成
 5 フィールドワークについて
 
第1章 医療気功                                
 1 はじめに         
 2 気功療法の形成と制度化の概要
 3 中国伝統医学の近代化政策と気功療法の科学化
 4 中国伝統医学の科学化と「気」の物質性
 5 L市S村における気功と信仰
 6 考察
  
第2章 高級気功                               
 1 はじめに
 2 党、政、軍の指導層における「超能力」論争と「高級気功」の誕生
 3 宗教的技法から高級気功へ:「超能力」研究の思想的影響を中心に
 4 高級気功の社会団体の形成:「超能力」研究の組織的影響を中心に
 5 L市S県における高級気功の実践と信仰
6 考察

第3章 健身気功                              
 1 はじめに
 2 再編の始動と挫折
 3 占領の国家事業
 4 地方気功協会の組織としての両義性
 5 民衆の身体と思想の再編
 6 考察

終章 結論  



Ⅱ.本論文の要旨
 本論文は、中国が近代化の過程で、国家の制度、組織、そしてイデオロギーを再編するようすを、身体技法でもあり、信仰でもあり、科学的療法でもある「気功」に焦点をあて、気功の形式や意味的な位置づけ、行政での扱い等における変遷を、詳細な記述と分析によって示した、貴重な人類学的実証研究である。本論文は、近代の中国において、気功をめぐる認識や実践、或いは社会制度の変遷に、半世紀余の「宗教から科学へ」という政治的な歴史観が如実に示されていることを、丁寧なフィールドワークと文献調査に基づいて、明示する。そして、本論文は、中央が決定する国家的な再編成が、地方行政ならびに一般民衆のレベルに達する局面においては、また別の位相を呈するという問題にも焦点をあて、国家政策の変遷だけではなく、社会/民衆も含みこんだ論点をもって、中国の近代化の検討をおこなった、詳細で高い実証性をもつ論文である。以下、順次、論文の章ごとの要旨を述べよう。

 序章では、まず中国近代における気功が、宗教的、政治的、身体的事象の混在した現象であり、その変遷過程に、中国が近代に求めてきたものの形成と変化が認められることを明示し、本論文全体に通じる視座を示した。そのうえで、本論が単に歴史的な記述に終わるのではなく、民衆における受容生成の作用、ならびに、気功が国家的な制度的体制とも深く関与していることを論じ、加えて、フィールドワークも含めた方法論を説明した。本論の全体が、各時代に重用された気功、つまり、1950年代からの健康を保ち病気をなおすための「医療気功」、その後の超能力を扱う「高級気功」、そして法輪功事件の後の保健体育としての「健身気功」の三つを、順次説明し、制度と現象の変遷を示す構造であることについて説明した。
 第1章では、「気功療法」について論じる。1950年代、まず気功が、国家医療分野における伝統に基づきつつも、西欧医学に匹敵する中国本来の治療法(「祖国の医学遺産」「中国伝統医学の一部」)として、政府高官のあいだで脚光をあび、それにともない、「気功療法」として整備され、制度化されていった。当時は中国伝統医学を近代化政策へと切り換えていく時代であったため、気功療法の科学化についても明確な検証を求められた。とくに共産党幹部がこの医療気功を重用した結果、国家組織の中心部の指導のもとに、気功が急速に組織化、制度化、科学化されていった過程を、詳細に検証した。
 気功が宗教的技法から気功療法へと再編される過程において、「宗教的」な用語や理論が捨てられ、その代りとなる新たな科学的用語や理論が模索されていった。とくに、伝統医学の科学化と「気」の物質性の探求についての取り組みに焦点を当て、中国独自の近代化をめざす国家にとっては、気功は極めて適合性の高い領域であった。そこでは、「気」の働きそのものが「感覚」である、という以前の理窟が、「気」は「感覚」の物質的な基礎であるとした、唯物論的な「気」の科学的研究に移行した。とくに伝統的に「腹」の感覚を大事にする静坐法から、「手」の感覚を重視する外気療法が形成されていくという指摘、ならびに気功の唯物主義の規範化における気功の変遷の最も明確な例としてとりあげる電子気功師は、この「気功療法」の科学性が極端に発現した例として興味深い。
 第2章では、1980年代にはいって政府の中心部で盛んになった「超能力」研究による気功の研究、すなわち「高級気功」を中心に論じている。当時、国防科学工業委員会の軍人科学研究者たちによって透視や予知、テレパシーなどの人間の超能力に関する「近代科学的な」研究が提起され、中国共産党、政府、軍の指導層において、超能力の是非を巡る多くの論争を伴いながらも、超能力研究は国家制度のなかでの認知と合法的な組織的地位を獲得していった。そしてその過程において、超能力を得る方法としての「高級気功」概念、および超能力を専門に研究する「人体科学」概念が誕生した。本論では、科学思考の先端として気功が位置づけられる過程のほか、組織としても、国家においては超能力に関する行政機関である人体科学工作小組、また社会では、超能力を研究する人体科学研究会が編成された点を指摘する。
 国防科学工業委員会の軍人科学研究者が政治的人脈を活かして設立した高級気功の社会団体である気功科学研究会は、共産党政府と民衆の中間的な組織であり、中央から全国に拡大した。その結果次のような、当初予期しなかった影響が生まれたという重要な指摘を行っている。すなわち、この仕組みは一方では、高級気功を国家管理のもとにおき、共産党政府の民衆管理の機能を果たしたが、その一方では民衆の日常での超能力の組織的実践を国家が制度的に保障したことにもなっている、という指摘である。この指摘は本論文全体のなかでも、組織論としても鋭く重要な分析である。事実、透視や予知という超能力は地方や農村においては極めて民間信仰的行為と近いところにあり、それがこの社会団体に加入することによって、科学と国家の名のもとで正当化されるのである。
 このような現象は著者による実際の地方でのフィールドワークで確認された。例えば、L市S県では、高級気功の超能力の理解の方法は、地域固有の民間宗教における信仰実践において確認される善悪果報および陰陽の思考様式と深く結び付いていることを、実践者の語りの再現をつうじて、明らかにした。
 第3章では、「健身気功」について論じる。科学の最先端として超能力と結びついた「高級気功」を普及させるための気功科学研究会が、90年代に全国組織化すると、民間信仰と結びつき、気功組織は国家を脅かすほどの巨大な力をもつようになった。そのため、社会問題となりつつあった「高級気功」を改めて、国家制度に取り込むために、国家の主導により、一般民衆が気功修練により身体を強健にして養生と回復をはかる、科学としての「健身気功」を再編し、それを体育局の管轄下においた。その後、共産党政府は法輪功を「邪教」として弾圧したあと、再度発動された健身気功事業は、気功の組織や修練場所、および活動を管理し、気功と係わる場所や組織を占領していった。本章ではその経過を明らかにする。そして、健身気功事業は、民衆の身体と思想を再編するものであり、国家による健身気功の登録制度や健身気功事業が教える内容は、現在、地域社会において人々を徐々に飼いならす効果をうみつつある、とウチラルト氏は指摘する。と同時に、健身気功を「ラジオ体操」のように方便として行い、あとの修養は「自分の好きなように」体を動かすとウチラルト氏に語る、一般民衆のインタヴューを紹介して、制度に回収されない民衆独自の受容/抵抗の方法をも指摘する。
 終章においては、全体を総括し、今後の課題の提示を行っている。とくに、「医療気功」「高級気功」「健身気功」の三つの流れが、それぞれにおいて「宗教から科学へ」の言説をくりかえして示していたことを指摘し、しかし、一般民衆のもとにそれぞれの気功がイデオロギー的に、また組織的に還元される段になると、そこに介在する民間信仰や道徳心に共鳴することを、改めて協調した。つまり、一般民衆が高い関心を気功にもつ理由は「科学性」や「近代性」ではなく、「効果」にあり、また民間信仰においても一般民衆がそれに依存するのは、「宗教性」ではなく、その「効果」にある。この意味において、両者が極めて近い精神構造をもつ、という示唆に富む洞察を行ったうえで、論考を終える。


Ⅲ.本論文の成果と問題点
 本論文は次のような成果がある。
1、本研究は、中国の気功についての社会科学、とりわけ文化人類学による本格的な研究として、極めて優れた資料的価値と分析的価値をもつ論文である。中国の気功についての日本での本格的な文化人類学の研究は、本論文が初めてといってよい。また私の知る限りでは、海外の中国研究でもこれほどの歴史的、政治的、社会的、制度的、文化的アプローチから、総合的にとらえることを意図した研究は他に類がない。ちなみに、中国の近代国家形成と宗教の関係についてのスタンフォード大学出版からの学術書(Making Religion, Making the State. 2009)の編集時に、ウチラルト氏に特別に執筆依頼があったのもそこに理由がある。気功の研究は、気功術の紹介や中国武術の歴史書を除けば、そのほとんどが法輪功事件後に出版されたものであり、それらも民間信仰や宗教政策についての研究が多く、例えば、気功全体は宗教なのか科学なのか、という社会科学的に生産的とはいえない問いをたてるという共通傾向がある。
 しかし、本論文は、気功をそのように既存の枠組みでとらえることはしない。本論文は、気功を中国が国家として近代化を主体的に迎えていくための政策のなかに位置づけ、例えば中国医学(漢方)のように、「伝統的」な技法をもって主体的構築をめざすための、最も主要な中心としたことに、着眼する。この着眼点は著者の独自のものであり、社会科学として優れて正確な捉え方である。そして、ウチラルト氏は、この半世紀におよぶ国家的政策の変遷のなかで浮上してきた気功概念、即ち、「医療気功」、「高級気功」、「健身気功」の三つを時間軸上におき、それらを中心に、必ずしも順調にいったわけでもない、紆余曲折をもつ中国の近代国家形成、近代化行政、イデオロギーの整備、そして地方支配体制の確立という問題意識のうえに、「気功」を論じる論文構成をとった。この明快な構成は本論の目的を説得的に展開することを成功させている。
 本論文は個人の身体の問題である気功を、最終的には、国家の個人支配にまで、あるいはそれへの個人による隠れた抵抗もふくめて、国家の近代化政策のなかでとらえることを示し、気功の研究であると同時に、近代中国の国家、社会、個人の関係を鋭く分析するため、社会科学研究として豊かな深みを有する、優れて実証的な研究となっている。 
2、本研究は、特定の近代化政策からとらえた中国の近現代史の研究として、大きな貢献をはたすものである。中国の近代化が単純な西欧化でないことは、その共産主義/社会主義国家形成の過程と開放経済政策の両輪をとる近年の目覚ましい中国の発展を見るだけでも明らかだが、共産党国家形成が始まった直後の1950年代から、共産党イデオロギーだけでは調整が難しい「近代化」を目指すために、「科学」概念を国家が導入し、過去の遺産を「封建的」と否定しつつも、選りすぐった中国の内発的知見との接合を求めた。そこにこの「気功」が国家近代化政策に適合する形で再編成される土壌と受容が準備されたといえる。西欧における気功の研究は、法輪功事件などの影響により、宗教による国家への反乱、反権力の抵抗運動、人権問題に係る国家の力による支配等の枠組みが気功理解において支配的だが、本論は、国家の近代化政策において国家主導により再編成されてきた「気功」という側面をとらえて、中国の近現代史の文脈のなかで改めて論じなおした、その学術的功績は大きい。
3、本研究は、とくに制度/組織の研究として、卓越した発見を提示する。まず第一章、第二章で詳しく述べられているように、医療気功も高級気功も、共産党あるいは軍部の幹部指導により、当政府の中心的政策となり、全国的に展開されるという、共産党国家の政治システムの現実を詳細に分析した功績は、中国政治システム研究として高く評価できる。しかし、本論はそれだけではなく、特に3章の社会団体「気功科学研究会」の分析においては、中国の行政システムの核心的本質に迫る発見をしている。以下、引用する。「4章では、高級気功の社会団体の形成について記述した。そこでは、国防科学工業委員会の軍人科学研究者が、彼らの政治的人脈を活かして高級気功の社会団体を設立していくプロセスを迫った(ママ)。そのなかで、人間の超能力と係る研究と実践を趣旨とする気功社会組織は、国家によって「自然科学」系統の社会団体として分類され、管理されていたこと、「全国性」および「地方」の気功科学研究会は共産党政府と民衆の中間的な組織であり、一方では共産党、政府の民衆管理の機能を果たし、他方では民衆の組織的実践を制度的に保証していたことを明らかにした。」
 このように、社会団体という国家と民衆をつなぐ組織が、国家支配だけではなく、地方行政や民衆が主体的にこの組織を利用することによって、自律的な活動を制度的に「保証」する役割も担っていた、という指摘は、フーコーの逃れることが不可能な言説支配議論の閉塞に、例えばホモセクシュアリテリのような逸脱的状況を想定して抵抗する、という手法とは対照的に、その組織/制度を内側から目的をすり替えて換用するという抵抗の方法を力強く示すものでもある。
 これは近年、一部の中国社会/文化研究者の間で研究が進んでいる、社会団体、統一戦線部研究が開拓しつつある議論に連なるものとして、高く評価するものである。
4、従来の文化人類学ならびに社会学による中国社会/文化研究の実証的、理論的研究では、特定の事例、特定の地域を選択したうえで、中央の政策と末端の地方状況を同じ視野に入れて、同一線でつなぎ、同じ比重をかけながら論じることが、最も必要であるにもかかわらず、そのような研究は極めて少なかった。その理由は端的にいって、その難しさにあり、地方行政ならびに一般民衆の動向と中央政府支配の協調/乖離という、現代の中国研究の最大の課題に十分に答える研究は、多分野においても希有である。本研究は、「気功」を通じて、一方では党政府の中央組織の近代化政策、もう一方では末端行政ならびに地方の一般民衆への影響と受容の状況について、同一論文のなかで、同等の比重をもたせた議論するという挑戦をおこなっており、果敢に取り組み、その接合点に注目して執拗に調査を繰り返すことによって、そしてその接合点で生じている事柄を、つねに地方と中央の両方の状況に接合させることによって、完全ではないにしても成功しているといえよう。
5、中国においての宗教研究のフィールドワークは困難を極める。とくに、法輪功事件のあとの気功についての調査は、外国人はもとより、中国研究者にとっても自由な研究調査の環境にあるとは言いがたい。なによりも本研究で提示できているデータは、ウチラルト氏と調査対象との強い信頼関係の構築なしには手に入らないものがほとんどであり、ウチラルト氏が困難なテーマに果敢に取り組まれた労作であると高く評価するとともに、ウチラルト氏の人類学のフィールドワーカーとしての高い素養には瞠目する。本論文は、第一級のエスのグラフィック・データの優れた集積である。また文献調査の手法にも卓越したものが多く散見し、本論の歴史的事実に関する記述と個々のエピソードは読み応えがあった。中国の文化人類学的研究としてだけではなく、文化人類学における、出色のエスノグラフィともいえる論文である。

 しかし、本研究には、著者も十分に自覚しているように、問題点がないわけではない。「健身気功」をめぐる第三章については、スポーツ研究、体育研究の観点から、中国におけるとりわけ「秘伝」とされてきた身体文化の一つとしての「気功」の変遷について論じる本論が、日本においては類がなく、貴重な研究であるとの評価もある。しかし、中国研究者以外の読者にとっては、党政府組織の仕組みや「社会団体」、さらに「体育」や「体育局」などの中国の国家組織についての説明が十分とはいえず、解りづらい。また、気功の感覚の中心が、他者には見えない「腹(丹田)」から、「手」へと外在化することで、「秘伝」であった気功が、他者と共有できるものへと変化していくとされている、本論での分析に対して、より具体的な説明が欠けているため、説得性が薄いとの指摘もある。
 なによりも本論の最大の問題は、理論的な検討という点では、不十分なところが見受けられることである。とくに、中国における「近代化」をめぐる先行研究、そして、信仰や宗教についての問題も含め、呪術・宗教的諸実践の「近代化」や「世俗化」に関する先行研究をもう少し詳しく整理し、その問題点を指摘するとともに、本論の分析から何らかの新たな視座や方法論を提起するという作業が、今後、必要だと思われる。とくにウチラルト氏が選択した民間信仰の伝統が根強いフィールドワーク先では、気功に関係する民間信仰の功利的、道義的側面と、近代化政策としての「気功」の制度的普及との接点に、極めて興味深い発見があるにもかかわらず、それが十分に、「信仰」や「世俗主義」についての既存の理論的研究への批判的検討につながっておらず、残念で、隔靴掻痒の感がある。

 以上、本論文はこうした課題があるが、それらは本人が十分に自覚しており、最終審査においては、現在の可能な範囲でこうした問題点について、逐一、誠実に答える姿勢には、今後の取り組みへの積極性と構想をみることができ、好感を持った。審査員一同は、本論文が中国の近代化政策と気功研究に、確実に寄与しうる論文であると判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するのに相応しい業績と判定する。

最終試験の結果の要旨

2009年7月8日

 2009年6月8日、学位論文提出者ウチラルト氏の論文について最終試験を行なった。試験においては、提出論文「中国の近代化政策と気功の変遷」に関する疑問点について審査委員が逐一説明を求めたのに対し、ウチラルト氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は、ウチラルト氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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