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博士論文審査要旨

論文題目:敦煌変文韻文考
著者:橘 千早 (TACHIBANA, Chihaya)
論文審査委員:洪 郁如、坂元 ひろ子、中島 由美、笹倉 一広

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1 本論文の構成

 本論文は、敦煌文献中の所謂「敦煌変文」と呼ばれる雑多な説唱文学作品群の膨大な韻文について、押韻・平仄を精査・分析、考察したものである。従来、ひとまとめに論じられがちであった敦煌変文にも作成地が敦煌一帯とそれ以外のものの2種類を推定できること、加えて成立年代の新旧をある程度推定可能なことを、押韻の分析から論証した。さらに、平仄を分析し、その厳格さの差異から三つの作品群を指摘し、同時代の唐代文学の状況と照らし合わせてそれぞれの作品群の性格を明らかにした。

 本論文の構成は次の通りである。なお、論文中、申請者は広義の変文(=いわゆる敦煌変文)を“「変文」”と表記し、狭義の変文(=題名に変文・変の文字を有する類)を“変文”と表記している。

第一章 序論
 第一節 「変文」の定義
   一 はじめに
   二 「変文」の範囲について
   三 「変」の意味について
   四 「語りもの」説と「読みもの」説について
 第二節 高僧伝類からみた「変文」
   一 『梁高僧伝』――初期の開導
   二 『続高僧伝』――初唐時代の唱導と講経
   三 『宋高僧伝』――開導の総合化
 第三節 韻文資料からみた「変文」
   一 変文の上演
   二 唐詩四首の分析
   三 小結

第二章 「変文」の押韻
 第一節 音韻学的アプローチによる先行研究
   一 音韻研究三種のあらまし
   二 従来の研究の問題点
   三 分析方法について
 第二節 「変文」全体に共通する特徴
   一 平声韻
   二 上去声韻
   三 入声韻
 第三節 北宋時代以降の「中原音」との比較
   一 止摂(支脂之微韻)と斉韻の通用
   二 流摂(尤侯幽韻)唇音字と遇摂(魚虞模韻)の合流
   三 佳韻牙音字の麻韻への合流及びその他
   四 陽唐韻と江韻の通用
   五 梗摂(庚耕清青韻)と曽摂(蒸登韻)の合流
   六 真韻系列と寒韻系列について
   七 入声韻に関する出韻
 第四節 陽声韻を主とした各種語尾の通用
   一 庚韻系統と止摂及び斉韻の通用
   二 真韻系統と蒸登韻の混用
   三 -n語尾と-m語尾の混用
 第五節 小結

第三章 「変文」の平仄
 第一節 平仄簡史、及び平仄の意味するもの
   一 四声論から近体詩へ
   二 仏典の押韻と平仄
   三 仏典と「平―仄―仄―平」形式
 第二節 「変文」の平仄遵守状況
   一 平仄を厳守する作品
   二 平仄をほぼ守っている作品
   三 平仄をあまり考慮しない作品
 第三節 「平―仄―仄―平」形式をとる変文について
 第四節 小結

第四章 唐代韻文文学からみた「変文」
 第一節 近体詩
   一 近体詩の規則
   二 「変文」との比較
 第二節 歌行(七言古体詩)
   一 歌行の定義と規則
   二 「変文」との比較
   三 小結
 第三節 「変文」の形式が意味するもの
 第四節 小結

第五章 結論
あとがき

(付録)
敦煌変文 全韻文の平仄及び押韻状況
参考文献目録
附表:「敦煌変文」韻文分析総表


二、本論文の概要

 第一章では、まず第一節で、先行研究を丁寧にトレースし諸問題について整理した後、申請者の、「変文は実際の説唱芸術から離れて読み物化される途上にあるものであろう」という仮説を提示し、本論文構成を述べる。続く第二節では申請者が最も正統的かつ早くから行なわれていたと考える俗講・唱導と講経文を取り上げ、3種の『高僧伝』を用い、唱導から押座文・講経文などが語られた俗講への変遷を検討し、第三節では、俗講とは対極に位置する「変文」の一つとして《昭君変》を中心に、唐詩などの資料から、妓女または蜀女が画巻を用いる転変という上演形態を考証した。
 第二章では、「変文」の韻文の押韻の分析、特に出韻から、「変文」の音韻的特徴を考察し、その意味するところを論ずる。まず第一節で敦煌一帯の方言に関する先行研究の紹介と本論文における押韻分析の目的、及び分析方法について述べる。従来の「変文」押韻研究が「変文」を一括して扱うことが多かったのに対し、申請者は全作品の特徴を整理した後、「全ての作品に共通する特徴」と「ある特定の作品にのみ見られる特徴」に分離して考察する必要を論じ、続く第二節・第三節でそれぞれについて実践し、考察をおこなっている。共通する特徴を考察した第二節では、上去声の通韻、入声押韻について考察し、それらが成立年代の新旧と関係のあることを明らかにしている。第三節では、従来の研究で明らかにされている「変文」期に近い中原音の特徴とされる7項目について、逐一「変文」各作品を対照し、乖離度を検討した。その結果、河西方言の特徴をよく表す敦煌一帯で制作されたと考えられる作品群(大部分の変文、伝文、書、及び大多数の押座文等)と、中原を主に河西地域以外で制作され、敦煌に流入したと思われる作品群(大部分の講経文を中心とする)に大別できることを明らかにした。
 第三章では、「変文」の韻文の平仄遵守の度合いを二四不同、二六対を中心に考察し、「変文」各作品の差異を論じている。まず第一節では平仄意識の成り立ち・近体詩に到るまでの発展を概観し、「変文」韻文に到る歴史的背景を探った。第二節では「変文」各作品について韻文の平仄遵守状況を精査し、平仄遵守の度合いは、「変文」の種類に深く関係し、厳しく守る作品類(講経文)と比較的遵守する作品類(縁起・因縁類)、そしてあまり考慮しない作品類(変文類など)に分けられることを明らかにした。第三節では「平―仄―仄―平」形式(4句単位の句末の平仄)の各作品類での使われ方の特徴について考察している。
 第四章では、「変文」の唐代韻文文学の中での位置づけを試みている。第一節では近体詩、第二節では歌行体(七言古体詩)という同時代の韻文文学との比較を行ない、それぞれ影響を受けていると思われる部分、「変文」独自の部分を闡明にしている。続く第三節において、講経文の韻文が近体詩とよく似た4句毎の厳格な形式で作られているのは、これらが当時の音楽形態である、絶句を楽曲の歌詞とする様式により唱われていたためとし、狭義変文が平仄を守らないのは、文字定着化の過程で字に定着させる際、起承転結を整え、作品の一貫性や芸術性を高めるために様々な改変が平仄より優先して加えられたためとする。
  第五章「結論」では以上の考察を以下の様にまとめる。「変文」の韻文は、講経文・縁起因縁類・変文類の概ね3種類に分けられるとし、それぞれの特徴は、押韻の分析により、講経文の多くは中原で制作され、敦煌へ流入したと見られる。縁起・因縁類は河西方言を疑わせる鼻音語尾の出韻が多く、比較的後期に敦煌一帯において作られた可能性が高い、変文類は、一定分量の散文と韻文を繰り返す転変に由来すると思われるものと、七言4句の短い韻文を頻繁に挿入する2形式があるが、前者の一部と後者の大多数が敦煌産であると考えられる。平仄については経講文が最も厳格で、これに次いで縁起・因縁類が比較的遵守し、変文は平仄の遵守率が低い。さらに第四章での考証を加え、講経文は専ら朗詠されたものであり、縁起・因縁類も実際の上演と関係があるが、変文の2形式について、前者には歌行体に似た加工が施され、後者の形式は語ることを離れて筆写されるものとしての性質が強く見られるとする。このように、「変文」間の差異は、各々の上演方法や制作の意図と深く関わっており、韻文は長い時間をかけて、より相応しい形式に改変されている。講経文が語りものとしてより多くの聴衆を得るために、当時の音楽と深く結びついて一層の規範化に向かった反面、変文は、文字化するにあたって平声韻や平仄のこだわりを減じて芸術性を追求したとし、したがって、「変文」作品を一括りにして論じることはできず、字面だけではなく、各作品の語りの場を踏まえた議論が不可欠であるとする。


三、評価と判定

 申請者が「変文」の韻文部分に着目し押韻や平仄の検証を始めたのは、変文が実際の説唱芸術から離れて読み物化される途上にあるものであろうという仮説の論証の手がかりを求めてであった。同様の仮説の可能性を感じている研究者は他にもいるが、莫高窟第16窟というタイムカプセルから取り出された敦煌変文は、時間的にも地理的にも周囲から隔絶され、なかなか論証の手がかりに乏しい。その中で申請者は韻文分析に着手し成果を導き得た。
 敦煌変文の音韻研究には先行研究もあるが、申請者はその先行研究を丹念に検証して、その不備を見つけ出し、「変文」各作品の持つ差異に着目した新しい分析方法、即ち中原音からの乖離の度合いを指標に用い、方言の音韻的特徴から、「変文」には、主に変文・押座文などを中心とする敦煌周辺で作成されたものと、講経文を中心とする他地域(主に中原)で作成されたものの2種があることを明らかにした。「変文」に敦煌以外で作成されたものがある可能性についての感覚的言及は以前にもあったが、音韻の面から明確にこのことを論証したのは本論文が最初であろう。
 さらに、併せて平仄を精査し、これを厳守する作品群(講経文)と比較的守る作品群(縁起・因縁類)、さらに無頓着な傾向の作品群(変文類、特に第二の変文類)があることを指摘した。これも本論文が初めてであると思われる。この調査から得られた結果は、申請者の仮説の検証に有力な手かがりを与えるばかりでなく、「変文」の成立・伝播過程の研究、説唱芸術史研究を大きく一歩前進させ、学界に寄与する指摘と言えよう。
 また、本論文には調査した「変文」韻文の全文字の平仄、押韻状況が資料として付されている。膨大な量の敦煌変文の韻文を一字一字丁寧に『広韻』にあたり、数多い破音字についても慎重に判断を加えるという、年月のかかる気の遠くなるような作業の結晶である。現在は広韻のデータベースもネット上で検索できるが、機械的には成し得ない作業であり、このデータを公開するだけでも、音韻・平仄研究ばかりでなく、リズムやテンポといった説唱芸術方面からの分析にも大きく貢献するであろう。
 
 敦煌変文の分類と性格、特に狭義変文が「読み物」的志向をもつことを論証しようすることは、昨今の若い研究者には見られぬ、大きな意欲的な課題であり、本論文の指摘の価値も大きいが、更に今後を期待したいだけに、以下の点を問題として指摘しておく。申請者も第五章においてやり残したことを記しており、重複する部分もあるが敢えて記す。
 まず、第一に対象を韻文に限っていることである。韻文に限ったことについては論文中でも申請者は理由を述べているが、散文の特徴分析の上にさらに、散文と韻文の有機的繋がりの分析、全体を対象をとしたより総合的な考察が望まれる。その中で、韻文のみを対象とした本論文で得られた結論の有効性を重ねて検証して欲しい。
 第二に、説唱芸術・文学の視点や流れからの考察の欠如である。文字化されているとはいえ、敦煌変文は説唱芸術の流れの上にあることは間違いない。先行あるいは同時代や後継と目される後世の説唱芸術・文学を調査し、比較検討すればさらに有意義な結果が得られたであろう。平仄だけでなく、リズム・テンポといった指標も視野に入ってくる筈である。また、第4章で平仄遵守について近体詩からの影響を推定しているが、これも大きな流れからみればむしろ逆である可能性も考えられよう。さらに、口述試験で質問したところ、当時敦煌で俗講はおこなわれていたそうだが、『高僧伝』に見られる俗講に論及しているのに、同時代の敦煌での俗講に本論文では全く言及がないのも残念である。
 第三に、前項とも関係するが、敦煌変文の担い手、言い換えれば演者、作者、記録者、享受者といった人々についての考察である。第一章で俗講や転変の演者、享受者についての考察はあるが、その他の担い手についての考察は、ところどころに顔を出すものの、章節を割いてまでは論じられていない。
 
  
 本論文はこうした課題を残しつつも、これらは申請者のすでに自覚するところでもあり、上述のように、敦煌変文の韻文の押韻音韻・平仄を精査・分析し、その特徴から「変文」を類別し、その性格を考証した研究成果は公刊に値する内容を有する。
 以上、審査員一同は、本論文が中国文学界の敦煌変文研究・中国説唱文学研究に大いに刺激を与え、寄与しうる成果を確実に挙げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するのに相応しい業績と判定する。

最終試験の結果の要旨

2009年7月8日

 2009年6月3日、学位論文提出者橘千早氏の論文についての最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「敦煌変文韻文考」についての審査員の質疑に対し、橘千早氏はいずれも十分な説明をもって答えた。
 よって審査委員会は、橘千早氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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