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博士論文審査要旨

論文題目:越境と境界線の社会学 -分析的境界領域としての19世紀末在米中国人-
著者:大井 由紀 (OI, Yuki)
論文審査委員:伊豫谷 登士翁、関 啓子、貴堂嘉之

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Ⅰ.本論文の構成
 本論文は、19世紀後半の中国人移民排斥に対する在米中国人社会の動きを辿ることにより、移民がどのように「公共圏」への参加が阻まれてきたのかを、移民に関わる裁判資料等に拠って明らかにしたものである。これまで、19世紀中国人移民は、アメリカの人種差別的移民政策の原型として、あるいは太平洋を渡る「もうひとつの移民」として評価されてきた。しかし、本稿は、これらの評価に解消されない具体的な交渉過程を丹念に追うことを通じて、アメリカにおける国家主権の成立過程が中国人移民排斥といかに連関してきたのかを分析した意欲的な論考である。
本論文の構成は以下の通りである。

序章  「移民」と国民国家
0.1. 問題の所在  
0.1.1. 「移民」との公共圏へ向けて
0.1.2. 「公共圏」と国民国家
0.1.3. 主権と「移民」:方法論的ナショナリズムを越えて
0.2. 「移民」を通して「ネーション」と「ステート」形成を考える
0.2.1. 19世紀末の在米中国人とアメリカ
0.2.2. 本論文の構成:分析的境界領域としての「移民」をめぐって  
第1章  越境と境界線
1. 1. 排斥する論理
1.1.1. 越境の背景
1.1.2. 中国人はアメリカ人になれるか? 
1.1.3. 排斥法 ―「保護」の論理―
1.2. 結ばれる「世界」: 大西洋岸―太平洋岸―アジア地域
1.2.1. 接続される大西洋岸と太平洋岸
1.2.2. 接続されるアメリカとアジア
1.2.3. 接続される「世界」
【小括】接続され、想像される「世界」と「ネーション」の境界線
第2章  排斥の先にあるもの
2.1. 排斥と主権
2.1.1. 二国間条約から国内政策への転換
2.1.2. なにが排斥を正当化するのか?
2.1.3. 排斥から追放へ
2.2. 追放する論理: ゲーリー法反対運動
2.2.1. 国境線上での規制・管理と国内からの追放の差
2.2.2. 反対運動の展開
2.2.3. 追放する論理
【小括】「ネーション」形成における「主権」のロジックと対抗的公共圏  
第3章  排斥と包摂:揺らぐネーションの自己理解?
3.1. シティズンシップをめぐる非連続性
3.1.1. シティズンシップを付与する主体: 連邦と州
3.1.2. 第2世代はシティズンシップを付与されるのか?
3.1.3. なぜ出生地主義が認められたのか?
3.2. 脱政治化される異質性:コロンビア博覧会
3.2.1. 異質さ:脅威と娯楽
3.2.2. 展示される「異質さ」
3.2.3. 「中国」を展示することの意味
【小括】ネーションとステート形成の隙間
第4章 アメリカナイゼーションとトランスナショナリズム
4.1. コミュニティと分断
4.1.1. シカゴの中国人社会のはじまり
4.1.2. クラン・ウォー
4.2. 「チャイニーズ」になることを通して「アメリカン」になる
4.2.1. 包括的アイデンティティと新しい境界線
4.2.2. アメリカを通してみる中国
4.3. 重層的な近代と国民国家
4.3.1. 「近代化」を学ぶ
4.3.2. 「近代化」を生きる:理念と現実のあいだ
【小括】国民国家形成の重層性・不透明さの可視化
終章  「移民」とは?:越境と境界線の移民研究、社会学へ向けて
1. エスニック研究としてのアジア系アメリカ人研究
2. アジア系アメリカ人研究における「越境性」の位置づけ
3. 方法論的トランスナショナリズムの陥穽    
むすびに: グローバリゼーションと「他者」、そして公共圏
付録
Ⅰ 帰化申請の書類 Ⅵ ゲーリー法(1892年)
Ⅱ 清領事発行のパスポート Ⅶ シカゴ万博:会場図
Ⅲ エンジェル条約 (1880年)  Ⅷ シカゴ万博:ホワイト・シティの様
Ⅳ 中国人排斥法 (1882年) Ⅸ シカゴ万博:ミッドウェイ・
Ⅴ スコット法(1888年) プレイサンスの様子
Ⅹ シカゴ万博:中国展示会場
参考文献

 
Ⅱ.本論文の要旨
 大井氏の問題関心は、移民を包摂した「公共圏」を築くことがいかにすれば可能かを、理論的あるいは思想的に明らかにすることにある。序章において本論文が、移民の歴史を素材として移民の社会学的分析する展開するための枠組みが提示される。近代国家のもとにおいては、移民に対する開かれた公共圏という問いそのものが困難を抱えており、本論文での課題が、国民国家と移民の関係性の再考をとおして、そうした困難を克服する方向性を指し示すことにある点が確認される。すなわち、移民に対する「開かれた公共圏」が具体的に表出する分析領域として、国民国家の形成過程と「移民」が「他者」として編成される過程の対抗を取り上げ、移民と国家を対置する思考から抜け出る方向性を考察しようとしたものである。
 具体的な事例として取り上げられたのは、19世紀末の在米中国人社会である。ゴールドラッシュ以降急増してきた中国人移民は、アメリカにおいて最初に排斥された移民集団であり、そこで展開されたさまざまな動向はその後のアメリカ移民政策の原型となった。また、南北戦争後の同時期は、アメリカの社会統合が急速に進められ、国家主権の確立しつつあった時期である。中国人は、ページ法(1875年)以降、「同化不可能な外国人」として排除されていくが、大井氏は、そうした排斥が、明確に定義された国家主権が存在して行われたものではなく、むしろ中国人移民の排斥過程で国家の主権が形成されてきたことを、在米中国人の排除に対する異議申し立てやその裁判、ならびに在米中国人団体の活動などの資料をもとに丹念におっていった。とくに「分析的境界領域(analytic borderlands)」(Saskia Sassen)として注視したのは、第一世代の帰化禁止と第二世代への出生地主義に基づくシティズンシップの容認とのずれにあり、このずれは、アメリカにおけるネーション(政治的共同体)形成がステート(主権機能)形成に埋め込まれるなかでの矛盾を示すものであり、ネーションとステートのギャップと位置付られる。
 第1章では、本論文の前提となる中国人のアメリカへの移民の歴史的な展開過程が跡づけられる。アメリカ西部の開発と連動して、黒人奴隷の代替として、積極的に中国人移民が導入される。太平洋航路への蒸気船の導入によって、一時的滞在を目的とする単身男性の移民が急激に増加し、そうした中国人移民労働者の「保護」が叫ばれる。しかしその同じ時期に、中国は、エキゾチックな対象として観光のガイドなどが出版された。鉄道開発以降のアメリカの西海岸と東海岸との連接は、アメリカとアジアとの連接でもあることが描き出される。
 第2章では中国人がその「異質性」ゆえに、アメリカのネーションから締め出された背景、そのプロセスと制度化の流れが整理される。大井氏が注目するのは、中国人排斥のさまざまな法が制定されていくなかで、国境線上の排斥(入国制限)から国内追放へ転換していったことが、ゲーリー法に対する憲法判断を含めた具体的な判決を丹念に跡づけることによって、明らかにされる。ここで重要なことは、主権をブラックボックスにしておくことであり、そのことによって、締め出しを正当化する論理が「移民の保護」から「主権」への変化を可能にしたのであり、アメリカの移民政策が一貫して人種差別主義であったわけではない、ということが確認される。
 第3章では、社会統合の様式が「排斥」から「包摂」へ変化したことが、在米中国人社会にとって、いかなる含意があったのか考察される。移民第一世代への帰化禁止と第二世代への出生地主義に基づくシティズンシップの付与という、中国人排除という点からすれば一貫性を欠くアメリカの政策は、ネーション概念の変化を反映したものではなく、主権をめぐる連邦と州との対抗であったことが明らかにされる。さらに、「排斥」と「包摂」のアンビバランスな場として、1893年のシカゴで開催された世界コロンビアン博覧会(万博)における中国展が分析され、在米中国人社会のなかから、「異質さ」を脱政治化した「中国文化の展示」を通して、アメリカ社会から理解と承認を得ようとする動きが表れるが、他方では、中国文化そのものは娯楽として消費の対象となってきたことが論じられる。
 第4章では、中国人排斥政策の制度化に対して在米中国人行った活動が、一方では中国人のアメリカ化(「アメリカナイゼーション」)を促すとともに、他方では清朝中国とアメリカにまたがる「トランスナショナリズム」の勃興をもたらしたことが分析される。アメリカ社会で承認を得るためのさまざまな政治活動の過程で、中国人のアメリカナイゼーションの促進運動が起きただけではなく、崩壊の危機にあった清朝中国に対して、在米中国人団体を通じて近代化を強く求める運動が展開された。こうした動きの背後には、在米中国人のアメリカへの同化運動のなかで、出身地域を超えた「中国人」という新たな自己意識が惹起され、一方ではこれまでの境界領域を越えた中国人意識が重層的に形成されてきたとともに、他方ではアメリカに居住する中国人のなかから「チャイニーズ・アメリカン」という新しい自己意識が芽生えてきた、と位置づけられる。
 終章では、これまでの議論が総括されるとともに、最初の問題提起に戻って、移民を他者化してきた社会学の方法が批判的に検討される。あらためて主権が移民を他者化してきたのではなく、移民を他者化する過程のなかで主権が確立してきたことがとりあげられ、アジア系アメリカ人研究のあり方が再考される。アジア系アメリカ人研究は、アジア系移民を排斥してきたアメリカ社会への批判とエスニック集団としての権利の要求を求めてきたが、近年、移民研究と交錯するようになり、アジア系アメリカ人の越境性に対する再評価がおこなわれつつある。ここには、越境者と移民との問題を両者が共有する課題として問い直す場を切り開く可能性がある、と結論される。
 

Ⅲ.本論文の成果と問題点
 本論文は、国民国家体制において移民に「開かれた公共圏」はいかに可能かという、根源的な問いに対する回答として執筆された。移民が他者化される近代国家のもとにあって、他者への開かれた公共圏を問うことは、問いそのものが矛盾している。しかし他方では、フレーザーの言う「対抗的公共圏」の可能性を問うことの重要性は、ますます大きくなってきており、移民研究においても、シティズンシップをめぐる議論は中心的なテーマとして浮上してきた。本稿において著者が論じたことは、移民と社会との間にいかなる交渉が展開され、そのことを通じて公共性/公共圏を切り開くことがいかに困難であったかが、19世紀後半のアメリカ社会への中国系移民を取り上げることによって論じられた。
 本論文の大きな成果は、まず第一に、公共圏という政治思想の議論を具体的な位相によって明らかにしようとしたことである。公共圏に関しては、ハンナ・アレントやハーバーマスからフレーザーに至る政治思想のなかで展開されてきた。ハーバーマスによるアレント批判にみられるように、公共圏に関わる政治思想をめぐる論点のひとつは、どのように思想としての公共圏の議論のなかに具体的な政治ならびに権力の問題を持ち込みうるのか、という点にあった。本稿の課題としたことは、世界最大の移民国であるアメリカにおいて、19世紀以降もっとも差別的な移民排斥にあってきた中国人移民を取り上げることによって、公共圏あるいは対抗的公共圏の議論の可能性を歴史的な分析を通じて明らかにしようとした点にある。
 第二には、移民と社会との関わりあるいは対抗を、具体的な裁判資料を丹念に渉猟して、明らかにしたことである。中国人移民に関する移民史研究は膨大な蓄積があり、また移民研究においてもアメリカの排外的な移民政策の原型として、これまで論じられてきた。大井氏は、シカゴ大学への一年間の留学ならびにその後の幾度かの調査によって、公文書館をはじめとして多くの史資料を渉猟し、またシカゴの中国人街のフィールド調査を実施して、今日につづく問題系として、移民の公共圏ならびに対抗的公共圏を明らかにしようとした。本稿で中国人排除の言説が、労働者保護から社会の安全を維持する国家的な義務としての主権行為へと移行したことは、現在のアメリカにおける移民政策を彷彿とさせるものであり、本稿の現代的な意義を高めていると言える。19世紀の裁判記録から明らかにされたことは、アメリカのおける主権の論理の確立が、アメリカ国家政体における連邦制と地方分権(州主権)との対立、あるいは人種主義と出生地主義を掲げてきた普遍主義との外見上の対立を投影したものであり、この時代に主権をブラックボックスにしておく途が切り拓かれたという評価は、アメリカの移民政策における人種主義すらも一貫したものとしてあったのではなく、国家安全の論理にたえずすり替えられてきたことを明らかにしたものである。
 第三には、移民と主権という二項対立的理解にたいして、国民(ネーション)形成と国家(ステーツ)形成との連動とずれを問題化し、19世紀アメリカの移民規制政策の制度化と中国系移民の排斥運動を単一の連関した動きとして捉えたことである。19世紀後半はアメリカにとっても国民国家体制が確立した時期であり、1920年代以降の移民政策の原型としての中国人を排除するための移民政策が段階的に進められ、移民政策の制度化が国民国家形成の関数であることが示される。こうした歴史的な過程を跡づけることによって、大井氏は、ネーションとステーツ、主権と移民といった関係が動的な過程として現れてきたことを明らかにし、それに対する分析の基本として「方法的ナショナリズム」を批判的に摘出する。国家形成を植民地形成と単一の過程として分析する必要性は、ポストコロニアル研究において展開されている、国民国家形成が主権概念の形成とメダルの表と裏の関係にあるという議論ときわめて近く、その具体的な事例として大いに評価できる。
 また、大井氏がここで論証したことは、主権行為として誰を移民として受け入れるかという政策体系が、在米中国人の運動との関わりから形成されてきたと言うことを、裁判記録とともにシカゴ万博への在米中国人の積極的な関与を分析することによって描き出したことである。移民政策研究は「同化」政策の評価をめぐって展開されてきたと言えるが、しかし同化政策のさまざまな政策展開は、「統合」政策といわれてきた政策体系を含めて、その対象となる移民との関係において、具体的に現れる。それゆえ、同化政策の是非を問う前に、移民が内面化するさまざまな契機をも視野に入れた分析が必要となるのであり、裁判における個人的な状況だけでなく、種々の中国人組織の関与が論点となる。本論文においてはこうした点が詳細に記述されており、資料的な価値も高い。さらに、大井氏が明らかにしたことは、シカゴ万博を通じて示されてきた、「新しい中国人」の台頭の姿であり、シカゴ万博に積極的関与していった在米中国人たちであった。彼らが「チャイニーズ・アメリカン」として自己規定をしようとしていたことは、たんに内面化を強制されるといった評価だけではなく、近代という時代において、移民を含めた国民国家形成への在米中国人の参加の契機がどのような形で現れてきたのか、それはまた他方では、清朝中国近代化へと在外中国人がいかに介入したのかをあらわすものである。

 本稿は、公共圏にかかわる議論が、しばしばナショナルな領域を暗黙のうちに前提してきたことにたいして、国境を越えた公共圏の具体的な契機を摘出しようとした意欲的な仕事であったと評価できる。しかしながら、本稿が課題として設定した「開かれた公共圏」の議論は、しばしば政治思想における重要な課題として論じられてきたが、政治や権力の具体的な位相において展開しようとしたときに曖昧さを残すものであり、本稿もそうした曖昧な課題を抱えることになった。
 第一に、他者に開かれた公共性の可能性という、序章において示された研究目的が、最終章においても回答が留保され、課題そのものが横滑りされたことである。「公共性」という概念を移民研究あるいは移民史研究に持ち込むことは重要であり、今日の研究のひとつの流れではあるが、そうした研究の多くは必ずしも成功してきたとは言いがたい。大井氏がこうした困難な課題に取り組んだことは大いに評価できるが、大井氏自身がこれまで公共圏/公共性に関して積極的に取り組んで発表してきたいくつかの論文とその具体的な場における展開を試みた博士論文との繋がりが十分ではなかったように思われる。公共性をトランスナショナルな場で論じようとする結論は、グローバルな人権レジームの時代に貴重な仕事である。しかし、グローバル・シティズンシップなどの議論が理念的な宣言に終始してきたことにみられるように、そもそも公共圏の議論が成立する政治的な条件を明らかにするには、留保が必要なように思われる。
 第二は、ここで展開された19世紀後半の中国人移民の分析に関してである。移民史研究において、また移民政策研究において、中国人移民への差別的な政策は、これまでも多くの研究が蓄積されてきた。また、黒人奴隷が契約労働移民へと移行することに関しても、強制移民から半強制移民への転換として論じられてきた。世界的な移民の流れのなかで、中国人移民研究に関しては、多方面から研究が進んできたのであるが、それらを踏まえた研究としては、必ずしも十分とは言いがたいと思われる。たとえば、19世紀後半のシカゴは、新移民として増加してきたイタリア系移民、南部からの黒人、そしてアジア系移民のクロスする工業都市であり、こうした空間のなかに位置づける必要があったのではないだろうか。さらに世界的には、中国系移民を扱う場合に、送り出し側の中国の状況、インド系移民を含めた世界的な契約労働移民の位置づけ等について、十分な目配りが欠けていたであろう。中国系移民は、黒人奴隷労働の代替として始まったことを考えるならば、アメリカにとってもうひとつの大きな「他者」であったいわゆる「黒人」への関説があってもよかったのではないか。言うまでもなく、これらはそれ自体大きなテーマであり、そのことを詳細に論じることは不可能であるが、アメリカの国民形成や主権を問題とするときに、それら各々の課題への配慮は必要であろう。さらに付け加えるならば、本稿におけるひとつのテーマが、移民規制の過程を主権ならびに国民形成の過程であったという主張にあるが、こうしたテーマは、すでにポストコロニアル研究のなかで論じられてきており、植民地主義との関わりという観点があってもよかったのではないかと思われる。
 第三には、在米中国人移民のさまざまな運動の背後にある階級的な分析である。これまでの在米中国人移民研究の焦点のひとつが、中華公館などを構成するメンバーの分析であったことにもよるが、彼らの階級的な分析を踏まえた議論が必要ではなかったかと思われる。大井氏によれば、資料的な制約によるものと言うことであるが、裁判への関与やシカゴ博への参加などは、たんに在米中国人の新しい動きと言うのみでは分析として不十分であり、そうした背後にある中国人団体の経済的ならびに政治的な利害関係を明らかにする必要があるであろう。言うまでもなく、中国人移民の場合、出身地と階層が大きな意味を持っており、また裁判において中国人側から主張される「人権」も、きわめて政治的なニュアンスを含んでいると考えざるを得ない。すなわち、中国人の契約労働移民がビジネスとして成立し、それがアメリカ社会とどのようなネットワークを作り上げて、相互にいかなる交渉しているのか、そしてその中からどのような対立と妥協が生み出されてきたのかといった点が明らかになれば、公共圏の可能性をめぐる議論はより説得力を持ったものになったと惜しまれる。
 しかしながら、こうした課題は、大井氏も十分に認識しており、さらに移民研究を外にむかって開かれた研究領域として展開する必要性を自覚しており、困難な課題に挑戦した意義は十分に評価できる。

  四、結論

 審査員一同は、上記のような評価と、6月8日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該分野の研究に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する

最終試験の結果の要旨

2009年7月8日

 2009年6月8日、学位論文提出者大井由紀氏の論文ならびに語学力について最終試験を行なった。試験においては、提出論文「越境と境界線の社会学 -分析的境界領域としての19世紀末在米中国人-」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、大井由紀氏はいずれも十分な説明を与えた。また、本学学位規則第4条第3項に定める外国語及び専攻学術に関する学力認定においても、大井由紀氏は十分な学力をもつことを証明した。
 よって審査委員会は大井由紀氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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