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博士論文審査要旨

論文題目:中国の国家体制改革とメディア
著者:崔 梅花 (CUI, Meihua)
論文審査委員:渡辺 治、加藤 哲郎、洪 郁如、安川 一

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一 本論文の構成

 崔梅花氏の学位請求論文「中国の国家体制改革とメディア」は、1978年以降改革開放政策を推進しさらに90年代に入って以降急進的な市場経済改革と経済のグローバル化を遂行している現代中国におけるメディアの変貌と共産党政権のメディア政策、メディア規制の新たな仕組みを、中国を取り巻く国際的、国内的状況とそれを踏まえた共産党政権の全体的路線の中で明らかにした意欲的作品である。本論文の構成は以下の通りである。

目次

序 章 中国のメディアを研究すること
 1.問題関心
 2.先行研究の検討
 3.本論文の課題と視角
 4.本論文の構成

      第1部 『報道の自由』をめぐる論争
第1章 改革以降の中国における「言論の自由」をめぐる議論
 はじめに
 第1節 共産党による言論政策の歴史的展開
第2節 80年代の言論の自由をめぐる議論とその特徴
 第3節 90年代以降の言論の自由をめぐる動き
 小 括
第2章 80年代における報道の自由をめぐる対立
 はじめに
第1節 指導者の政治改革と報道政策
第2節 報道の性格をめぐる議論の対抗―党派性か人民性か―
第3節 報道改革の要求の高揚
第4節 報道立法をめぐる改革派と保守派―胡績偉と胡喬木―
第5節 『世界経済導報』の報道とその発禁
小 括
 
     第2部 メディア管理システムの再構築
第3章 90年代における新聞の管理・規制体系の再構築
 はじめに
  第1節 新聞の管理・規制体系の再構築の背景
  第2節 新聞の登録許可制
第3節 新聞社における人事管理
第4節 報道に対する規制構造
小括
第4章 メディアの市場化—事業単位から企業化管理へ
はじめに
第1節 なぜ、メディアの市場化なのか
第2節 メディアへの外部資本の参入規制の変化
第3節 メディアにおける外部資金の参加形態
第4節 メディア市場化への対策―メディア集団化
小 括

      第3部メディア報道のあり方と展望
第5章 メディア報道のあり方
  はじめに
第1節 当局の主導による報道の多様化
第2節 突発事件をめぐる報道指針
第3節 中央と地方の利益の矛盾の深刻化
第4節 地方保護主義とメディアの「異地報道」
第5節 グローバル化とメディア報道
第6節 「情報の階級性」から情報公開の制度化
第7節 出版物発禁事件の頻発
小 括
終 章 現代中国の報道の特殊性とその展望
はじめに
第1節 現代中国の報道の特殊性
第2節 メディア報道の展望
小 括

文献目録
資料:『中国人民共和国出版印刷発行法(草案)』
あとがき


二 本論文の概要

 序章では、著者の問題関心に沿って、中国メディアをめぐっては2つの研究動向があるという形で研究史が整理される。メディア改革が報道の自由化をもたらしているという視点に沿った研究と、なお依然としてメディア規制は弱まっていないという視点からの研究である。著者は、その両方の視角を融合し中国メディアの変化とそれに対応して政権が新たな規制方式を生み出している点を明らかにすることをめざすと、本論文の問題関心を提示する。この問題関心に沿って、著者は本論文の2つの視角を提示する。第1は、中国のメディア状況の変容とメディア政策の変化を、中国共産党政権の総路線の中で明らかにするという視角であり、第2は、グローバル化の下でのメディアの変化を、単に民主化の前進という視点から捉えるのではなく、また逆にその変化の過小評価にも陥らず、変化と管理の両面から分析するという視角である。
 第1章では、中国共産党の言論政策が概観されたあと、改革以降の中国における「言論の自由」をめぐる議論に焦点を当てて検討がなされる。著者は、そこで、80年代以降の中国では言論の自由をめぐる2つの潮流が台頭したことを指摘する。第1の潮流は、政治改革派の展開した言論の自由化論である。この潮流は、政治改革との関連で言論の自由の保障が不可欠であると主張したが、この潮流の中からは、言論の自由の理論的根拠を求めて自然的権利としての言論の自由を基礎づける試みも生まれたことが注目される。それに対して、第2の潮流は、経済の市場化を通じて言論の自由も実現されるとして、民主化よりも市場化を先行させ市場秩序に必要な限りでの言論の自由を主張する潮流である。著者は、80年代に、こうした国家のあり方との関わりの中で言論の自由が公に議論されたこと自体がきわめて画期的なことであったと強調する。
 このような80年代の言論の自由論は改革の挫折とともに収束し、90年代に入ると、言論の自由をめぐる議論の特徴は大きく変貌する。そこでは、政治体制の民主化に絡めて言論の自由確立を主張する急進的議論は影を潜め、グローバル経済の下で、漸進的に自由を拡大することが主張される。グローバル経済が急速に展開し、高度経済発展のイデオロギーが社会的優位を占めるなか、政治改革派の言論・報道の自由論の社会的基盤が消失したのである。
 同時に、著者は、こうした状況を受けて共産党指導部がむしろ積極的に80年代とは異なるもくろみの下、報道の自由の憲法的保障を行おうという動きを見せていることを、憲法改正論を通じて明らかにしている。
 第2章では、80年代に「報道の自由」をめぐって党内において展開された改革派と保守派の厳しい抗争の過程が検討されている。中国の党指導部内の対立が表面化することは極めてまれであり、それだけに、80年代の報道の自由をめぐる対立の表面化は、党内でのこの問題での対立の深刻さを象徴している。
 本章で、まず著者は、改革派のリーダーであった鄧小平の言論報道政策をめぐる言説を検討し、同じ改革派の胡耀邦、趙紫陽との間には大きな違いと対立があったことを明らかにする。次に、著者は、こうした対抗が報道の性格・役割をめぐる対立として現れたことを分析する。すなわち80年代には、共産党内保守派が一貫して強調してきた「報道の党派性」論に対し急進派の知識人から「報道の人民性」を重視する議論が提起され、「党派制と人民性の統一」を主張する党指導部と三つどもえの議論が展開されたことが明らかにされる。著者は、報道の自由に関する三つのアンケートを紹介して、党内においても「報道の人民性」論が主流を占めつつあったことを明らかにする。
 続いて、著者は、この時代に報道の自由を保障する報道法の制定の試みがあったことに注目し、その立法作業を検討し、そこで現れた対立の性格を明らかにしている。80年代当初から、政治改革の一環として報道の自由を保障すべく報道法制定の主張が現れた。改革派は、報道法を、報道の自由を保障するための法と位置づけたのに対し、保守派は、「報道はあくまで党の指導の範囲で行わなければならない」として、報道法では報道の限界を明示することを主張した。こうした対立を受けて、報道法制定過程では、改革派の胡績緯の報道法草案に対抗して保守派の新聞出版総署の草案も作成された。著者は、この2つの草案を検討した上で、最後に、こうした熾烈な対抗のなか、報道の自由の論陣をはった『世界経済導報』が発行禁止処分を受けたことを機に指導部内で報道の自由派が抑圧され、結局報道法は制定をみないままに終わったことを明らかにする。
 第3章では、90年代におけるメディア経営の市場化の下での当局の新たなメディア管理と規制のシステムの全体像が、新聞に焦点を当てて明らかにされている。まず著者は、80年代以降の改革開放政策・市場経済化の中で、新聞の創・発刊が相次ぎ、晩報、都市型新聞が大量に創刊されたことを明らかにする。こうした新たな新聞紙の著増は、公費による経営、公費購読制の下での財政の圧迫を招き、新聞に対する公費補助の打ち切りと自主経営の方向を促した。
 こうした新聞の自主経営の進展という事態を受けて、当局はそれに対応する新たな規制システムを開発した。第1は、新聞の主管単位と主弁単位を明確化し、属地管理原則により、地方毎の、党による管理、統制を再確立したことである。第2は、新聞社の人事管理を確立し、党機関紙の主要幹部については党による任命を堅持すると同時に、非党機関紙の幹部には記者の資格制度、研修制度を導入したことである。第3は、報道については、事前規制とともに審読制度による事後規制、また自主規制などを併用するに至ったことである。以上のように、第3章では、90年代以降にメディア管理と報道の規制構造が、従来のシステムを基盤にしながら、大きく変化したことが明らかにされる。
 第4章においては、90年代以降の市場経済化さらにWTO加盟による経済成長の下で、メディアの市場化、外部資本の進出が大きく進み、それに対応した新たな対応策が生み出された過程が検討されている。そこでは、メディアに対する資本不足に対処すべく外部資本のメディアへの参入規制が緩和されつつあるなかで、当局がいかにメディア・コントロールを確保しようとしているかが検討されている。
 まず、経済のグローバル化の下で、外国資本、外部資本の参入が本格化する中、新たな参入規制が行われていることが明らかにされる。当局は、資本参入に対する規制は緩和しつつ、その参入を卸しや広告など極力報道の外延的部分への参入にとどめようとしている。次に、著者は、外国メディアの中国での活動が拡大していくなか、中国メディアの政府コントロールを維持するために、党機関紙を核にメディアの「集団化」が推進されていることを明らかにしている。党機関紙を筆頭とする新聞集団を組織し、集団による規制を通じて報道内容をコントロールしようという方策である。
 第5章では、こうしたメディアの市場化の下で、共産党政権の側にメディアに対する新たな役割期待と新たな政策が生まれ、またそれに対応して、メディア側にも新しい動きが台頭していることが明らかにされている。
 政権側の新たな役割期待とは、メディアを、従来の党の宣伝機関から政権の政策の正当性を弁証し国民の不満のはけ口にする機関への変化である。こうした方向での新たな政策として、著者は、中央政府がメディア報道を、経済改革の中で生成、拡大しつつある地方政府の地方保護主義の打破と是正の手段として利用していることに注目する。経済改革を実施していくなかで、中央は経済発展の効率化を図るべく一部の権限を地方に譲渡し、地方の党・政府が主体となって経済改革を進める態勢をつくった。その結果、地方政府は巨大な利益集団となっており、最大の利益追求のため時には中央の指示を無視したり、中央の政策を逆手に取ったりする傾向さえ現れた。また、こうしたことを中央に露見させないために、地方の党や政府はメディア管理を強化し情報隠蔽を図った。そこでは、メディアに対する属地管理、属地報道原則が情報秘匿の梃子として使われている。中央政府は、このような地方利益集団の拡大に危機感をもち、こうした問題に関するメディアの「異地報道」を積極的に慫慂し、地方政府への監督を強化しているのである。
 また、著者は、「突発事件」報道に対する方針にも、こうした政府の新たな役割期待がみられることを分析している。当局は、突発事件の類型に応じて規制のやり方を変え、自然災害などでは政権の政策の正当性を訴える梃子にしている。2008年の四川大地震の報道はその典型的な事例である。また、当局は対外報道においても新たな方向を模索している。例えば、2003年SARS(新型呼吸症候群)の流行に際しての報道規制の教訓から、以後、国内において報道を規制する場合でも対外向け報道は行うという方針が、新方針として現れている。
 著者は、こうした政権側のメディアに対する新たな位置づけの裏側で、メディア側にも新しい動きが台頭している点に注目している。しかし、メディアのかかる試みは容認される場合と、そうではないケースとがある。その基準は必ずしも明らかではないが、従来に比較して当局側の対応が柔軟化し、規制にも硬軟の使い分けがみられることが指摘されている。
 終章では、以上の分析を踏まえ、メディアの市場化が必ずしも民主化につながっていないことが改めて強調される。その上で、著者は、中国メディアの方向に関して3つの点を予測して本論文を締めくくっている。一つは、今後国家メディアを通じて対外報道が重視されるだろうということであり、第2は、第5章で検討された政府のメディアに対する新たな役割期待が一層鮮明化する、という予測である。第3は、メディアが今後一層報道を積極化するであろうという予測である。

三 本論文の評価

 以上に、その概要を記した崔梅花氏の論文は、以下の諸点で高く評価できる。
 本論文の第1の意義は、80年代以降の30年に及ぶ中国メディアの展開を、改革開放以後の共産党政権のメディア政策に焦点を当てて分析し、中国メディアの変容とそれに対する政権の側の新たな規制の全体像を、体系的かつ歴史的に描ききった点にある。従来からも、中国メディアの状況については、少なくない言及があった。しかし、それらは、断片的な素描にとどまるものが多く、しかも、著者も指摘するように、メディアの多様化、市場化を中国民主化と直結させて論じるかあるいは逆に中国政権の支配の下で依然統制が強い点を指摘するかという比較的単純な視角からの研究であった。本論文は、改革開放後のメディアの変化を歴史的にふり返り、それを、中国政府の政策とくにその市場経済化政策がメディアに及ぼした巨大な変化、それに対する当局側の新たな規制の模索、さらにはそれに乗じて積極的な報道を試みるメディア側の挑戦の間の激しい攻防戦として描いて見せた。この点が、本論文の第1の意義である。
 本論文の第2の意義は、本論文が、90年代以降の社会主義市場化政策、経済のグローバル化政策の下で現れたメディアの新たな状況、それに対応する中国政権の新たな規制システムの構築、さらにはメディアに対する新たな役割を分析することによって、メディア研究の面からのみならず、現代中国の政治過程、政治構造の分析としても、大きな意義を持っている点である。
 本論文の第3の意義は、本論文が、現代中国のメディア状況や規制に関し、少ない資料を丹念に収集して、各論的な論点でも実証的な成果を上げている点である。とくに、第2章で検討されている1980年代の報道の自由をめぐる支配層内の対立、報道法草案をめぐる抗争の検討は、報道法草案の紹介とともに、今までほとんど明らかにされていなかった歴史に光をあてたという点で大きな意義がある。また、第3章で扱われている、90年代以降の市場化に伴う当局のメディア規制の新たな方式、とくに主管、主弁単位制、属地管理原則、人事管理の新方式、審読制度などを体系的に明らかにした点も実証面での大きな成果である。第4章で分析されたメディアへの外部資本の導入と当局の規制、とくに党機関紙を中核とする「集団化」の分析、さらに、第5章で明らかにされた「異地報道」の分析なども、個別実証のレベルで中国メディア研究に大きな成果を付け加えた、といえる。
 とはいえ、本論文にも、問題がないわけではない。著者の本課題に対する熱意の大きさのあまり、叙述にやや繰り返しが多いことは別として、以下の2つの点を指摘しておきたい。
 第1は、本論文が中国メディアの実態分析に関心を焦点化させたことの裏返しでもあるが、中国メディアに関する研究史、とりわけ英語圏の研究史の検討が手薄であり、またその整理の仕方も著者の問題関心に引っ張られすぎている点である。メディア研究という点でも、先行研究に対する目配りが不足している点は否めない。この点は、本論文の広がりを制約しているばかりでなく、本論文で検討した興味深い事象を広くメディア研究の中に位置づけるという点でも、問題を残した。
 第2に、やや無い物ねだりの感はあるが、本論文では、旧社会主義国、途上国、あるいは先進国のメディアやその規制との比較検討がなされていない点である。中国のメディア規制の展開をみると、たとえば、事前規制と事後規制、当局の規制と自主規制、さらに新聞、出版に対する規制における諸類型など、他の途上国や旧社会主義国の言論規制との類似点と、中国独自とみられる規制が、両方散見される。こうした規制の方式、言論に対する規制のあり方は、現代福祉国家、社会主義、開発独裁国家でそれぞれ異なるものがある。本論文が、そうした比較国家論、比較マスメディア論の視点を持って検討されていれば、本論文の射程はさらに広がったと思われる。
 しかし、以上の問題点は、著者も十分自覚するところであり、今後の研究の発展の中で克服されていくことが確信される。また、これら問題点は、決して本論文の持つ大きな意義を減ずるものではない。
 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2009年7月8日

 2009年6月17日、学位論文提出者崔梅花氏の論文についての最終試験を行なった。試験においては、審査委員が、提出論文「中国の国家体制改革とメディア」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、崔梅花氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は、崔梅花氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績及び学力を有することを認定した。

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